『GUNDA/グンダ』映画評 モノクロームの映像美で綴る、ある母豚の日常
Rolling Stone Japan / 2021年12月14日 18時30分
ホアキン・フェニックスがエグゼクティブ・プロデューサーに名乗りをあげ、世界の名だたる映画作家たちが絶賛する映画『GUNDA/グンダ』。”最も革新的なドキュメンタリー作家”と称される、ロシアのヴィクトル・コサコフスキー監督の最新作は、モノクロームの美しい映像美で綴る、母豚の日常をありのままに捉えた93分のドキュメンタリー作品だ。
12月10日より日本でも公開を開始した、ヴィクトル・コサコフスキー監督の最新作『GUNDA/グンダ』。本作を最も端的に表現すると「豚の一生の一部を題材にした映画」、こうなるだろう。主人公は、人を引きつける表情豊かな眼差しが印象的な、ノルウェーの農場に暮らす母豚のグンダ。映画『GUNDA/グンダ』は、生まれたばかりの子豚たちが鳴き声をあげて互いを押し退けてもがきながらグンダの母乳を求めるシーンで幕を開ける。子豚たちの鳴き声には、痛々しいとは言わないまでも、絶望感と満たされない感情のようなものがある。こんなに小さな生き物が必死に生きようとしているのだ。観客は、グンダが起き上がって体勢を整えようとしたのは、生まれたばかりの子豚が押しつぶされてしまったからだと思うかもしれない——苛立ちに満ちたグンダの鳴き声の理由はそこにあるのかもしれないと。だが、カメラが干し草をとらえてから母乳にありつけずにいるひ弱な子豚を映し出すと、グンダは容赦なくひづめで子豚を踏みつけて間引きする。悲鳴が響き、観客は戸惑うーー。
冒頭の数分から、グンダは示唆に富んだ緻密なモノクロ映像とともに観客の前に現れる。グンダが暮らす農場をはじめ、すべてのシーンは自然光だけを頼りとし、時代や場所などの情報を教えてくれるナレーションや字幕は一切ない。カメラとカメラがとらえる美しさを除いて、人間の痕跡や「映画」というあからさまな装置の存在を暗示させるものはほとんどないのだ。ここはグンダの世界。グンダが子育てに励み、子豚たちの要求、習性、本能、感情といった表現が難しいながらも親密な世界が繰り広げられる農場に私たちは放り出される。
© 2020 Sant & Usant Productions. All rights reserved.
スクリーンに映し出される世界は、何もグンダと子豚たちのものに限定されていない。そこには牛や、とりわけ印象深い一本脚の鶏といったほかの家畜も含まれる。まさにこれが同作のテーマなのだ。『GUNDA/グンダ』は、過剰なまでに擬人化された紋切り型の可愛らしい動物描写に対するノーカットの反論である。さらには必然的に、彼らを食べることをやめようという訴えでもあるのだ。
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何年も前から『GUNDA/グンダ』の構想を温めてきたロシア出身のコサコフスキー監督は、同作を通じて難しいことに挑戦している。監督は、私たち全員に正直であることを求めるのだ。辛辣かつ多様な戦略——考え抜かれた策略の賜物であるものの、その多くは保守的なミニマリズムに近いのだ。それを通じて監督は、映画を媒体とすることで同じ正直さを要求する。写真乳剤(訳注:写真術で用いられる感光材料の一種)を使うプロセスには、『GUNDA/グンダ』に登場する動物の皮から抽出された動物性コラーゲンのゼラチンが使用されている。こうした家畜を扱う映画は、本質として被写体を殺しているのだ。
