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ヴァクシーンズが語る衝撃のデビュー作とバンドの10年史、分断の時代に鳴らす「Love」

Rolling Stone Japan / 2021年10月5日 19時0分

ヴァクシーンズ(Photo by Frank Fieber)

ザ・ヴァクシーンズがダンサブルなシンセ・ポップに挑戦!と聞けば、眉をひそめるリスナーは少なくないかもしれない。なぜならちょうど10年前の2011年、彼らが1stアルバム『What Did You Expect from The Vaccines?』で登場したときに多くのリスナーを魅了したのは、ラモーンズや初期クラッシュ直系のパンク・ロック・サウンドだったから。青臭い疾走感と熱いシンガロング・メロディーを武器にしていたバンドが、ディスコ・ビートとシンセ・サウンドを果敢に導入と言われても、迷走か、はたまたセルアウトかという印象を抱いてしまうことには無理がないだろう。

その一方で、大ブレイクした1stアルバム以降も彼らの足取りを追ってきたファンであれば、今回の変化もすぐ受け入れられたに違いない。なぜならヴァクシーンズは作品ごとに音楽的なトライアルをみずからに課し、それらを優れた作品として結実させてきたからだ。特に人気の高い初期2作に埋もれがちだが、デイヴ・フリッドマンを迎えサイケデリアを描いた3作目『English Graffiti』(2015年)、70~80年代のパワー・ポップを意識した4作目『Combat Sports』(2018年)などの作品においても、彼らは持ち前のソングライティング・センスを活かしながら、色味は違えど鮮やかなギター・ロックをモノにしてきた。

ニューアルバム『Back In Love City』においても、ヴァクシーンズ・メロディーは少しも翳っていない。むしろ未来的なシンセサイザーとエレクトロニクスをまぶしたことで、ますます眩さを増しているように思う。加えてギター・サウンドはデビュー時のバンドを彷彿とさせるほどに溌溂としており、あらためて「ヴァクシーンズって本当にいいバンドだな」と再認識させられるアルバムに仕上がっているのだ。では、キラキラと光を放つ愛の街=Love Cityへの帰還の物語で、彼ら5人が伝えたかったことは何なのだろうか。ギタリストのフレディ・コワンに尋ねた。



―「Vaccine」(ワクチン)という単語を見ない日はこの一年ないわけで、あなたたちにとっても奇妙な気持ちで過ごされているんじゃないですか?

フレディ:あくまで自分的な解釈だけど、これまで「Vaccine」というのはあまりポジティヴなイメージの単語ではなかったと思うんだ。もちろん今だって、一定数反対派の人たちがいるのは理解しているけど、それが今こうして世界中で使われるようになって。なんというか、すごくタイムリーではあるよね。それもヴァクシーンズ(The Vaccines)のアルバムが出るタイミングっていうんだから、おもしろいよ。そのおかげで注目が集まっているのかどうかは判断できないけれど、あえていうなら、世界との繋がりが深まったような気がする。

―コロナ禍での生活はあなた自身やバンドのサウンドに影響しましたか?

フレディ:もちろん。ロンドンに住んでいる時にロックダウンがはじまったんだけど、メンバーとも1年以上顔を合わさないって状況になって。おかげでその1年という期間、まるっと『Back in Love City』に手を加えることができるようになったんだ。通常ならツアーが先に決まっていたり、時間に追われる中でなんとかリリースにこぎ着くような状況だけど、この余白ともいえる時間でレコーディングの内容について改めて振り返ってみて、『Back in Love City』をよりよい作品にできるという結論に至ったんだ。結果的に、たった12日間でレコーディングした作品のポストプロダクションに12カ月もの時間をかけることになった。ただ今回で、自分にとってはこのタイムフレームが正解のように感じたよ。本来ならアルバムの制作期間がたった2カ月で、そのあと2年間もツアーをするなんてサイクルは健全じゃない。アルバムの制作にこそじっくり時間をかけるべきなんだ。だって作品はバンドの財産だろう?

バンドの10年史を振り返る

―今年は『What Did You Expect from The Vaccines?』のリリース10周年でもあります。4月にはあのアルバムのデモ集をリリースされていましたね。バンド初期の音源や演奏を聴いてみて、どんな感想を持たれましたか?

