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折坂悠太が語るサム・ゲンデルの影響、記名性から解き放たれた音楽のあり方

Rolling Stone Japan / 2021年11月1日 18時0分

折坂悠太(Photo by Masato Yokoyama)

折坂悠太にインタビューを行う前に、『心理』と、その約1年半ほど前にリリースされたドキュメンタリー作品『めめ live recording H31.04.03-04』を聴き、レビュー記事を書いた。”重奏”というグループとの録音であるこれらの作品に表現された音楽は、歌や楽曲と同等に、個々の楽器の音やそれらが織り成すアンサンブルや響き、録音された空間の空気や気配が大切にされていた。

それは、『心理』にフィーチャーされたサム・ゲンデルが吹くサックスの響きとも自然に重なり、さらに、ブレイク・ミルズやピノ・パラディーノが奏でる音楽にも繋がっていると感じられた。このインタビューでは、折坂悠太自身がシンパシーを表明している彼らの音楽との関係や”重奏”との演奏から、『心理』というアルバムが生まれた背景を掘り下げた。


—『心理』に参加しているサム・ゲンデルに先日、インタビューをしたところでした。まず、彼の参加の経緯から伺えますか。

折坂:元々、私が凄く好きで。一番最初に聴いたのが『4444』で、それからずっと聴いていました。2018年の来日で、私のライブに足を運んでいただいて、その時、ご挨拶して、一緒に何かやれたらいいんですけどと話も少ししました。それで、このタイミングでお願いしようと思い切って連絡して、リモートで録音が出来たという感じですね。


サム・ゲンデルが参加した、『心理』収録曲「炎」のMV


サム・ゲンデルはLA拠点のサックス奏者/ギタリスト/シンガー。2018年作『4444』を経て、近作は米名門レーベルNonesuchからリリース。「現代のアウトサイダー・ジャズ」(Pitchfork)と評され、コラボワークの数々でも注目を集めている。

—彼の音のどの辺りに惹かれたのでしょうか?

折坂:ライ・クーダーのライブ・セッションに参加していますよね。ライ・クーダーもサム・ゲンデルもどっちも好きだったんですが、その時に、サムさんの持っているアンビエントや現代音楽的なアプローチが、自分も傾倒しているようなルーツ・ミュージックの上で、ああいう風に鳴っていることが合わさった時に、自分の音楽的な感覚が凄く開けた感じがしたんです。サックスという生楽器を使いながら、そのアイデンティティ、記名性、そういうものから凄く自由になっている。身体性みたいなものを損ねることなく、だけど多様に変化させていて、空間的にだったり、温度感とか、一音一音に共感できるなといつも聴いていて思ったんです。



—折坂さんは『心理』に影響を与えた作品として、サム・ゲンデルも参加したピノ・パラディーノとブレイク・ミルズの『Notes with Attachments』を挙げてましたが、その影響について伺えますか?

折坂:バンドとして楽器を重ねていくという考え方ではなくて、まだ音を持っていない音楽そのものみたいなものに対して、その楽器が持つ個性をすごく純粋に使って、だけど、方法論からは自由で、解き放たれていて、純粋に音、音質そのものを形のない音楽を象るために添えている感じ。もの凄く新しいというよりは、昔から聴いている音楽でもそういう風に感じるものがいっぱいあるんですけど、あのアルバムで衝撃的だったのは、そういう音像って、もうちょっとぐちゃっと一体化している感じもするんですけど、すごくはっきりと聞こえてくる。音質とか音像は過去のいろいろな音源からはさらにグレードアップしているような状態で立ち現れてくる感じがして、そこに凄く衝撃を受けたんです。

自分も音楽をやる上で、自分の声もそうですし、バンドの各セクションもそうなんですが、その楽器が持つ方法みたいなものから、ちょっとずつ自由になって、そうやって作って行けたらいいなと思っていたので、一つ、そういう方法を提示してもらったように思います。


