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『007/ノー・タイム・トゥ・ダイ』監督が語る、作品への情熱と制作秘話

Rolling Stone Japan / 2021年10月17日 15時30分

キャリー・ジョージ・フクナガ(ロンドン、2020年) Hollie Fernando for Rolling Stone

『007/ノー・タイム・トゥ・ダイ』の監督キャリー・フクナガという"一匹狼”が、ダニエル・クレイグによる最後のジェームズ・ボンド作品を引き受けた経緯と、その後の長く曲がりくねった道のりについてローリングストーン誌に語ってくれた。

「その画面の隅でチョロチョロ動いているのは、いったい何だ?」

ロンドンにある編集室で、キャリー・ジョージ・フクナガは長椅子にドカンと腰を下ろした。スムージーをすすりながら、サンダル履きの足を組んで神経質に揺らしている。42歳になる映画監督がチェックしているのは、『007/ノー・タイム・トゥ・ダイ』のオープニングシーンだ。25本目のジェームズ・ボンド映画で、主演のダニエル・クレイグにとって最後の007作品となる。彼がOKを出した10分間のオープニングシーンは、とても感動的なテキストから始まり、石橋の欄干を乗り越えて30m下へ飛び降りるボンドらしいスパイのアクションシーンへと展開する。

複雑なセットアップで準備に3か月かかった、とフクナガ自身が後に認めている。動きが激しく、理想の橋と息の合ったスタントチームを探すのにも苦労した(ロケ地は最終的にイタリアのマテーラに決めた)。しかしフクナガの頭を悩ませたのは、そんなことではない。あるカットアウェイのシーンで、大理石の墓碑の端を小さなハエが飛び回っていたのだ。ハエはVFXで削除されていたはずだった。しかしまだ実際に映り込んでいる。仕上げの最終期限まで1か月もない。フクナガのイライラはさらに高まる。素早く黙々と試行錯誤する。すると彼は、すぐに問題を解決できることを確信した。イライラは収まった。「今進めているのは、気になるものをヤスリで削る作業さ」と彼は語る。「とても細かい作業だが、とても重要で難しい仕事なんだ。」

幸いにもフクナガは、大きな障害の立ちはだかる絶体絶命の状況に強い性分を持つ。日本人とスウェーデン人の血を引くかつてのスノーボーダーは、米国のベイエリアで生まれ育った。彼は2年かけて中米で移民たちと列車で旅行しながらリサーチを重ね、デビュー作で後に受賞もした『闇の列車、光の旅(原題:Sin Nombre)』(2009年)を製作した。「国境を越えたスリラー」の後は、何か全く違う作品を作りたくなり、有名なゴシック作品を脚色した『ジェーン・エア(原題:Jane Eyre)』(2011年)を手がけた。その後はテレビの世界へ方向転換し、当時はまだ珍しかったアンソロジーシリーズ『True Detective/二人の刑事』の全エピソードを監督した。2人の映画スターが主役を演じたが、これもまた珍しいことだった。マシュー・マコノヒーがスキンヘッドの白人至上主義者グループとの激しい銃撃戦を繰り広げるファーストシーズンは、HBOで放映され大ブレークした。次の作品『ビースト・オブ・ノー・ネーション(原題:Beasts of No Nation)』では、アフリカの少年兵の悲惨な物語を描いた。フクナガは監督と同時に撮影も担当し、体調を崩したり死にそうな目にも遭っている。全ては、フクナガが自らに課したチャレンジだったのだ。

彼は、大ヒット作品を次のキャリアのピークにしたいと考えていた。だから、クレイグが『007 スペクター(原題:Spectre)』(2015年)を最後にボンド役を降りるとの噂を耳にしたフクナガは、007シリーズのプロデューサーを務めるバーバラ・ブロッコリに売り込みをかけた。「彼女に手紙を書いた」と彼は証言した。「シリーズの次のプランやスタッフについて聞きたかったのと、自分が監督に選ばれる可能性があるかどうかを知りたかった。ボンドについての取り留めのないアイディアを並べたが、それっきりになっていた」という。そのまま時が経ち、フクナガは別のプロジェクトに取り掛かった。途中で降りることとなったが、スティーヴン・キングの小説『IT』を原作とした作品を手がけた他に、19世紀のシリアルキラーと犯罪心理学者の対決を描いたテレビシリーズ『エイリアニスト(原題:The Alienist)』や、ジョナ・ヒルとエマ・ストーン主演のNetflix向けリミテッドシリーズ『マニアック(原題:Maniac)』で監督を務めた。


