ミツキが語る「音楽から離れたのは、音楽を愛するためだった」
Rolling Stone Japan / 2022年2月4日 17時30分
弱さをあらわにする曲作りで彼女はスターになった。しかし、その意味するところを受け入れるのは難しかった。3年半ぶりとなる最新アルバム『Laurel Hell』をリリースしたミツキ(Mitski)が、再び戻ってくる理由を明らかにしてくれた。
ナッシュビルのスタジオにて
31歳のミュージシャン、ミツキは悪夢にうなされている。パフォーマンス不安の夢には常に悩まされてきたが、最近はより恐ろしく、より複雑になってきたという。そのうちのひとつでは、自分の猫が木から降りられなくなってしまったことから、サウンドチェックに遅刻してしまう。やっとの思いで会場に着いたら次は、一度もリハーサルをしたことのないオーケストラと共演することを知らされる。
「みんなから白い目で見られました」。思い出しながらミツキは話してくれる。「私がボーカルのウォーミングアップをし始めたら、オーケストラ全員が『いいアイデアだ』と言って自分たちもウォーミングアップをし始めたんです。自分の声が聞こえなくなったから、会場の奥へ奥へと進み続けていたら、迷子になって……」。
2年間の活動休止期間を経て、復帰の準備をしているからこんな夢を見たのだろうか。あるいは、前回の2019年末のステージが、彼女のキャリアの最終公演となるはずだったからかもしれない。いずれにせよ、彼女は途中で話すのをやめようと思ったようだった。「夢の話なんてつまらないでしょう?」。
インディー・ロック界で最も魅惑的で謎めいたミュージシャンの夢の話なら、誰だって聞きたいだろう。ミツキの音楽は、彼女のオーディエンス――歌詞を体に彫る熱烈なファンから、2018年のシングル『Nobody』のTiktokをポップカルチャー・サイトが取り上げざるを得なくなるほど大量に作ったもう少しだけカジュアルなファンまで――の奥底にある何かに語りかけている。彼女はこの日、ライトウォッシュのデニムジーンズ、ラベンダーの長袖シャツ、ブルックスのプリムローズのランニングシューズという控えめな一般人風の服装で迎え入れてくれた。2年前に世間が最後に目にした姿が、バイカーショーツとニーパッドの衣装だったことを踏まえると、これはちょっとしたショックだった。
わたしたちはナッシュビルのスタジオ〈ボム・シェルター〉で11月初旬に会った。ミツキはハロウィンが終わってしまったことに納得がいってないようだった。「ホラー映画でも見ようかな」。彼女はつぶやいた。「10月を好きなだけ引き延ばせるから」。
この投稿をInstagramで見る Rolling Stone(@rollingstone)がシェアした投稿 Fashion Direction by Alex Badia. Hair Styled by Brittan White for Exclusive Artists. Makeup by Todd Harris for Honey Artists using Suqqu Cosmetics. Set Design by Elisia Mirabelli for B&A Reps. Styled by Lizzy Rosenberg. Dress, Body Suit & Pants by Melitta Baumeister
〈ボム・シェルター〉の中を歩くと、友人の秘密のクラブハウスを歩いている気分になった。ドラマ『サクセッション』(キング・オブ・メディア)のケンダル・ロイは、40歳の誕生日パーティーのVIPセクションをこんな感じにしたかったのかもしれない。居心地がよく、木製の壁や天井にはレコードのジャケットが貼られている。キッチンカウンターには落ち着いた植物が飾られていて、棚には鋳鉄製のスキレットがぶら下がり、電子レンジの上には巨大な容器に入った蜂蜜が置かれている。マーゴ・プライス一家から届いた来たクリスマスカードが、消火器の横に貼ってある。
