デュラン・デュランが語る、80年代が特別だった理由、革新的であり続けるためのバンド論
Rolling Stone Japan / 2021年11月29日 18時0分
最新アルバム『FUTURE PAST』が大好評のデュラン・デュラン。80年代を席巻したニューロマンティックの旗手が、デビュー40周年を迎えた今も最前線を走り続ける理由とは? サイモン・ル・ボン、ニック・ローズ、ジョン・テイラー、ロジャー・テイラーの4人が大いに語る。
【画像を見る】デュラン・デュランの近影
ーニューアルバムの発売おめでとうございます。このアルバムはとても前向きで、さまざまな音楽スタイルがミックスされています。斬新な方法で、あらゆるものがミックスされたアルバムです。
ジョン:そう言ってもらえるのは興味深いね。先日、ニックが「僕らは過去と未来に片足ずつ突っ込む傾向がある」と言っていたけど、新しいアルバムでは、おそらくこれまでのどの作品よりも、自分たちの歴史を参照しているように感じているんだ。
ーどのような点で?
ジョン:まずは、マイク・ガーソン(デヴィッド・ボウイの鍵盤奏者)がゲストとして参加していること。彼はアルバムの最後の曲「FALLING」に参加しているんだ。マイク・ガーソンは、僕らが10代の頃に大きなインスピレーションを与えてくれた。このアルバムは、ある特定の時期の重要な出来事で締めくくられているんだ。例えば(CHAIをフィーチャーした)「MORE JOY!」は、10代の自分たちのことを指していると思う。でも、前を向いていると思ってもらえたのは嬉しいね。
ーみなさんはユニークなポジションを築いてますよね。40年もバンドを続けているのに、いまだに革新的かつ実験的であり、それを期待しているオーディエンスがいるのですから。
ニック:僕らが非常にラッキーなのは、柔軟性があることだと思う。ユニットとしての僕たち4人は、さまざまな方法で適応することができる。ジョンはシンセベースを弾きたがることがあるし、ロジャーはリズムユニットを使ってパーカッションを演奏するのが好きだし、サイモンはとても適応力のある声を持っているし、シンセでは好きなところに行くことができる。ベース、ドラム、ギターに固定された他の多くのバンドは、そのような柔軟性を持っていないと思う。自分が演奏するスタイルからサウンドを得ることができるわけだけど、僕らはそのような自由度が非常に高く、だからこそアルバムでも現代的なサウンドを保つことができるんだ。
グレアム・コクソンとエロル・アルカンの貢献
ーみなさんがおっしゃる通り、コンテンポラリーな音を鳴らしつつ、過去のあらゆる部分が参照されている。私がユニークなポジションと言ったのは、常に未来に向かいながら、過去を持ち歩いているように感じるからです。
サイモン:君が言ってくれた「オーディエンスが可能性を与えてくれる」という言葉も、何かに通じているような気がするね。新しいアルバムを出すたびに「Rio」を聴きたがるような観客なんていない。彼らは、僕たちが実験的で新しいことをすることに慣れていて、今ではそれを強く求めている。
ニック:興味深いことに、(どんなバンドも)1stアルバムを出すときにパラメータを設定すると思う。1981年に『Duran Duran』を出したときは、「Girls on film」、シーケンスを使った「Planet Earth」、オーケストラを使った7分間のインスト曲(「Tel Aviv」)などが収録されていて、すべてを決定づけていた。それが4枚目のアルバム『Notorious』になると、僕らはサウンドを完全に変えてしまったので、(タイトル曲の)「Notorious」がラジオで取り上げられるまで、レーベルが心配していたのを覚えている。
ジョン:僕らは、何かを真似しようとすることの間違いを、かなり早い段階で学んだ。以前にヒットした曲や成功した曲を書き直そうとすること。僕らはその間違いを犯したことがある。でも、特にギター・プレイヤーのセクションでは、このアルバムで結実した転換点があった。グレアム・コクソン(ブラー)のアルバムへの貢献度は計り知れないものがある。実はここ数年、サウンドのその部分を埋めるのにちょっとした問題があったんだけど、今回はとても刺激的なものにできた。
