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「障害」をめぐる考え方、多数派が少数派の文化や特性を尊重する大切さ

Rolling Stone Japan / 2021年8月27日 11時30分

Source of photo:Pixabay

音楽学校教師で産業カウンセラーの手島将彦が、世界の音楽業界を中心にメンタルヘルスや世の中への捉え方を一考する連載「世界の方が狂っている 〜アーティストを通して考える社会とメンタルヘルス〜」。第41回は、東京2020パラリンピックを契機に「障害」をめぐる考え方について産業カウンセラーの視点から伝える。

東京2020パラリンピックが開催されています。「障害」をめぐる考え方について以前この連載の第10回「LD(学習障害)とは? 『障害の個人モデル』から『障害の社会モデル』への転換へ」でも少し取り上げましたが、この機会にもう少し考えておきたいと思います。

関連記事:SIRUPと手島将彦が語る、当事者ではないからこそ知っておくべきメンタルヘルス

障害に対する考え方には「医学モデル」「社会モデル」そして「文化モデル」があります。まず「医学モデル」ですが、これは「個人モデル」とも言われ、障害を個人の心身機能の障害によるものだと捉えます。一方で「社会モデル」は、障害をもたらしているのは、ある人が持つ心身の病気や怪我のせいというよりは、それを考慮することなく構成されている社会のせいである、と考えるモデルです。例えば、車椅子を使用している人が、エレベーターがない、通路や入り口の幅が狭い、などによってお店に入れないとしたら、その環境こそが障害を生んでいる、つまり、障害は社会の側にある、と言えるわけです。



もう少し詳しく見てみましょう。障害に関して「インペアメント」と「ディスアビリティ」という言葉があります。1980年に世界保健機構(WHO)で試案として作成された『国際障害分類』では、「インペアメント」は、心理的、生理的、解剖的構造あるいは機能の欠損または異常であり、「ディスアビリティ」はインペアメントによってもたらされた、人間として正常と考えられる活動を遂行する能力の制限あるいは欠如である、とされ、それらによって「ハンディキャップ」が生じると定義しました。

ところが、これに障害者団体が異を唱えました。能力の制限や欠如であるディスアビリティは、インペアメントという個人の持っている特性・特徴からもたらされた能力の障害ではなく、社会的な障壁によってもたらされるという「社会モデル」を主張したのです。本人が障害の克服の責任や負担を全て負わねばならないと考えるのではなく、社会がその問題を解決するために責任と不安を負うべきである、ディズアビリティを削減するための負担を負わない社会の方の変革こそが必要なのだ、というわけです。



1993年にイギリスで設立されたアート団体のドレイク・ミュージックは、音楽に関わる機会を生み出すためのテクノロジー開発をはじめ、障害のある人の音楽アクセスを向上するために、音楽家や文化機関に向けたトレーニングプログラムなどを実施し、多くの人々の音楽表現活動を支えてきました。代表のダレル・ビートンは次のように語っています。

「医療モデル」とは医学的な疾患に着目して障害を捉えることを指し、社会の中で困難に直面するのも、それを克服するのも個人の責任だという考え方です。その一方で「社会モデル」というものがあります。これは1970年代に英国で、障害のある当事者の社会運動から生まれ、発展してきた概念で、医療的な診断結果や症状に関わらず、その人自身が社会的困難に直面しているのであれば、それは社会の側が障害を生み出しているのであり、変わるべきは個人ではなく社会だ、という考え方です。つまり、例えば障害のある人たちが学校や職場に通うときに不自由さを感じたとしたら、それを個人の問題と捉えるのが「医療モデル」、社会の問題と捉えるのが「社会モデル」になるのです。

ー視点を変えるだけで、障害に対する見かたが大きく変わりますね。

そうです。その上で、障害の有無を問わずみんなが平等に同じ機会を享受できるようになるためには、どちらのモデルが大切だと思いますか? 答えは明白で、「社会モデル」です。もしも学校や職場に不自由を感じるのなら、そう感じさせないように学校や職場の側の環境を整える。つまり「社会モデル」を前にすると、医学的な疾患は、障害と一切関係がなくなるのです。