ミツキはベタなジョークをつぶやきながら煎茶を淹れてくれた。ポットでお湯を沸かし(「見張っているうちはお湯は沸かないっていうでしょ......」)、「I♡NY」ロゴの入ったマグに注ぐ(「ニューヨークをラブしてるかって言われると、ね」)。2年前にナッシュビルに引っ越したとき、そのことを当時はほとんど誰にも話さなかったという。「ナッシュビルにようやく愛着が湧いてきた気がします」と彼女は語る。「ロサンゼルスやニューヨークには行きたくなかったんです。せっかく仕事を辞めるのに、信じられないほど競争の激しい、物価の高い都市に住むべきじゃないと思ったから」。
けれど、ミツキは仕事を辞めなかった。このスタジオで彼女は新しいアルバムを作り、自分にはまだ作るべきものがたくさん残っていることに気づいたのだ。
「人生最後のコンサート」
2019年9月8日、ミツキはセントラルパークのサマーステージでソールドアウトの観衆を前にパフォーマンスを行った。注目が集まっていることは分かっていた。この日は、高評価に終わった2018年の『Be the Cowboy』のツアー最終日だった。これが「当面の」最後のライブになると発表したとき、彼女のファンは、控えめに言ってパニックに陥った。泣いている動物に「ヒーハー」とキャプションをつけたミームや、「今週彼女を見れて本当によかった、でなければ今ここで死んでたかもしれない」といった発言も珍しくなかった。あまりの熱狂的な反応に、公演の数週間前にTwitterで釈明しなければならなかった。「言っておくけど、音楽をやめるわけじゃない!」と彼女は書いた。「これまで5年以上ノンストップでツアーを続けてきて、その間住むところもなかった。そして、いますぐにこの生活をやめなければ、自分の自己評価やアイデンティティは、この戦いを続けること、常に目まぐるしく動き回ることに、依存してしまうと感じています」。
最初の部分を除いては、すべて本当のことだった。実はミツキは、あの晩を最後に音楽業界を去るつもりだったのだ。「自分の人生で最後の公演にして、その後、辞めて別の人生を探そうと思っていたんです」。だからこそ、この日の演奏は、彼女のキャリア史上最高のものになったのだろう。観客はいつもよりも陶酔していたし、独特の振り付けもいつもよりキレがあった。テーブルの上にうつ伏せになって、夜空に向かって歌う姿を見ていた観客に「私の人生で欲しかったのはこれだけです」と語りかけた。
「美しかった」とミツキは言う。「パフォーマンスをして、自分がそれをどれだけ好きだったかを思い出しました。ステージからはけてすぐに泣き出したのを覚えています。なんてことをしてしまったんだろうって」。
その夜、オープニング・アクトを務めたルーシー・ダッカスは、ミツキがステージを去るとき、無表情だったと言う。「私は彼女にどんな気分か聞いたんです。すると彼女は『私はとんでもない間違いを犯してしまった』と一言目に言いました。その言葉から彼女が体験している恐怖の一端を感じました」。
今振り返ると、辞めたいと思った本当の理由は、長年のノンストップ・ツアーではなかったとミツキはいう。ツアーで疲れることがあっても、アルバムのサイクルの間に休みを取れば、解決しないことはない。多くのアーティストは、家に引きこもり、ソーシャルメディアから離れることで「充電」し、やがて新しいプロジェクトに取りかかる。ミツキの場合は、もっと複雑だった。『Be the Cowboy』によって彼女はインディー・スターになった。そして、ファンたちはみな、会ったこともない彼女と強い絆を感じていた。ミツキはそれが自分の人生にもたらす意味を理解しようと必死だった。
「少しずつ自分の魂をすり減らしているような気がしていました」と彼女は言う。「いまの音楽業界は消費主義が飽和したような状態です。私こそが、消費され、購入され、販売されている商品なんです。私の友人であるチームの人々でさえが、私の収入から何パーセントかをもらっているということが、この仕組みの根本の基礎です。私が何かを断るたびに、彼らの稼ぎが減ることになるんです」。
