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遠野遥が語る『教育』のインスピレーション源 Perfume、横浜ドリームランド、ボカロ曲

Rolling Stone Japan / 2022年1月6日 17時30分

遠野遥(Photo by Takanori Kuroda)

前作『破局』で芥川賞を受賞した遠野遥の新作『教育』が発売される。超能力を開発するため「1日3回以上のオーガズム」を推奨する、外界から閉ざされた学校での出来事を描く学園モノ(?)となる本作は、これまで以上にセックスや暴力、狂気を赤裸々に描いた彼の新境地ともいえるもの。

【写真】『教育』書影

スタンリー・キューブリック『時計じかけのオレンジ』やマルキ・ド・サド『ソドム百二十日』、ジョージ・オーウェル『一九八四』などを彷彿とさせる、覚めない悪夢のようなディストピアが全編にわたって展開されながら、どこか笑えるユーモアがそこかしこに散りばめられているのも逆に恐ろしい。脈絡のない挿話を次々とぶち込みながら、破綻することなく一定のトーンを保ち続けるこの怪作は、いったいどのようにして生み出されたのか。「楽だから小説を書いている」と言い切る遠野に、その真意を尋ねた。

─まずは『教育』のプロットがどのようにして思いついたのか、聞かせてもらえますか?

遠野:そもそもは、Perfumeの「Spending all my time」(2012年)という曲のミュージックビデオを観たときでした。部屋に閉じ込められた3人が超能力の練習をしている内容だったんですね。「これで何か書けそうだな」と思ったのが、そもそものきっかけでした。



─まさか、PerfumeのMVが最初のモチーフとは想像もつきませんでした。

遠野:実際に書き終わったあと、もう一度ミュージックビデオを見直してみたら、かなりそのままでした。Perfumeの3人が揃いの服を着ているのも、舞台が学校で登場人物たちが制服を着ている『教育』とリンクしますし、閉じ込められた場所にいるという意味でも同じ。ループする構成もそうだし、『教育』で繰り返されるカードの絵柄を当てるシーンも入っています。予想以上にこの曲からの影響を受けているみたいですね。

─執筆中は、常に音楽を聴いているそうですね。

遠野:はい。しかも同じ曲を延々とリピートして聴いてしまいます。『教育』を書いているときは、やはり「Spending All My Time」ですよね。着想の源であり、テーマソングでもある。実際、作品のテーマソングというか主題歌みたいなものを自分で決めておくのは、小説を書く上でもメリットがあると思います。同じ曲を、ずっと聴き続けながら執筆することで作品のトーンが揃うんですよ。多少好き勝手してもばらばらにならない。音楽を聴くのは単純に気分が良いのもあるし、小説そのものにもいい効果があると思っていますね。


「翻訳部」と「演劇部」にした理由

─『教育』は、前作『破局』以上に暴力と性について描かれています。暴力もセックスも日常的に氾濫している設定は、個人的には『時計じかけのオレンジ』を彷彿とさせられました。しかも、それらが閉鎖的な空間の中で疑いもなく行われているという意味では、カルト宗教的なエッセンスも入っているのかなと。

遠野:ああ、なるほど。

─実際のところ、「Spending all my time」以外に影響を受けたものを挙げるとすると?

遠野:うーん、なんだろうなあ……。言われて思い出したのですけど、この小説を書いている途中で「参考になるかな」と思い、『時計じかけのオレンジ』は観ましたね。その影響はおそらくありました。映画の中で、主人公アレックスが、「更生」の一環として器具で目をこじ開けられ観たくもない映像を無理やり見せられるシーンがあるじゃないですか。それに似た描写が小説の中に出てきますから。本当にそういったことが行われているかは分からなくて、あくまでも学校の七不思議というかたちで語られていますが。

─ありもしない超能力開発のため、無意味な試験や訓練を強いる「学校」のばかばかしさは、現実にこの世界にも存在する無意味なルールのばかばかしさへの皮肉も含まれているのかなと思いました。

