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岡村靖幸『yellow』、当時のプロモーターと未だ得体の知れない才能について語る

Rolling Stone Japan / 2021年11月13日 7時30分

岡村靖幸

日本の音楽の礎となったアーティストに毎月1組ずつスポットを当て、本人や当時の関係者から深く掘り下げた話を引き出していく。2021年11月の特集は「J-POP LEGEND FORUM 再評価シリーズ第1弾 岡村靖幸」。2021年11月16日に初めてのアナログ盤『家庭教師』が発売になる岡村靖幸のEPIC時代を辿る。11月第2週のパート2は、当時のプロモーター、現在はソニー・ミュージックダイレクト制作部部長・福田良昭と、元EPICソニー、現在は音楽制作事務所株式会社ニューカムの代表取締役・西岡明芳をゲストに1stアルバム『yellow』を再評価する。

田家秀樹:こんばんは。FM COCOLO「J-POP LEGEND FORUM」案内人・田家秀樹です。今流れているのは岡村靖幸さん「どぉなっちゃってんだよ」。1990年11月16日発売、4枚目のアルバム『家庭教師』の1曲目。アルバムの先行シングルとして1990年7月21日に発売されたのですが、当時は8cmCDでありました。今年の7月21日に31年振りに17cmのアナログ盤として発売されました今月の前テーマはこの曲です。

関連記事:岡村靖幸の名盤『家庭教師』、当時のプロモーターが背景を語る



先週はアルバム『家庭教師』にスポットを当ててお送りしましたが、今週は1987年3月に発売になった1stアルバム『yellow』のご紹介。ゲストに当時の担当者、元EPICソニー、現在は西野カナさんらが所属していた音楽制作事務所株式会社ニューカムの代表取締役・西岡明芳さん。そして、もう一方西岡さんに代わってプロモーターをおやりになった、先週も登場していただいた福田良昭さん。2003年に『yellow』をリマスタリングした時の担当でもありました。そして、現在の担当でもあります。こんばんは。

福田良昭:こんばんは!

田家:説明が長くなってすみません(笑)。この西岡さんと福田さんというEPICの当時の宣伝チームの主要なお2人がこうやって顔を揃えられる。

西岡明芳:まさか岡村のことでこうなるとは思わなかったよね(笑)。

福田:そうですね(笑)。

田家:西岡さんの方が先輩なんでしょ?

西岡:そうですね。僕はちょうど1983年ぐらいにEPICに。もともと僕はCBSソニーに入社してまして、人事異動でEPICになって。

田家:『yellow』は西岡さんがプロモーターとして、デビューの時に関わるようになった。どういう経緯で担当になったんですか?

西岡:僕は佐野元春くんの『VISITORS』というアルバム、それから渡辺美里ちゃんの『Lovin you』っていうアルバムを担当させていただいて、その頃からやはりハートランドと言いますか、春名源基さんのところと仕事をさせていただいたとことがありまして。忘れもしない1985年かな。美里ちゃんのカナ県(神奈川県民ホール)で紹介されまして。

田家:あ、コンサート会場で。

西岡:はい。もちろん、その前に美里ちゃんの楽曲を「GROWIN UP」とか、「Long Night」とかも書いてたし、その頃から本当に才能あるアーティストだなと思っていたので、彼がデビューするということでカナ県で紹介されたというのを未だに覚えています。その時の印象なんですけどね。今でも覚えているんだけど、あのホールの絨毯の上に座ってあぐらをかいている感じ。

田家:あぐらをかいてたんですか(笑)。

西岡:あぐらかいてた。なんであぐらかいてたかは分からないけども。

田家:そんな話を織り交ぜながら、アルバム『yellow』の話をしていこうと思います。西岡さんに今日は6曲選んでいただいたのですが、まずはアルバム1曲目「Out of Blue」です。





田家:1987年3月発売、岡村靖幸さんの1stアルバム『yellow』の1曲目「Out of Blue」。1986年12月1日にシングルとしても発売されました、デビュー曲。やっぱりこの曲を選ばれる?