『Notes with Attachments』はディアンジェロとの共演で知られるベーシストのピノ・パラディーノと、ボブ・ディランの最新作にも参加したギタリスト/プロデューサーのブレイク・ミルズによるコラボ・アルバム。自身の特集が組まれたミュージック・マガジン2021年10月号で、折坂は本作について「21年上半期の事件として記憶に残る」とコメント。

”重奏”との出会いがもたらしたもの

—『心理』の前段階として、折坂さんと重奏の演奏を収めたドキュメンタリー作品『めめ live recording H31.04.03-04』にも、『Notes with Attachments』との共通点を感じました。『Notes with Attachments』が出る前の録音ですが、あの時、既にいま話されたような意識を持っていたのでしょうか?

折坂:そうですね。元々、そういう感覚を持ち始めていたんだろうなというのはあります。私は録音してから、ずるして編集したりとか、揃っていないのを揃えたりとか、ちょくちょくやってはいたんですけど、重奏で初めてスタジオ録音したとき、「トーチ」だったか? 一音抜いたりズラしたりすると、絶妙に合わない、違和感が出てくることがあって、その時、聴いてる瞬発力で何かをやっているんですよね、要は。譜面で考えてなくて、本当に感覚で合わせているから、その時に起こったことがそのまま焼き付いてしまう。それって、凄いことだなと思ったんです。それも『めめ』の後なのか(笑)。でも、それも重奏とやっている時に、音楽が流れている時間の、大袈裟に言うと神聖さというか、写真のようにそういう時間を焼き付ける感覚というのが凄くあって、『めめ』の時にやりたかったドキュメンタリー性というのも、そういうことがあったのかな、と思っていて、例えば、サム・ゲンデルとか、あとはピノ・パラディーノ、ブレイク・ミルズの作り方がどうだったのか、というのは、ちょくちょく情報は追ったりしつつも、まだ全然、分からない部分があるんですけど、もしかしたら、めちゃくちゃ、エディットしてたりするかもしれないけど、その時間感覚というか、タイム感、そういうものが、自分の考えていた、重奏とやった感覚とか、と結構繋がっていたのかなと思います。



—そもそも、重奏のメンバーとはどうやって出会い、一緒にやることになったのでしょうか?

折坂:重奏は、私が弾き語りをやって遠征で初めて行ったのが、京都だったんです。その時に知り合ったのが、その時はquaeru(かえる)というバンドで出ていたんですが、ギターの山内(弘太)さんで、だいたい同じ頃に、鍵盤のyatchiさんとも知り合ったりとか、ちょくちょく(京都に)行く度に皆さんとちょっとずつ知り合いになっていって、ただ、別々の場所で会っていたんですが、2019年に自分の住んでいる場所を離れて、何か創作できないかなと考えた時に、一番知り合いが多い京都でバンドをやってみようというのがまず頭に出てきて、その時にお声掛けした人達なんですけど、京都にみんな住んでいて知り合いではあるんだけど、一緒にバンドをやったりということまではなかった人達なんですけど、集まってもらって、始めたという感じです。

—では、折坂さんが繋げたんですね。

折坂:そうですね。あとは、quaeruのヴォーカルの若松さんという方が、ベースの(宮田)あずみさんを紹介してくれたり、完全に、私が全員引き合わせたというわけではなく、そういう力を借りながらではあるんですが、きっかけとしては、私が、よそ者ではあるんですが、バンドやりましょう、と声掛けて、集まってもらいました。


Photo by Masato Yokoyama

—それ以前のバンド演奏、あるいはソロでの演奏と、重奏との演奏では、どんな違いがありますか?

