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PassCode南菜生が語る、「ラウドな音楽性と狂騒感」を求める理由

Rolling Stone Japan / 2021年11月18日 19時0分

PassCode(Photo by Shingo Tamai)

2021年8月の今田夢菜の勇退を受け、間髪入れず有馬えみりを新メンバーに迎え入れて即座に動き出した新体制・PassCode。

【写真】ステージに立つPassCode

超ブルータルな絶叫をバリエーション豊かに操る有馬の加入は、レイヴミュージックとポストハードコアを掛け合わせてきたPassCodeの爆発力をより一層増強することになるだろうし、実際、11月10日に新体制一撃目としてリリースされた「Freely / FLAVOR OF BLUE」は急激なリズムチェンジ、ビルドアップとブレイクダウンが忙しなく接続していった先でポップなメロディが羽ばたく「PassCode全部盛り」な作品になっていて、新体制のファンファーレだからこその一撃必殺と、有馬加入に伴って際立つようになったメンバー個々の特徴をフル稼働させたからこそのカオティックな色彩が同時に感じられる。



メジャーデビュー5周年を飾るベストアルバム9月29日に発表したこと、そしてPassCodeの活動と音楽が確立のタームに入ったところでのメンバー交替を経験したこと。その全部を踏まえ、PassCodeとは何なのか?を改めてPassCode自身も見つめ直したことだろう。そもそもPassCodeがラウドな音楽性と狂騒感を必要としたのは何故だったのか。アスリート的とも言える内なる闘いをステージ上で繰り返していたのは何故だったのか。南菜生とともに、PassCodeの核心にあるものを丁寧に紐解いていった。

ー9月の末にベストアルバムをリリースされたこと、11月10日に新体制で初のシングルが放たれることも含め、PassCodeとは何たるかを強く打ち出すタイミングだと思うんですが、南さんご自身は、現状PassCodeの表現はどんなものだと思われていますか。

今の4人と旧体制の4人では表現していることが違うと感じていて。今までは、パフォーマンスのクオリティを上げることは大前提でありつつ、それ以上にメンバーの関係性を考えたり、PassCodeがどんなふうにライブに向き合っているかを見せたりする向きが強かったんです。いいパフォーマンス以上に、「PassCodeってこういうものですよ」っていうのを見せている感覚のほうが第一にあったというか。そこにはいろんな要素があったとは思うんですよ。たとえば今田(夢菜/2021年8月3日に脱退)の体調の波もあって、パフォーマンスにムラがあったのは事実で。その日によってムラがあるのはよくないですけど、それでもPassCodeを観たいと思ってもらうためにはどうしたらいいのかを考えて、自分達がどういうふうに闘っているのかを観てもらう感覚が強くなっていたんです。でも、有馬(えみり)が加入した今の4人体制になる少し前くらいから感覚が若干変わってきたんですね。メンバーのことを気にかけるよりも、一人ひとりが自分の持ち場で最善のパフォーマンスをするっていうことに集中できるようになってきて。各々の強みを生かして、その武器の集合体がPassCodeになるっていう意識に変わり始めましたね。パフォーマンスの完成度は大前提として、今は「PassCodeですよ」っていう部分じゃなくて自分達そのものを見せてる。それがPassCodeの表現ですかね。

ーPassCodeという型をやるんじゃなくて、むしろその型を脱いでいくことで生身の表現になっていくということですよね。

そうですね。たとえばPassCodeのライブは、毎回同じ形をやることを「クオリティが高い」とは思っていなくて。プロなら毎回同じクオリティのものを見せるのが普通だと言われるかもしれないですけど、その瞬間にしか出てこない感情を表現する人間の部分を見てもらえるのがPassCodeのよさだと思います。昨日できなかったことを今日できるようにするのは当たり前として、それでも練習だけでは生まれ得ない感情をそのまま出していくのが面白いし、自分自身もそこに成長を感じるんですよ。

ーステージでしか出てこない感情とは、言葉になりますか。

たとえばライブの最後によく歌う「Its you」という曲があって、あの曲を歌うと過去のことがフラッシュバックするんです。けして練習の時は何かが蘇ってくる感覚はなくて、ステージ上で歌う瞬間だけ一気に浮かび上がってくる。その時に、過去の全部が繋がって今の目の前の景色になっているんだって思えるんです。スポーツ選手でよく聞く「ゾーンに入ってる」っていう感覚が私にもある気がしていて。そこに行けた時が気持ちいいというか、シックリくる自分になれるんですよね。その気持ちよさがPassCodeを続ける原動力かもしれないです。



