リトル・シムズ、年間ベストを席巻した「2021年の最高傑作」を2つの視点から考察
Rolling Stone Japan / 2022年1月18日 18時0分
昨年、海外の音楽メディアや批評家筋から最も賞賛を集めたアルバムは、英ロンドンのラッパー、リトル・シムズ(Little Simz)の通算4作目『Sometimes I Might Be Introvert』で間違いないだろう。世界の各種年間ベスト・チャートを数値化し総合ランキングにまとめている「metacritic」や「AOTY」でも堂々の1位。なぜ同作はそこまで高く評価されているのか? 音楽評論家の高橋健太郎と、1月28日に単著『わたしはラップをやることに決めた フィメールラッパー批評原論』を刊行するつやちゃんのクロスレビューをお届けする。
1. 自身の中にある英国的なものと向き合うために
高橋健太郎
リトル・シムズの『Sometimes I Might Be Introvert』。実を言うと、僕はちょっと出遅れちゃったんですよね。原因はイントロダクション。アーミーっぽいマーチング・ドラムに始まり、壮大なオーケストレーションとコーラスも加わって、映画っぽい始まり方をする。この冒頭の1曲が6分以上もある。ん〜、今回は大作主義っぽい? そう思って、じゃあ、時間ができた時にゆっくり、と置いておいたんです。世間で評判を呼んでいるのを横目で見つつも。年の終わり頃になって、ああ、2曲目から聴けば良いんだ、と気がついて、それからリピートするようになった。
リトル・シムズを知ったのは、振り返ると、2014年の『E.D.G.E.』というダウンロードのみのEP。バックグラウンドの情報などは得ぬまま、聴き始めたのだけれど、好き勝手にやってる若々しい才気に惹かれた。女の子だけれど、ちょっとオタクっぽくもある。曲ごとに、グライム系のそんなに有名じゃないプロデューサーを起用しつつ、ミックスはほとんど自分でやっていた。ノース・ロンドン在住のアフリカン(ナイジェリア系)と知ったのは、だいぶ後だった。
当時から現在まで、リトル・シムズは自身のAge 101 Musicから音源をリリースしている。アメリカのヒップホップ界からもラヴコールを受け、ビッグネームとの共演が増えてきても、あくまで自身の皮膚感覚に忠実に、あと、自分ちの近所で作品を作っている感じがする。彼女のアルバムには一貫して、ヘヴィーなベース・サウンドがあって、それはレゲエ〜ダブ〜サウンド・システム的なものの歴史を想起させる。ロンドンのベース・カルチャーが脈打っているようだ。
『E.D.G.E.』収録曲「The Hamptons」
2曲目以後をリピートするうちに、『Sometimes I Might Be Introvert』でもそれは変わりないと思うようになった。プロデューサーのディーン・ジョサイア・カヴァー(インフロー)は今や、アデルの新作のプロデューサーの一人だったりするが、リトル・シムズとの関係性は近所の兄貴っぽい。実際、二人が知り合ったのは彼女が9歳の時で、家族同士の付き合いがあるそうだ。インフローはバイオや写真の露出を意識的に制限しているようだが、もともとはドラマーで、過去のソウル・ミュージックやファンク、ラテンなどに相当、精通していると思われる。DJ的なセンスもありそうだ。
インフローがプロデュースしたリトル・シムズの前作『グレイ・エリア』以来、もう一人、重要な協力者となったのが女性シンガーのクレオ・ソルで、彼女はインフローとともにソー(Sault)というユニットをやっている。ソーもまた匿名性が高い活動をしているが、2019年から2020年にかけては、『5』、『7』、『Untitled(Black Is)』、『Untitled(Rise)』という4枚のアルバムを立つ続けにリリースした。ソーの音楽はラテン・グルーヴが強く香り、最初の2枚は80年代のニューヨークのガール・グループ、ESGを多分に意識したように思われるが、続く2枚はもう少し時代をが下って、90年代のニューヨリカン・ソウルを思わすようなプロダクションになった。また、『Untitled(Rise)』のラストに収められた「Little Boy」という曲は、クレオ・ソルの2021年のソロ・アルバム『Mother』の伏線となる1曲だった。