フレディ:そうだなあ、なんだか抽象的でエモーショナルな話にはなるけど、自分の意志やアイデアが当初描いていたスケールよりも大きなものになっていく過程を、端から眺める旅客のような気分だった。そもそもぼくらが出会って、バンドができて、作品を残せたということ自体がすばらしい出来事だったというのを感じつつね。なぜならバンドの音楽というのは自分のアイデアや意志だけで、こういうものが作りたいと思っても、その通りに完成するものではないんだ。一緒に経験したものからしか生まれてこない。だからぼくらがともに通ってきた道、共有してきた時間や場所に思いを馳せたときに、いいものが出来上がったんだなという感慨に包まれたよ。そのアルバムを一緒に作った「時間」っていうのが、自分たちにとって本当に貴重なものだったんだ。

―さらに時計の針を巻き戻すと、10代の頃のあなたがロールモデルにしていたバンドは?

フレディ:メンバーそれぞれでテイストが違うんだけど、ぼく自身はブライアン・イーノやソニック・ユースをよく聴いていた。それとは別に、ありとあらゆる新しいジャンルの音楽をサイトからダウンロードしまくって貪欲に吸収しようとしていたかな。みんなコンテンポラリーなシーンは好きだったと思う。あとはサーファー・ブラッドとか、リヴァーブのかかりまくった、一時期USで流行った感じの音にハマったりもしていた。でも結局、バンドのサウンドは作ろうと思った通りにはできないし、自分の意識的な部分が音楽に反映されるのなんてほんの一部で、無意識な部分がよほど音に出てくるものだから直接的に影響しているようには感じられないかもしれない。

―『What Did You Expect〜』はたいへん高く評価された作品です。当時の音楽シーンにおいて、あのアルバムはどんな点が特別だったと思われますか?

フレディ:シンプルな伝わりやすさがあって、音自体にフォーカスしていたことだろうね。さまざまな音楽的要素が散りばめられていたから、ロカビリーだとか、パンクに馴染みがないリスナーや、音楽的知識の乏しいキッズにもアピールできた。結局いろんな要素が凝縮していたってところじゃないかな。35分って尺に単純にいい楽曲、さまざまなジャンルがつめこまれてるインパクトというか。



―あなたにとって『What Did You Expect~』と同じくらい素晴らしい1stアルバムと言えば、何が挙げられますか?

フレディ:1stアルバムがバンドのベストアルバムだというのはよく言われることだし、いい作品はたくさん思い浮かぶけど ”同じくらい” 素晴らしいって言われると挙げるのが難しいな(笑)。でもすぐに浮かぶのは、(セックス・ピストルズの)『Never Mind the Bollocks』。本当に素晴らしい、ベストと言ってもいいデビュー作だと思う。あとはストーン・ローゼスの1stかな。やっぱり1stアルバムは最もピュアな衝動や集中力で作られているから、特別なものになることが多いよね。

―ヴァクシーンズは10年間で4枚の作品を残しています。どのアルバムも、異なる挑戦をした作品だと思いますが、あなたにとって特に思い入れの深いものを一枚あげてもらうとすれば?

フレディ:自分にとっては、すべての作品に等しく思い入れがあるよ。1作目についてはさっきも語ったけど、2作目の『Come of Age』(2012年)にはまた別の産みの苦しみがあった。1作目の後に出すというプレッシャーもあって、心情的にも混沌としていて、バンド内での諍いもあった。3作目『English Graffiti』のときは、NYに住むために生活費を稼がないとっていう現実的な問題に直面していて焦りもあったから、そもそもバンドっていうものがなんたるかを忘れかけたりもして。4作目『Combat Sports』ではそのヴァクシーンズがなんたるかという部分に立ち返るように、数多く存在するバンドのなかで自分たちがやるって意味を見出そうと思っていた。それぞれの作品は、茫々たる感情の旅路の末に完成したものだったよ。

そう思うと、これまでの作品と比べると最新作の『Back in Love City』は、ずいぶんと気を楽に作ることができたんだ。制作自体も楽しめたし、たくさんの素晴らしい人に関わってもらって、愛情が注がれて完成した作品。制作には時間を要したけど、コロナ禍での空白の時間はぼくらに成長することを要求したんだと思う。もちろん成長には痛みが伴うし、簡単なことではないけれど、自分たちにとって必要なことだったとも感じているよ。

―おもしろいのは、新作も含めた5つのアルバムすべてで異なるプロデューサーと手を組んでいることです。これは、あなたたちがアルバムを制作するにあたって、毎回「こういうサウンドにしたい!」と明確なヴィジョンを持っているからなのでしょうか?

