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反ワクチンに人種差別、エリック・クラプトンの思想とどう向き合うべきか?

Rolling Stone Japan / 2021年10月27日 6時45分

Illustration by Joan Wong for Rolling Stone. Images in Illustration by Michael Ochs Archives/Getty Images; Steven Puetzer/Getty Images

ロック・ギターの概念を塗り替えながら「本気で」人種差別的な暴言を吐き、ワクチンへの疑念を声高に叫ぶようになったエリック・クラプトン。彼は変わってしまったのか? それとも、昔からこうだったのか?


まさかの資金援助

キャンベル・マクローリンは自分が騙されていると思っていた。自他ともに認めるロックダウン反対派、COVID-19ワクチン懐疑派(本人の言葉を借りれば「医療選択賛成派」)である27歳のイギリス人は、公共の場で無償演奏するUKミュージシャン集団「Jam for Freedom」の創設者。ロックダウン反対を叫び、時には”毒の入ったワクチンをケツに刺せばいい”といった歌詞の曲を歌う。それゆえ、Jam for Freedomはしばしば警察といざこざを起こし、一度などは演奏中、本人が言うところの「コロナウイルス規制違反」で逮捕されたこともあるそうだ。


今年6月、ロンドンのハイドパークで行われたJam for Freedomの集会(Photo by Martin Pope/Camera Press/Redux)

この春、グループが楽器の搬入に使っていた車が、事故でほぼ使えない状態になった。そこでマクローリンは交通費、ガソリン代、法的手続きの費用を賄うためにGoFundMe(クラウドファンディングサイト)のページを立ち上げた。するとある日、驚いたことにエリック・クラプトンから1000ポンド(約15万円)が寄付されていた。

「きっと偽者だろうと思いました」とマクローリンは当時を振り返る。だが、寄付に併記されていたアカウントにメールを送ったところ、76歳のギターヒーロー本人からメールが届いた。「『やあ、エリックだ。君たちの行ないは素晴らしい』というような、称賛の言葉でした」とマクローリン。2人は後日電話で話をしたが、マクローリンも気づかないうちに、クラプトンは家族が所有していたバン、白のフォルクスワーゲン・トランスポーターをJam for Freedomに代車として提供した。さらに新車購入費用として大金を寄付し(マクローリンは金額を明かさなかった)、「どこかのタイミングでグループに参加したい」とまで言ったという。そして現在、クラプトンの支援のおかげで、Jam for Freedomは全英中で自由にメッセージを拡散している。

「ワクチン懐疑派」であることのリスク

かつてクラプトンは政治的思考を口にしたがらなかった。1968年にローリングストーン誌の取材に応じた際には、「俺は自分が思った通りのことをやっているが、それが新聞か何かに載ると、世間は俺の言う通りにやらなきゃいけないと思い込む。それは間違ってる、俺は単なるミュージシャンなんだからな。俺の音楽を理解してくれるのは最高だが、俺の頭の中まで知ろうとしなくていい」

だが、この数カ月のうちに、クラプトンはワクチン懐疑派の旗頭になった。アンソニー・ファウチ博士(米感染症対策トップ)の言葉を借りれば、こうしたコミュニティは「問題の一端です。ウイルスを誰かに感染させる媒介となってしまうわけですから」。ロックダウンをあからさまに糾弾したことはないものの、「ライブミュージックはもう戻らないかもしれない」と発言し、ロックダウン抗議運動のアンセムとなったヴァン・モリソンの楽曲3つに参加。さらに、友人のソーシャルメディア・アカウントを通じて、アストラゼネカのワクチンを2回接種した後の「悲惨な」経験についても詳しく語っている(「ワクチンは誰でも安全だ、と言うのが宣伝文句だったのに」と本人)。

感染者数と死者数が急増しているにもかかわらず、最近クラプトンは共和党の州を回る全米ツアーに乗り出した。どの会場でもほとんどワクチン接種証明は要らない。そうした中、同世代の誰よりも「セックス、ドラッグ、ロックンロール」なライフスタイルを謳歌した60年代のアイコンに、保守派の見識者は称賛の嵐を送っている。オースティンでは、ワクチン義務化に反対するテキサス州のグレッグ・アボット州知事と、楽屋で一緒にカメラの前でポーズを取った。中絶と投票権に対する強硬姿勢で悪名高き州知事と写真に写るクラプトンを見て、一部の人々は裏切られたような気持ちだった。「クラプトンの曲を全部削除した」。アボット知事のTwitterフィードにあがった、あるコメントにはこう書かれている。「ギターは上手いけどキッド・ロックのような人間、もう彼とは関わらない」


