西岡恭蔵「最愛の妻・KUROとの別れから晩年のアルバムをたどる」
Rolling Stone Japan / 2022年2月28日 20時0分
日本の音楽の礎となったアーティストに毎月1組ずつスポットを当て、本人や当時の関係者から深く掘り下げた話を引き出していく。2022年1月の特集は「西岡恭蔵」。2021年11月、小学館から書籍『プカプカ 西岡恭蔵伝』が発売。その著者、ノンフィクション作家・中部博を迎え、今年ソロデビュー50周年を迎える西岡恭蔵の軌跡をたどる。パート5のテーマは「晩年のアルバム」、最愛の妻・KUROとの別れから、西岡恭蔵自身が亡くなる1999年までのアルバムをたどる。
田家秀樹:こんばんは。FM COCOLO「J-POP LEGEND FORUM」案内人・田家秀樹です。今流れているのは西岡恭蔵さんの「プカプカ」。1972年7月に発売になったソロ1枚目のアルバム『ディランにて』の中の曲であります。
関連記事:西岡恭蔵「病と闘いながら生み出した名曲の軌跡をたどる」
プカプカ / 西岡恭蔵
今月2022年1月の特集は西岡恭蔵。ご紹介している本のタイトルが『プカプカ 西岡恭蔵伝』ですから、やっぱり最後はこの曲で終わろうということで、これを今週の前テーマにしました。今月はその本の著者、ノンフィクション作家・中部博さんをお迎えして、曲を選んでいただきながら、恭蔵さんの軌跡をたどり直しております。今週はパート5最終週「晩年のアルバム」です。こんばんは。
中部:こんばんは。
田家:今週は1993年のアルバム『スタート』と1997年のアルバム『Farewell Song』2枚のアルバムからお聴きいただこうと思うのですが、どんなアルバムですか?
中部:1993年の『スタート』は、病気で長い間活動を休止していた恭蔵さんが動き出すんですよね。それで、パッと溜めていたものを出したアルバムなんです。この時期、ちょうど大塚まさじさんとデュエットという2人組を作って旅回りをするんですけど、旅の途中で倒れたり、精神的に重くなってしまって動けなくなったりするところで『スタート』を作るんですよね。アルバムを作っている自分が存在証明だったと思うのです。
田家:1997年の『Farewell Song』はまさに最後のアルバム。
中部:これは『スタート』を作った後に、最愛のKUROさんががんで亡くなるんですよ。その後、さよならの歌を作るということなんだけど、まさに『Farewell Song』、さよならの歌なんですけど、これはもう傑作だとかなんとかと言うより、到達地点のアルバムじゃないですかね。
田家:なるほどね。あらためて本の話になるんですけど、取材の仕方としては、年代を追って取材していった感じだったんですか?
中部:まあ、それしかないですからね。それで積み重ねていくわけだけど、ずっと追いかけていく形です。じゃないと、前後関係が僕も分からなくなっちゃうから、追いかけていったんですけど、ところどころ残されていた日記とかを確認できたことが、非常に大きかったですね。
田家:最終章の時期を取材しているときはどんな気持ちでした?