西岡:この曲を聴いて新しさもあったし、やっぱりすごさというか。ちょうどその当時の話になりますけど、EPICって毎年何人か新人をデビューさせているんです。1986年の12月に岡村くんはデビューしたわけだけども、1987年に松岡英明、安藤秀樹、それから岡村靖幸。この3人をEPICは押していくんだということで、その先陣を切ったのが岡村くんという感じがあったので、この曲に対して思い入れが強いですね。

田家:この曲がデビューシングルに選ばれた経緯って覚えてらっしゃいます?

西岡:単純に言えばフックと言いますか、岡村くんの魅力が1番出ているからだったと思いますね。他の曲は別にということでは全然ないんですけども、もちろんその後に出てくるポップな曲もいっぱいあって。岡村靖幸の名刺代わりという意味ではこの曲が1番ふさわしかったのではないかと思いますね。

田家:今日は当時のいろいろな宣伝用のグッズと言うんでしょうか。プロモーション用のキットみたいなものをたくさんお持ちいただいて、「え、すごいね」って話だけで終わってしまいそうなのですが(笑)。

西岡:本当に好き勝手やらせてもらってましたね。

田家:これは1987年のお正月用のプロモーションキットなんでしょうね。

西岡:そうですね。媒体向けに今年はこいつらで行くぜというような意思表示、それで3人の曲をCD1枚にして、『Pride of 87』という形で出しました。

田家:安藤秀樹さん、松岡英明さん、岡村靖幸さん。岡村さんは「Out of Blue」、「幾千年分のPAIN」、「RAIN」と3曲入っております。

西岡:これを持ってみんな媒体に行って、とりあえず売り込んだっていう感じですね。

田家:他にもカセットテープと本のような仕掛けのあるグッズ(笑)。

西岡:これはちょっと『007』的な感じかもしれないけども(笑)。やっぱり僕らはどうしても新人をやる時に目立ちたいというのがあったし、奇抜なことを考える意味で、外から見ると岡村くんのペーパーバック本かなと思うんだけど、中を見るとその中にカセットテープが入っていると。よくこんなことを考えたなと思いましたね。よくやらせてくれたなと。

田家:媒体の反応はどうだったんですか?

西岡:何人かに聞かせてもらって、ちょっと「陽水っぽいね」って言われたり。

田家:あ、当時は「陽水っぽい」って言われたんだ。声がハイトーンで陽水っぽく聴こえたんでしょうかね。

西岡:バックサウンドも含めて、陽水っぽいって言われたのはすごく印象的でした。

田家:でも、陽水さんこんな重低音じゃないもんな(笑)。重低音の音楽自体が、まずそんなになかったですもんね。福田さんはこの時は?

福田:岡村くんのデビューが1986年12月で、この時は北海道営業所があって、そこのブランチのEPICプロモーターとして駐在していて。彼が顔見世興行じゃないですけど。デビューで来ます、岡村靖幸です、よろしくお願いしますっていうのでシングルを引っさげてメディアやお店を回るんですけど。有線も回ったと思いますね。ですが、彼のピュアさみたいなものを感じた2日間というのがありまして、それが岡村くんの最初の印象ですね。

田家:それは新人らしかった、初々しかったということですか?

福田:初々しかったというのも、もちろんそうなんですけども人間的にすごいピュアなんだなというか。擦れてないと言うと、ちょっと言葉が違うけど……。

西岡:その通り。こっちはその頃はちょっとこなれているし、業界の嫌な部分をいっぱい持ってたけど。岡村はピュアだったかもしれないね。





田家:1965年8月生まれなわけで、この時は21歳ですもんね。流れているのが西岡さんが選ばれた今日の2曲目、アルバム『yellow』の2曲目でもありました。「Young oh! oh!」。

西岡:大好きな曲。勢いがあるし、岡村くんが「Out of Blue」でスタートして、その後「Check out love」って曲もあるんですけども。岡村らしい踊りと動きも垣間見えるような曲ということで非常に大好きです。

田家:シングル発売も、美里さんやTM NETWORKや白井貴子さんたちと武道館やったりしてますもんね。

西岡:そうなんですよ。12月21日にこれたぶん人生初だよな?

