チャーリー・ワッツ秘蔵インタビュー「僕がロックを一緒にプレイするのは彼らだけ」
Rolling Stone Japan / 2021年8月29日 8時45分
8月24日に亡くなったチャーリー・ワッツを追悼。ジャズからの影響と尊敬するドラマー、史上最長クラスのキャリア、ミック・ジャガーやキース・リチャーズへの信頼などについて語った2013年の秘蔵インタビューを公開する。
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2013年、ローリング・ストーンズが50周年記念ツアーの再開に備えていた頃、筆者は本誌記者として彼らを取材した。ミック・ジャガー、キース・リチャーズ、ロン・ウッドには過去にインタビューしていたが、チャーリー・ワッツと腰を据えて話したことはなかった。長い間、彼とジャズについてじっくりと語ってみたいと思っていた筆者にとって、これは願ってもない機会だった。しかし、筆者が執筆した部分は誌面には掲載されなかった。
健康上の問題を理由に、チャーリーが今秋に行われるストーンズのツアーに参加しないと知った時、筆者はその原稿を掘り起こし、彼が語った内容に基づいて一部加筆した。チャーリーが80歳で他界したという先日のニュースを受けて、本記事が初公開されることになった。このインタビューから浮かび上がる疑問、それはチャーリー・ワッツを失ったストーンズが、これからもローリング・ストーンズであり続けられるのかということだ。ミック・ジャガーとキース・リチャーズが、彼の逝去に言いようのない悲しみを覚えていることは疑いない。50年以上にわたってバンドの歴史とサウンドの形成に貢献してきた彼に、2人は親愛の情と感謝の気持ちを抱いていた。バンドが喪失を経験するのはこれが初めてではないが、チャーリーの逝去がストーンズにとって致命的な出来事であることは確かだ。彼はストーンズの歴史とサウンド、そしてアイデンティティの核だった。— Mikal Gilmore
* * *
チャーリー・ワッツはジャズドラマーだ。彼は20代前半だった1963年にローリング・ストーンズに加入した際に、ほどなくしてビートルズと肩を並べるティーンのアイドルとなるロックバンド(本人たちはブルースのバンドだと主張していた)に自分が馴染めるかどうか確信を持てずにいた。過去にはロンドンのブルースのシーン(ストーンズもその一部だった)で活動していたアレクシス・コーナーのバンドでドラムを叩いていたが、彼は常に自身をジャズドラマーだとみなしていた。1965年、彼はビバップのアルトサックス奏者チャーリー・パーカーについての絵本『Ode to a High Flying Bird』を出版している(それから27年後の1992年に、彼はパーカーのトリビュートアルバム『A Tribute to Charlie Parker With Strings』を発表している)。キース・リチャーズはストーンズのことを(少なくともステージ上では)ジャズバンドだとみなしており、チャーリーの存在がその理由だと語っている。
チャーリー曰く、彼にロックンロールの新たな聞き方について教えてくれたのはキースだったという。「彼らがジョン・リー・フッカーやマディー・ウォーターズのような一流のブルースマンに夢中になっている一方で、僕はチャーリー・パーカーやソニー・ロリンズを聴いてた。ストーンズに加入したばかりの頃はそういうのにハマってたんだ。当時僕はエルヴィスにまるで興味がなかったんだけど、キースが僕に彼の魅力を教えてくれた。もちろん『Hound Dog』なんかは知ってたけど、キースに勧められてからは彼の音楽をじっくり聴くようになった」
ソニー・ロリンズが参加した「Waiting On A Friend」(『Tattoo You』収録)
さらにチャーリーは、ジャズだけでなくロックンロールやR&Bもプレイするニューオーリンズのミュージシャンたちの音楽を聴くようになった。「ジミー・リードのドラマーだったアール・フィリップスとかだね。彼のドラミングはまさにジャズだった」。チャーリーはそう語っている。「アール・パーマー(デイヴ・バーソロミュー、ファッツ・ドミノ、プロフェッサー・ロングヘアー、リトル・リチャード等と共演)もニューオーリンズの偉大なドラマーだ。彼は常に自分をジャズマンだと捉えていたし、実際にそうだった。彼はキング・プレジャーとも一緒にやってるからね」