『Mother』は一児の母となったクレオ・ソルが発表した、ピアノ弾き語りを基調とする真摯なシンガー・ソングライター作品で、その端緒がソー名義で発表した「Little Boy」だったのだ。『Mother』の作風は70年代のキャロル・キングを思わせる。ゴスペル風のバッキング・コーラスやリズムのラテン・フレイヴァーなども含め、こんなにキャロル・キングを彷彿とさせるアルバムに出会ったのは久しぶりだった。
クレオ・ソルを以前から知る人にとっては、彼女がそんなシンガー・ソングライター作品を作るのは驚きだったかもしれない。10年ほど前にダンス・ポップを歌って、アイドルっぽく売り出された過去を持つからだ。だが、彼女のバックグラウンドは複雑で、ルックスからはそう見えないが、父親はジャマイカン。母親はスペインとセルビアの血を引くという。育ったのはウェスト・ロンドンのラドブローク・グローブで、ディープなレゲエ・コミュニティーにも接していたようだ。リトル・シムズとの結びつきにも、そんな背景があるのかもしれない。
そのクレオ・ソルのヴォーカルをフィーチュアした「Woman」が『Sometimes I Might Be Introvert』の2曲目。彼女のメロディー・センスが発揮された曲と言っていいが、そこで僕は60年代のとあるグループを思い出してしまう。ロータリー・コネクションだ。ヤン富田のカバーでも知られる名曲「Memory Band」が頭をよぎる。
ロータリー・コネクションはミニー・リパートンが在籍した知る人ぞ知るコーラス・グループだが、アルバム『Sometimes I Might Be Introvert』でロータリー・コネクションのことを思い出すのはこの1曲だけではない。中盤の「Little Q」(3パートからなる組曲)あたりは、まさしくロータリー・コネクション的な世界観だし、その他にもコーラス・アレンジやストリングス・アレンジにロータリー・コネクションのアレンジャーだったチャールズ・ステップニーの手法を思い起こす瞬間が多い。
インフローとクレオ・ソルがソーでやってきたことを思えば、これはかなり意識的な参照だろう。そういえば、ロータリー・コネクションの再評価の決定打となったのは、先述のニューヨリカン・ソウルによる「I Am The Black Gold Of The Sun」のカバー(1997年)だった。
重層的な深みを表わすオーケストレーション
『Sometimes I Might Be Introvert』では前作以上にインフローやクレオ・ソルのそうした過去の音楽への知識、引き出しが開放されて、リトル・シムズの表現にしなやかさやまろみを与えた感がある。スモーキー・ロビンソンの「The Agony And The Ecstasy」(1975年)をサンプルした(というよりはスモーキーとの共演に近い)「Two Worlds Apart」などもこれまでのリトル・シムズにはない展開。予算もふんだんだったことを窺わせる。
オーケストレーションを手掛けているのは、チェロ奏者のローズマリー・ダンヴァーズ。彼女はワイアード・ストリングスというプレイヤー集団のリーダーで、ポール・ウェラー、ブライアン・フェリー、アデル、カニエ・ウェストなどとも仕事してきたトップ・アレンジャーだ。彼女のアレンジメントが英国的なノーブルさをアルバムに付け加えてもいる。
ローズマリー・ダンヴァーズ率いるワイアード・ストリングスが、アデル「Chasing Pavements」のストリングスを録音したときの動画
ただ、クラシック的なものへの志向は、リトル・シムズがもともと持っていたものかもしれない。というのは、グライムやレゲエ〜ダブの色が強かった2015年の『A Curious Tale of Trials + Persons』の頃からクラシカルなストリングスは聴こえていたからだ。アルバム中の「This Is Not An Outro」はストリングスをフィーチュアしたダブ・インストという趣だ。
