坂本龍一が語る、『BEAUTY』で描いたアウターナショナルという夢のあとさき
Rolling Stone Japan / 2021年12月23日 18時30分
坂本龍一の人気作『BEAUTY』が2021年最新リマスタリング・初の紙ジャケ仕様でリイシュー。ベルリンの壁が崩壊した1989年、米ヴァージン・レコード移籍第1弾として発表された本作は、「グローバリゼーション」という言葉がまだ一般化してなかった時代に、ジャンルや国籍といった境界を軽やかに超えてゆく音楽のあり方を実践した。このアルバムは30年後の世界でどんな意味をもちうるのか。再発盤ライナーノーツも執筆した、若林恵(黒鳥社)によるインタビュー。
『BEAUTY』とは?
1989年11月21日に発表された通算8作目のアルバム。ブライアン・ウィルソン(ビーチ・ボーイズ)、ロビー・ロバートソン(ザ・バンド)、ロバート・ワイアット、ユッスー・ンドゥール、アート・リンゼイ、スライ・ダンバー、ピノ・パラディーノなど豪華ゲストが参加。沖縄民謡、ローリング・ストーンズ、スティーブン・フォスターやサミュエル・バーバーなど収録曲の約半分がカバー曲。トラックリストは各国盤で異なっており、今回は本人の意向により日本盤の選曲を採用。
─この12月22日に、晴れて『BEAUTY』の再リリースがかなったわけですが、いまのタイミングで再リリースされるに至ったのは、どういう経緯がおありになるんでしょう? ずっと出そうと思っていたのが出せていなかったみたいなことなのか。
坂本:『BEAUTY』とその次作の『Heartbeat』だけが、未だにデジタルのプラットフォームに乗っかっていなかったのですが、こちらとしては出したいなとは思っていたものの、この2作はともに「ヴァージン・アメリカ」のもとでつくったもので、その「ヴァージン・アメリカ」自体が身売りをしたりして権利がずっと転々としていたんです。それがユニバーサルに落ち着いて、デジタルプラットフォームに上げて欲しいということを2〜3年前に働きかけ始めて、それがようやく実りました。
─『BEAUTY』がリリースされた1989年は、自分がちょうど大学に入学するくらいのタイミング、本当に好きだったんです。本当に好きだったんですが、探せばどこかにCDがあるはずなのですが、ストリーミングプラットフォームに入っていなかったことで、すっかり疎遠になってしまっていましたので、今回の再リリースは本当に嬉しいのですが、坂本さんご自身は、これまで『BEAUTY』を聴き直すような機会はあったのでしょうか。
坂本:いや。ほとんど無いですね。自分の作品を聴き直すことはほとんどないので。
─そうなんですか。
坂本:それは『BEAUTY』に限らずそうで、過去の作品は大概忘れてしまっていることが多いんです。とはいえ、こうやって改めてリリースされるタイミングでもう一度聴き直す機会もありますので、その都度「これは結構いいな」とか「これはひどい」とか、本当は思っていたりします。もちろん制作に没頭しているそのときは、毎回ものすごく面白がって一生懸命やっているのですが。
坂本龍一の近影(Photo by zakkubalan ©2020 Kab Inc)
─改めて聴き直した『BEAUTY』はいかがですか。
坂本:『BEAUTY』は本当に奇妙奇天烈、でも力のある音楽だな、と思いましたね。
─『BEAUTY』は、それまでの坂本さんの活動の流れでいうと、前作の『NEO GEO』にいたるまでのなかで育て上げてきた音楽観や、もっというと世界観みたいなもののひとつ集大成したもののように感じますが、ご自身としてはどうなんでしょう。
坂本:そうですね。やりきった感はありました。最初にお話したように「ヴァージン・アメリカ」が設立されて間もなくのことで、僕が、たしか最初に契約した何人かのアーティストのひとりだったんです。
─そうなんですか。