チャーリーはジャズとロックンロールのバックグラウンドに類似性を見出し、プレイヤーが共通しているケースがあることにも気づいた。「ニューオーリンズのドラマーにとって、バンドの掛け持ちはごく当たり前のことだった。ジガブー(ミーターズのドラマーであるジョセフ・モデリステ)がいい例だ。彼はビバップだけじゃなく、セカンドラインのリズムも叩くことができた。オーネット・コールマンのカルテットでドラムを叩いてたエド・ブラックウェルは革新的な存在で、本物のジャズマンっていうのは彼のような人のことを指すんだと思う。ニューオーリンズ生まれの彼は、もちろんセカンドラインのリズムも心得ていた」
チャーリーの根幹にあった「ジャズ」
チャーリーはソロ名義でジャズのアルバムを10枚発表しており、そのスタイルは多岐にわたる。1作目はトランペッター7人、トロンボーン奏者4人、アルトサックスのプレイヤー3人、テナーサックス奏者6人、バリトンサックス、クラリネット、ヴィブラフォン奏者2人、ピアノ、ベーシスト2人、ジャック・ブルースが務めたチェロ、そしてドラマー3人という大編成のチャーリー・ワッツ・オーケストラ名義で1986年に発表した『Live at Fulham Town Hall』だ。楽曲は大胆にアレンジされ、テナーサックスが吹き荒れる「Lester Leaps In」を含むいくつかの曲は猛スピードでプレイされている。
さらにテンテット、クインテット、ビッグバンド(「You Cant Always Get What You Want」と「Paint It, Black」をカバー)等の編成でも作品を発表しているほか、チャーリー・パーカーのトリビュートも2作残している。ストーンズの作品で長くバックコーラスを務めているバーナード・ファウラーが参加した、アメリカン・ソングブックのスタンダードを集めたゴージャスな『Warm & Tender』(1993年)『Long Ago & Far Away』(1996年)も一聴の価値ありだ。
一方歌モノのアルバムでは、チャーリーは慕情や喪失をテーマにした曲のバックで消えゆく鼓動のような穏やかなリズムを鳴らしている。だが彼のディスコグラフィーにおける最大の野心作は、エリック・クラプトンやライ・クーダー、デラニー&ボニー、ボブ・ディラン、ジョージ・ハリスン、ジョン・レノン、リンゴ・スター、ガボール・ザボ等、錚々たるアーティストたちのバンドでドラムを叩いてるジム・ケルトナーと共作した、偉大なジャズドラマーたちへのトリビュート作品だろう(2000年リリースの『Charlie Watts Jim Keltner Project』)。
筆者がビバリーヒルズにあるホテルの小さなカンファレンスルームでチャーリーと会った時、彼はオールバックにした髪よりもやや色の濃い、仕立ての良さそうなグレイのスーツに身を包んでいた。彼は脚を組み、交差させた両手をその上に置いていた。筆者はチャーリーに、彼とジム・ケルトナーが「Kenny Clarke」「Roy Haynes」「Max Roach」「The Elvin Suite」等を含む9つのトリビュート曲をプレイするプロジェクトが特に好きだと伝えた。尊敬するドラマーたちのスタイルを模倣するのではなく、2人はそれぞれの個性を大いに発揮しているが、「Airto」に限ってはマイルス・デイヴィスが70年代に率いたアンサンブルのメンバーだったブラジル人パーカッショニスト、アイアート・モレイラのサウンドを比較的忠実に再現している。
だが作品の大部分では、チャーリーとケルトナーは非一般的なアンサンブルのほか、時折使用されるループやエレクトロニクス、そして西アフリカ譲りのリズミカルなグルーヴなどを用いながら、9人のドラマーたちへの敬意を抽象的な形で表現している。アート・ブレイキーとトニー・ウィリアムスにちなんで名付けられた曲が特に好きだと伝えると、彼は筆者がそのアルバムを知っていることに驚き、感謝してくれているようだった。