サイモン:最高峰のギタリストを起用したのは、(元メンバーの)アンディ・テイラー以来で初めてのことだ。
グレアム・コクソンは最近のライブにも参加
ニック:2015年の前作『Paper Gods』の大半でギターを担当したジョン・フルシアンテ(レッド・ホット・チリ・ペッパーズ)、彼も素晴らしい仕事をしたと思うけどね。
サイモン:彼が弾いていない曲もあったけど、たしかに彼はいい仕事をしてくれた。
ジョン:ジョンは(スタジオの)同じ部屋にいなかったという違いもあったかな。今回素晴らしかったのは、同じ部屋にいたギタリストが本当にクリエイティブで、曲作りをボトムアップから手伝ってくれたこと。アンディが(2001年の)再結成でバンドに参加して以来、そのようなことはなかったからね。グレアムが一緒にいてくれたことは、僕たちにとって大きな変化であり、とても良い気分転換になった。
サイモン:そして、彼はとても強い個性を持っている。グレアムがもたらす味があって、それは酸味と苦味の中間のようなものだ。彼は甘いギタリストではないし、不協和音が好きで、物事を少しずつ歪ませていくことを持ち味としている。それはアルバム全体に注ぎ込まれた強烈なフレーバーなんだ。
サイモン:彼が制作中に言ってたけど、どんなサウンドがデュラン・デュランに合うのか事前に考えていたそうだね。彼はペダルや自分のやりたいことを厳選していた。だから、来てくれる前から準備ができていたんだ。
ジョン:僕らはグレアムやエロル・アルカン(本作のプロデューサー)のような人たちに頼っているところがある。これまで一緒に仕事してきた最高のプロデューサーたちは、僕らに何ができるかを教えてくれたり、自分たちが何者であるかを思い出させてくれた。僕らは「これまでにやったことのないことをやりたい」と思う傾向があるけど、そこで優れたプロデューサーは「それが君のやり方だ! みんなが聞きたいと思っているものだ!」と言ってくれるんだ。こちらが「そうだけど、それはもうやったよ」と言うと、彼らは「そうだね、でも、それは君がやるべきことだよ」と返してくる。そういうフィードバックが必要なんだ。
エロル・アルカンが制作過程を語った動画
ロジャー:エロルは、このアルバムに対して確固たるヴィジョンを持っていたと思う。そのヴィジョンの一端を担ったのは、各メンバーの声に耳を傾けるようにすることだった。彼はドラムの音や叩き方、ベースの音、キーボード、ハーモニー、歌詞のアイデアなどをしっかり理解してくれていた。それに、最初のセッションの前に電話をかけてきて、「あなたの演奏がサウンドの大きな部分を占めることになるでしょう」と言ってくれたのを覚えている。
サイモン:今回のアルバムでは、ドラムがとても重要な役割を果たしていると思う。ロジャーが叩いたフィルのいくつかだったり、ドラムに込められたパワーやドライブ感に驚かされたよ。
ロジャー:それを復活させようとしたのは、間違いなくエロルのヴィジョンだったと思う。
ーこのバンドには「お荷物」がおらず、全員が常にスポットライトを浴びている。この相互作用の感覚は非常にレアです。
サイモン:僕らと話していればわかるだろう、みんな何か言いたいことがあるんだ。そして、言いたいことがあるなら早く言わないと、他のメンバーに邪魔されてしまう(笑)。
ニック:その点でもグレアムはよかった。なぜなら、他のギタリストや過去に一緒に仕事をした人たちは、僕らが長い歴史を持っているため、多少の脅迫観念を持っていた。でも、グレアムは自分たちよりも上手くやってくれた。彼の性格は非常に合っていた。
ジョルジオ・モロダーと念願のコラボ
ージョルジオ・モロダーとの曲「TONIGHT UNITED」も素晴らしかったです。彼との制作はどのようなものでしたか?
