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トム・ヨークが盟友と振り返る、レディオヘッド『Kid A』『Amnesiac』で実践した創作論

Rolling Stone Japan / 2021年12月24日 18時0分

トム・ヨーク、2020年撮影(Photo by Franco Origlia/Getty Images)

2021年屈指のリイシュー『KID A MNESIA』で再注目されているレディオヘッドが、12月25日発売「Rolling Stone Japan vol.17」のBACK COVERに登場。2本の貴重インタビューと田中宗一郎・荘子it(Dos Monos)・柳樂光隆(『Jazz The New Chapter』)による座談会を、計19ページの大ボリュームでお届けする。

『Kid A』と『Amnesiac』は20年後の世界でどんな意味を持ちうるのか? この記事では、今年10月にロンドンのクリスティーズ本社で開催された展覧会「How to Disappear Completely」に伴い、トム・ヨークとスタンリー・ドンウッド(レディオヘッドのアートワーク担当)が語ったインタビュー動画を抄訳・再編集。音楽とアートワークの関係を軸に、両アルバムの制作背景を振り返る。聞き手はアートカタログ『KID A MNESIA : A Book of Radiohead Artwork』にエッセイを寄稿しているアート・キュレーターのギャレス・エヴァンス、日本語版の翻訳・執筆は『KID A MNESIA』日本盤ライナーノーツを執筆した音楽ライターの坂本麻里子。




―『Kid A』/『Amnesiac』の始まりはどんな風だったのでしょう。

トム:あれは『OK Computer』期の終わり、同作のツアーを終えた頃のことで、僕は自分だけの一種異様な「迷宮」みたいなものの中に囚われていた。奇妙なモノローグ、自分のやってきた何もかもを自己批判する声が聞こえてきた。それは、人々が一風変わったやり方で僕に色んなことを投影してくる状態に追い込まれたこと、ある意味そこから来ていたんだけれども、その状態に対処するための適切な方法が当時自分にはなかった。だから僕はそれらの多くを吸収し内面化していたし、それによってある種シャットダウンさせられてね。曲を書こうとする、あるいは楽器を演奏しようとするたび固まってしまう、みたいな。頭の中で小さな声がうじゃうじゃ聞こえて、それが妨げになってしまう。「Everything In Its Right Place」のリフをピアノで繰り返し弾きながら自分を一種の瞑想状態に持っていき、なんとかそれから逃れようとしたものの、逃れられなかったのを憶えている。

その状態が続いた末に僕はしばらくストップしてみた、というか。あの頃よくコーンウォールに滞在していて、あちこち歩き回り、ランドスケープを吸収していた。とにかくそれらの景観を絵に描き、吸収し始めた。音楽に取り組むのは一時的にやめにして視覚だけを通じて物事を考えよう、と。クリエイティヴになれるまた別のやり方を見つけられるのでは? そんな風に考え始めた。で、どういうわけかそれが何もかもに役立った。一種、あの危機状態を緩和してくれたというのかな、非常にゆるやかなペースで、だったけれども。と同時に、そのランドスケープの要素がある種新たなヴォキャブラリーになった面もあった。ランドスケープというのは(苦笑)実に、あらゆる意味で陳腐なクリシェと化しているけど、そこは考えなかった。ダン(スタンリーの愛称)が会いに来るとふたりで散策する、自分たちのやっていたのはそれだけだったから。で、たぶんあれは僕たちがパリに行った時だったんじゃない? あそこでホックニー展(※1999年1〜4月開催)を観た時……。

スタンリー:僕たちがあの、予期せぬ大成功を収めた『OK Computer』のためにやってきたことというのは非常に小型でね。書字板(タブレット)を使って絵を描いていた。だから、(至近距離にある何かを見て素描するジェスチャーをする)目と手の反射的な協調関係だけだったし、エモーションはまったく介在せず、何もかも非常に理知的に考察されていた。というわけで(『Kid A』/『Amnesiac』の時に)あれら巨大なキャンバスを用いるというのは、全身でそこに関わる、それこそ身体の組織にまで刻まれた記憶やトラウマすべてで向かい合うという発想だった――ただ、頭で考えただけではなくてね。痕跡を残すためのこの、より腹の底から発される本能的な手法みたいなものを通じ、作品へと解釈するって発想だったと思う。

トム:あれは突破するための、錠を壊すためのひとつの方法だった。それは間違いない。


左からトム・ヨーク、スタンリー・ドンウッド、ギャレス・エヴァンス(インタビュー動画より引用)

―どのように制作環境を一緒に起ち上げ、この創作プロセスを始めていったのでしょう? 