チャーリーによるジャズ・レコードは作品として優れているだけでなく、ローリング・ストーンズにおける彼の役割の理解を深めるためのヒントにもなっていると筆者は考える。『Watts at Scotts』(2004年)において一流のテンテットを従えた彼のドラミングを聞くと、長年にわたるエレクトリック・ブルースやポップバンドでの仕事を通じて考えつき、温め続けてきたビートの数々が一気に開花したかのように感じられる。異なるアイデア同士を組み合わせるこのアルバムからは、まるでドラミングの歴史そのものが浮かび上がってくるようだ。それはブレイキーやマックス・ローチのようなブルースを軸としたドラマーや、チャーリーに最も影響を与えた存在の1人であるエルヴィン・ジョーンズのスタイル、そしてストーンズの作品でのチャーリー自身によるカミソリの刃のように鋭いスウィングまで網羅する。タイプが大きく異なるドラマーであるケルトナーとともに、チャーリーはそれらを紡ぎ合わせていく。
トニー・ウィリアムスとキース・ムーンを語る
マイルス・デイヴィスのバンドにいた若き日のトニー・ウィリアムスを観た時のことについて、チャーリーはこう語る。「彼のスタイルはまさに唯一無二だった」。筆者がトニーにインタビューした際に、彼が最大のインスピレーションはキース・ムーンだと語っていたことを伝えると、チャーリーは驚いた様子で目を見開き、体を大きくのけぞらせてこう言った。「それは驚きだね」
筆者自身は納得できたのだが、「僕には理解できないな」とチャーリーは言った。「キース・ムーン、彼は強烈な個性の持ち主だった。唯一無二の存在で、彼のことは僕も大好きだったし、懐かしく思うこともある。チャーミングで愛すべき男だよ。ただ……」
短い沈黙を挟んで、チャーリーは吐息をついた。「でも彼には理解しがたいところもあった。とてもね。3つくらい人格を持っているように感じることもあったよ。彼も一時ロサンゼルスに住んでいたんだけど、当時の彼は何かとクレイジーだった。2人で会った時に、彼はチョコレートで覆った蟻が入った容器を持ち歩いていて、僕に食べさせようとしたことがあってさ。彼にはそういう、少し変わったところがあったってことだよ。でも根はすごくいいやつだし、彼とはウマがあったね」
チャーリーは頭を振り、ムーンの思い出に顔をほころばせた。「彼とピート(・タウンゼント)のコンビはスリリングだった。ピート以外のプレイヤーとの相性がどうだったかは分からないけどね」。彼は笑ってそう付け加えた。「彼とはやりにくいと思ってた人は多いんじゃないかな。彼はリズムキープが抜群というわけでもなければ、ファンキーなタイプでもなかった。彼はとにかく孤高の存在で、トニーはそこが好きだったのかもしれないけど、とにかく意外で驚いたよ。僕は彼のアイドルはロイ・ヘインズだろうと思ってたから」
「トニー・ウィリアムス自身もすごくいい人で、逝去する直前にも素晴らしい作品を書いてた。彼はプレイするだけじゃなく、作曲にも積極的だった。素晴らしい作品をたくさん残してるんだ。彼は18歳の時にマイルスのバンドに入り、音楽史に名を残す存在になった。18歳当時の彼のプレイを僕がロンドンで初めて観た時、黒いドラムキットを操る彼のパフォーマンスのオリジナリティに衝撃を受けた。彼が逝去した後、Catalinasでロイ・ヘインズのライブを観た時に、ふと彼の姿がトニーと重なったんだ。彼が60年代にマイルスのバンドのメンバーとしてロンドンに来た時、さっきも言ったけど、唯一無二の彼のプレイに誰もがぶっ飛ばされた。ライドシンバルの使い方ひとつ取っても独創的だった。彼がラリー・ヤングとジョン・マクラフリンとやってたバンド、ライフタイムのライブも観たよ。ミック・テイラーと一緒に行ったんだけど、3人の演奏は本当に素晴らしかった」
長大なキャリアを支えた「指針」と「美学」