サイモン:楽しかったね。完全にオープンな状態で臨んだのを覚えている。無理をさせてはいけないという暗黙の了解があった。ジョルジオを自分たちの方向に押し付けようとはしなかった。それより、ジョルジオの方向に導いてもらいたかったんだ。ジョルジオが提案したことはすべて実行された。メジャー・マイナーのように。僕はコードの中でメジャーとマイナーがぶつかり合うのが好きだし、マイナーコードの上でメジャーを歌うこともある。でも、ジョルジオはそんなことをさせない(笑)。「それは間違った音だ、歌ってはいけない」と言うんだ。
ジョン:そして、僕らは謙虚に従った。ジョルジオの場合は、彼がどこに導いてくれるのか意識しなければならなかった。
ロジャー:彼は自分が何をしたいのか、本当によくわかっていた。時間を無駄にすることなく、自分が何をしたいのかを明確に実践していた。
サイモン:一緒に制作したのは4日くらいだったと思う。
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ニック:僕らは、最初から彼と仕事したかったんだ。もし1stアルバムに起用できたならそうしていたと思う。でも、当時はどうやって頼んだらいいのかもわからなかった。
5年ほど前、自分の誕生日でLAに行ったとき、ガールフレンドが「サプライズがある」と言ってきたんだ。ジョルジオと一緒にランチをしようって、彼を知っている友人を介して企画してくれたのさ。ジョルジオに会ったとき、まるで人生のすべてを知っているかのように感じた。というのも、彼がその時代に好きだったものや、参考にしたものがたくさんあったから。また、彼は『ミッドナイト・エクスプレス 』のサントラや、スパークスの『No.1 in Heaven』など、以前から僕たちに大きな影響を与えてきた。「なぜ一緒に仕事をしなかったのか」と言ってきたものだよ。
そこから実際にスタジオに入るまでに、さらに4年ほどかかったわけだけど、僕たちがモロダー・サウンドとデュラン・デュラン・サウンドが完璧に融合したものを作ったことは、ジョルジオも含めて誰もが認めていると思う。みんなが期待していた、あるいは夢見ていた通りの結果になった。彼はマエストロだ。
ダンスミュージックへの興味
ーライブを観に行って、観客の中に多くの若いファンがいるのはワイルドなことです。あらゆる世代がみなさんの音楽を発見しているような気がします。
ニック:それは、バンドとしても望んでいることだ。自分たちが始めた頃は、セックス・ピストルズのキャリアは2年程度、ビートルズは長くても7、8年程度だったから、その先のことは考えていなかった。僕たちも性急なスピード感で活動を送ってきた。そこから40年経った今でも、一緒に仕事をするのが楽しいと思えるのは、全員が満足できるものを見つけることができるからだ。
ジョン:僕らのようなアーティストの音楽を若い人たちに紹介するうえで、ストリーミングは非常に重要だと思う。70年代に音楽を探しに楽器店に行って、ビートルズのアルバムが目に入ったとき、まるで別の時代の遺物のように感じたのを覚えている。(解散から)まだ10年も経っていないのに、まるで骨董品のようだった。でも、ストリーミングによって古い音楽がブランド化され、すべてが現在のものになったことで、若いリスナーはあらゆるジャンル、あらゆる年代の音楽に、より民主的な方法でアプローチできるようになったと思う。
サイモン:誰もが10代のような気持ちで、ビリー・アイリッシュと同じようにジョージ・ハリスン、イーグルス、そしてデュラン・デュランを所有することができる。
ニック:今は、みんなジャンルにこだわらなくなってきていると思う。以前はヘヴィメタルのファン、ロックのファン、フォークのファンといったふうに分かれていた。でも今では、テーム・インパラと並行してボブ・ディランの音楽も好きでもおかしくないし、境界線は見事なくらい曖昧になっている。
Photo by Nefer Suvio
ー昔はとても神経質でしたよね。古い音楽と新しい音楽の違いとか、ジャンルの境界線に対して。