折坂:一緒に初めてやったときに感じたのは、音楽以外でもそうなんですけど、その場の空気に対するアンテナ、場所に対しても人に対してもそうなんですが、察知する能力がすごく皆さん、高い。空気が読めるというよりも、如何にそこに自分の中にあるものを添えられるかを考える速度が速い。皆さん、結構出入りしているUrBANGUILD(アバンギルド)というスペースが京都にあるんですけど、舞踏や即興演奏もやっている所なので、音楽を譜面上だけではない多角的な考え方みたいなものが皆さん身に付いているんじゃないかな、と思っています。そういう中でやっていると、本当に私がそこまで多くを話さなくても、曲の中にある可能性を演奏中に引き出してくれる。初めてバンドで合わせた時のことを覚えているんですが、それがすごく嬉しくて、「自分が音楽で一番美味しいと思っていた部分がこれでした」と言った覚えがあります(笑)。本当にそれが正直な気持ちで、それぐらい、音を出した時に話が早かった。ただただ、自分の思い通りというだけではなくて、自分が予期せぬ部分を含めて、凄く良い相乗効果があったなと。

音楽以外のものにフォーカスしていく音楽

—ドキュメンタリーの『めめ』と、アルバムの『心理』には違いもあります。『めめ』で感じたことから、『心理』という録音作品を仕上げるまでのプロセスを伺えますか?

折坂:自分のフルアルバムを作るというのは、終えてみて気が付いたことでもあるんですが、感覚として違ったんだなということはあって、『めめ』のときは、(録音した)UrBANGUILDという場所の鳴り、空間全部含めて、あとで直すことが出来ない状態で録ったもので、それは本当に記録として残したいという欲求があったのかな、と。『心理』に関しても、最初はそんな思考でやっていたんですけど、やっていくうちに、スタジオで演奏しておきたいことと、自分がこうしていきたいと思う方向と二つあって、ただ、自分のやりたい方向に引っ張りすぎると、その時の記録が薄れてしまって、そこを自分がもっていきたい部分と、その場で起きた神聖なこと、手を加えない方がいいという部分の鬩ぎ合いはあったんです。ドキュメンタリーとの違いはそういう部分ですね。

あとは、結果はだいぶ違うものにはなったんですが、ピノ・パラディーノ、ブレイク・ミルズの音源を聴いたときに、この数年、自分が聴いたことがないような手応えがあって、どうしたらこういう風になるかと考えた時に、聴いていると、その場で起こっているグルーヴ感みたいなものは確かにあると思うんですけど、その中にも一緒に入ってない音、エディットされている部分というものが凄く巧みに組み合わさっていて、そこで自分が出した答えが、なるべくスタジオで演奏した時系列、タイム感は弄らずに、ただ音の抜き差しは積極的にしていくという考え方でやっていた部分があって、結果、ドキュメンタリーでもないけど、重奏のグルーヴを持ったものになったかなと思います。


Photo by Masato Yokoyama

—『めめ』にあったドキュメンタリー性を、ポピュラー・ミュージックとして成立させるという側面も『心理』にはあったと感じましたが、ポピュラー・ミュージックとしての分かりやすさと、ある種の実験性を行き来することについては、どう考えていますか?

折坂:音楽に何を求めるのかというのは、実験性のあるもの、革新性のあるものというよりは、やっぱり普遍的な歌が軸にあるというのが、自分の大きな特徴かなと思っていて。元々、自分が実験性みたいなものを軸に据えた作り方を出来ないというのは分かっているので、そこまで一般的に言われるポップさみたいなものが希薄になってしまうという心配はあまり自分でしてないかもしれないですね。割と自分が思うように、やりたいようにやっていけば、歌としての普遍性だとか、ポップさみたいなものはちゃんと担保できるかなと何となくは思っています。

あと、手応えとしては、ライブを弾き語りでずっとやってきて、会場の人の声とか、ガヤガヤしている音とか、野外でもの凄い蝉が鳴いているとか、そういう自分が意図しない音が入って来ると、自分の歌が生き生きしてきて、尚かつ、歌詞の内容でも必然性が出てくることがあって。自分の普遍的に思う感覚をより際立たせるためには、自分が意図しないものが入ってくるというのが、一つ条件というか、得られた答えみたいな部分はあるなと思っていて、普遍的なポップスと実験的なことが二つ同居するのが可能なんだじゃないか、という風に考えてきました。



—楽音以外の音に耳を向けるのは、プロデューサーとしてのブレイク・ミルズが得意とするところでもありますね。周辺にある音も際立たせる音の遠近法を、『心理』にも感じました。