『マニアック』の製作が終わりに近づいた頃、フクナガは、クレイグが最後に1作品だけボンド役を演じる決断をし、当初監督を務める予定だったダニー・ボイルが降板したことを知る。「ニュースを目にするまで、新たなボンド作品の企画が存在したことすら知らなかった」とフクナガは言う。「どうせ僕ではなく、他の誰かと浮気するつもりなんだろうと思ったよ」と笑う。そこで彼は再び手紙を書く。そして2018年9月、彼はプロデューサーのバーバラ・ブロッコリのニューヨークにあるアパートメントで、マイケル・G・ウィルソンらも交えて新作についてのアイディアを出し合った。「彼らの方向性は既に固まっていた」とフクナガは振り返る。「しかしいくつかのキャラクターが決まっていただけで、ストーリーも敵役も白紙の状態だった。だから、”これまではこうで、今度はこういう方向性にしたいけれど、あなたはどう思う?”という感じで、まるでブレインストーミングのような話し合いになった。自分が監督になれば何ができると説明するようなレベルではなく、具体的なアイディアのブレイクダウン作業が既に始まっていた。つまり、僕が次作の監督に最も相応しいなどと説得するような段階ではなかったのさ。」

数週間後、フクナガは主役のダニエル・クレイグと直接会話を交わした。クレイグはフクナガの過去の作品についてよく知っていた(「キャリー(フクナガ)はとても個性的な映画制作者で、思い切った決断のできる人間だと思っている」とクレイグはメールでのインタビューに答えている。「ボンド作品を取り仕切るには、英断を下せる人間が必要だ」)。意気投合したフクナガとクレイグは多くのアイディアを交わし、クレイグの演じたボンド作品の良かった点や(クレイグ曰く)良くなかった点について、話し合った。その後も作品のアウトラインやストーリー要素などについて、話し合いが重ねられた。ふと気がつくとフクナガは、製作費2億5000万ドル(約280億円)の映画を監督することとなり、フィービー・ウォーラー=ブリッジら脚本家チームの一員となっていた。3か国での撮影が開始され、彼はシリーズ初の米国人監督となった。売り込みが功を奏したのだ。


ダニエル・クレイグとキャリー・フクナガ監督(Photo by Nicola Dove)

世の中には、007シリーズにまつわるデータが頭に入っていて、洒落の効いたセリフを引用したり、個人的なトップ10リストを作成するような熱狂的なボンド・ファンがいる。また、誇大妄想の敵役、「ボンドガール」、秘密兵器、世界を股にかけた活躍、ジョン・バリーによるテーマ曲、オープニング・タイトルなど、大抵は予定調和の結末に落ち着くとわかっていても、いつもの習慣で喜んでチケットを購入してボンドの新作を鑑賞する映画ファンもいる。キャリー・フクナガは、後者の映画ファンに分類されるだろう。彼が初めて見たボンド映画は『007/美しき獲物たち(原題:A View to a Kill)』だったと、彼自身は記憶している。その後、ピアース・ブロスナン時代の作品からしっかりと見始めた。中でも『ゴールデンアイ(原題:Goldeneye)』がお気に入りだったというが、同作品がビデオゲーム化されたという理由による。特に好みの作品を挙げるならば、ジョージ・レーゼンニーが唯一ボンド役を演じた『女王陛下の007(原題:On Her Majestys Secret Service)』だという。フクナガは『ノー・タイム・トゥ・ダイ』へ参加するにあたり、幾度となく見返している。


また、ダニエル・クレイグ5作品の最初を飾る『007/カジノ・ロワイヤル』も印象に残っている。フクナガは何かが変わった気がした。「ダニエル・クレイグ版は、とてもスマートに感じた」と彼は言う。「世界の動きに合わせて007シリーズも変わる必要があった。ショーン・コネリー版ボンドのやっていたことは、今では完全に犯罪だ。ダニエル(クレイグ)以前の作品にも、ジュディ・デンチ演じるMが、ボンドを”あなたは時代遅れの女性差別主義者で、まるで冷戦時代の遺物よ”などと呼ぶシーンがある。シリーズ自体のキャラクター設定と、時代に合わせた変化が必要なのさ。」