Body cast by Kim Mesches, Photo by Josefina Santos for Rolling Stone
ミツキは今、一連の出来事を思い出そうと、ゆっくりと話している。パンデミックになってから初めてのインタビューである上、ロックダウンの隔離が、彼女の記憶力をいっそう悪くしているという。(「あまりにひどくなって、何もない白い部屋に住んでいたように思うほどです」と彼女は言った)。彼女は〈ボム・シェルター〉のチャコール色のソファーに靴下で座り、履いていた靴は目の前の床に揃えられている。彼女はファイブ・ドーターズ・ベイカリーのヴィーガンのドーナツを2つ注文し、そばにあるコーヒーテーブルの上でそれぞれを半分に切ってくれた。
しばらくして、「私が音楽業界で生き残るためには、叫び続ける自分の心を上から枕で押さえつけて、『黙って、黙って。我慢して』と言わなければなりませんでした」と彼女は言った。「数年間、毎日そうしていると、本当に心が麻痺して、静かになってきたんです。そうすると今度は、私が音楽をつくるためには私の心、つまり私の感情が必要だという問題がでてきました。矛盾していたんです」。
人気ミュージシャンであることと、彼女はうまく折り合いをつけているように見えた。ある日突然そうでなくなるまでは。「このことが、辞めるきっかけになりました」と彼女は言う。「この仕組みを回しつづけるために音楽を出す、未来の自分が見えたんです。それが本当に怖かった」。
月桂樹の迷宮のさなか
自分では「名前をつけるのが苦手」だとミツキはいうが、過去5枚のアルバムを見ると、そうとは思えない。彼女のつけたタイトル――『Retired From Sad, New Career in Business』『Bury Me at Makeout Creek』『Puberty 2』――を並べれば、それはそのまま20代が体験する漠然とした不安、剥き出しの欲求、そして報われることのない恋心についての皮肉っぽい批評とも読める。最新作の『Laurel Hell』は、アパラチア山脈南部に見られるヤマゲッケイジュ(Mountain Laurel)の雑木林の通り名にちなんで名づけられた。アメリカシャクナゲという和名の通り、かれんな花はまさにシャクナゲのように華やかだが、この植物には実は毒があり、ねじれた枝は低くうねって行く者を阻む。「だから死んだ人たちを想って『Laurel Hell』(=月桂樹地獄)と名付けられた場所が、各地に存在するらしいんです」とミツキは言う。
実際に見たことはなくとも、複雑な絡み合いから抜け出そうとするというコンセプトはミツキにとって魅力的だった。「あまりに完璧すぎた」と彼女は言う。「私が閉じ込められているのは、迷路の中……。出られないけど、美しい」。このイメージがまさに現れる『Laurel Hell』の冒頭の一言は、ホラー映画のような不気味なトーンで歌われている。「暗がりの中に慎重に踏み入れよう」。この曲は、作品が自分の秘密を晒け出す様子を例えているのだと教えてくれた。「最も愛する人にさえ見せていない、私の中の暗がりを見せるんです」。
ミツキは、復帰シングルとなった「Working for the Knife」を2019年末に書き上げた。音楽ビジネスから撤退することを確信していた彼女は、そのつい数週間前、所属レーベルであるDead Oceansのために、もう1曲書かなければならなかったことを知らされた。「契約上、リリースしなければならなかったんです」と彼女は言う。「ただ、曲だけをレーベルに渡して、自分が巻き込まないようにリリースしてもらうべきか、それとも実際に私が前に立って発表するべきか、悩みました」。
2020年の初めには、彼女は決心していた。「Working for the Knife」では、不吉なシンセサイザーに乗せて、ステージに戻りたくないという彼女の苦悩が詳細に語られる。「20歳までには終わると思っていたのに/29歳の今、前に見える道は同じだ」。