スタンリー:多くはさっき話に出た、ポンピドゥー・センターのホックニー展からだったと思う。バンドの側は音楽を作ろうとしていたけれども、あの時点で彼らはまだ自分たちのスタジオを手に入れていなくて、パリとコペンハーゲンに一時逗留していたというか、僕たちは両都市で美術鑑賞をやっていた。あのホックニー展は「グランド・キャニオン」が目玉の展示で、あれは一種の巨大な、四角いキャンバスでできたモザイクのようなものでね(※1998年の作品『A Bigger Grand Canyon』。キャンバス60枚を用いた幅7.4メートル、高さ約2メートルの大作)。それぞれのキャンバスの大きさはまあ妥当なものとはいえ、それらが集まり、それこそグランド・キャニオンに足を踏み入れるのに近い感覚をもたらすもので。驚異的だった!

トム:あのホックニー体験が、あの頃自分たちのやっていたことの中でランドスケープを言語として用いることができるって発想を掻き立てたというか。偶然とはいえ僕たちはもう(風景画を用いた)作業を始めていたし、けれどもそれは束縛から解放されるためにやっていたことだった。ところがホックニーのやっていたことを目の当たりにして、突如「おっ! これは……たぶん理にかなってる」と、自分たちのやっていることには何かあるらしいと思えた。

あのときスタジオで起こっていたこと

―最終的に自分たちの空間(=バンドのスタジオ)を手に入れた時、建物は中二階の構造で、音楽制作は一階でおこなわれ、間に中2階があり、その上でスタンリーが作業していて、その二層を橋渡しする導管の役目をやっていたのはトム、あなたでした。そこであなたがなんらかの指示を出した、始まりの段階で「こういうことをやろう」と指針を表明したことはあったでしょうか?

トム:それは音楽の中にあった。けれどもそれだけではなく、作業をしていく間に僕たちに語りかけてきたものもあったね、始終、様々な思いつきをぶつけ合っているから。僕たちはいつだってアジェンダと共にスタートする。毎回アジェンダと共に作業を始めるんだよ、ただしそれを放棄することになるのは自分たちでも承知の上で。それが僕たちのレコーディングのやり方だったし、バンドにいつもと違うことをやらせようとするための手段であって……だから、僕たちはこの、とある地点からどこかに向かおうとし、でも行き着いた先は別の場所だった、みたいな。その「どこか特定の地点に進みたい」という欲求を手放すこと、そして制作に伴って生じるカオスや間違い、プロセスを楽しむこと、それが重要になっていった。そして物事が実を結び始めた時、たとえば1枚目の風景画がまとまり出した、あるいはスタジオで最初に良いサウンドが生まれ始めた、そういったちょっとした瞬間がいくつか生じると、「おぉっ……? 我々は何か掴んだらしいぞ?」と感じるし、けれどもその後何カ月か「うわぁぁっ、どうすればいい?」と頭を抱えることになり、でも、そのうちまた「おっ、これは」の瞬間が訪れる、と。

スタンリー:僕たちがちゃんと取り組み始めた時、倉庫の中の、一種独房めいた空間を借りたことがあったっけ。コンクリート製の、倉庫の中の一室、そこで絵を描くことにした。で、僕たちは作業を始めた、風景画を描こうとしたんだけれども、とにかく上手くいかなかった。一向に色彩が浮かんでこない、景色も絵の中で定まってくれない、と。その状態が、あれに打たれた時まで続いたというか――時代のせいもあり、僕は当時、旧ユーゴスラビアで起きていた戦争に非常に、深く動揺させられてね。インターネットのおかげで初めて、何かが起きているのとほぼ同時進行で情報がもたらされるようになった、そういう時期だったから。ものすごく痛切に身を以て感じられたし、ベルリンの壁はとっくの昔に倒れてる、こういったことは過去の話になったはずじゃなかった?と。けれども、そうじゃなかった。あのすべてが起こっていたんだ、雪の積もった、実に欧州的で、とてもなじみのある景色の中でね。ところが、その雪に覆われたとても美しいランドスケープは、強制収容所だの鉄条網に巻かれ戦車に引きずられる人々といったものでいっぱいだった。身の毛がよだった。

トム:スタンリーは絵の中に暴力の図を含めたけれども、でも彼は描いた上でまた、それを隠した。あれはとても興味深かった。

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―スタジオでの典型的な1日はどんな様子でした?