その日の午後、彼が語ったことの多くは「耐久性」についてだった。少なくとも著名なドラマーとしては、50年以上にわたって単一のバンドで活動を続けている人物を筆者は他に知らない。匹敵する存在があるとすれば、1924年から1974年まで活動していたデューク・エリントン・バンドだろうか。自分がバンドのドラマーとして史上最長のキャリアを誇っているという事実に、チャーリー自身も少し驚いている様子だった。「50年以上やってるドラマーは大勢いるよね」。彼はそう話す。「でも君のいう通りかもしれない。昔は『20年以上も一緒にやっているなんてすごいですね』なんて言われるたびに、『40年以上やっていてもデューク・エリントンに比べたらまだまだだよ』って返してた。もちろん、彼のバンドのメンバーが一定じゃなかったことは知ってるけどさ。彼のバンドじゃ、同じプレイヤーが何度も入ったり抜けたりしてたからね。僕が大好きなソニー・グリアは、20代の頃に彼のバンドでドラムを叩いてた。当時エリントンはドラマーを頻繁に変えてたんだけど、彼は1950年代までやってたから、30年近くバンドにいたことになるね。でも確かに、50年以上同じバンドでやってるドラマーは他に知らない」
それだけ居心地がいいということなんでしょうね。
「うん、そうだね。それに、僕はバンドでやるのが好きだから。僕はバディ・リッチのようなタイプじゃないし、ライブのために駆り出されるセッションミュージシャンだったこともない。いろんな所に出向いていって、初対面の人と一緒に音を出すっていうのは気疲れするんだ。僕はそれほど器用なタイプでもないしね。少なくとも3、4回一緒にライブをやるまでは、リラックスしてプレイできないんだ。ソニーもそうだけど、僕の好きなドラマーのほとんどは、バンドのメンバーとして長く活動してた。最近じゃそういうケースは少なくなったよね。ロイ・ヘインズなんかは、素晴らしいバンドにたくさん参加してる。レスター・ヤング、チャーリー・パーカー、ゲイリー・バートンなんかと一緒にやってたわけだからね。彼はスタン・ゲッツの素晴らしいバンドにも参加してた。(セロニアス・)モンクの『Five Spots』のひとつでもドラムを叩いてたんじゃないかな。彼が参加したコルトレーンのアルバム、『To the Beat of a Different Drum』も素晴らしいレコードだ。彼は今も現役でやってるけど、すごくいい人だ。若いプレイヤーから目標にすべき人は誰かと聞かれたら、僕はロイ・ヘインズだと答える。彼はいつまでも若々しくて、傲慢なところもまるでない。あの歳まで生きるプレイヤー自体がほとんどいないしね(ロイ・ヘインズは1925年生まれ、現在96歳)。でも彼とハグを交わすと、その逞しさに驚かされるんだ。彼はチャーミングで魅力的な、本当に素晴らしい人だよ」
「ローリング・ストーンズを始めた時点で、既に長く活動を続けているバンドはたくさんいたけど、気づけば僕らは誰よりも長いキャリアを誇るようになっていた。それは名声や運とは無関係だし、ストーンズが優れているということでもない。僕らは他のどのバンドよりも長く活動を続けている、ただそれだけのことだよ」
生涯を通じて力強いビートを休みなく刻み続けるチャーリーのような存在は他にいない、筆者はそう述べた。「それがドラマーの役目だからね」。彼はそう話す。「オーティス・レディングのライブに行ったことがあるんだ。彼は素晴らしいエンターテイナーだけど、サックスとかのソロの間に小休止を挟んでた。でも彼のバンドのドラマーは、ステージで絶え間なくビートを刻み続けている。ドラマーはそうあるべきなんだよ、バンドのエンジンだからね。だからショーがたくさん控えているときは、疲れ切ってしまわないよう気をつける必要がある」
「ツアー日程がまだ4分の1くらい残っている段階で、息切れしたり思うように手が動かなくなってしまうと本当に辛いんだ。考えただけでもゾッとする。若い頃は酒さえあれば大丈夫だったけど、今じゃそうはいかない。僕は常に先を見据えて備えるようにしていて、ジャズをプレイし始めた理由はそれが大きいんだ。単に好きだからというのももちろんあるけど、ツアーに出ていない間もドラムを叩いていたかった。2年間ツアーに出ては1年間の休暇をとるっていうのが僕らのパターンなんだけど、オフの間に体がなまってしまうのは良くないからね」
ストーンズがビートルズよりも優れている点
ミック・ジャガーとキース・リチャーズの間で緊張が高まっているという噂がありましたが、50周年記念ツアーの開催は危ぶまれていましたか?
