松本隆がアイドル界・歌謡曲界に変革をもたらした70年代後半から80年代を辿る
Rolling Stone Japan / 2021年10月13日 11時50分
日本の音楽の礎となったアーティストに毎月1組ずつスポットを当て、本人や当時の関係者から深く掘り下げた話を引き出していく。2021年10月の特集は「松本隆特集 第3弾 風街とデラシネ~作詞家・松本隆の50年」。第2週は70年代後半から、80年代にかけて松本隆がアイドル、歌謡曲の音楽を変革してきた軌跡を辿る。
こんばんは。FM COCOLO「J-POP LEGEND FORUM」案内人・田家秀樹です。今流れているのははっぴいえんどの「風をあつめて」。1971年発売のアルバム『風街ろまん』の中の曲ですね。今月の前テーマはこの曲です。
関連記事:『風街とデラシネ』松本隆の作詞家50年を名曲の詞とともに振り返る
今月2021年10月の特集は、「松本隆特集 第3弾 風街とデラシネ~作詞家・松本隆の50年」。7月に松本隆特集をお送りしましたが、あの時はトリビュートアルバム『風街に連れてって!』が発売になったので、その全曲紹介をご本人をお迎えしてお送りしました。今月はこの「風街とデラシネ~作詞家・松本隆の50年」。風街というのは言うまでもなく、「風をあつめて」が入ったアルバム『風街ろまん』ですね。デラシネというのは2017年に出たクミコさんのアルバム『デラシネ』。松本さんが全曲を書き下ろしたオリジナルアルバムとしては最新のものです。デラシネというのは漂泊、漂流、根無し草、そういう意味があります。松本さんが自分の生き方を例えた言葉でもありますね。10月27日に『風街とデラシネ~作詞家・松本隆の50年』という本が出るんです。書いたのは私でありまして、本にあわせて同名のCDも出ます。そのCDを使って、松本さんの50年をあらためて辿ってみようというのが今月の趣旨であります。
先週と今週は、半ば知られざる松本隆という感じがあるのですが、70年代には埋もれた名盤というのがかなりあります。次にご紹介するアルバムもそんな1枚です。アルバム作家の真骨頂、森山良子さんのアルバム『日付のないカレンダー』から「小さな歴史」です。
1976年7月に発売になりました。森山良子さんのアルバム『日付のないカレンダー』。このアルバムのことは、8月にフィリップス・レコードの本城和治さんの特集をお送りした時に本城さんにも話を聞きましたね。ディレクターは本城和治さんなんです。森山良子さんの50年以上のキャリアの中で、たった1枚だけ全曲の詞を1人の作詞家に依頼したというのが、この『日付のないカレンダー』。松本さんが全曲の詞を書いております。プロデュースも彼ですね。森山良子さんはカレッジフォークで、松本さんははっぴいえんど、日本語のロックで同じ時代にありながら、なかなか交わることがなかった二人です。ただ、松本さんは学園祭で良子さんを聴いて感動した経験があって。同じように東京・渋谷近辺で青春を過ごしていた同世代の1人の女性の人生を振り返るようなアルバム。歌詞の中に〈路面電車〉が出ていたでしょ。これは松本さんと森山良子さんの共通項、お互いの思い出でもあるんですね。
「小さな歴史」は曲も森山良子さんです。良子さんが自分で書いた曲は本当に少ない。これも松本さんが「自分で曲も書いてみたら?」ということで、この曲が誕生しました。このアルバムのジャケットは矢吹申彦さんのイラストレーションなのですが、女性が赤ん坊を抱いているんです。ちょうど良子さんが妊娠している時のアルバムで、良子さんが抱いている赤ん坊は森山直太朗さんになるというアルバムであります。70年代の松本さんが全曲を書いたアルバムにはいろいろな実験が行われておりまして、その中にこの人もいました。
ふるさとをあげる / 岡田奈々
