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Yogee New Waves 角舘健悟が語る、雑多な世界で見出した歌のバランス感覚

Rolling Stone Japan / 2021年12月6日 19時0分

Yogee New Wavesの角舘健悟(Photo by Yukitaka Amemiya)

全国ライブツアー「WINDORGAN TOUR 2021」を全公演終えたYogee New Waves。Rolling Stone Japanでは、フロントマンの角舘健悟にアルバム『WINDORGAN』の制作や自身の音楽ルーツなどについて語ってもらったインタビューをお届けする。聞き手は京都精華大学などで講師も務めるライター/音楽評論家の岡村詩野。

【写真】Yogee New Waves

─音の良さにまず驚きました。

角舘:あ、嬉しい。そうなんですよ。これまでとは全然違うと僕も思っています。音作りについてはエンジニアさん……柏井(日向)さんとかなり話したんです。マスタリングもかなりガッチリと……四角形になるように、広がるような感じにしてもらいました。フルレンジで酸素がみっちりと行き渡るような感じ。それが今の音だよなって。

─立体的という意味ですか?

角舘:そうです。一つ前のアルバム『BLUEHARLEM』(2019年)の時に、その柏井さんの録り方をメンバーと一緒に学んだ感覚があって。最初は戸惑ったんですよ。ギター・ロックだからもっとギターがでかくていいし、それに対して低音をスッキリさせた方がバンドっぽくていいなと思っていたし。でも、ある時からそういう感覚を排除したんです。ロウがちゃんとムチっと出てて、それがギターを押し上げていて、ドラムもキレイに録って……って感じの音作りに変えてみたんです。

─今回、歌のうまさ、ヴォーカルのクリーンなタッチが際立っているのもそれが理由なんですか?

角舘:あ、そうかも。

─もともと歌の表現力がある人だとは思っていたんだけど、もはやヴォーカル・ミュージック的な良ささえ感じさせます。

角舘:嬉しい。そこ、すげえ、大事にしているところですね。実は少し悩んでいた時があって。実は喉の調子が良くなかった時期があって……去年の8月くらいに、特に調子がよくなくて。

─え! 知りませんでした。

角舘:ハードなツアーを回ってきた幸せの代償かなとかって話をしていたんですけどね(笑)。それで一回歌い方を見直したところがあったんです。でも、それによってまた変化してきた。その胸骨が鳴ってる感じを柏井さんが録ってくれるから、歌ってて楽しいっていうのが大きくて。それで、昔の歌い方に少し戻っていったんです。1枚目を出してた頃のエッジーで、ちょっとイジワルな歌い方(笑)に。『BLUEHARLEM』の時はもっと優しさとか愛とかが声の中にテーマとしてあったんだけど、そこにもうちょっと負のエネルギーが入ってきてて合体している感じですね。一般的にイメージされるような、暖かい感じの優しさだけだと強いものを伝えるのが難しい。でも、そこにイジワルな感じ……裏を返すと頑固ってことなんですけど、優しいけど意志の強い声というのを今すごく狙っているんです。その両サイドがミックスされた感じ……これは歌詞の世界もそうですね。


エッジーさと優しさが共存する歌声

─そういう部分で、具体的にイメージしているシンガー、ヴォーカリストっていますか?

角舘:……ルイ・アームストロングかなあ。まあ、めちゃめちゃ特殊。例えば、”Heaven”の発音の”ven”のところ、濁音の響きみたいなのが低音に繋がってる感じがする。コロナ中によく聴いてたかな。あと、(椎名)林檎さんも。ある意味、ふしだらな感じもするエロティック。アニタ・オデイ、ヘレン・メリルとかもそうだけど、ふしだらであればふしだらであるほど美しくなっていく世界観。あの歌の感じが今すごく表現したい感じなんだよね。

─角舘さんは「優しい声質、歌い方」と評されてきたことも多いでしょう? それに対して本意ではなかったりもした、と?

