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ザ・クラッシュ『サンディニスタ!』 散漫かつ過剰な3枚組が大傑作となった理由

Rolling Stone Japan / 2021年8月14日 10時0分

ザ・クラッシュ(Photo by Lisa Haun/Michael Ochs Archives/Getty Images)

ザ・クラッシュが『サンディニスタ!』を世に問うてから40年が過ぎた。本作はレコード6面すべてが地雷探査のようであり、バンドの到達点と大麻常用者によるゴミが混在している。今なお議論のタネとなっている大作を、名物ライターのロブ・シェフィールドが振り返った。

遡ること40年前、アメリカのレコードショップに奇っ怪な新譜が登場した。今ではパンクロックの代表格として知られるロンドンのバンド、ザ・クラッシュのヴァイナル盤3枚組『サンディニスタ!』だ。『ロンドン・コーリング』が世界を席捲し、彼らの名をあまねく轟かせてからまだ1年しか経っていなかった。同作は全米トップ40ヒット「Train in Vain (Stand by Me)」を彼らにもたらした。しかし今度の音には、バンドが自身の初ヒットに乗っかるつもりなど毛頭ないことが明らかだった。『サンディニスタ!』はダブレゲエによるおふざけや各種の音響効果、あるいはプロト・ラップといった実験にあふれていた。最終第6面の最後にはメエメエ鳴く羊のコーラスまで登場している。しかも曲名は「Shepherds Delight」(=牧羊犬のお楽しみ)だ。このアルバムはまっとうな商業作品なのか? アルバムのタイトルは、少し前に米国からの支援を受けていた独裁政権の転覆に成功した、ニカラグアの革命組織に由来している。では、若き米国市民の諸君、どうぞご一緒に。「サアァァァーンディ、ニスタアァァァァァァアーッ」


『サンディニスタ!』が歌詞に出てくる「Washington Bullets」

クラッシュはここで傑作をあえてひっかき回すというリスクを冒しているのだが、しかしファンの多くには、この時期のバンドはキャリアにおいてもっとも退屈で締まりがなく、最高に無礼かつ粗野で、すっかりくたびれ果てているように思われてしまった。そもそも、なぜ3枚組だったんだ?

「それっぽい理由もいろいろ言われてるけど、そんなのないよ」

1982年、ジョー・ストラマーはローリングストーン誌にこう語っている。

「全部しょうもない話さ。基本ジョークなんだ。こんな噂があったんだよ。俺らが『ロンドン・コーリング』を2枚組で出した後、スプリングスティーンが『ザ・リバー』をやっぱり2枚組で発表したもんだから、俺らが怒り心頭になったっていうんだ。それでこう考えた訳さ。”よっしゃブルース、これでも食らえ”ってな」

ルールなんてものは存在しない

『サンディニスタ!』にはクラッシュの到達点が幾つも見つかる。「Hitsville U.K.」、「Up in Heaven (Not Only Here)」、「The Call Up」、「The Magnificent Seven」、「Washington Bullets」、「Police on My Back」といった辺りだ。だが同時に、大麻常用者から自ずと出てきたゴミも山のように積まれている。なにせ36曲もあるのだ。三分の一くらいには収められただろう。ヴァイナル盤の真ん中のレーベル周りの箇所(ランアウトグルーヴ)には6面ちりぢりに、こんなメッセージが殴り書きされていた

「宇宙では…あなたの…声は…誰にも…届かない…クラッシュ!」(『エイリアン』のパロディ。こちらの映画も『サンディニスタ!』と同じくらい人々を慄かせたものだった)

この手のお遊びは音楽の全体にも横溢している。ジョー・ストラマーの燃えるようなシャウトに、ミック・ジョーンズのギターの閃光。ポール・シムノンのベースはアスリートみたいで、トッパー・ヒードンのドラミングはしなやかだ。しかもクラッシュは、自分たちがファンクにダブにロカビリーにスウィングにカリプソと、ただ好きなものに好きなように手を伸ばしていることについてなんら悪びれてはいない。

「きっとわかってもらえないだろうが……」シムノンは以前、ローリングストーン誌のデヴィッド・フリッケに向けてこう語っている。「パンクってのは変革を指していたんだ。第一のルールはこう。”ルールなんてものは存在しない”」

