「泉谷しげるデビュー50周年」本人と振り返る、ワーナーとビクター時代
Rolling Stone Japan / 2021年9月28日 6時30分
日本の音楽の礎となったアーティストに毎月1組ずつスポットを当て、本人や当時の関係者から深く掘り下げた話を引き出していく。2021年9月は70年代から80年代にかけた時代を代表するシンガー・ソングライター。俳優、画家、音楽にはとどまらない表現活動を続けるアーティスト。さらに、様々なイベントを企画して、先頭で実行する戦うプロデューサー。「泉谷しげる50周年、俺をレジェンドと呼ぶな」特集。第3週は、1978年から88年の10年間、ワーナー、ビクター時代について振り返る。
田家秀樹(以下、田家):こんばんは。FM COCOLO「J-POP LEGEND FORUM」案内人・田家秀樹です。今流れているのは泉谷しげるさん。1987年に出たシングル「野性のバラッド」。今月の前テーマはこの曲です。
関連記事:泉谷しげるデビュー50周年、エレックからフォーライフへの変遷を本人と振り返る
今月2021年9月の特集は泉谷しげる。70年代から80年代にかけてを代表するシンガーソングライター。その一方で俳優、画家。音楽にとどまらない表現活動を続けるアーティスト。さらに様々なイベントを企画して、先頭で実行する戦うプロデューサー。20215年に立ち上げた熊本の「阿蘇ロックフェスティバル」は今年で勇退を表明されております。10月23日、24日、それが今年のライブであります。デビューが1971年。今年が50周年。唯一無二の50年、どんな音楽を残してきたのか。どんな活動を経てきたのか。題して、「泉谷しげる 50周年 俺をレジェンドと呼ぶな」本人に4週間登場していただいております。こんばんは。
泉谷しげる(以下、泉谷):こんばんは!
田家:1週目、2週目を聴いたリスナーの方から、泉谷しげるさんはシンガー・ソングライターだったんですねという反応をいただきました。
泉谷:ありがとうございます。長くやっていると、みんな忘れていくんですよ(笑)。
田家:この番組はいろいろ思い起こしていこうという番組でありまして。
泉谷:だから、これは余計なお世話じゃないかと思うんだよね。みんな忘れたいんだから(笑)。
田家:いや、掘り起こさないといけないことがたくさんある! 今週はワーナー、ビクター編。78年のアルバム『80のバラッド』、『都会のランナー』。そして、88年の『吠えるバラッド』、『HOWLING LIVE』、『IZUMIYA-SELF COVERS』という、このへんのアルバムの話をお訊きしていきたいと思っております。78年から88年、10年間あるんですもんね。
泉谷:ここは二度目のインパクトで、ソロからロックバンドを結成したことの充実感。やっぱり、ソロの自由さとバンドと両方をやりたいというのは、もともとバンドをやっていたから。
田家:ね。ローリング・ストーンズに憧れた人ですからね。
泉谷:ギターができなかったから、一生懸命ソロで練習をして、いつかバンドを組みたい願いが叶ったのがこの時ですかね。
田家:先週のキーワードの1つに音楽の精度を上げるがありましたね。
泉谷:精度というのは基本的なものを体得する以上のもの。つまり、音楽の範疇にこだわらないパワーですね。音楽教育は受けていないので、音楽的精度を上げてもしょうがないなと思っているんです。ものを作る時に、例えば何かの暮らしを表現する時に、もしかしたらうどんの作り方を覚えた方がその人の苦しみ、つらさが分かるんじゃないかという考え方ですよね。
田家:それが役者にも活きていることが、今週の話になるかもしれませんね。今週は精度を上げるという象徴のような曲から始めたいと思います。1988年12月に出た『IZUMIYA-SELF COVERS』の中の「春夏秋冬」。
田家:「春夏秋冬」をお聴きいただいております。かっこいいですね。
泉谷:すごいメンバーが集ってくれて。今こうやって聴いてみると、よくこの頃、やつらと喧嘩したなと思って。やっぱり、メンバーは音楽的レベルが高い人たちだから、音楽にしようとするんですよ。私は「音楽にするな」というね。やつらは「じゃあ、何にするんだ」って、「以上なものにしろ」という言い方が常に対立してて。結局、これもよく聴いてもらうと、下山淳のギターがかっこいいんだけど、U2でもあるわけで。