コサコフスキー監督にとってこれは偶然の事実ではない。それと同様に、私たちが見ていると思い込んでいるものが実際にはそうではないことも偶然ではないのだ。『GUNDA/グンダ』は、被写体の世界と私たちの世界に与えるインパクトを最小限に抑えながら、美しさと雄大さを描こうというコサコフスキー監督の試みである。同作は、グンダが暮らすノルウェーの農場や牧草地だけでなく、スペインとイギリスで数カ月にわたって撮影された映像で構成されている。一見同作は、過剰な撮影と膨大なゴミと引き換えに実現される明晰かつ親密な自然美をねらっているかのような印象を与える。だが、実際コサコフスキー監督が撮った映像の合計はわずか6時間にすぎない。可能な限り動物たちの世界に溶け込むために監督が研究に費やした時間は、ここには含まれていないのだ。「必要性がなければ撮りません」と監督は言った。「無駄にするべきではありませんし、私が[撮影開始]ボタンを押すのは、本当に必要に迫られた時だけです」
ゴミを最小限に減らすにはどうするべきか? コサコフスキー監督は、グンダのために大きな納屋をつくり、すべての角度から内部の出来事を撮影できるようにカメラを数台設置した。移動しながら被写体を撮影するトラッキングショットは、後で使えるように前もって撮影した。監督の判断は、グンダの一挙手一投足の意味——鮮明で注意深い映像、ARRIのミニカメラ・ALEXAがとらえたグンダの納屋の映像、顔の周りを飛び回るうるさいハエにじっと耐える牛の姿を写したステディカムの生き生きとした映像など——に不適当なプレッシャーを与えてしまったのかもしれない。
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だが、『GUNDA/グンダ』の面白さは、どういうわけか、こうした要素がすべて重要であるという点にある。コサコフスキー監督のねらいは、動物たちの日常をただただ観察すること、ひいては数カ月にわたって動物たちを撮影し、目の前で子豚の成長を見守りながら、彼らの内面世界のようなものを観客に感じさせることにあるのだ。これ以上シンプルなことはない。牛、鶏、グンダと子豚たちは、互いのことを知らない。YouTubeの再生履歴画面に表示されるような「動物界の意外な友達」的な動画とは違うのだ。同作は、日常生活における動物たちの近接性を暗示することで社会的な関係性をつくりあげている。一貫性のあるストーリーを語ることに焦点を絞り、埋められない溝を埋めようとすることで、私たちが脳内で存在しない関係性を構築することを奨励しているのだ。
そのうえ同作は、美的一貫性という手法を用いて動物たちの正当なつながりを提示している。納屋、牧草地、養鶏場を離れた鶏が生まれて初めて足を踏み入れる新しい世界など、コサコフスキー監督の映画づくりには、計り知れないほどのパノラマ的な衝動が込められている。コサコフスキー監督とともに撮影にあたったエーギル・ホーショル・ラーシェンは、物語の冒頭からループのような筋立てをいくつか構築している。監督は、それぞれのグループのできそこないや孤独を好む動物を見つける手腕に長けているのだ。さらに重要な点として、監督は観客の目線を動物たちの目線と同じレベルに限定している。そこから得られる効果は明白で、インパクトも大きい。監督がこうした図式から逸脱した時でさえ——木に縁取られた土地に沿って牛たちが自由に草の上を駆け巡るドローン映像など——『GUNDA/グンダ』の広大さには一貫性がある。
その広大さには、感傷的ともいうべき偉大さがある。それは、私たちが持っている動物の感情生活の感覚へと戻ってくる。私たちは、尻尾を振り、顔中にハエがついた高貴とは言えない動く牛——当然、家畜なので耳にはタグが付いている——のポートレイトを提示される。『GUNDA/グンダ』のカメラがとらえた被写体のなかでも、カメラを見つめ返す頻度がもっとも高いのが牛たちだ。ある時点で私たちは、彼らの眼差しを通じて自分自身に立ち返る。こうした眼差しに意識がないと言えるだろうか? 牛たちは、互いの尻尾を使ってハエを追い払う。そこにあるのは、まさに絆なのではないだろうか?