福田:人生初ですね。

西岡:人生初のライブ。だから、僕らもどんなふうになるか、全く予想がつかなかったんですね。人前で歌うっていうのも初。でも、それが武道館という。そういう場を与えて、さてどうなることやらって感じで見た、1曲だけです。1曲だけやって、お客さんがみんな唖然としたと言うんですか。水を打ったようになったからね。

田家:この人誰っていう。

西岡:そうです。誰なんだって、その頃は当然知名度もないし、誰だろうなって感じの印象を与えて終わったという。未だに印象的に覚えてますね。

田家:自分の手帳とかちゃんととっていないので、渋谷公会堂でライブを見た記憶があるんですけど、いつだっけと思って。

西岡:たぶん、その次の年だと思いますけど、ツアーで最初に渋公をやったのが。

田家:お客さんはそんなに入ってなかったんですけど、明らかに桁違いな何かが登場したっていう感じがありましたよ。

西岡:そうですね。当時はバンドとかいろいろなアーティストがいましたけど、型破りだったかもしれないですね。

田家:その時にさっき名前が出たハートランドの社長の春名源基さんに「どうだった?」って言われて、「いやー、こういうのを巨大な原石って言うんでしょうね」って言った記憶がありますね。誰もまだ見たことがないものが埋まっている感じがしたんですよ。



西岡:彼がライブをやる度に自分の中で軌道修正を加えながら、いろいろなものをインプットしながらどんどん変わっていった形。でも、当時よく踊ってたよな?

福田:踊ってましたね。あちこちで。

田家:福田さんは北海道のディスコとか一緒に行かれているんでしょ?

福田:そうそう(笑)。顔見世興行の最初のキャンペーンの時にご飯を食べて、彼が「ディスコに行きたいんです」って言って。当時、かなり盛況だったマハラジャにマネージャーと3人で行って。ちょっとしたら彼も勝手にフロアに行くんですね。で、すごくガタイもいいし、背も高いし、ああいう誰もできない踊りをガンガンやるわけですよ。1曲終わるか終わらないかのうちにもう囲まれているというか。三重、四重の輪がそこにできている。サタデーナイトフィーバーじゃないですけど、彼がマハラジャのスターみたいな感じになっていて、マネージャーと2人でそれをボーッと見てた(笑)。

田家:「Young oh! oh!」は1987年の5月に、3月にアルバムが出た後にシングルになっているんですよね。

西岡:そうですね。1曲目「Out of Blue」で、「Check out love」に行って、それでやっぱりいよいよ満を持してなんか出したいよねっていう記憶があるんだよね。

田家:で、この番組は関西を中心に流れているわけで、「Young oh! oh!」というタイトルで、テレビ番組を当然誰もが思い浮かべていらっしゃると思うんですけども。これはやっぱり、あの番組のことを歌っているんでしょ?

西岡:どうですかね。そんな気もしたんですけれども、そこちゃんと訊いてなかったな。

田家:いろいろ調べていたらね、当時のインタビューの中にテレビ番組の好きなものっていうのがあって、『8時だョ! 全員集合』とか、『ベストテン』。そして『ヤング おー! おー!』っていうのがありましたよ、ちゃんと(笑)。

西岡:じゃあ、神戸の頃観てたんだ(笑)。

田家:生まれが神戸ですもんね。この曲はシングルチャート47位だった。

西岡:最初のうちは苦戦ということでもないんだけど、当時のEPICって意外とチャートをあまり気にしなかったというのもありまして。だから、当時、丸山さんに言われていたのは「ライブだけしっかりやっておけ」と。ライブをやれば、ちゃんとお客さんもついてくるし、売上もどんどん上っていくんで、オリコンのチャートとかそんなのは関係ないよっていうようなEPICでしたね。

田家:この曲は言葉のグルーヴって言うんでしょうかね。やっぱり岡村さんらしい、畳み掛けるような日本語英語と言いますか。

西岡:そうですね。

福田:そうです、そうです。





田家:お聴きいただいているのはアルバムの4曲目「Check out love」。これは発売直前の2枚目のシングルだった。

西岡:そうですね。このブラコン的な感じって言うの? 急に「Out of Blue」からこれっていうのもなかなかちょっと意外な感じもしたかもしれないんですけども。これがなぜ2ndに選ばれたかっていうのはちょっと僕も分からなかった。

田家:「Young oh! oh!」はシングルで出すって決まっていたんですか?