ロジャー:自分たちもすぐに気移りしていた。1978年にはパンクが終わっていたのを覚えている。そこからエレクトロニック・ミュージックのような次のものに向かっていった。当時はトレンドの移り変わりが本当に早かったけど、今は少し変わってきていると思う。
ニック:途中で何を発見するかも重要だね。10代だった頃の僕らに、大のファンク・ファンはいなかったと思う。シックやシスター・スレッジ、ディスコは好きだったけど、スライ&ザ・ファミリー・ストーン辺りは好きではなかった。でも、『Notorious』の前に彼らを見つけて、僕たち全員が大きな影響を与えられた。しばらくの間、この方向性で活動したいとも考えたけど、最初のアルバム何作かを出した頃はそんなことできなかったし、その段階まで届いていなかった。
サイモン:ダンスミュージックは常に存在していたと思う。60年代のソウルからモータウン、70年代のノーザンソウルを経て、90年代にはアシッドハウスやレイヴなどが大々的に取り上げられてきた。
ニック:僕らは最初からダンスミュージックを取り入れてきたけど、それは当時のクールなインディーロックの流れに逆らったものだった。誰もかっこいいと思っていなかったけど、自分たちにとってはピッタリだったんだ。なぜなら、人々に踊ってほしいと思っていたし、(クラブで)毎晩ダンスを見ているような環境にいたから。僕らはその一部になりたかった。
アメリカへの憧れ、ブレイクスルーの瞬間
ーみなさんは最初から異なるタイプの音楽をミックスしていましたね。特にパンクロックとディスコの融合は、アメリカでは心を揺さぶる革命となりました。
サイモン:本当にうまくいったよね。アメリカでは特に効果的だった。イギリスやヨーロッパよりもアメリカの方がうまくいったと思う。
ニック:(自分たちの音楽が受け入れられるのは)時間がかかったね。僕らがアメリカに来たとき、ラジオはとても奇妙な風景に映った。というのも、ラジオはしばらくの間、ずっと同じような内容だったから。
サイモン:彼らは、僕らの音楽をどこに入れたらいいのかわからなかった。ダンスやアーバンと括るには白人的すぎるし、ロックステーションにとってはアーバンでダンスっぽいから。
ジョン:「Hungry Like The Wolf」は、まさにFMラジオに引っかかってきた曲だった。
ロジャー:当時、同時代のバンドはほとんどギターを使っていなかったからね。イギリスでギターバンドとシンセバンドをミックスしたのは僕らだけだった。アンディはAC/DCが大好きだったから、その影響をサウンドに取り入れようとしたんだけど、結果的にそれがアメリカで受け入れられた理由だと思っている。
ニック:僕らは最初から、アメリカに行きたいと決めていた。それは大きな挑戦だった。イギリスのメガバンドといえば、レッド・ツェッペリンのようなバンドが最後で、それ以降、扉を打ち破った人は出てこなかった。僕らは「第2の波」のような形でアメリカにやってきた。ここにはたくさんの人々がいた。ビリー・アイドル、ポリス、ザ・キュアー、そしてラジオで自分の道を見つけようとしていた多くの人たち。
ジョン:ニューヨークで過ごした最初の夜、テレビをつけるとビリー・アイドルが「アメリカン・バンドスタンド」で「Mony Mony」を演奏していた。
サイモン:僕たちは、アメリカの観客から励まされてきたと思う。80%の女性、90%の女性、99%の女性という比率は、僕たちにとっては関係なかった。アメリカの人々が腕を振りながら踊ってくれたことに変わりはないから。
ニック:ブロンディと共演したときのことだ。ブロンディは親切なことに、僕らをサポートアクトとして迎えてくれた。僕らはブロンディが大好きだったし、今でも大好きだよ。アーティストとして非常に過小評価されていると思う。そのツアーに参加することで、物事が自分たちの思い通りに進み始めたのを実感した。それでホームに帰ってから数週間後、ラジオで「Hungry Like The Wolf」が好調に売れ始め、いきなり門戸が開かれたんだ。