1975年12月に発売になりました岡田奈々さん2枚目のアルバム『憧憬(あこがれ)』より「ふるさとをあげる」。岡田奈々さんはポニーキャニオンのアイドルですね。松本隆さんは3枚のアルバムの全曲の詞を書いてます。岡田奈々さんのデビューが1975年5月。1stアルバムが出たのが1975年7月。ちょうど太田裕美さんと重なっているんですよ。太田裕美さんの方が半年早いんですけど、1975年、1976年というのは太田裕美さんと岡田奈々さん、2人のアルバムの全曲を書いているんですね。太田裕美さんはあれだけヒットして話題になりました、岡田奈々さんは残念ながらヒット曲があまり出なくて、語られることがあまりないなと。私もスタジオジブリの機関誌『熱風』で連載をしなければ、たぶんこのアルバムには出会わなかった。そんなアルバムなのですが、この頃の松本さんの実験で言うと、岡田奈々の方が色が濃いのではないでしょうか。
例えば、作家。太田裕美さんは筒美京平さんという大パートナーがいましたけど、岡田奈々さんはいろいろな作曲家を起用しています。起用したのは松本さんで、アルバム『憧憬』には6人参加しているんです。この曲は実川俊さんという、早稲田のキャンパスフォークの人だったのですが、他には瀬尾一三さんとか、佐藤健さんとか。歌謡曲系の人も何人かいるんですけど、そちらはいろいろな事情だったんでしょうね。アレンジャーで林哲司さんが起用されていたり。佐藤健さんは大橋純子さんのご主人で、後に美乃家セントラル・ステイションを組むわけで。林哲司さんはこの時、アレンジで起用されていて、後に竹内まりやさんの「September」の作曲家として世の中に大々的に出ていくわけですね。松本さんのクレジットも作詞だけじゃなくて、構成・作詞なんです。これは太田裕美さんも同じなんですよ。
これが今日、お話をしたいことでもあるんですけど、詞の世界も太田裕美さんよりもバリエーションが多い。「ふるさとをあげる」は詞をあらためてお読みいただくと分かるのですが、「木綿のハンカチーフ」のアナザーサイドに聞こえる。「木綿のハンカチーフ」は都会の絵の具に染まったあなたが歌われているんですけど、この「ふるさとをあげる」は都会から田舎に帰ってくる、その人を迎える歌なんです。都会の絵の具に染まらなかったあなたに向けた歌なんですね。つまり、両面のストーリーを書いて、片方が極端にヒットしたという、そういう曲なんだと思いましたね。
岡田奈々さんの三部作は松本隆幻の三部作として、あらためて注目されるべきなのではないかということで取り上げました。で、松本隆さんは太田裕美さんの「木綿のハンカチーフ」がヒットして、状況が変わるわけですが、その後に出たのがこれですね。
1977年10月発売。原田真二さんの「てぃーんず ぶるーす」。アルバムは1978年2月に出た『Feel Happy』ですね。岡田奈々さんのディレクターは池田雅彦さんという方なのですが、あらためて松本さんのキャリアを辿っていって、どうしてこの人に詞を書いているんだろうという場面がいくつかあって。ディレクターはどなただろうと思って、そういう方の取材もしていったんですね。岡田奈々さんのディレクター、松本さんを起用したのが池田雅彦さんだった。慶應の先輩、後輩でもあったんですけど、「瀬尾一三さんはアイドルの仕事は絶対受けない。松本くんだったらやるよ」と言って曲を書いたという話をしていましたね。
池田雅彦さんはフォーライフに引き抜かれたんですね。それで原田真二の担当になった。吉田拓郎社長から松本隆さんは「真二を売ってくれないか」ということで頼まれた。この「てぃーんず ぶるーす」はもともと原曲には原田真二さんの詞がついていたんですね。それがものすごく硬派な詞で、ポップスのシングルには向かないということで松本さんが書き直したんですね。原田さんは当時、松本さんに書き直されたということを不本意で、なかなか納得しなかったという話もありました。松本さんは当時の男性アイドル、郷ひろみさんみたいな強くて清くて正しい、僕についておいでよみたいなことではなくて。ブルーな憂いがちの美少年。泥の中を這い回っているような美少年がいたらいいなということで、この「てぃーんず ぶるーす」を書いたという話をしていました。