テキサス州のグレッグ・アボット州知事(写真中央)は、最近オースティンで行われたクラプトンのコンサートにも出席。彼は中絶と投票権に圧力をかけていることで有名(Photo via Gov. Greg Abbott/Twitter)

キャリアの終盤、最後の活動になるかもしれないなか、クラプトンは持論を強く主張し、自身の評判と熱心なファン層の一部を失いかねないリスクを冒している。「彼がワクチンの副反応で苦しんだのであれば、それは災難でしたね」と語るのは、70年代にクラプトンのレーベルRSOを運営していたビル・オークス氏。「ですが、大半の人々が明らかにそうではいない。ローリングストーン誌の若い読者の多くが、このような記事で初めて彼を知ることになるのは残念です。彼は偉大な人物なのに、年老いてこんな見出しで扱われるなんて」(クラプトンは代理人を通じて、本記事に対するコメントを正式に拒否した)。

今までクラプトンにさほど関心がなかった人さえも、「彼は一体何を考えているのだろう?」と首をひねっている。仲間のミュージシャンたちもどう受け止めていいかわからないようだ。クイーンのブライアン・メイは、クラプトンのようなワクチン懐疑派を「変人」と呼んだ。長年クラプトンと組んだ音楽業界のコラボレーターや友人たちは、彼の現在の信条についてローリングストーン誌にコメントすることを控えた。とある著名なミュージシャンのマネージャーが言うように、「彼にはこの問題に触れてほしくなかった」というのが本音だろう。

もうずいぶん昔から、クラプトンの功績といえば、メインストリーム・カルチャーにブルースとレゲエを持ち込んだ重要人物であることや、神がかりなギターの演奏技術が挙げられてきた(60年代中期、ロンドンの地下鉄に「クラプトンは神だ」というスプレー缶の文字が書かれたのも頷ける)。あるいは、4歳の息子の死という痛ましい悲劇と、「Tears in Heaven」での感動的なカタルシスが頭から離れない人もいるだろう。だが、現在の騒動がきっかけで、キャリア初期の人種差別的な暴言など、クラプトンの過去の行動を再検証する動きが出てきた。彼に対する賛辞や同情が、驚愕や裏切りへと変わっていったのはなぜだろう?

何が変わったのか。それとも、何も変わっていないのか?

人種差別発言、ファンたちの戸惑い

1976年の夏、デイヴ・ウェイクリングはクラプトンのことをよく分かっているつもりだった。のちにUKスカバンドのパイオニア、イングリッシュ・ビートを結成するウェイクリングはこの時まだ20歳。彼はクラプトンの大ファンで、故郷のバーミンガムからロンドンまでヒッチハイクして、ハイドパークまでクラプトン率いるブラインド・フェイスを観に行ったこともあった。

しかし1976年8月、バーミンガムのオデオン・シアターにクラプトンを観に行った時、ウェイクリングは呆気にとられてしまった。大半のロック仲間と違い、ベトナム戦争などの話題には一切触れてこなかったクラプトンだが、この日は明らかに酔っていて、移民について不平をこぼし始めた。この日のコンサートは撮影も収録もされていないが、当時の記事(とウェイクリングの記憶)によれば、クラプトンはステージ上で不道徳なレイシスト発言を始めた。本人もこの時の発言を一度も否定したことはない。彼はこの時、イギリスが移民流入の結果「10年以内に植民地化してしまう」と語った。さらに「外国人」は大英帝国を去るべきだ、というたわごとを続け、「ウォグは出ていけ……田舎者は出ていけ」と言った(ウォグとは真っ黒な顔をした人形ゴリウォーグの略で、非白人系に対する蔑称)。

「話が続くにつれ、『これはジョークなのか?』と思いました」とウェイクリングは振り返る。「やがて、冗談でないことがはっきりしてきて……観客席に一種のざわめきが起こり始めました。彼はまくしたて続け、ざわめきはどんどん大きくなりました。『彼はマジで何を言っているんだ?』……公演後にみんなでホワイエに集まると、コンサートの時と同じくらい騒然としていました。『彼は一体どうなっちまったんだ? あの野郎!』って」