「僕自身は楽観視してたけど、心配してた人はたくさんいただろうね。あの2人は何かと世間を騒がせるけど、長年つるんでるわけだからさ。子供の頃から近所同士だし、もう兄弟みたいなもんだから、家賃のことなんかで口論したりもするけど、そうなると2人の間には誰も割って入れない。完全にお手上げだよ。50年も一緒に活動してると、そんなのはもう日常の一部だ。キースの本に書いてあることは、彼がミックのことを知り尽くしている証拠なんじゃないかな。僕自身は読んでないんだけどね。どんなことが書いてあるのか、人づてに聞いただけなんだ」
「50周年記念に何かやるべきだとは思ってた。そのことをビル・ワイマンから聞いたのは、実は今年(2013年)に入ってからなんだ。去年じゃなくてね。僕自身はショーを1つ、あるいはもう少しできたらいいなと思ってた。公演数が3桁になるようなツアーもいいけど、リハーサルも含めて多くのお金と大勢の人が絡んでくるから。僕とキースだけで音を出して楽しむというわけにはいかないからね、たとえそれが一番大切なことだったとしてもさ。ショーにはものすごく大掛かりなプロダクションが必要になるから、少なくとも3公演くらいはやらないと採算が取れないんだ」
「ロンドンとニューヨークでやったショーはうまくいったし、あれがツアーの実現を後押ししたと思う。あの2公演は何かとスムーズだったから、ツアーの他の公演もそうなるといいんだけどね。僕は終わりが見えてると安心するんだ。アメリカだけで50公演とか、気の遠くなるような数のショーを控えてると『勘弁してくれよ』って感じさ。なんて言いつつ、いざ始まると楽しくなるんだけどね。キースはいつも『もっとやろうぜ』って言ってる。肉体的に一番大変なのは冒頭だから、ノンストップで続けることは理に適ってるんだ。今後どうなるかはわからないけどね」
ローリング・ストーンズが本領を発揮するのは、やはりステージ上でしょうか?
「間違いなくね。僕らはライブバンドなんだ。それは初期の頃から変わってない。ビートルズは素晴らしい作品をたくさん残しているけど、エンターテイナーとしては僕らが上さ。彼らよりもアグレッシブだからね。僕ら以上のライブバンドはそうはいないと思ってる。4年前、サンタモニカで車を走らせてたときに、出したばかりだった新譜からの曲がラジオで流れてすごく嬉しかった。でも、本当にエキサイトできるのはステージに立つ時だ」
キース・リチャーズは「予想不可能」
「僕がジャズをクラブで演るのが好きなのは、その興奮をダイレクトに感じられるからだ。自分が求めてるのはこれなんだって思える。ミックはソングライティングとかにより重点を置いてるかもしれないけど、他のメンバーは僕と同じじゃないかな。キースは絶対に何よりもライブが好きだと思う」。そう言ってチャーリーは笑う。「そう考えると、リハーサルなんて無意味なのかもね。もちろんしっかりやるんだけどさ、これまでもそうだったようにね」
常にルーズな部分が用意されているために、ストーンズの公演は毎回何かが少し違うという印象を受ける。
「それはキースによるところが大きいね。キースのプレイはジャズをすごくルーズにしたような感じなんだ。予想不可能だけど、息を合わせることができれば特別なものが生まれる。それってまさにジャズだから、彼とはすごく相性が良いんだ。曲がまるで予想しない方向に向かっていくこともあるよ。ロイ・ヘインズは、頭の回転の早いバード(チャーリー・パーカーのニックネーム)とのプレイではとにかく迅速な対応が求められるって話してた。キースにもそういうところがあるんだ。スタイルこそチャーリー・パーカーとはまるで違うけど、フィーリングは同じなんだ。急に方向転換したりするんだけど、彼の考えを読みつつ音を合わせるのはすごく楽しいよ。それがルーズであることの魅力なんだ。息を合わせることができなければ散々な結果になるっていうリスクも含めてね」
「息を合わせる」というのは、アリーナの大きなステージではより困難なのでは?