スタンリー:とにかく憶えているのは、キャンバスのサイズだな。中2階部のドアを抜けて2階に搬入するには斜めにするしかない、そのギリギリいっぱいの寸法だった。つまり、小さな空間に置かれた大キャンバス群だったわけ。

トム:あれの一番良かった点は、時に2階に行き、ただあれらの絵画に囲まれじっと座っていること……それが、音楽制作の側で起きている物事について違う考え方をするためのひとつの方法だった、というか。僕も、たまに作業場にやって来て作品にコメントしたくなったり、アイディアを提案したことはあったよ。かといってそれらは確固たる意見ではなかったし、作品を巡る対話の一部めいたものに過ぎなかった。同様に、それは音楽スタジオで起きることについての対話の一部にもなっていく、と。けれども、それは何も(断言調で)「決めた、僕たちはこれをやるべきだ!」といったものではないんだ。僕とスタンリーとは長いこと自分たちに関心のあるものの周辺で語り合ったし、それはある意味自分たちのやっていたことにも吸収されていった。だからかなりの記録になっているんだよね、僕たちがどのレコードでもやってきた、そのふたつの合流というのは。

スタンリー:いくつもの重なりがある作品なわけだしね、音楽も多層的、アートワークも多層的、と。それに、作る過程で起きた間違いもすべて残っている。だから仮に、音声トラックにX線を当て、制作過程で起きた数々の失敗を見つけようとすれば、その痕跡はまだ見つかる。その証拠、痕はちゃんと残っている。アートワークも同じで、あれらの作品にはいくつもの、何層ものレイヤーが存在する。ほぼ覆い隠されてしまった絵があるんだよ、なんであれ、その作品のいちばん表面に置かれたものによって見えなくなっている絵が。

トム:かつ、そうしたもろもろから外れたところにまた別の対話のポイントもあって――いつだって、スケッチブックがあった。僕たちは文字通り、互いのスケッチブックを交換し合っていた。

音楽とヴィジュアルの相互関係

―あれらの絵は挿絵的な分かりやすいイメージではないですし、同様に歌詞と音楽も、絵画に描かれた物語を語ってはいません。あの2枚のアルバムのシークエンスをどう考えていたのでしょう? そのシークエンスを形成するかもしれない旅路をイメージ/視覚的におこなっていた、ということは?

トム:基本的に、僕たちは病的なまでに――特に自分がそうだったけれども――あらゆる類いの「締め切り」という概念から目を背けていた。そんなわけで僕たちは、1年半? 2年くらい作業したんだっけ?

スタンリー:たしか2年近く……。

トム:約2年ね。僕はその頃まだ、現場にやって来ては――あれで教訓を学んだからもうやらなくなったけど――しょっちゅう新しい案を持ち込み、一方で色んなアイディアを放り出して「ダメダメダメ! 何か別のことをやろう!」という調子だった。そんな僕のノリは制御するのがかなり難しいものになっていったし、僕たちはある時点で締め切りを設けることになった、と。あれをやるのは大変だった。というのも手元には有り余るほど素材があったし……だから、僕たちがいったん、この作品に関して全員がそれぞれ違う意見を持っている点に気づいた、その苦痛を乗り越えたというか、そこに達したところでエキサイティングに思えたのは、僕たちがああして様々な苦痛を抱えていた唯一の原因、それは僕たち自身まだこれが何なのかよく分かっていなかったからだ、と悟ったところでね。もちろん一群の楽曲に過ぎないし、大した話じゃないよ。ところがそれらを一定の順番で並べ始めると、実際、かなり強烈な視覚的感覚を受ける。少なくとも僕はそうだったし、そういう感覚はどっちにせよ自分には生じる。ただ、自分としては、ヴィジュアル面がどれだけ音楽の中にも根付いていたのか、そこにかなり驚かされた。ほら、何かに取り組んでいて確信が持てないと、ものすごく格闘するわけだよね? 闇雲に色々試してみるものの、自信がない。ところがそれらをひとつにまとめると全体像が、自分たちは何をしようとしていたかが見えてくる。だから、地図はなかったんだよ。ところが突如としてそれが見えてくる、と。