「でもダニエル版のボンドは、僕の世代に合っていると感じる」とフクナガは続ける。「ダニエル・クレイグ版が好きなのは、情緒が感じられるからだ。個人的な利害関係があり、リアルな喪失感がある。インディペンデント映画の世界から外へ出て何かがしたい、という僕の思いと、ジェームズ・ボンドというキャラクターがぴったりはまったのさ。僕がこれまでに監督した『闇の列車、光の旅』から『ビースト・オブ・ノー・ネーション』を振り返ると、孤児やアウトサイダーなど独自の波長を持ち、自力で生きている人間ばかりがテーマになっていた。僕は悟ったのさ。」

フクナガはしばらく間を置いて口を開いた。「僕は孤児ではない。僕の家族は、僕がそれを知っているということに感謝するだろうね」と笑いながら分析する。

しかしフクナガ自身にも「アウトサイダー」の一面が強く見られる。さまざまな人種の血筋を持つフクナガは、北カリフォルニアで生まれ育ち、母親の再婚に伴い少年時代の一時期をメキシコで過ごした。彼はかつてニューヨーク・タイムズ・マガジン誌のインタビュー(2018年)で、自身の生い立ちについて語っている。「どの民族に属すのか、自分でもわからない。血液型はOマイナスだから、誰にでも輸血できる。いわゆる第3文化の子どもで、特定のグループではなく世界の中の一人として生きてきた」という。フクナガは軽くうなずくと、言葉を選びながら話し出した。

「たぶん…自分の心理状態を分析してみると、僕は感受性が強い方だと思う。性格が優しいという意味ではない」と彼は言う。「さまざまな人々の違いを見分ける能力という意味だ。成長過程での経験から、どんな環境にも適応でき、必要に応じて自分を合わせられる。今の自分にどのように影響しているのか、具体的にはわからない。でも言えることは、『闇の列車、光の旅』や『ビースト・オブ・ノー・ネーション』など、これまで全く経験したことのない世界に飛び込んだ時でも、相手がどのような背景を持ったどのような人間であれ、僕にとっては常に過去の経験の再確認でしかなかった。普通なら、細部まで本物に近づけようとしてリサーチを重ねる必要があるだろう。でも人間としての経験は、普遍的なものだと思う。」

「さまざまな異なる文化や家族構成や社会階級に身を置きながら、他人に頼らず自分で切り抜けてきた人間にとって、経験は間違いなく自分の糧になる。自分自身がそうだった」とフクナガは続ける。ジェームズ・ボンドというポップカルチャーの世界に組み込まれたキャラクターの中に、アウトサイダーの側面が見える、と彼は言う。だからこそ、ジェームズ・ボンドの仕事はフクナガにとって魅力的だったのだろう。「僕は人々が求めるものを確実に提供できる。自分のいる世界はいったい何なのだろうかと思いを巡らすボンドの内面的なモノローグだ」と、007のムーディーなアートシアター版とも言える『闇の列車、光の旅』を監督したフクナガは、ジョークを飛ばす。フクナガとしては、追跡シーンやアクションシーンに加え、美しい女性たちが登場する「正統派の」ボンド映画を撮りたかった。そして、ダニエル・クレイグ史上最高のジェームズ・ボンドにしたかったのだ。彼の信条は、常に思い切りやることだった。フクナガ自身が『ノー・タイム・トゥ・ダイ』は完全に個人的な思い入れを込めた作品だと言うのも、映画を見れば100%理解できるはずだ。

「僕の作品に登場する全てのキャラクターは、僕の中では実在の人物なんだ。ボンドは僕が作り出したキャラクターではないが、最終的に彼は僕にとってリアルな存在になったと自信をもって言える」と彼は言う。ただし本当の「最後」は、期待以上のものとなっただろう。