ニック:イギリスのバーミンガムは、産業が盛んな灰色の街だ。僕たちはそこで生まれた。住んでる人々は素晴らしい。でも、僕たちは外に出たかったんだと思う。世界を見てみたかったし、ただそこに留まっているのは嫌だった。ニューヨークのアンディ・ウォーホルやヴェルヴェット・アンダーグラウンド、エンパイア・ステート・ビル、カリフォルニアの美しいビーチなどを夢見ていたから、少しでも早くアメリカに来たかったんだ。アメリカは僕らにとって重要な国だから、僕らが作る音楽も高揚感のあるものになった。僕らは自分たちだけでなく、人々の気持ちを高めたいと思っている。灰色の世界、困難、ストライキ、失業などについて書くのではない。そういった問題も痛感してきたけど、僕らはグラスが「半分空」ではなく、「半分満たされている」という態度を取ってきた。
ジョン:パンクは衝撃的で、あれがなかったら僕らはここにいなかっただろう。でも、パンクは非常に純潔なものでもあって、僕らはパンクの外に出なければならなかった。パンクは音楽に入るための力を与えてくれたけど、自分の道は自分で切り拓かなければいけない。ザ・クラッシュはそれを見事にやり遂げた。彼らは2~3枚のアルバムで自分たちの活動の幅を広げていった。それが僕たちに勢いを与えてくれたんだ。
80年代とはなんだったのか?
ーみなさんは音楽の枠だけでなく、ジェンダーの枠も超えています。私たちが慣れ親しんだものとは全く異なる女性像を取り上げてきましたよね。例えば、『Rio』のジャケットには、笑顔を浮かべる女の子の顔が描かれています。あれは今までに見たことがないものでした。
サイモン:君の言うとおり、あれは男性にも女性にも魅力的なイメージだった。彼女は性的なものではなく、人生のあるべき姿を示していたんだ。
ニック:音楽の革新が盛んに行われていた時代だった。この時代のアーティストを見てみると、誰もが自分のアイデンティティを持っていた。個人の創造性が問われる時代で、誰もがそれに応えていた。自分自身のスペースを切り拓かなければならないことを、誰もが知っていた。80年代を今振り返ると、ファッション、デザイン、アートなどすべてにおいて、あの頃のシーンが数十年後のすべてを発展させていったように思う。
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ジョン:今日のローリングストーン読者は、70年代や80年代前半に年末の投票を行い、例えばその年のベスト・ベーシストを読者が投票していたことに驚くかもしれないね。若いミュージシャンはそれを参考にして育ってきた。こういったことを考えるのは、ノスタルジーに浸るのとは違う。それは、僕たちが幸運にも受けた教育の賜物なんだ。
サイモン:何もかもバラバラだった。同じジャンルのバンドでも、それぞれの音がとても違っていた。
ニック:80年代は目立つこと、個性的であることが重要だった。90年代は逆に、周りに合わせることが重要だったように思う。同じトレーナーと同じジーンズが必要だったし、同じようなサウンドが必要だった。80年代はそんなことは全くなかった。
ー斬新なアイデアと個性を大切にしているようですね。
サイモン:僕たちがそういうふうに育ってきて、それが自分たちのスタンダードになったとも言えるね。だから、それ以下のもの、革新的でないもの、無難なものには魅力を感じないんだ。
ーデュラン・デュランはアルバムを15枚出してきましたが、すべて違いますよね。
ロジャー:『Rio』がこの時期の傑作だと言う人もいるけど、次のレコードでは全く違うものを作った。プロデューサーも違うし、スタジオも違うし、作曲も録音もまったく新しい方法で行なった。なぜ自分たちのDNAがそうなっているのかわからないけど、(変化することは)常に意識していた。
サイモン:今ではそれが当たり前になっているよね。『FUTURE PAST』が前作『Paper Gods』とどれほど違うか。自分たちが前作を完成させたとき、どれほど革新的だと感じたか覚えてる?