スタンリー:よくあるよね。第三の何か。計画していなかったものが生じる。

トム:で、それこそ、全プロセスの中で、もっともハラハラさせられる、一番おっかない部分だっていうね、フハハッ(苦笑)! ほんと、そうなんだ……。



―文章、映画、他のクリエイターによる芸術作品等で、物事を前に進めるために持ち込んだ、特に刺激になったものはありましたか?

スタンリー:新聞がたくさんあったね。それに、まだ幼少期にあった、当時のインターネットも。カウンターカルチャー的なあれこれがオンラインに出現し出していたし、昔だったら参考文献をいちいち調べなければならなかったそうした類いの事柄も今やキーボードを叩けばオンラインで見つけられるようになった、と。そんなわけで情報は山ほどあったし、ほぼ毎日のように僕は様々な記事、写真、新聞に掲載されたフレーズ等々を切り取ってクリッピングしていた。それらが歌詞になっていったというか、(トムに向かって)その中にはある意味お前が使った、クレイジーな内容のものもあったよな? 新聞の切り抜きを使ったっていう。

トム:自分たちの共同の作業場を設ける、その最大のポイントというのは、いずれにせよ誰もが毎日何かしら色々と持ち込んでくるからであって。それはもしかしたら、作業場の中央エリアに集まり皆で色んなレコードを聴くってことかもしれない。要するに発想としては、アイディアを皆で共有する習慣を作り出そうとする、それだったし、かつ、必ずしも今この時点で、今まさに我々の取り組んでいることに関するアイディアでなくたって構わない、という。

無垢な生き物だったインターネット

―トム、あなたとバンドは非常に早い時期からインターネットを取り入れ、ネットの潜在的な力をあの頃からしっかり理解していましたし、スタンリーも初期の時点でクリエイティヴに関与していました。当時、あなたたちがこの世界にとっての「可能性のツール」としてのインターネットに抱いていたのはどんな感覚でしたか? また、今、私たちとネットとの関係はどんな地点にあると思いますか。

スタンリー:(ため息まじりで苦笑)。あの当時はインターネットもまだ若く、無垢なクリーチャーだったわけだ。おそらく、何だってやることができるクリーチャーだった。

トム:可能性が色々あった……。

スタンリー:そう。非常に良かったよ、当時は本当に楽にhtmlコードを書けたから。間違ってもコード作成者ではない僕ですら、「radiohead.com」の最初の4つか5つのイテレーションは自分で書けた。面白可笑しいことがたくさんできたんだ、絵を動かす、とか。ところが今やあんまり笑い事ではないこともできるようになったわけだよね、間違った事実を告知でき、しかも人々にそれらを信じさせることができる。

トム:(苦笑)。それに、僕たちは本当に、極めて、ものすごく意識的でもあった。誰かから「君たちのサイトに毎月50万のビジターが来る」と言われたことがあって、あれにはとにかく僕たち全員、完全にぶったまげた。


2000年当時のレディオヘッド公式サイト(ウェブアーカイブ)

スタンリー:僕たちはインターネットのことを、スケッチブックを使うのとまるっきり同じように扱っていたからね。何もかもあそこにアップし、特に編集もしなかった。

トム:言うまでもなく、下げることもなくて(苦笑)。

スタンリー:そう、消去することなしに、その上に別の何かをアップしていった。ほとんどもう、僕たちが絵画を制作する、あるいはバンドが音楽を作るのに近いやり方だった。一種の累積物だったわけ。「これ」といったプランニングがあったわけじゃないし――(トムに向かって)さっきお前も言ったみたいに、音楽を作る時に「これはこういうサウンドにしよう」、「自分はこれについて曲を作る」云々、前もって計画を立てないわけだろ……。

トム:君の質問のキモは、現在のインターネットと昔との違いは何か?ということだよね。で、明らかな違いと言えば、当時サイトを訪れていた多数の人々が、僕たちがサイトにアップしたランダムなあれこれを好きに読み取っていく、そういう状況があった。スタンリーが言ったように、僕たちのスケッチブックの延長みたいにランダムなもろもろを。で、一切自主検閲していなかったし、自分たちがどんな発言をしようがまったく怖くなかった。そんなのどうでもいいことだし、別にいいんじゃない?と。

スタンリー:エド(・オブライエン)は日記をオンラインにアップしていたよね?

