ディアンジェロと当事者が明かす、『Voodoo』完成までの物語
Rolling Stone Japan / 2021年11月11日 18時0分
新時代のソウルを提示し、その後の音楽シーンに決定的影響を与えたディアンジェロの金字塔『Voodoo』はどのように生まれたのか。エレクトリック・レディ・スタジオでの制作過程にも密着し、飽くなき探究心やグルーヴへの執念について語った、2000年の秘蔵インタビューをお届けしよう。この記事はショウの開演直前、バンドメンバーが手を繋いで祈りを捧げる場面から始まる。そのとき、たまたまDの隣にいた筆者のトゥーレは、「読者やファンにも伝わるよう、彼と手をつないだ時の感覚を詳細に記述することを心がけた」と2021年に振り返っている。
「戦争」の前の儀式
ディアンジェロがあなたの手を握っている。節くれだった彼の太い指が、あなたの指とかたく組み合わさっている。あなたにはわかる、ショウの前に毎回彼の膚にすりこまれるベイビーオイルが。万力のように締め付けられている彼のプレッシャーが。あなたの膚に食い込む彼の指輪が。痛いよね。でも、それは心地よい痛みだ。
「天にまします我らが神よ」静まり返った部屋で誰が言い出す。「私たちに、観客のこころに触れられる力を授けたまえ」総勢36名からなるディアンジェロのツアーバンドとクルーが彼の楽屋に詰め込まれ、手をつなぎ、頭を垂れ、大きな祈りの環を作っている。「私たちの力が及ばぬ時も、神よ、どうか、かなえてくれますように」楽屋からは大きな同意の声が返ってくる。
祈りを終えると、その一団は崩れ、激しい身振りで各自ハグしあい、喜びをたたえ一斉に声を上げる「ソウルトロニック・フォース! 我が贖い主、神よ!」。まるで彼らは準備に入ったかのようだ。エネルギー全開のランで押し切るフットボールのスマッシュマウスの、あるいは、音楽を通じたミッションの。
スクラムがバラバラになると、ディアンジェロは向きをかえ力強くハイタッチをする。手が折れそうなくらいに。D、みんなからそう呼ばれている彼は、拳でタッチする。相手に怪我をさせそうな勢いだ。爆竹を破裂させるほど手にかたく力を込めた平手から滑らかな流れのまま腕を組み(グリップ)、指をスナップし、両手の拳をぶつけ、もう一回腕を組む。あるいは、もっと組み合わせが多くなる。彼に好かれるほど、無敵の友軍には、そのがっしりした肩や腕により強い力が込められる。その場で、互いにふれあいながら、直接的に「きみはファミリーの一員」だと伝えるひとつの方法だ。「そこには仲間意識がある、ファミリーの、闘士たちの」。拳をぶつけあうことについて彼は後にこう語る。「俺はそこにミュージシャン軍団や自由な精神と音楽を見ている。戦争とかなり似ている」
Dは向きを変えると、楽屋内の闘士ひとりひとりに拳をぶつけてゆく。すばやく、短く、平手、グリップ、スナップの順に済ませる相手もいるが、多くの相手には、長く、14~5段階もある振り付けされたような手順で進める。舞台裏に、あるいはホテルに、またはどこにいても、彼が来たことは耳でわかる。彼が自分の好きな相手全員に拳をぶつけながら、廊下からやってくる時に、爆竹みたいな平手や、やたらとデカいフィンガースナップの音がするからだ。
バンドのメンバーはその場をあとにして、ステージ上のそれぞれの持ち場を探す。楽屋は閑散とする、そこに残されたのはDただひとり。シャフトが着るような黒い革のコートは膝のかなり下まで延び、コーンロウはしっかりときれいに編み込まれ、毛束の先まで申し分ない。肌の茶色はまるでチョコレート味のハーゲンダッツのよう。彼は恐らく身長167センチほどだが、がっちりした肩と腰骨はベイビーオイルで輝いていて、ほぼ完璧だ。ウェイトリフターに顕著な盛り上がった血管が、彼の上腕にも認められる。彼の唇は大きな枕だ。上唇のほうが少しだけ大きく、唇のあいだには太い線が走っている。その唇は潤いを帯びている。睫毛は長く、眼は深く窪み、緊張感を湛え、射貫くような眼差しを注いでいる。