坂本:それも先方が興味を示してくれたことで契約に至り、最初のアルバムということで,自分としてもものすごい意気込みがありましたし、「ヴァージン・アメリカ」にも、すごく期待していたんです。そんなこともあり、僕自身としては『BEAUTY』はポップスのつもりでつくったアルバムだった。「ヴァージン・アメリカ」には社長がふたりいたんですが、完成したものを彼らに聴かせたら、ふたりとも呆然としてしまいまして(笑)。「これは宗教的な体験です」とか言ってはくれたのですが、要は、全然ポップスではなかったということですね。本人はすごいポップなつもりだったのに。なので、僕は結局ポップスのアルバムは一度もつくれなかったんですね。
─そうですか。
坂本:ブライアン・ウィルソンが参加していたりするんですけどね(笑)。まあ、ポップスの世界の人をキャスティングしたからポップスになるかというと、そういうわけはないですし。
グローバルに対する希望と幻滅
─『BEAUTY』がリリースされた1989年は、ベルリンの壁が崩壊する年で、それまでの冷戦時代が終焉を迎え、新しい時代が始まる予感に満ちた時代でもあったと思うんです。そうしたなかで、坂本さんは『BEAUTY』という作品を説明するにあたって「インターナショナル」ということばへのカウンターとして「アウターナショナル」という言葉を使われていました。この言葉は、アルバムの説明として的を射ているだけでなく、いまの時代において、改めて考えてみてもいいコンセプトのように思えました。
坂本:「インターナショナル」というのは「ナショナル」の内側にいる人たちが、結びつくというコンセプトじゃないですか。
─はい。
坂本:それじゃだめなんだというのが「アウターナショナル」の考え方なんです。「ナショナル」の外に出ないとダメなんだ、と。
─『BEAUTY』がリリースされた当時のことを思い出すと、やっぱりワールドミュージックというものにものすごく期待が寄せられていた記憶があります。それは単にエスニックなものがいいということではなく、世界中の多様な音楽が混淆しながら、多様な地域や人びとに手渡されていくような遊動性への憧れだったと思うのですが、例えば本作にも参加しているアート・リンゼイのような人たちが体現していた、新しいかたちのコスモポリタニズムに自分も非常に強く感化されたんです。そうした「新しい世界人」のひとりとして、坂本さんが世界とつながっていったのを一リスナーとしてわくわくしながら見ていたのですが、坂本さんにもそうしたわくわく感はあったのでしょうか。
坂本:70年代の終わりから80年代の頭にロンドンのような都市で、いまおっしゃったような新しいエスニックな感覚を体現した人たちが、主に音楽やファッションの分野で出てきて、それがすごく新しいと思ったんです。音楽でいうと、アフリカ音楽の影響も大きかったと思うのですが、そんなにアフリカ的なものを前面に打ち出していないフライング・リザーズなんかを聴いても、新しいエスニックな感覚を求めているような感じがあって、ものすごく刺激的でした。当時すでに「ロックは完全に終わったな」という感想を持っていましたし、そのことに、とてもドキドキしていたんです。映画でいう『ブレードランナー』が描いた近未来ですね。ロサンゼルスの街中に多様なエスニシティをもった人間たちがうごめいていて、言葉もクレオール化しちゃってるみたいな、そういう世界観にドキドキ、ワクワクする感覚は、実際は80年代初頭から始まっていたように思います。
ですから、整理して言ってしまえば、80年代を通じてそのワクワクを追求していった集大成として『NEO GEO』『BEAUTY』があったとは言えるかと思います。『ブレードランナー』のロサンゼルスという都市の中で、アジア系のおじいちゃんがDNAをイジってるみたいな、そういう世界を自分としては執拗に求めていたんです。
─その思いがあったからこそ、『BEAUTY』の制作を機にニューヨークに拠点を移されるわけですよね。
坂本:そうなんです。ところが、いざニューヨークに行ってみると、ニューヨークというのは、自分が夢に見たような発展の仕方もあり得たところだとは思いますが、意外とそういう場所じゃなかった。徹底した白人社会でしたし、これがあと10年で21世紀を迎える世界一の帝国の一番大きな都市かよっていうぐらいの、みすぼらしさで、引いてしまうくらいの汚さでした。
