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田中宗一郎×小林祥晴「2021年ポップ・シーン総括対談:時代や場所から解き放たれ、ひたすら拡張し続ける現在」

Rolling Stone Japan / 2022年2月7日 20時10分

左からテムズ、ウィズキッド(Photo by Joseph Okpako/WireImage)

音楽メディアThe Sign Magazineが監修し、海外のポップミュージックの「今」を伝える、音楽カルチャー誌Rolling Stone Japanの人気連載企画POP RULES THE WORLD。ここにお届けするのは、2021年12月25日発売号の誌面に掲載された田中宗一郎と小林祥晴による対談記事。テーマは2021年の音楽シーン総括だ。

本国Rolling Stone誌を筆頭に、もはやいくつ存在するのかわからない英語圏の音楽メディア、文化メディアが毎年恒例に発表する、それぞれのクリティックチャートは音楽ファンにとってはお楽しみであると同時に、見過ごしていた作品を再発見する絶好の機会だろう。だが、ソーシャルメディアやストリーミングサービスの浸透に伴って、もはやすべてが北米中心、英語圏中心だった時代は終わった。ひたすら拡張し続ける「全体」からあなたは何を見出すだろうか。ぜひPOP RULES THE WORLDが選んだ「2021年を象徴する100曲」のプレイリストと併せて楽しんでもらいたい。

POP RULES THE WORLD「2021年を象徴する100曲」

欧米中心のポップ音楽史観が解体され、
再定義が進む2020年代

小林:さて、今号は2021年の総括です。

田中:今年って国際的な政治的なバランスがかなり不安定になってきたでしょ。パンデミック初頭にアメリカと中国の通商協定が座礁したことが一番の発端なんだろうけど。ほら、11月にグラスゴーで開催されたCOP26に中国やロシアが参加しなかったり、プーチンがインドのナレンドラ・モディ首相に会いに行ったり。バイデン政権もトランプ政権とはまた別な意味でキナ臭いし、各国のパワーバランスや経済的、政治的な結びつきが変わってきてる。局地的な摩擦や、新たな繋がりが至るところにあって、全体を把握するのがすごく難しくて、これから先がまったく見通せないっていう。「これがどう転んでいくんだろう?」っていう薄っすらとした不安を誰もが抱えていると思うの。そういった感覚と、今年のポップ音楽の地図の広がりってどこか似てたような気もするんだよね。

小林:またとんでもないところから入りましたね(笑)。

田中:パンデミック以降の新しい地図が再構築されているっていうの? これからはもう世界大戦は起こらないけど、各ローカルでのテロや軍事侵略は続く。最近の話題だと、イラク難民がベラルーシを経由してポーランドに入ろうとして拒絶されるみたいな経済圏のブロック化や、地政学的な衝突があらゆる場所でモザイク状に起こり続けている。実際それが日本に暮らす自分の生活にも直接的な影響を及ぼすんだなっていう実感もある。「まあ、結局、日本はアメリカの植民地なんだから」って開き直る手もあるにはあるけど、これからはいろんな世界のローカルで起こっていることを追いかけながら、これまでと違ったパースペクティヴを持っていなきゃなんないのかな?という感覚がある。

小林:その感覚が2021年のポップミュージックの状況に近いっていうのは、具体的にはどういったところなんですか?

田中:もはや英語圏中心、北米中心の物の見方では現実を捉えることが完全に不可能になった、というごく当たり前の話(笑)。自分が物心ついた70年代からはずっとポップ音楽は産業的にも文化的にも北米中心で動いていて、そことイギリスを中心としたヨーロッパやアジアがどんな風にクロスオーヴァーしていくか? という視点で見ることも可能だった。でも、もう無理でしょ。

小林:それってタナソウさんにとっては厄介だなっていう実感が強い?

田中:そりゃ厄介だよ、面倒だもん(笑)。でも、これが現実だよね。

小林:例えば?