この曲のミュージック・ビデオでミツキは、ブルータリズム様式のコンクリートのコンサートホールに音もなく入り込み、カウボーイハットを脱ぎすて『Be the Cowboy』時代におさらばすると、決められた振り付けを怒涛のように繰り返しはじめる。手のひらを床に叩きつけ、無秩序に飛び回り、頭をあらゆる方向に突き出す。彼女の髪は、まるで艶やかで荘厳なもやのようだ。最後にカメラは、疲れ果てて地面に倒れこむ彼女に迫る。「結局のところ辿り着いたのは『傷ついたとしても私はこれをやらなければならない、愛しているから』ということだった」とミツキは言う。「これが私。傷つき、それでもやり続ける。これが自分にできる唯一のことだから」 。
ミツキは「Working for the Knife」をこのアルバムの灯台、つまり道を見失ったときに戻り方を知るための道しるべだと表現している。『Laurel Hell』はこれまで制作にいちばん時間を費やした作品であり、ほとんどの曲が2018年に書かれている。道を見失うことも多かったという。
「このアルバムはとても多くの変遷を経てきました」と彼女は言う。「ある時点ではパンクのアルバムだったし、カントリーのアルバムにもなった。しばらくして、ふと『私が踊ったほうが良い』ってなったんです。歌詞は憂鬱でも、何か元気の出る要素がないと作りきれない、って」。
「The Only Heartbreaker」は、ケイト・ブッシュとa-haが混ざったような、ディスコが大盛りあがりしそうな曲だ。「映画『ブレックファスト・クラブ』のダンス・シーンのような音楽が必要だったんです」と彼女は言う。テイラー・スウィフト、アデル、ザ・チックスなどと仕事をしたプロのヒットメーカー、セミソニックのダン・ウィルソンと一緒に書いたもので、ミツキが自分のアルバムで共同作曲家を迎えるのは初めてのことだった。「あれは本当に苦労しました」と彼女は言う。「自分の音楽が自分のものであることに、ずっとこだわってきたんです」。
ロサンゼルスで他のミュージシャンと共同作曲をしている際に、ミツキがウィルソンと出会ったとき、この曲はすでに20回以上の修正を経た末にアルバムから完全に外れるところだった。「この曲は私の頭の中にあまりにも長い間とどまりつづけていて、腐ってしまっていたんです」と彼女は振り返る。「『この人は私よりずっと経験豊富な人だ。もしかしたら、これを彼に渡しちゃってもいいかもしれない』と思ったんです。そうして良かった。実際にうまくいって、彼抜きでは無理だったような作品になったから」。
「The Only Heartbreaker」の歌詞が非常に力強いのは、主人公が傷つき、わたしたちがその主人公の肩をもつという、従来のポップソングの物語を反転させているからだ。これは、繊細で魅惑的な「Washing Machine Heart」や恋煩いのアンセム「Your Best American Girl」など過去の曲でミツキが見事にやり遂げてきた手口だった。彼女が今回扱ったのは悪役だ。
「物語的に言えば自分が悪者だ、という状況に陥ることがよくあるんです」と彼女は言う。「白か黒かでは語れないことを人は認めることができます。自分にとって真実だと思えるものを率直に提示すれば、『これは私にとっても真実だ』と思う人もきっと出てきます」。
秘密主義者のレッテル
その理由は今でも分からないそうだが、ミツキは子どもの頃、すべての文章を「いいえ」で始める癖があったという。「『リンゴは好き?』と聞かれると『いいえ、リンゴは好きです』と言っていたんです。今思えば、それが相手の気を引く、あるいは自分を主張する手っ取り早い手段だったのかもしれません」。
その愛すべき記憶は、若き日のミツキの肖像を描き出す。彼女の父親はアメリカ国務省に勤務していたため、一家は引っ越しを繰り返し、彼女の生まれた日本からトルコ、アメリカのアラバマまで、あらゆる場所に住んだ。いつも転校生だった彼女は、頼まれてもいないのに怪談話をしたり、お泊り会で一番に起きたりする子どもだった。「朝、台所で親御さんに出くわしたあと、ふたりで世間話をしながら自分の朝食を作ったりしていました。みんながまだ寝てる間に」と笑顔で振り返る。「そういう子でした」。