で、岡田奈々さんにもズックが出てくる曲があるんです。この「てぃーんず ぶるーす」にもズックが繋がっている。それが後にスニーカーになるというのが、松本隆さんの1つの通底、物語でもありますね。アルバムの『Feel Happy』はアルバムチャート1位を記録しました。
セクシャルバイオレットNo.1 / 桑名正博
1979年7月発売。桑名正博さん「セクシャルバイオレットNo.1」。カネボウ化粧品のタイアップですね。「セクシャルバイオレットNo.1」というのはメーカー、カネボウ化粧品の方からこの言葉を入れてくれという依頼だったんですね。松本さんは「こんなダサい言葉は外してほしい。こんな言葉を入れて歌詞を書けない」ということでずっと抵抗していて、CMソングだからということでいろいろ説得されたりして。最後に開き直って、じゃあもう連呼してみようということでこういう形になって、初めてのチャートナンバーワンになった。この曲の最後に〈もう迷わない〉という歌詞があるのですが、これは当時の自分の心境でもあると話をしておりました。これでやっぱり、シーンが変わりました。
80年代に入りました。1980年3月発売、竹内まりやさんのアルバム『LOVE SONGS』から「五線紙」。まりやさんがデビューするきっかけになったのが、鈴木茂さんの「8分音符の詩」を歌っていたことだったという話は先週ちょっと触れましたけども。まりやさんの代表曲「September」は作詞が松本さんで、作曲が林哲司さんですね。「September」が入ったアルバムがこの『LOVE SONGS』で、その中に「五線紙」が入っていた。松本さんはまりやさんからアルバムに詞を頼まれた時に、「8分音符の詩」を歌ってくれたことに対してのお礼の気持ちで、アンサーソングとして書いたと言っていました。「12弦ギターを抱いた大滝さんや細野さんが見え隠れしたんだろうね」とも言ってました。そして、「1人で作詞家をしているのが寂しかったんだろうね」という話もしてますね。80年代に入ってからは寂しがっている余裕もないくらいに忙しい。そのことが逆に寂しくしているという状況だったのかもしれないのですが。
松本さんの功績、80年代の歌謡曲を変えたこと。そこにはいろいろな要素がありまして、作曲家もそうですが、ミュージシャン、シンガーソングライターをいろいろな形で起用しているのが大きいですね。この話はこの後も続くのですが、今までのあらゆる作詞家との違いですね。で、70年代と80年代で松本さんのイメージがかなり変わります。80年代は女性の歌が天才的に上手い人。これは次の曲のディレクターが言われた言葉なんですが、70年代はむしろ男性のイメージが強かったということで、もう一曲70年代のアルバムをお聴きいただきます。埋もれた名盤、加山雄三さんの『加山雄三』というアルバムから、「湘南ひき潮」。
1978年6月発売。加山雄三さんのアルバム『加山雄三通り』から「湘南ひき潮」。さっきの森山良子さんの『日付のないカレンダー』が良子さんの長い長いキャリアの中で、1人の作詞家に全曲をお願いをしたたった1枚のアルバムなのですが、加山さんにとってもこの『加山雄三通り』はそういうアルバムなんですよ。インストの曲が1曲入っているのですが、それ以外の曲は全部松本さんが詞を書いている。ディレクターが東芝の新田和長さんという、後にファンハウスの社長になる方なのですが、彼はチューリップのディレクターなんです。つまり、松本さんはあんなにたくさんの人の詞を書いていながら、一緒に仕事をしたディレクターとかプロデューサーの数は多くない。少ないと言った方がいいかもしれない。それは先週ちょっとお話をした、あっち側、こっち側というのがあって。歌謡曲の世界で作詞家・松本隆をちゃんと理解してくれた人がどれだけ少なかったという表れだと思うんですね。