田中:一つの断面としては、例えば、一方でスペイン語圏の最大公約数であるグローバル・ポップスターの代表としてのラウ・アレハンドロがいて、もう一方には「スペインのドレイク」なんて風にも言われているマドリッド出身のラッパーのセー・タンガナがいる。でも、この両者の作品に優劣をつける明確な批評軸なんてあんのかな?っていう。

小林:確かに。因みにRolling Stoneの年間ベストではラウ・アレハンドロは第3位、セー・タンガナは第9位でしたね。

Rauw Alejandro - Todo de Ti



C. Tangana, Niño de Elche, La Hungara - Tú Me Dejaste De Querer



田中:21世紀になって完全にグローバルポップの共通言語と化したレゲトンのビートにどこか飽き飽きしてるせいなのか、ラウ・アレハンドロのアルバムに特に刺激は感じない。むしろ古くも新しくも感じられるスペイン語圏のビートやプロダクションを持ったセー・タンガナのアルバムの方に遥かに魅力を感じるんだよね。でもさ、「もはやレゲトンもトラップも8ビートもつまんない」みたいな自分自身の感覚を生み出してるのって何なんだろう?みたいなさ(笑)。

小林:まあ、究極的にはタナソウさんの主観ですよね。

田中:そう。「で、それって何か信憑性あんの?」って思っちゃうじゃん(笑)。

小林:ただ、こんなシンプルな見方も出来ますよね。つまり、2010年代はUSメインストリームがすべての中心になった時代で、非常にアメリカナイズが進んだディケイドだった。それに対する揺れ戻しがポップの世界で起こっている。ですよね? そう考えれば、セー・タンガナに興味が行ってしまうのはごく普通のことだと思いますよ。だって、2010年代に隆盛を極めた「このアーティストの新作は全米何位になったのか?」ということで、まずはある程度計られてしまう状況は、やっぱりかなり偏っていたと思いますし。

田中:そうだね。

小林:パンデミック以降のこの数年、USメインストリームの求心力が2010年代半ばと較べて低下したのは確か。また、それと並行して、TikTokのような新しいSNSやストリーミングの全世界的な浸透が進行した。その結果、いろんな地域のいろんなジャンルからいろんな面白い音楽が生まれているという現実に、人々の目が否応なしに向くようになってきた。そうなるとさらに価値観の複数化が顕在化していく。2010年代後半から進行が始まっていた状況が今年ぐらいから本格的に次のフェーズに進んだ感じ。素敵な2020年代の到来ですね(笑)。

田中:ただ同時に、70年代初頭にはごく普通に地上波のテレビで世界中の音楽を耳にすることが出来た。カンツォーネとかキューバのジャズとかコサック民謡とか。その感覚にも近いと言えば近い。まだ誰もが海外旅行が出来る時代でもなかったから、その疑似体験として音楽を通していろんな文化を見ているようなところもあった。イタリアのインディロックバンド、マネスキンの世界的なブレイクとか、それと似てるという気もして。

Måneskin - ZITTI E BUONI


田中:だから、今までの40年間の批評軸を解体して、再定義し、別のものに変えていかないと、自分の音楽批評家としての存在価値はなくなるんだなっていう気がしてるの。

小林:どこの国に住む人であれ、他の国や地域、あるいは他の価値観から生まれた音楽をエキゾチシズムとして消費しないで聴けるか、っていうことですよね? エキゾチシズムとして消費しないことが政治的に正しいことは理解できますけど、それは実際問題、簡単な話ではないですよね。

田中:ただ、問題意識としてそれを抱えておくのが重要な気がしてるの、今は。

小林:うん、それはわかります。

田中:21世紀に入ってから歴史という概念そのものが問い直されているわけじゃない? 為政者が作り上げてきた今までの歴史は偽りで、書き残されていない歴史がたくさんあるんだっていう。

小林:歴史とは決して単一のものではなく、実際はそれぞれのパースペクティヴの数だけ歴史は存在するっていう話ですよね。

田中:そうした意識は明らかに音楽批評の世界でも起こっていて。例えば、Pitchforkが改めて歴代ベストアルバム200枚を選んだ時もさ、アフロアメリカンの音楽だけじゃなくて、様々なローカルや人種の音楽も入れ込むことで、歴史の再定義を図っていたじゃない? だから、60年代のビートルズをポップ音楽全体の歴史の指標とするような視点というのはもはや過去のもので、これからはそういった歴史観そのものが解体されていく。それと同時に、自分の当事者性の在り方も変わっていくんだろうなっていう気がしている。


TikTokはポップ音楽を意味の呪縛から解放した?

