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チャーチズが語る未来志向のアルバム、「恐怖」を巡る物語、フェミニズムの精神

Rolling Stone Japan / 2021年9月10日 17時30分

チャーチズ(Photo by Sebastian Mlynarski/ Kevin J Thomson)

深夜、仕事帰りに人の気配のない東京の街なかを歩いていると愕然とすることがある。「この状況は一体全体なんなんだ?」と。以前とはまったく変わってしまった景色・ムード・生活ー悪夢にも似た、かつて存在した世界を模倣して創られたパラレル・ワールドに迷い込んでしまったような、絶望的な感覚に襲われる。冷や汗をかきながら、スマートフォンを開くと、家族や友人からのメッセージが届いていて、それを命綱をたぐるように必死で読むことで、なんとか心を落ち着かせることができる。駅へとたどり着き、プラットホームで電車を待ちながら、YouTubeでどこかの誰かが可愛がっているペットの動画をぼんやり観ている頃には、この奇妙な現実の様相に自分が再び順応できていることに気づく。

スコットランド・グラスゴーのバンド、チャーチズの4枚目のアルバム『Screen Violence』はパンデミックによるロックダウンの真っ只中に制作された作品だが、かれらはこの特殊な状況がアルバムに少なからず及ぼしている影響については認めつつも、それがこの作品のメインテーマではないと断言する。「スクリーンの暴力」という示唆的なタイトルを冠した、この作品で描かれるのは、有形無形の様々な「暴力」に晒され、怯え続けながらも、どうにかして希望を掴もうと力強く立ち上がる、サヴァイヴァーとしての女性のリアルなヴォイスであり、本稿の冒頭に筆者がつらつらと書き殴ったような強迫神経症的な実存の「恐怖」を巡る物語だ。

1983年に発表されたデヴィッド・クローネンバーグのホラー映画『ヴィデオドローム』から着想を得て創られたという本作のムードやサウンドは、チャーチズのこれまでのどの作品よりもポップでありながら、限りなくダークだ。しかしながら、かれらが言うように、この作品の「暗さ」は、パンデミックという事象そのものによって生まれたものなのではなく、我々が今までどう扱っていいのかわからずに見て見ぬ振りをしていた「恐怖」に依拠するもので、コロナ・ウィルスはその輪郭をそっと撫で明らかにしただけにすぎない。

この奇妙な現実がいつしか「普通」になっていくのと同じように、私たちは「恐怖」や「暴力」にいつの間にか慣れてしまう。しかし、それは確かにそこにあるし、これまでも存在し続けてきた。『Screen Violence』は、パンデミック下の我々のリアリティと強く共鳴しながら、目を背けたくなるような真実に光を当てるのだ。

結成から10年という記念すべき年にリリースされた、バンドの転換点ともいえるこの作品について、様々な角度からメンバーのローレン・メイベリーとマーティン・ドハーティの二人に話を訊いた。 



「答え」ではなく「問いかけ」

ーメイベリーさん、ドハーティさん、本日はよろしくお願いします。今はロサンゼルスにいらっしゃるんですか?

マーティン・ドハーティ:そうです。あ、すみません……今、自分の家の庭にいるんですけど、犬が家から出てきちゃって……ちょっと待っててください(犬を捕まえて、家の中に連れていく)。

ローレン・メイベリー:ははは(笑)。

マーティン:すみません。準備できました。よろしくおねがいします。

ローレン:私も猫を飼ってるんですよ。会わせてあげたいんですけど、さっきから姿が見えなくて……どこかに隠れてるみたいです(笑)。

ーいやー、いい天気で気持ちよさそうですね……羨ましいです。

マーティン:めちゃくちゃ気持ちいいですよ。自分ん家の庭でゆったりしながらインタビューを受けられるなんて最高です(笑)。

ーははは。では、早速、アルバムのお話を伺っていきたいんですが、今回のアルバムは『Screen Violence』と名付けられていて。自分はこの作品を聴いて、タイトルにある「暴力」という概念よりも、むしろそれを生み出す要因となる「恐怖」というモチーフの描かれ方が強く印象に残ったのですが、お二人はこのアルバムと「恐怖」という感情はどのようにつながっていると思いますか?