田家:たしかに似てるところはある。
泉谷:「オリジナルを作れ」ということで喧嘩するわけです。この頃、資料としてディランやU2を持ってきたり。「だから、そうじゃなくて! 音楽的評価を得たいんじゃないんだ」と。だから、精度を上げるのはそういうことなんだ。つまり、影響を与える側に回れと。
田家:何々風にするんじゃないんだと。
泉谷:「何々風にするんじゃねえ、馬鹿!」ってしょっちゅう怒ってましたね。
田家:『IZUMIYA-SELF COVERS』の中心になっているのが、LOSER、ドラム・村上"ポンタ"秀一さん。ベース・吉田健さん、ギター・下山淳さん、仲井戸麗市さん。このアルバムには鮎川誠さん、山口冨士夫さん、元ティアドロップス、ダイナマイツですね、ホッピー神山さん。RCのGee2wooさん。ボ・ガンボスのKyonさん。ムーンライダーズの武川雅寛さん。プライベーツの延原達治さん。SION、金子マリさん。忌野清志郎さん。すごいメンツが集まった。
泉谷:そうですね。おそらく、ビクターが力を入れてくれたということなんでしょうけどね。
田家:そういう中で喧嘩してた(笑)。
泉谷:喧嘩してましたね。向こうは音楽をやりたいから。そこで唯一独特なものを出しているのが、仲井戸麗市だけだったんですね。彼のギターは真似できないですよ。あの人だけのものなんですね。
田家:でも、これだけのメンバーで歌っていると、歌っていて気持ちよかったんじゃないですか?
泉谷:それはそうですよ。もちろん彼らも歌が中心だと言ってくれているから、歌の精度が1番で。それだけ文句を言うと、歌もちゃんとしてないとえらいことになるから(笑)。
田家:1週目でおかけした「春夏秋冬」と『IZUMIYA-SELF COVERS』の「春夏秋冬」を比べると、泉谷さんの歌も全然違いますもんね。
泉谷:声の音域とか、随分声も出るようになったし。真面目にガチガチに歌うのではなく、いかに力を使わないか。前は怒鳴り散らしたり、わざと声を枯らしたり、「どうだ! 迫力あるぞ!」みたいなことを散々やってきたけど、太極拳的にリズムのノリに合わせて横にゆっくり揺れる。
田家:そこに至る10年というのが今日のテーマでもあるわけですが、その間に役者もあるわけで。78年10月に出た『80のバラッド』からお聴きいただきます。
翼なき野郎ども / 泉谷しげる
田家:この曲で思い出されることはどんなことですか?
泉谷:これも最初、バンド形成の1つ、加藤和彦さんプロデュースだったんだけど、歌詞をどうだこうだ言う連中ばかりで、「何を問題視して歌うんだ」と喧嘩になって。「基本的に怒りなんじゃないか」って何気なく答えたら、「怒りったって今の世の中、何もないじゃないか」と。「だから、ないことを怒って、何もないことを歌えばいいじゃん」ってことを俺が言い返して。で、この曲を編み出したというか。「翼なき野郎ども、何もない男たち」という意味だよね。その前段として、曲から作ったものだから余計みんながイライラしたんですね。フォークのように歌詞があって曲をつくっていくのが当たり前になってた。それはただのバックだろうと。あんたたちがバンドでやる意味として、なんで音が大事なのか表現しないと意味ないということが全然通じなくて。まず、みんなの中には歌詞があって、曲を作る概念があった。みんなを敵に回しましたね。
田家:先週の最後がフォーライフ・レコードの1977年のアルバム『光石の巨人』で終わっているのですが、次の年のアルバムが『80のバラッド』、「翼なき野郎ども」で、『光石の巨人』と全然違うじゃないですか。
泉谷:あれは遊びですからね。これは本当に怒りをテーマにしたものですし。80年代は清潔になっていく時代で、70年代にできたことができなくなっていく時代でもあった。それをちょっと予測してSF的に捉えて。とにかく、みんなのイラつきをちょっと煽ったところがあったんだけど、なかなかできなくて。
田家:これは原稿用紙10枚以上詞を書いたそうですね。
泉谷:何度も書いて、論文みたいに書いたりもした。
田家:俺たちには何もないみたいなことを書いて?