ロンドンでの最初のインタビューが終わりに近づく頃、中国で起きている状況についても話題に上った。2020年2月中旬のことだった。数か月前に中国・武漢の街を封鎖に追い込んだミステリアスなウイルスが、他の都市や国々にも伝染していた。中国市場での興行への影響など動向を見極めているが、全ては計画通りに進んでいるという話だった。しかしフクナガはニュースで見聞きする状況の変化を、少なからず心配しているようだった。それから数週間後、電話での長時間のインタビュー中に「パンデミック」という言葉が飛び交った。フクナガは、成り行きを見守るしかない状況への懸念を深めているようだった。


それでも作品はほぼ完成していた。フクナガは、長くハードな製作作業を何とか乗り切った。撮影中に主役が負傷し、監督のフクナガが英国のタブロイド紙からの批判にさらされたこともあった。英国では2021年4月3日、米国では4月8日と公開予定日が設定され、ゴールラインが迫っていた。「終わりが見えてワクワクする」と、フクナガはジョークを飛ばした。

3度目にインタビューした2021年8月の終わりに『ノー・タイム・トゥ・ダイ』は、コロナ禍で上映が延期(しかも一度以上)された最初のメジャーな映画作品となった。「最初のPRイベントまで数週間という時期に、”本当にやるのか?”という感じだった」とフクナガは振り返る。作品の仕上げ段階にある中で、フクナガは「中断の圧力」を感じていた。「僕の初作品も(2009年の豚インフルエンザの)パンデミックと重なり、メキシコの映画館が閉館していた。だから僕にとって今回は、デジャヴ的な体験だ。どんなプロジェクトでも、次につながる。だから、もしも自分の作品が日の目を見ず、それでも仕事を続けなければならないとしたら、どうだろうか。」

米国へ帰国したフクナガは、ニューヨーク州北部で数週間のオフを過ごした。ロンドンでの最初のインタビューで彼は、スタンリー・キューブリックが実現できなかったナポレオン映画を完成させるという夢のプロジェクトについて語っていた。同作品はテレビのリミテッドシリーズとして放送される予定だったが、延期されている。彼はまた、ある映画の再編集に携わった(ハリウッド・リポーター誌によると、作品はマーク・ウォルバーグ主演の『ジョー・ベル(原題:Joe Bell)』だという)。さらに、第一次世界大戦中の兵士を描いたテレビシリーズの脚本の書き直しも始めたという。根を詰める作業に疲れたフクナガは2020年夏、ギリシャでペリエ向けのCM撮影の仕事を引き受けた。撮影中にフクナガは、トム・ハンクスとスティーヴン・スピルバーグがプロデューサーを務める第二次世界大戦をテーマにしたアンソロジーシリーズ『Masters of the Air(原題)』の依頼を受けた。同シリーズは、「ブラディ・ハンドレッドス」の異名をとる米軍の爆撃部隊を扱った『バンド・オブ・ブラザース(原題:Band of Brothers)』の続編的な作品だ。「電話を受けた時に僕は撮影でミロス島にいて、翌年の仕事をどうしようかと考えているところだった。ボンド映画もいつ公開されるか未定だったので、”とにかくやってみよう”という感じで仕事を受けた。」

『ノー・タイム・トゥ・ダイ』の公開日が米国では2021年10月8日に決定し、フクナガ監督がボンドに別れを告げる時が来た。大ヒットシリーズの監督という心身ともに消耗する経験を振り返ったフクナガは、映画制作のプロセスに対する深い造詣を身につけた。「かつては正に”群盲象を評す”状態だった」と彼は言う。「以前の僕は目の前に見えるものしか理解できず、”全体はどんな感じだろうか?”と想像することしかできなかった。まだまだ未熟者だった。」

「ところが今や、4番バッターになろうとしている」と、4本の作品の上映を控えた彼は続ける。「それでも、クリーンアップを務めるのは厳しい。満足のいく方法で全てを詰めて、ストーリーを固めるのが最も難しい作業だ。ダニエルのボンドを仕上げるのは自分にとっての責務だったが、やりがいはあった。自ら望んだチャレンジだった…と思う」と彼は笑う。「でも今回やり遂げることができたので、次もまた同じようにやるだけだ。」

From Rolling Stone US.

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