または、養鶏場から恐る恐る出てくる鶏たちを見てほしい。コサコフスキー監督は、そこここでこうした映像のスピードで戯れている。鶏の小刻みな動きは、スローモーションによってまったく見慣れないであるかのように映る。その見事な効果は、当初カラーで撮影された同作が色補正によって無感情なモノクロ映像になったのと同じくらい際立っている。スローモーションがとらえた鶏の脚のクローズアップは、感情を掻き立てる。私たちは、鶏そのものを宇宙人のように異質な存在と感じるのではなく、鶏が初めて草を踏む感覚に戸惑うのだ。
少なくとも、これが『GUNDA/グンダ』の印象である。視覚技術が生み出す強烈なテクスチャーとすべてを俯瞰する神のような力によって、ありのままのグンダが映し出されている。人間は登場しないものの、カメラを動かしているのがグンダや牛たちだとは誰も思わないだろう。同作は、動物たちを擬人化せずに個として描き、人間が与える明確なインパクトを無視することなく人間を排除している。餌をやっているのは人間だ。動物の世界を分割して柵を設けたのも人間だ。誰か(コサコフスキー監督)があの納屋を建て、誰かが干し草を置き、養鶏場に鶏を入れた。そこから鶏たちは、突然与えられた自由は何らかのイタズラなのではないか? と不審に思う囚人のようにゆっくりと養鶏場から出てくる。そして、衝撃的な結末につながる農業車両を運転しているのも人間なのだ。
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『GUNDA/グンダ』の悲劇は、少なくとも映画のストーリーの範疇においては人間の産物である。そして同作は、このストーリーに抗おうとはしない。というのも、同作は終始『プラネットアース』のようなドキュメンタリーの単純明快なストーリーの楽しさを拒絶しているのだから。コサコフスキー監督は、ストーリーに抗っているわけではない——最終的には、そうすることが賢明だったのかもしれないが。命は誕生とともに始まり、死で終わる。それ以上でもそれ以下でもない。監督の敵は、かわいい擬人化なのだ。だからこそ、グンダの赤ん坊のピンクがかった白さや色味の違う目といった要素は、すべて同作から排除されている。自然という魔術師が生み出す音響デザインは、私たちの没入感をさらに高めてくれる。カメラの前で放尿したり、カメラをじっと見返したりする動物のシンプルな動きを通じて私たちが動物の感情的ならびに社会的な生活を目の当たりにするとどうなるのだろうか? 私たちは、彼らにより親しみを感じ、ただかわいいというよりは自然体である動物たちに以前よりも無頓着でなくなるのだ。納屋から顔を出して雨粒を飲もうと口を開ける子豚は気高さすら感じさせる。それは、かわいいという概念とはかけ離れたものである。
『GUNDA/グンダ』は、第92回アカデミー賞のドキュメンタリー部門のショートリストに選出された。賞は逃したものの、オスカーを勝ち取ったNetflixのドキュメンタリー映画『オクトパスの神秘:海の賢者は語る』と比べてみようではないか。『オクトパスの神秘』は、タコと友達になった男性の物語で、人間が自然界と交流するという感覚は、自然そのものを超越している。この点を踏まえると、『GUNDA/グンダ』が賞を逃したのは仕方のないことなのかもしれない。だが、同作は決して難解な映画ではない。そのような印象を与えるかもしれないが、それは気にしないでほしい。ストーリーもシンプルだ。それに、人間という存在を劇中からカットしたという点で、人間とタコの奇想天外なカップルの物語よりも道徳的に優れているというわけでもない。形態の限界という、超越できないものを提起しようとしたという点で優れた映画なのだ。『GUNDA/グンダ』も『オクトパスの神秘』も滅びゆく世界の視点から自然を真剣に見つめることを切実に訴える作品である。両作とも、「彼/彼女を救え」というメッセージを伝えている。両作とも最新の映像技術を屈指している。だが、コサコフスキー監督の作品は静けさを湛えているからこそ、その訴えがより差し迫ったものとして強く響く。『GUNDA/グンダ』の美しさは、ひとつの手段にすぎない。あらゆる策略にもかかわらず、同作が達成した目的ははるかにリアルなのだ。
『GUNDA/グンダ』
12月10日(金) ヒューマントラストシネマ渋谷、新宿シネマカリテほか全国順次ロードショー
監督:ヴィクトル・コサコフスキー(『アクアレラ』)
エグゼクティブ・プロデューサー:ホアキン・フェニックス
プロデューサー:アニータ・レーホフ・ラーシェン
共同プロデューサー:ジョスリン・バーンズ
2020年/アメリカ・ノルウェー合作/93分
配給:ビターズ・エンド
© 2020 Sant & Usant Productions. All rights reserved.
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