クラプトンがステージ上で、イギリスの保守派イーノック・パウエル氏の支持を表明すると、ウェイクリングはさらに憤慨した。パウエル氏は毒舌で知られるファシストで、1968年に移民流入を非難した「血の川演説」をバーミンガムで行い、物議を呼んだ政治家だ。バーミンガムは白人と黒人の労働者が一緒になって工場で働いていたからこそ、近年はより融和が進んでいるようにウェイクリングは感じていた。


70年代のクラプトン(Photo by Evening Standard/Hulton Archive/Getty Images)

そのとき、(カリブ海移民のルーツを持つ)作家のキャリル・フィリップス氏も観客の中にいた。彼は当時高校生で、クラプトンの作品でも、特にレゲエとブルースの融合を敬愛していた。「私にとって、クラプトンはクロスオーバーの象徴的な存在でした。あちら側にも私と同じような人間がいるんだと。つまり、私は白人の音楽が好きな黒人の若者、彼は黒人の音楽が好きな白人なんだと思っていました」とフィリップス氏は振り返る。

だが、オデオンにいた大勢の観客と同様、フィリップス氏もクラプトンの長広舌にたじろいだ。「彼は『故郷に帰れ』というようなことを何度か言って、それから1~2曲ほど演奏しました」と彼は振り返る。「まるで酔っ払いのように、何か言いかけていたことを思い出しては、数曲後にまた話し出す始末でした。まさか彼みたいな人物が、ステージ上であんな話をするとは夢にも思いませんでした。その夜はずっと有毒な雲が立ち込めているような気分でした」。客席にいた数少ない黒人たちと同様、フィリップス氏も「周りの目が一斉に自分へ注がれたあと、みな一斉に視線を逸らす」のを感じたそうだ。

クラプトンの発言はバンドメンバーにも衝撃を与えた。「エリックの発言は寝耳に水でした」と、当時クラプトンのバンドにいたジョージ・テリーは振り返る。「彼は自分が知る限り、僕や他のメンバーに、コンサートで話す内容を口にしたことはありませんでしたから」

ロック最大の植民地主義者

それまでクラプトンとブルース、およびブラックカルチャーの関係は、おおむね好意的にとらえられていた。彼はイングランドのサリーで祖母の元にて育てられ、10代のころにギターでブルースのリックを練習し始めた。ヤードバーズ、ジョン・メイオール&ザ・ブルースブレイカーズ、クリームでの彼の演奏には、マディ・ウォーターズやジミー・リードなど、ブルースギターの巨匠たちを聴いて学んだ教えがにじみ出ていた。他の音楽仲間とは異なり、クラプトンは音楽の先人たちに当然の敬意を払っていた。クラプトンがカバーしたウォーターズ(またはボブ・マーリー)の曲は、彼自身だけでなくウォーターズの懐も満たした。

「あいつはいい演奏をする」とは、シカゴブルースのレジェンド、バディ・ガイの言葉。彼は60年代にクラプトンと始めて出会い、以後何度となく一緒にジャムセッションをしている。「いい演奏ができるなら、図体がでかいとか、太っちょだとか、ノッポだとかは関係ない。彼はただ弦を弾く。それもしかるべきタイミングでだ。あのイギリス人はブルースを炸裂させ、俺たちにはできなかった次元にもっていった。俺もあいつほどの人気があったらよかったのに。そしたらあくせく働かなくて済んだかもな」

クラプトンはまた、ジミ・ヘンドリックスのスキルに感嘆し、彼が亡くなると打ちひしがれていたとも言われている。だが、1969年のローリングストーン誌とのインタビューでは、当時流行りのスラングだった差別的表現でヘンドリックスについて話していた。おそらくもっとたちが悪いのは、彼が人種のステレオタイプを好んで使っていたことだろう。「あいつが初めてイングランドに来たとき、ほら、イングランドの連中はスペード(黒人を指す蔑称)に弱いだろ。魔術的なものや性的なものが大好きなんだ。みんなそういうのにイカれちまう。イングランドの連中はみんな、いまだにスペードはデカマラだと思っているんだ。ジミがやってくると、奴はそれを最大限に利用した。あいつめ。みんな虜になった。俺もさ。まったく」