基本的に現在では障害に関して「社会モデル」で考えます。しかし、ここにも問題はあります。障害に関して社会に目を向けることは良いのですが、それによって個々のインペアメントを軽視してはならない、ということです。

1993年、アメリカで外科的な埋め込み式の人工内耳が開発され、メディアが好意的かつ熱狂的に取り上げたことがありました。しかしそれに対して全米ろう者協会は異議を申し立てます。人工内耳の手術を受けた子どもは、訓練によっていくらか言葉を弁別できるようになるかもしれないが、自由に音声を聞き分けられるようになるわけではなく、その一方で、ろう者社会で必要な手話や、ろう者社会での価値観の習得の妨げとなる可能性が高くなる、ひいては言語能力の成長や、精神保険にも影響を悪い影響を与えてしまう危険性が高い、というのです。

これは、どこに問題があったのでしょうか? そこには、耳が聴こえる者の側に「音が聴こえない世界は良くないことだ」という思い込みがあり、より耳が聴こえる側へ寄せよう、それが良いことだ、という発想があったのです。そうではなく、ろう者は「手話という独自の言語を持ち、ろう者固有の文化や価値観、歴史、ライフスタイルがあるマイノリティ(少数派)」なのです。それを多数派が、無意識に少数派の生まれ持った特性を否定的に、軽視していたのです。



こうした「障害」とされる事柄や人々に対して、「尊重すべきマイノリティの文化である」として捉える視点も重要です。もちろん現実的に社会の中でマイノリティにとって不具合は生じやすい面があるわけですから、それへの合理的な配慮は必要になりますので、「社会モデル」と「文化モデル」を両方意識して社会を変えていくことが大切になってくるのです。また、社会モデルに対しては他に、個々の障害者のインペアメントそのものからもたらされる「不安」や「痛み」等の主観的な経験を軽視しがちなのではないか、という批判もあります。つまり、何らかの障害が社会的な構造からもたらされるとしても、そうしたことから独立した、つらさや痛みのようなものが個々の当事者には存在し、それは軽視してはならない、ということです。これもとても重要なことだと思います。

人が生きづらさを感じるとき、それは基本的に社会の側に何らかの問題があります。その問題の解消を考えるときに、多数派が少数派の文化や特性をちゃんと尊重しているか、そして当事者の「痛み」についても意識が向いているか、ということが同時に必要になるのです。これらは、障害者のみならず、全ての人が「より良く生きる」ことにとって、とても大切なことだと思います。

参照:
英国ドレイク・ミュージックインタビュー「音楽とテクノロジーの力を使って、社会的バリアを取り外していく」BRITISH COUNCIL
『障害学の主張』石川准・倉本智明 明石書店


<書籍情報>



手島将彦
『なぜアーティストは壊れやすいのか? 音楽業界から学ぶカウンセリング入門』

発売元:SW
発売日:2019年9月20日(金)
224ページ ソフトカバー並製
本体定価:1500円(税抜)
https://www.amazon.co.jp/dp/4909877029

本田秀夫(精神科医)コメント
個性的であることが評価される一方で、産業として成立することも求められるアーティストたち。すぐれた作品を出す一方で、私生活ではさまざまな苦悩を経験する人も多い。この本は、個性を生かしながら生活上の問題の解決をはかるためのカウンセリングについて書かれている。アーティスト/音楽学校教師/産業カウンセラーの顔をもつ手島将彦氏による、説得力のある論考である。

手島将彦
ミュージシャンとしてデビュー後、音楽系専門学校で新人開発を担当。2000年代には年間100本以上のライブを観て、自らマンスリー・ライヴ・イベントを主催し、数々のアーティストを育成・輩出する。また、2016年には『なぜアーティストは生きづらいのか~個性的すぎる才能の活かし方』(リットーミュージック)を精神科医の本田秀夫氏と共著で出版。Amazonの音楽一般分野で1位を獲得するなど、大きな反響を得る。保育士資格保持者であり、産業カウンセラーでもある。

Official HP:https://teshimamasahiko.com/

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