中部:取材をしているときも恭蔵さんが1999年に亡くなるというのは分かっているわけですけれど。しかもそれが突然の自死であったということで、そこにたどり着いていくという結末は分かっているわけです。もう20年以上前の出来事ですから。それでも、「なぜ?」「どうして?」っていう気持ちはずっと起きてくるわけですよね。その答えを探しても、たぶんしょうがないんです。もう現実には結末が出ているわけですから……。
田家:その「なぜ?」「どうして?」の気持ちを今日はお話しいただきながら進めていこうと思います。中部さんが選ばれた今日の1曲目、1993年のアルバム『スタート』から「HEART TO HEART」。
HEART TO HEART / 西岡恭蔵
中部:これは恭蔵さんが書いていることなんですけど、この曲はKUROさんの作詞で、恭蔵さんが作曲なんですけど、「これは僕らのイマジンだ」って書いているんですよ、ジョン・レノンさんの「イマジン」ですね。そういう意味で言っても、KUROさんと恭蔵さんの集大成的な音楽だったということになりますね。
田家:〈世界中それぞれの人に人生があるのさ〉。そして幸せと愛を歌って……。〈君が君を好きになれたら〉という歌詞は、じゃあKUROさんが恭蔵さんに向けて書いたのかなと思ったりしますね。
中部:そうですね。慰めているところが十分あるんですよね。
田家:『スタート』は12年振りのソロアルバムで当時恭蔵さんは44歳。先週も話に出ました、大塚まさじさんが東京に来られてから、恭蔵さんの一番親身な相談相手の1人になっていた、と。大塚さんが恭蔵さんに「1人で歌うのが怖い」と相談されていたというお話がありました。
中部:これも、記録では大塚さんがそういうふうに書いているんですよ。しかし、恭蔵さんの日記には「大塚から声がかかった」って書いてあるんですよ。「ゾウ(恭蔵)さん、一緒にやろうよ」と言われたと。本当にそのときは、恭蔵さんは助けを必要としていたときですからね。だから、それを大塚さんが察して、一緒にやろうよと言ってくれて、2人で旅に出るようになるんだけれど、まあ大変だったわけです。途中でゾウさんが具合悪くなるわけですから。
田家:なるほどね。まあ、そういう時期も経てのアルバムということになります。全員のクレジットも詳しく本の中に書かれていて、担当が大蔵(博)さんだったんですね。
中部:MIDIを作った方ですよね。ベルウッド時代から恭蔵さんと一緒に音楽を作ってこられた方で、非常にクールな人でね。恭蔵さんに対しても、仲の良い仲間なんだけど、かなりはっきりしたことを言う人だなというのは恭蔵さんの日記の中にも出てくるんですよ。「もうこの曲はやめろ」とか、「こういうことをやろう」というのを、大蔵さんというのはきちっと言う方だなと思いました。ただし、ものすごく最後の最後まで面倒見るんですよね。
田家:大蔵さんも亡くなってしまって。
中部:そうなんです。話が聞けなかったんです。
田家:このアルバム『スタート』の後に、阪神淡路大震災があるわけですが。
中部:ボランティアで大活躍を西岡さんはするんですね。神戸でコンサートをやったり、チャリティをやって100万円ぐらい寄付したりするんですよ。神戸が大好きで、神戸に通っていたんですね。恭蔵さんって港町が好きなんです。ちょっと都会の。
田家:なるほどね。それは志摩が海のある町だったということもあるんでしょうけどね。
中部:もちろん、そうだと思います。海が大好きで、やっぱり神戸の人たちが困っているときには、いの一番に駆けつけるタイプだったんです。
田家:それで、この阪神淡路大震災の2ヶ月後にKUROさんががんを発病してしまうのですが、その話は曲の後にまたお聞きしようと思います。今日の2曲目は1997年のアルバム『Farewell Song』の中の「I Wish」です。
I Wish / 西岡恭蔵
中部:このアルバム自体は、KUROさんが亡くなる前に予定していたレコーディングから引き継いでいるんだけど、KUROさんとの別れをたっぷり含みこんだ歌が多いんですね。
田家:KUROさんががんを発病されたときから、そのことが恭蔵さんの日記に書かれているわけで……。
中部:そうなんです。がんが発見されて、手術を決意して、手術をして。それが成功して、1年半くらいは極めて健康な生活を送れるんですけど、転移が起きてしまうということで、KUROさんが亡くなる。その間、普通でいよういようとしている恭蔵さんの心が、すごく温かいんですよね。大げさなことにしないし、でも必死になって2人で闘病していく。でも、最後は脳に転移して、KUROさんが自分で判断をできなくなってくるわけですけれども。そのときに恭蔵さんは病院からKUROさんを連れて帰ってくるんですよ、家に。最期の末期に関しては自分で面倒を見ることを決意するんですね。
田家:体調がよくなったときに帰郷……志摩の方にドライブに行ったり、けっこう2人で旅もされているでしょ?