西岡:そうですね。大体先行シングル、それからその後、その後で決めていったと思います。

田家:さっき曲が流れている時に福田さんがふとおっしゃったのが「あまり踊りっていう要素はプロモーションの中でスポットが当たってなかったかな」と。

福田:あえてキーワードとしてダンスというのを前面に出してやってなかったんじゃないかなという記憶があったんですけども。

田家:西岡さんの中ではどうですか?

西岡:最初の「Out of Blue」のPVの中ではその片鱗は伺える動きはしていて、妖しい動きは(笑)。

田家:セクシーな動き。

西岡:まあ、セクシーと言えばセクシーです。そこの片鱗が見えるんですけども、当時マイケル・ジャクソンとかいろいろなアーティストがいて、そういう影響も多少はあったのかもしれないけども。僕らもダンスの岡村という形ではあまり捉えてなかったかもしれないね。


岡村靖幸1stアルバム『yellow』ジャケット写真

田家:デビューの時の資料、今お持ちいただいた岡村靖幸というペーパーバックのにもちょっとありましたけど、自分の音楽に対して松田聖子、ビートルズ、プリンスの三角形の真ん中に自分がいるという。

西岡:だからちょっと変わっているけど、分け隔てなく、ジャンルレスで聴いているという意味では何かにも「カーペンターズが大好きだ」って書いてあった気がしますけど、その後の岡村くんのいいメロディとかに生きているような気がしますね。

田家:なぜ松田聖子、ビートルズ、プリンスか、っていうのも残っていて、日本最高が松田聖子、世界最高がビートルズ、今の世界最高がプリンスという。その3つだそうですよ(笑)。後に岡村さんは和製プリンスみたいな語られ方をするわけですが、当時はファンク一色みたいな感じではなかったですよね?

西岡:なかったですね。やっぱり曲も踊りのための音楽というよりは、メロディもしっかりしていたし、ヒット曲としてのクオリティも当時はまだJ-POPというのは言ってませんでしたけども、そういう認知のされ方はしなかったわけで。彼が影響されていたことはたしかですね。

田家:アルバムの中に渡辺美里さんに詞を書いている神沢礼江さんが書いた詞があって、これもいろいろ見ていたら、最初本人は詞を書くのはあまり乗り気じゃなかったという。やっぱりシンガーソングライターとして売り出していこうみたいなものはあったんでしょ?

西岡:いや、シンガーソングライターって感じではなかったですね。でも1つ1つ彼が発する言動とか、動きも含めて、そういうものを言葉にしちゃったらいいんじゃない? という。意外とそんなところから自由奔放に書いてみたら? という提案が小林くんあたりからあったのかもしれないな。

田家:小林和之さん。つまり、EPICソニーのそれまでのアーティストの中にマニュアルとか、ノウハウとか似た人がいなくて、本人を見ながら「え、こういうところもあるんだ」とか、「じゃあ、こういうのもやろう」みたいな感じだったんですかね。

西岡:と、思います。おっしゃられたようにシンガーソングライターとか、自分で曲を書いて、自分で歌うというのが主流だったと思うんですよ。そういう先輩方、佐野元春くんもしかり、美里ちゃんもずっとその後、詞も書いたりもしてますけども。そういう人たちの影響というので、その中で彼が詞を書くことになっていったんじゃないかなと思いますね。