岡田奈々さんをやった池田雅彦さんは後に原田真二さん、水谷豊さんも手がけたりしているわけで。この新田和長さんはチューリップのディレクターで、それから加山雄三さんのディレクター、プロデューサーでもあったんですね。加山さんは最初、松本さんのことを頑強に受けつけなかった。「俺はそんな若いやつとやらねえよ」と言っていた。なぜかと言うと、弾厚作作曲、岩谷時子作詞という名曲がたくさんあって、「日本語で歌を歌ったら?」と言ったのが岩谷さんだったので、「俺は岩谷さん以外の詞は歌わない」って言っていたのを新田さんが説得して。松本さんは加山さんのお宅に何度も通って、光進丸にも乗って、話を訊いてまとめたアルバムなんですね。つまり、ノンフィクション作家がやるような取材を通して書いたのがこの『加山雄三通り』なんです。松本さんの中でも、そういう作り方をしたアルバムは異例でしょうね。その新田さんがプロデューサーだったのが、この曲なんです。1981年2月発売。寺尾聰さんで「ルビーの指環」。
1981年2月発売。寺尾聰さん「ルビーの指環」。シングルチャート10週間1位、ザ・ベストテンは12週間1位だった。寺尾聰さんはザ・サベージのベースボーカルですね。勝ち抜きエレキ合戦で優勝したバンド。テレビでザ・サベージが優勝した姿を高校生の松本さんが観ていた。ドラマー志望だった松本さんが観ていた。ザ・サベージのディレクターが8月に特集をお送りした本城和治さん。これは偶然なんですね。つまり、本城さんも、ザ・サベージを作っている時に、高校生の音楽ファンが観ていて、その人と後に自分が仕事をするとは夢にも思ってないわけで。松本さんも自分が仕事をするようになった相手が、ザ・サベージを作っていたということは考えもしなかったという、いくつもの偶然と、同じ音楽が好きだったことの必然はやっぱりありますね。松本さんの50年はそういうストーリーでもあるんだなと思ったりしながら連載を書いていて、それが単行本になりました。
この「ルビーの指環」は松本さんは30代になっているわけですけど、30代は信じるなと言っていた長髪の世代が30代になって書いた男のダンディズム。それがこの「ルビーの指環」ですね。主人公の女性もベージュのコートが似合うわけですからね。パンタロンが似合うわけじゃないんですよ。で、男性もスニーカーにジーンズじゃないという、そういう30代の男。それまでは、「男とは?」みたいなのは演歌の常套でしたからね。和服の歌が多かった。そういう男のダンディズムがポップスになった意味で歴史的な曲ですね。この曲の入ったアルバム全部が松本さんではないんですが、こういうシングルもきちんとご紹介しなければということでお送りしております。この「ルビーの指環」が10週間1位だったために煽りを受けたという曲が次です。近藤真彦さんで「ヨコハマ・チーク」。
ヨコハマ・チーク / 近藤真彦
1981年3月発売。近藤真彦さん「ヨコハマ・チーク」。このCD『風街とデラシネ~作詞家・松本隆の50年』は同じ日、10月27日に発売になる、本の中で取り上げたアルバムのアーティストを1アーティスト1曲収録しているんですね。で、マッチは「スニーカーぶる~す」にしようかどうしようか迷ったんですけど、ソニーの担当の方が「「スニーカーぶる~す」はあちこちで収録されているから、他のにしません?」って言われて、そうか、1位になれなかった曲にしようと思ってこれにしました。「ルビーの指環」があって、1位になれなかった。ジャニー喜多川さんは1975年の小坂忠さんの「しらけちまうぜ」が好きで、マッチで起用されたという青春像ですね。松本さんがよく使う言葉に「通底」がありまして。同じものが流れている。明るく清らかで逞しい精神とは違う、繊細で憂いのある青春。この「ヨコハマ・チーク」は当時代々木の歩行者天国でオールディーズでみんな踊っている気分がこの歌にも入ってますね。職業作家なんだけれども、ずっと自分のストーリー、自分の絵を書いてきている。それで、これだけの実績があるのが松本隆さんですね。でも、まだ序章と言ってもいいかもしれません。ここから本編と言っていい。そんな曲をお送りしようと思います。