当時も3枚組というのは極稀だった。揺るがしようもない超弩級のスターたちのためのものだったのだ。ジョージ・ハリスンの『オール・シングス・マスト・パス』、イエスの『イエスソングス』、あるいはグレイトフル・デッドの『ヨーロッパ72』。フランク・シナトラは『トリロジー:過去・現在・未来』を発表したばかりだった。クラッシュはまず、その枠組みをぶち壊すところから始めた。小売り価格を14ドル98セントに設定したのだ。これは2枚組LPよりも安かった。実際『ザ・リバー』の定価は15ドル98セントだったから、3枚目のディスクはほぼおまけみたいなものだった。この価格を実現するため、彼らは自身の印税のほとんどを犠牲にしていた。自爆にも等しいこうした経済的無謀は。やがては彼らの自己破壊的な伝説の一部を為してもいく訳だが、同時に80年代になってからは誰一人この手の3枚組作品を作ろうとはしなかったことの説明にもなりそうだ。



「Up in Heaven」は、クラッシュのカタログ中でもっとも過小評価されている曲というだけに留まらない。これは彼らの全キャリアを通じ、もっとも豪華かつ情熱的で、最高に切羽詰まった仕上がりを誇る。しかし、このアルバムは最高中の最高の隣にゴミ中のゴミが並んでいるような代物なのだ。6面のすべてが地雷探索みたいで、終始議論のタネだった。

しかし実際に聴くとなると、当時は誰もが自分の気に入った曲だけを並べたテープを作っていたものだ。ファンの間でさえ、それぞれのカセットが違った並び順だった。僕は「Rebel Waltz」を一曲目にしていたけど、この曲が大好きなやつなど見当たらなかったものだ。そういうのもまた楽しかった(ブルックリンのバー「Enids」、安らかに眠れ。同店はいつも本作をフルでかけていた。僕が第5面も楽しめるようになれたのも、ここがきっかけだった)。

この頃はバンド自身も、まだ自分たちがクラッシュであることを気に入っていたようだ。『サンディニスタ!』を聴けば、連中が一緒にやることをどれほど嬉しく感じているかわかる。

「まずは音楽だ。政治性はその次だ」。ストラマーはローリングストーン誌にそう語っている。「ギターを弾きたいと思っていなけりゃ、そもそも俺らはここにこうしていない。俺たちに政治的な傾向があることは間違いない。でも最初に影響を与えられたのは音楽のサウンドだ。ギターを弾くようになって、自分が何を口にすべきかを見定めなければならなくなった。そこから自分たちの作ったその間隙を上手く使う術を探り始めたんだ」

アメリカにおける『サンディニスタ!』人気

『サンディニスタ!』はジョン・レノンの殺害後、最初に登場してきた重要作でもあった。彼のロック革命的精神が健在であるという「希望のしるし」として受け止めた人々もいた。それゆえ本作は、1981年にもっとも称賛された一枚となった。ローリングストーン誌のジョン・ピッカレラは、満点五つ星をつけた本作のレビューでこんなふうに書いている。

「ここまでビッグな、もしくは広範なアルバムというのはそうあるものではない。前作『ロンドン・コーリング』のマチズモを抑えたうえで、『サンディニスタ!』はより多くを内包しようと懸命に試みている」

もはやクラッシュは、自分たちのアーティスティックな「衒い」を隠そうとはしていなかった。ピッカレラがブライアン・イーノになぞらえ、彼の作品に引っかけて ”虎の山を越えてしまった(taking Tiger Mountain )みたいだ”と評したように。



本国イギリスでは、『サンディニスタ!』は1980年12月に発売された。レコード会社の側に、クリスマス商戦にチャートのトップを獲ってくれれば、といった目論みがあったことは明らかだ。しかし事実はそうならなかった。アバにバーブラ・ストライザント、バリー・マニロウにポリスといった同年の特大ヒット作の陰に隠れてしまう形となったのだ。

しかしアメリカでは、本作は1981年のアルバムとして扱われた。同年を代表する作品とされる場面もある。チャートには2月初頭に登場し、最高で24位を記録した。さらにヴィレッジ・ヴォイス誌「Pazz & Jop」における批評家らの投票企画では1位を獲得している。今や古典となったXの『ワイルド・ギフト』、エルヴィス・コステロ『トラスト』、ローリング・ストーンズ『刺青の男』といった辺りを抑えた形だ(ついでに同企画の残りのトップ10を挙げておくと、リッキー・リー・ジョーンズ、スクイーズ、トム・ヴァーレイン、プリンス、リック・ジェームズ、ゴーゴーズが選ばれていた。どれもが似ているものの見つからない、偉大なる十枚の金字塔と言えそうだ)。ローリングストーン誌の読者投票では、ストーンズの後塵を拝する形で最優秀アルバムの2位につけた。投票数は606対162ではあったけれど、REOスピードワゴンとスティーヴィー・ニックスには競り勝っていた。