泉谷:そうそう。人間というのはもともと何もない。だから、どういう人間になるかだろうということを何度も書いて、最初からあったら逆に怖い(笑)。何もないことを武器にしないといけない。
田家:無へのイラつきを歌えと。
泉谷:そういうことですよね。それを自分の一生のテーマにした。
田家:ここから始まったことがたくさんある。
泉谷:おかげさまで、すごいメンバーとやる時に、対抗しているんだと思うんですね。
田家:しかもこのアルバムはワーナーの移籍第一弾で、レーベルが洋楽のアサイラム・レーベル。イーグルス、ジャクソン・ブラウン、トム・ウェイツ。先週のトルバドールのライブがあって。そういう流れも関係してそうですね?
泉谷:ちょっと関係してますね。でも、最初は全然売れなくて、すぐクビになっちゃいましたけど、後から評価されて。
田家:泉谷さんが80年代をどんなふうに迎えたのかというのも、今日のテーマでもあるわけですが、この後またお話を伺います。
旅から帰る男達 / 泉谷しげる
田家:1979年のアルバム『都会のランナー』の中の「旅から帰る男達」を聴いていただいております。エレックの時も旅の歌はありましたけど、「旅から帰る男達」はちょっと違いますね。泉谷さん自身の旅じゃない感じがします。
泉谷:もちろんそうですよ。自分の旅はただ、ツアーをやってただけですからね。あまり旅感がないんで、仕事(笑)。60年代から70年代を乗り越えた人たちって、きらめくロックシーンを経験してきているんだけど、それが通じなくなってきて。75年あたりから、みんな腐り始めているんですよ。あの盛り上がりはどこ行ったんだとか、あの熱狂はどこ行ったんだって愚痴るようになって。あるいはそこの重圧から抜け出して、旅に出る岡林信康さんがいたり。そうやって、いろいろな意味で傷ついている。だから、いい加減帰ってこいよと(笑)。
田家:80年代がどんなふうに始まったかというのは、『なんとなくクリスタル』がベストセラ―になるという、軽薄短小の時代ですからね。
泉谷:そうかもしれないですね。そういう意味ではベストセラーは難しいんだけど、傷ついた男達をどうやって表現するかをテーマに意識的にやってますんでね。
田家:アルバムが『都会のランナー』で、エレック時代は都会というより、街でしたもんね。都会になっているのがこのへんの変わり方の1つかなと思います。
泉谷:都会はあまり乾いてないというか。都市と言うと、乾いている感じがするけど。都会ってちょっと濡れますよね。
田家:『80のバラッド』と『都会のランナー』はプロデューサーが加藤和彦さんですし、ドラムが島村英二さん、ベースが吉田健さん、キーボードが中西康晴さん。
泉谷:素晴らしいメンバーですよね。
田家:この時期に日本にパンクが入ってきて、東京ロッカーズとか。まだアングラでしたけどね。
泉谷:おもしろかったですよ。でも、私に対する周りの期待は訳の分からない王道路線(笑)。
田家:訳の分からないっていうのがいいな(笑)。
泉谷:男らしく8ビートでどっしり歌うものをみんな求めるんですよね。「旅立て女房」みたいなのを絶対作るなみたいな(笑)。
田家:そういう王道路線の中でも、これは名曲の1つであります。1979年のアルバム『都会のランナー』の中の「褐色のセールスマン」。
褐色のセールスマン / 泉谷しげる
田家:1979年10月発売のアルバム『都会のランナー』から「褐色のセールスマン」。良いタイトルだなと思いました。
泉谷:これは自分が本当にオリジナルを目指しているセンスがよく出ているなと。ギターはマーク・ノップラーなんですけど、とにかく何かを引用されるとちょっとイラッとするんですよ。だから、タイトルとか歌い方とか、表現する世界はなんとかオリジナルにしようと。誰も歌わないような歌を。
田家:エレック時代は自分のことを歌っている歌が多くて、「褐色のセールスマン」はフィクションに近い描写ですもんね。
泉谷:まさに風景画に近いですけどね。所謂男達の歌をどう表現するのかが自分のテーマなので、時代を乗り越えてきた、時代を作ってきた男達よどこへゆくみたいな。これはよく聴いてもらうと、今では通用しないだろうけど、女、子どもに分かってたまるか的な。こんなこと言ったら、セクハラになるんで。イチャイチャしたような歌は1つもないんですよ。なぜかと言うと、この頃から女性に媚びつらうロックがだいぶ出てきちゃって、ちょっとアイドル化していくし。それにちょっとイライラしてね。