1982年1月発売。「赤いスイートピー」。10月27日に発売になる2枚組のアルバム『風街とデラシネ~作詞家・松本隆の50年』。これは同じ日に出る本の中で紹介しているアルバムを中心にした曲を選んでいるのですが、1アーティスト1曲という縛りがありまして、松田聖子さんは色々考えたのですが、やっぱりこれかなと思いました。作曲がユーミン・呉田軽穂だったということもあるし、松本さんがその後、松田聖子さんという題材、舞台、戦場で何をやろうとしたのかということのいろいろな意味がこの曲に込められている。ユーミンが入ったことで、松田聖子さんのその後も変わったと言っていいでしょうし、さっきもちょっと触れましたけど、作詞家・松本隆は単に作詞家だけではなかった。プロデューサーだった。シンガーソングライターを作曲家として起用してきた。それでアイドル、歌謡曲の音楽を変えてきた、そういう革命家でもあったわけで、そんなきっかけの曲として、この曲を選びました。付き合って半年、手も握らないあなた。そして、あなたの生き方が好き。松田聖子さんは生き方を歌ったアイドルだったという話も、重要だなと思いました。
「J-POP LEGEND FORUM 松本隆特集第3弾 風街とデラシネ~作詞家・松本隆の50年 パート2」。史上最強の作詞家の50年を辿っています。10月27日に私の本『風街とデラシネ~作詞家・松本隆の50年』角川から出るのですが、その本と連動した同名のCD、33曲入り。ソニーから出るCDの全曲をお聴きいただいています。流れているのはこの番組の後テーマ、竹内まりやさんの「静かな伝説」です。
70年代後半から、80年代に入りました。「作詞家・松本隆という名前をどこで意識しましたか?」、「どこで松本隆さんという名前を心に留めるようになりましたか?」。この質問で1番多いのが、この時期でしょうね。「ルビーの指環」か、その後の聖子さん。でもやっぱり、聖子さんかな。『風街とデラシネ』の本、スタジオジブリの機関誌『熱風』で2年ちょっと連載したのですが、聖子さんの全アルバムについて、5章に渡って語っております。おもしろかったですねー。松本さんは「ちょっと先に石を投げる」という言葉をよく使っていたんですね。等身大の松田聖子のちょっと先に石を投げる。ちょっと先だと、彼女も少し背伸びをしながら詞を解釈したり、大人っぽく歌ったりするようになって。それが結果的に彼女が歌い手としても、人間的にも成長することになった。松本さんと聖子さんの関係は日本の音楽史上、他にないなということで長々と書いております。史上最強コンビの再検証の本にもなりました。1980年の12月から1981年12月まで年52週間のうち、28週間が松本さんが詞を書いた曲が1位で、聖子さんの曲はまだ4週にとどまってました。ここから松田聖子の時代が始まる。80年代は松本隆の時代でありました。
<INFORMATION>
田家秀樹
1946年、千葉県船橋市生まれ。中央大法学部政治学科卒。1969年、タウン誌のはしりとなった「新宿プレイマップ」創刊編集者を皮切りに、「セイ!ヤング」などの放送作家、若者雑誌編集長を経て音楽評論家、ノンフィクション作家、放送作家、音楽番組パーソリナリテイとして活躍中。
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