遠野:そうですね。意味がないのにそれが「是」とされ、疑問を持たずに多くの人が従っている状態というのは現実でも散見されます。例えば学校の校則や会社の風習などが、たびたび問題となっていますよね。外部の人間が見たら「いや、そんなの絶対おかしいよね」みたいなローカルルールが、いまだにまかり通っていたりする。そうした現実に対して抱いていた違和感が『教育』に投影されているのだと私も思います。内部にいる人は、そこで適用されているルールがすべてになってしまいがちだし、疑ったりおかしいと声を上げる力も次第に奪われていく。おかしなルールでも我慢して従ったほうが楽だと思っていることが結構あるのではと思い、それを小説に落とし込もうと思いました。

─「催眠」や「翻訳」「演劇」なども重要なモチーフになっていますよね。

遠野:ひと昔前に、テレビでよく催眠術のバラエティ番組をやっていましたよね。催眠術師が手を叩くと出演者が急に泣き出したり、犬になったり。当時は子供だったこともあって、「すごいことやってるなあ」と思いながら観ていました。そういう、自分が今までに見てきたさまざまなコンテンツが入った小説だなと思います。今回はかなり好きに書いたところもあり、「これ、本筋に関係あるのかどうか分からないな」と思うような挿話がいくつも入っていますよね。必要かどうか分からないけど、「自分が書いていて面白いから書く」みたいなテンションでした。

─そういう、脈絡もない挿話を差し込む上でも「催眠」や「翻訳」「演劇」は便利なツールというか(笑)。

遠野:そうなんです。それらを使って劇中劇を差し込めるんですよね。例えば主人公が「翻訳部」ではなく「バレーボール部」に所属していたら、翻訳部に比べると他のストーリーって入れづらいじゃないですか。そういう意味もあって主人公は「翻訳部」に、もうひとりの主要な人物は「演劇部」に所属している設定にした部分はありますね。


意味の分からないものを、分からないまま描きたかった

─印象的なシーンはたくさんあるのですが、催眠をかけられ「女子高生」になった主人公が見る「夢」というか、夜の遊園地で経験するエピソードがもう悪夢のようで。

遠野:あそこは書いていて楽しかったです。実際に遊園地は好きで、ディズニーランドやシーには年1くらいの頻度で行っています。だからこそ書いてみたかったのかもしれない。ちなみに小説に出てくる遊園地は、小さい頃に行った「横浜ドリームランド」という、今は閉園してしまった遊園地をモデルにしています。細かいディテールは実際と違いますが、子供の頃よく行っていた時のことを思い出しながら書きました。それと、ボカロPのトーマさんが書いた楽曲「魔法少女幸福論」のミュージックビデオにもインスパイアされましたね。結構、怖い感じの遊園地が出てくるのですが、それは結構頭の中にイメージとして残っていました。「魔法少女幸福論」は曲も好きです。



─可愛いはずの着ぐるみをグロテスクに感じたり、気づいたら全く知らない場所に迷い込んでしまったり、実際にはそんな経験したことがないはずなのに、まるで自分も以前どこかで同じ目に遭ったような気がしてくるくらいリアルかつグロテスクでした。

遠野:遊園地のマスコットってちょっと怖いんですよね。表情が変わらないし、中にいる人がどんな人か分からない。男性が入っているのか、女性が入っているのかも分からない。ひょっとしたら殺意剥き出しの表情をしているかもしれないのに、それは着ぐるみで覆われているから分からないじゃないですか。でも着ぐるみの「ガワ」はニコニコしているので子供はついていってしまう。それを想像したときに「怖い!」と思った気持ちが小説にも表れていると思います。

─僕はジョーダン・ピール監督作『アス』のオープニングシーンを思い出しました。遊園地のミラーハウスに迷い込んだ女の子が、恐ろしい体験をするストーリーです。

遠野:遊園地の怖いエピソードって結構ネットとかにもありますよね。お化け屋敷なんてものもありますしね。楽しい場所だけど、非日常的だから色々と想像力をかき立てられる場所なのかなと思います。

─恐竜ヴェロキラプトルが唐突に現れるシーンはやはり『ジュラシック・パーク』がモチーフですか?