田家:そういう泉谷さんに注目していた人の中に、向田邦子さんがいた。役者の仕事が1978年、1979年に急激に増えてくる。78年の『ハッピーですか?』という向田ドラマ。これが最初です。79年に「その後の『仁義なき戦い』」と、何よりも『戦後最大の誘拐・吉展ちゃん事件』犯人・小原保を演じた。これは衝撃でしたね。
泉谷:あれは男の仕事、男らしい仕事。
田家:泉谷さんがいいというのは脚本を書いてるわけじゃないのに向田邦子さんが推薦したというのをどこかで見ましたよ。
泉谷:頼まれてたんでしょうね。プロデューサーに。『ミュージックフェア』に出てて、「寒い国から来た手紙」を歌っていたんだけど。
田家:フォーライフの第一弾の曲。
泉谷:それを向田さんがたまたま観ていて、「歌は覚えてないけど、横顔がいい」と訳の分からないことを。で、「お前やれ」と。そういう言い方をするんです。
田家:お前って言ったんですか?
泉谷:そうそう。ムカッとは来たんだけど、かっこいいな、この女って、男っぽいんですね。で、女らしいというか。あのたくましさに惚れたというか。
田家:その時には演技に対してはどういう意識だったんですか?
泉谷:『ハッピーですか?』とかも出たくて出たんだけど、全然演技はやる気がない。映画は好きなんだけど、演技なんかやる気ないんですよ。それは未だにそうです。やっぱり、台本を覚えていかないし、演技プランも考えてないし。自分を捨てることができるじゃない? 音楽は1人でやらなきゃいけないけど、これは楽だなって思ったな(笑)。
左から、泉谷しげる、田家秀樹
田家:でも、『吉展ちゃん事件』の時は小原保という実在の犯人がいたわけですから、どう演技するかということになる。
泉谷:監督がそこらへんがおもしろい人で。
田家:恩地日出夫さん。
泉谷:そう。演技するなって怒られるんですよ。「本読んでくるんじゃねえ!」みたいな。それは渡りに船で、「いやーそうですよねー」みたいな。だから、当時の強い映画監督には黒澤さんも含めてそうなんだけど、演技をさせたがる監督と、全くさせたがらない監督がいたんです。だから、恩地さんもそうだし、黒澤さんもどこかそうなんですよ。
田家:『吉展ちゃん事件』はなかなか再放送がなくて。
泉谷:仮名な人はたった1人しかいないんですね。あとは当時の関係者が全部実名なんですよ。だから、報道のつもりでやっているので、お蔵入りになってね。しょうがないからプロデューサーが記者会見して、新聞記者だけに見せたら、これをお蔵入りにするとは何事だってなったから日の目を見たけど。テレビ大賞になったみたいで。だけど、自分の手柄というよりはプロデューサーとか、黒澤組のスタッフとか、そこらへんの力だと思うんだよね。
田家:当時、山口百恵さんと対談したのもありましたね。
泉谷:ありましたね。篠山紀信にのせられて、『平凡パンチ』で。百恵ちゃんファンだったから、ものすごく緊張して会ったら、顔が怖かったのか、向こうに怖がられてしまって。でも、すぐに仲良くなりましたけど。
田家:じゃあよかったですね(笑)。
泉谷:ああいう時代の自分たちと全く違うフィールドのスターたちと、フォークというマイナーな世界にいたらとてもできないことが役者になるとできちゃうんだって思考が広がりましたね。
田家:で、その時代にポリドールで4枚アルバムが出ているのですが、これは客観的に当時も聴きながら、役者の方に力が入っているんだろうなと思ったりもしてました。
泉谷:いや、役者にそんなに力を入れている訳じゃないんですよ。『都会のランナー』ぐらいまで、やりきっちゃっているんですね。ポリドールあたりはほとんど新聞記事。ブルース・スプリングスティーンの「リバー」みたいなものですね。
田家:時事ネタを歌う。
泉谷:時事ネタですね。だから、おもしろくないんですよ(笑)。
田家:そういう時間を経て、88年のアルバム『吠えるバラッド』にたどり着くわけですが、ここでLOSERが登場します。アルバムの1曲目「長い友との始まりに」。
田家:この『吠えるバラッド』でバックにLOSERが登場するわけですね。
泉谷:これは周りから「いつまで役者やってるんだ」って怒られ(笑)。役者でヒット作が結構あったもので。もう1つはさっき言ったようにポリドール時代で煮詰まっているというか、独自のオリジナルが出せないでいた。『都会のランナー』で燃え尽きてるんですよね。何年かの時間が必要だったのかもしれないですね。
田家:『吠えるバラッド』が出た時だと思うんですけど、新宿の日清パワーステーションで1週間ライブをやりましたよね。あの時は帰ってきた泉谷しげるっていう感じがありましたよ。このアルバムの中でLOSERという曲があって、それがバンド名になったわけですね?