─それはもう物理的に汚いってことですね。
坂本:汚いし、道は穴だらけで車を運転するのは大変だし、地下鉄の構内は巨大なネズミが走ってるし。今でもそんなに変わらないですけど、全然憧れていたニューヨークとは違っていたんです。『BEAUTY』にまでたどり着いたグローバルという夢が、むしろニューヨークに行ったことで、すーっとろうそくの火が細くなるみたいにしぼんでいったという感じだったんです。
─そうなんですね。なんとも残念な。
坂本:「ヴァージン・アメリカ」への期待があったというお話を最初にしましたけれども、ヴァージン・アメリカはまだできたばかりで、それこそ当時の社長、Jeff AyeroffとJordan Harrisの2名は「インターナショナルにやっていく」みたいなことを言って盛り上がっていた。それで契約をしたんですが、いま思い返すと、そうは言いながらも彼ら自身非常にアメリカン・ドメスティックな音楽をやっていて、何よりポーラ・アブドゥルが一番売れていた時代で、僕もポーラ・アブドゥルのプロデューサーをあてがわれたりとか、いろいろと大変だったんです。
─シングル曲として切られた「You Do Me」(『BEAUTY』海外盤のみ収録)が、それですよね。
坂本:そうです。あれは嫌で嫌でしょうがなかった(苦笑)。
─私はプリンス・ファンでしたので「You Do Me」にプリンス・ファミリーのジル・ジョーンズがボーカルで参加していたことを割と喜んだのですが、あれはどういった経緯だったんですか?
坂本:それはレコード会社の人選ですね。ジル・ジョーンズが、僕のファンだったそうです。
─そうなんですね。
坂本:僕としてはヴァージンというネットワークを使うことで、世界の津々浦々まで、作品がちゃんとディストリビュートされていくことを期待していたのですが、やっぱりそんなことはなくて、実際はものすごくドメスティックで島国的なビジネスでした。当時はまだインターネットがなかったので、ラジオでたくさんかからないとヒットしないと、英語もできないのにプロモーションのためにラジオに出演させられたりしました。アメリカのレーベルと契約すれば、バーッと自動的にインターナショナルに、グローバルに展開されるのかと思ったら、全然そんなことはなくて、正直かなりがっかりしました。
『BEAUTY』と同時期にリリースされた作品(若林恵による再発盤ライナーノーツより)。アート・リンゼイとピーター・シェラーによるアンビシャス・ラヴァーズ『Greed』(1988年)、ピーター・シェラーがプロデュースを手がけたカエターノ・ヴェローゾ『Estrangeiro』(1989年)、デイヴィッド・バーンがワールドミュージックへと全面没入を図った『Rei Momo』(1989年)、バーンの主宰レーベル「Luaka Bop」による第1弾コンピレーション『Brazil Classics 1: Beleza Tropical』(1989年)。
─『BEAUTY』のリリース当時に自分がよく聴いていたものを振り返ってみたら、例えばデイヴィッド・バーンが「LUAKA BOP」というレーベルを立ち上げたのが同年で、最初にリリースした『Beleza Tropical』というブラジル音楽のコンピレーションの解説や対訳をアート・リンゼイがやられていて、その流れで自分はカエターノ・ヴェローゾや、後に坂本さんも参加されるマリーザ・モンチの作品などに触れていくことになりましたし、ニッティング・ファクトリーを中心とした、いわゆる「ダウンタウンシーン」の盛り上がりもあって、遠い日本から見ている分には、極めて刺激的には見えたのですが。
坂本:実際はニューヨークも島国的な部分は非常に強いのですが、とはいえ、その中にもタコツボ的にいいポイントはあるんです。例えば、毎日アフリカ音楽のライブばかりをやっているお店とかあるわけです。あるいはアート・リンゼイやカエターノが出るかと思えば、ローリー・アンダーソンが出てきたりといったような、小さいながらも面白いスポットは、当時もポコポコとはあったんです。