折坂:ブレイク・ミルズに対する自分の共感の仕方は、彼自身も初期はフォークやルーツっぽいことをやっていて、ちゃんとそういうギターが弾ける人ですよね。なんだけど、どんどん弾いている内容より、ギターの擦れる音だったり、音楽以外の鳴ってるものにフォーカスしている感じというのが、ブレイク・ミルズだけではなくて、私の聴いている海外の音楽の潮流にはあるなと感じていて、音楽以外のものにフォーカスしていく音楽というか、その手応え、影響もあるのかな、とも思います。

歌と音響、アンサンブルへの意識

—『心理』は歌が大切にされていますが、楽器のアンサンブルや音響構築、空間性も大切にされていると感じました。しっかり歌われているのだけど、ヴォーカルだけが中心でもないというような、アンサンブルへの意識は強かったのでしょうか?

折坂:今回の作品の、それが自分らしさだなと思うところでもあるんですが、割と安易に整理しようとする癖があるというか、この音が鳴ってるから、ここではこれは鳴らしたくないとか、結構あるんですよ。なので、自分で編集して音を抜いてしまったりもするんですけど、今回の作品ではそれが活きたこともあると思うし、それがアンサンブルであったり、音楽的に良い方向に働いた部分もあると思っていて。そこも自分の意図する部分と意図しない部分の響きみたいなものを、大事にすることとの鬩ぎ合いみたいなこともあったと思うんです。アンサンブルを大事にしていきたいというのは、すごく自分のいま持ってる拘りみたいなものだと思っています。


Photo by Masato Yokoyama

—重奏との演奏を経てきたことで、自分の歌い方、曲作りで変化したことはありますか?

折坂:今回、歌ってものにより純粋に集中していると言えばそうなんですが、どう歌うかということに、そこまで意識を向けなかったかなというのがあって。それまでの録音では、例えば誰みたいに歌いたいというのを考えながらやっていた部分があったんですけど、振り返ってみると、今回のヴォーカルを録るときに、あまりそういうことを考えなかった。というか、考えながらやったテイクがあまり良くなかった。だから、無意識に純粋にこの音に対して、どういうものが働くかみたいなものを考えた方が、今回は自然にOKテイクになったような気がしていて、なので、そういう意味では、音響とか空間を含めたアンサンブルみたいなものに、より自然に沿う形で歌っていったのかなと思うんです。

今後、またやってみたいこととしては、もっと、自分の意図する外の部分を活かした楽曲や歌い方に取り組んでいきたいかなという思いはあります。例えば、「鯱」や「鯨」という曲は、殆どスタジオで一から、重奏の皆さんと作ったものなんですが、その手応えが今回凄くあったので、私がデモで作っていくというより、そういうアンサンブルみたいなものを基軸にしながら、何か作っていくということをやってみたいかなと思っています。



—サム・ゲンデルは、演奏でループペダルを使っても小節単位できっちりと使うことはなく、クリックも使わず、録音でもグリッドにはめ込むプロダクションから自由であるということを、インタビューで答えてましたが、そうした一般的なポピュラー・ミュージックのプロダクションとは違う曲作りが、『心理』にも貫かれているように感じました。

折坂:エンジニアの中村(公輔)さんに「折坂くんの音楽が評価されていることの一つには、クリックを使ってないというのがあると思う」「それが案外、新鮮というか、惹かれるんじゃないか」と言われたことがあって。確かに生音だけで構築されている音楽は、最近の同年代のリリースでは稀になってきている。もしくは、バンドというものが、本当にロックバンド・テイストのものだと生音でやっているんでしょうけど、ムードのある音楽で使われているのが、軒並みトラップだったり、それに準じたものになっているなというのはすごく思います。自分はこれしか出来ない、生音でバンドで構築していくしか、あまり方法を知らないというのもあるとは思うんですけど、それはそれで、一周回ってそれが真新しさみたいなものになっているのかな、という感覚はちょっとしています。

—中村さんは『心理』のレコーディング、ミックス、マスタリングを手掛けましたが、その作業については、どのような要望があったのでしょうか?