ヘロインとアルコール依存症からの復活、アンティグアに開設した治療センター、1991年の息子の死など、波乱万丈の人生を歩んできたクラプトンは、メディアでは概ね同情を誘う人物として扱われてきた。ローリングストーン誌も例外ではなく、彼は1968年以降に8度も表紙を飾っている。ごく最近では2015年、「ローリングストーン誌が選ぶ歴代最高のギタリスト100選」で2位にランクインした。バーミンガムでのパウエル発言について、当時のイギリス人ライターは、「クラプトンの痛ましいほどのバカ正直さを思い出させるエピソード」と記している。

だが、あの日バーミンガムの発言を耳にした人々は、クラプトンに全く違う印象を抱いた。「ひたすらショックでした」と語るのは、アジプロ活動のライター兼パフォーマーのレッド・ソーンダズ氏。彼はコンサート直後にクラプトンの発言を報じた記事のコピーを見せられた。「この国でイーノック・パウエルがいわゆる象徴的人物であることを理解する必要があります。彼はアラバマ州のウォレス州知事と同レベルです。超保守派で、熱弁をふるう旧体制のイギリス帝国主義者です」。パウエル氏の「血の川演説」は白人ナショナリズム運動を生んだ。パウエル氏の思想をクラプトンが支持したのを受け、ソーンダズ氏はNME誌に投書した。「どうしたんだ、エリック? 君は脳損傷でも受けたに違いない……認めるんだ、君の音楽の半分が黒人音楽であることを。君こそロック最大の植民地主義者だ。君は優れたミュージシャンかもしれないが、ブルースやR&Bがなかったら今の立場はなかっただろう?」


1979年、ロンドンで行われたロック・アゲインスト・レイシズム・フェスティバルでのピート・タウンゼント。創設メンバーは5年間、ザ・クラッシュやスティール・パルスなどを従えてヨーロッパやアメリカで公演を行った。(Photo by Virginia Turbett/Redferns/Getty Images)

ソーンダズ氏の投書がきっかけとなって設立されたロック・アゲインスト・レイシズム(以下、RAR)は、クラプトンのような発言への反動として、約5年間ヨーロッパやアメリカでコンサートを行った。「実際、彼は世界を逆の方向に変えました。その点では彼も上出来でしたね」とウェイクリングも言う(イングリッシュ・ビートも一度、RARで演奏したことがある)。ソーンダズ氏の記憶では、ピート・タウンゼントが1979年の夏にRARで演奏した際、クラプトンも連れてこようかと言ったそうだ。しかし、ソーンダズ氏はクラプトンからの謝罪が先だと主張した。ソーンダズ氏には具体的な理由は明かされなかったが、結局クラプトンは一度も出演しなかった。

当時のクラプトンを知り、ともに仕事をしていた(そして、以降ほとんど顔を合わせることもなくなった)人の中には、バーミンガムでの暴言は彼の本音ではなかったと主張する人もいる。「あそこで彼が本音を吐いたと考えるのは誤解です」とオークス氏は言う。「酒のせいです。当時の彼は手に負えない状況で、自分の発言がどんな結果をもたらすか分かっていなかったんだと思います。いわゆる『酔っていようが関係ない、口から出ることはすべて本音だ』というのとは違うと思います。彼は本気ではありませんでした」。2017年のローリングストーン誌との取材で、クラプトン本人も「クスリや酒に溺れていた時の自分と向き合うしかない」と語っている。「そんな状態になっていたことは僕自身にもあまり理解できていないし、僕に『やめろ』という人間もいなかった」。後者の発言については一理あるかもしれない。ロックを牛耳る特権階級にいた彼はずっと、後先のことなど考えず、自分の好きなことを、好きな時に、やりたい放題だった。

二転三転したクラプトンの対応

ウェイクリングやソーンダズ氏のような人々をあっけに取らせたのは人種差別的発言だけではない。それに対するクラプトンの対応もしかりだ。ステージ上での暴言がイギリスのメディアで報じられたあと、クラプトンは音楽紙Soundsに手書きの書簡を送って謝罪した。「バーミンガムで暮らす外国人の皆さんにお詫びする……ただ(いつものように)一杯ひっかけて、さあいよいよ飲むぞという時に、とある外国人が俺の彼女の尻をつねったものだから、ちょっと引け目を感じたんだ」(彼が言わんとしているのは、金持ちのサウジアラビア人が当時彼の恋人だったパティ・ボイドに色目を使ったという話)。だが、彼は白人至上主義を支持するようなことも付け加えた。「イーノックはこの国を動かせるだけのガッツがある唯一の政治家だと思う」。同じ号のインタビューでも、彼はバーミンガムでの暴言を再び軽くあしらった。「実際かなり面白いと思ったんだ」と、モンティ・パイソンのスキットに喩えて言った(フィリップ氏はこれに異を唱える。「モンティ・パイソンでおなじみの無様でおちゃらけた感じではありません。彼の発言は扇動的でした」)