ーシックリくる自分というのは、普段はなかなか出せない感情をステージで出せる感覚なのか、むしろステージのほうがカッコつけない自分になれるっていう話なのか。どんな感覚なんですか。

うーん……普段はそんな自信満々じゃないのに、ステージの上では自分が誰よりもカッコいいっていう根拠のない自信があるんですよ(笑)。もちろん、PassCodeの歌詞や楽曲にどんどん自分が寄っていく感覚があるので、このラウドなサウンドだからこそ出てくる自分もいると思うんですけど。ただ、どちらにせよ私はあの場所(ステージ)が一番居心地がよくて。そこで伸び伸びやっているだけで、無理やり感情を引っ張り出すというよりも、ステージでこそ一番素直な感情を表現できるっていう感覚なんですよね。


PassCodeの音楽に宿る「覚醒感」の正体

ー楽曲を聴いていると、スクリーモ以降のポストハードコアにレイヴミュージックを混ぜていくものが大半だと思うんですね。奥底にあるヘヴィな感情を引きずり出す音楽性と、原始的なダンスを呼び覚ますトランス感を足しているというか。そういう音楽性によって覚醒感を得られるところもあるんですか。もしくは全然違うのか。

PassCodeの音楽性で言うと、私個人はラウドと呼ばれる音楽に詳しかったわけではないんですね。でもFear, and Loathing in Las VegasやBABYMETALは好きで、それはジャンル感としてというより、楽曲のキャッチーさやメロディの力に惹かれていて。なんなら、うちのメンバーでラウドやメタルを日頃から聴いてるのは有馬えみりくらいなんですよ。もっと言えば、ラウドロックはPassCodeの要素としては大きいけど、それが絶対だとは思っていないということで。むしろ個々の好きなものがバラバラだからこそ自由で面白いグループになっていけるんですよね。なので、ラウドな音楽性だからこそ自分が覚醒できるっていうよりは、とにかく自分が歌と言葉で伝えたいものがステージで溢れ出すっていう感じかもしれないです。曲を作ってくれている平地さん(平地孝次)もラウドロックを作ることに固執しているわけじゃなくて、ライブ感のひとつとしてラウドロックやシャウトを用いているだけだと思うんですよね。

ーただ、PassCodeがPassCodeとして確立されてきた理由として、いわゆるアイドル的ではないと言われるラウドな音楽をアスリート的に魅せていった部分はかなり大きいと思うんです。南さん自身も、そこに活路があるということには自覚的だったんですか。

それはあったと思います。そもそも今田と高嶋(楓)が加入する以前は、可愛らしくてポップな曲で踊っているグループだったんですよ。でもその時はなかなか陽の目を浴びず、先が見えない状態だったんですよ。そこで今田と高嶋が加入したのを機会に、「このまま続けるだけじゃ未来がないよね」っていう話を平地さんとして。ちょうどその時は、女性アイドルと重たい音楽を合わせたら当たるっていう流れが生まれ始めていた頃で、BABYMETALみたいに世界的なアーティストが出てきた頃は、地下アイドルのシーンでもラウドな音楽性が増えていて。

ーマッチョかつ男社会のものになってしまっていた音楽を、性別もシーンも問わず鳴らしていいじゃないかっていう。それは音楽に限らず社会的な流れも少なからず関与しているものだったと思います。

そういう流れもあったので、じゃあPassCodeが変革していくなら、単に可愛らしいアイドルをやり続けて埋もれてしまうよりも戦う人が少ないフィールドで尖ったものを見せるほうが道が見えるんじゃないかと。そこでラウドな音楽性にシフトしようということになり、私個人も元々ロックバンドが好きだったので、そのほうがいいっていう話をして。ただ、ラウドに方向転換した当初の楽曲は、可愛らしいアイドルがお遊びの延長でラウドっぽいことをやっていただけだと自覚していて。でもだんだん、女の子がヘヴィな音楽をやっている、しかもバンドとは違う形態であるっていう面白みの部分で動員が増えていって、2016年にメジャーデビューすることができたんです。で、その時に当然、楽曲のクオリティ自体を上げていくことがマストだよねっていう考え方になっていったんです。それが今のPassCodeに繋がっている大きな分岐点だと思っていて、PassCodeの音楽の部分が確立されたのはその時だった気がしますね。そこからの積み重ねによって、ラウドに固執しなくても大丈夫っていう考え方にだんだん変化してこられたんでしょうね。