泉谷:損失者、敗北者でもいいんですけど、何かを失った人たちはもともと自分たちのテーマなので、そういうバンド名にして。またいつもの「翼なき野郎ども」の頃のテーマをもう1回。やってみるかー! って。
田家:精度がグンと上がりました。続いては1988年10月に出た『IZUMIYA-SELF COVERS』から「地下室のヒーロー」。
田家:1988年の『IZUMIYA-SELF COVERS』から「地下室のヒーロー」。これはオリジナルが1982年のシングルで、アルバムはさっき話に出たポリドール時代の『NEWS』に入ってました。ポリドール時代のアルバムは打ち込みみたいなものも結構ありましたよね。
泉谷:そうですね。あれはちょっと流行りに乗ってたかなと、バンドでやり直してるんだけど。やっぱり、テーマ的にそんなに変わっているわけじゃない。ポリドール時代は吉田健の勧めもあって、流行りにちょいちょい乗ってしまったという。
田家:吉田健さんの存在はキャリアをたどると大きいですね。
泉谷:たしかにね。ただ、やっぱり細かいところで変に凝りすぎていることを言うと、拍数が例えば2、3ではなくて、2分の1で始まったりとか、ライブができないんですよ。だから、随分とここで「音楽すんじゃねえ! 馬鹿!」って怒りましたけどね(笑)。
田家:でも、この曲のポンタさんと吉田健さんはダイナミックですもんね。
泉谷:そうですね。ベースとドラムだけであの長さ。そういう意味では良い実験材料にはしてくれたかなという。ただ、そういうアイディアはこっちも出してますけどね。やっぱり、お互いの主張をぶつけ合って、なおかつ、ねじ伏せるぐらいな覚悟ないと、あのメンバーはやっていけませんよ。
田家:そうですよね。屈指のバンドですよね。でも、役者と音楽とアートって並べると、アートと音楽はかなり近いものがあったんじゃないですか?
泉谷:役者は出来上がったものを観るのが好きで、やっている最中は本当に心そこにないですね。その方がいいんですよ。現場で演技論を戦わせてさ、俺はこうだってな言い出したら監督がやりづらいと思うんだよねー。黙ってやってればいいんじゃない? って(笑)。自分の世界じゃないんだから、音楽で爆発させるためには役者にエネルギーを使わない(笑)。
田家:その爆発の中にアートがあったわけでしょう?