折坂:中村さんは、私が「これ良いんですよね」と音を聴かせても、「これだったら自分の方がいい」という顔をする人なんですが(笑)、『Notes with Attachments』だけは、「これは凄い」と言っていて。ただ、それを共有して、さっき話したようになるべく生音で捉えたタイム感を基軸にして、ちょっとエディットもしていくみたいな方向で打ち合わせはして、あとはもう録ったものを中村さんに一通りミックスしてもらって、その後、曲毎に気付いたこととかリクエストがあれば、その都度、言っていくという感じでやってました。

記名性を外して、音のあるべき場所を探す

—VIDEOTAPEMUSICさんが手掛けた『心理』収録曲のオーディオビジュアライザービデオについても伺いたいのですが、あの少しノスタルジックな映像を見て、サム・ゲンデルが『DRM』のコンセプトを「何年も先の未来の誰かが、今日のポピュラー・ミュージックを聴いて、何の手立ても理解もなく、それを再現しようとしているかのように想像した」と説明したのを思い出させました。

折坂:なるほど、すごく面白いですね、その話は。私自身はそこまで意識的にやろうとしているわけではないんですが、聴いている人とか、VIDEOさんが今回、私の音楽を聴いて解釈したものを想像していくと、もしかしたら、それに近いものがあるかなとも思います。歌い方なのかもしれないですけど、時代性が分からない、と私は言われることがあって。

—それは意識してやっているわけではないのですか?

折坂:最初はもしかしたら少し意識していたかもしれないんですが、最近はそれすらも考えてない、よく言えば身に付いてきたのかな、という感じです。この歌い方しかできないというか。アルバムに頂いたコメントでも、「日本的な」「大陸的な」と言ってくださる方がいて、すごく嬉しかったんですが、自分ってそういう感じなんだと思い出したくらいで、割と今回かなり現代的なアプローチをしたと自分では思っていたんですが、やっぱり歌がそう思わせるのだろうなと。だから、そういうガラパゴス的な、違うルートを辿ったポピュラー・ミュージックみたいに感じてくださるのはあるのかなと思うんですよね。

で、VIDEOさんの映像が凄くいいなと思うのは、断片的なんです。風景なんだけど、ループしている感じ。切れ端を眺めているような感じという。そういうのが、遠い未来から来て、今の時代、例えば化石の欠片みたいな発見をして、それがまだ動いている時代を想像している人みたいな、そんな感覚だなといま話を聞いていて思いましたね。



—その「現代的なアプローチ」とは、具体的にどのあたりに表れているのでしょうか? 例えば、ブレイク・ミルズやサム・ゲンデルの音楽も何て呼んだらいいか分からない音楽だけど、現代的なものを感じます。

折坂:具体的な例を挙げると、私が「現代的な感じにしたいです」と中村さんにリクエストしたときに、中村さんはいろんなリヴァーブを使って残響を付けていく感じで考えていたみたいで、割とそういうものが最初挙がってもきたんですが、その時に、私はリヴァーブを結構外してしまったんですね。分かりやすい、そういう今っぽさみたいなものが、自分の音楽で使われていると、何かちょっと取って付けた感じがして、それを取っていったんですが、確かにブレイク・ミルズやサムもそうなんですが、残響がないという話ではなく、自分が出した音に付属したイメージを外していくのがあるかなと思ったんです。そういう意味で、私の思う現代さはそれなのかなと思うんです。逆にイメージをどんどん付けていって、良くなる音楽というのもあると思うし、影響を受けているのもすごくあると思うんですけど、私はそういうものをなるべく外していって、その音のあるべき場所を探す。それが私の現代的ということなのかもしれないです。

—他のインタビューでは自分がいま生きている社会についても語られていますが、今回の音楽はいまの社会とどう接続されていると思いますか?