ローレン:個人的にも「恐怖」という感情は人生の大きな部分を占めています。私は根っからの心配性で、常に何かに怯えながら生きてる感じがするんですよね。他人が自分のことをどう思うのか、逆に自分が他人のことをどう感じるのかー今という時代においては、誰もが他者のことを恐れていて、人生における様々な選択に「恐怖」が影響を与えています。「恐怖」は事実に基づいていることもあれば、あるいはまったくの思い込みだったりもする……。あなたがこの作品に「恐怖」というテーマを見出してくれたことが、とても嬉しいです。その不確かな「恐怖」を浮き彫りにし、閉塞感に充ちた世界観を立ち上げることこそ、このアルバムで私達が描きたかったことなので。

マーティン:ローレンが歌詞を書き始めて、『Screen Violence』の世界観に関するアイディアやコンセプトが徐々にまとまってくると、自然と音楽的な方向性も定まっていきました。彼女が提案してくれたテーマは、僕がサウンドで現したかったことと同じだったんです。「悪夢」とか「暴力の歓び」とか。この作品の暗い部分ーつまり「恐怖」はローレンが自分自身の経験を反映させて、長い時間をかけて紡いできた物語なんです。



ーなるほど。この作品の興味深い部分って、その「恐怖」や「暴力」に対して明確な「救済」や「答え」が示されていないところにあると思うんです。例えば「Final Girl」という曲で、楽曲の語り手である女性は”So I need to get out now while most of me is still intact(だから今すぐ逃げ出さなきゃ。まだ、ほとんど無傷なうちに)”と、ひどい状況から必死で抜け出そうとしてますけど、結局のところ、彼女がどうなったのか、結末は描かれていないですよね。状況をただ描いている。そういう部分にシビアなリアリティをすごく感じるんですけど。

ローレン:あなたの言うとおりだと思います。この作品を作る上で、自分がチャーチズというバンドを通して経験してきたことを、客観的にみられるようになったことが大きく影響していて。自分にとって「バンドをやる」ということはその歓びと同じくらい「恐怖」が伴うものだったんです。自分自身の健康や身の安全がきちんと守られるのかという心配や、あるいは仕事や創作で間違った決断をするのでは無いかという恐れが常にありました。「何か大切なものを失ってしまうかも」という恐怖は常につきまとってきます。恐れずに生きることは難しいーそういうリアリティを描きたかったんです。

音楽やアートの素晴らしいところは、明確な「答え」というものが存在するのかどうかすらもわからないところです。リボンのかけられたプレゼントのような、綺麗に誂えられた「答え」を探そうとするのではなく、自分の中にある「何か」をとりあえず外に出してみて、観察してみることが大切なことで……。この作品に偉大な「啓示」のようなものを期待されても正直、困るんですよ。私だって「答え」が何なのかなんて、いまだに微塵もわかっちゃいないんですから(笑)。

マーティン:自分にとってこのアルバムは「問いかけ」にみちた作品だと思います。一つ目のトラックのタイトルを一つとっても「Asking for a Friend(友達に聞く)」ですし。この曲は”I dont want to say / That Im afraid to die(言いたくない / 「死ぬのが怖い」なんて)”という歌詞から始まります。つまり、「恐怖」という感情は、最終的に「死への怖れ」というものに集約されると思うんです。「不安」とか「痛み」とか、ありとあらゆる人間の複雑な感情は「生と死」にまつわるものです。この直接的な「恐怖」への言及から『Screen Violence』は始まって、アルバム全体を通して「恐怖」や「暴力」とは何かを最後まで問い続けるわけです。

パンデミックと「死の恐怖」

ー先程、「閉塞感に充ちた世界観を立ち上げる」というのが作品のコンセプトとしてあったというお話がありましたが、コロナ禍での経験はそのアイディアに影響を与えているんでしょうか?

ローレン:うーん、そうですね……『Screen Violence』はパンデミックそのものを描こうとした作品ではないんですけど、歌詞自体はその最中に書いているので、影響はもちろん現れてますよね。これだけネガティヴなテーマを踏み込んで書けたものも、先行きが見えない状況の中で、これまでにないくらい人の心が敏感で繊細になっているからだと思います。

最近、マーティンと私は毎週のように死の恐怖について話してるんですけど……そんなことコロナ以前はまったく話したことなかったんですよ。10年以上、一緒にバンド活動してきて、深い話も散々してるのに「死」については話したことがなかった。でも、今は普通にそういうことについて話していて……面白いっていうか、なんか不思議ですよね(笑)。