小林:音楽のエキゾチシズム消費の問題に関して言えば、ラウ・アレハンドロはTikTokでのヴァイラルをきっかけに、これだけ世界的にヒットしたわけですよね。TikTokで何かの曲が広がるとき、それは「なんとなくいい感じのBGM」として使われるわけだから、その曲のエキゾチシズムについてはほとんど意識されていないはずで。まあ、「曲やアーティストの背景に無関心であることは政治的にどうなんだ?」という話もありますけど、そこはポジティヴに捉えることも出来る。

田中:そうそう。いい意味で即物的なんだよね。俺、ピンクパンサレスの世界的なブレイク以降、TikTokっていうアーキテクチャー、プラットフォームに対する視点が自分の中でも本当にガラッと変わって、非常にポジティヴに捉えるようになったんですよ。意味や文脈で音楽に向き合うことをTikTokは破壊したと思う。

小林:まさにそうですよね。ピンクパンサレス以降に注目されているドラムンベース新世代のヒット曲で、ピリ&トミー・ヴィラーズの「soft spot」がありますけど、これはTikTokではメイク動画のBGMとしてよく使われている。もうそこでは「ドラムンベースが90年代イギリスのクラブカルチャー発祥の音楽だ」という文脈は完全に意味がない。その暴力性はやっぱりエキサイティングだと感じます。

piri & tommy villiers - soft spot



田中:2010年代半ばくらいからのポップ音楽や映画の需要における意味の呪縛というか、政治性の前景化って凄まじい勢いがあったわけじゃん。この前、これって明治初期の日本文学みたいだなって思ってさ。

小林:また明後日の方向から話が飛んでくるな(笑)。

田中:坪内逍遥の『小説神髄』ってあるじゃん。明治18年から19年に書かれた、小説とはかくあるべきだっていう小説論なんだけど。彼が否定的に捉えていたのは、江戸時代から続いていた戯作――要するに物語だよね。なおかつ、当時流行していたのは非常に啓蒙的な作品で、西洋の社会っていうのはこういうものなんだと伝える政治小説みたいなものだった。乱暴に言うと、それに対して、「いやいや、小説っていうのは写実主義に徹するべきだ」っていう主張をしたのが『小説神髄』。要はそれって「内容や主題よりもフォルムが大切だ」ってことじゃない? ここ5年間、自分がどうにも息苦しいと感じていたのは、そもそも表象文化というのは「現実をいかにキャプチャーし、それをサウンドなり映像なり、別の言語にいかに翻訳するのか?」がポイントだったはずなのに、何かしらのメッセージや物語や、想像力を伝えるためのヴィーグルに堕してしまったということだったから。

小林:特に2010年代半ばからの数年間は、音楽や映画といった表現が何よりも意味と文脈に接続されるということが起こっていた。

田中:サウンドのフォルムよりもリリックの政治的主張であるとか、フォルム自体の文化的背景からそれが搾取であるか否かとか、そういうことが重視されていた。でも、TikTokは間違いなく意味からの逸脱に寄与したんだよね。

小林:それはすごくいい傾向だと僕も思います。2020年を代表する大アンセムって、カーディ・Bとミーガン・ジー・スタリオンの「WAP」だったわけじゃないですか。あの曲はリリックやMVにおいて女性の主体的なセックスを非常にパワフルかつユーモラスに表現していて、その政治的なメッセージ性の内容と打ち出しの的確さを誰もが諸手を挙げて称賛した。

田中:俺とかも力説してたよね(笑)。

小林:はい(笑)。ただ、あの曲ってサウンド面から見ると、本当に何の変哲もないただのトラップで。ハッキリ言って音楽的には退屈だったわけです。あれが時代を代表するアンセムになったっていうのが、良くも悪くも2010年代的な価値観を象徴しているし、今振り返ればその集大成だったなっていう感じがするんですよね。

Cardi B - WAP feat. Megan Thee Stallion



田中:俺が今年それなりに聴いたはずなのに、秋以降、気がつくと「これはマジつまんないな」と感じるようになったレコードの代表がドージャ・キャットの『Planet Her』でさ。

小林:うん、正直ちょっとつまらない感じがしちゃいますよね。新鮮味には欠けるというか。

田中:よく出来たレコードなんだけど、めっちゃ古く感じるようになっちゃって。2010年代的な価値観で作られた最後のレコードのような気がしちゃってるという。


小林:リル・ナズ・Xの『Montero』も、良くも悪くも2010年代的な価値観の集大成という感じがしますね。

田中:ただ、俺は『Montero』のリリース日には、「もうこれが今年のベストアルバムでいいんじゃん!」と思ってた。結局のところ、『Montero』の作品としてのアクチュアリティを担保しているのは、彼のクィアとしてのアイデンティティをサウンドと言葉とヴィジュアルに見事に翻訳したということに尽きるわけじゃない? 特にそのニュアンスだよね。でも、サウンド自体には特に目新しさはない。