全国的なメディアに出るようになってからの8年間で、ミツキはしばしば「プライベートだ」と表現されるようになった。自分の家族について話すことは避け、両親は定年退職し妹は「本当にいい人」としか明かさず、飼い猫の名前も特定されるのが怖いから明かさないようにと丁重にお願いする。「私が明らかにしないのは他の人に影響を与える事柄です」と彼女は言う。「私の人生には公になっていない人たちがいて、その人たちがメディアの力学に巻き込まれることに同意していない以上、その人たちのことを話す権利が私にあるとは思えません」。しかし、実際のミツキは率直でオープンだ。数時間に渡るインタビューを通じて、彼女はすべての質問に答えてくれた。彼女が極めつきの秘密主義者だという考えを覆すべきだし、このことについては彼女からも言いたいことがある。
「これについてはこんな仮説を立てています」と彼女は話し始める。「いまの立場に置かれたとき、わたしはプラットフォームと注目を受け取るのと引き換えに私自身を差し出していたということに気が付かなかった、ということです」。
彼女が音楽を始めた世界では必ずしもそうではなかったと、彼女は続ける。「私はDIYパンクのシーンから来ました。そこには白人のバンドがたくさんいて、彼らのやっているのは、ただ音楽を世に出し、ツアーに出て、家に帰ることだけだったんです。自分もそれと同じだと思っていたんです。自分が知らずに取り交わした契約をよもや破っているとは思いもしませんでした。何かを私が秘密にしていると、人はとてもとても怒ります。意識はしていないのでしょうけれど、そういう人たちは、私が契約を履行していないと思っているんです」。
彼女は、スターを生贄に例えた、2013年のミーガン・フォックスについての『エスクァイア』の有名な記事に言及する。「当時は嘲笑されたけれど良い指摘だったと思います」と彼女は言う。「私たちは、この儀式が必要なのだと脳に刷り込まれてしまっています。美しい女性を祭り上げた後、クソみそにして破壊する。ありがたいことに、31歳になった私には、もう生贄になる資格はないのかもしれないけれど」。
ミツキは2020年9月に30歳になったが、誕生日を祝ったのは自宅での隔離生活の最中だった。「誇張ではなく、20代から抜け出せたことがクソ嬉しくて、起きてから一筋の涙を流したんです」と言う。彼女はその年の大半を、ヴィーガンの焼き菓子(特にパイ)を作ったり、ホラー映画を見たり、ガーデニングをしたりして過ごした。「本当の私は、理想の生活を送っているわけではないんです。ソファでテレビを見ているだけ。ファンの人は会ったらがっかりしますよ」。
彼女は、『ザ・ホーンティング・オブ・ヒルハウス』を見てキュウリを植えている自分と、イギー・ポップやデイヴ・グロールを魅了した音楽を創るアーティストである自分とを隔てている距離に心地よさを感じている。「分裂とまでは言いませんが、人付き合いはわたしを不安にさせますし、パーティに行くのも好きじゃありません」と彼女は言う。「パフォーマーとして、舞台上では自分の居場所がわかっています。自信がもてますし、迷いもありません。ただそこに存在しているだけです。その状態で1時間もいることができるのは素晴らしいことです」。
湿地帯を歩きながら
翌日はシェルビー・ボトムズ公園で待ち合わせて、カンバーランド川沿いを6キロほど散歩した。ミツキはまるで地元の人のように馴染んでいて、フォレストグリーンのフリースセーターに黒いバックパックという出で立ちで、私を案内してくれることになった。
在来、侵入種の様々な植物がいる湿地帯を歩きながら、わたしたちは『月の輝く夜に』(「ニコラス・ケイジはあの映画では神様のようだった」)からTikTok(「Z世代にプレッシャーは与えたくないけど、すごい期待してる」)までを語り合った。ミツキは明るく生き生きとしていて、激しく頭を動かしてキツツキの真似をしたり、地面に落ちているピンクのレースの下着を立ち止まって見つめたりしている。時折、彼女の中のアーティストが顔を覗かせる。コウモリが話に上がったとき、私が「醜いけどかわいい」と言うと、彼女は振り返って、眼鏡越しに私をじっと見つめて言った。「美はホラーでしょ?」。