でも、移住してすぐにマンハッタンから一歩出て、車で30分ぐらい行くとベトナム戦争以前のアメリカみたいな感じの家並みが続いていて、まるでベトナム戦争を通過していないような社会が残っていて、ものすごくショックでした。例えば、ニューヨークで出会ったパンキッシュでクールなイケてる女性でも、友達の結婚式があるというとキャンディーカラーの安っぽいドレスを着て行ったりするようなところがあって、そっちこそが本当のアメリカなんですよね。ニューヨークに出てきてクールな顔をしているのは、やっぱりどこか他所行きのスタイルなんです。
─『NEO GEO』『BEAUTY』で見たグローバルな夢が、逆に移住したことで壊された、と。
坂本:アウターナショナルどころか、インターナショナルでさえもないじゃないか、という感じでしたね。
エスニシティから逃れるために
─それでも、やはり『BEAUTY』で試みた「アウターナショナルな音楽」という試みは、相当に果敢で冒険心に富んだものでした。アメリカの原風景といっていいようなフォスターの曲に沖縄の歌詞をあてて、オキナワチャンズに歌わせるとか(「Romance」)、沖縄の民謡をセネガルのユッスー・ンドゥールとともに歌うとか(「Diabaram」)、あるいはサミュエル・バーバーの「Adagio」を二胡で演奏するといった試みは、いま考えても実験性の高いものだと思います。その一方で下手をすると「文化的盗用」だと、批判されかねないものだったようにも思いますし、実際、当時ポール・サイモンやデイヴィッド・バーンが「ワールドミュージック」に接近した際には、そうした批判に強く晒されました。その辺、坂本さんはどんなふうに考えて『BEAUTY』をつくられたのでしょう。
坂本:僕自身、本来はそうした文化搾取を批判する側だと思っていますので、ただ面白いからってエスニックなものを使うことについては常に警戒感はありますし、そういったものが批判されるのは当然だという気持ちも、もちろんあります。ですから『BEAUTY』は、エスニックな何かをネタのようなものとしては使っていないという自負はありますし、単なる「耳遊び」としてエスニックなものを使うのではなく、もうちょっと入り組んだ組み替えが行われています。
フォスターの楽曲を沖縄民謡として歌うというアイデアは一番分かりやすいかもしれませんが、面白かったのは、あのフォスターの曲を持ってきてオキナワチャンズに聴かせたら「これ沖縄の曲じゃないの?」って彼女らが物凄く喜んだんです。「何これ? 沖縄の曲?」「いやいや、アメリカのフォスターって人が作った曲」「いやそんなはずない。絶対沖縄の曲だ」というやりとりの末に「じゃあもう、うちなーの言葉で作詞するから」ということになったんです。これは僕にとってはアウターナショナルな行為なんです。
もうひとつ言えば、サミュエル・バーバーの「Adagio」は、二胡とアート・リンゼイのギターと僕のピアノによるものですが、まるで中国の古典の曲みたいな感じがしてきたり、そこにアートのノイズっぽいギターがジャキーンと入ることで突然現代性が出てきたりします。これもやっぱり、僕としてはアウターナショナルなものなんです。
─はい。
坂本:「インターナショナル」っていうのは、それぞれの「ナショナリティ」があって、そのナショナリティにおいて手を繋ぎましょうということで、これは「ナショナリティありき」の感覚ですよね。『BEAUTY』でやりたかったのは、そうではなく、個々人が自分の「ナショナリティから出る」ことだったんです。「どこでもないところに、みんなで出ちゃおうよ」という。それが自分の考えるアウターナショナルで、それを音楽的にどう実現しうるのかという実験が、フォスターを題材にした「Romance」であったり、バーバーの「Adagio」や「ちんさぐの花」「安里屋ユンタ」なんです。
『BEAUTY』ツアーの様子、1990年3月24日にロンドンで撮影(Photo by Ian Dickson/Redferns)
─実際のレコーディングにおいては、どうやってそうした認識をミュージシャンに伝えていったんですか?