田家:そういうアーティストの中にダンスという人はいなかったんですもんね。

西岡:なかなかいなかったですね。大沢誉志幸くんあたりっていうのはちょっとそのジャンルに入れられそうだけども、ちょっと大沢とダンスってあまり結びつかなくて、キメのポーズは一緒だけど(笑)。

福田:ダンスっていうキーワードはなかったですよね。

西岡:でもその後さ、EPICは「DANCE TO HEAVEN」っていうイベントはやったりもするんだけども、特にダンスでどうこうはなかったね。

田家:それは岡村靖幸という人がいたから、「DANCE TO HEAVEN」に繋がっていったみたいなところもあるんですか。

西岡:そうですね。「DANCE TO HEAVEN」=R&Bというか、ソウルとか、どっちかと言うとファンクだよね。

田家:まあ、マーチンがいましたしね。

西岡:そうですね。マーチンが1番ブラックミュージックというか、先輩という意味では1番近かったかもしれないですけど。

田家:でも、マーチンと岡村靖幸は違いますもんね。





田家:西岡さんが選ばれた今日の4曲目、『yellow』の中では6曲目に入っておりましたが「Water Bed」。これを選ばれているのは?

西岡:久しぶりにこの曲聴いたんだけど、妖しい曲だよね(笑)。出だしから妖しくて、あらためて聴くと得も言えぬ、ドロドロとした感じがいいなって思いましたね。

田家:それまでのEPICにはなかったいろいろな要素の中に、妖しげにセクシーみたいな感じって言うんですかね。この曲もなかなか評価しにくかっただろうと思いますね。

西岡:そうですね。ちょっとビートルズの後期みたいな感じの音作りもあるかもしれないです。だからごちゃまぜにはなっていたと思うんだけど、そういう意味では新しいものと古いものを上手く取り入れているのかなという感じはありましたね。

田家:語りかけるパートがあったり、音像が歪んでいたり、重低音とシンセサイザーが絡んでいたり、いろいろな要素がある1曲になっています。

西岡:この曲はアルバムに入って、アルバム自体がいいなと思うになる曲ですよね。

田家:この曲が岡村靖幸だっていうのが、だんだん評価されるようになっていったんじゃないですかね。「Young oh! oh!」みたいなポップでキャッチーな面はありながら、岡村さんのエモーションはこれなんじゃないかみたいな。

西岡:そうですね。得体の知れなさというのはちょっと変だけども、そういう意味ではまだ掴みきれていないというか。ファンもスタッフも完璧には掴みきれてないぞって感じなのかもしれないね。

田家:実は、得体の知れないというのは今月の1つのキーワードなんです。未だにやっぱり、得体の知れないところがある。あの人の才能の奥深さとか、全体像がちゃんと見えているのは事務所の社長、近藤さんだけではないのかっていう感じがしてます(笑)。

西岡:近藤さんも分からないかもしれないですけどね。でも僕らにとっては35年間分からない感じですね(笑)。

田家:これは作詞作曲が岡村さんですけども、プリンスのアルバムのクレジットを見て、これがかっこいいと思ったから自分でやるようになったという記述もありましたよ。

西岡:やっぱり自分でやりたくなってピアノを弾き出すとか、インストゥルメンタルの曲も全部自分で。ゆくゆくはアレンジもそうなんですけど、そういうことを全部自分のものにしてしまうというか、それも短期間で。

田家:このアルバムは西平彰さんがアレンジャーとして一緒にやってますもんね。

西岡:そういう意味では知識を得るというか、現場でどんどん知識を吸収していった、吸収力の速さ。僕らもすげーなと思いながら見ていましたね。

田家:「Water Bed」を聴いていて、「家庭教師」はこの延長線上にあるんじゃないかなと思ったんですよ。

福田:今あらためてこの曲を聴いていて、先程田家さんがおっしゃられていた彼の作品の原石だとすると、例えばその後の「聖書~バイブル」みたいな曲とか、その後の「家庭教師」とかに移って発展していくみたいな。その得体の知れなさみたいなところ。作品にどんどん入っていって、進化していく感じはこの曲を今聴いて、ハッとさせられた感じですね。