ミツキは、幼少期から音楽に没頭してきた。子どもの頃はスパイス・ガールズを聴き、高校まで合唱団で歌っていた。「中学1年生のとき、短いソロパートのオーディションを受けたのを覚えています」と彼女は振り返る。「先生もみんなも私を見たんです。そのとき『「ああ、これは私にできることなんだ』」と気が付きました」 。自分のさらなる才能を発見したのは、18歳のときに初めてピアノで作曲したときだった。「多くのティーンエイジャーが経験することだと思います」と彼女は言う。「自分には何も目的がないと思いこんでいたとき、この曲を書くことができた。救いでした」。
それでも大学で音楽を追求するほどには自信がなかったミツキは、代わりに映画を専攻する。「純粋に映画を作りたい人たちに囲まれながら、毎日音楽科の練習室に忍び込んでいました」と彼女は言う。「そこで目が覚めたんです」。
Dress, Bodysuit & Pants by Melitta Baumeister. Shoes by Steve Madden. Photo by Josefina Santos for Rolling Stone
2年生の時にマンハッタンのニューヨーク市立大学ハンター校から、北へ1時間のところにあるニューヨーク州立大学パーチェス校に転校し、音楽科に入学。そこで2012年にセルフリリースしたデビュー作『Lush』以降、彼女のすべてのアルバムをプロデュースすることになるパトリック・ハイランドに出会った。「アルバム制作は、私にとって傷つきやすいプロセスなんです。脆弱で醜くあることを自分に許さなければなりませんが、誰の前でもそれができるわけではありません。でも、パトリックとは何度もそれをやってきたから信頼できるんです」。
そんなハイランドは最近、ミツキはアルバムを毎回「2枚ずつ」作っていると指摘している。1枚のアルバムでアイデアを探り、次のアルバムでそれをさらに練り上げる。「『Lush』は大学時代に『なんと! スタジオがある! 他の楽器奏者もいる!』ってなって作ったんです。次の『Retired From Sad, New Career in Business』は、オーケストラに挑戦しつつ、ピアノ曲に磨きをかけました。『Bury Me at Makeout Creek』はとてもDIYで、パンクの影響を受けていて、学校を辞めたこともあってギターが主体となりました。大学にあったリソースを使えず、習い始めたばかりのギターしかなかったんです」。
この時点でミツキは、シェイ・スタジアムやサイレント・バーンといったニューヨークの今はなき会場で、骨太で感情を揺さぶるパフォーマンスをし、熱烈なファンを獲得していた。続くアルバム、2016年の『Puberty 2』では、静かで残酷なほど赤裸々な「I Bet on Losing Dogs」から、恍惚としたパンクの爆発「My Bodys Made of Crushed Little Stars」まで、そのサウンドを完成させ、さらなる名声を得た。「彼女の音楽は本当に直感的なんです」とダッカスは言う。「彼女は自分の中の叫びたい部分とつながっているんです。聞いている人は叫べるような場所に住んでいないかもしれないし、自分の身に起こったことを表現する言葉を持っていないかもしれない。でもミツキはそのための空間を与えてくれるんです」。
続く作品でミツキは自然と逆の方向へと進み、『Be the Cowboy』ではパワーコードとスクリームを脇に追いやり、それを、光沢感のあるシンセ、垢抜けたディスコ調、そして孤独と恋慕を歌った控えめな歌詞に取って替えた。恋い焦がれる先にあるのは、たいていキスだ。「キスするだれかが必要なだけ」(「Nobody」)、「だれかキスして、おかしくなりそう」(「Blue Light」)、「前もキスしたけど、あのときはうまくできなかった」(「Pink in the Night」)。これらの歌詞は、たくさんのミームを生むこととなった。「『これ以上見せられないから、このキスに大きな意味を持たせよう』という昔のハリウッドの流儀」なのだと彼女は言う。「キスは、他のどんな行為よりも親密なものだといつも感じています。たぶん、誰かと最初にする行為の一つだから一番特別なんです」。