角舘:もっと言いたいことがあるんだと思う、自分の中で。ファーストの時のエッジーな感じをダブル(ダビング)で出して、もっとハッキリと感情を吐露したいとは思っていました。ただ、そうした思いで歌について変化を探っていた過程で、喉の調子が良くなくなったんだと思う。エッジーな部分でそれを実践しようとしたら無理が出たというか。なので、負のエネルギーで曲を書くことをやめて、もっと明るくてポジティヴな感じで曲を書いたりもしたんですけど、それじゃダメだってことに気づいて。ちょうどその頃、治療のおかげで喉が元に戻った。だからこそ、負のエネルギーと陽のエネルギーをミックスしたスタイルになったんだと思う。調子が悪いことに気づいてなかったらもっと柔らかい、フラワーな感じになっていたと思うな。実際、1日30分までしか話してはいけません、ってお医者さんに言われて、それが結構つらくて自分の中でバグってしまって。どうしていいかわからなくなったんだけど、また自由に話したり歌えるようになったら、自然と昔のエッジーな歌い方と、柔らかい優しい歌い方が共存したような感じになって……結果としてはすごくよかった。もちろんまだ模索してる。昔は幼い声を高く使ったりしていたんだけど、声が渋くなっていて、自分の中で、表現における男性性が強くなったかもしれない。

─新作を聴いても声域が少し下がった印象は確かにあります。

角舘:テンションが高い時だったら高い鳥のような歌い方ができてたと思うんだけどね。その頃は食事制限もしてたしボイトレもしていたし。でもその変化が今回のアルバムには現れているんですよ。半々かな……調整前と調整後にそれぞれ歌入れしたものが入っています。


空気と調和する音づくり、夢へ続く歌詞の世界観

─なるほど……そもそも『WINDORGAN』というアルバム・タイトルから、私は「ふいご」のように空気を体に送り込んで音を出すような感覚に近い歌を聴かせているのかな、と感じていたんです。つまり、喉とか口で操作して歌うこと以上に、体全体を振動させたり響かせて歌う、と。そういう意味でも今回は歌が際立ったアルバムという解釈になるんですけれど……。

角舘:そういう感覚めちゃくちゃありますね。例えばリード楽器のサックスで言えば、(喉を指して)ここが振動するわけじゃないですか。体に空気を送り込んで鳴らされるという意味ですよね。「WINDORGAN」ってオランダにある建築物なんです。風や空気の振動によって音が鳴ったりするような。それに気づいた時、人間の体の在り方……声の出し方にそっくりだなって思ったんですよ。それは声とか歌だけじゃなくて、心で感じるようなことにも繋がるんですよね。だから、そういう解釈は本当にバッチリ!ですよ。

─しかも、それに伴って音質までもが変化している。最初にも話したようにすごく音がいい。それも、敢えて例えるならBGMになってもおかしくなさそうな、近年再評価が進む環境音楽やアンビエント音楽の音の質感にも似ているように感じます。



角舘:あ、それは嬉しい。アンビエント、すっごく好きでよく聴いてきたんですよ。通っていた大学で電子音楽をよく勉強していたんです。ライヒとかクセナキスとかの周辺の。音の振動で出したものがそこでエネルギーとなるけど、アーリーリフレクションとして返ってくるものもある、みたいな解釈はその時に学んだし。「Toromi Days」では自らシンセ……ヤマハのDX-7を弾いたんです。で、そこに薄く(ローランドの)JUNOを同じMIDIで通して……って感じで。裏ではよく聞こえないかもしれないけど、ギターをリバーブで薄く入れたりもしているんです。そういう音作り、機材の使い方ですよね。リバーブ、大好きで家に10個くらい持っているんですけど、コロナ期間中はそういうので音を作ったり試したりしていました。そういう環境で音を鳴らしていたら、鳥が家のそばで鳴くようになったり……アナログ・シンセと空気の調和っていいんだなって気付かされたりね。だから、例えば、部屋でマラカスを振って歩いている音を「Jungrete」の最初に入れたりしていて。「Long Dream」前後は部屋から町へ、そして夢の中に入っていく、という流れをうまく伝えたくて。ポエトリーをうまく表現して一つの作品にしたかったんですよね。

─その「Jungrete」でラップ……というかポエトリー・リーディングにトライされています。この曲から「Long Dream」を経た終盤は繋がりが非常に美しくて、実際に「Jungrete」の最後が”Long Long Dream”という歌詞になっているというのもありますし、「Long Dream」の次の曲……つまりアルバム最後の曲「White Lily Light」は歌のタッチがすごくオブスキュアで、確かにちょっと夢の世界に突入したような感じがします。