泉谷:そう、それも爆発ですよね。みんなにもよく言ってたんだけど、イメージ力だと思う。つまり、自分の中の色とか景色が演奏中に出なかったら、それはただの頼まれ仕事。
田家:『狂い咲きサンダーロード』とか『爆裂都市 BURST CITY』とか、ロックと映画が一緒になった作品に美術監督として入ったりしてますよね。
泉谷:ああいう絵を作るというか。よくよく見ているとちょっとパンクが入っているんですよね。「地下室のヒーロー」もバンドでやっているから、本当はパンクでやりたかったんだけど、村上ポンタがすごい嫌がって、パンク嫌いなんだよねあいつ(笑)。
田家:もっとオーソドックスなというか(笑)。
泉谷:中和してようやくこうなったというか。ジャズの人だから、パンクはダメみたいなんで。俺は破壊的なアートとか大好きなんで、芸術っていうのはだいたい爆発ですからね。
田家:それが『IZUMIYA-SELF COVERS』の尖っているんだけど、メジャーな感じになっているのかもしれないですね。次にこの『IZUMIYA-SELF COVERS』からお聴きいただくのが「世代」という曲であります。
田家:この曲かっこいいですね。歌も大きいし。
泉谷:バラしちゃうと、〈父なき世代〉という言葉は太平洋戦争の犠牲者のことを言うんですよ。ちょっと陳腐かもしれないけど、ノンストップ、ノンカーブ世代というのは曲がることを知らない、まっすぐ突っ込んじゃったということで、ノンライブ世代は今のライブをしたがらない若いやつのことをかけているんですね。
田家:3つの世代を歌っているんだ。
泉谷:だけど、ちょっとそれをそうですよってやっちゃうと、説教臭いんで、陳腐にノンストップ、ノンカーブ世代ってやってるから、「なんだこれ」とか最初は言われたんだけど。「いやいや、このぐらい軽い方がいいんだ」と。だから、〈父なき世代〉には、シングルマザーもいて、父を失っている人が多いわけじゃない? だから、父を失った人たちの歌をどう表現するかで、一生懸命頑張ろうよと考えて作った。
田家:「家族」の中には〈古いものを怖がらない〉という歌詞があって、ニューファミリーに対して、歌った。どんな世代も子どもの前で滅びていくんだという。
泉谷:そう。全部の世代に生意気に作家精神をぶち込んでみたいな(笑)。
田家:泉谷さんは40代になるわけですね。
泉谷:老けてますよねー(笑)。
田家:この先来週は全く違う活動がまた待っていたということで、来週もよろしくお願いいたします。
泉谷:よろしくお願いいたします。
田家:FM COCOLO「J-POP LEGEND FORUM 泉谷しげる 50周年 俺をレジェンドと呼ぶな」今週はパート3、ワーナー、ビクター編でありました。今年がデビュー50周年の泉谷しげるさんをお迎えしての4週間。流れているのはこの番組の後テーマ、竹内まりやさんの「静かな伝説」です。
さっき話に出ていた『戦後最大の誘拐・吉展ちゃん事件』というドラマは79年の6月30日に放送されたんですね。なんで覚えているかと言うと、甲斐バンドの『HERO』が出た後のツアーの前半戦の最終日だったんですよ。その日はベース・長岡さんの最後の日でもあったのですが、甲斐さんがずっと「今日、泉谷が小原保をやるんだ」と何度も言っていたというのが、印象に残ってますね。たしかに衝撃的なドラマでありました。犯人役をなかなかやる人がいなくて、泉谷さんに白羽の矢が立った。向田邦子さんが泉谷さんのところに話を持っていった、推薦したというのは今回あらためて知りました。
70年代、80年代は同じ10年間でありながら全然違う変わり方をしているんですね。80年代の始めは日本がバブルになっていく軽薄短小の時代で、シリアスなことが滑稽に思われていた時代でおしゃれであればいい、軽ければいい、楽しければいいみたいな時代だった。泉谷さんはその時代に音楽から、俳優とアートという違う道に自分の可能性を見つけていって、それを見つけてくれた人がいて、花を咲かせていったわけです。音楽だけでは表現できなかったこと、泉谷さんの音楽だけでは見えなかった可能性がいろいろな形で浮き彫りになっていった時代でもありました。そういう時代を経て、また音楽に戻ってきて、LOSERという史上屈指の実力派バンドをバックにまた音楽に戻ってくるわけですね。LOSERは今聴いても、スリリングなバンドです。ストーンズが憧れだったロック少年の到達点みたいなものでしょうね。で、90年代再び路上に。それが今に繋がっております。来週は阿蘇ロックの今。そして、阿蘇ロックの未発表音源というのもお聴きいただこうと思います。
<INFORMATION>
田家秀樹
1946年、千葉県船橋市生まれ。中央大法学部政治学科卒。1969年、タウン誌のはしりとなった「新宿プレイマップ」創刊編集者を皮切りに、「セイ!ヤング」などの放送作家、若者雑誌編集長を経て音楽評論家、ノンフィクション作家、放送作家、音楽番組パーソリナリテイとして活躍中。
https://takehideki.jimdo.com
https://takehideki.exblog.jp
「J-POP LEGEND FORUM」
月 21:00-22:00
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