フレディ:そうだね、もちろん構想の段階ではヴィジョンがあって、この人はこういう作品を手掛けているんだから、自分たちも変われるんじゃないか、もっとよくなるんじゃないかっていうのを元に人選はしている。でもそこから作品を一緒に作っていくと、関わる人たちの間に強い絆が生まれるんだよね。ほんの短い期間ではあるけど、旅路をともにすることでファミリーみたいな感じになるんだ。その上でこう言うと、少しネガティヴに感じるかもしれないけど、ぼくらはその旅路を毎回新しいものにしたいんだ。チャレンジが好きだし、ひとつの場所にとどまらず、変わっていきたい。自分たちにフレッシュな感動をくれる道を常に進みたいという思いがあるから、別のチームで作っているように思う。

最新作『Back in Love City』のコンセプト

―新作『Back in Love City』はリスナーに驚きを与えるという意味では、デイヴ・フリッドマンと組んだ『English Graffiti』に匹敵する、いやそれ以上に挑戦的な作品だと感じました。まず、5月に出たリード・ソング「Headphone Baby」のスペーシ―なディスコ・ポップ路線には個人的にも最高に上がったんですが、あの曲へのファンからの反応には「してやったり」だったんじゃないですか?

フレディ:反応は上々だと思ってるよ。ディスコ・ポップって表現も悪くないよね。でも、ヴァクシーンズのサウンドはジャンルとして一括りにはできないと思っていて。自分としては、いまだにヴァクシーンズらしいサウンドとはなにかというのを模索中なんだ。人々のリアクションや解釈もそうだけど、自分たちですらコントロールできない面が結果として音につながっているしね。この作品を作るにあたって、はじめは様々な場所のカントリー・ミュージックをモチーフにしていたんだ。メキシコの音楽を聴き込んだり、テキサスのカウボーイだとか、そういったもっと田舎の土っぽさのあるような。でもそこから練り上げて行って、たどり着いた先がまったく別の場所だった。自分にとってレコードを作るときのベストなアプローチは、柔軟に自分を緩めること。フォーカスしながら、ルース(緩める)するんだ。凝り固まらず、いろいろな視点を取り入れられるようにね。だから、この曲がスペーシー・ディスコ・ポップだと解釈されるのも、素晴らしいことだよ。もし自分でこの曲を表現するとしたら、ディストピアン・シネマティック・ディスコ・ロックンロールかな(笑)。



―「Headphone Baby」はどんな風に出来上がった曲なんですか?

フレディ:たしか友人でもあるウィル・ブルームフィールドと作りはじめたんじゃなかったかな。これまでの作品にも参加してくれてるし、付き合いは長いけど、ぼくらはまだ1度も同じ部屋で一緒に制作をしたことはないんだよね。お互いにアイデアのサンプルを送り合って、作業が進んでいく感じ。この曲は最初はポップ・ソングだったけど、『Back in Love City』のコンテクストであるウエスタン・カウボーイ的な要素のなかでこねくり回しているうちにこういった形になったんだ。完成したサウンドを聴くと驚かれるかもしれないけど、実際にはそういった文脈があると思って聴くと、納得してもらえる部分があると思う。

―あなたたちのSpotifyのプレイリスト「HEADPHONES BABY」を、この曲や新作を読み解くサブテキストとして興味深く聴きました。幅広い年代の曲が入っていますが、どれもムードやテンションは通じているような気がします。MGMTやバグルスと並んで、CHAIの曲も入っていますね。

フレディ:このプレイリストではぼく自身が聴いて選んでないから、CHAIについては残念ながらコメントできないんだけど、ぼく個人としては、インターナショナル・ミュージックにすごく興味があるよ。最近もロンドンで日本のミュージシャンと仲良くなって、曲を作ってみたりだとかしているんだ。日本の音楽、もちろんK-POPだとか、ロンドンでもだんだん市場が大きくなっているのを肌で感じるし、それぞれの音楽の構造が明らかに異なることもすごく興味深いね。自分にとっては本当に新鮮に聴こえるから。



―プレイリストを聴いて、新作のキーワードは「ダンス」、そして「ポップ」なのかなと予想したんです。これら2つのキーワードは、実際に念頭にあったものですか?