小林:そうですね。いい意味でラフではあるんですけど。

田中:そう、そこは『Montero』の魅力なんだよね。近年はサウンドの均質化と同時に、全般的なソフィスティケート化、高品質化という流れもあったから、すごくラフで生々しい質感を残していた『Montero』は新鮮だった。


田中:ただ、自分が秋口に感じたその感覚っていうのは、既に過去のように感じられる。じゃあ、果たして、今年にしろ、来年以降、何か共通項となるものがあるのか?っていうと、さっぱりわかんなくてさ。

小林:すっかり批評軸を見失ってますね(笑)。

田中:そう。でも、それって自分自身の価値観や視点が根こそぎ変革を強いられている渦中にあるってことでもあるから、すごくエキサイティングでもあるんですよ。


Rolling Stoneの年間ベストはどのような視点から作られているのか?

小林:じゃあ、2021年現在の状況と、来年以降の状況について考えていく足掛かりのひとつとして、改めてRolling Steneの年間ベストを見ていきましょうか。

田中:ザックリ言うと、どういう印象?

小林:まずRolling Stoneがオリヴィア・ロドリゴ『Sour』をベストアルバム1位に選んだのは非常に腑に落ちました。オリヴィアは今年初頭に「drivers license」で記録破りのメガヒットを飛ばして、一年を通じてセンセーションであり続けた。なおかつ、彼女はZ世代の新しい価値観をわかりやすく表象している存在でもあるし、同世代のビリー・アイリッシュと較べると良くも悪くもエクストリームというよりはコンサバティヴ。Rolling StoneはPitchforkのようにオルタナティヴ性を軸に置いているわけではないし、去年の年間ベストアルバム1位が大衆的でありながらも適度にエッジーだったテイラー・スウィフト『folklore』だったということを考えても、今年の顔としてオリヴィアを1位に選んだのは納得です。

田中:うん、Rolling Stoneとしての役割をきちんと果たしてる。


小林:で、オリヴィアが新しい世代のポップスターだとすれば、既にキャリアと地位が確立されているポップスターであるアデルの『30』を2位に持ってきたのもバランスとしてわかる。

田中:実際、これまでで一番いいアルバムだと思うし。

小林:自分としては『21』も捨てがたいかな。面白いと思ったのが、『30』ってアデルが幼い息子との会話を収録したヴォイスノートが挿入されていて、離婚をテーマにしたアルバムのメロドラマ性をさらに高めているじゃないですか。ただ、このヴォイスノートっていうアイデアはタイラー・ザ・クリエイターやスケプタのアルバムからヒントを得たらしいんですよ。その辺りのセンスも、インフローやショーン・エヴェレットの起用に繋がっているのかもしれない。だから、従来のアデルらしさと、ちょっとした冒険性が共存していて、いい塩梅ですよね。

田中:うん、同意します。


小林:で、Rolling Stoneのチャートに戻ると、3位がラウ・アレハンドロ、4位がラップのタイラー・ザ・クリエイター、5位がインディのルーシー・ダッカス。この各地域や各ジャンルを意識したバランスの取り方は、タナソウさんが冒頭で言っていたような問題意識に近い感覚が表れていると思います。Rolling Stoneはベストソングのリードで「今年はポップミュージックの世界がかつてなく広がっているように感じられた」と書いていて、そのパースペクティヴがこのランキングの作り方にも反映されている。

田中:で、彼らの視点を代表させられたのがラウ・アレハンドロだっていうことだよね。ソング16位にBTSの「Butter」が入っているのもそうだけど。


BTS / Butter



小林:韓国勢だとTWICEもベストソングの50位に入っていたのはびっくりしましたけど。まあ今回TWICEはアメリカでのプロモーションにかなり力を入れていましたし。K-POPはそれこそUSメインストリーム中心の世界でいかに成功を収めるか? っていうことを非常にロジカルに考えて、それを実践し、実際に次々と成功を収めてきた。それもまた、ひとつのリアリティとして存在するんですよね。韓国出身のアーティストで言えば、イェジとヒョゴのオ・ヒョクによるコラボトラック「29」もよかった。ああいったよりオルタナティヴなアーティストたちはK-POPとはまったく別の行動原理と戦略性で動いていると思うし。だから、タナソウさんの言葉で言えば、本当にいろんな世界線が同時に存在している。

