ダニエル・クレイグ版ジェームズ・ボンドが歴代最高と評される理由
Rolling Stone Japan / 2021年10月17日 16時5分
最新作『007/ノー・タイム・トゥ・ダイ』で主役を務めたダニエル・クレイグが1960年代から続く「007」シリーズに新しい命を吹き込み、私たちにもっともパワフルで生き生きとしたジェームズ・ボンド像を与えてくれた経緯を考察する。
そもそも、クレイグのボンドは金髪だった。これだけでも保守的な「007」ファンを半狂乱に陥れるには十分だった。おまけに体格の良さはプロボクサー並みで、その筋肉はジムでコツコツと鍛え上げられたというよりは、数々の任務を通じてつくられたもののようだった。ハンサムだがこぎれいな美しさとは違い、バーで喧嘩騒ぎを起こしそうな独特な表情をしていた。その青い眼には、二枚目俳優的な魅力よりも表面のすぐ下にあるあらゆるものを凍らせてしまう氷点下の冷たさが宿っていた。歴代の「00(ダブルオー)エージェント」とは異なり、そのオーラは英国の名門・イートン校というよりはロンドンのイースト・エンド寄りで、自信に満ちあふれた立ち振る舞いは、彼が弾ける直前のばねのような存在であることを強調していた。こうした違いにもかかわらず、クレイグはボンド役に求められるあらゆることをこなした。銃の扱いはお手の物だし、ジャブを放つこともできた。世界を股にかけ、マティーニを飲み干し、高速でスポーツカーを運転し、島の隠れ家を爆破するときもカッコよかった。その見事なタキシード姿を前に、私たちは彼ならたった一晩で無数の女性とベッドを共にすることもできれば、素手で人を殺すこともできるに違いないと納得した。しかるべき状況とまともな悪役さえいれば、ダニエル・クレイグは完璧にジェームズ・ボンドを演じることができる——誰もがそう思った。
それにもかかわらず、クレイグ版ボンドがスクリーンに登場した瞬間——バスルームで相手が死ぬまで強打するシーンであれ、平然と相手を射殺するシーンであれ——私たちは何かが突如として変わったことに気づく。それは単なる主演交代ではない。ゲームそのものが変わったのだ。
2006年に『007/カジノ・ロワイヤル』が公開されたときのことを思い出してほしい。『カジノ・ロワイヤル』は、1960年代初頭以降、毎年あるいは数年おきに公開される「007」シリーズを心待ちにしているファンに披露された。あなたがショーン・コネリー扮する初代ボンド、あるいは颯爽たるロジャー・ムーア、またはティモシー・ダルトン〜ピアース・ブロスナン時代のボンドを見ながら成長したかどうかはさておき、英国の作家イアン・フレミングが生んだ超人的なスパイの冒険は、常に私たちのポップカルチャーの一部だった。多かれ少なかれ、私たちはこのシリーズが何をもたらしてくれるか予想できた。違いがあるとしたら、それはヘアスタイル、衣装、さらには時代ごとに変わるトレンドくらいだ(レーザービーム、ブラックスプロイテーション映画的な要素、南部気質丸出しの保安官、宇宙のセット、女優デニス・リチャーズなど)。「007」シリーズが独特の古臭さに言及し、女の尻を追いかける合間に世界を救う男(逆かもしれない)という設定がいかに時代遅れであるかを認めた際も、ファンへのめくばせは忘れなかった。ジュディ・デンチ扮するMが『007/ゴールデンアイ』(1995)のピアース・ブロスナン版ボンドを「性差別的な女性蔑視の恐竜(中略)冷戦の残骸」と評したことからもわかるように、1995年頃の時点で「世界を股にかける諜報員」というコンセプトは2世代にわたってはやくも時代遅れになっていたのだ——それ以前にこうしたコンセプトに満ちた4作品が公開されていたのだが。私たちは、「007」は単純明快で、非現実的でありながらもタイムレスなものだという事実を受け入れてきたのだ。今後も父や祖父たちが見てきたボンドと同じものを見続けるだろうと。
そこにダニエル・クレイグが現れた。クレイグ扮する無愛想で粗野なMI6エージェントは、当初は筋骨たくましいコネリー時代のボンドへの回帰かと思われた。だが、クレイグがボンドというキャラクターに与えたのは、単なるジョン・F・ケネディ時代のスパイ全盛期へのノスタルジー以上のものだった。それは、『007/ドクター・ノオ』(1962)で自分の命を狙う敵の部下を前に「スミス&ウェッソンは6発だ」とクールに言い放ってから射殺するボンド、あるいは『007/ロシアより愛をこめて』(1963)の電車内のシーンでロバート・ショウと必死に戦うボンドが生態ピラミッドの頂点捕食者となって復活し、パロディ化を回避したかのようだった。それはまさに、フレミングが原作『007/カジノ・ロワイヤル』のなかで「鈍器」と表現した、英国政府お抱えの生まれながらの殺し屋の姿だったのだ。私たちは、クレイグが21世紀初のボンド俳優ではないことを忘れがちだが——ブロスナンのボンド卒業作となった『007/ダイ・アナザー・デイ』は2002年に公開された——クレイグは瞬く間に新時代の完璧なボンドとしての評価を勝ち取った。彼はぶっきらぼうでありながらも有能で、善と悪の曖昧さを十分理解し、オーダーメイドの3ピーススーツのように道徳の両義性をまとっていた。どういうわけかクレイグのボンドは、不確かな時代を生きる危うい男であると同時に女王陛下の獰猛なホオジロザメのような存在だったのだ。
『007/カジノ・ロワイヤル』のクレイグ(左)とジェフリー・ライト(Photo by Jay Maidment)