アルバム制作の最中もーあれは「Asking for a Friend」を作り終わったあとだったと思うんですけどーバンドとチームのみんなで深夜に「そうだよねー。みんな死ぬの怖いよねー」みたいな暗い会話をZoomでしてたんですよ。そしたら、みんな急にふと我に返って「あれ、これって、サポート・グループ(同じ問題を抱えた人々が悩みを共有し、解決に向けてお互いを援助するグループ活動)みたいじゃない? 私たち、大丈夫かな?」ってなって(笑)。でも「いや、そうじゃない。曲作りの一環だから大丈夫!」って、みんなその時はとりあえず流したんですけど……。


 
ーでも、創作活動にはある種のセラピー的な側面もありますし。そう的はずれな例えでもないんじゃ……。

ローレン:いや、でも、やっぱりその時、みんななんでもないふりして「流した」っていうのが結構大事なことだと私は思っていて。「流す」ことって人生において、すごく必要なことだと思うんですよ。

さっき私、猫を飼ってるって言いましたよね。時々、猫が太陽の光の中で気持ちよさそうにごろごろしてるのとかみてると「何も知らなくて、幸せそうだなぁ」って思うんですよね。彼女は「死」という概念はわかってるんです。芝刈り機がくると「うわっ、殺される!」って逃げるから(笑)。確実に「死」を恐れてはいるんだけど……彼女と「死」の関係はそれぐらいが関の山なんですよね。ある意味、シンプルで筋が通っていて、いいなぁって思う。

多分、私たちは「死」というものを本当は扱いきれないんだと思うんです。だから毎日、余計なことを考えないように、なんやかんやと忙しくして流して誤魔化してるんです、きっと。……なんかすごく暗い話になっちゃった、ごめんなさい(笑)。

ーいえいえ、作品のテーマに関わる重要なお話だったと思います。ドハーティさんは、コロナ禍がこの作品に与えた影響については、どのように考えてらっしゃいますか? 今作の制作ではメンバーのイアン・クックさんとはリモートで制作をされたそうですが。

マーティン:そうですね。影響はもちろんありました。イアンが渡航制限でロサンゼルスに来ることができなかったのは、たしかに今回のアルバムの制作プロセスに大きな影響を与えています。いかにして物理的な距離を越えて、イアンと密にコミュニケーションをとりながら一緒に作品を創り上げるかということを常に考えていました。

実際、レコーディングのプロセスも以前とは変わったと思います。今までは「このギターの音、いいじゃん! 録音しよ! よし、できたね、じゃ次!」みたいなノリで進めてたんですけど、ロックダウンで家にいることが多くなると、TVを観るか、音楽を作るかぐらいしかやることがないので。今までそんなに時間をかけていなかったことに向き合ってみるようになりました。改めて、ギターのサウンドを追求したり、エフェクターを組んでみたり、あるいはシンセサイザーやスタジオの機器の新しい使い方を研究してみたり……そうやってじっくりと音楽に取り組んでいると、ワクワクするような新しいアイディアがどんどん浮かんできたんです。

ー音楽的には充実した作業を行うことができたというわけですね。

マーティン:はい。ただ、やっぱりローレンが言うように、このアルバムはパンデミックそのものがテーマのアルバムでは無いと思うんですね。多くの芸術家たちが今、このコロナ禍でのエモーショナルな体験を反映した作品を作っていますが、それはある意味で「レンズ」のようなもので、それぞれが独自のレンズを通して、この奇妙な時代を記録しているわけです。『Screen Violence』も、そういう「レンズ」の一つだと思います。

以前、私たちは『Death Stranding』というゲームのために 曲を書き下ろしましたが、偉大なる天才・小島秀夫監督がコロナ禍以前に作り出したこの作品は、私たちが今陥っている状況を予見していました。力強く美しいタッチで描かれたこの「つながり」と「断絶」の物語は、現実世界の我々にとって、今こそリアルで切実なものになっていると思います。直接的なコミュニケーションが断たれた世界で、我々はどうやって一緒にモノを創るのか? どのようにして、また繋がり合うべきなのかーコロナ禍における様々な困難を辛抱強く乗り越えて、『Screen Violence』が完成したことは一つの事実としてあります。

「スクリーン」と実人生の関係

ー少し話は戻るんですが、『Screen Violence』というタイトルは様々な解釈ができるものですよね。「California」という曲では繰り返し”Pull me into the screen at the end(最後に辿り着くのは、スクリーンの中)”というフレーズが歌われます。「スクリーン」という概念は、この作品においてポジティヴなものなのでしょうか? それともネガティヴなものなんでしょうか?