Yaeji & OHHYUK – 29



田中:アメリカンミュージックアワードではほぼ主役の扱いだったBTSがグラミーではほぼ無視されてたりとか。もう分断とかじゃないよね。いろんな世界線が無数に存在してる。20年ほど前にしきりに呟かれた無数に島宇宙が存在するという状況が今はごく普通の実感としてある。

小林:ただBTS「Butter」よりノーネーム「Rainforest」の方が順位が上なんですね。


田中:俺的にはノーネームの「Rainforest」は今年のベストソング10曲のうちの1曲。ボサノヴァっぽいビートで、リリックは熱帯雨林、要するに気候変動の話だよね。ラディカル左翼としての彼女のスタンスは相変わらずで。資本主義社会を筆頭に、不健全かつ不条理な社会システムに対しての怒りを歌っている。でも、それをメロウかつグルーヴィなビートに乗せて、彼女最大の武器である物憂げで不機嫌な声とフロウでライムしてるところが最高。

小林:ノーネームはJ・コールとのSNS上でのビーフから発展した騒ぎを経て、もう曲は出さないと宣言したこともありましたけど、これがそのビーフ以降、初めてリリースされた曲ですよね。

田中:最初のミックステープ『Telephone』の時点から彼女は思想的にはラディカルだった。「雑誌の表紙になることはノーだ」とか、ある意味、ビヨンセみたいな存在やセレブリティカルチャー全般を真っ向から否定してたわけだし。ただ、それがソーシャルメディアではとても攻撃的に映ってしまう。でも、作品ではめちゃくちゃ説得力があるわけ。

小林:意見を表明する際の形式やトーンの問題ですよね。ある意味、彼女が炎上したのもツイッターというアーキテクチャーのせいだった。

田中:トーンポリッシング云々と批判されてもまったく構わないけど、やっぱ表現にとってもっとも重要なのはニュアンスだからさ。だから、この曲は改めてノーネームという作家のポテンシャルを感じさせたと同時に、「作品」というものの可能性を改めて痛感したな。

小林:ラディカル左翼と言えば、最近タナソウさんが「マニック・ストリート・プリチャーズ、ありなんだよ」って言ってて驚きましたけど。彼らの新作『The Ultra Vivid Lament』は全英1位を取っていますね。

田中:もうリベラルなんて言葉は何も意味してないからさ。今、信頼出来るのは、マニックスみたいな妥協を覚えた極左ですよ(笑)。リリックでは性懲りもなくジョージ・オーウェルを参照したかと思えば、サウンドはアバなんだから(笑)。




幾つもの世界線が混在する状況を提示した、世界の年間ベストチャート

小林:去年だとメディアが選ぶ年間ベストの1位はフィオナ・アップル『Fetch the Bolt Cutters』が圧倒的多数で、一昨年だとラナ・デル・レイの『Norman Fucking Rockwell!』だった。どちらも決して商業的に大きな成功を収めた作品ではないけど、少なくとも批評家の間ではその年の最大公約数だというコンセンサスが取れている作品が確かに存在していて。でも、今年はそれさえもない状況ですよね。ただ各メディアのベスト50枚や100枚のセレクトを見ていると、タナソウさんが最近よく言っている、いくつもの世界線がある状態という問題意識に近い発想を持っているところが多いように感じます。

田中:だから、小林くんがよく言ってるように2016年前後がむしろ特別だったんだよね。

小林:Billboardはやっぱり自分たちで全米チャートを作っているからか、そういった時代の変化を肌で感じ取っているようなところがある。彼らは年間ベストソングのリードで、「今年のトップ40は様々なサウンドとスタイルをブレンドしたアーティストたちによって推し進められ、これまでアメリカのメインストリームでリプレゼントされることが極めて稀だった世界の地域(もしくは社会の片隅)の声を内包することによってその中心が広げられた」「今年のベストソングや最大のヒット曲は、空間的にも時間的にもどこからでも現れるかのようだった」って書いていて。

