LOW IQ 01の青春時代「ストリートカルチャーの幕開け、1993年」
Rolling Stone Japan / 2022年2月8日 12時0分
LOW IQ 01のインタビュー連載企画「イッチャンの青春時代」。1992年を振り返った前回に続き、第11回は「1993年編」。イッチャンが過ごした1993年とは? 当時の世相とともに語り尽くします。
ー今回は1993年です。イチさん的に印象に残っている出来事はありますか?
前回、1992年が熱い年って言ったでしょ。1993年って俺的には落ち着いてる年……と、思ったら結構あったんです。アクロバットバンチの活動が安定してきて、「AIR JAM」の幕開け的な感じだった。Hi-STANDARDやCOKEHEAD HIPSTERSとかとよく対バンしていた年だね。
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ー僕もキッズの頃にそのあたりのライブをよく観に行ってました。他に世相的な面で何かありますか?
最初に印象に残っているのは船橋のスキー場ザウスができたことだね。スケーター、ボーダーファッションが人気だったと思うんだけど、『Fine』からだと思う。『Fine』で扱うものがサーフィンだけじゃなくて、だんだんスケーターが主になって、ストリートが市民権を得た感じ。80年代からのアメカジが軸になって、この時はたぶんオーバーサイズ。ブカブカ文化だよね。俺、デニムはリーバイスのサイズ40とか履いてた。あとニット帽とネックレスとかもつけたり。
ーパンクからミクスチャーに変わり始めた時期ですね。
アメリカのチャートもだいたい1993年からR&Bが強かったよね。
ー1993年からアイス・キューブをはじめとする黒人のヒップホップがチャートを賑わした世の中になっていました。
SUB POPも流行った時期だよね。俺のイメージ的に最初に会った頃の横山健ってグランジ的な感じで、ボロボロのデニムでヨレヨレのTシャツ着て、コンバースを履いてた。バットホール・サーファーズが1993年に川崎のCLUB CITTAに来日して観に行ったのをすごく覚えてるんだよな。あとアクロバットバンチの元ベーシストが辞めて「自分のバンドをやりたい」って言い出して。そのバンドがバッド・ブレインズと当時のグランジを足した音楽性だった。カマドゲスってバンドなんだけど、俺も誘われてボーカルをやったりして。リーダーが岩手の人で、ご飯を炊く釜をひっくり返すという意味でカマドケス、親不孝者みたいな意味のバンド名。三軒茶屋のヘブンズドアでよくライブやってたな。1993年はバンドを2つやってたというのもあって、結構安定していた時期だと思ったのかもしれない。
ー他には音楽界で来日したアーティストで言うと、ボン・ジョヴィもです。
1993年はメインストリームというか、スタジアムクラスのバンドを1番聴かなくなった時代で、アメリカから来るインディー系のバンドが熱くなってる。レッド・ホット・チリ・ペッパーズとかビースティ・ボーイズはビッググループになっても聴いていたけどボン・ジョヴィは逆に聴いたことないというか、80年代のイメージなんだよね。前回も言ったけど、ロックバンドもストリート系の音楽に影響されてきてる。
ー渋谷クアトロでやっている海外アーティストだと、カーター・ユー・エス・エム、シュガー、レモンヘッズ、L7、ユージニアス、スーパースター、ペイヴメント、デ・ラ・ソウル、マッドハニー、ガンボウル、ジェリーフィッシュ、フガジ、パステルズみたいな感じですね。
フガジはブッチャーズとライブやってるんだよね。あと、L7が恵比寿ギルティでもHi-STANDARDとやってた。L7のイメージは速くないストリートっぽい演奏の荒いメタリカ。すげーかっこよくて、ちょうどその頃日本のバンドがオープニングアクトをやるようになってきているんだよね。ニューキーパイクスだったり、ハイスタだったり、ガーリックボイズとか。
ー世の中の大きな動きだとJリーグが始まりました。
俗に言う、Jリーグ元年じゃない? ヴェルディ川崎だよね。カズ、ラモス、武田。俺は全然サッカーは興味なかったんだけど、やっとプロリーグができるんだと思ったし、すげー派手だったよね。「オーレーオレオレオレー♪」が印象的だった。
ージュリアナ的なバブルっぽい感じと、Jリーグのバブルっぽい感じは全然違うんですけど、連携している感じがありましたよね。
そう! 派手さが昭和じゃないんだよね。海外ではロックとかインディーロックが流行っているんだけど、日本はユーロビートの四つ打つが流行っていて。扇子を持ったボディコンの人がいっぱいいた時代とJリーグの感じはすごく印象が被る。ちなみに、Jリーグカレーっていうレトルトカレーがあったんだけど、CMでまさおって子どもがJリーグカレーを食べたら、ラモスに変身する。この頃ってなんでもサッカーに絡めてきたよね。『オレたちのオーレ!』ってドラマもサッカー繋がりだし。バブルは終わっているんだけど、派手さ繋がりだとレインボーブリッジじゃない? 今のお台場とはまだ少し違って、もうちょっと大人っぽい雰囲気で。あと、この時に流行ったのはナタデココだよね。「またか」って正直思った。でも、意外に食感が衝撃だったんだよね。未だにナタデココの小さい缶でジュースもあるし。最後振らなきゃ出てこないやつ(笑)。1993年にめちゃくちゃ流行ったんだけど、未だにあるってすげーなって思う。
ーその他に印象的なことはありますか?