ニック:アルバムを出すときには、すべてのアーティストがそう感じなければならないと思う。その時点での自分の最高傑作であり、自分ができる限りのことをした結果、このアルバムの曲はこれまでの自分の作品を上回るものになっている。
サイモン:だって、新たに出すレコードは、それまでのキャリアの集大成なんだから。
ー『Paper Gods』パート2を作ってくれたら、多くの人が喜んだと思います。
サイモン:僕らはそうしなかった、ということだ。
ニック:僕らはみんな野心的で、創造性については特にそうだ。バンドを始めたとき、ジョンと僕は最初のレコードの計画を立てながら、きっと目標にたどり着けるだろうとわかっていた。よくコンサートに行って、照明の数を数えたり、舞台裏のトラックを見て「何台のトラックが必要だ」とか言ったりしていた。
ロジャー:14歳の頃から計画していたというから驚きだ(笑)。
ーみなさんの本の中で、ジョンとニックがロキシー・ミュージックを観ている美しいシーンがあります。町のクールな女の子たちがみんなそこにいたという記述や、ブライアン・フェリーがリムジンに乗り込むとき、シャンペンのコルクをあなたに渡す場面もあります。美しいバトンタッチですね。
ジョン:ロキシー・ミュージックには大きな影響を受けている。いろんな物事が同時に起こっている感じ、あんなバンドはそうそういない。僕らはストレートでわかりやすいものを作ることに興味はないからね。フレーミング・リップスのウェイン・コインが、自分でなんでもコントロールしたいものだから、前作の制作がいかに難しかったか語っている記事を読んだ。ドラマーも「何をしてほしいんだ?」という感じだったとね。でも、僕ら4人はそういうとき、自分自身をクリエイティブに表現することができる。それがこのバンドの楽しいところだ。サイモンがどんなコードを弾くか教えてくれるのを、みんなで座って待っているわけではない。そういうバンドではないんだ。
サイモン:なるほど、歌詞が完成するのをじっと待っているわけだね(笑)。
このバンドで音楽を作り続ける理由
ー『FUTURE PAST』は様々なサウンドとともに、いくつもの感情がミックスされています。驚くほど多くの喜びや祝福が込められている。このアルバムには暗いテーマも含まれていますが、それらがすべて一緒になっているので、喜びや祝福の気持ちがたくさんあることに驚きました。
サイモン:私は、光と闇の両方が必要だと思う。このアルバムの歌詞を書くために掘り下げたもので、見るからに難解な場所に深く入り込んでいる。
ジョン:例えば、昨年バンドの40周年を迎えたよね。そのことに僕らも最初は興奮していたけど、本当に祝われたいか?と思うようになった。ニックは、自分たちの記念日を祝うためにできる最善のことは、素晴らしいアルバムを作ることだと言っていた。アニバーサリーというのは難しいよね。そこまで到達するのが困難なのと同じように、そこに留まることも容易ではない。これは結婚記念日など、どんな記念日にも言えることだ。
サイモン:光と闇を繋ぐという意味で、象徴的な一曲が(トーヴ・ローをフィーチャーした)「Give It All Up」だ。オープニングは”僕らは夕暮れ時に、道なき道で迷い込んでしまった”と寂しい感じ。そこからサビでは”そんなの関係ない、あなたのためなら全てを捧げよう”と、ある意味ではアルバム中で最も祝福すべき歌詞が出てくる。この曲は愛、コミットメント、誠実さ、そして喜びについて聞き手に問いかけているんだ。
ニック:僕らは最初の頃から、アルバムの中で常に明暗のバランスをとっていたような気がする。光と闇を見なければ全体像は見えてこないからね。
ー私のお気に入りの一つは、そのテーマに沿った「Hammerhead」。サウンド、ヴォーカル、歌詞、あらゆる面で驚異的な曲です。
サイモン:この曲は、自分の内側が振り向いて、歯を大きく輝かせながら迎えに来ることを歌っている。自分自身と向き合うことを歌った曲だね。