田家:今聴くと、ハッとしますよね。〈ぼくは リアリティなんかいらないよ〉って自分にとってのリアリティみたいなものと、世間にあふれている誰もが簡単に口にするリアリティみたいなものは全然違うものだということだとか、彼の求道者的な何かっていうのもここにあったりするんじゃないのかなと。

福田:彼の表現者としての1つのポリシーというか、自分はこうありたいみたいな。原石だとすると、それが1つのテーマで、今も続いているというか。

田家:とっても真摯な人なのではないかと思ったりして、この曲を聴きました。





田家:お聴きいただいているのは西岡さんが選ばれた5曲目「RAIN」です。これを選ばれているのは?

西岡:ちょっと印象的な最初の弦の使い方みたいなものも、このアルバムの中では新鮮な感じがしました。

田家:さっきの「Water bed」の後ですもんね。アルバムの流れがね。

西岡:「エリナーリグビー」みたいな感じというか、そういう洋楽を聴いてきた者としてはいいなと思いましたよ。

田家:さっきちょっとお名前が出た小林和之さんは今、ワーナーの社長さん。後にEPICの社長さんにもなって。当時は大沢誉志幸さんのディレクターもやってらっしゃった?

西岡:そうですね。彼はその頃もう、『そして僕は途方に暮れる』とかのヒットも出していたし、マーチンもそうですしヒットメイカーなんですよね。

田家:岡村さんがEPICで出すようになった経緯を探していたら、自分のデモテープを作って、これをどこのレコード会社に持っていくか。EPICに電話して、「大沢誉志幸さんの担当の方お願いします」って言って、小林さんにデモテープを渡されたというのを見ました。

西岡:当時は直接的な売り込み。このディレクターに俺の楽曲を担当してもらいたいんだみたいなのが結構ありましたから、たぶんそういう経緯でまず小林にテープが行ったんじゃないのかなと思います。

田家:「RAIN」を聴いていて、どこか切羽詰まっている感じがあったんですよ。〈何が僕にできるのだろう〉とか、〈何が僕に言えるのだろう〉とか、〈君を 見ているのは少しつらい〉とか、〈とてもつらい〉とか。

西岡:彼自体も1stアルバムを作るにあたり、いろいろな想いがあった。この曲自体が昔からあった曲かどうか、このアルバムのために書いた曲なのかはちょっと分かりませんけども。そういう彼の動いていく感情の起伏も垣間見えるかもしれないですね。

田家:プロモーション、取材に一緒に行かれるわけでしょ。今回、アナログ盤になった『家庭教師』の時は取材は一切受けない。福田さんに全部やっておいてくれという代弁を頼んだという話があって、先週福田さんにお願いをしたんですが、『yellow』の時は西岡さんと岡村さんで媒体を回ったんですか?

西岡:そうですね。僕ともう1人、当時新入社員で入っていた、今も集英社で活躍されています吉田好見という女性の方がいた。

田家:木崎賢治さんの本を作ってましたね。

西岡:彼女が担当していたので、手分けをして彼女が行ったり、僕が行ったりという感じで。もちろん、彼にはハートランドという事務所がちゃんとありましたので、そこの担当者がついているというケースもありました。

田家:所謂普通の新人のように取材で訊かれたことには答えたりしてたんですか?

西岡:あ、ちゃんと答えてましたよ。

田家:ちゃんと答えてましたよって変な言い方ですけど(笑)。

西岡:僕の印象だと、結構サービス精神も旺盛だったと思うんです。だから、訊かれること以上に喋っていたような気がしますね。

田家:当時はまだ新聞とか媒体がアーティストに対してやさしくないというか、音楽に対して謙虚じゃないから、「君はいつデビューしたの?」みたいなことも訊くような、バカな新聞記者がいたりするわけでしょ(笑)。

西岡:まあ、でもみんな結構親切というか、アーティスト想いの担当者の方がいっぱいいらしたと思いますね。当時媒体で言うと、EPICは雑誌と取材と、ライブというものがメインだったので、そこは丁寧にやっていたという感じです。