Eric Claptons shoddy letter of apology after being a massive racist on stage in 1976 pic.twitter.com/kt5DEsDg9m — Letters of Note (@LettersOfNote) September 19, 2017
2007年の回想録で、クラプトンは問題の事件にあらためて触れ、バーミンガムのステージ上での発言は「決して人種差別を意図した発言ではない。むしろ、当時の政府の安い労働力に関する政策や、明らかに強欲に基づく政策によって引き起こされた文化的混乱、人口過多への非難だった」と書いている。ソーンダズ氏やRARコミュニティの人々にとって、この説明は「バカげて」いた。実際、「ウォグ」という蔑称を用いたのだから、弁解の余地はほとんどありそうにない。

当時アメリカでは、バーミンガムの事件はほとんど報じられなかったが、2017年に公開された公認ドキュメンタリー映画『エリック・クラプトン~12小節の人生~』で再び話題に上った。この中で彼はついに発言を認め、キャリアのどん底だった時代を語った。クラプトンは劇中はもちろん、映画のプロモーション取材でも黒人の友人らがいることを引き合いに出し、人種差別に無自覚なわけではないと言って、当時の大量飲酒のせいにした。「本当にひどいことをした」と、彼はある媒体に語った。「俺はひどい人間だった」と、これまでとは打って変わって、バーミンガムでの暴言は「全面的に」人種差別的だったことを認めた。「言い訳はできない。本当に最悪のことをした」と言ったが、ここでもやはり「実際、面白いと思ったんだよ」と付け加えた。

「当時は他人の言うことをあまり気にしてなかった」と言うバディ・ガイは、最近までバーミンガムの出来事を知らなかったそうだ。「白人がこう言っただの、黒人がこう言っただの。誰が何を言おうと、どう感じようと、俺は全然かまわないよ」

だが、あの夜バーミンガムにいた人々や、当時その話を耳にした人々にとって、クラプトンの釈明は空虚にしか響かない。ウェイクリングはクリーム時代の2曲を除いて(「Badge」と「White Room」)、あれからクラプトンの曲は一度も聞いていないという。フィリップス氏も同様に、昔のクラプトンのレコードには手を付けていない。「酒の力で洗練されたウソが出てくるわけがない、そんなの誰でも知っています」とウェイクリング。「酒は間違ったタイミングに、間違った人の前で、本音を大声で語らせるものなんです」

陰謀論、健康問題、疎外感

クラプトンの回顧録をじっくり読んだことがある人なら、彼の最近の変化はさほど驚くことではないかもしれない。彼は同書の中で「俺にとっては、怒りにまかせて権威に盾突くことは当たり前だった」と綴り、「政治も含め、この手のことすべてにおける陰謀恐怖症」の傾向があることを認めている。

たしかに、クラプトンは鵜呑みにしやすいところがあるようだ。彼は回顧録の中で、80年代に「ヨーロッパ訛りの強いご婦人」から家に電話がかかってきたときの出来事を詳しく語っている。その女性はクラプトンがパティ・ボイド(当時の妻)と上手くいっていないことを知っていると言い、おかしな儀式――「指を切って血を流し、パティと自分の名前を書いた十字架の上にその血をなすりつけ、夜中に奇妙な呪文を唱える」ことをすべて実行するよう彼を説得した(その女性の提案で、彼はニューヨークまで飛んで彼女と一夜を過ごし、ようやくこんな馬鹿げたことをしてもボイドは戻らないことに気付いた)。


"エリック・クラプトン、ワクチン接種に警鐘「二度とギターを弾けなくなると思った」"より(Photo by Gareth Cattermole/Getty Images)