「シャウトは打楽器っぽい」

ーそれこそメジャー1stアルバムの『ZENITH』(2017年)は、これ一発でグループのイメージも音楽的な立ち位置も作ってやるぞという気概が強かったと思うし、必然的にラウドの要素が強かった。で、『CLARITY』(2019年)や『STRIVE』(2020年)と経ていく中で、音楽の極端さじゃなく個々のキャラクターを聴かせる楽曲も幅広く取り入れられるようになってきましたよね。

そうですね。ラウドロックが武器である一方、たとえば「ATLAS」や「Ray」みたいに、シャウトが表に出てこない楽曲でもPassCodeらしさを感じられる曲が増えてきて。個々のキャラクターが出る楽曲といってもらいましたけど、いろんな楽曲を吸収していく中で「ラウドをやることがPassCode」っていう発想から「全員の要素が入ることがPassCode」っていう考え方に変化してこられたんだと思います。むしろシャウトをひとつの楽器のように捉えるようになってきたし、有馬もよく「シャウトは打楽器っぽい」って言うんですよ。





ーそうですね。急激な展開を接着するフィルっぽい機能を持っていたり、楽曲のビート感を加速させたり、自由自在な楽器だと思う。

そうなんです。それをどう使うのか、ひとつの楽器としてどう入れていくのかをPassCodeとして考えていけば、もっと自由にやっていけるんじゃないかと思ってますね。

ーそして、そもそも南さん自身もFear, and Loathing in Las Vegasが好きだったとおっしゃいましたが、PassCodeの楽曲にも似た要素が色濃く入っていると思うんですね。ベガスは一概にラウドと括られることが多いですけど、実はレイヴミュージックやトランスの狂騒感が軸になっていて、そこに絶叫やポストハードコアを足すことで暴発感を増強して導入している仕組みの音楽だと思うし、そこがPassCodeの音楽とも共通していると思っていて。PassCodeも「ラウド」である以上にダンスミュージックの発想が軸になっているし、それが、ラウドやポストハードコアに馴染みのない人にもリーチできている理由のような気がして。

私がベガスを好きになったのは、ライブが楽しかったからなんですよ。ベガスのメロディのキャッチーさだったり、楽曲で踊れるフックの入れ方だったりが好きだったんでしょうね。逆に言えば、どれだけ重たい音楽だとしても、流し聴きした時に一発で耳に残るメロディがあるかどうかが大事だと思ってきて。だから本当のメタル好き、本当のラウド好きからしたら怒られるかもしれないんですけど、ラウドさ以上にキャッチーなメロディを持っているロックが自分の根っこにあるものなんですよね。そういう意味で言っても、ラウドに限らない楽曲が増えつつ、有馬が加入してシャウトにヴァリエーションが出た今の状態は凄く自由でいいバランスのような気がしてます。

ー個々の特徴が混ざることでPassCodeが自由になっていくとおっしゃる点で伺いたいんですが、南さんご自身はどんな武器を磨いてきた自覚がありますか?

うーん……言葉、ですかね?

ー言葉?

振り返ると、PassCodeを始めたのは高校2年生で、よく行っていたライブハウスで今の社長さんや元々のメンバーと知り合ったのがキッカケだったんです。社長さんが「アイドルグループを作ったんですけど、すぐにメンバーが抜けることになってしまった」と。このままだとメンバーがいなくて続けられなくなるから、入ってくれないか?っていうお話をいただいてPassCodeに入ることになったんですね。だから元々はこれが仕事になるとも思っていなかったし、表現が何かということも全然考えてなかったんです。で、最初はアイドルが自分にシックリこなかったのも事実なんですよ(笑)。自分で曲を作らないと自分の言葉に説得力がないんじゃないか?みたいなことを考えてしまって。でも、当時のメンバーが脱退することになった時に、「PassCodeは終わった」って言われたことがあって。やっぱりメンバーが抜けるというのはマイナスなことのほうが多いのもわかっていたし、そう言われるのはしょうがないとは思ってたんですけど。でも、よくも悪くも「女性版Las Vegas」って呼ばれるようになったり、そうしてサウンドの印象が浸透したり、だんだん人に伝わってキャパが大きくなってきたところだったので、「あいつらは終わった」と言われた時に凄く悔しくて。それまではオトナの人が決めたレール上を歩いているだけだったけど、ステージに立つ以上は「自分達でなければいけない理由」を作るべきだと思うようになったんです。それが2015年の秋頃かな? その頃によく聴いていたのがSUPER BEAVERで、ビーバーの音楽に凄く励まされて。