フレディ:例えば今回の作品と、ケイシー・マスグレイヴスやダフト・パンク、ブライアン・セッツァー・オーケストラを「ポップ」や「ダンス」として一括りに並べて語っていいのかというとまた違うんだろうし、なにを「ポップ」だと定義するかによって話は変わってくるけど、「現行のポップミュージック」というのは、現状すべての音楽の中で1番おもしろいジャンルだと言ってもいいのかもしれない。たとえばモーツァルトの楽曲だって、言ってみれば驚くほどにポップなんだ。でもメロディラインは突拍子もなくブッ飛んでいて……(「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」のメロディを口ずさんで)だってこんなのバカげてるじゃないか。理解が追いつかない。それでも、ポップミュージックというは常にカルチャーの第一線で、その変化に直面してきた。その変遷を辿るだけでも面白いことだよね。そういう意味では今回の作品は、現行の「ポップ」というキーワードには当てはまると思う。

―ダンサブルでポップな音楽こそが、いまの世の中に必要だと考えますか?

フレディ:特に「今だから」必要だ、という風には思っていないよ。ダンスミュージックは本来マインドレスなもので、どちらかというと 「踊らせる」ために存在していたはず。でも我々は進化を繰り返してきた先にいる驚くほどに知的な生き物だから、遺伝子レベルで何がいいか悪いかというのをきちんを「解っている」んだと思う。Spotifyをはじめ、このストリーミングサービス全盛期において、オーディエンスは「城」みたいな存在だと思う。統計が可視化されていて、人々が本当にいい音楽を聴いているということがわかるから。音楽において忘れては行けないのはオーディエンスに対しての敬意、そしてもっとも重要なのはエンパワーメントだと思う。人々が危機に面している時に本当に必要なのは、辛い気持ちをケアして寄り添えるようなパワー。その時にただ「さあ体を動かせ! みんなハッピー!」なんていう押し付けることは、ある種、横暴でもある。だからこそ、オーディエンスをリスペクトするということが本当に必要なことなんだと思う。


Photo by Frank Fieber

―今作は「Love City」に帰還するところからはじまります。そもそも「Love City」とはどんな街なのでしょうか?

フレディ:「Love City」はあくまでメタファーなんだけど、メタファーのよさというのはその世界に入り込むことができること。だからこそ、ある種の思想を人間に伝達するために、ぼくらはストーリーを使って、人々はそれを擬似的な経験値とすることができる。「Love City」の軸となるメタファーは、人々が痛みを忘れるために、逃げ込むことができる場所。もしくは即座に「Love」にプラグインすることができて、実際に起きている悪いこととは全く無関係なところ。いわば、ドラッグみたいなものだよ。現在ドラッグやアルコールは人々の逃避のためのツールとして用いられているけど、「Love City」はそれになりかわるもの。そこではインターネットで買い物するのと同じくらい簡単に「Love」が手に入る。今日は気分が良くないな、だったら「Love」を補給しようってノリでね。

ぼくらは毎日ある種の愛を求めて、毎日4〜5種ものSNSをチェックしたり、虚構の世界の中でばかり遅れを取らないよう必死で、現実の中での「今」をちゃんと生きれていない。そんな逃避が必要なこの世の中で、濃縮された未来のドラッグのようなもの。それがぼくにとっての「Love City」。ほかの誰かにとってはまた全然違った解釈になりうるだろうけどね。

―いまの我々が暮らす多くの場所は「Loveless City」となっていると言えますか?

