渡瀬マキが語る半生「歌うことを息をするぐらい普通のことにしたい」
Rolling Stone Japan / 2022年2月14日 18時0分
LINDBERGのボーカリスト、ソロ・アーティストの渡瀬マキが、2022年2月22日の誕生日に、ワンマンライブ『Birthday Live2022「back to basic 222~ソロとリンドとカバーと~」』を開催する。
1989年にLINDBERGでデビュー以来、バンドの解散・再結成、ソロ活動、結婚・子育て、機能性発声障害での活動休止など、様々な経験をしながらアーティスト活動を続けてきた渡瀬。LINDBERGデビュー30周年を記念して配信された電子書籍 『Essay 渡瀬マキ エッセイ』を読むと、「今すぐKiss Me」、「BELIEVE IN LOVE」といった大ヒット曲で多くの人が抱いているであろう、明るく元気なイメージとは裏腹な繊細な素顔も感じることができる。そして今なお、歌い手としての葛藤を抱えながら、彼女はバースデーライブのステージへと立とうとしている。
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―現在もなかなか出口が見えない状況の世の中ですが、最近はどのように過ごしていらっしゃいますか。
2月のライブ(Birthday Live2022「back to basic 222~ソロとリンドとカバーと~」)に向けて、自宅で平川達也氏(LINDBERGのGtであり夫)にアコギを弾いてもらって、キーを決めたり練習したり、「本当にこの曲でいいのか?」という作業をして過ごしています。それと、平川達也氏が他のアーティストの方用だったり、将来私が歌うかもしれない曲とかの制作をしているので、その仮歌を歌ったりしています。
―それは、ご自宅のスタジオですか?
全然、スタジオというような立派なものじゃなくて、普通の部屋でやってます。防音もしていなくて、近所の方には丸聴こえな感じで(笑)。
―なるほど(笑)。LINDBERGは2019年にデビュー30周年を迎えましたが、延期を経てツアーファイナルも昨年行われました(2021年1月6日LINE CUBE SHIBUYA<LINDBERG 30th Anniversary Tour『NO LIND, NO LIFE ?>)。どんなお気持ちでステージに立っていらっしゃいましたか。
30周年のLINDBERGは、私が機能性発声障害になって休養してから、初めてファンのみなさんの前で歌うという流れだったんです。2年半ほど休ませていただいていたこともあって、正直「ライブってどんな感じだっけ?」という感じもありましたし、まだまだ治療の最中、リハビリ中だったので、コロナで2回延期になったことは、私は全然後ろ向きには捉えていなくて、自分の声を出す練習の時間が増えたんだっていう風に捉えていました。それでいざ、ツアーに出てお客さんの前に立つと、これは誰も経験したことがないことですけど、ライブで声を出しちゃいけないということも初めてだし、私たちも今まで何十年もやってきたスタイルと全然違うルールの中でやらなければいけないということもあって、なんとも不思議な感じでした。ただ、私たちがすることは1つで、来ていただいた方に楽しんでもらうこと、想いを込めて演奏して歌うということには何も変わりはないということを本番前にメンバーと話してステージに出ました。戸惑いは正直ありましたけど、ファンの方の想いは伝わってきましたし、すごく良いツアーになりました。
―ちなみに、渋谷公会堂がLINE CUBE SHIBUYAになったのはどう思いました?
これまでも名称が「C.C.レモンホール」になったりして、今回は建物自体が変わってしまいましたけど、自分たちの中では「渋公」ですね(笑)。名前が変わろうが場所が変わろうが、自分たちの中では「ああ、渋公だな」っていう気持ちでライブをやりました。
―30年の中でLINDBERGの代名詞、渡瀬さんのイメージを決定づけている曲は「今すぐKiss Me」だと思いますが、リリースから時を経てこの曲にどんな想いを持っていますか。
「今すぐKiss Me」に出逢ってなかったら、今ここでインタビューを受けていることもないと思いますし、どこかで普通に働いて、お母さんとして暮らしていると思います。それぐらい、人生を劇的に変えてくれた曲だし、私の夢をかなえてくれた作品なので、この曲がなかったら今の私はない、というぐらいの存在ですね。
―「今すぐKiss Me」が大ヒットした当時は、バンドブーム最盛期であると共に、歌謡曲、ロックが混在していて後のJ-POPと呼ばれる音楽が醸成されていく時期でもあったと思います。そんな中で、渡瀬さんはバンドのボーカリストとしてどんな思いでその渦中にいたのでしょうか?