南菜生(Photo by Shingo Tamai)



SUPER BEAVERから受け取ったもの

ーSUPER BEAVERのどんなところが支えになったんですか。

SUPER BEAVERはギターの柳沢(亮太)さんが作っているのに、ヴォーカルの渋谷(龍太)さんが話す言葉には血が通っていて、目の前のひとりに対して話しているような説得力があるんですよね。それをライブで目の当たりにしたのが貴重な体験だったんです。自分が曲を作っていないとしても、自分の言葉で目の前の人に何かを伝えられる人になりたいと思ったんです。

ー「PassCodeは終わった」と言われる中でのナニクソ精神があって、そこからPassCodeを動かしていくための力を求めた結果、自分の人間力っていう部分を濃くしようと思ったと。で、そのヒントをSUPER BEAVERから得たっていう話ですよね。

そうですね。そこから、私は自分という人間を磨くことで血の通った言葉を発することを自分の武器にしようと思い始めました。まあ……当時の私は19歳でしたし、「たかだか19歳のアイドルが何言ってるんだ」っていう斜に構えた感じがあるのもわかってたんです。でも、何を言われても自分の思うことをステージで伝え続けようと思った結果、やっと徐々に認められるようになって、私の言葉がPassCodeのひとつの武器として伝わるようになってきた気がしていて。年齢とか性別による偏見、うがった見方があること自体がおかしいとは思うけど、とにかく自分を貫くことでその状況を変えてこられたんじゃないかっていう……そういう瞬間をたくさん経験してきたので、ここまでの過程は間違いなく自信になってますね。そういう自信が芽生えてきてからは、アイドルと呼ばれてもいいし、グループと言われてもいいし、人によってはバンドと捉えられてもいいと思えるようになりました。

ーライブを拝見した時の感覚も含め、今のお話の真意はよくわかります。アイドルという型をやるんじゃなく自分の生身を磨いてきたからこそ、自己との闘いを繰り広げているようなアクトになるんだろうなと。

ああ、そうかもしれないですね。ステージ上だけでカッコつけた話をしても、ペラペラな言葉はすぐにバレるじゃないですか。だからこそ日々努力して胸を張れる自分でいることが大事だし、先ほど話したように、日頃の自分の生き方をそのまま表現できるかどうかを一番意識しているので。青臭いこと言ってるねって他人から言われても、私は堂々とその言葉を吐けているから大丈夫だって胸を張るために日々努力しているんでしょうね。大前提として、歌とダンスを磨くこと。その上で、自分の奥底にある気持ちを真っ直ぐに伝えること。それが私の武器だと思います。……まあ、以前はもっと背伸びしていたし、昔のほうが偉そうなことを言おうとしてた気がするんですけど。

ーそれは何故ですか。

最初は「認められてない」っていう気持ちが強烈にあったからだと思います。居場所がなかったんですよ。アイドルのイベントに出れば「重たいサウンドをやりたいならバンドのほうでやれよ」って言われて、ロックバンドのイベントに出れば「アイドルのくせに」って言われて。どの場所でも認められていないことに対して悔しさがあったし、見返したい気持ちが原動力になってたので。で、それがライブの場所に出てしまっていたんですよね。だから自分を強く見せるような言葉を選んでいた気がするんですけど。でも今は、悔しいとか見返したいっていう気持ちが原動力になることが少なくて。お客さんがいること、チームがあること、どうなっても一緒に続けて行こうと思えるメンバーがいること。いろんな人の存在があって続けていられる気持ちがあるので、その人達に「PassCodeを見守ってきてよかった」と思って欲しい。その気持ちが今の原動力だと思います。負の感情を燃やすんじゃなく、何を大事にしたいのかがハッキリしてきたって言えばいいんですかね。だからライブの雰囲気も明るくなってきた気がするんですよ。それこそ『ZENITH』の頃は力でねじ伏せようとしてたし、その曲に引っ張られて刺々しくなっていた部分もあって。そう考えると、作品を出すごとに曲が私達の等身大に近づいてる感覚があるんです。