角舘:そうですね。「Jungrete」って、「Jungle」と「Concrete」という言葉を使った、「Concrete Jungle」を逆さまにした造語なんです。地方から東京に来た人からすれば、まさに建物やビルがジャングルのようになっている冷たい印象があるわけですけど、東京生まれの俺からすると、それがもう当たり前というか。木が覆いかぶさるようにビルがあって、そこによじ登るようにして遊んでいたし、そこを颯爽として行く感じが逆にすごく自然だった。言ってみれば「Long Dream」への発射台みたいな感じ。だからこの曲は確か詩が先だったんですけど、そういうプライベートと外と夢とが地続きになった感じがこの「Jungrete」から「Long Dream」へと繋がる流れに表せたかなと思っています。


クロスオーバーする属性の楽曲が生まれた背景

─でも、実際はジャストにラップでもない、ポエトリーでもない、トラックはちょっとブラジリアンだったりもするし、幻想的な音処理もあいまって、属性がよくわからないクロスオーバーした面白さを引き出しています。

角舘:曲は確かにヴァラエティに富んでますよね。それはまあ僕が雑多な聴き方をしているからというのが大きくて。ジャズもパンクも……広くいろんなものを聴くんです。で、Yogeeでアジア・ツアーをして思ったのは、それっていわば人種の異なるジャンルの中でツアーをするわけじゃないですか、その中で自分を表現しないといけない。そこに通底しているものはなんだろう?ということの着眼点がそこにあるんですよね。その上で、表現するポイントは、それこそ愛とかこの時代を生きているという実感とかでしかない。それこそ雑多なんです。でも、東京という町に住んでいる自分としては、そういう雑多さも自分のリアルだと思っているわけです。古着好きだからハイブランドを買っちゃいけないわけじゃないでしょ? そういう中から出てくるもので勝負したいんです、ミュージシャンとして表現者としてね。

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─今回のアルバムは、そのアジア・ツアーの成果のようなものでもある、ということなので、その体験によって改めて実感した東京に暮らす者としての雑多感を意識するようになり、それを曲や作品でも表現できるようになった、と。

角舘:例えば、それって好みにも現れているんです。自分の音楽を聴くハードル……これは好き、これは嫌い、とかっていう基準があるとすれば、「自分らしく自分の表現している」というだけで好きになっちゃう。その人の背後にあるものを想像するだけで聴くことに値する、みたいな感じになる。ただ、それは、そのアーティストのドキュメンタリー映画を見てもっと好きになっちゃう、みたいな感覚とはちょっと違って。そういうのはもう本当にラブなアーティストだけでいい。中学生の時に好きだったハイスタとかフィッシュマンズとか銀杏BOYZとかね。でも、僕は銀杏BOYZを聴きながらカウント・ベイシーも聴いちゃうの。たぶんそれって自分の体で実験しているってことなんだと思う。自分の体に何か(音楽)を入れてみて、みんなは「それとそれの食べ合わせは合わないよ」とかっていうような組み合わせでも、食べてみないとわからないし、実際に食べてみたら新しい何かが実感できるかもしれないでしょ。それを俺は、歌謡曲という日本人の心のようなもので形にしたいと思っているんですね。

─属性があって、そこに従っていた方が安心だしラクですよね、本来。でも、角舘さんは音楽にそういう対峙の仕方はしない。

角舘:そう。実際、僕がリスペクトしているバンドってもともとそうやって食べ合わせの悪いとされるようなものを混ぜて作品を作っていると思うんです。それと同じで、僕も角舘健悟しかやらないような組み合わせで曲を作っていきたいし新しい表現をしていきたい。その代わり、そういうことをやっていたら友達は減るのよ(笑)。だって、統一されたジャンルとして人とグルーヴしないから。「それが好きならこれも好きでしょ」っていうのがないから。だから、今回のアルバムも曲ごとの元ネタがないんですよ。何かと何かが合流してはいるんだけど、それが何と何との合体なのかとかは自分でもわからない。Yogeeってシティ・ポップだよねって言われたりするけど、それも当人としては全然わからないしね(笑)。


メンバーとのぶつかり合いの中で生まれたメロディ

─でも「Ana no Mujina」なんかは割と明確に70年代のアメリカの音楽のアーシーでいなたい風合いが根っこに感じられます。ザ・バンドとかリトル・フィートとかの、少し後ろにもたつく感じのリズムを基調に洗練させたギター・サウンドへと昇華させていて。