田家:そういう当時の媒体の人がこの「RAIN」をどんなふうに評価したんだろうと思いながら、お聴きいただけると思います。今西岡さんがカバンの中から当時のアナログ盤のLPをお出しになって、「え、それ当時のですか!」って話になったんですけど、「Water Bed」がB面の1曲目だった。びっくり。あーそうだったんだっていう感じですね。

西岡:アナログ盤をひっくり返して、1曲目いきなりですから。まあ、そうだね、やっぱり。作戦的なことだったかどうか、本人の意思だったかは分からないですけど、ガラッと変わるわけですよね。

田家:いろいろな要素があるアルバムが、2枚目の『DATE』になると変わってゆくというのが来週のテーマでもあるわけですが、1stアルバム『yellow』から7曲目「RAIN」でした。





田家:1stアルバム『yellow』から西岡さんが選ばれた6曲目「彼女はScience Teacher」。

西岡:これも岡村くん節だよね。「RAIN」の次に入っているんですけど、急にここでふと我に返るみたいな曲かもしれないですね。

田家:アルバムのミュージシャンを見てみたら、ギターに佐橋佳幸さん、北島健二さん、ドラムにハートランドの古田たかしさん、青山純さんとか。割とロック系の人が入ったりもしているわけですよね。

西岡:佐橋くんは美里のバックもずっとやってましたし、その前はEPICでUGUISSというグルーブでデビューしてますので、彼は本当に上手いギタリストだし、そういう人に支えられて。彼も小坂ファミリーですね。

田家:アルバムのミックスダウンはパワーステーション、ニューヨークでやったという。

西岡:そうかもしれないですね。当時は贅沢でしたから(笑)。

田家:そこには西岡さんはいらしてない?

西岡:さすがに僕は入ってなかったですね。たぶん制作スタッフだけで行ったと思います。

田家:ちょうどパワーステーションでミックスダウンがある時に、尾崎豊さんがニューヨークに滞在していて、ニューヨークで会ったという話もありました。

西岡:ありましたね。仲良かったし、吉川晃司くんとあの3人組でよく飲んでたみたいです。

田家:『PATi・PATi』という音楽雑誌はチェッカーズと尾崎豊とBOOWYで最初の1年を回して、そこに岡村さんも割と重要な登場人物になってましたからね。

西岡:この前、吉田好見に会った時に話したんだけど、やっぱり岡村くんを表紙にしたかったんだけど1回もしなかったですけどってね。

田家:あ、表紙には1回もならなかったんだ。

西岡:1回もなってないって言ってました。それは随分リクエストがあって、自分たちもここだけの話、雑誌が売れない時期があるとすれば、その時に岡村くんを使っちゃおうかって話もしていたらしいんですよ。

田家:吉田好見さんは最初はEPICの担当のプロモーターで、その後ソニー・マガジンズに行って、『PATi・PATi』の副編になりましたよね。

西岡:表紙にしようと思ったんだけど、タイミングを逃したって言ってました。

田家:それはなんでなんだろう。

西岡:これは編集長の吾郷さんに訊いてみなきゃ分からないけど、タイミングを逃しちゃったって感じじゃないですかね。

田家:吾郷さんはチェッカーズがやりたくて『PATi・PATi』を始めた人ですから。ああいうアイドル青年、かわいい子が好きだったんでしょう(笑)。

西岡:そういう意味ではエッジのきいたヤツはっていう感じもあったかもしれないですね。



田家:そんな話の流れでこの曲をあらためて聴くとどんなふうに聴こえるでしょう(笑)。この曲はアルバムの8曲目。アルバムは9曲入りなんですけど、あらためてアルバムの主要な曲を聴いてきて、お2人にとってこのアルバムはどういうアルバムだと思われますか?