PassCode(Photo by Shingo Tamai)



「歌っている時期によって曲に対する感覚が変わる」

ー今日何度も話していただいている「自由になっていけばいい」というのは、作為的なものを脱いでいくことと同義のような気がします。

……もちろんこれは過去を悪く言ってるんじゃなくて。あの時は力でねじ伏せるような強さが必要だったし、いろんなものを見返さないと前に進めなかったから。ただ、本来的にはもっと明るく表現したいと思っているのに、実際の表現が負の感情まみれになっていることに矛盾を感じて気持ち悪くなる時もあったんですよ。あれ、何をやりたくてステージに立っているんだっけ?っていう感覚になることもあったし、本当は周りの人をハッピーにしたくてやっているはずだよな?って。だから、今のほうが本来的な自分で歌えているんでしょうね。

ー今のお話を聞くと、ライバルが少ないから選んだ音楽性だとはおっしゃいましたけど、ラウドでヘヴィな音楽性に突き進んだ必然もあったんじゃないかと思いました。やっぱり「見返したい」「ひっくり返したい」っていう鬱屈や、「幸せになりたい」と「消えたい」が同時に存在してしまう倒錯がそのままガソリンになってきたのがヘヴィロックだし、それが当時の南さんにフィットしたのも納得がいくなぁと。

それはあったと思います。少し前までは、『ZENITH』の曲を歌うと心臓がズシッとなる感覚があったんですよ。でも今はようやく、あの頃の曲を歌う時に「この曲達があったから今がある」と思えるようになった。ただ鬱屈した気持ちを吐き出していた曲達を、「強くなるために歌っていた曲」という感覚で歌えるようになったというか。歌っている時期によって曲に対する感覚が変わるのは面白いですよね。曲が育っているとも言えるけど、自分が強くなったから曲の捉え方が変わったとも言えるわけで。メンバーも、ステージ上とステージ裏で変わらない感じになってきたんですよ。そのままの状態でステージに立ててる。「こう見せなくちゃいけない」っていうのがどんどんなくなって、そのほうがむしろPassCodeらしいんじゃないかっていうことに気づき始めてる気がします。

ー明るい曲が増えたから等身大を出せるようになったとおっしゃいましたが、むしろその明るい曲を呼んだのは自分達自身なのかもしれないですよね。実際にベストアルバムで時系列順に聴いていくと、ヘヴィネス以上に、踊れて跳べるハイな解放感が増していく過程がよくわかります。

それこそ初期からメジャーデビューくらいは、Fear, and Loathing in Las Vegasを彷彿とするようなものだった気がするんですね。私達も「ベガスご本人達はどう思ってるんだろう?」って心配してたくらいで。でも2017年に『MEGA VEGAS』(Fear, and Loathing in Las Vegas主催の大型イベント)に呼んでもらった時に凄く嬉しくて、間違いなく転機になったと思うくらい、あの日にいろんなことを全肯定できた気がするんですよ。……なんとなく、今までのインタビューでは「ベガスの影響を受けていることは自覚してます」っていうのも話しちゃいけない空気があったんですけど。

ーお気持ちはわかります。影響源やリファレンスを「パクり」と混同されることは未だに多いですし。

でも、私は別に言ってもいいと思ってたんですよ。自分達のルーツになっているのは間違いないですし、好きで聴いてきた音楽を自分達なりに消化するにはどうしたらいいかを必死に考えてきましたし。私も邦ロックと呼ばれる音楽の影響をちゃんと自分のものにしてきた自信があったから。今は特に、PassCodeはPassCodeだって胸を張れるからこそ、影響源を話すのが悪いことだと思わないんですよ。そもそも音楽って、学んだり受け継いだりしながら自分達のオリジナルを作っていくところに面白さがあったり、繋がっていく素敵さがあったりするじゃないですか。

ーそうですね。

私達も、何年もかけてPassCodeっぽいと思える部分を強めてこられたと思いますし、それはルーツになる音楽があったからこそなんですよね。

ー今回の「Freely」「FLAVOR OF BLUE」は極端な展開が山盛りな楽曲で、PassCode全部盛りと言ってもいい気がしたんですね。この極端さが極端さで終わらないのは、オーセンティックなバンド編成とは違うグループ編成だからこそだと思って。歌のリレーで繋げるから曲がパズルで終わらないというか。そこに、バンドではないからこそ自由にラウドミュージックを消化できる理由を感じたんですが、ご自身ではどう感じますか。