ジャンルというものを、一度も考えたことがなかったです。自分たちの音楽をロックとも思ってないし、ジャンルってまったく興味がなくて。聴いてくれている人が、ポップスだと思えばポップスだし。その当時は結構、「お茶の間ロック」と呼ばれていたんですよ。どんな意味があるかはわからないですけど(笑)。
―たぶん、親しみやすさがあったからでしょうね。
そんな感じなのかなって思います。自分たちも、「ロックだぜ!」みたいな感じがまったくないし、どんなふうにジャンル分けされてもあんまり気にしてなかったです。ただひたすら自分たちから生まれてくる音楽を、そのときそのときでやっていただけなんですよね。
―まわりのバンドのこともあまり意識していなかった?
う~ん、全然してなかったかもしれない。今で言うフェス、例えば金沢の「POP HILL」とかのイベントのときには、バンドの人たちがたくさん集まっていたんですけど、女性ボーカルがあんまりいなかったんですよね。それこそユニコーンとかジュンスカ(JUN SKY WALKER(S))とかレピッシュとかが出ていて、「わ~!すごいなあ」って思いながら観てました。「すっごい人気やなあ~」みたいな(笑)。
―ファン目線で観てたんですか(笑)。
そんな感じでした。ライバル視するような人もまったくいなくて。
―女性ボーカルのバンドというと、レベッカがいました。
レベッカさんはもう大先輩で、高校生のときにLPを聴いていましたから。とてもそんな次元じゃなくて、「はは~!(ひれ伏すイメージ)」っていう感じです(笑)。BARBEE BOYSさんとはイベントで一度ご一緒させていただいたことがあるんですけど、そのときも(見上げるように)「はあ~!(憧れ)」っていう感じで。プリプリ(プリンセス プリンセス)の香ちゃん(岸谷香(旧姓・奥居))は女性バンドでまた全然違うところにいたし。だからあんまり、そういう気持ちもなくて、みんなのことを「すごいな~!」と思って見てたと思います。
―現在の事務所、アップフロントクリエイトには森高千里さんも在籍していますが、以前から交流はあったんですか?
歌番組で、何回か一緒になったことはあるんですけど、千里ちゃんが言うには、私のアイドルとしてのデビューが一緒みたいなんです。それで千里ちゃんはLINDBERG以前い私のことをどこかで見たことがあるらしいんですよ。歌番組で一緒になっても、なかなか他の方と話す機会はなかったんですけど、千里ちゃんは1人で私はバンドだから、「ワイワイ楽しそうにやってていいね~」みたいに思っていたということは後々言われました(笑)。雑誌で対談してから仲良くなって、今でも仲良くさせてもらっています。
―電子書籍のエッセイ『Essay 渡瀬マキ エッセイ』によると、お子さんが生まれるまでは人見知りだったそうですね。デビュー当時もそうだったわけですか?
スタッフに聞いても、「当時はすごかった」って言われちゃうぐらい、人見知りがものすごくて(笑)。私は17歳の高校三年生のときに、プロダクションの方に声を掛けていただいて上京したんですけど、田舎者なので、「東京=怖いところ」、「芸能関係の世界にいる人たちはもっと怖い人」みたいなイメージが勝手にあって。そのプロダクションの社長もマネージャーも男性だったんですけど、とくに異性に対しては「シャッターガラガラ」って感じだったので、その2人にすら警戒心があったんですよ(笑)。LINDBERGになってからも、すごく親しく話して、「あ、この人だったら」って心を開くまでがすごく長かったんです。ツアースタッフのPAさん、照明さんも、時間をかけて信頼関係を築いて、やっと心を開ける感じで。例えば、いつも来てくれているスタッフが来れなくて、違う方が来たってなっちゃうと、また「シャッターガラガラ」みたいな(笑)。
―すぐシャッター閉めちゃうんですね(笑)。
困っちゃいますよね(笑)。「なんでそんなバカなことをしたんだろう」って、今は反省しているんですけど、そのときはもう、相手の気持ちを考える余裕もなくて、大変失礼な感じでした。それぐらいすごい人見知りだったんですけど、子どもが生まれて公園デビューするときに、どうやったらこの子が幼稚園生活や公園で楽しく遊べるかということだけを考えたら、「私のことなんかどうでもええやん」って、180度変わったんです。公園にお母さんが1人で子どもを連れてくると、もう黙ってられない、放っておけない。
―そういうときは、自分から声を掛けにいくんですか?