田中:なるほど、なるほど。

小林:前者の問題意識は今日これまでタナソウさんが話していることと近いと思うし、後者の問題意識は2号前の対談でタナソウさんが「今の全米チャートに見ていると、まるで過去・現在・未来が溶解したかのような2020年代的状況が見て取れる」って言っていたのと近いでしょう? だから僕からすれば、タナソウさんがここ数年言っていることが、なんだか世界的に共有されてるなって感じ(笑)。

田中:俺得意の不安神経症がひたすら発動してるわけじゃないってことだ?(笑)。

小林:あと歴史が溶解したっていうことで言えば、シルク・ソニックみたいな70年代ソウルに限りなく接近したプロジェクトが大ヒットしたっていうのも、ひとつの必然のように感じますね。

田中:ただ、俺が何よりもシルク・ソニックのアルバムに関心したのは太鼓の音なんですよ。曲調やビートに合わせて、とにかく曲ごとにスネアの音色が違うし、1曲の中でもスネアの音色がきめ細やかに変わる。凄いな! と思って。だから、決して70年代の生音中心の録音を模しただけのものではない。2020年代にしか生まれなかったサウンド・プロダクションだと思うな。

小林:なるほど。


小林:この文脈に接続するのは可哀想だけど、2010年代半ばに北米メインストリームの価値観に最適化して大ブレイクしたのがザ・ウィークエンドだった。2021年の4thクォーターは彼がフィーチャーされた曲がたくさんリリースされましたけど、それが悉くつまらなかったのもなんだか腑に落ちてしまう。

田中:でも、ロザリアとやった「LA FAMA」は最高だったじゃん!

小林:あの曲はロザリアの曲だから(笑)。例えば、ポスト・マローンとの「One Right Now」はポストジャンルのラッパーとして数年前までは新しい存在だったマローンが凡庸なシンセポップに落ち着いてしまったような曲だし、再結成したスウェディッシュ・ハウス・マフィアとの「Moth To A Flame」は想定の範囲内のビッグルーム向けダンスポップだった。来たるニューアルバムではそんな冷めた見方を覆してくれることを期待していますけど。

ROSALÍA - LA FAMA ft. The Weeknd



Post Malone and The Weeknd - One Right Now



Swedish House Mafia and The Weeknd - Moth To A Flame


田中:でも、それをつまんないって言ってるのは俺たちだけかもしれないけど(笑)。ただ実際、今年自分が興味を持っていたのは、相変わらず西アフリカや、英国を経由した西アフリカのビートだった。

小林:ナイジェリア出身のテムズとか、ガンビア出身のパ・サリュみたいなアフロビーツ周辺の作家ですよね。我々も含め、全世界が見過ごしてしまった去年のウィズキッドのアルバム『メイド・イン・ラゴス』に入ってたテムズが客演した「Essence」に今年になって脚光が当たって、遂にはまたジャスティン・ビーバーを客演に迎えたリミクスがさらなるヒットになった。

田中:ドレイクもちゃっかりテムズと一緒にやってるし。

Tems - Crazy Tings



Pa Salieu – Lit



WizKid - Essence ft. Justin Bieber, Tems


小林:ニューヨークのアンダーグラウンドヒップホップも面白かった。そして、やっぱり引き続き面白かったのは、ロザリアにしろ、セー・タンガナにしろ、去年のカリ・ウチスにしろ、スペイン語圏の音楽。もはや「スペイン語圏の音楽」という括りも反動的な気もしますけど。ただ、どれか一つを取り上げて「これなんだ!」と声高に叫ぶ気分にもならないという。

田中:そうそう。でも、その「これなんだ!と声高に叫ぶ気分にもならない」ってのがすごく大事なことな気がしてるんですよ。Rolling Stoneがベストソング8位に選んだラウ・アレハンドロ「Todo de Ti」の短評に彼のコラボレーターの発言が引用されてたじゃん。「英語圏の人にとってはこれは単なるポップレコードだ。でもスペイン語圏の人にとっては、彼と同じジャンルのアーティストで同じことをやっている人はいないし、彼のような成功を収めているアーティストもいない」っていう。