現在のクラプトンの公的見解は、世界的パンデミックやフェイクニュース、自身の健康問題にかき回され、こうした傾向がさらに悪化している。ここ数年メディアでは、クラプトンの最新アルバムよりも健康状態(特に手の状態)のほうが話題になっている。2016年にはローリングストーン誌に持病の「やっかいな神経症で手に影響が出ている」と告白した。翌年には「頭からつま先まで湿疹が出て、手のひらの皮がむけた」と同誌に語っている。さらに末端神経への損傷で、腕や脚に炎症や痛みが走る末端神経障害も抱えていた。

昨年からクラプトンは、イギリス政府のパンデミック対策に疑問を投げかけた、化学エンジニア/作家のアイヴァー・カミンズ氏の動画を見始めた。「黙っていようと思ったんだが、彼のチャンネルを熱心にフォローしている」と、クラプトンは打ち明けた。彼が自分の気持ちを表に出したのは、個人の自由とロックダウンを関連づけたヴァン・モリソンの楽曲「Stand and Deliver」に参加した時が初めてだった。”自由な人間になりたいか/それとも奴隷になりたいか?”という歌詞だ。クラプトンはこのコラボレーションについて、「我々は立ち上がって意思表示をするべきだ。この混乱から抜け出す方法を模索しなくてはならないのだから。代替案など考えるにも値しない」と声明を発表している(奇妙な偶然だが、1976年のクラプトンのバーミンガム公演で、特別ゲストとして出演していたのがモリスンだった)。

自身のコメントに集中非難を浴びるようになると、クラプトンの勢いはさらに加速した。彼は建築家の友人で、同じくワクチン懐疑派であるロビン・モノッティ氏のソーシャルメディア・アカウントを通じてコメントを投稿した。「世界各国政府の弾圧と大手IT企業の検閲に直面した今、オープンな議論と情報の自由のために戦う」と主張するwebサイトOracle Filmsにも、2回目のワクチン接種後に両手が「まったく使い物にならなくなって」症状が悪化した、と語った。「80代、90代と歳をとるにつれて、ますます悪化するかもしれないと思った」と本人。「こいつは……10段階でいえば、3からいきなり8、9ぐらいまで上がった。激痛、慢性的な痛み……免疫系がやられて、また全身が震えた」。クラプトンいわく3週間も両手が動かなかったそうだ。それから彼はこの1年、仲間や家族との間に「疎外感を感じることがある」とOracle Filmsにて発言した

ウェイル・コーネル医科大学で神経学科部長を務めるマシュー・フィンク医師によれば、クラプトンのような神経症の症状を抱える患者に、こうした反応が出るのは当然だそうだ。「ワクチンが普及する限り、我々がワクチン接種後炎症性疾患、または感染後炎症性疾患と呼ぶケースは常に数件出てきます」とフィンク医師は言い、特にアストラゼネカ社のワクチンは神経疾患の稀な症状と関連性があるのだと付け加えた。「手や足に大きな影響が出ることもあります。ですから、ギタリストであればかなり影響をうけたのも納得できます」

とはいえ、クリーム時代のクラプトン作品が大好きだというフィンク医師も、メッセージの内容はもちろん、その発信者についても懸念を抱いている。「こうした理由で、すべてのワクチンにダメ出しするものではありません。現実に、接種した人の大多数にとってワクチンは命を救う治療法なのですから」と彼は言う。「これまでのところ、益のほうが害を上回っています。私ならワクチン接種をやめるべきだなんて絶対に口にしません」。ワクチン懐疑派の存在もあって、現在アメリカの接種完了者は総人口のわずか56%だ。

トランプ支持者もクラプトンを歓迎

クラプトンが家族所有のバンをJam for Freedomに貸すと申し出たあと、マクローリンはロンドンにあるクラプトンのレコーディングスタジオに赴き、青いセーターとモカシンシューズというカジュアルないでたちの本人と対面した。マクローリンもワクチンに慎重だ。「ワクチンのせいじゃありません。僕はまだ受けてませんがね」と彼は言う。「大金を積まれない限り、新しい技術の治験を受ける気にはなりません。僕らはただ、『自分の身体に何を取り入れるかは自分で選ばせてくれ、強制するな』と言っているんです。こんなに大勢の人が声高にあれしろこれしろと言ってくれば、疑わしくもなるでしょう。大勢の人が危険を感じているんです」