トム:その通り! 時にとても個人的な内容もアップされたし、怒り心頭な時もあり、非常に罵倒型になることも……という具合で、なんでも出していた。歌詞に関する生煮えの楽曲アイディアも山ほどアップしたし、とにかくなんでもあり。どうしてかと言えば、あの時点では「きっとこうなるから、言わないでおくのが無難」とか「これは書かずに控えておこう」云々の概念が存在しなかったからであって。

スタンリー:あの頃は、それにはまだ早過ぎたよ。

トム:というわけで、僕が思うに、個人的に――あれ以来その点が、我々が今いるこの地点について僕が抱く問題であり続けてきた。だから、僕には理解できないというか。いやまあ、インターネットはコミュニティ、人々がコミュニケーションできる場である、それは良いことだ、と。そこは分かってるけど、と同時に、そこには抑圧的な空気もある。アーティストをやっていると感じる、インターネットの具体的な機能の仕方に備わった抑圧の感覚。それは、僕は甘んじて受け入れない。

スタンリー:昔はニッチな存在だったわけだよ。僕たちがやり始めた頃は、ネットをやっていたのは限られたグループだけ。それ以上になることはなかった。Facebookにしたって、あれが出現したのは2005年か、そこら?

トム:僕たちは「いいね!(Like)」と思われるかどうかを気にしちゃいなかったってこと(苦笑)。

ミノタウロスは我々の姿

―『KID A MNESIA』の世界におけるもっとも際立ったキャラクターのひとりがミノタウロス(『Amnesiac』のジャケットに描かれたギリシャ神話の怪物)です。それぞれの視点からミノタウロスについて話していただけますか。

スタンリー:ミノタウロスは、長く続いてきたモンスターのたとえのようなものだよね。闇に潜む、地下世界の怪物。人類のほぼあらゆる層が認識する類いの、非常に始原的な恐怖がそこにある。で、ミノタウロスのアイディア、あの涙ぐんだ、小さくキュートなキャラクターは……僕たちは東京に行ったことがあってね。僕が行ったのはあれが初で、とんでもなかった。驚異的なおもちゃ屋の数々があってさ! そんなわけで滞在中におもちゃ屋巡りをやって小さなおもちゃをあれこれ買っていたんだ、あの頃はまだ自分の子供もかなり小さかったから。そこでひらめいたというかな、実はミノタウロスは――もちろん我々自身のことであり、それが閉じ込められている監獄(=迷宮)は我々が自ら自分の周囲に築き上げたものであって。この泣いているミノタウロスは一種悲劇的な、ちっぽけで悲劇的なコミック調の我々の姿だ、と。

―なるほど。この考え方にあなたも同意ですか、トム?

トム:スタンリーがあれをやり始めた時は、「一体どうなってるんだ?」という感じだったし、なんで彼があのイメージを僕たちにしつこく持ち込んでくるのか見当がつかなくて――

スタンリー:そう、例のとがった耳のドローイングを描き続けたよね(笑)。

トム:こっちも「どうしたんだ、お前? 絵画制作に戻れ!」みたいな。それが、やがて……アートワークの中にあの手のキャラクターを用いるってアイディア、それは風景画群とのバランスをとるのに実に良い方法だな、と気づいた。というのも、キャラクターは僕たち、バンドのことではなかったし、何物でもない。あれはそれとはまた別のやり方……そうだな、僕は「You and Whose Army?」みたいな曲のことを考えているんだけど――あの曲には「登場人物」がいるし、誰かがいて「カモン、やってみろ」と呼びかけている。でも、そのキャラは一種の……原型(archetype)みたいなもので、クリシェすれすれ、という。何もかもがクリシェになる一歩手前だし、僕もほとんどそれをからかっているのに近い、でもそうとは言い切れない、と。そういった様々な事柄もあったし、その意味であれは僕に実にマッチした。それに当然の話、自分の思考にがんじがらめになったミノタウロスというアイディアは――あの時点での僕はそういう状態にいたわけだしね、どっちにせよ(苦笑)。


『Amnesiac』ジャケット写真とブックレットより(discogsから引用)

―創作過程と、「これで出来上がった」と感じた時とのバランスは? もうひとつやってみようと思うのか、結果に満足するのか? あるいは無期限で作業を続けていきたいと思う?