サッカー繋がりだと、ドーハの悲劇。今でも覚えているのは夜遅い時間にテレビをたまたまパッとつけたら、後半の終わりぐらいの時で。ワールドカップがどれだけすごいことか、そんなに知らなくて興味ないことだったから流す感じで観てた。なんか負けそうだなと思ってたら、ポンポン点数入っちゃって、結果負けてどれだけの悲劇かっていう。その後にたまたま同級生がいきなり家に来て、「どうしたの?」って言ったら、サッカーを渋谷でパブリックビューイングしてたんだって。乾杯する用意までして待ってたら、最後に逆転された瞬間そのまま乾杯せず帰ろうって帰ってきたと力説されたんだけど、オレは全然分からなかった(笑)。あと話は変わるけど、細川護熙さんだよね。細川さんはしゃべるときに文章丸読みのイメージあまりなくて、透明のアクリル板に文字が出てくるのを日本で初めて使った人だった気がする。俺はそのイメージしかないんだよね。1993年はいろいろな意味で平和の安定期。次にスポーツ繋がりで言うと、曙。今はプロレスとか総合格闘技のイメージが強いのかな。
ー30代くらいまでの世代はそうかもしれないですね。
当時、横綱としてはすごいでかいなと思った。1993年は相撲もおもしろくなってきたんだよね。若貴と曙がの対決とか、武蔵丸も出てきて。当時は外国人力士が横綱になるのは難しい話だったんだよね。
ープロレス的解釈で言うと、ベビーフェイスとヒールみたいな若貴と曙の図式がありましたよね。
曙はヒール的イメージでかわいそうだった。あと当時思ってたのはフィッシュボーンのクリスっていうギターが曙に似てたんだよね(笑)。次はテレビだね。1993年の流行語はダチョウ倶楽部で、「聞いてないよォ」。もともとウルトラクイズでダチョウ倶楽部が体を張る芸になってきて、出川さんとかもいい感じで出てきたんだけど、劇団SHA・LA・LAでやっていた正統派的お笑いからリアクション芸になってきた。たしか、1993年くらいにダチョウ倶楽部が冠番組を持つんだよね。ダウンタウンの人気も落ち着いてきて、次のお笑いは誰だ?みたいになったときに無理やりダチョウ倶楽部をゴールデンに持ってきたんだけど、全然当たらなかった。
ーダチョウ倶楽部の最初の冠番組は『王道バラエティ つかみはOK!』という番組で、1993年10月から始まっていますね。
その番組をすごい覚えていて、テーマ曲もダチョウ倶楽部が歌ってる。エモくていい感じの歌なんだよね。ダチョウ倶楽部を世の中は売ろうとしたんだけど、ダウンタウンみたいな感じにはならなかった。次は『大石恵三』って番組があって。これこそホンジャマカとバカルディなんだよね。大石っていうのは大竹の大に石が石ちゃん。恵で、三村の三で大石恵三で。これもあまり当たらなかった。逆にこの時に番組で何が売れたかと言うと、『とぶくすり』がめちゃくちゃおもしろかったんだよね。次のダウンタウンって言われちゃったのはナインティナインで。『殿様のフェロモン』もやってた気がする。