マクローリンの話では、クラプトンは今もワクチンの後遺症が残っていて、数カ月もギターを弾けずにいると彼に語ったそうだ。「一緒にジャムセッションをしたかったんですが、あの時の彼の病状では演奏するのは困難でした。副反応で指が冷たくなっているのに外で演奏するなんて無理です」とマクローリン。「彼にとってどれほどストレスだったか、想像がつくでしょう」。クラプトンはマクローリンとバンの隣に並んで写真を撮った。のちにJam for Freedomは、その写真をソーシャルメディア・チャンネルに投稿した。


クラプトンの隣に並んだ、Jam for Freedom創設者のキャンベル・マクローリン(Courtesy of Jam For Freedom)

1976年の暴言に対するぶざまな対応と同様、クラプトンは今回も黙ってはいなかった。彼は声明を発表し、今後「選別された観客」の前では演奏しないと宣言した。つまり、ワクチン接種証明が要らない会場でしか演奏しないというのだ。

9月の全米ツアー初日の直前、彼はワクチン接種への抗議と思しき新曲「This Has Gotta Stop」を発表した。”何かおかしなことが起きていると思った/君が芝生に寝転がり始めると/俺の手は動かなくなり、汗が噴き出す/泣きたい気分だ、もう二度とごめんだ”。さらに強調するかのように、ミュージックビデオのアニメーションでは一般市民が操り人形として描かれている(数週間後、彼はこの曲のニューバージョンを発表した。ご想像の通り、サックスソロと追加のヴァースを担当しているのはヴァン・モリソンだ)。

「イーノック・パウエル騒動の二の舞のようです」とオークス氏は言う。「彼が実際に世界情勢に牙をむいたのは、私が思いつく限りではあれが最後でした。彼は基本的に胸の内を明かさないタイプですからね。あれは明らかに昔の話ですし、大量のアルコールが引き金でした。今回は言い訳できません」



クラプトンはOracle Filmsとのインタビューで、自分の意見を表明すると「トランプ支持者だというレッテルを張られる」と不満を漏らした。だが、彼の旧態依然な気質は少なくとも2007年にまで遡る。この時クラプトンは、ブライアン・フェリーやスティーヴ・ウィンウッドとともに、イングランドのバークシャーの古城で行われた「食料、農業、カントリースポーツ」を推奨する団体Countryside Allianceのチャリティコンサートで演奏した。ここでいうカントリースポーツには、狩猟犬を狐に向かってけしかける野蛮な狐狩りも含まれている。イギリス政府は動物虐待と狩猟が象徴する階級格差を理由に、この伝統を廃止している。

当時クラプトンの代理人は、彼がAllianceを支援していることを認めたが、「彼自身は狩りをしない」と述べた。同団体に憤りを覚える音楽仲間は今もいる。「エリック・クラプトンは大好きだ。彼は僕のヒーローだが、彼とはいろいろな点で意見が異なる」と、ブライアン・メイはインディペンデンス紙に語った。「彼は娯楽で動物を撃っても構わないと思っている人間だ。そこが僕らの意見が合わないところだ」。その一方で、クラプトンの姿勢に別のグループが味方に付いた。上述のコンサートのおかげで、全米ライフル協会は「エリック・クラプトンも狩猟を支持」と、サイトにでかでかと謳った。

ワクチン懐疑派の眼には、共和党の州で、屋内アリーナで演奏することは抵抗運動と映った。全ページ白紙のベストセラーとなったノベルティ本『Reasons to Vote for Democrats: A Comprehensive Guide(民主党に投票するべき理由:徹底ガイド)』の著者でもある保守派の若手評論家マイケル・ノウルズ氏は、「エリック・クラプトンはファウチ博士よりもずっと信頼できる人間だ」とツイートした。ローリングストーン誌の取材に、ノウルズ氏はこうした評価をあらためて表明した。「クラプトンは科学だの衛生だののことを、もったいぶって話しているわけじゃありません。彼はワクチンを打った自分の経験に基づいて話しているんです」と彼は言う。「いろいろな意味で、エリック・クラプトンはこの問題やその他の問題に関して、ファウチ博士よりもずっと信憑性があると思います」

現在31歳のノウルズ氏は大半のクラプトン・ファンよりも若い。医療制度に対するギタリストの姿勢はロックのルーツに根差している、と彼は考える。「すごいことです」とノウルズ氏。「これぞまさに本物の、権威に物申すロックスターです。それがかつてのロックンロールの姿ですよ。ロックも年を重ねるにつれて、社会に蔓延する確立された意見に甘んじるようになってしまった……エリック・クラプトンは、オーディエンスが医療上の判断は自分で下せると信頼しています。この国では昔はそれが当たり前だった。今ではもう、そうではなくなってしまったようです」

Jam for Freedomのマクローリンも状況をまったく同じように捉えている。クラプトンとの対話で、さらにその思いは深まった。「僕らは実質的に、60年代に彼や仲間たちがやっていたことをやっているんだ、と彼は言っていました。自由を擁護し、政府や社会の支配から逃れるのだと」とマクローリンは言う。「彼は僕らに何度も言いました、『これが俺たちのやっていたことなんだ』と」

クラプトンの思想とどう向き合うべきか?