小林:なるほど。

田中:要は、「俺らからしたら、めっちゃ新しいんだよ」ってことでしょ。

小林:それぞれのリアリティがあるんだから、一方のリアリティから批判的なことを言っても意味がないということですよね。だからこそちょっと思い出してしまうんですけど、これまでもよく日本の評論家が「海外ではこれを誰もが知っているのに、日本では誰も気にも留めていない」って言うと、それに対して日本の文化しか見ていない人たちは、ラウ・アレハンドロのコラボレーターの発言と近い反論をしてきたじゃないですか。要するに、日本には日本のリアリティがあるんだから、必ずしも海外のそれに合わせる必要はないっていう。その物言い自体は全くその通りなんですよ。そこで、「海外ではみんな知ってるんだから、日本人も聴かなくちゃいけない」って言い出したら衝突が起こる。だから、海外のリアリティ、日本のリアリティ、日本から海外を見ている人のリアリティがあるっていうことをそれぞれが理解して尊重するしかないよねっていうのが、ここ10年くらい日本でその手の衝突を見てきた自分のひとまずの結論ではありますけど。

田中:で、俺も小林くんもYOASOBIの音楽には特に取り立てて興味はない。でも、Timeはベスト10に選出してる。ホントいろんな世界線が存在してて、どれが正しいとも言えなくなった。

小林:ただ、結局のところ、Rolling Stoneはアメリカのメディアとしての立ち位置からいろんなものを位置づけるしかないですよね?スペイン語圏ではそのようなリアリティがあるということを理解し、それを踏まえながら、最終的には自分たちの立場からの意見を表明するということになっているのでは?

田中:で、我々もまた然りだと。何年か前に曽我部(恵一)君が「海外と日本ではもう音楽が生まれてくる基盤も受容される基盤も違うから、それをひとつのチャートの中に収めるのは無理なんじゃない?」って意味のことを言っていて。ただ、客観性っていうのはもう存在しないのかな?

小林:自分とは違うリアリティがあるということを踏まえる、ということ以上の客観性って持ち得るんですかね? ちょっと自分にはわからない。

田中:でも、それを交わらせようとする欲望の発露がチャートなんじゃないの? で、もはやそれを無益だと思っている自分もいながら、それをやらないと意味がないでしょ、と思っている自分もいるという。いや、これはもはや俺の人生相談だね(笑)。

小林:(笑)でもオリヴィア・ロドリゴが今年最大のセンセーションであって、今年の顔なんだっていうRolling Stoneのチャートは、アメリカに住んでいるからこそのリアリティじゃないですか。日本人にはピンと来ない感覚だと思うんですよね。だからRolling Stoneのチャートは基本的にはアメリカ的な価値観だなと思います。もちろん出来る限りの客観性を持とうとしているのはチャートのバランスの良さから感じますけど。各メディアがある程度の主観的な価値観を含んだ意見を表明することで、いろんな価値観のグラデーションが見えてくるわけだから、むしろ積極的に出していった方がいいとも思いますし。もちろん極端に独りよがりなチャートは論外ですが。

田中:要は、主観からは逃れられないんだから、客観を意識した上での主観をひとつのパースペクティヴとして提示していくしかないってこと?

小林:で、その集積があることに意味があるんじゃないか?っていう。

田中:つまり、逆に言うと、各チャートの点数を集計したMetacriticみたいなものなチャートこそがもっとも悪しき存在だってことだ?

小林:そうですね。いろんな主観を手軽にまとめてチェックする上では便利だけど、そこではじき出される平均点には何も意味がないと思う。

田中:賛成(笑)。でも、いろんなメディアの年間ベストの共通項として、ピンクパンサレスがいたっていうのも面白いよね。

pinkpantheress - just for me


小林:ピンクパンサレスは想像以上にいろんなメディアの年間ベストに入っていましたね。特にアメリカではこれまでドラムンベースってまともに受容されたことがないから、ピンクパンサレスで初めて聴いたっていう人も少なくないと思うんですよ。そういう意味ではアメリカでは本当に新しいものとして映っただろうし、イギリスでは90年代から続くクラブカルチャーの伝統を受け継ぎつつ、TikTok以降の感覚でそれを読み替える新世代っていう風に映ったはず。そこにもリアリティの複数化問題があるんだけど(笑)。

田中:俺がよく言ってるレディオヘッドのアルバムタイトル『A Moon Shaped Pool』――つまり、誰もがたったひとつの月を見てるつもりでも、実はそれぞれが水溜りに映った月を見てるって話だ?

