松本隆、シーン復帰後から2000年代までの歩みを辿る
Rolling Stone Japan / 2021年11月2日 6時30分
日本の音楽の礎となったアーティストに毎月1組ずつスポットを当て、本人や当時の関係者から深く掘り下げた話を引き出していく。2021年10月の特集は「松本隆特集 第3弾 風街とデラシネ~作詞家・松本隆の50年」。第4週は80年代後半のお休み期間を経て、復帰した1990年代から2000年代までの軌跡を辿る。
こんばんは。FM COCOLO「J-POP LEGEND FORUM」案内人・田家秀樹です。今流れているのははっぴいえんどの「風をあつめて」。1971年発売のアルバム『風街ろまん』の中の曲ですね。
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今月2021年10月の特集は「松本隆特集 第3弾~風街とデラシネ・作詞家松本隆の50年」。風街というのは言うまでもなく、「風をあつめて」の入ったアルバム『風街ろまん』ですね。デラシネというのは2017年に出たクミコさんのアルバム『デラシネ』。松本さんが全曲を書き下ろしたオリジナルアルバムとしては最新のものです。デラシネというのは漂泊、漂流、根無し草。そういう意味があります。松本さんが自分の生き方を例えた言葉でもありますね。
10月27日に『風街とデラシネ~作詞家・松本隆の50年』という本が出るんです。書いたのは私でありまして、そもそも本を書くきっかけになったのが2018年1月にこの番組で5週間松本隆特集というのを組んで、本人が来てくださってキャリアを辿る話をしたんですね。そのインタビューがとてもおもしろかったので、「このインタビューを使って何か書いてもいいですか?」って言ったら、「いいよいいよ」っていうところから始まって。スタジオジブリの機関誌『熱風』で連載するようになって、ようやくここにたどり着いたという、そういう本でもあるのですが、10月27日同時発売でCDも出ます。本の中で取り上げているアルバムの曲を中心に1アーティスト1曲、33曲選んでいるそのCDを4週間で全曲ご紹介しています。CDのキャッチフレーズは「読んでから聴くか、聴いてから読むか」です。
今週は最終週ですね。先週は80年代の終わりに松本さんが一旦シーンから身を引いた、お休みをしたというところまで話をしました。今週はそこから復帰した、復帰以降の曲をお聴きいただこうと思います、まずはその復活のきっかけになった曲です。1995年発売、氷室京介さんのシングル「魂を抱いてくれ」。
1995年10月発売。氷室京介さんのシングル「魂を抱いてくれ」。1989年から1994年が実質的な意味での休憩期間だったと彼は言っています。でも、業界に対してお休み宣言はしてなくて、なんとなく身を引いたという感じだったんですね。「身を引きながら、シーンについてどう思っていたんですか?」って話を訊いたんです。彼はゴム紐に例えていましたね。つまり、ゴム紐ってギリギリまで伸ばして、パッと離すと一瞬にして元に戻る。松本さんはやっぱりギリギリまで引っ張ったゴム紐でもあったんでしょうね。で、「いなくなったらパッとまたすぐに戻った。次の作家がいたからね」って話をしてましたけど、「そういうことかって思って、そんなに意外には思わなかったけどね。でも、もう自分の居場所はないかもしれないな」とは思ったとも言ってました。
そういう時間を経て復活するきっかけになったのが氷室さんの初めてのバラードシングルなんですね。氷室さんのバラードでは最大のヒット。氷室さんがレコード会社を移籍して、新しいレーベルの第1弾のシングルとして、松本さんに詞を頼んだ。氷室さんは「松本隆さんは俺のことをこういうふうに見ていてくれたんだなと思ってうれしかった」と言っていました。松本さんはこの曲がヒットして、「まだやれると思った」そんなシングルです。1995年10月発売、氷室京介さん「魂を抱いてくれ」でした。