角舘:僕は昔ドラマーだったからビートの観点が強くて。それが何のルーツかはわからないし、どこから発祥されたものなのかも正直あまりわかってないまま曲を作っちゃうんです。この曲であれば、最初はもっとメジャー7thのコードを多用したものだったんですよ。

─え、それはまったく想像がつかない。

角舘:でしょ? ところがウチ(Yogee)のボン(竹村郁哉)や上野(恒星)くんはもうちょっと土臭い感覚が好きだから、合わせてみたら全然違う感じになってきちゃった。それが最初はイヤだったの(笑)。俺の気持ちはこんなんじゃない!って。でも、やっていくうちに彼らが楽しそうだったっていうのもあって、じゃあ、もうメジャー7th抜いちゃえって。俺は偏見が強い男だから、メンバーとぶつかることも多いんだけど、この曲に関して言えばよかったなと。メンバーみんな俺の気分を大事にしてくれてるから、俺がこうしたい!って言ったらそれを尊重してくれるんだけど、でも、当然彼らにだってやりたいことがあるわけで。「Ana no Mujina」はそうしたぶつかり合いのアンサーみたいな曲でもあると思う。でもそういうプロセスによって、俺もそういう土臭い音楽の良さがだんだんわかってくるようになったし、あとから、「細野晴臣さんのメロディみたい」って言われたりして、そういえば細野さんの作品好きで聴いていたしなあって思い返したり。



─それこそ雑食でいろいろ聴いていることが生きてくる。

角舘:そうそう。ごちゃまぜになっているから。それによって最近頑固さがとれてきた(笑)。例えば1曲目の「SISSOU」って、これ、僕にはアズテック・カメラなんですね。でも、それってギター・ポップとしてのアズテック・カメラじゃない。ロディ・フレイムってジャズに影響を受けているじゃないですか。そういうところが僕は好きで。すごいブラックな要素が入っているでしょ? 4枚目くらいになると本当にジャズっぽい曲もあったりするじゃないですか。ドギーなギター・サウンドなのに、ジャズの要素もあれば良質なアカデミズムを感じさせる部分もあって、そういうところがアズテック・カメラの好きなところなんですよ。それって僕自身にもあるなって思うし、そういうところに都会性もあると思うしね。好きなモノに対してすごく正直な人なんだなって。コミュニティとか属性に委ねてないところとかもすごくいい。


やりたいことに正直つくった20代最後のアルバム

─そういうアズテック・カメラのロディ・フレイムみたいな存在をお手本にすることで、30代を前に、今、どういう気づきがありますか?

角舘:いってもまだ30歳じゃないですか。医療が発達していって、俺がおじいちゃんくらいになった時には120歳くらいまで生きられるようになるかもしれないわけですよ(笑)。90代でバリバリ現役かもしれない。そう思ったら、2年、3年くらいの時間軸で悩んだりすることもないって思いますよね。確かに山下達郎も好きだけど俺はハイスタも好きなわけですよ。そういう自分の”好きなものに正直になる”感覚を大事にしていくことをブレないでやっていけばいいなって思う。だから、ロディ・フレイムの”普通のカッコをしてトガったことをやった方がよほどパンク”って発言、すごくよくわかるし、それでいいんだって確信を持てる。そういう意味でも、今回、曲順もメンバーに決めてもらってよかったと思う。もちろん、いい曲順のアイデアを彼らが出してきてくれたからなんだけど、そもそも俺はあまり曲順を決めるのがうまくなくて。アルバムを通して聴くのは好きなのに、得意じゃないんですよね、そうやって自分で自分の曲を客観的にまとめるのって。なぜかっていうと、実はこれまで……10代、20代って本当にやりたい曲、書きたい曲をとにかくたくさん書いてきたからなんですよね。自分の心の赴くままにとにかくいい曲を作る!って感じで自分がやりたいことに正直にやってきたから。だから曲順みたいなのを決めることはこれまでは得意じゃなかったんですよね。

─体の求める本能のまま活動してきたってことですか。

角舘:そうです。ある意味自分を泳がせていました。自分がどういう時に曲を作るのかっていうのをあまり気にしないようにして。少なくとも30歳まではそういうふうに自分を分析するんじゃなくて、「できた!」っていうのだけを「オッケー!」にしようと。そういうのってもちろんメンバーが大変なんだけどね(笑)。でも、30代に入ったら少し変えてみますよ。