3名のボディガードに囲まれながら、楽屋から階段へと滑らかに進む彼は、慌てず、その動きには豹に備わる筋肉の優美さと力強さを湛え、足取りはマッチョなピンプ気取り、肩をいからせ、闘いに向かうプロボクサーのチャンピオン特有の男らしさと虚勢が滲み出ている。彼は、ステージを覆い隠す緞帳の前に着くと、闘士のように立ち尽くす。脚を広げ、頭を垂れ、激しい息遣いから、神経の微かな揺らぎが漏れる。身じろぎもせず、たっぷり4分が経過すると、照明が仄かに灯る。すると、サンセット大通りに面したLAのハウス・オブ・ブルースの立ち見オンリーの観客たちから悲鳴が上がりだす、その大半は女性だ。そこにドラム、ベース、キーボードが「Playa, Playa」のグルーヴで切り込んでくる。午後10時7分、緞帳が開く。ディアンジェロは颯爽と登場すると、生まれながらに定められた位置に着く。センターステージに。
「知識」は戦争のインスピレーション
その2日後の午後、ニューオリンズ、超ヒップなWホテル、ルームナンバー1725。これはクエストラヴの部屋だ。フィラデルフィアのヒップホップ・バンド、ザ・ルーツのドラマーにして、制作に5年を要したディアンジェロの2作目のアルバム『Voodoo』の副操縦士である。大柄でくっつきたくなるような、カリスマ性のある、もっこりしたアフロのクエストラヴは原寸大の『サウス・パーク』のシェフだ。彼はベッドのへりに腰掛け、前屈みになっている。彼の盟友Dは、その反対側のへりにいて、Tonight Showの黒のTシャツ、黒いスウェットにナイキの黒のエアフライトポジット、頭には黒いドゥーラグといういでたち。二人が見ているのは、モノクロ映像のヴィデオテープで、ジェームス・ブラウンの1964年のパフォーマンスだ。これは二人が「お宝」と呼んでいるもので、ヨーダ的な人物の知識を与えてくれる。その大半はショウのヴィデオテープだが、アルバムや本も含まれている。ヨーダ的な人物とは二人が崇める匠のこと。例えば、ジェームス、プリンス、スティーヴィー・ワンダー、ジョージ・クリントン、マーヴィン・ゲイ、フェラ・クティ、アル・グリーン、ジョニ・ミッチェル、スライ、ジミ。ある日、クエストラヴがDに訊ねた。「もしもジョージ・クリントンのテープを見ていなかったら、どんな人生になっていたと思う?」。Dは答える。「まるっきり違ってたよ」
ヨーダ的な人物にまつわる知識を追究するなかで、二人は何百ものお宝を手に入れた。「俺たちにはブートレグコンサート映像のコネがあった、ヤク中にドラッグディーラーのコネがあるように」とクエストラヴ。「『Voodoo』の制作期間は、少なくとも13人はいて、俺たちにブツを供給してくれた」。「連中は究極のコレクターだ」と言うのは、Dのマネージャー、ドミニク・トゥルニエだ。「彼らに会うといつでも最低30本はテープを持ってた。『ヒマしてるんだけど、俺がまだ見てない昔の『ソウル・トレイン』ってなにかある?」なんて俺が言おうものなら、連中はこう言うのさ。「ああ、マイケル・ジャクソンが転けるのでも見るかい?」。二人はお宝を研究する、マイク・タイソンが伝説のファイターのテープで研究したように。天賦の才にひきつけられ、知識に飢えている。
知識は、Dが考えるモダンミュージックという戦争のインスピレーションであり、弾薬である。その戦争に、音楽の未来は隠されているのだ。『Voodoo』は野心的なレコードで、それこそ、ブラックミュージックを商業的な思惑から引き剥がし、自由にミューズを求めさせてあげようと努めている。これは緩くて、長くて、耳に引っ掛かるグルーヴと、フィンガースナップ、ファルセットによるセレナーデ、ぶっきらぼうなつぶやきと、水の底を這うようなベースでできたアルバムだ。ヒップホップ時代のソウルミュージックである。つまり、スワッグを誇示(独自のスタイルを前面に押し出)しつつも優しさを湛えている。シングル「Untitled (How Does It Feel)」のMVで、Dは裸で現れ、カメラは上から下へと彼を舐めるように動く。