中部:そうですね。KUROさんも旅行好きだし、海外にはさすがに行けないんだけれど、2人で旅行を楽しんでいる。だから、だんだん残り少ない時間という自覚はあったんだとは思います。
田家:病気が発覚した後の時間をどう過ごすかというのがとても重要なんだなという気がしますね。
中部:それはそうですよね。限りは見えてきてしまうわけだから、そこに向かって自分たちがどう生きていくかが問われるわけだけど、本当に恭蔵さんらしいやさしさに満ちていて、日記の中に出てくる言葉も、本当に愛し合っている人たちってこういう言葉を使うんだなという感じですよ。
田家:別荘に行ったり、彼女の実家の方に行ったり。東北のツアーにKUROさんも途中から参加したりと、本当に旅をしながら人生を全うした2人。
中部:だったと思いますね。恭蔵さんって日記を書いていくうちに詩になっていっちゃうときもあるんですよ。そうするとそれは読んでいる者の心を打つ詩なんですよね。歌詞みたいになっちゃっている。
田家:本の中の随所にその文章が引用されております。中部さんが選ばれた3曲目、『Farewell Song』から「恋が生まれる日」。
恋が生まれる日 / 西岡恭蔵
田家:明るい曲ですね。
中部:KUROさんは1997年4月に亡くなられるんですけど、その前に予定していたアルバムの中にあった曲なんです。それが『Farewell Song』になってしまうんですけど、その前は『恋が生まれる日』というアルバムタイトルにしようとしていたらしいんですね。だからこれはタイトル曲で、明るいというか「まだ一緒に生きようよ」という思いで……。
田家:前向きな歌ですよね。
中部:喜びに溢れているんですね。でも、それを知るとますます悲しくなっちゃうんだけど、やっぱり恭蔵さんはKUROさんに対して「元気でいようよ」という気持ちがものすごいんですよね。
田家:彼女も病魔と闘っているわけで、彼女に向かってこういう歌を送ったと。KUROさんが亡くなったのが1997年4月4日午後8時20分で、余命宣告の日の日記も中部さんが紹介されていて……。
中部:日記が残っていることも奇跡的だったんだけれども、そこに〈KUROは本当に可愛い〉って書いてあるんですよね。〈純粋無垢な少女の様な可愛らしさ〉だって書いているんですよ。
田家:その一方で、〈君さえ居れば… 君さえ居れば…〉って自分を責めているという。
中部:やっぱりそれは人の心の複雑なところだし、KUROさんが病気になったのは自分がいけなかったんじゃないか、ストレスをかけたんじゃないかという思いももちろんどこかであるわけですよね。その一方で、愛してきた奥さんが輝くように見えているんですよ。そういう心境に本当になれるのかなって。今度はいきさつを知った自分が問われているような(笑)。
田家:僕もそう思いましたよ、読んでいて。俺はこういう気持ちになれるかなと思いましたね。
中部:そこは、「夫婦愛」とか漢字3文字くらいで書いちゃうことなのかもしれないんだけど、本当にそういうふうになれるのか、お前は……ってことを最後、恭蔵さんは無邪気に問うているというね。
田家:レコーディングされたのが7月25日から7日間ということで、KUROさんが亡くなってから3ヶ月あまり。
中部:相当、恭蔵さんもこたえたと思うんですけど、やっぱりそれをなんとか生きる力に変えなきゃいけないという決意が、ここでものすごく見えるんですよね。この『Farewell Song』というアルバムは。
田家:その中から中部さんが選ばれた4曲目です。「街角のアコーディオン」。
街角のアコーディオン / 西岡恭蔵
田家:すごい詞ですね。
中部:これも愛に溢れているとしか言いようがないです。あと、こういうヨーロッパっぽい曲調も恭蔵さんの中にはあるんですよね。本当に聴いている音楽の幅が広かったというのと、作りたい音楽の幅も広かったんだなと思いますね。
田家:「愛の讃歌」というシャンソンで有名な歌がありますけれども、訳詞が2種類あって。越路吹雪さんの訳詞は岩谷時子さんが訳されていて、それはとてもやさしい愛の歌なんですけど、原曲はこの「街角のアコーディオン」のように、空が落ちてこようと、大地が割れようと……みたいなとてもハードな歌詞だったりするんです。それに匹敵するものがある気がしましたね。
中部:詞を書くときの恭蔵さんは、このときはKUROさんの病気と闘っている状態で、こういうやさしさを発揮できちゃう人なんですよね。
田家:恭蔵さんの日記は、ノートに書かれているんでしょ?