要はオールナイトフジ的な番組で、一般のモデルみたいな子を集めて、『とぶくすり』の流れみたいな感じなんだけど、今田耕司と中山秀征、常盤貴子が出てた。殿様の刷毛水車とかやっていて、オールナイトフジのもっとエグいバージョン。よくよく考えたら90年代初頭ってまだ夜のエロ番組みたいなものが結構あったんだよね。2000年になったらなくなってる。昔の深夜はそういう感じでワイワイただやる感じだった。あと番組で覚えているのは、この時期はホテルのベッドメイクやってたから夕方には家にいて、毎日『ウゴウゴ・ルーガ』観てた(笑)。
ー子ども番組ですけど、大人も楽しめるシュールなおもしろさもありましたよね。
CGじゃなくて、あの時代だと荒い絵、8bitのゲームみたいな感じなんだよね。そういうのがいろいろ画期的だった。あとはCMだと焼きそば。マイケル富岡とデイブ・スペクターのヤキソバンのCMがおもしろくて、『とぶくすり』のコントの中でヤキソバンがあるんだよね。それも覚えてる。大事なことを忘れてたんだけど、1993年ってアクロバットバンチで「玄人はだし」というCD出してるな。ヒップホップのアーティストとコラボして出した。ECD、石田さんとAKIとか、MICROPHONE PAGER、キミドリ、あとEAST END。EAST ENDが「DA.YO.NE」を出す前で、その時に一緒にやってる。
ー当時で言うと、CDを出すの早いですね。
周りのバンドで1番早かったんじゃないかな。でも出し方がトリッキーだったんだけどね。自分たちで曲を作っているんだけど、ヒップホップのアーティストと一緒にやるという、アクロバットバンチの1stアルバムはそういう変わった出し方をした。当時は画期的だったと思う。
ーヒップホップの人たちとフィーチャリングした経緯はなんだったんですか?
ヒップホップとロックやるって言うと、『ジャッジメント・ナイト』に行きがちだけど、俺はアフリカ・バンバータとPILのジョン・ライドンがやったのが発想のきっかけかな。例えばロックとヒップホップがやるとゴリゴリのイメージになる。『ジャッジメント・ナイト』はデ・ラ・ソウルのもうちょっとゴリゴリじゃない感じ。1993年と言うと、デ・ラ・ソウルも来日してるんだよね。ちょうどミドルスクールと言われた年だ。今だともうミドルじゃないんだけど(笑)。デ・ラ・ソウルの感じをやりたいというのがあって、たまたまその時にアイゴンがファイルレコードの人と同級生だった。それで「なんか出さない?」って言われたんだけど、ファイルレコードはヒップホップのアーティストがいたからやりたいってなって、話が進んでいった感じかな。コラボ的なもので言うと、1993年に既にやっているから結構早い。
ー1バンドで『ジャッジメント・ナイト』やっている感じですもんね。
そういうこと! もっと評価されたいよ、これ(笑)。あと、さっきも話に出たけど、その流れでストリートが来て、裏原ブームはここぐらいからだよね。
ー裏原ブームの先駆者たちってイチさんから見ると、同世代って感じですか?