トム:プロセスの始まりは大嫌いだ。どうしてかと言えば、本当に、心底おっかないから。音楽的にも、アーティスティックな意味でも、あらゆる面でね。で、音楽に何かが伴うようになる時、僕はものすごくエンジョイするしとんでもなく興奮させられるんだ……自分には難しいんだよ、ソングライターにとって、言葉(歌詞)ってものは実に大きい、構造的なもののわけだから。一度たりとて、相手にするのを楽だと思ったことはない。あれに取り組むプロセスが楽だったことは一度もない。だから、その困難を自分が乗り越えるのを助けようとして、その周辺にあるありとあらゆるものを用いる。で、いったん単語群が形成されると、何もかもがそこに寄ってくるようになる、そこに引き寄せられる傾向がある。

スタンリー:スピーディに集まってくるよね。

トム:そう。けれども、その「何か」を見つけることってのは……闇に包まれた迷宮の中をさまよい続ける、ということであって――あの、小さな声が「これだよ!」と耳にささやきかけてきて、「あっ!?」と思う時がくるまで。で、それが聞こえると、光が一気に降り注いできて(笑)、あの素晴らしい瞬間が訪れる。ところがそこからまた、「ああぁ〜っ、どうすりゃいい??」という状態になるわけで。で、最終的にそれが仕上がった時というのは、まったくもって――もはや「自分のもの」という感覚はまったくないし、それはあらゆるレベルにおいてそう。だから、透明になってしまうんだ。目に見えないし耳にも聞こえないし、存在しなくなる。もちろん聴くことはできるけれども、それは存在しない。もうこちらに向かって語りかけてくることもなく、何も聞こえない。白紙になってしまう。仮に君(インタヴュアー)が僕だとして、君はツアー・バスに乗ってどこかの土地にいる、と。バスを降りるとファンの子がレコード・ジャケットを手に待ち構えていて、作品が彼にどんな意味を持つか語ってくれる。そこで君はあれを「再び生き直す」ことになる、そうやって誰かがそれを君に返してくれるんだよ。それは、ステージで演奏する時もそう。または(苦笑)、2年にわたって狂人沙汰をやることもできる。20年分に値する作品を見直し、自分を狂気に追い込むこともできるわけ、スケッチブックや絵画の数々をすべて眺め直しながら。そういうやり方でも、それは語りかけてくるよ。けれども、何かを仕上げた時というのは、この「余白」が生まれるんだ。完全な沈黙が訪れ、すべてが意味を失う、という。



―あなたがたは複合メディアで活動なさっています。大雑把に「サウンド」、歌詞=「言葉」、そして「ヴィジュアル」の三角関係になると思いますが、その中で、それぞれは常時影響し合っているのでしょうか?

スタンリー:絵画の中にも歌詞がたくさん含まれているしね。そこなんだ、僕たちはテキストとイメージとがとても密接に繫がっている、そのアイディアと非常に密に作業してきた。

トム:僕たちはどちらもファイン・アーツと英語を専攻したんだ。ダンは優れた執筆家でもある。だからいつもテキストをシェアしやり取りしてきた仲だし、時にそれが、目に見えない枠組みみたいなものになることもある。

スタンリー:僕にとても興味があったのは……ジェニー・ホルツァーやバーバラ・クルーガー(※共にアメリカ人現代芸術家。文章/言葉やレタリングを用いるスタイルで知られる)の作品――それからヴィクター・バーギン(※Victor Burgin。英国人芸術家)、彼は写真作品にテキストを組み合わせてね。そこから第三の何かが生まれる。