このヴィデオは一般家庭と同様、黒人男性に関する博物館の展示でも、成人指定作品の棚に置かれるだろう。そして、この曲自体について驚くほど視覚的に例示している。例えば、それは生々しさ、親密さ、裸、濃厚なブラックだ。例えば、スライ・ストーンの『Theres a Riot Goin On』、あるいはマーヴィン・ゲイの『Here, My Dear』のように、『Voodoo』は意図的に難解な音楽だ。メロディに悩まされることはそうなく、そういうことがある場合は、昔のプリンスのレコードから直接やってきたようなものになっている。また彼自身が認めているように、悪戦苦闘するマルチ奏者にとって複雑でやりがいのある仕事にもなっている。自分の声というものを見出だすべくプリンス、ジミ・ヘンドリックス、Pファンクなどを集中的に研究していて、この日の午後はジェームスとプリンスだった。
「ソウル大学」で見つけたもの
私たちが見ていたジェームス・ブラウンのお宝は「The T.A.M.I. Show」に出たときのもので、このコンサートフィルムにはマーヴィン、ビーチ・ボーイズ、ローリング・ストーンズも出演している。ジェームスは大トリを飾る予定だった。ところが、クエストラヴの説明によると、「ストーンズのマネージメントが、彼らをジェームスの後に出したがった。そこで、彼はカネを出させて話をのむことにした。結局、彼らにはジェームスの後に出ることは無理だった。彼は禅の境地にいるんだから」
クエストラヴとDは無言のまま、ジェームスの激しく、動きのすばやいダンスを見守っている。彼の足首は折れそうだし、脚の動きはぼやけて見える。彼の歌は、魂の奥底から漂い出たものだ。「夜行列車に乗る準備はできたか?」。ジェームスはマイクに向かって踊り、ピタっと動きを止める。すると、どういうわけか一秒たがわず、バンドの演奏がとまる。クエストラヴはそこを何度も巻き戻して見て、バンドの一体感に舌を巻く。
「照明もぴったりだ!」とクエストラヴ。「まぐれだろうけど」
「いや、そんなことはない」ニューポートをくわえたままDが言う。「彼らはジェームスを見てるよ。彼の動きを全部把握してる」。Dの話す声は深みがあり、物憂げな響きは喉の奥からとろけ出ていて、低く、つぶやきにも似たヴァージニア訛りがある。
『Voodoo』の制作期間中、二人は日替わりで1、2本のお宝をじっくりと見た。「俺が毎週お宝を持ってこなかったら」とクエストラヴ。「おまえは98年には『Voodoo』を出せていただろうな」。プラチナディスクに輝いたディアンジェロの1995年のデビュー作『Brown Sugar』(作曲とレコーディングは全て、ヴァージニア州リッチモンドの実家でディアンジェロが手がけた)に続く作品としてスタートしたものは、ソウル・ユニヴァーシティでの5年間の研究に取って代わった。大学は授業、おふざけ、ゴシップからなり、鍛錬とサボりの量は均等だった。「学生たちが退学を嫌がる理由がわかるだろう」とクエストラヴは言う。「スタジオに出かけ、まったく新たな世界に歩み出せるとなれば、気持ちも楽だよ。エンジニアが来て、今週フォクシーがどうしたとか、洗面所の落書きをどんなふうに描いたとか話してくれた。あるいは、俺とラゼール(ザ・ルーツの元メンバー)でチコ・デバージのふりをして、Dに電話したとかくだらない話もある。まるで学校だった。そのせいで4年かかったけどね。生憎、身持ちの悪い女性もいなかった。乱交もなし、ドラッグの狂気もなし、法に触れるトラブルもなし。彼が誰かともみ合いになったけど、支障にはならなかった」
「あれはまさに学校だったよ」とDは言う。「俺は大学には行ってない。だから、それと同じ価値があるものだった。自分たちは音楽が好きなのだという気持ちに戻してくれるものだった。『Brown Sugar』を出したあと、俺はそういう熱意がすっかり失せていた。3時にセブンイレブンでタバコ1パックを買って、自分があっぷあっぷなのに気づかされたり、サインを書いたりせずに済ませることはできただろうな。業界の状況を目にして、俺はうんざりしていた。繰り返し何度も言わなければならなかった。そもそも自分はなぜそういうことをしていたのか。そして、その理由は、音楽への愛である、と。強いていえば、たとえ、このアルバムをやらなかったとしても、俺はずっと音楽とつきあってゆくだろう。つまり、おれは呪われているのさ、死の当日まで呪われ続ける。それなら、音楽こそが俺がやるべきことなのだと」