それはまさに「007」シリーズが必要としていたオーバーホール級のリニューアルの一環だった。そこには当然ながら、古臭さという要素もあった。コネリーがうんざりしながら「いつもの古い夢」を繰り返し見ているようだと言ったように、新鮮さを保ちつつ誇大妄想者が世界を支配しようと浮かれ騒ぐ様子を観客の元に届けるには限界がある。超人的なスパイが活躍する映画というジャンルにおいて「007」シリーズの強敵となる存在が出現した点も大きい。「007」最新作がフレミング版のジェイソン・ボーン的ヒーローであると気づくのに時間はかからないだろう(米作家ロバート・ラドラムのスパイ小説を原作とする「ボーン」シリーズによって世に広まった近接型バトルやクラヴマガ風の格闘術へのフォーカスは、クレイグの「007」シリーズでより顕著になった——2008年の『007/慰めの報酬』のアパートメントのシーンを思い出してほしい。同作のアクションシーンを担当したトレーナーのマーヴィン・スチュアート・キャンベルが2007年の『ボーン・アルティメイタム』のスタントマンを務めているのも単なる偶然ではない)。その後もボンドは屋根の上や雑踏をかき分けながら敵を追いかけ、バイクから飛び降りてはヘリコプターを操縦し、凶悪な天才の要塞を粉々にした。だが、クレイグが演じるとこうしたシーンに一種の切れ味が生まれたのだ。それは切れ味であると同時に、意外にもエレガンスだった。『007/スカイフォール』(2012)で電車の車両をこじ開けて潜り込むとき、一瞬手を止めてカフスボタンを調整するなんて離れ業は、コネリーにも真似できなかっただろう。
それだけでなく、クレイグはボンドというキャラクターに傷つき打ちのめされた人間らしさのようなものを与えた。この点こそ、クレイグ版ボンドが歴代ボンドと一線を画す理由だ。私たちのジェームズ・ボンドは、長年「007」シリーズに携わってきた人々の手によって通俗心理学にもとづいてリニューアルされようとしていた。それは、シリーズを超えた一連の物語というコンセプトが事実上定着した瞬間でもあった。クレイグがボンドにもたらしたものによってすべての始まりとなったフレミングの原作に立ち返り、ひとつの作品が次の作品へとつながっていくように「007」をわずかに再構築していくのは理にかなっていたのだ。クレイグ扮する殺戮マシンには、いまだかつて存在しなかった——少なくともこのようなレベルでは——エモーショナルな側面があった。ル・シッフルのような悪役に堂々と立ち向かうボンドが階段の吹き抜けでテロリストを始末するためだけに立ち止まるだろうか? そんなことは誰でもできる。やがてソウルメイトとなるヴェスパー・リンドがバスルームで誰かを殺してパニックに陥ったとき、ボンドはそっとキスして彼女の指先の血を拭ったではないか。そこには、独特の優しさがあった。映画の終わりで、その後も彼のトラウマとなる喪失を経験したときもそうだ。クレイグのボンドは完全無欠ではない。彼は満身創痍なのだ。
『007/スカイフォール』のクレイグ(Photo by Francois Duhamel)
クレイグが演じたリアルなボンドは、『カジノ・ロワイヤル』を歴史にしがみついた味気ない作品という評価から救っただけではない。あとに続く4作品の礎を築いたのだ。脚本家たち、とりわけ「007」シリーズのベテランであるニール・パーヴィスとロバート・ウェイドは、子が親の罪を背負うという領域に足を踏み入れた。たいていの場合、ボンドは人々の想像力を掻き立てながらも本当の過去を持たない殺人者として演じられてきた。それが大きく変わったのだ。クレイグが劇中で見せるたくましい肉体にふさわしい心と魂抜きの「007」を想像するのは、いまとなっては不可能だ(劇中ではボンドの年齢に関する話題は事欠かないが、クレイグ版ボンドが共演者の女優よりも服を着ていない状態で登場する頻度がもっとも高いのも事実。あなたの性的嗜好はさておき、その理由は明白だ)。
のちに私たちは彼が孤児だったこと、未解決の問題を抱えていること、誰かを愛せること、そして過去を忘れられずにいることを知る。15年にわたってボンドを演じてきたクレイグのキャリア史上最高傑作と筆者が目す『スカイフォール』では、ボンドの生家「スカイフォール」は崩壊する。たとえ二度と帰ることができなくても、破壊することはできるのだ。
たしかに、なかには疑いから限界点へと飛躍してしまった点もいくつかある。「ボンドには兄がいます。それは誰でしょう?」というサプライズはいまだに釈然としない。だが、その後もクレイグは古臭い要素の総体に過ぎなかったボンドというキャラクターにいくらかの感情的な危うさを与えながらも、私たちに「007」シリーズならではの楽しみを届けてくれた。そして何度も何度もチャレンジに挑み続けた。クレイグのボンド卒業作となる待ちに待った『ノー・タイム・トゥ・ダイ』の種明かしをしてしまうことを心配せずに、この絶妙なバランスが最新作でも健在であると言っても差し支えないだろう。クレイグ版ボンドの終わりを見届けられるいまだから言えるが、クレイグの功績は実に偉大である。そこにいるのは女王陛下と英国、とりわけ自分好みにつくられたマティーニ、シャープな折り襟、高級腕時計をこよなく愛するフレミングのボンドなのだ。ボンドとしての最後の作品となる『ノー・タイム・トゥ・ダイ』を通じて、あなたはクレイグのボンドがフェードアウトしていくのを目の当たりにするだろう。こうしてボンドは彼のものとなった。コネリーやムーアをはじめ、「殺しのライセンス」を持つすべての歴代ボンド役に敬意を表しつつも、伝説のスパイを誰よりも見事に演じ切ったクレイグを称えたい。
From Rolling Stone US.
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