折坂:接続はすごくされていると思っています。いまは、個々の声が活きる社会かなと考えていて。時には連帯して一つのことを言うのも大事だと思うんですけど、ただ、その根本にあるのが自分というものの肯定の上に成り立っているというのが肝だなと。なので、私も音楽家である前に人間として、ある程度、大きなスローガンみたいなもの、まあ選挙に行きましょうとかそのくらいですけど、そういうことは掲げつつも、その内側にあることというのは、少しそこから切り離して考えるべきことで。それは音楽に政治を持ち込むなということではなくですね、自分の作家性を作品の中で深く掘り下げていく中では、イメージやスローガンを拠り所にしない方がいいということです。

—そのイメージというのは、サム・ゲンデルのサックスが記名性から自由になっているという冒頭の話にも繋がりますね。

折坂:逆に記名性を外していくということが、何か反発なんでしょうね。どんな主張をしていても、そこに記名性というか、カテゴライズというか、細かくされていく。ネットスラングとか見ているとそうですが、そういうモノを表す言葉がどんどん細かく付き始めている。音楽のジャンルにおいても、それは元々は売る側の人が扱いやすくするために付けていったものだと思うんですけど、逆にいまは作家がそれを目指し始めているのがちょっとあるのかなと思って。そういう流れは、あんまり良くないんじゃないかなと思っています。

—それは、折坂さんが『心理』に寄せた「簡単な物語に消化される事を拒んでいます」というコメントにも表れていますね。

折坂:そうですね。でも、その反面、アルバムをリリースして、みんなどう思っているかな、とエゴサしているときに、やっぱりどこか言葉で当てはめて欲しがっている自分もいて(笑)。そこは自分の中にも矛盾があるし、自分も現代のそういう病というものにどっぷり浸かっているんだなと思うんです。それも自覚した上での反抗というのもあります。


Photo by Masato Yokoyama

—観客が目の前にいない状況で演奏するのが続いたことで、自分の中で変化を感じたことはありますか?

折坂:お客さんがいないとどうしたらいいのか分からないとか、そういう話を結構聞くのですけど、私も最初の時はそんな風に思ったのかもしれないですが、今となっては、それまでの自分とそんなに変わらないんじゃないか、という気持ちがあって。弾き語りを一人でやっていたときから思っていたのは、お客さんに対してだけ意識を向けて何かをやっていると、大抵上手く行かなくて。自分とお客さんの間に、いい意味で壁を作って、ステージ上で何か独り言を言っている状態というか、自分の中でグルーヴしている状態というのを見てもらう、というのが自分のライブの形だと思っているので、配信だろうと、無観客であろうと、それが持つメッセージみたいなものはそう変わらないんじゃないかなと思いますね。

—『心理』の次に考えていることを少し伺わせてください。

折坂:何となくいま思い描いているのは、もうちょっと自分の歌の根底にある影響、フォークだったりルーツ・ミュージックみたいなものの方法論をもっと突き詰めてやっていっていいのかなと思っています。だけど、音響的なことやアンサンブルのような、今回アルバムで培ったものは存分に使いながら、郷愁のあるものをやってみたら、どうなるかな、とはちょっと思ってますね。ドキュメンタリーであり、音響的でもある録音をやりたいなと思っていて、それをやるには、どこでどうやって録るのがいいのかな、といま考えているところです。


【画像を見る】折坂悠太 撮り下ろし(記事未掲載カットあり:全21点)



折坂悠太
『心理』
発売中
購入リンク:https://orisaka-yuta.lnk.to/shinriCD


折坂悠太 「心理ツアー」
2021年10月29日(金)大阪・サンケイホールブリーゼ
2021年10月30日(土)広島JMSアステールプラザ 中ホール
2021年11月2日(火・祝前)愛知・芸術創造センター
2021年11月6日(土)宮城・日立システムズホール シアターホール
2021年11月20日(土)福岡国際会議場 メインホール
2021年11月22日(月・祝前)北海道・共済ホール
2021年11月26日(金)ロームシアター京都 サウスホール
2021年12月2日(木)、3日(金)東京・LINE CUBE SHIBUYA

折坂悠太 Official HP:https://orisakayuta.jp/

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