ローレン:ワォ。あなたが言う通り『Screen Violence』というタイトルには複数の意味が込められています。一つはこのアルバムのアートワークにも使われている、デヴィッド・クローネンバーグの『ヴィデオドローム』というホラー映画からの影響を表していて。で、もう一つは、あなたが言っているような「問い」の投げかけです。「スクリーン」は、私たちにとって果たして良きものなのかどうか。これがなかったら、私達は去年一年間まるっきり友人や家族とコミュニケーションを取ることが出来なかったでしょうし、仕事だって、趣味だって楽しめなかったはず。

でも「スクリーン」越しに視る世界は、現実とは似てるようで実は全く違うものですよね。何が真実で、何が嘘なのかはもはや誰にもわからない。けれど、そこには確かに「恐怖」があって、その「怖れ」のワームホールの中に人々が吸い込まれてしまう理由もわかります。誰にとっても正しい真実なんて存在しないんですよ。みんな、自分の都合のいいように現実をキュレーションしているだけ……それって、とても恐ろしいことですよね。


Photo by Sebastian Mlynarski/ Kevin J Thomson

マーティン:「スクリーン」と人間が不可分なものになっていくと、最終的には「自己の概念とは一体何なのか?」という問いに辿り着くと思うんです。デジタル機器に100%依存し、身体というものがただの肉襦袢に過ぎなくなった時、意識は肉体を離れ、デジタルの中で生きることすら可能になるーそうなった時には「自分とはなんなのか? 他者とは誰なのか? 有機的な身体を伴わない自己とは一体なんなのか?」という問いが生まれてくるはずで。私にとって「スクリーン」というものの善悪や執着について考えることは、そういった根源的な疑問につながっていくと思うんです。

テクノロジーと人間の未来について話をするときに、よく「サイボーグが現れるのはいつか?」「AIはいつ実現するのか?」というような議題が俎上に上がりますが、よく考えてみると、僕らはもうすでにサイボーグみたいなものじゃないですか? 「スクリーン」と人間の関係は、もうすでに取り返しがつかない地点にまで辿り着いていて、さらに深く・速く一歩方向に進み続けている。もう誰にもこの進歩を止めることはできないはずです。

このアルバムを作っている間、ずっとそんなことを考えていました。そこから派生して、楽曲の上で過去と未来を融合させるにはどうしたらよいのか……古い技術と最新の技術のどちらも使って、未来志向のアルバムを創るためには何をしたらよいのかー進歩し続けるために、自分たちに何ができるのかってことを、これまで以上に考えていましたね。

個人的には「スクリーン」を自分は恐れてはいませんし、不可逆的な進歩の流れの中で、きちんとそれをコントロールできるようになりたいと思っています。いずれは、人間が音楽を創るなんて行い自体が廃れていくかもしれないですが……それが許される限り、僕は音楽を作り続けていたいなと思っています。



ーメイベリーさんは、このアルバムの制作に入る前に長いお休みを取られたそうですね。10年間という活動の中で様々な精神的な苦労があった末の「休暇」だったそうですが、この作品にはそういった一連の経験も影響しているのでしょうか?

ローレン:すごく反映されてますね。私がお休みをとったのは、別に「もうバンドなんかやりたくない!」って思ったからじゃなくて、自分の精神衛生上、どうしても休みが必要だったからなんです。音楽を創ることが、私は大好きですけど、仕事としてこれをやるのは決して万人にオススメできるものではないと思っていて……なぜなら絶え間なく、あらゆる方向から「暴力」に晒されることになるからなんですね。

みんな、割と簡単に「でも、それってネットで悪口言われるとか、そういうレベルでしょ?」みたいなことを言うんですけど、私からしてみたら「一日何百件も殺害予告とかレイプするぞって脅迫を受け続けてみてから、そういうことは言ってよね」って思う。送る方は気軽にやってるかもしれないけれど、受け取る側からするとめちゃくちゃリアルで怖いことなんですよ。普通に落ち込むし、頭がおかしくなる。

バンド活動を始めてから、お休みを取るまで、10年間一度もそういうことについてじっくり腰を据えて考えたことがなかったんです。毎日めちゃくちゃ忙しかったから。「たしかにこれはクソみたいなことだけど、ツアーがあるし、プロモーションだってあるから、とりあえず今やれることやっとかなきゃ……」って感じで。でも、いざ時間をとってじっくり考えてみると「バンドやってるっていうだけで、こういう気持ちを味わなきゃいけないのって、マジでクソだな」って改めて思ったんです。