同世代というより、ちょっと上かな。イメージ的にロンナイから来てる。大貫さんが師匠というイメージ。点と点が繋がってきて、「AIR JAM」の前夜祭的な感じがあって、各地のドメスティックブランドではメインストリームじゃないものがかっこいい感じになってきたよね。あとは世の中で言うと、音楽が印象的かな。1993年はまさしく俺が思うTHE90年代じゃない? 毎回この話も出るんだけど、80年代に歌謡曲という言葉がなくなって、90年になってJ-POPという言葉が出てきて、1993年ってその安定期なんだよね。やっぱり当時売れている曲はCMかドラマだよね。覚えているのは広瀬香美のアルペンのCM。さっきのザウスにも繋がるけど、このCMを聴いて、「すげえ声高いな」って思ったのを覚えてる。
ー広瀬香美さんの高いキーが今でも頭に残ってますよね。
この曲はいい歌だなと思った。J-POPはあまり聴かなかったんだけど、唯一CDを買ったのがザ・ブームの「島唄」だね。すごくいい曲だと思って、聴いていると涙が出そう。後にザ・ブームのトリビュートで「島唄」をやらせてもらっているんだけども。90年代のイメージはWANDSとかDEENのイメージ。とにかくCDの売上が半端ないよね。あと、CHAGE and ASKA。当時、THE 虎舞竜の「ロード」がいきなり100万枚突破して、「YAH YAH YAH」は300万枚売ってるってすごいよね。THE 虎舞竜ってこういう感じじゃなかったんだよね。もともとキャロルみたいな感じで、革ジャン、革パンのジョニーと永ちゃんみたいな感じ。急にこれでJ-POPみたいになって、ファンレターに書いてあった実際にある話を歌詞として起こして、いろいろ問題もあった。この時代はミリオンがガンガン出てるんだよね。
ートップ30以上は全部ミリオンのようなイメージですね。
考えられない。いい時代。「TRUE LOVE」とかそうだよね。この曲も結局、『あすなろ白書』で。1993年って木村拓哉がまだ主役じゃないんだよね。稲垣吾郎とかもこれぐらいの時にいろいろやっているんだけど、「TRUE LOVE」もチェッカーズ解散後売れて。名曲ですよね。あと、オリジナル・ラブの「接吻」がいい曲なんだよね。裏原が出てきたけど、渋谷系って言葉が安定してきた時期でもある。ここで1番笑っちゃうのはヒップホップ違いなのはm.c.A・Tでしょ。「Bomb A Head!」はマスとコアのイメージが違う、J-POPのヒップホップで。EAST ENDの「DA.YO.NE」もそういう感じになっていっちゃって。一般に知られて、紅白にも出てる。ちょうどヒップホップも市民権を得て、ラップという言葉が知られるようになってくるんだよね。アメリカのチャートもヒップホップになってきている時代だし。あとはこの頃はドラマがおもしろいんじゃない?
ードラマは『高校教師』、『ひとつ屋根の下』、『あすなろ白書』とかそんな感じですね。
『高校教師』で未だに覚えているのは放送日が金曜日で。最終回の日がアクロバットバンチのライブだった。三茶のヘブンズドアでライブをやるんだけど、アイゴンが『高校教師』大好きでSEを『高校教師』の森田童子さんで、「はーるのー♪」って言って、ライブに出ていった覚えがある(笑)。それが新鮮でよかったんだよね。ちょうどこの頃は赤井英和がドラマに結構出てる年だった気がする。あと、『ひとつ屋根の下』は名作だよね。1993年は1番海外のアーティストに憧れていた時期だから、トレンド、一般の人が観るようなものをあえて観ないようにしてたな。1993年によく言っていたのはキミドリの久保田と「それストリートじゃないね~」ってよく言ってた(笑)。
ー月9のドラマを観るなんて、ストリートじゃないよねって感じだったんですね(笑)。
そういうことを俺らはよく言ってた(笑)。この時代のカラオケの曲は1番知らなくて、当時友だちと集まってカラオケ行ってもブルーハーツとか、昭和の歌を歌ってた。この間言ったけど『ずっとあなたが好きだった』って、この続編みたいなドラマ『誰にも言えない』があるんだよね。冬彦さんが麻利夫って役になっていて、よく分からないドラマだったな。あと、長渕剛の『RUN』ってやつ。この流れって『トンボ』からずっとあったんだよね。たしか現代版ねずみ小僧みたいな感じで夜になると黒い格好して。石倉三郎さん、あと山田辰夫さんだっけ。長渕のドラマによく出てたイメージある。黒いニット帽に黒いMA-1。黒のとんがったような靴を履いて。
ー当時、同じ格好をした人が街にいっぱいいるなと思ってました(笑)。
『RUN』ファッションですから「それストリートじゃないね〜(笑)」。マスよりコアな方がかっこいいというのは1992年から続いていることなのかも。でも、だんだんストリートカルチャーもメインストリームになってくるんだよね。後に90年代の後半はほとんどストリートカルチャーになっていく。1993年は幕開けだよね。
ー1993年はまとめるとストリートという言葉が市民権を得る一歩目を歩み出した年ですね。
もしくは1993年は1番安定した年。カルチャーが生まれて安定してきたっていうのもあるのかな。
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