トム:僕はあれにものすごく病みつきになってた。っていうか、ふたりとも夢中だったよな。

スタンリー:うん。アイディアとしては、トムが歌詞を持ち込んでくると、僕は文字通りそれを切り刻み、順番を入れ替え、それらの紙片をナイフでアクリル絵の具を引っ掻いて埋め込んでいく、と。

トム:僕はずっと歌詞というのは一種スローガンめいたものだよな、と興味をそそられてきたしね、いずれにせよ。

早すぎた広告戦略「ブリップ」

―『KID A MNESIA』再発/回顧企画を進める過程のどこかの時点で、編集したりストーリーやコンテンツを微調整したい、何らかの形で考えて直し今にアップデートしたい、とそそられたことはありましたか?

トム:そこに関して興味深かったのは、僕たちがエキシビション等々について考え始めた時、それをリライトするというよりむしろ……様々な素材を見返し漁っていくうちに、なんというか、そっちの方が、僕たちに「ああしろこうしろ」と指示してきたっていう。あれはかなり興味深かったよ、作っていた当時、自分たちにもきっちり見通せなかった/やり抜けなかったアイディアや物事があったわけだけど、今や僕たちもそれらを見通したし、その論理的な帰結としてヴァーチャル・エキシビションにまでなった、と。それをやる行為は本当に楽しかったし、ほとんどもう、プロセスの一部がどういうわけかタイムカプセルに閉じ込められていて、20年経ったところでそれが解放され、再び何か奇妙なことをやり始めた、みたいな? ヴァーチャル・エキシビションの方向性をどうすべきかあれこれ探っていた際も、僕たちはとにかく作品を見返した。

スタンリー:新しいことは一切やっていない。まさに始まりの段階から、「新しい・作品は・なし(no/new/work)」。新しい作品は含めない。時代に合うよう改作等々するつもりも一切なかった。で、奇妙だったのは、トムもタイムカプセルと言ったけれども、僕たちには多くの作品があって、当時僕たちがあれらで何をやったかと言うと、自分たちでもその正体が分かっていなかった。とにかく……(トムに向かって)思うに、要はお前には、LPを1枚出すっていう契約上の義務があったってことだろ?
 
トム:(苦笑)あるいは、2枚ね。

スタンリー:2枚でもいい。ともかく、その結果ああいうことになった。

トム:可笑しかったのは僕たちもある種のメンタリティを、『OK Computer』時にレコード会社から教え込まれたことを吸収してたってことで。彼らはコンスタントに求めてきたんだよ、「この広告向けの素材が必要」とか「このショーウィンドー用の展示素材を」、あるいはこれ、今度はあれ……という具合だった。そんなわけで僕たちも「よし! とにかく山ほど素材を作ってやれ!」ってノリになった。そう言われて、僕はとにかく素材を手っ取り早くバンバン作っていったし、深く考えることすらしなかった(苦笑)。

スタンリー:でも、とんでもない量のマテリアルがあったから、「はい、じゃ、これをあのジャケットに使おう」、「これはあの広告に」という風に軽く決めていけた。ただ、その奇妙なところは、今になって……こうしてデジタル・エキシビションを制作し、絵画も展示し、本を制作し、アートワークのリパッケージ作業も終えたところで「ああ〜! そうか、これはこのためだったのか!」みたいに思えた、という。

トム:ああ、あれはかなり奇妙だった。


レディオヘッドとEpic Gamesが共同制作したデジタル展覧会ゲーム「KID A MNESIA EXHIBITION」トレイラー

―『Kid A』リリース時にシニョーラが制作したブリップ群ですが、今回のデジタル・エキシビションの動画イメージに関して、あれらがあなたたちの考え方に作用したことはありましたか?(※Shynolaはイギリスのアート集団でMVも多く手がける。ブリップはスタンリーのアートワークを用いた短いビデオクリップ)

トム:どうだろう? あれは単に、ある特定のシチュエーションに対する反応としてやったことだったし、別によく考えていなかった。あれもまた――(苦笑)ほとんどもう委託でやった仕事、みたいな感じだった。実際、あれはシニョーラだけではなくクリス・ブランも担当したんだっけ。で、「テレビ広告を打ちたい」と言われて、僕も「えっ、テレビ広告?」と。