この作品における「恐怖」っていうモチーフは、自分の体験と強くつながっていて。それをどう解きほぐして、みんなが共感できるような曲に昇華するかっていうのが、ミソだったんだと思うんですけど……さっきも言ったように明白な「答え」はないんですよ。自分が体験したことを書くしかない。これから先、また同じような「恐怖」に苛まれるかもしれないし、この時代そのものや他者と自分が今後どう向き合っていくのかはまだわからない。

だけど、一つだけ確かなことはあって。それはそういう辛い経験をしたけれど、私は「生き残った」っていう事実なんですよ。それは、私が耐え忍ぶことができたという力の現れだし、希望でもある。さっき例に出してくれましたけど、「Final Girl」っていう曲に出てくる語り手の女性は辛い状況から逃げ出そうとしてるんですね。で、最後は「とりあえず逃げ切ったっぽいぞ……」と、聴き手に解釈を委ねるようなオープン・エンディングになっている。明確な結末はないんだけど、今の時代のフェミニスト・ホラーにおいては、これが描ける限りのリアルなハッピー・エンディングだと自分では思ってるんです。

フェミニズムと楽曲に込められた「痛み」

ー話は変わるんですが、メイベリーさんのご自宅にはキャスリーン・ハンナさん(フェミニスト・パンクバンド、ビキニ・キルのリード・シンガーで活動家)の大きなポスターがありますよね?

ローレン:え、なんで知ってるの?! ちょっと待ってて今、連れてくるから(画面から猛ダッシュで消える)! 

ーあ、別に持ってこなくても大丈夫なんですけど……いなくなっちゃった(笑)。

ローレン:ほらね(額装された巨大なポスターを掲げて見せてくれている)! 彼女は今、私の家のバスルームに住んでいて、ずっと見守ってくれてるんです。よく知ってましたね、私がこのポスター持ってるって。

ーなんかストーカーみたいで、すみません(笑)。以前、ご自宅からライブ配信をされていた際に、そのポスターが写り込んでいたのを覚えていて。

ローレン:あぁ、そうだったんですね。でも、覚えていてくれて嬉しいです。



ー以前、メイベリーさんはイギリスの音楽メディア『NME』で キャスリーン・ハンナさんにインタビューもされてましたよね。あの記事はすごく勉強になりました。『Screen Violence』には、フェミニズム的なナラティヴやストーリーが描かれていますが、メイベリーさんはアーティストとしてどのようなアプローチでこの思想と向き合おうとしてらっしゃいますか? 先人たちが紡いできた歴史や物語のその先に何をどんなふうに描こうとしてらっしゃるのかを伺いたいのです。

ローレン:そうですね。キャスリーン・ハンナやアラニス・モリセット、リズ・フェア……多くの女性のミュージシャンたちが、様々なナラティヴで自分の経験を語ってきました。彼女たちが作った楽曲はヒット・ソングとして多くの人々に届きましたが、特に女性たちにとっては「特別なもの」として響いたのではないかと思います。あるインタビューでリズ・フェアは「自分にとって音楽を作ることは、歴史の1ページを書き記すようなもの」と言っていました。歴史や芸術を一冊の本に例えると、そのほとんどのページは男性によって書かれています。

これまでチャーチズの作品は、私が女性ということもあり、フェミニズム的な側面から分析されることが多々ありました。でも、創り手として私は直接的にフェミニズムについて書いていたというような実感はまるでなかったんです。このアルバムー『Screen Violence』こそが、フェミニズムについて深く掘り下げて書いた初めての作品だという実感があります。この10年間、私はずっと自分が望まない形で「女性であること」と結び付けられてきました。でも、今はそういう話になっても自分の意志で、自分自身の音楽に準えて女性性やフェミニズムについて話すことができるんです。

ただ、一つ思うのは、この作品で描かれている「脆さ」に共感してくれる人がいたら嬉しいなってことです。私はフェミニズムという思想の「クソみたいなことは無視して、やるべきことをやって、自分のやりたいことをなにがなんでもやりとげる」ーみたいなアティチュードが大好きですし、それを支持していますが、同時に「そうしたくてもできない人もいる」ということも知っているので。「それでもいいんだよ」っていうことは描きたかった。その人自身の固有の経験を、その人自身のオリジナルな声で語るということが大切なんじゃないですかね。それが新たな歴史の1ページを書くということなのかもしれません。

ー私はシスジェンダーの男性なので、メイベリーさんが経験されたことを完全に理解することはできないし、簡単にわかった気になってはならないと思うのですが、楽曲に込められた「痛み」の切実さと生々しさは聴いていて、激しく心動かされるものでした。女性のファンやリスナーの方にとってはもっと特別な、パーソナルなものとしてこのアルバムは受け止められているんじゃないでしょうか。