フレディ:その通りだよ。だって「Love」は動詞だから。「Love」はあくまで言葉であって、不変じゃないし、アクションだから。ぼくらはもともと利他的な種で、助け合い、愛し合うことを心地よく感じるはずなのに、昨今はそのカルチャーがおぼろげになり、失われつつある。だからこそ、ぼくらがいずれ「Love」を気軽に買うことができるようになったなら、買えない人には何が起こるだろうね? 自分はそれについて、この先考えてみたいと思う。愛を滅ぼすことはできない、でもカルチャーの分断が起きていて、人々の溝は深まるばかり。思慮に欠けて、人に不幸を押し付けるような人たちがいて、その一方で、そんな現状に変化を起こすべく立ち上がっているすばらしい人たちもいて……やっぱり完全に分断されているように感じるんだ。

―我々はふたたび街に愛を取り戻せると思いますか?

フレディ:それはもちろんさ! でもぼくらはまず状況を変えるために、健全な精神を取り戻さないといけないよね。なによりバランスを取ることが重要だと思う。突然お金に恵まれた人が、心を病んだりもするんだから。もちろんこの作品も、愛を取り戻すための助けになるといいと思うよ、すべてのすばらしいアート作品がそうであるようにね。そういった力のあるアートは、ぼくたちに本当は何が重要なのかということを感じさせてくれる。幼い子どものときのように、エゴにまみれていない純粋な部分に触れてきてくれるから。ロックダウン期間でなにが1番ツラかったかって、食べる、適度なエクササイズ、働く、眠る、というローテーション以外のことを許されていなかったことだよ。それだけがぼくらが生きるのに必要なことだと決めつけられていた。ぼくらが生きる活力を見出すためには、いいアルバムであれ、アートであれ、映画であれ、ダンスであれ、「それ以外のなにか」が絶対に必要なんだ。

エル・パソでのエキセントリックな日々

―今回はダニエル・レヴィンスキーをプロデューサーに迎えています。そもそも彼の音作りのどんな点に惹かれてお願いしたのですか?

フレディ:自分にとっては、まず彼がヴァクシーンズと一緒に作品作りをしたいと言ってくれたこと自体が驚きだったんだ。素晴らしい経歴の持ち主で、名だたるアーティストと手がけてきた名プロデューサーなわけだから。でも彼の性根はパンクだよ! というかヤバいやつなんだ(笑)。彼がスタジオにきた時に友人がトラックで迎えにきたんだけど、野良犬を3匹乗せて帰ってペットにしたりとか、とにかくめちゃくちゃなんだ。すごく背が高くて190cmくらいあるんだけど、カウボーイハットが不思議なほどよく似合う、とにかくイカしたやつさ。本当のはぐれ者って感じがする。

彼はいつだって圧倒的にポジティブなパワーで周りを励ましてくれるんだ。「お前のギターは世界一だよ。マジで最高! 愛してるよ!」ってメッセージを送ってくれたり、曲が完成したら「この場にこうして君たちといれることが人生の誇りだ」なんて、真顔で言ってくるんだ。そのエネルギーとか、波及的な陽気さって、クリエイティブの場におけるかけがえのない才能だと思うんだよ。彼の作る音は「パーティー」って感じがするね。彼はスウェーデン人なんだけど、スウェーデンの人たちってものすごく合理的で効率化を求めるんだ。でも彼はそういった面も持ちつつ、同時にアナーキストでもあって。思いついたらルール度外視で即行動したがったりだとかね。とにかく一緒にいて飽きないよ。


ダニエル・レヴィンスキー関連曲のプレイリスト。主な仕事にリアーナ、トーヴ・ロー、TVオン・ザ・レディオなど。

―テキサス/エル・パソでのレコーディングはいかがでしたか? コロナ禍で地域の散策などはあまりできなかったかもしれませんが、彼の地の気候や風土が与えた影響などを教えてください。