「狭い空間の方がお互いの音を聞きやすいのは確かだけど、最近はステージ用機材の技術の進歩が目覚ましいからね。昔はキースのVoxのアンプを椅子の上に置いて、僕が聞きやすいよう少し傾けた状態で固定したりしてた。実を言うと、それは今も変わってないんだけどさ。僕のハイハットのすぐ隣には、今でも彼のアンプが置いてある。女の子たちの声援が大きすぎて自分たちの音がまともに聴こえなかった頃、僕はそれをビートルズ時代って呼んでるんだけど、当時はPAも今のように立派なものじゃなかったから、僕はビートがずれてしまわないようにキースが出す音に全神経を集中させてた。実のところ、ミックのヴォーカルはほとんど聞こえてなかった。最近の機材はものすごく進んでて、逆に音が大きすぎるんだ。僕らみたいなバンドが小さなクラブで演奏するときは、いつもの半分程度の機材しか使わないんだけど、それでも適切とは到底言えないくらい大きな音が出る。そのギャップには、これまでもずっと苦労させられてきた。スタジアムとクラブの両方で同じようにやるのって、ものすごく難しいんだ」
ストーンズの仲間たちとの絆
キース・リチャーズは筆者に対し、彼がミック・ジャガーと今も一緒に演奏していること、そしてストーンズが何度も新たに生まれ変わって来られたことは、ひとえにチャーリーがいるからだと複数回にわたって語っている。ジャガーもまた、チャーリー抜きでバンドを続けていくことは考えられないと語っている。ローリング・ストーンズはブライアン・ジョーンズの他界、ミック・テイラーとベーシストのビル・ワイマンの脱退を乗り越えて活動を続けてきた。それが容易でなかったことは想像に難くないが、そんな彼らでさえ、チャーリーのいないローリング・ストーンズは想像できないという。チャーリーもまた、彼らに対して同じ思いを抱いている。「僕がロックンロールを一緒にプレイするのは彼らだけだ」
彼らの絆は、ストーンズのライブにもはっきりと現れている。共にステージ上を歩く彼らの姿からは、バンドの歴史とミュージシャンシップ、パーソナリティ、痛み、喪失感、喜び、勇敢さ、変化、そして何よりも重要な、粗野な男たちの友情が浮かび上がる。
pic.twitter.com/K6OKExXBED — The Rolling Stones (@RollingStones) August 27, 2021
今となっては、ブルースバンドとしてのルーツや悪名高さ、そして反骨精神という典型的なイメージと共に、バンドとしての歴史の長さはローリング・ストーンズのアイデンティティの一部となっている。それには代償が伴ったことはいうまでもなく、バンド内の人間関係がもはや修復不可能なところにまで来ていることを窺わせたのは1度や2度ではない。それでも彼らは、他の人間との間では生まれ得ないケミストリーと、個人の才能や名声とは関係なく生まれてくる神秘的な何かの存在を自覚している。
それでも、ミックとキース、そしてチャーリーの3人のオリジナルメンバーの誰一人として、神格化されたバンドとその魅力がこれほど長く続いている理由について、自らの考えを積極的に語ろうとはしない。しかし、オーディエンスを目の前にしている時は特にそうだが、全員が集うとその理由をはっきりと理解できることを彼らは知っている。
「僕らはものすごく恵まれてると思うよ」。チャーリーはそう話す。「オーディエンスはきっと、ミック、キース、ブライアン、そしてビルっていう男たちのコンビネーションに魅力を感じるんだと思う。彼らが一緒にステージに立つところを見たくて、ショーに足を運ぶんだ。最初は100人だったのが200人になり、やがて把握できないくらいの数になった。ミック・ジャガーやキース・リチャーズの一挙一動に、彼らは魅了されるんだ。理由はよくわからないけどね。キースの才能はよく知ってるし、ジェームス・ブラウンとマイケル・ジャクソン亡き今、ミックは世界最高のフロントマンだと思ってる。ステージ上の彼を見れば一目瞭然さ。そういう存在であり続けるために、彼はものすごく努力しているんだ。衰えをまるで感じさせないし、常に理想的な状態を維持してる。僕のソロ公演に集まるのは200人くらいだろうけど、ローリング・ストーンズがリハーサルをしてるっていう噂が流れると、それとは比べものにならないくらいの数の人がスタジオの外に集まってくる。本当に不思議だよ」
【関連記事】追悼チャーリー・ワッツ 誰が何をしようと動じない妥協なき音楽人生
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