スタンリー:ビデオも要求されたよ。要するに、MTVの求めるものを作れ、と。

トム:MVだのなんだの、もろもろ。で、アルバムのテレビCMというのは「アルバムをご紹介します」と画面にジャケットが映り、オアシスのアルバムでも、(ブラーの)『Parklife』でもいいけど、謳い文句が続き、曲が30秒流れたらハイおしまい、と。そういうものを見せられ、「我々はこういうものをやりたいんだが」と言われて、こっちはもう「冗談じゃない、ファッキンお断りだ!」と。

スタンリー:そんなわけで僕たちはあの、テレビで流れる20秒の枠を使って――

トム:そう、そちらが宣伝費用を持つというのなら、(「しめしめ」という表情で手をこすりながら)我々の方であなたたちが流してくれるものを作ってさしあげますよ!と。ほんと、そんな感じだった。

BLIPAMN0B2108WB pic.twitter.com/kcyQ7ls69J — Radiohead (@radiohead) November 10, 2021

当時のブリップをまとめた動画

―トムは一種の共感覚(synesthesia)について話していましたが、その面はあなたがたのコラボぶりにも作動していると思いますか? おふたりのアプローチの中にそうした一種の共感覚の要素がある点に、自覚的でしょうか?

スタンリー:僕はそんなに大層なことだって感覚はないけどね。それってむしろ、ちょっとしたごまかしって感じじゃない? もしも自分が音楽にアートワークを作らせることができるとしたら、こんなに苦労を背負い込み、一所懸命努力する必要もないんだから。僕は本当に、怠け者なんだ。

トム:僕には分からないな……さっきも言ったように、常に葛藤なんだ。今までもずっと葛藤だったし、これからも常にそうだろう。たとえそれが、曲に欠けているひとつのフレーズを見つけようとするだけのことであろうが、あるいはコンポジションの中で正しいフォルムあるいは形状を探そうとすることであろうが、いつだって同じ、常に難しい。物事がフィットしてくれて「嗚呼!」と思える時、あれらの瞬間を待つわけ。でも、そういう瞬間はごく稀だし……

スタンリー:一瞬だけ訪れる救いだ。

トム:そう。だからとにかく、プロセスを楽しむしかない。削り取り、削り取り、削り取り続け、そこで現れる何かを発見するプロセスをね。ひたすらそれに没頭するのに自らを任せる、それをやることができたとしたら、そうするうちにきっと何かが起こる。とにかく、そのオープンな感覚に好きにやらせるってことだし……それがひとつにまとまる時、うん、そこには共感覚のひとつのフォルムがあるんだろうね。これはこれに語りかけるし、そしてそれはこれに反応するぞ、という具合に。

スタンリー:でも、それは珍しいことだよ。大抵はとにかく、一種の空白な、空っぽの咆哮みたいなものだから。誰にとっても、きっとそうだと僕は思う。とにかくトライしている、常に努力しているんだよ、何かを上手く機能させるためにね。で、まあある意味、運はこちらに向いてくれちゃいないわけでさ。

トム:ああ。



レディオヘッド
『Kid A Mnesia』
発売中

[収録内容]
●Disc 1 - Kid A
●Disc 2 - Amnesiac
●Disc 3 - Kid Amnesiae + b-sides

詳細:https://www.beatink.com/products/detail.php?product_id=12083


「Rolling Stone Japan vol.17」(発行:CCCミュージックラボ)
Photo by Maciej Kucia(SKY-HI+BE:FIRST), Yuri Manabe(RADIOHEAD)

「Rolling Stone Japan vol.17」
※予約受付中

FRONT COVER:SKY-HI+BE:FIRST
BACK COVER:RADIOHEAD

特集:レディオヘッド『KID A MNESIA』20年目の再検証

●『Kid A』『Amnesiac』誕生までの物語
●トム・ヨークとスタンリー・ドンウッドが今明かすアートワークの秘密
●田中宗一郎・荘子 it・柳樂光隆が語る 『Kid A』と『Amnesiac』が向き合ったもの

発行:CCCミュージックラボ株式会社
発売:カルチュア・エンタテインメント株式会社
発売日:2021年12月25日
価格:1100円(税込)

Rolling Stone Japan
https://rollingstonejapan.com/

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