坂本:「ちんさぐの花」のレコーディングは、たしかニュージャージーのスタジオで行いまして、こっちにアフリカのファラフィナというパーカッショングループがいて、こっちに沖縄チャンズの3人がいて、その真ん中にインディアンのタブラ奏者のパンディット・デニッシュがいるみたいな現場でした。彼らには「アフリカと沖縄はかつて古代では夫婦だったんだけど海によって分けられてしまったので、それをもう一回音楽を通してつなぐんだ」みたいなでっちあげのお話を伝えてからレコーディングをしました。
─Pitchforkに、坂本さんのこれまでのコラボレーションを紹介する記事がありまして、坂本さんのコラボレ-ターというか、メジウムというか、媒介者としての活動にフォーカスをあてながら、実際「坂本さんは、そうやって人をつないでいくグローバリストなんだ」といったふうに書いてあったと思うのですが、坂本さんご自身の認識としてはどうなんでしょうか。いまの沖縄とアフリカの物語のように、ストーリーを紡いでいくことで人を出会わせるといったことが得意なんでしょうか。
坂本:得意ではないです。人付き合いも悪いですし、言葉で表現して人を動かすみたいなことは本当に不得手です。でも早くに亡くなってしまった如月小春さんと、かつてNHKのラジオドラマを一緒にやったりしたことがありまして、如月さんが書かれたその脚本のなかに「坂本龍一はメディアだ」っていう一節がありまして、そうなのかなと思ったりもしたことはあります。
要は、人をつなげるのが上手いかどうかを別として、そもそも、アフリカのパーカッショニストと沖縄の人が一緒にやるってアイデアを出す人はあまりいないということなのかもしれません。少なくとも当時は、そんなことは多分誰も考えていなかったはずですし、僕としても、それが面白いからやったというよりは、やっぱり「エスニシティに安住していちゃだめだ」っていうところから出てきた発想なんです。「そこから出なきゃだめだぞ」というところから、自然と沖縄とアフリカを一緒にやろうとなっただけなんです。
インターネット前夜のロマンティックな夢
─一方でミュージシャンの方たちは「エスニシティの外に出ろ」と言われて、すぐにやれるものなのでしょうか。
坂本:アルバムのリリース後のツアーはアメリカから始まったのですが、バンドのベース、ギター、ドラムはアメリカやイギリスで活躍しているミュージシャン達だったんですが、いざやってみると全然面白くないんですね。フュージョンみたいになっちゃうんですよ。
─なりそう(笑)。
坂本:みんな抜群にうまいんですけど、いくら言っても全然ダメで、しょっちゅうキレていましたね。「お前の先祖はアフリカから来たんだろう。アメリカの音楽なんかやってんじゃないよ」って言って怒ったりしてました。そうしたことを一人一人に言っていって「分かった?」みたいな感じでやっていくなかで、少しは良くなっていったんです。
─すごいですね。
坂本:なぜ僕が強烈にそういう思いを持っていたかというと、いかにも「和」を意識したシンセサイザー音楽が、日本でも世界でも広く受け入れられていたことに対して、大きな反発があったからなんです。「日本人だから、日本人性を出すなんて、そんなばかな話があるか」と猛烈にそう思っていたんです。
─坂本さんご自身は、どのように、そうしたナショナリティやエスニシティの枠組みを超えていったんですか。
坂本:僕は元々そういうものがないんですよ。というのは音楽的な意味においてですよ。日常的なことでいえば納豆が好きとか、いろいろありますけれども音楽においては、日本の音楽は全然知らなかったですし、西洋の音楽で育ってますから、僕の場合、安住すべきエスニックな核がないんです。
─そうした無帰属性は、アメリカではどういうふうに評価されたんでしょう。
坂本:それが、完全に誤解されるわけですね。つまり、日本的な音楽をやっているんだと思われてしまうんです。