こうしたこと全てがきっかけで、ファンは人々の命を危険に晒そうとしている音楽家のレガシーに苦悶する羽目になった。「解せませんね、ずっと彼はリベラルだと思っていました」と言うのは、長年クラプトンと仕事をしてきた音楽業界の某ベテラン。「彼とは何度も顔を合わせてきました。とても紳士的で、成熟していて、話しぶりも丁寧だし、落ち着いている。だからショックなんですよ。彼のオーディエンスの大半がショックを受けています。もう彼を(コンサートで)見ることはないでしょう。絶対に。ファンのことを気にかけておきながらワクチンに反対するなんてありえますか? 彼はライブ・エンターテインメント業界に携わる人間なんですよ?」

我々はクラプトンの意見と音楽をどう受け止めればいいのか? 「Layla」の狂おしいほどの情熱、『461 Ocean Boulevard』のリラックスしたグルーヴ、クリームで演奏したロバート・ジョンソン「Crossroads」の劇的な再解釈――今も語り継がれる彼の業績を、二の足を踏むことなく堪能することはできるのだろうか?

コネチカットの人気クラシックロック局WPLRで、午前の番組を担当するラジオDJのチャズ(本人の希望により仮名)は、クラプトンは「ラシュモア山の記念碑」に匹敵する人物だと言う。だが彼も、かつてのヒーローの見当はずれな発言に当惑している。「彼は音楽で世界にたくさんの幸せを届けてくれました」とチャズは言う。「もし一家団欒の夕食の席で、祖父が僕と全く意見が合わないことを言ったとしたら、僕は無視して『おじいちゃん、マッシュポテトを回して』と言うでしょう。今回も全く同じ気持ちです」

9月13日、クラプトンの全米ツアー初日。テキサス州フォートワースのディッキーズアリーナに流れ込んだ1万2000人強のなかには、まさにそうした食事の席のような思いをしている人もいた。「政治の話ですか、その手の質問には答えたくないですね」。クラプトンの意見について尋ねると、あるコンサート参加者は激昂した。この時フォートワースのあるタラント郡は、パンデミック発生以来テキサス州で2番目に多いコロナ感染者数を記録していた。州の感染者は300万人、そのうちタラント郡の感染者は30万7000人。だが会場では、マスク着用は「強く推奨」されているだけで、会場内で着用している人はほとんどいなかった。集まったクラプトンのファンは彼を支持しているか、もしくは口にしたがらなかった。

「彼は政治的スタンスを取っているわけじゃないと思います」。クラプトンのコンサートは初めてという、テキサス州グランベリー出身のデイヴィッド・ヘイナーさんはこう言った。「彼は与えられた発言力を利用して、健康と安全について意見を述べているんです。僕はまったく気になりません」(「それで具合が悪くなる方はお気の毒です」とフィンク博士。本稿執筆時点で、ツアーと感染者の関連性は報告されていない)

「エリックの発言を見たかい?と言ってきた人がいたよ」とバディ・ガイも言う。「彼のような有名人が発言すると、世間は耳をそばだてる。俺たちが間違いだと思うようなことでも、彼をずっと応援してきた他の人間は、彼が正しいと考えるかもしれん」

2週間にわたるツアーの間、クラプトンは一度も反ロックダウン楽曲を演奏しなかった。彼は「I Shot The Sheriff」「Layla」「Tears in Heaven」などの定番曲や、いくつかのブルースのカバーに徹した。観客に語り掛けることも、ワクチンや政治観について口を開くこともほとんどなかった。だが、彼はギターを手にしながら、かつてと同じように文化的市民闘争の岐路(crossroads)に立っている。

Additional reporting in Texas by Kelly Dearmore

From Rolling Stone US.

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