西岡:当時いろいろな仕事をしていて、EPICの中でもバービーボーイズをやったり、渡辺満里奈までやっていた時期なんですね。いろいろなことをずっとやっていて、僕の中では天才現れる的な感じと言うんですか。音楽的にもそうですし、人間的にもそうかもしれないけど、本物のアーティストって言われるやつが出てきたなって感じ。それが吐き出されたアルバム1stアルバム『yellow』。これはいろいろな才能の詰まった、そんな1枚だなと。何度でも聴き返せるアルバムという感じがしましたね。

田家:ここから始まっていると。福田さんはオリジナル発売当時は札幌の営業所にいらして。2003年にリマスタリングを担当されて、現在も今の担当として『家庭教師』をおやりになっている。このアルバムはどんなふうに思われました?

福田:今目線みたいなところにもなっちゃうんですけど、やっぱり今聴き返してみると才能というのはこの時には溢れ出ているというか。原石って言っちゃうと、才能がまだほとばしってない感じがするんですけど、やっぱりほとばしってますよね。実を言うと、そういう意味でそれを踏まえてどういう印象か感情的な部分で言うと、悔いが残る。このアルバムに僕は関われなかった。この時やりたかったなあという気持ちは湧いてきますね。

田家:その悔いを今、アナログ盤の『家庭教師』で果たそうとしている。

福田:もちろん、倍返しはしたい(笑)。

田家:来週もお2人よろしくお願いします。

福田:よろしくお願いしまーす!

西岡:お願いいたします!





田家:「J-POP LEGEND FORUM 再評価シリーズ 第1弾」11月16日に初めて4枚目のアルバム『家庭教師』がアナログ盤として発売される岡村靖幸さんのEPIC時代を辿る1ヶ月。今週はパート2。1987年の1stアルバム『yellow』について当時のプロモーター、現在は音楽制作事務所ニューカムの代表取締役西岡明芳さん。そして、現在の担当ソニー・ミュージックダイレクトの福田良昭さん。お2人をお迎えしてお送りしました。流れているのはこの番組の後テーマ、竹内まりやさんの「静かな伝説」です。

どのアーティストにも言えるんですけども、デビューアルバムにはその人の全てがある。いろいろな要素が混在した形でそこに収められている。岡村さんの『yellow』もそういうアルバムだったなと、あらためて思ったりしております。そういういろいろな要素があるというのは、当時はなかなか見えてこないんですよね。その後の活動があって、あ、それがここにあったんだとか、ここから始まったんだとか、ここからずっと流れてくるんだと分かってくるわけで、その時は単にいろいろな要素が入っているという聴き方しかできなかったりするのかもしれない。

福田さんは悔いがあるとおっしゃってましたけども、メディアの中にいた1人として、私も強くそんなことを感じながら今月臨んでおります。彼が音楽に対して持っていた野心とか、純粋な気持ちとか、世の中に対して思っていたことや世の中への違和感とか、そういう生真面目な視線みたいなものが随所に見ることができて、『yellow』というアルバムは本当に意味があるのではないかと思いますね。さっきちょっと話しましたが、デビュー前に観た渋谷公会堂はいっぱいになってなかったんですけど、その時に巨大な原石という、安っぽい言葉しか思い浮かばなかった自分のことも振り返りながら、EPIC時代の5枚を今だからこそという気持ちで来週もお送りしてみようと思います。来週は2枚目のアルバム『DATE』。ゲストは今日のお2人であります。


左から、福田良昭、西岡明芳、田家秀樹


<INFORMATION>

田家秀樹
1946年、千葉県船橋市生まれ。中央大法学部政治学科卒。1969年、タウン誌のはしりとなった「新宿プレイマップ」創刊編集者を皮切りに、「セイ!ヤング」などの放送作家、若者雑誌編集長を経て音楽評論家、ノンフィクション作家、放送作家、音楽番組パーソリナリテイとして活躍中。
https://takehideki.jimdo.com
https://takehideki.exblog.jp

「J-POP LEGEND FORUM」
月 21:00-22:00
音楽評論家・田家秀樹が日本の音楽の礎となったアーティストに毎月1組ずつスポットを当て、本人や当時の関係者から深く掘り下げた話を引き出す1時間。
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