グルーヴの秘密、プリンスへの憧憬
ローアーマンハッタンの8thストリートにジミ・ヘンドリックスが建てたスタジオ、エレクトリック・レディでは毎日が午後4時頃に始まった。この時間にディアンジェロ、クエストラヴ、そして何年もかけてアルバムの進捗に関わってきた人々が集まっていた。重要な影響源となったのは、スラム・ヴィレッジのジェイ・ディー(J・ディラ)だった。「彼は俺たちにとってヒップホップの頂点に位置する存在だ」とクエストラヴは言う。ジェイ・ディーのおかげで、このアルバム特有の耳に引っ掛かるサウンド、つっかかったような出だしやクオンタイズドなしのサウンドがもたらされた(Dの用語では、「クオンタイズド」とはリズムが完璧になっていること。一方、「スラム(Slum)する」とは、クエストラヴの説明では「感覚を完全に引きずりながら、完全にクオンタイズドにするアートのこと。つまり、音楽上は、酩酊とシラフが同時なわけだ。そいつを『ジェイ(Jay)する』とも言う」)。
夕方4時から夜の7時まで、クルーはその日のお宝を見たり、食事をしたりした。そのあと、彼らはレコーダーのスイッチを入れ、ヨーダ的な人物のアルバム一枚あるいは全カタログをかけ始める。1996年に、影響の大きな部分を占めたのはプリンスだった。97年はジミと牧師のアル・グリーン、98年はマーヴィン・ゲイとジョージ・クリントン、99年はジェームスとナイジェリアのスター、フェラ・クティだった。彼らはジャムセッションをおこない、インスパイアされたグルーヴのなりゆきを見守った。ある晩、彼らはプリンスの『Parade』をかけた。やがて、それが新たなグルーヴを注ぎ込まれて「Africa」となった。
午前1時、彼らは休憩に入り、6番街に面した、極端なまでに時流に乗らず、怪しげなウェイヴァリーダイナーで食事をとる。「人生の驚異のひとつが」とクエストラヴ。「卵をしこたま、それに七面鳥のベーコンを5キロも食べられたようなやつが、『Untitled』(のMV)にあわせて体型を調整できたってことだな。そんな並外れた能力を持つ者でも、96年にはどう見ても太りすぎていた。そこで、鬼軍曹(身体トレーナーのマーク・ジェンキンス)があてがわれた。こいつがハンパじゃなかった。俺にはDがセントラルパークを走ってる姿なんて想像できないけど、あいつは走ってたんだ。雨が降ればパーカーを着込んでね。腕立て伏せ、ウェイトルーム、スパーリングで毎日3時間。彼はハンパなことをさせなかった(ジェンキンスはメアリー・J・ブライジやジョニー・コクランのトレーニングを担当。Dのツアーにも同行し、週に3、4時間のワークアウトで彼を補助した)」。
一団がウェイヴァリーから戻ってくるのは午前2時頃で、その日のお宝をもう一度観てから新曲に取りかかり、だいたい4時半から5時半までつづける。それから、Dが何人かレンジローバー4.6で家まで送る。このペースで、彼らは120時間分のオリジナル曲を作り上げたが、大衆の耳にはまだ届いていない。
「このレコードへの最大の影響源は」とクエストクラヴが言う。「スタジオに一度も来ることがなかった人物。プリンスだ。完成してから大分あとに、Dと俺で腰を落ち着けて、『Voodoo』を聴くことがあった。これはプリンスのオーディションに出すテープだったということで二人とも納得した。このアルバムは、俺たちに彼とコラボできる力があるのを証明するために作られたのだと思う。俺たちには彼に必要なものがわかっていたなんて言うのは出すぎたまねだとしても、とにかく俺たちは彼と曲を作りたかった」