遠野:あれが一番、意味わかんないですよね? どこから来たんだろう……恐竜も『ジュラシック・パーク』も普通に好きだし、恐竜がいると小説に動きが出ると思ったのかな。

─あははは。ラプトルがサッカーしていますもんね。

遠野:小学生の頃にサッカーをやっていたのもあって「恐竜がサッカーしていたら面白いかな?」という単純な発想なんですよね。恐竜がフォークとナイフを使って鶏肉を食べていたら面白いかな? とか。ちょっと悪ふざけに近い思いつきの部分もあるし、全てに意味がなくてもいいと思っていて。すべてのエピソードが、「これはこういうことが言いたいんだろう」と解釈できてしまったらつまらないと思います。意味の分からないものを、分からないまま描きたかったのかもしれない。


書いていて一番楽しかったシーンとは?

─何か大事なときに限って不条理なことが起きて、何もかもぶち壊しになってしまう。その象徴としてラプトルを置いたのかと僕は思ったんです。以前のインタビューで、この小説を書く前に映画『グエムル-漢江の怪物-』を観たとおっしゃっていたので、その影響もあるのかなと。

遠野:ああ、なるほど。『グエムル』は好きですけどね。今回はスポーツのシーンが割と多く書かれていますが、ここでサッカーのシーンを書きたくなったのもあるのかな。まあ、恐竜である必然性は、よくわからないんですけどね。

─前作『破局』も主人公はラグビー部員でしたよね。遠野作品の中で「スポーツ」も重要な要素だと思います。

遠野:自分がやっていたこともあるから、書くのが楽なのもあるんですよね。取材とかも別にいらないし、書いていて楽しいいし。それに、読んでいる人もあまり難しいこと考えずに読めるじゃないですか。「これはどういうことが言いたいんだろう?」とか別に考えなくても、とにかく動きを追っていればいいわけですから。なので、スポーツのシーンは『教育』でもちょくちょく入れていきたいと思っていましたね。

─遠野さんの作品は、これまで様々なところで「虚無」という言葉で語られてきました。それについては今回、『教育』を書いていてご自身ではどのように思いましたか?

遠野:おっしゃるように、よく言われることなのですが自分では意識していないことなんですよね。「空虚さを描いてやろう」みたいなことは全然なくて。でも意識しなくてもそう思われるということは、それが作者の性質ということなんでしょうか。

─なるほど。前作『破局』は常田大希(King Gnu)のツイートに影響を受け、自分の小説のパンチラインはどこかを意識しながら書くようになったとおっしゃっていました。

遠野:そうですね。今回は原稿用紙300枚のボリュームがあって、一応「長編」と言われる小説だから、パンチラインは複数用意する必要があるなと思っていました。

─実際、「『破局』の「傘のシーン」と同じか、それ以上の手応えを感じる部分が複数ある」ともおっしゃっていましたが、それは具体的にはどこでしょうか。

遠野:自分で「ここが一番のパンチラインかな」と思うのは、演劇のシーンです。主人公のクラスメイトで演劇部に所属する真夏が、劇の中で犬に延々と話しかけているところ。単純に、相手が聞いているのかどうかよくわからない長いセリフを書くのが好きなんですよ。読んでいる人がそこを「いいな」と思うかどうかは分からないけど、書いていて一番楽しかったのがこのシーンなんです。気持ち的にはこの3倍くらい書いても良かったくらいですし、次もやってやろうと思っていますね。思えば「催眠」シーンも、催眠術部の未来が主人公に催眠をかけ、延々と話し続けるわけだから長いセリフと言えますね。ここも書いていて楽しかったです。


長いセリフを書くのが楽しい理由

─長いセリフを書くのが楽しいのは何故でしょう。以前のインタビューで「自分の力を超えて書くことができた」とおっしゃっていましたが、ある種のトランス状態に入っていく感覚があるのでしょうか。

遠野:話しているうちに気持ちが溢れてくるというか、地の文よりもエモーショナルになっていくときってあるじゃないですか。そこにその人物の「思い」みたいなものが発露されるから、書いていて手応えとして感じているのでしょうね。この犬のシーンも、話している内容自体は大したことないのだけど、なんとなく真夏が抱えているものを感じる。

─確かに、とりとめのないことを喋っているうちに気持ちが昂ってしまいて、気づけばなぜか涙が出ていたりすることってありますね。

遠野:そうなんです。真夏がなぜ、こんなに夢中になって犬に話しかけているんだろう? という状況も含め、何かしら言葉にできない気持ちがそこに立ち現れていて、思い入れのあるシーンです。