硝子の少年 / KinKi Kids
1997年7月発売。KinKi Kidsのシングル「硝子の少年」。作曲が山下達郎さんです。松本さんが組んだ作曲家の中の1つの特徴というのでしょうか、傾向と言うほど大げさではないですが、バンド出身者というのがかなりいるんですね。例えば、桑名正博さん、矢沢永吉さん、氷室京介さん、山下達郎さん、それぞれがその時代を代表しているロックバンドでもあるわけですけど、そこから始まった作曲家、メロディメーカー、アーティストとちゃんと組んでいる。はっぴいえんどから始まった日本のバンドヒストリーをそういうバンド出身のアーティスト、作曲家と組むことで、松本さんも別の流れでそういうストーリーを綴っているとあらためて思ったことでもあります。
逹郎さんは近藤真彦さんの「ハイティーン・ブギ」でコンビを組んでますよね。でも、松本さんの中ではシュガー・ベイブの山下達郎という意識はなかったというふうに言ってましたね。はっぴいえんど解散コンサートの時のシュガー・ベイブはまだこれからどうなるか分からないという時期で、大滝さんが手がけるバンドとして見ていた。ソロになって自分のアルバムを出して作曲家として「あ、いい曲を書くね」と思って、コンビを組むようになったとは言っていました。そういうバンド出身者ということもそうですし、何度か話をしているというのが男性アーティストの曲には何度か話している「通底」がありますね。同じものが流れている。矢沢永吉さんの「サブウェイ特急」とか、原田真二さんの「てぃーんずぶるーす」とか、それから近藤真彦さんの「スニーカーぶる~す」とかですね、どこか壊れそうに脆くて陰っている青春、生き急ぐ青春を歌われている。
KinKi Kidsもそういう流れにあって、「硝子の少年」は新宿西口のバスターミナルを舞台にした別れの情景なんだと言っていました。作詞家デビュー38年目ですよ。大体そのアーティスト、作家のピークはわりと早めに来るものですけど、松本さん最大のヒット。ピークをもし数字で表すとすると、ここがピークということになるのかもしれません。復活した松本隆、次の世代のアーティストと組んでいます。Chappieの1999年のシングル「水中メガネ」をお聴きいただきます。
1999年のシングルChappieの「水中メガネ」です。このChappieは松本さんのホームページ、風街茶房の着せ替えキャラクターだったんですね。ボーカルは匿名で歌っていて、その中には森高千里さんもいたという。今で言う、ボカロみたいなものでしょうか。このシングル「水中メガネ」は作曲が草野マサムネさん。シングルのB面「七夕の夜、君に逢いたい」は細野晴臣さんだったんですね。松本さんが他の世代の作詞家、特に阿久悠さんとの1番大きな違いは作曲家でしょうね。作曲家の世代が時代によって変わっていく。阿久悠さんは演歌、歌謡曲が多かったですから、作曲家が限られていた。ある年代の人が多かった。松本さんは細野さん、大滝さんを筆頭にそこからその時代、その時代の新しい才能、新しいソングライターときちんと組んでいるんですね。彼がプロデューサーでもあったから、できたことでもあるんだとは思うんですけども。草野さんも松本さんと組むのはこれが最初ですね。
新しいシーンみたいなものに対してのあるアドバイザー。いろいろな人の話を聞いている中にライター・編集者の川勝正幸さんとか、ディレクターの堀越信哉さんがいて、川勝さんははっぴいえんどフリークのエディター・ライターですね。『ポップ中毒者の手記』という名エッセイ集がありますけど、堀越さんは松田聖子から入ったという人なんです。松本さんを軸に世代を超えたいろいろな才能が集まっている。そういう関係が史上最強、唯一無二の作詞家にしている。それに対して応えている、詞をきちんと提供している。「水中メガネ」は松本さんがスピッツのコンサートを見ていて情景が思い浮かんだ。その帰りに書いたという詞なのですが、この詞もあらためて詞としてきちんと読んでいただきたい。そんな1曲であります。