「俺は彼の次の曲を共同プロデュースしたいと本気で思っている」とDは言う。「俺とアミール(クエストラヴ)は、自分たちの名義なんてなくていい。偽名で十分だ。オーディションと言ったのはそういうこと。俺たちは彼の次の曲を作りたくてたまらないんだ」
Dを支えた音楽集団
舞台はLAに戻る。ショウが始まって2時間が過ぎ、会場は大盛り上がりだ。われわれはスムースなソウルから、ずっしりとしたファンクへ、さらにペンテコステ教会へと誘われてきた。その間、音楽は息を飲むばかりの攻めの一手で、グルーヴは変化し続け、一瞬も止まることはない。5年前、『Brown Sugar』ツアー中のDは、内気な21歳のヴァージニア出身のカントリーボーイで、ステージではキーボードの影に隠れていた。それが今や、自信に満ち、世知に長けた、二児(3歳の息子マイケル・ディアンジェロ・アーチャー2世と、5カ月の娘イマーニ・マイケル・ミシェル)の父にして、ソウルミュージックの歴史学者なのだ。今、彼がステージ上で生き生きしているのは当然だ。踊り、観客に触れ、たたきつけるようにマイクを置いたり、ステージのへりで床に寝転がりながら「One Mo Gin」を歌うと、女の子たちが彼の脚やお腹や股間をつかむ。彼は音楽界のヴィンス・カーターであり、ランディ・モスなのだ。若きアイコンで、才能に満ち溢れ、目を見張るほど華々しく、殿堂入りに向かってキャリアを進めている。
最初のアンコールでステージに戻ってきた彼は、身体にぴったり張り付いた黒のタンクトップ姿で、声を張り上げる。「俺の味方は世界最強のバンド、ザ・ソウルトロニクス!」。それは彼の言う通りだ。13人編成のソウルトロニクスは、ジャズ、ソウル、チャーチといった世界から、彼が寄せ集めた人たちで作り上げたバンドで、通常のバックバンドの何光年先をいっている。キーボードはジェイムス・ポイザー。彼は『The Miseducation of Lauryn Hill』の副操縦士を務めた。ベーシストのピノ・パラディーノは、B.B.キングのサイドを務めたあとにここに来て(彼はステイプル・シンガーズ、フィル・コリンズ、エルトン・ジョン、エリック・クラプトンとも共演している)、クエストラヴが言うには「モータウンの伝説的なベースの神様、ジェームス・ジェマーソンと張り合うことのできる現役3人のうちのひとり」だ。トランペッターのロイ・ハーグローヴとラッセル・ガンはジャズ界の若手スターで、ウィントン・マルサリスともプレイしている。トロンボーンのクウンバ・フランク・レイシーは、アート・ブレイキーとも演奏し、物理学の学位を持っている。バックシンガーも見事な経歴の持ち主たちだ。アンソニー・ハミルトンはSoulife Recordingsとレコード契約を結んでいるし、シェルビー・ジョンソンはミュージカル『RENT』の参加へ4度目の声がかけられた時、Dとのツアーのほうを選んだのだった。
ディアンジェロ&ザ・ソウルトロニクス、スラム・ヴィレッジ(ジェイ・ディー)「Fall In Love」を演奏している2000年のライブ音源
「私のヴォーカリスト仲間の多くが、このギグにはしり込みした」とシェルビーは言う。「なぜなら、彼の曲を歌うにはかなり骨が折れるから。でも、彼は1レベル上に引き上げてくれるし、積極的に仕事にのぞめば、より一層優れたミュージシャンにしてくれる。Dの理解に務めたことで、自分の良さも増した」
ザ・ソウルトロニクスは全員黒づくめで毎回のショウを始める。ただし、その要件ひとつを満たしているだけで、それぞれがはっきりと異なって見える。ある者は法服をまとい、またある者は、FBIと文字が並ぶニットのスキーキャップに長いケープだ。羽毛のボアが一人、いかめしい皮のコートが二、三人に、 強大なアフロのクエストラヴがいる。ソウルトロニクスの外見には、Pファンクっぽいフリーキーなセンスがある。
「初めの頃は訊ねてばかりいた。『私たちは何を着たらいい?』って」とシェルビーは言う。「すると、Dはこう言い続けた。『ありのままで』 。私たちを、私たちのままで、特別な存在にしてしまうことを十分に請け負うアーティストは珍しい。私がステージに上がって、自分で感じたいように感じて、自分の服と自分の靴を身につけていれば、あとは彼が私の最良の部分を引き出してくれる」