小林:そうそう(笑)。ただ、びっくりしたのが、アメリカのNPRは年間ベストのヴィジュアルでピンクパンサレスの公式サイトの世界観を意識していることで。20年くらい前のインターネットのデザインを使っているっていう。それくらい象徴的なものとして捉えられている。

田中:でも不思議だよね。ピンクパンサレス以降のドラムンベースをキュレートしているSpotifyのプレイリスト「Planet Rave」を聴くと、新しいドラムンベースだけじゃなくて、エイフェックス・ツインや90年代英国のレイヴ音楽も入っているし、ヴェイパーウェイヴとかハイパーポップも入ってる。この「Planet Rave」の括り方が正しいかどうかはひとまず置いておいたとして、それがひとつの共通項になっているわけだよね。これもBillboardチャートの歴史が溶解した状態とすごく似ている。新しさと古さが混ざり合っていて、そういう意味では今年っぽい。

小林:ピンクパンサレスが自称するニューノスタルジックっていうのは、そういうことでもあるでしょうし。

田中:でも、それが批評家の目からは、未来として映っているわけでしょ?(笑)。

小林:Timeは「未来のサウンド」って評していましたね。そういうねじれもある。

田中:やっぱ楽しくなってきたな(笑)。


誰もが自分の主観に閉じ込められている世界で、どんなパースペクティヴを提示できるか?

田中:今回の対談はまったくまとまらないまま、ひたすら問題意識だけをぶん投げたような感じになっちゃったね。

小林:まあ、たまにはそういう回があってもいいじゃないですか。最後もまとめずに、さらにぶん投げていきましょう。

田中:(笑)でも改めて歴史を振り返ると、マスメディアがない時代は山の向こうでは何が起こっているかがわからなかったのが、マスメディアが発達して、自分たちは世界を把握できるんだっていう幻想が担保されていた時代が訪れた。でも、21世紀頭にインターネットが普及し、2010年代頭にソーシャルメディアが普及して、それに伴ってマスメディアが失墜したことで、そんなの幻想以外の何ものでもなかったということがようやく実感としてわかるようになった(笑)。

小林:誰も現実を把握することなど出来ないんだと(笑)。

田中:ただ、今って『A Moon Shaped Pool』的な時代なわけじゃないですか。誰もが自分の主観に閉じ込められているのは明らかなのに、いや、全体を把握できるんだっていう錯覚に陥っている人たちが自らの主張を声高に主張することでいろんな衝突を生んでいる。

小林:わかります。最近は陰謀論者っていう言葉が一般化しましたけど、それって自分だけは世界の真実にアクセス出来ているっていう錯覚を信じ込んでいる人の呼称じゃないですか。でも、今は誰もが他人のパースペクティヴは疑っても、自分のパースペクティヴは信じ込むようになっている。それはネットやSNSっていう情報摂取に利用するメディアの構造的問題だと思いますけど。

田中:世界総陰謀論者の時代だ(笑)。で、そういった状況が確実に音楽シーンにも反映されている。我々にもあるじゃないですか、全体を把握したいという欲望が。

小林:ポップ原理主義者のタナソウさんには特にあると思います(笑)。

田中:いや、俺が言うポップというのは、価値観の共有じゃなくて、誰もが使うことの出来る新たな言語の誕生を指してるわけだからさ。異なる価値観を持った人々が一つの価値観を共有することを望んでいるわけじゃなくて、異なる価値観同士に橋をかける新たな共通言語としてのフォルムが生まれることに興味があるの。だから、アフロビーツだ!とか、ドラムンベースだ!とか言っちゃうんだけど。

小林:ただ、いずれにせよ、全体を把握しようとすることはもはや不可能だし、自分自身の主観を振りかざすことも無益だ、と。

田中:その中で何をやれるのか?っていう地点に我々はいる。「もはや全体は把握できないんです」っていうごく当たり前のことを改めて言いながらも、そういった状況の中で、どんなパースペクティヴを構築し、そこから見えた景色をどんな風にアウトプットするのか?――それって、自分の半径5メートルのリアリティの外側にある事象をどう享受していくか? っていう政治的な課題だよね。我ながら非常にハードルの高い課題だと思うけど。

小林:でも取り組み甲斐がある課題でもありますよね。

田中:新しい課題を与えられた年っていう感じ(笑)。このカオスを楽しみながら、そこに何かしらのコスモスを見出すことは可能なのか? なので、そんな、到底不可能にも思える課題を自分の仕事の中心に置くことが非常に面白いと感じられる1年でした(笑)。

Edited by The Sign Magazine

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