名声は相対的なもの
『Puberty 2』によってミツキはロードの『Melodrama』ツアーのオープニングアクトの座を勝ち取り、別次元の名声とオーディエンスのもとへと押し上げられた。「Working for the Knife」で復帰する直前、彼女のSpotify月間リスナー数は680万人もいた。その成功に感謝しながら、「私はいつも自分が、文字通り世界のなかで100万分の1しかいない幸運な人間だということを念頭に置いて話すようにしています」と彼女は言うが、それが重荷となっていった事実は隠せない。『Be the Cowboy』のツアーを振り返って、「毎日、ただ乗り切ろうと思っていました。ほとんどの時間、心は離れていたんです」と述べている。
この1年、『Laurel Hell』での復帰を計画する中で、ミツキは自分自身の境界線を設定し、自分の限界を把握することに時間を費やした。彼女はチームと協力して、スケジュールに強制的に食事やくつろぐための時間を設けた。(このインタビューの数週間後の12月、彼女のマネジメント会社がセクハラ告発のあったマネージャーを解雇したとビルボードが報じた。ミツキの代理人によると、この人物は「マネージャーの役割を引き継ぎ中」だそうだ。解任されたマネージャー本人はコメントに応じなかった)
「この休みは自分にとって良いものだったと思う」と彼女は言う。「ツアーに出過ぎていたせいで、自分の健康を物理的にないがしろにしていました。健康保険にも入っていませんでした。基本的に20代の間は自分が何者であるかを理解する時間も余裕もなかったんです。自分の体をどうケアしていけばいいのかをしっかり見極めなくてはならない頃合いでした」。
公園を出てUberに乗り、遅い昼食のためイースト・ナッシュビルのヴィーガンレストラン、ワイルド・カウへと向かう。運転手はとてもおしゃべりで、最近ナッシュビルの家賃が上がったため、近くのヘンダーソンビルに引っ越したのだと言う。ミツキは、「いつからここにいるんですか」「交通の便は悪くなっていますか」と質問し会話に興味津々だった。
数分後、運転手は自分が苦闘中のミュージシャンであり、7年間在籍したサザン・ロック・バンドがパンデミックによって解散したことを打ち明けた。彼は、シンガーソングライターになるプランや新しいプロデューサー、ストリーミング業界の落とし穴についてミツキに語って聞かせる。「仕事は何を?」と彼が尋ねる。「私たちも音楽業界ですかね」と彼女は答えた。
ミツキはいまの自分に満足している。一度、自らのキャリアから逃げ出し、そしてそれを立て直すことを選んだ今、自分の成功のレベルとの折り合いがついているようだ。「名声は相対的なものだと思う」と、彼女はついさっき語っていた。「テイラー・スウィフトの名声もあれば、地元のDIYシーンの名声もある。大きくなることで苦労するのは、パフォーマンスとの整合性の保ち方です。8,000人収容の会場で、観客が親密で感動的な体験ができるようにするにはどうすればいいのか。派手な花火といった演出に手を出さないためにはどうすればいいのか。来てくれた人には、私と一緒にある場所に入ってともに何かを経験して、大切なことを体験したという思いをもって帰ってほしいんです」。
レストランに着くと、運転手はインディー・ロック界の大物と話したことに気づかないまま、私たちを降ろした。「頑張って!」。ミツキはドアを閉めながら言った。「バンド、残念でしたね!」。
From Rolling Stone US.
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