で、復活をして、こういう次の世代とのシングルも作って。2000年代に入ってから傑作アルバムを2枚残すんですね。その1枚が2000年のクミコさんの『AURA』。なんでクミコさんが松本さんと組むことになったかと言うと、あがた森魚さんの『噫無常(レ・ミゼラブル)』の中の「最后のダンスステップ」をクミコさんがカバーしていたということで繋がるわけです。松田聖子さんとは違う意味のエロスの傑作、全面プロデュース、全曲作詞、クミコさんの『AURA』がそういうアルバムでした。
2002年に発売になった、藤井隆さんのアルバム『ロミオ道行』から「代官山エレジー」ですね。実は『ロミオ道行』は連載がなかったら、僕はきっと聴いてなかったと思いますね。これが、いいアルバムなんです。藤井隆さんは1972年生まれ、はっぴいえんどが解散を決めた年の生まれですね。吉本興業のバラエティタレント。藤井隆さんの方から松本さんの詞を歌いたいと熱烈なオファーがあって実現したというアルバムですね。
「魂を抱いてくれ」以降、休憩明けからアルバムが少なくなってます。なぜかと言うと、なかなかアルバム1枚に注ぎ込めるだけの体力的なエネルギーがなくなったという話をしていましたが、その中でも『ロミオ道行』、は原田真二さんからKinKi Kidsに流れて消える、少年性とか青春性とか、そのロマンティシズムみたいなものが結実したアルバムだと思いました。「代官山エレジー」の〈風の木の葉が見つめ合う視線を断ち切る〉とか、〈泣き言をつぶやくな 空模様〉とか、本当にうまいなあと思いましたね。〈泣き言をつぶやくな 空模様〉は空に言っているみたいで、自分の気持ちでもあって。どこか八つ当たりしているようなニュアンスもある。例えば、〈じゃんけんしたのを覚えてる? 勝ったら未来あげるって あせってチョキをだしたから 愛も破けた〉。この男の子の純情。「ジャンケンで勝ったら、私の未来をあげる」って言われたんでしょうね。焦ってしまって、思わずチョキを出した。チョキを出したから、愛が破けてしまったんだ。この因果関係はうまいとしか言いようがない、そんな詞でありました。
2002年3月に発売になった、オリジナル・ラヴのアルバム『ムーンストーン』から「夜行性」をお聴きいただいております。これはシングルにもなっているんですけど、アルバムバージョンの方が歌が届くような気がして、僕はこっちが好きでアルバムバージョンをお聴きいただきました。この曲のテーマは孤独ですね。孤独を擬人化して、人間のように表現している曲です。〈孤独がしゃがみこんでる〉んですよ。黒いマントなんですね。それは〈生き写しだよ 昨日の僕に〉なんです。松本さんの歌にはいろいろな通底して流れているものがありまして、少年性も少女性もありますし、ダンディズムというのもありますね。南佳孝さんがその発端でもあったんでしょうけど、森進一さんの「冬のリヴィエラ」とか、寺尾聰さんの「ルビーの指環」もそんな代表的なヒット曲でしょうけど、そういうハードボイルド的な男の強がりの美学みたいなものがこの歌はよく出ているなと思いました。生きることに少し飽き始めている年齢なんですね。〈僕の蒸発する若さ〉でも、無視して歩き始めるんです。そういう強がり方が、そんなに強がってる感じではなくて、日常的な歌になっている。氷室さんの「魂を抱いてくれ」もそういう男の美学でしょうけど、あれよりもナイーブな詞のように思いましたね。これが2002年ですね。松本さんは60代に入っているわけで、これだけの年を経ないと書けない1曲でもあるんだろうと思います。