僕の高校では昼休みの論争がまるまる一年も続いた。『サンディニスタ!』と『ロンドン・コーリング』のどちらが優れているかというものだ。振り返ればファン同士でそんな議論に興じていたというのも、どこか捩れた事態ではある。だってこの時期にはもうすでに、世界は『ロンドン・コーリング』をある種の聖典と見做す動きに載っけられて久しかったのだ。

当時と同様、僕は今でも『サンディニスタ!』派だ。いや、確かに本作は過剰だし常軌を逸してもいる。収録時間だけとっても、彼らがそれまでに発表してきたアルバムすべてを合わせたものより長い。

だがしかし、大体70分くらい、すなわちCDサイズのプレイリストにこいつを編集しなおす作業を思い描いてみてほしい。やはり冒頭は「The Magnificent Seven」になるだろう。ストラマーがはしゃいだような勝手気侭な反資本主義ラップで高らかに開幕を告げる。”ソクラテスとミルハウス・ニクソンが/同じようにキッチンを通り抜けていく”。 だいたい5分過ぎくらいの箇所では彼はこう呟いている。”クソ長えな、そうでもねえか?”。いやいやジョー、これはどちらかといえば簡潔な方の曲だと思うよ?

同曲はそのまま「Hitsville U.K.」へと雪崩込む。明らかにモータウンの影響を受けたヴィブラフォンが、音楽業界にまつわるあれこれを巡って飛び跳ねる。しかしこの曲は同時に、いかにも嘘っぽいポップソングでさえ本物の感情を呼び起こすことができるのだという賛歌(オード)でもある。ここではミック・ジョーンズが、当時の恋人だったアメリカ人のエレン・フォーリーと一緒にヴォーカルを取っている。ミートローフの名曲「Paradise by the Dashboard Light」に参加したことで有名な女性である。そう、あの曲で”ここで止めてっ、今すぐ知りたいのよ”と叫んでいるのが彼女なのだ。1981年にクラッシュがミートローフの女神にマイクを握らせるなんて、まるっきり現実離れした事態な訳だが、これが見事にハマっている。ちなみに二人の関係が終焉を迎えたあと、ミックが彼女のことを書いた曲が「Should I Stay or Should I Go?」(次作『コンバット・ロック』収録)だったりする。

未来を予見し、ジャンルから解き放たれた音楽

本作のピークは第3面の冒頭を飾った「Lightning Strikes (Not Once but Twice)」と「Up in Heaven」の強烈な連打だろう。この二つは合わさって10分に迫る一曲と化し、ロンドンとニューヨークの関係性を歌い上げている。パンクを生み出したロンドンのスラムの側からの、ヒップホップを育んだサウスブロンクスへと向けられた咆吼だ。まだ業界からは、ラップなど所詮一時的なものだろうと見做されていたこの時代、ロックの側から表明された最初の敬意だったといってもいい。ストラマーは「Lightning Strikes」で”ブロードウェイにロンドンの街がある”と叫び、これがニューヨークへのラヴソングであることを明らかにする。

曲はそこから急旋回しながら「Up in Heaven」へと繋がっていく。こちらではジョーンズが、祖母と一緒に南ロンドンの共同住宅で生活していた時代のことをがなり立てる。彼の目には荒涼たる都市部の高層建築のすべてが”空に聳えた巨大なパイプオルガン”に見えている。そこでは、風があらゆる痛みと惨めさとを音楽へと変えていく。ミックはRedemption Song,誌でのインタビューでクリス・シールヴィッツにこう答えている。「「Up in Heaven (Not Only Here)」は高層建築地区のゴミ配送管を吹き抜けて渦を巻く風を歌った曲なんだ」。ここでのクラッシュはそれまでになく怒りに燃えており、かつ同時に、かつてのどの場面よりも美しい。

地理的な背景を有した曲たちには同じ力が宿る。音楽はほとんどサイケデリックなまでに美しいのに、歌詞の方は、今まさに鼻先にあるような現前性を突きつけてくるのだ。「The Call Up」の”流されないぞ”という決意表明は酩酊にも似た幻想へと舞い上がる。「Charlie Dont Surf」は『地獄の黙示録』へも言及しつつダブも効かせている、ヴェトナムを扱ったバラッド。さしずめブライアン・ウィルソンmeetsボブ・マーリーといったところだろう。「Rebel Waltz」は、歌のほか何も残すことなく散っていった、今は亡きアイルランドのクロッピー・ボーイこと1798年の革命分子らの世代へと手向けられた、幽玄という言葉が似合うハープシコードによる鎮魂歌となっている。