ニック:僕らはどちらかといえば、元気の出る曲で知られていると思う。でも、どのアルバムにも大なり小なり暗い部分がある。今回はちょうど半々くらいのバランスじゃないかな。
サイモン:アイヴォリアン・ドールが”Im coming for you”と歌うくだりは軽快だけど、とても怖い何かが迎えに来ているようにも思えてくる。
ニック:曲が完成してミックスされる段階まできたところで、サイモンが「この曲にラッパーを入れたい、ロンドンのラッパーがいい、こんな声がいい」と言ってきたんだ。これはとんでもないアイデアだ、きっと素晴らしいものになるだろうと思った。そして、アイヴォリアン・ドールを見つけて、サイモンが頭の中で描いた曲に、彼女が新たな一面を加えてくれたのさ。
サイモン:元々はダークな方向に少し傾きすぎていたので、こうすることで明るくなると思ったし、女性のエネルギーもほしいと思った。それにユーモアまで加わって、曲の良さが倍増したね。
ロジャー:「Hammerhead」が素晴らしいのは、スローなグルーヴが機能しているところ。リズムセクションとしては、スローなグルーヴで感動させるのが最も難しい。僕らの初期作を聴いてみると、すごく速いんだよ。
ー最初にヒットした曲の1つ「Save A Prayer」は、スローでありながらスピード感もある。悲しくもあり、楽しくもあります。
サイモン:それがいいんだろうね。僕は憂鬱な気分を怖れたことはない。ちょっとしたスイッチを入れるだけで、それが喜びに変わるような美しさがあると思っている。
ニック:あの曲は、アメリカだと特別ヒットしなかったよね。3rdアルバムを完成させたとき、先に「Union of the Snake」を出して、次のシングルに移ろうとしていたとき、ちょうどナイル・ロジャースと一緒に「The Reflex」を作ったのを覚えている。「最高のサウンドだ、これこそ望んでいたものだ」とみんな言ってたよね。でも、レコード会社のキャピトルは「この曲はうまくいかないだろう。ラジオに馴染みそうにないし、君たちらしくない曲だ。我々としては『Save A Prayer』を再リリースしたい」とのことだった。その判断はクレイジーだと思ったよ。僕らは新しいアルバムを出して、ナイル・ロジャースと一緒にこの曲を作ったばかりで、とても気に入っていたから。だから、キャピトルとは大いに争ったよ。そうしてリリースされた「The Reflex」が、当時の僕たちにとって最大の世界的成功を収めたのはご存知の通りだ。
ーあなた方は長年にわたって多くの外部プロジェクトを行ってきました。しかし、何かがあるからデュラン・デュランに戻ってきて、今も一緒に音楽を作っている。その何かとは?
サイモン:僕の場合、一人でやるほうはうまくいってるし、ギターで曲を書いたり、ボートレースをしたりと充実している。でも、彼らと一緒にスタジオに戻ったら、自分でもびっくりするようなことができるんじゃないか。そういう思いが常にある。ひとりでやっていると、自分を驚かせるのは非常に難しいけど、このユニットは僕を驚かせてくれる。そのチャレンジに立ち向かい、自分の仕事をこなすことができるのは最高のスリルだね。
ニック:僕たちは、お互いの精神を高め合うこともできる。多くのバンドがいつも喧嘩をしていたり、楽屋が違っていたりして、お互いに話さなかったりする。でも、僕らは一緒にいるのが好きだし、みんなで仕事をすると、ひとりでは到底生み出せないエネルギーを感じられるんだ。
ロジャー:僕らはみんな、お互いが最大のサポーターだと思う。足を引っ張ろうとする人もたくさんいたけど、いつもみんなで助け合ってきた。
ニック:最後に、デビュー当初の僕たちに辛辣な評価をしてきた方々に感謝したい。悪い評価を受けるたびに、「そんなものは無視しろ」とばかりに前身してきたからね。
From Rolling Stone US.
デュラン・デュラン
『FUTURE PAST』
発売中
詳細:https://wmg.jp/duran-duran/
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