─ああ、なるほど。
坂本:その度にカンカンに怒ってました。「ふざけんじゃねえ」って(笑)。「こんな音楽、日本にも、アメリカにも、どこにもないだろう。俺しか作ってないだろう」って。「音楽のどこにも日本的な要素なんかないし、沖縄は日本じゃないし」と、インタビュアーにもカンカンに怒っていました。
─インタビューで常に坂本さんの「日本性」「日本人性」が話題になるわけですね。
坂本:日本人の顔をしているから、日本の音楽をやっているのだろうと思い込んでしまうわけです。その怠惰な精神が許せなくて、いちいち怒っていました。そこには、沖縄のものが「日本的なもの」だと誤解されてしまうことへの危惧もありまして、沖縄と日本では文化がまったく違うのだといったことを一生懸命説明するのですが、なかなか伝わらなかったですね。
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『BEAUTY』のジャケット写真はミック・ジャガー、デヴィッド・ボウイ、シャーデーなどを撮影してきた「ポートレートの巨匠」ことアルバート・ワトソンの作品。
─たしか『BEAUTY』のツアー映像で、「アウターナショナル」という概念を説明されるなかで坂本さんは「一人一人の人間が商人になっていく」といったことをおっしゃっていたのですが、その「商人=Merchant」ということばが個人的には非常に印象的でした。商人世界の面白さが、その後のグローバリゼーションの進行のなかで失われていってしまったことを思うと、なおさら「商人」ということばに込められたイメージは重要なものと感じます。
坂本:それは完全に柄谷行人さんの影響でして、そこで言った「商人」は、要するに国家と国家の間にいる、あるいは横断し、遊動していく、そういう人たちのイメージですね。都市や国家の外に出ている存在なんですよね。都市と都市の間を渡り歩きながら、交易や交換をもたらす、そうした商人のイメージには、いまなおものすごく影響を受けていて、それをいま「商人」という比喩を使うかどうかは別にしても、常に憧れてきた存在です。
─それこそ「バザール」なんていうことばに象徴されるような、活気あふれる商世界のイメージですよね。
坂本:バザールやマーケットと言われるものの猥雑さですよね。その猥雑さは、こっちで得たものを、あっちで高く売るという遊動性から生じるものですよね。といって、めちゃくちゃ値段を付けて売るわけではなくて、その遊動性に見あった価格がつけられるわけですが、そうした世界は、古代から原初的な国家や都市ができた頃からずっと続いているもので、ちょっとロマンティックな言い方ですけど、そうしたものは本当に消えて欲しくないですね。
─本来的にはインターネットが、その夢を担っていたところもあったとは思うのですが。
坂本:90年代においては、インターネットの普及は、個人的にもとても大きなことでした。インターネットは、完全に国境を越えて、アウターナショナルな世界という夢を実現してくれるものだったわけですよね。誰であろうと、どこにいようと個人として発信することができて、理想的な民主主義とアウターナショナルな市民の存在を可能にするものだと、ものすごく大きなロマンティックな夢を、やはり自分も当初は見ていましたし、それこそ最初の数年くらいは確かにそういう夢を見られたようにも思います。ただ、それも、企業が囲い込みをするまでの間の束の間のことでしたが。
クレイジーなエンジニアの貢献
─『BEAUTY』には、そういったものへのロマンがやっぱり詰まっていて、「Web2.0」から「Web3」への移行が叫ばれるなか改めて聴くと、なんだかポジティブな気持ちになれる気もします。