もちろんです。「こんにちはー! なんてお名前ですかあ?」って(笑)。でも、それは全然苦痛じゃなかったです。そういう風にした方が、自分もすごく気持ち良かったし、「今まではどうして私はシャッターガラガラだったんだろう?」というぐらい、全然平気でした。
―バンドのフロントマンとして大勢の前でステージの上に立つときは、普段の人見知りだった渡瀬さんとはまた違ったんですかね?
う~ん……どう思います(笑)?
―1990年はシングルを5枚もリリースしてますし、それだけブレイクと呼ばれてる毎日のように知らない人と会っていたんじゃないかと思うんですよ。だけどそういうときは「これは仕事だ」と思うことで人見知りが発動しなかったのかなって。
でも、スタッフさんには発動しちゃってたじゃないですか(笑)。
―そうですけど(笑)。お客さんを前にすると変わりますよね?
それはもちろん!……ああ~、でもどうかなあ。昔のビデオでMCを聴くと、「かっこつけてんなあ」って思います。真面目すぎちゃって、全然面白い話もしてないし(笑)。でも当時はたぶん、それが自分の中で自然だったんです。それがだんだん変化していくのも、ものすごく自然なんですよね。今ではもう、「どんなことして笑かしたろかな?」って、そっちに重点を置いてしまうぐらいで。それは、少しずつ自然に変化していったことですね。
―真面目なところは歌にも表れていたと思うんですけど、「BELIEVE IN LOVE」を改めて聴いたらすごくギリギリまで高い音を出している気がしました。いつも限界まで挑戦しようという感じで臨んでいたのでしょうか。
キーが本当に高いんですよ。でも、その頃LINDBERGを制作していたプロデューサーは、「それを一生懸命歌っているのが良いんだ」って言ってたんです。たぶん、時代もありますよね。スポ根というか、「気合入れたらできるやろ!」みたいな。でも、ツアーなんて30本ぐらいあるから、毎回必死で声を出してたら潰れちゃうし、そうならない方法を知らなかっただけで、あれはあれで成立していたからよかったんだなって今は思います。ただそれを今もやりますか?って訊かれたら、「NO」です(笑)。
―LINDBERGの演奏陣は全員曲を書いていて、尚且つそれぞれに代表曲がありますね。作曲者によって歌詞とか歌い方って変わりますか?
いや、1つの曲として聴いて歌詞を書いているので、誰の曲だからこうなるとかいうのは、まったくないです。もっと言うと今でも「この曲誰が書いたんやろな?」っていう曲がいっぱいあります(笑)。全然知らないというか、そこに興味がないというか。リハーサルのときにいつも、「これ誰の曲やったっけ?」「はーい」「ええっそうだったの!?」っていう会話がよくあります。
―僕は小柳"cherry"昌法さん作曲の「花」という曲が好きなんですけども(1999年『LINDBERG XII』収録)。90年代後半になると、実験的な面白い曲がいっぱいありますね。
そうやって「実験的」とおっしゃっていただけるとすごく嬉しいです。LINDBERGって、そのときそのときに遊び心で楽しんでやっているんですよね。それを、「ここから変わってしまったから」みたいに言われることもあるんですけど、そのときやりたいいろんなことを取り入れて楽しんでるっていう感覚なんです。だから、いろんなことをやってます。
―10枚目のアルバムなんかも遊び心がある感じですよね。
「Monkey Girlの逆襲」が1曲目のアルバム『LINDBERG X』ですね。あのとき私は、「歌詞ってこうじゃなきゃいけない」とか、そういうことがなくなってパーンと弾けた頃だったんですよね。「どんなことでも歌詞になるんや」みたいなことがわかり始めてきた頃で、そのあたりからいろんな歌詞を書いて楽しんでます。
―最近、家で聴いている音楽ってありますか。
昔から、あまり家でじっくり音楽を聴かないんですよ。生活音が好きなんですよね。洗濯機の音とか、水が流れる音、外をバスが通る音とか、そういう音を聴いていたいので、あんまりテレビもつけたくないんです。朝だったら鳥がめちゃめちゃ鳴いてますし、そういうのを聴いているのが好きなので、あんまり音楽をかけることがないんです。
―それは、生まれ育った環境と関係ありますか。
とくに、病気になってからなんですけど、耳とか、体が自然を求めてまして。だから近所の神社をブラブラしたりとか、渓谷に行ったりとか、そういう自然の中に身を置くと落ち着くんですよね。それは年齢的なこともあるかもしれないですけど、やっぱり自分が生まれ育った環境がすごく大きいと思います。
―野山を駆け回るような子どもだったんですよね。山に行って葉っぱにマヨネーズをかけて食べていたという(笑)。
そうです(笑)。マヨネーズを持って出かけて、「どの葉っぱが美味しいかな?」って。ちょっとおぞましいですよね。今思うとよく生きてたなっていう(笑)。そういう感じで育っていたので、やっぱり自然が好きですね。
―そういう自然や生活音に囲まれていると落ち着くんですね。
でもね、一人暮らししてる息子が家に帰ってきたりすると、「マキちゃん、これめっちゃいいよ」ってミュージック・ビデオを見せてくれたりとか、教えてくれるんです。BTSがまだそんなに知られていないときも、息子がMVをガンガン見せてきて、「とにかくすごいから。踊れるだけじゃなくて歌もすごいから」って勧めてきてそれで知ったりとか。いろんなアーティストを教えてくれますし、私も気になる人は調べて聴いてみたりします。今日はたまたま10-FEETを久しぶりに聴いたんですけど、やっぱり大好きだなあ、と思って。
―そうなんですね。いつぐらいから聴いているんですか?