フレディ:最高だった! ぼくらはメキシコ国境にある牧場にいたんだけど、言葉通りに国境の壁がその建物の内部を隔てていて、国境警備隊が常に見回りにくるような場所だったんだよね。かつて囚人が捕らわれていた監獄みたいなところで寝泊りをしたりして。メンバーはベッドに幽霊がいたとか言って、翌朝ビビりすぎてスタジオにガウンを10枚くらい羽織って現れたしね(笑)。夜中に銃声がするのも当たり前、明け方に外が騒がしいと思ったら、敷地内にパンサーが出たなんて言われたり。幽霊、ギャング、パンサー、バイクで人生最高のスピード違反、もうなんでもアリさ。最初からコーニーな音楽を目指していたのはあるけど、自分は特に昔メキシコに住んでいたこともあって、砂漠だのガラガラヘビだの、カウボーイブーツだ、テキーラだっていう特有なエキセントリックなノリに馴染みがあって。そんなメキシコに程近いテキサスの空気感は確実にシネマティックなサウンドに影響しているよ。そこでの生活やリアルは、ぼくらにとってある意味で映画の中の世界のような、シネマティックな出来事だったから。



―また、フライアーズ(Fryars、マーク・ロンソンのコラボレーターとして知られる)が追加プロダクションに参加しています。彼は実際にどういう作業をしたんですか? 彼の手をくわえることで、作品はどのように変化したのでしょうか。

フレディ:フレッシュな視点を持ち込んでくれたね。半分ぐらいの曲は彼の手がかかっているんだけど、彼が手を加えると、色彩感が際立つというか、カラフルな世界観になるんだ。今回は、バンド自身でベストだと思っていたものを、ダニエルと一緒に作業をして更新して、フライアーズがやってきてまたそのベストを更新されて、さらにアンドリュー(※)がきて、といったことが繰り返されて、レイヤーが増えるたびにより強く、より輝かしく、よりクールにと、最高の状態が塗り替えられていくような感じだった。彼も本当に才能豊かで、またすぐにでも仕事したいよ。

※ミックスを担当したアンドリュー・マウリー。主な仕事にポスト・マローン、リゾなど。

―プロダクションの新鮮さにまず耳を奪われるものの、今作はソングライティング面での充実にも目を見張るものがあります。メロディーメイカーとしても、満足のいく作品になったんじゃないですか?

フレディ:そうだね、ソングライティングにも満足しているよ。文化的背景を感じさせながらもモダンで、アグレッシブだけど美しい。紙をどんどん折り重ねていくと、どんどん強度が増していくけどある一定の時点から折ることができなくなるっていうよね? 今回の歌詞は、限界まで紙を折る作業の積み重ねみたいに、言葉を集めては無駄を省いて、ギリギリのところまで精度を高めていった感じなんだ。ある種のカジュアルさやロックンロールであることは保ちながらね。さっきも「旅客」をいう表現をしたけど、アルバムを作るときにはベストなものが提供できるように最大の努力をする。今回の作品においても、その旅の過程は素晴らしかったよ。



―なにより素晴らしいのは、デビューから10年以上を経て、ヴァクシーンズがロックンロール・バンド特有の楽しさや躍動感を失っていないことだと思います。「Jump Off The Top」や「Peoples Republic Of Desire」はあなたたちの十八番というべきサウンドですが、こうした楽曲をバンドで鳴らす楽しさは不変なのでしょうか?

フレディ:ああ、もちろんだよ! ぼくは自分がいつだってエッジの先に立っているという意識を忘れたくないんだ。たとえば音が多少悪くなるだとか、なにか弊害があるとしても、選択肢がある中でチャレンジするってほうをいつだって取れるように。これは自分の問題点でもあるんだけど、快適すぎる場所にずっととどまるってことは自分にとってあまり心地がよくないんだ。だからこそ常に切っ先にいたい、そういった意識がサウンドの変わらぬ躍動感につながっているのかな。

真剣にやることも、ときにクレイジーにできることも、素晴らしいと思うけど、とにかく現時点での自分のベストが出せるように、ライブではすべてのエネルギーを注ぎ込むことにしている。たとえ楽屋でリラックスしていても、本番前にはここにはチルしにきたんじゃない、全力を出しに来たんだって自分を追い込んで、やるだけやったらぐっすり眠れるのさ。そもそもぼくらなんかよりも1日中働いてセッティングをしてくれているクルーやスタッフのほうがよっぽど大変だし、チケットを買ってショウを見に来てくれているお客さんのためにも常に全力で挑む。そのメンタリティが、ぼくらのサウンドを保っているんだと思うな。



ザ・ヴァクシーンズ
『Back In Love City』
発売中

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