ローレン:この作品を聴いた女性のリスナーの反応は嬉しいものばかりですね。「曲の中に自分がいる。こんな風に自分のことを歌ってくれる曲をラジオで聴けるとは思わなかった」なんて言ってくれるんです。作家として、一番嬉しいのってやっぱり誰かの心に響くような作品が書けたときで。曲作りって、そもそもすごくパーソナルな行為なんですよ。「この想いを吐き出したい」という欲求がまず最初にある。吐き出したあとに、それを精査して、表現に変えていく。そういうプロセスを経て作られた楽曲が世の中に広まって、誰かの人生に忍び込み、聴く人にとって特別な意味を持つようになる。私のパーソナルな想いが、誰かの固有の経験やつながりを思い起こさせるわけです。それって素晴らしいことですよね。

今は違いますけど、以前はライブをするのがすごく嫌だったんです。なんか毎回、審査されているような気分になっちゃって緊張しちゃうんですよ。そうなると「今日は絶対うまくいかない」っていう想いに取り憑かれて、落ち込んじゃって。でも、今は「お客さんは私たちの音楽に特別な思い入れがあってライブにきてくれている。私はかれらの想いを投影するスクリーンとしての役割をまっとうすればいい。気負う必要はない」って思うようにしていて。私自身が素晴らしい人間だからライブにお客さんが来てくれているわけじゃなくて、私たちの曲が聴く人にとって意味のあるものだからライブに来てくれるんだって思うと……気が楽になるんです。



ー最後に次の作品についての構想も伺いたく。『Screen Violence』がこれだけヘヴィで意欲的なアルバムだったので、次にチャーチズが何に挑戦するのかは気になるところではあるんですけど。

ローレン:そうですね……(笑)。今、マーティンと顔を見合わせちゃいましたけど、実は次の作品に向けてはすでに動き始めていて。でも、まだそれについて何かを話すには早すぎるかなぁっていう感じですね。『Screen Violence』のナラティヴは継続していくんじゃないかなぁとは思ってます。今回のアルバムはストーリーテラーとしての自分たちにとっては「自由」で作っていて、とても楽しいものだったんです。現実に根ざした、エスケーピズムを追求することができたので。今、リスナーはみんな音楽に「逃避」を求めているんじゃないかと思うんですよね。ライブに思うように行けない今のような時期にファンやリスナーに「逃避」を感じてもらえるような作品世界を創り上げるためにはどうしたらいいのかーまだ『Screen Violence』の物語は終わっていないので、そのことについて今は考えていますね。次の作品のヒントは『Screen Violence』の中にあると思います。この作品に描かれている、フィクションの世界と現実の関係性をより深く探ってもらえればみえてくると思います。

マーティン:ローレンが言ってるように、まだ『Screen Violence』の物語は終わっていないので、次の作品について語れることはそんなにないんですけど。でも、この勢いに乗って、次のアルバムも作っちゃいたいなとは思ってますね。ローレンはこの作品の制作にあたって、リリシストとして、この言葉が適切かどうかわかりませんがークリエイティヴ・ディレクターとして、非常にはっきりとしたヴィジュアル・イメージを提示してくれました。「このアルバムは、こんな音になると思う」みたいな感じで……そのプロセスがすごくエキサイティングなものだったんですよね。そのイメージをみると、サウンドが浮かび上がってくるような感覚がありました。この作業を私たちは今後も続けていくつもりでいます。素晴らしいものになると思いますよ、楽しみにしていてください。

ーいつになるかはわかりませんが、日本にもまたぜひ遊びに来てくださいね。

ローレン:本当に! 海外のファンの人達は私たちのライブを観る機会がなかなかないし、こんな状況だとなおさらで。『Screen Violence』の世界をどうやったらもっと楽しんでもらえるかいろいろ考えてはいるところなので……。

マーティン:『Screen Violence』は、すごく自信のある作品だからぜひ日本のみなさんにも聴いてもらいたいし、またライブしに行きたいって思ってるよ。

ー今度は、スクリーン越しではなく直接お会いしたいですね。

ローレン:ははは(笑)。ノー・モア・スクリーンだね、本当に(笑)。



チャーチズ
『Screen Violence』
発売中
※国内盤はボーナストラック1曲収録、歌詞対訳・解説書を封入
詳細: https://www.beatink.com/products/detail.php?product_id=11870

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