で、さっき〈生きることに少し飽きかけているんだ〉という歌詞がありましたけども、松本さんが還暦を過ぎてから取り組んだ、こんなタイトル曲のアルバムがあるんです。『幸魂奇魂(さきみたまくしみたま)』。これはご存知ないでしょうね。作曲とプロデュースが藤舎貴生さんという方で、純邦楽の横笛の演奏家、作曲家でもあるんです。フジロックにも出たことがあります。藤舎さんが「私は松本隆世代だ」と言っているわけですね。演奏しているのは謡曲とか、長唄とか、浄瑠璃とか、所謂伝統的な純邦楽の演奏家で、そういう曲を歌っている人たちが参加している。朗読がありまして、市川染五郎さんと女優の若林まゆみさん。つまり、松本さんは作詞と台本を書いているということになるわけです。この「幸魂奇魂」。さきは幸せという字、きは奇跡の奇。たまは魂です。このアルバムはなんと日本の成り立ちを綴った古典、古事記を口語化したものだったんです。タイトル曲「幸魂奇魂(さきみたまくしみたま)」は15分あるんですけど、さすがに15分まるごとお聴きいただく時間的な余裕はないので、後半をお聴きいただこうと思います。
幸魂奇魂(さきみたまくしみたま)/ 藤舎貴生
2012年3月に発売になった藤舎貴生さんのアルバム『幸魂奇魂(さきみたまくしみたま)』です。これは古事記の口語化でした。日本の成り立ちを記した最古の古典、最古の神話です。古事記の中のお話、例えばヤマタノオロチとか、因幡の白兎とか、僕らも子どもの時に絵本や日本昔ばなしで接したことがある。いくつかはとても知られているお話なのですが、全体は日本を作った神様のお話。伊邪那美命とかが出てきたりするんですね。天照大御神とか、須佐之男命とか。年配の方はどこかで聞いたような神様がたくさん出てきて、でも古事記は長い長いお話なので、その中の大国主大神のところだけを口語化している。その中には日本で最古の和歌と呼ばれている歌もあったりして、そこにちゃんとメロディがついているんですね。今日はそれをおかけしようか、こっちにしようかかなり迷ったんです。日本最古の和歌、それに藤舎さんがメロディをつけたものはどこか歌謡曲みたいにも聴けるんですけども、松本さんがこういうものを手掛けてきたんだという意外性で言うと、やっぱりこれをおかけするのが1番かなと思って。CDには15分まるごと入ってます。たぶん、こういうのを聴いたことがない方がほとんどでしょうから、中にはジョン・レノンのアルバムでオノ・ヨーコさんを飛ばして聴くようにここを飛ばして聴くみたいな方がいらっしゃってもいいかと思って、これを入れました。
この「幸魂奇魂(さきみたまくしみたま)」というのは出雲大社の祈り言葉として、今も使われているんだそうです。最後の締めくくりに”風の櫛”という言葉がありました。花が咲き草もゆるこの国を風の櫛でとかす。日本がいい国になりますようにという願いを込めての口語訳でしょうね。風の櫛というのがまさに松本隆と思ったのですが、詞を書き終えて、藤舎さんに渡した4日後に東日本大震災があった時期でもありました。はっぴいえんどの3枚目のアルバムの最後に「さよならアメリカ さよならニッポン」という曲がありました。アメリカにもニッポンにもさよならした詩人が還暦を超えて、こんなふうに日本と向かい合った。超大作アルバムがこれだと思いました。
2017年に出た最新のオリジナルアルバムが今回10月27日に発売される本のタイトルにもなっている『デラシネ』なんですね。2000年の『AURA』以来、16年振りにクミコさんと組んだアルバム。テーマが恋歌なんです。これが最後のアルバムになるかはまだ分かりませんけども、松本さんが60代後半になって、60代前半の女性歌手と組んだ恋歌のアルバムが『デラシネ』なんですね。作曲家が全員ほぼ初顔。細野さんも筒美さんも入っていませんでした。はっぴいえんどで育った世代と作り上げた恋歌のアルバムの最後の曲です。
2017年に発売になった、クミコ with 風街レビューのアルバム『デラシネ』。その中の最後の曲「輪廻」。作曲が菊地成孔さんですね。他の作曲家は秦基博さんとか、永積タカシさんとか、横山剣さんとかはっぴいえんどで育った人たちが曲を書いているというアルバムの最後にこれが入っていて。松本さんは「菊地さんといつか仕事がしたかったんだ。最後に思い切って曲だけ作ってもらった」というふうに言っておりましたね。〈滅びのあと誕生する 草や花の美しさ〉とか、〈涙拭いて微笑んでる そんな人の愛と強さ〉とか、さっきお聴きいただいた「幸魂奇魂(さきみたまくしみたま)」の次に生まれたアルバムというふうに考えると、やっぱりここにも通底しているものがある。通底というよりも、輪廻と言った方がいいかもしれませんね。