振り返ってみると、イギリスにおいては、レゲエ〜ダブ〜サウンド・システム的なものとストリングスの親和性は高かった。80年代の終わりにはレゲエ・フィルハーモニック・オーケストラなんてユニットがあって、ソウル・II・ソウルほかのレコーディングにも貢献していた。ルーツはアメリカのソウル・ミュージックに聴こえるストリングスだろうが、そこに英国的な叙情性を加えたストリングス・サウンドは、90年代以後のトリップホップやドラムンベースなどの中にもしばしば聴こえてきた。『Sometimes I Might Be Introvert』のサウンド・プロダクションにも、そんな歴史との繋がりが強く感じられる。
と考えていくうちに、ようやく、アルバム冒頭の「Introvert」が聴けるようになった。これはハリウッド大作主義的なイントロダクションではないのだ。打ち鳴らされる軍楽隊のドラムは女王陛下のためのものだ。インタヴューを読むと、リトル・シムズはアルバム制作中にNetflixの『ザ・クラウン』を観ていたそうだ。「Introvert」のナレーションは、その『ザ・クラウン』でダイアナ妃を演じたエマ・コリンによるものだという。自身の中にある英国的なものと向き合うために、この「Introvert」は必要だったのだろう。それは彼女がナイジェリア的なものと初めて深く向き合った終盤の「Point To Kill」〜「Fear No Man」と対にもなっている。
と、ここまで辿りつくのに時間はかかったが、それこそがこのアルバムの手強さや重層的な深みを表わすものでもあると思う。トータル・アルバムとしてのリピートは、僕はこれからです。
2. 映像が補強する重厚な魅力と、わずかに振りまかれたルーズさ――それら亀裂について
つやちゃん
重厚な歴史を収蔵するロンドン自然史博物館の、ロマネスク建築の内観を捉える大仰なショット。インサートされる宗教画、ただならぬ出来事を映す記録映像、白い煙を吹くオートバイ。アルバム『Sometimes I Might Be Introvert』のオープニングを飾る「Introvert」のMVは、楽曲を支えるダイナミックなオーケストラをそのまま映像化したような、壮大なスケールで始まる。
ここに来てようやくセールス・評価ともに追いついてきた感があるリトル・シムズだが、UKを中心とした古今様々な音楽折衷に取り組みながらダブの処理を効果的に施してみせるという見事な手腕は、前作『Grey Area』でも我が道を貫く形で表現されていた。プロデューサーであるインフローとの仕事も今に始まったことではない。しかし、最新作ではこれまでの豊かなビートとスキルフルなラップはそのままに、没入感を狙ったオーケストラまでをも取り入れることで、結果的に映画音楽にすら接近するかのようなエピックな世界観を獲得している。
リリックやファッション、言動といったあらゆるたたずまいを含めカルチャ―アイコンとしてのポジションを築きつつあるシムズだが、実は映像面のパワーも見逃せない。壮大なスケールにたどり着いた映画的な音楽は、ほかでもないMVから発せられるその映画性によっても支えられているからである。「Introvert」を撮ったサロモン・ライトヘルムはドラマティックかつ静謐な作風で多くの優れたビデオを生み出している監督だが、今作でも冒頭で記した堂々なるショットを重ねることで映像に「格式」や「緻密さ」といった魅力を付与している。
博物館だけではない。他にも、体育館やグラウンドといった場所が、シンメトリーな印象を伝える場所として捉えられる。律儀に建物のコーナーまでカメラを寄せ、左右対称の形を作ったところでカットを割る開始4:30〜の構図は、一瞬の出来事だが見逃してはならない本MVのハイライトであろう。ただ、それらシンメトリーへのこだわりはとあるアメリカの人気映画作家のような寓話性の強調には向かわず、この監督特有の寒々しい色使いによってあくまでリアリティを伴ったうえで格式を醸成する。「私は時々内向的になる」というメッセージが掲げられた本作は、映像においても決してファンタジーに消化されることを許さないのだ。同時に、複数の登場人物により度々組まれるフォーメーション、彼ら彼女らが止まる/動くという一連のきびきびとした身体の軌道が、観る者に緻密な構成美による感動を喚起させる点にも注目したい。それら格調高さと緻密さの映画的アプローチは、本作の壮大で厳かなサウンドや、シムズの一糸乱れぬ安定したラップといった音楽面での効果とシナジーを与え合い、その美点をより際立たせている。