─ 「暴力」や「性」「狂気」を作品の中で描く一方、遠野さんご自身は至って健康的といいますか、規則正しい生活を送っていると聞きました。村上春樹もよく、「精神の不健康さを表出するには肉体の健康が必要」と言っていて、毎日のランニングを欠かさないアスリートのような生活を送りながら、同じように「暴力」や「性」「狂気」を描いています。

遠野:村上春樹さんのそのエピソードは知りませんでした。基本的に他の作家についてはよく知らないのですが、私も小説家はアスリートに見習うべき点が色々あると思っています。別に生活がすさんでなければすさんだ生活が書けないわけでもないし、むしろ健康じゃないと小説は書けないし、書き続けられない。長期的に作家活動を続けるためにも規則正しい生活を心がけているという感じなんですよね。

ただ、いつやめてもいいとは思っています。結局のところ、小説を書いているほうが楽だから小説を書いているのかなと。もし今、小説を書くことをやめたら結構な時間が出来てしまうし、「この時間をどう過ごそう?」と考えなきゃいけないじゃないですか。小説を書いていれば、他のことを考えなくていいので楽なんです。だからとりあえず書いているんですよね。

─(笑)。

遠野:私、中高生の頃は受験勉強が好きだったんですよ。なぜかというと、受験勉強を頑張っていれば他のことを考えなくて良かったし、学校や塾ではそうすることが望ましいとされていたから。「何をすればいいのか分からない」というのが一番苦しい状態だから、とりあえずそこから脱するために「特別やりたいことはないけど、とりあえずこれをやろう」と決めることを昔からよくやっていて。その延長線上で今は小説を書いているんですよね。

─何かに没頭するのは確かに大事なことですよね。

遠野:そう思います。何か一つのことに夢中になっていれば、他のいろんなことを考えなくてすむじゃないですか。その方が楽ですからね。

─考えても仕方ないし。

遠野:そうなんですよ。だから、結構、他の作家さんのインタビューとか読んでいて、「(書くのは)苦しいけど、それでも書く」というふうに言っている方がいらっしゃいますが、自分は違うタイプだと思います。私は「楽だし楽しいから」書いているので。


「自分の文章が好き」というのがまずある

─遠野さんは、小説を書く全てのプロセスを「楽しい」と感じているのですか?

遠野:それでいうと、もっとも楽しくないのはやはり、何を書こうか考えているときなんですよね。要するにプロットを考えているとき。小説を書くことは決まっているけど、何を書けばいいか分からない状態が一番嫌だし辛い。何を書くかが決まって、いざ書き始めたらあとは大体楽ですね。

あと、「自分の文章が好き」というのがまずあるんですよ。書きながら自分に驚かされるというか、「こんなことが書けるんだ」と思うことが結構ある。その感覚がなかったら、もしかしたら続いていなかったかもしれないですね。

─自分の文章が好きだという感覚は、小説を描き始めた最初の頃からありました?

遠野:ありました。文学賞の一次選考に3回連続で落ちた頃から自分の書くものを「面白えなあ」と思っていました。出版社に原稿が届いていれば受賞するはずだから、不幸な郵便事故が3回重なったのだと思いました。

─それって、ものすごく重要なことだと思います。

遠野:そうですね。結果的に「面白えな」と思っている方が元気でいられますからね。ウジウジするのとかあまり好きじゃなくて。あと、ある程度自分に自信を持っていた方が、何事もうまくいくなというふうに思うので。自分を褒めてこれからもやっていきたいです。

─ちなみに落選しまくっていた頃の小説を、今読み返しても同じように「面白えな」と思います?

遠野:いや、いま読み返すと「そりゃ落ちるよな」と思いますね。でも、そう思えるってことはそれだけ進化したってことだと思います!

【関連記事】BiSHモモコグミカンパニーと遠野遥が語る「書くこと」の意味


『教育』
遠野遥
河出書房新社
発売中

遠野遥
1991年、神奈川県生まれ。2019年『改良』で第56回文藝賞を受賞しデビュー。2020年『破局』で第163回芥川賞を受賞、「恐ろしいほどに共感」(小川洋子)、「新しい才能」(平野啓一郎)、「手練れに見えない手練れ」(山田詠美)、「村田沙耶香『コンビニ人間』に通じる」(デビッド・ボイド)等の評価を受ける。


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