この後、2018年にシューベルトの歌曲三部作の3作目「白鳥の歌」も全曲訳詞をしているんですね。「白鳥の歌」というのは白鳥は死ぬ時に最も美しい声で鳴くということで生まれているアルバムで、そういうスワンソングというのはその人の最後の歌と受け取られる言葉でもあるわけで。この「白鳥の歌」について、クミコさんの『デラシネ』以降、オリジナルアルバムの書き下ろしはありませんから、「この「白鳥の歌」は松本さんにとっての最後の歌という意味があるんですかね?」って言ったら、「全然そんなことないよ」というふうに言っておりました(笑)。
「J-POP LEGEND FORUM 松本隆特集 第3弾」。10月27日に発売になります。私の本『風街とデラシネ~作詞家・松本隆の50年』これと連動した同名のCDを全曲お聴きいただきました。流れているのはこの番組の後テーマ、竹内まりやさんの「静かな伝説」です。
Disc2の後半をお聴きいただきました。冒頭で2018年1月にこの番組で松本さんの特集を組んで、その時の話がきっかけでこの連載、そして今回の本が生まれたという話をしましたけども、その時はまさかこういう流れ、こういう50年を書くことになるとは夢にも思ってなかったんですね。つまり、私は始まりがそういう意味では松本さんのはっぴいえんどと同じようなところから始まったわけで、同じ時代を生きてきたというかすかな自信みたいなものがあったのですが、回を重ねるごとにそれが打ち砕かれていって、「え! これどうしよ」と思うことの連続だったんですね。入り口はこの番組のインタビューだったのですが、その後、途中からは毎回、平栗さんというマネージャーの方にお願いをして、京都に行ったり、神戸に行ったり、東京に来た時の松本さんに時間をもらったりして、話を訊きながらようやくたどり着いたという感じなんです。
で、その最たるものが今日お聴きいただいた古事記ですよ。「幸魂奇魂(さきみたまくしみたま)」。まさか自分がこういう音楽について書くことになるとは夢にも思ってなかった。これは松本さんに引っ張られてここまで来たという感じがありましたね。オリジナルアルバム『デラシネ』の最後が「輪廻」という曲で、なぜ「輪廻」があのアルバムに入ったかというのは、この「幸魂奇魂(さきみたまくしみたま)」と繋げて聴いた方が分かるのではないか。これはディレクターもそういうふうに言っておりました。いろいろなものが通底していて、いろいろなものが輪廻していて、松本さん自身が長編の叙事詩ではないかとあらためて思っております。50年どんなふうに聴いていただけたでしょう。そして、どんなふうにこの本が読まれるだろうと思っています。
松本さんの活動、11月5日、6日に武道館コンサートがあります。「風街オデッセイ」。そして、私ごとのついで、最後に10月30日にNHK文化センターというところで出版記念講座をやらせてもらいます。これは対面で、東京の青山のNHK文化センターでやるのですが、配信もあるので、もしもうちょっと話を聞いてみたいという方はそこにお越しいただけるとうれしいなと思っております。
<INFORMATION>
田家秀樹
1946年、千葉県船橋市生まれ。中央大法学部政治学科卒。1969年、タウン誌のはしりとなった「新宿プレイマップ」創刊編集者を皮切りに、「セイ!ヤング」などの放送作家、若者雑誌編集長を経て音楽評論家、ノンフィクション作家、放送作家、音楽番組パーソリナリテイとして活躍中。
https://takehideki.jimdo.com
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