ちょうど40歳のときに、LINDBERGがavexで1年間限定で復活して(2009年)、10-FEETがオーガナイズしているフェス「京都大作戦」に呼んでもらったんです。恥ずかしながら、そのときまで10-FEETというバンドを知らなかったんですけど、初めてそのフェスで10-FEETの演奏を聴いたときに、小学生のときに松田聖子さんを聴いて以来の、「ガガガガガーン!」っていう感じだったんですよ。
―TAKUMAさんの歌が松田聖子さんの歌と同じ衝撃を与えたわけですか。
そうなんです。なぜか涙がバーッて出てきて、「なんなのこの人たち!?」と思って、それからもう彼らのアルバムを買って全部聴いて、ライブにも行きました。今日も、久しぶりに聴いたら、やっぱり胸にグッときたんです。40歳で彼らを知って、年齢関係なくガーンときて。普通、多感な時期に聴いた音楽って自分の人生に大きく関わると思うんですけど、大人になってから聴いた音楽でもこんなに好きになるんやなって、再確認した次第です。
―『Essay 渡瀬マキ エッセイ』は電子書籍で配信されていますが、これはどんなきっかけで書くことになったのでしょうか。
ちょうど、私がお休みをさせていただいているときに、お話をいただいたんです。最初は、自分のことを包み欠かさず書かなきゃいけないことが……まあ、包み隠してもいいんですけど(笑)、ある程度そういうことを書くということに、ちょっと抵抗があったんです。だけど、なんでもそうなんですけど、そのときに最適なものがくると思うんですよね。だから、そうやってお話をもらったことも、きっとそういうタイミングなんだろうって解釈して書くことになりました。あと、自分の人生を振り返るというのもいいかなって。
―そのエッセイの中で、「この30年間、”前向き”という言葉に押しつぶされそうになったときもあった」という記述が印象的でした。どんなお気持ちで書いた文章なのか、教えてもらっても良いですか。
”前向き”というLINDBERGのテーマが重かったんですよ。人間なので、全然前向きになれないときだってあるじゃないですか(笑)? だけど前向きじゃないといけない、こうじゃなきゃいけない、「渡瀬マキってこう思われているんだからこうあるべきだ」っていう。それって、よく考えたら自分で勝手にそういうルールの中に自分を閉じ込めているだけであって、別にそんなことどうでもいいのに、自分でがんじがらめにしてガチガチに固めちゃっていたんです。それはその最中にいるとわからないことで、時間が経ったらわかることなんですけど。当時、がんばること、一生懸命やることがカッコ悪いみたいな時代でもあったんですよ。でも、求められるものってそうなんですよね。「元気が出る曲、元気が出る歌詞をお願いします」って。「GAMBAらなくちゃね」という曲があるんですけど(1994年リリースの19thシングル)、その曲の歌詞を書くときも、”がんばれ”というフレーズを入れてくれって、レコード会社の方から言われたんです。でも、「えっ、私がんばれとか言いたくない」と思って。正直に、「もうそんなのしんどい」って言ったんですよ(笑)。それで、スタッフとものすごくディスカッションした結果、自分の中に落とし込めたのがこの「GAMBAらなくちゃね」なんです。「がんばれ」と「がんばらなくちゃね」っていう、一見あんまり変わらないような言葉に聴こえるんですけど、自分の中では大きく違っていて。決して人を「がんばれ!」って応援しているわけでもなく、まるで独り言のように、「がんばらなくちゃね」って言ってるような、それだったら書けるなって、ストンってそこに自分の落としどころをつけたんです。それと同時に、歌詞の中に〈さがしてた ダイヤモンド 見つけたけれど 時々淋しくもあるよ〉というフレーズがあるんですけど、そこに本心を書けたことによって、すごく自分的にはスッキリしました。決して本当に前向きばかりじゃないんだっていうことを、そこに正直に書くことができたから、自分の中ではそこで片付いたというか。