神童としての生い立ち
ある日のこと、ヴァージニア州リッチモンドで、10歳のルーサー・アーチャー(ディアンジェロの7歳上の兄)が家に着くと、弟がピアノを弾いているのに気づいた。「マイクは3歳、それは叩いているのではなかった」。ルーサーは畏怖の念をもって言う。「きちんと曲になっていて、メロディも左手で弾く部分もあった。それからほどなくして、彼は父の教会で演奏し始めた。彼はペダルに足を伸ばして、淀みなく演奏しなければならなかったけど、かなりうまくやり遂げた」
「自分がやっていた覚えがあるのは、本当にそれだけ」とマイケル・ディアンジェロ・アーチャーは言う。「俺は3歳で気づいた。俺の兄たちも気づいた。俺は準備してもらえた。それこそが自分があるべき姿、するべきことだと、ずっと気づいていた」
幼くして彼の将来が約束されていたことを伝える家族の話を挙げておこう。幼稚園のタレント・ショウでなんら無理なく優勝していたため、それ以後、学校でのタレント・ショウへの参加が彼には許されなかった。7歳のマイクが9学年のルーサーにプリンスの「Do Me, Baby」の弾き方を教えたこともあれば、ルーサーとその下の兄ロドニーがこの末っ子をモールに連れていったとき、オルガンを販売していた店の前で立ち止まると、彼をキーボードに向かって座らせたこともある。このときは数分もしないうちに、その場の人の流れを彼が止めてしまった。
「母が使っていた小部屋があてがわれた彼は、そこに楽器を全部持ち込んだ。そして、毎日そこに3時間いた」というルーサーは、『Voodoo』で「Africa」「The Root」「Send It On」を共作している。「16、7年間、彼が音楽に関わらない日は一日もなかった」
「演れるところならどこでも演った」とDは幼年時代について話す。彼の父はバプティスト教会の牧師だ。彼が演奏を始めたのは父の教会だった。そのあとは母親と暮らすようになり、ヴァージニアの片田舎、ポーハタンの教会で演奏した。「そこは、本当に足を踏み鳴らすようなペンテコステ派のホーリネス教会だった」と彼は言う。「叫んだり、異言を話したり、まさに燃え盛る火だ。そこで俺は育った。そこで俺は弾いていたんだ」
Photo by John Shearer/WireImage
Dは二人のいとこと「スリー・オブ・ア・カインド」というグループを始め、地元のタレント・ショウを総なめにした。次々にタレント・ショウで演奏し、優勝するか、上位に入賞した。ルーサーとロドニーは、地元の高校ではフットボールのヒーローとして毎週TVや新聞に出ていた。マイクはたしなむ程度だったが、家族からは誰ひとり彼の試合に来る者はいなかった。「俺に大切なのは音楽だとわかってたのさ」
ルーサーはプリンス好きの弟に助け舟を出した。二人の父親は牧師で、叔父と祖父もそうだった。となると、二人が『Lovesexy』を持ったまま家に入るのは無理だ。しかし、男子二人はそれを密かに持ち込む方法を見つけた。「俺がプリンスを好きなのは、間違いなく兄の影響だ」とDは言う。「俺たちは最新アルバムをいつも発売初日に手に入れた。それを細かく分析して、研究した。聴いたあと、俺たちはそのアルバムについて意見を言いあったりもした。ずっとそうしてたんだ」
「俺たちはよく、俺のクルマに乗ってた」とルーサー。「街を流しながら、何もせずひたすらプリンスのテープを聴いていた。クルマは赤のフォード・プローブで、満足できるオーディオシステムが搭載されてた。俺たちは家から外に出かけて、爆音で音楽を聴いていたのさ」
アーティストとエンターテイナーの格闘
マイクことディアンジェロは16歳でアポロ劇場のアマチュア・ナイト出演を果たした。歌ったのはピーボ・ブライソンの「Feel the Fire」。ただ、観客には曲が始まる前から彼がアガっているのがわかった。「出番が来る前からブーイングを浴びたよ」。彼は第4位につけた。