坂本:あともうひとつ、『BEAUTY』を語る上でお伝えしておきたいのは、エンジニアのことでして、『NEO GEO』と『BEAUTY』を担当してくれたのはジェイソン・コルサロという、僕よりも若いクレイジーなエンジニアだったんです。彼は本当にクレイジーなヤツでして、彼の貢献はものすごく大きいんです。元々、ボブ・クリアマウンテンという巨匠のアシスタントをやっていた人です。
─クレイジーなんですね。
坂本:『BEAUTY』ではパワー・ステーションというスタジオでミキシングを行ったのですが、スタジオの都合で夜8時から翌朝までの12時間ブッキングしていたんです。ですから夜8時から作業を始めて、僕も若かったから明け方まで作業に付き合うのですが、いい加減眠たくなってホテルに戻って寝ていると、午後2時ぐらいにドンドンドンドンってドアを叩く音がするんです。で、ドアを開けると「ミックスが出来たから、聴いてくれ」ってジェイソンがいるんですよ、毎日。
─(笑)。
坂本:わざわざホテルの部屋まで持ってくれるんです。で、しょうがないから、起きて、一緒に聴いていると、ジェイソンはビールなんかを飲み出しちゃって、そのまままた夜の8時からスタジオに行ってといった日々が、2カ月くらい続いたんです。
ジェイソン・コルサロが携わった楽曲のプレイリスト(若林恵が制作)。代表作にシンディ・ローパー『True Colors』、デュラン・デュラン『Seven and the ragged Tiger』など。マドンナ『Like A Virgin』のプロデューサーにナイル・ロジャースを推挙したのも彼だったという。
─ヤバいですね。
坂本:本当に気が狂ってましたね。だけど今回リマスタリングするにあたって改めてアルバムを聴いて、ジェイソンの音には、本当に度肝を抜かれましたね。ものすごい音なので。
─ものすごいです。
坂本:1曲目からドカンってくるじゃないですか。あれは必ずしも僕の趣味の音ではなく、僕はむしろもっとオブスキュアな、陰翳礼讃じゃないですが、ぼやっとした音像が好みなんです。ところが、ジェイソンはCO2をバリバリに吐き出すようなトラックに乗って、ポップコーンをバリバリ食べながら、バーボンでもウォッカでも酒とあらばなんでもがぶ飲みするようなヤツで、本来、僕と共通するところはまったくないのですが、でも、お互いものすごく気が合って、才能があまりにすごいので、彼のつくる音は好みじゃないのだけれども、なんでも好きにやれと好き勝手にやってもらったんです。
─そうなんですね。
坂本:こんなにアメリカンなアメリカ人とどっぷり付き合うのも自分としては初めてでしたし、そのこと自体も面白かったので、ほとんど好きにやってもらったんですが、今聴くとやっぱり音が尋常じゃないですね。
─リッチなプロダクション感はあるのに楽器の音は妙に生々しくて、その配合の絶妙さは、同時代のもののなかでも突出している印象ですし、いま聴いても古びた感じが微塵もしません。
坂本:今回の再発で改めて、ジェイソンの才能と功績には、どうしても触れておきたいんです。というのも彼は、2017年に亡くなってしまって。本当にアメリカンなやつで、メインストリームのロックやポップで育ってきて、彼の仕事の大半もそういうものだったのに、僕の音楽のようなものが仕事としてきて「なんだ、これは」ってびっくりしていたと思います。でも、僕の音楽に心底惚れ込んでくれた。だから「兄貴、兄貴」って感じで懐いてくれて、ずっとべったり一緒にいたんです。彼にとっては、多分それまでに聴いたこともないような音楽だったと思うんですが、そこは天才だから、ちゃんとやっちゃうんですよね。
坂本龍一
『BEAUTY』
発売中
紙ジャケ仕様、SHM-CD、2021年リマスタリング、歌詞・解説付
視聴・購入:https://umj.lnk.to/beauty
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