「Washington Bullets」では、1979年のニカラグアでソモサ王朝を倒したサンディニスタ革命への声援を、マリンバの生み出すグルーヴに載せる。同曲は同時にニクソンの支援のもと1973年にチリで起きた、クーデターによる独裁政権樹立の際の犠牲者たちへの弔意の表明ともなっている。”どうかサンチャゴ・スタジアムのヴィクトル・ハラを忘れないでくれ”と歌うストラマー。彼はここで、さらに驚くべき捻りを見せつける。強大な力を背景にした、地上のほかの帝国主義たちまでをも嘲り出すのだ。”モスクワの放った銃弾がしとめそこなったアフガニスタンの革命分子を知らないか/もし会えたら共産主義者に投票することを、そいつがどう思っているかを尋ねてみるといい/チベットの丘にいるダライ・ラマにはこう訊くんだ/いったい中国は何人の僧侶たちを捕まえやがったんだって”。おそらくこれはダライ・ラマの名を織り込んだ史上初めての楽曲ではないだろうか。X世代以降が、彼の存在やチベットの紛争について耳にする最初のきっかけとなっていることは間違いないだろう。

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さて70分のプレイリストの残りだが、通好みを選んでやろうとか、寝ないで考えるなんてことはしなくてもいい。ポップへの共感を歌い上げた「Somebody Got Murdered」もあるし、ジャズ畑のモーズ・アリソンが手がけたドタバタのブギウギ「Look Here」もある。ジャマイカ・レゲエの祝い手であるマイキー・ドレッドは「One More Time」と「Living in Fame」で、ストラマーが”なんてこった、マイキー”と混ぜ返すまで延々と怪気炎を吐き出している。「The Sound of the Sinners」はゴスペルの装いをまとった風刺で、エルヴィス・コステロがクラッシュの中でも一番の名曲として挙げている。(ホワイト・ストライプスの)「Hotel Yorba」を踏まえると、ジャック・ホワイトもたぶん同じことを言うだろう。

「Silicone on Sapphire」は、コンピューターへの執着をダブを駆使しながら喚き散らす。TRS-80時代の『キッドA』だ。「Career Opportunities」では鍵盤奏者ミッキー・ギャラガーの子息たちをシンガーに迎え、パンクを鳴らしたバンド初期の生々しい名曲を、子供向けの歌へと見事にモデルチェンジを果たしている。よちよち歩きの域に止まりそうな彼らの声が、同曲のおかしみを増しているのだ(ギャラガーのお嬢さんは本作で、子守唄ヴァージョンの「The Guns of Brixton」も披露している)。さらに「Midnight Log」や「Something About England」、「If Music Could Talk」辺りを加えてもいい。ひょっとして今、「胃が締め上げられるようなカントリーっぽいヴァイオリンのホーダウンを聴きたい気分なんだ」と仰っただろうか? ならば「Lose This Skin」がお手頃だ。アルバムの中でも出来損ない中の出来損ないだけれど、この曲はその出来損ないっぷりをこれでもかとでもばかりに振りかざしている。

『サンディニスタ!』は自信にあふれ、かつ「町で最後の無法者」的な蛮勇にも満ちていた。これが数年後には分裂するバンドの音だとは到底考えられない。クラッシュはしかし、ちゃんとしたアルバムをあと一枚しか作れなかった。『コンバット・ロック』だ。同作は隅々まで『サンディニスタ!』と肩を並べるほど芸術的で、しかも懸命なことに、しっかりポップのパッケージとして成立していた。

その後ストラマーは、まずトッパー・ヒードンを解雇し、次はミック・ジョーンズまで追い出してしまった。1988年、彼はLAタイムズにこう告白している。

「俺は自分こそがクラッシュなのだと証明したかった。ミックじゃねえぞってな。今は俺だって、間抜け野郎だったとわかっているよ。特定の誰かではなく、俺たち4人の間に起きたケミストリーが凄かったと気付かされたんだ」

そのケミストリーは、今なお『サンディニスタ!』から喧しくも鮮明に聴こえている。だからこそ40年の時を経てなお新鮮だし示唆に富んで響くのだ。ここにはクラッシュが手を取り合い、未来への大きな跳躍を勢いよく遂げようとしたサウンドが鳴っている。

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From Rolling Stone US.

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