―それによって、”前向き”という言葉自体も、渡瀬さんの中で変化したということでしょうか。
そうですね。直接的に励ます言葉がなくても、1人の人物像を歌詞の中に登場させることで、全体像でそれを伝えるとか、違った方法でそれを書けるということを学んでいった感じです。
―2020年に配信リリースされた「~種~」は、そうした人生経験がないと書けない歌だと思います。どんな想いで書いた曲ですか。
これは30周年のツアーに向けて新曲を出したいということで、書いた曲なんです。自分がそのとき置かれている状況って、がんばってきて、だけどちょっと立ち止まって休んで、何かがんばろうと思ってもがんばれなかったりとか、何をやってもうまくいかなかったりとか、生きていたら誰にでも起こることで。私の経験したフィルターを通して、そういう人たちに、伝えたいなっていう想いが強くあって、そのときの私の中に溜まっていた言葉を吐き出した感じです。
―現在も、新曲は書いていますか?
2月にソロライブがあるので、そのために1曲作ったりしています。
―2月22日がお誕生日ということですから、2022年は数字的に絶対ライブをやった方がいいですよね。
そうなんですよ。本来、ライブは休日に合わせるんですけど、今回は2揃いの日にやらないと意味がないなということで。22歳ならなお良かったんですけど(笑)。やっぱりその日にやることに意味があるような気がして、平日ですがこの日にやります。
―「back to basic 222~ソロとリンドとカバーと~」というタイトルがついています。どんなライブを考えていますか。
去年の終わりぐらいから、なんとなく考えていることなんですけど、半世紀生きてきて、これからどうやって生きていこうかっていうのと、今まで生きてきたこと、両方考えるお年頃なんです(笑)。機能性発声障害になってから、ずっと考えていることなんですけど、正直に言うと、いまだにトンネルの中に入っているみたいな感じなんですよね。それは、マインドの問題だったり、はたまた脳の誤作動のせいかもしれないし、思考の癖なのかもしれないし、「人の前に立って歌う」ということが、まだ全然日常じゃないというか、特別なものになりすぎていて。だからちょっと怖かったりするんですよね。もっと楽しみたいのに、すごくいろんな緊張が邪魔したり、不安が邪魔したりとか、いろんな余計なもののせいで、純粋に楽しめない自分がずっといるんですよね。歌うたびに落ち込む、歌うたびに悲しい思いをする状態から、もういい加減抜け出したいんです。中学生とか高校生の頃、部屋で1人で歌っているときって、本当にめちゃくちゃ楽しくて、その日に学校で嫌なことがあっても、全部忘れてしまうぐらいに、歌にすごく救われたんですよ。もう1回、あのときの感じで歌いたいなって思ったんです。これから先どうやって生きていきたいかって考えたとき、やっぱり今までの50数年のことも紐づけていかないと、次には行けない気がしていて。だから、自分のベースに帰ることによって、この先の光が見えてくるんじゃないかなって意味で、こういうタイトルを付けました。
―タイトル通り、LINDBERG、ソロ、カバー曲で渡瀬さんが歌いたい曲を網羅したライブということですね。
そうですね。だから、子どもの頃に影響を受けた曲も歌おうと思っています。キャンディーズさんとか、ピンクレディーさんとか。改めて聴くと、ものすごくあのワクワクする感覚が甦ってくるんですよ。そういう曲を歌うことによって、何か気付きがあったり、ちょっと突破口が見つけられたらいいなと思っていて。2022年は、2月22日から、歌が日常の何でもないものになるまで、とにかく歌いたいというのが私のテーマなんです。インスタライブで歌ってもいいし、友だちのライブに出させてもらうとかでもいいですし。とにかく人の前で声を出すことをたくさんやって、歌うことを全然特別なことじゃない、息をするぐらい普通のことにしたいです。そんな2022年に、という感じです(笑)。
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