安易な概念化を許さない「亀裂」
もちろんそれは「Introvert」に限らず、様々な楽曲でも多様にアプローチされる。「Woman」のMVでも冒頭からシンメトリーな建物と人物を映し、カラフルでビビッドな色彩が、額縁に囲まれた画面=絵画を華やかに彩る。俯瞰で、仰ぎで、正面から、あらゆる角度のカメラが「ここしかない」というポジションで優雅に情景を捉えていく。「I love You, I Hate You」も同様で、リリックの世界観を的確に表現した長いテーブルが画面の奥行きを生み、映像効果が音楽の力を増幅させる。つまるところ、シムズは、そのアウトプットを音楽だけにとどまらない映像も含めた完璧な表現として完成させているのだ。と同時に、それら「格式」「緻密さ」、さらに「優雅さ」といった側面が現行のアメリカを中心としたヒップホップのメインストリームとは極めて相反するエレメントであることも忘れてはならないだろう。ゆえに、シムズのMVは、アメリカのリスナーに対しては厳かでありながらもどこか奇抜でハッタリの効いた印象すら与えるかもしれない。
ある種スポーティな、ルーズさとラフさの方角へと進みながらそれはそれで刺激的な実験――サブベースの濫用、音割れへの拘泥、ロックの引用、多種多様なフロウ――を試みてきた近年のヒップホップトレンドとは大きく距離を置いたシムズの今作が、セールス/評価ともにインパクトを残しじわじわと世界中に影響を拡大している状況は、ゲームの潮目を変える意味で非常に興味深い。シムズ自身の音楽性はあくまで前作までの延長線上にあり、大きくスタンスを変えてはいない。アメリカのメインストリームにおけるヒップホップがやや波及力を停滞させつつある今、結果的に世の中の潮流が彼女の才能を迎える準備を整えたという方が正しい。ただ、アメリカ/その他の国という見取り図すらも近年急速に崩れてきている中で、安易な対立関係でこの状況を俯瞰していくことも危険であろう。つまり、映像面も含めアメリカと相反する立場でシムズの表現を「格式」「緻密さ」「優雅さ」といったキーワードとともに解釈した際、実はそれら二項から抜け落ちる重要な側面として指摘したいのが、時折顔を覗かせるポストパンクやアフロミュージックの要素が引き立てる粗くルーズな表情である。
大仰な楽曲群を聴きながらも、今作でも引き続き随所で聴かれる「Rollin Stone」や「Point and Kill」といった楽曲のラフさは注目すべきポイントだろう。「Point and Kill」のMVでは、ジブリル・ジオップ・マンベティ監督による1973年の映画『トゥキ・ブキ/ハイエナの旅』へのオマージュがなされ、バイクに乗ったゆるいロードムービーが綴られる。干された洗濯物や逞しい馬といった道具から始まり、視線を誘導するズームイン、ギミックの効いたズームアウトなど古典的映画作法がこれでもかと詰め込まれた本MVで、一本道をだらだらと走り抜けるバイク、その牧歌的な描写は他の彼女の映像作品には見られないゆるんだムードを漂わせている。言うまでもなく、ここでもまた映像は音楽を補強する。ルーズに伸ばされるだらんとした母音は、彼女の緻密で技巧的ラップスキルとはまた異なる魅力の一つだ。アフリカンという自身のルーツにかえりながらラフさを作品にミックスしていく態度、そのタッチは、今後もシムズの作品において安易な概念化を許さない、ある種の拠り所でありながら作品に捉えどころのない亀裂を走らせる豊かさに違いない。そして、ますますスケールアップしたシムズの表現が今後私たちの生きる社会――安易な二項対立に惑溺する風景――を救い、白黒つけない”Grey Area”を提示するパワーを発揮するにあたっても、それらルーツが生むラフさは重要な要素になるであろうことを予言しておく。
【関連記事】リトル・シムズが語る、UKラップの傑作をもたらしたディープな自己探求
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