その翌年、彼はアポロに戻った。「ジョニー・ギルの『Rub You the Right Way』を演った。俺は踊ったり、スプリッツ(尻が床に着くまで両脚を広げること)したりしてみせた。俺は超エネルギッシュだった。萎縮なんてしてなかった」
「優勝と言われて、俺はすべてから解放された」と彼は続ける。「永遠にタレント・ショウに出続けてきて、あれこそが、いわばザ・タレント・ショウだったから。俺が解放され、うちの家族が解放され、兄が通路を駆け抜けてゆき、いとこたちは跳んだり跳ねたりした。俺たちはバスに戻ると、そのままリッチモンドに戻った。みんな寝た。一方、俺はずっと起きていた。タバコを吸っていた。そのときから吸い始めたんだ。タバコはくすねていた。俺は窓を少しだけ開けておいた。そこで、窓から戸外をながめながら、あらゆることについて考えた。俺は手にいれた500ドルの賞金で4トラック(レコーダー)を買い、曲を書き始めた。アルバムを作りたかった」。そうして彼が音楽専用の小部屋にこもって、作曲し、レコーディングした曲の大半で構成されたのが『Brown Sugar』だ。2年後に彼はレコード契約を交わした。
真夜中の0時5分過ぎ、LAでは聴衆が声をあわせて叫び出した。「脱ーげ! 脱—げ!」。その声に抗うD。だが、15分後には、身体に張りついた黒いタンクトップを脱ぎ捨て、ステージに現れた彼は、ずり落ちそうな黒い革のパンツとブーツ以外何も身に着けていなかった。ズボンも、ボクサーパンツも、ブリーフも、ベルトも身に着けていない。彼は美味しそうな卑猥なものみたいな唇を通して「Untitled」を歌っている。それは彼のお尻の割れ目、むき出しのヒップ、ウエスト、陰毛の繁み以上のものを与えてくれる。そして、深みのあるグルーヴは、彼の胴体を大腿部から切り離す。「ディアンジェロ・ナックルズ」として知られるようになっていたグルーヴだ。ソプラノの悲鳴が固い壁になって立ち上がる。これはショウでもっとも刺激的な瞬間だ。だが、Dは納得していない。
「気分はいいよ、実際に演ってるときはね」Dは後ほどこう話す。「でも、それがすべてだってことにはなってほしくはない。音楽や演奏から気を逸らさせたくはない」。彼の話では一、二度、女性たちからドル紙幣が投げつけられ、抱きつかれたことがあったという。自分は中学の頃はぽっちゃりした子供で、9学年で16キロ痩せたものの、『Brown Sugar』ツアー中にまたぽっちゃりしてしまった、と彼は言う。彼はこの4年間厳しいワークアウトで肉体を改造し、ヴィデオを撮った。それが引き金となって、聴衆は裸を求めた。だが、彼の中のアーティストは、身体を見せることを喜んではいない。ミュージシャンであり、エンターテイナーである意味について彼は苦悩している。
「彼があれをやるのは女性たちが求めているからだ」とクエストラヴは言う。「まあ、実際にはやりたがってないけどね。俺たちが力を入れるのはバランスのとれたショウを見てもらうための準備だ。彼はステージに出て行って、女性が毎日扱われているのと同じように女性に扱われる。いいカラダしてる、みたいな」。Dも同意見だ。「時々、気分が悪くなる。ステージに立って、自分の曲を演ろうとしているのに、みんなが『脱ーげ!、脱—げ!』ってなるんだから。俺はストリッパーじゃない。俺があの場所でやってるのは、自分が強く信じていることだから」
もうじき0時30分。バンドはずっとタイトなグルーヴを繰り出している。ステージ中央では、アーティストとエンターテイナーの格闘が(Dにとって、それはまるで善と悪だが)頂点に達する。もうほとんど彼の姿を見ていられない。ほとんど裸だ。ただどういうわけか、その格闘のことが頭から離れない。バンドはそのままグルーヴを繰り出している。そして、Dは踊り続けている。銀色のボタンをひとつ外すだけで丸裸だ。これはプリンスが『Dirty Mind』でビキニパンツ姿をさらけだしたとき以来、もっとも淫靡な思わせぶりだ。
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