─いい意味で、すごく計算して動いているイメージも一方であったと思いますよ。

角舘:全然! 全体の音のバランスとか、そういうのも最初は本当に考えない。今回で言えば、「windorgan」が一番トラック数が多くて……100くらい使ったかな……ミックスも自分でやったんだけど、そういうのも全部最初から考えていたわけじゃなかった。なんなら、今回のアルバム自体、オリンピックが来る、でもまだコロナは来ていない……という、東京の町が活性化していた時に作り始めたから、当初はこんな作品になるとは思っていなかったわけです。そもそも去年中に本当はリリースする予定だったから。それこそ、さっき話したように調子が良くなる前に録音していた曲も半分はある。でも、それは調子だけじゃなくてコロナでなかなかみんなで集まれなくなったとか俺自身も気持ち的に少し沈んでしまったとか、そういうこともあって、それなら、いっそ延期しようってことになったんですね。でも、結果として延期したことで大事な期間を過ごせたと思っているし、聴いてくれる人にも僕ら自身にも寄り添えるアルバムになったと思ってます。20代最後のアルバムがこれだったのはよかったと思いますね。


Photo by Sho Nakajima



飽和された時代のアンバランスな組み合わせ

─これから30代。でもまだ30代。山下達郎とハイスタを同時に愛せる自分をブレさせないで、どうやって次のステージを展開させていきたいですか?

角舘:俺、ずっとハードコア・パンク・バンドでドラムをやってきたんですよ。その頃に、今の事務所の社長とも知り合ったし……まあ、原点みたいなものなんですよね。愛情の伝え方って様々ですけど、パンクだってそういうハート型の音楽になりうるわけじゃないですか。パンクは最もエネルギーが表出された音楽だと思っているんですけど、それをちゃんと本当のハートの形にしてあげたらどんな音楽になるんだろう?って、そういう風に思って始めたのがこのYogeeなんですよ。トゲトゲしたハートじゃなくて、うっとりするような綺麗なハートの形にするにはどうすればいいんだろう?って、ずっと考えてやってきたし、そこは変わらないと思います。そういう意味で、俺には星野源さんはパンクスなんですよね。丸いものを丸いままやる良質な音楽って、世の中にもういっぱいあるじゃないですか。例えば俺はパット・メセニーも好きですけど、パット・メセニーの音楽が好きでパット・メセニーみたいな音楽をパット・メセニーと同じようにやっても面白くないでしょう? それはもうパット・メセニーでしかないわけだから。でも、パット・メセニーが好きでもギターじゃなくてピアノで表現したらどうなるだろう?って、自分はピアノをずっと弾いてきたからピアノでやってみたらどうなるだろう?って。パンクが好きな感覚を美しいハート形で描くって、そういうことなんだと思いますね。飽和されている時代だからこそ、そのアンバランスな組み合わせっていうのも時代を作っていくことになる、その礎になっていくのかなって思います。むしろ、一つに縛られずにいられる時代……ラッキーだなって気がします。

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──パンクをハート型で描く音楽人生、結構遠回りになるとは思うのですが、そこに敢えてトライしたいと。

角舘:そうです、あえて遠回りをしようと思ってます。人生長いんだし。だから今はカエターノ・ヴェローゾを聴いています。去年まではスティーヴィー・ワンダーの『トーキング・ブック』『インナーヴィジョンズ』『ファースト・フィナーレ』、あの3枚ばっかり四六時中聴いてました。スティーヴィー・ワンダーの愛というのを知りたかったからなんだけど。彼の言ってること、彼のすべての表現が好き、でも、今の僕はスティーヴィーのようなことができるバンドにいるわけじゃないし、さっきのパット・メセニーじゃないけど、そういうことをしたいわけでもない。でも、きっとどこかで自然に出ちゃうんじゃないかって思うんですよ。その感覚を活かしながら、丁寧に自分らしく、自分の音楽としてクオリティ高いものにしていくってことをしていきたい。それって最高の人生だと僕は思います。

Edited by Haruka Iwasawa

<INFORMATION>


『WINDORGAN』
Yogee New Waves
ビクターエンタテインメント
発売中

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