歌う人間が4人いるっていうのが、何を取り入れても気持ち悪く感じない要因なんだろうなって私も思います。曲の展開もそうですけど、歌詞で「前後で言ってること違うじゃん」っていう箇所があったとしても、歌う人間が違うから成立するというか。強気な<僕>がいたり、突如弱気な<僕>が出てきたり、折り合ってない気もするんですけど、でもライブで曲を歌っていくと、4人いたら4人の感情が混在していていいんだなって思えるようになったんですよ。一見折り合ってない部分も、4人個々の表現によって繋ぐことができるというか。メロディがガラッと変わるところも歌う人が違えばスムーズに繋げるというか。それは私も感じていて、その個性の繋ぎ方がPassCodeっぽさになってる気がしますね。

ーそして「Freely」も「FLAVOR OF LIFE」も、PassCodeのラウドど真ん中をフルスイングしているような曲で。歌詞の内容も、リスタートを切る今をそのまま歌っているんじゃないかと思う2曲でした。ご自身でどう捉えられていますか。

実は「Freely」も「FLAVOR OF BLUE」も、有馬が加入する前からあった曲で、このタイミングに合わせて作った曲ではないんですよ。なのに歌詞の内容がこんなにハマってくるのは、運命みたいなものなんだなって思わざるを得なくて。ずっと続けてきたことが、いろんなタイミングに合ってしまうんだなって。なんなら、以前の4人で歌うよりも新しい4人で歌うほうが強い意味を持ってくるのが不思議ですよね。「Freely」には<身勝手だって サイテーだって/恨んでいいから その手で/ぶち壊して>っていう歌詞がありますけど、以前の4人じゃなくなっても私達は続けていくと決めた時に、今までの4人じゃなきゃ応援できないと思う人も一定数いたと思うんですよ。でも私達は辞めないと決めて、誰になんと言われようと続けていこうと思った。それを身勝手だと言われてもいいって思ったんですよね。で、それがそのまま歌詞になって、このタイミングにズバリとハマっていることにビックリしたんです。


PassCodeはどうやったら売れるか?

ーどちらもメロディが強いですし、歌詞にも衒いがないし、ちゃんと刺さる決意表明の曲だと思います。

そうなんですよね。特に「FLAVOR OF BLUE」は和っぽい要素があったりお経っぽいセクションがあったりで、複雑過ぎるかなと思ったんですけど。でも、サビのメロディが本当に青いんですよ。深海とか空とか、ピンと張りつめた場所で歌っている綺麗さがある。そういう複雑さと綺麗さのコントラストがPassCodeだなって思いますし、それこそ私達が歌うから成立する楽曲ですね。



ー<その壁壊して>という歌を聴くと今日話してくれた道のりが全部入っているような歌だと思いますし、型がないからこそ音楽的なセオリーをぶっ飛ばしていく気持ちよさもある楽曲だと感じました。この曲を聴いてPassCode面白いと思う人は多い気がしますよ。

嬉しいです。自分達そのものを表現していると、それって音楽的な形で語れるものじゃなくなっていくんだなって実感してますね。私はいろんな人に「PassCodeはどうやったら売れますか?」って相談するんですけど(笑)、やっぱり日本ではラウドロックやハードな音楽の市場が狭いっていう見解も多いんですね。シャウトがない音楽性のほうが売れるよ、シャウトって要るの?と聞かれることもある。でもPassCodeはバンドではないじゃないですか。だからこそ、普段はラウドな音楽を聴かない人でも聴くことができるラウドロックをやれたらいいなって思うんです。そもそも「普通に考えたらこうだよね」っていうところじゃない立ち位置から始まっていると思いますし……だとすれば、新しく出会った人にどう伝えていけるのかっていうことを考えたいですし、音楽の型だけじゃないアプローチができるグループだと思っているので。特にコロナ禍ではダンスを含めたショーの要素も重要だと気づけて、その部分を磨くことに繋がる期間になったんです。まだまだ伸び代があると思えてますね。

【関連記事】PassCodeが武道館に立つ意味、サウンドプロデューサーと南菜生が語るグループの軌跡


Photo by Shingo Tamai

<INFORMATION>

初回限定盤[CD+DVD]


通常盤[CD]


「Freely / FLAVOR OF BLUE」
PassCode
USM JAPAN
発売中

https://passcode-official.com/

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