中部:そうです。小ぶりのノートに書かれているんです。何冊かあって、ノートはあまり選んだりしないタイプで、ざっくばらんなところはあるんですけれども。作品帳もアラレちゃんの大学ノートみたいなのに書いてたりするので(笑)、わりとざっくばらんなんですよ、そういう意味ではね。
田家:ちゃんと日にちが書いてあって?
中部:びっしり書いてあります。
田家:1997年5月13日。これは手紙か。いろいろな人の手紙も本の中に出てきますよね。
中部:恭蔵さんは、手紙をものすごく書く人なんですね。何かあれば、必ず手紙を。だから、日本中のライブハウスに恭蔵さんの手紙っていっぱいあるらしいですよ。
田家:あ、そうなんですか!
中部:世話になった人には必ず手紙を出すという人なんですよ。本で紹介していたのはKUROさんが亡くなった後、30何日目かに書いた手紙なんですね。それは昔からの友だちに向かって書いた手紙なんだけれども、まだぼーっとしている感じなんです。悲しみの中にいるんだけど、まだ分からないみたいなことが延々と書いてあって……。ただ、生きようとしている力はそこからも感じられるんです、恭蔵さんはね。
田家:亡くなった後、大塚まさじさんの言葉も紹介されてましたけど、「意外にもゾウさんは元気に立ち振る舞っていたので、ぼくらは少しほっとしていた」と。
中部:本当に落ち込んでしまうのではないかという心配が周りにありましたし、KUROさんを追悼する意味でも、とにかく早くアルバムを作ろうとか、周りの人たちがものすごい気遣いをしているんですよ。気を遣っているとは見せないんだけど、周りの人が恭蔵さんに対して、さらにやさしいんですよ。「これもやったら? あれもやったら?」って言いながら、みんなで恭蔵さんを落ち込ませないようにするというか、気を遣っているんだけど遣っていることを感じさせない、すごくやさしい人たちです。
田家:そういう気遣いがあって生まれたのがこのアルバムでもあります。アルバムからもう1曲お聴きいただきます。中部さんが選ばれた今日の5曲目、「我が心のヤスガーズ・ファーム」。
我が心のヤスガーズ・ファーム / 西岡恭蔵
中部:これは話したいことがいっぱいある曲なんだけれど(笑)。この歌は、1995年に長く中断されていた大阪の歴史的な野外コンサートである「春一番」が復活するんですね。そのために作った、また新しいテーマソングなんです。恭蔵さんは、最初の春一番を1971年にやるときに「春一番」という歌を作っていて……。
田家:『街行き村行き』の中にありましたね。
中部:はい。復活したときに「我が心のヤスガーズ・ファーム」というのを作って、この歌を歌うんです。だから、ここで歌われている「長い髪をバンダナで止め」っていうのは男の人ですよ(笑)。
田家:主催していた福岡風太さんという。
中部:風太さんのことを言っているんだけど、西岡さんの詞は、そこらへんが本当に巧みなんですよね。風太さんのことを歌いながら、それがだんだんKUROさんのことに聴こえてくるみたいな……。それで、この1995年の春一番復活のときに恭蔵さんはKUROさんと行っているんです。KUROさんは既にがんを発病なさってますから、このコンサートの会場に病身のKUROさんがいらっしゃるんですよ。そこでこの歌を恭蔵さんが歌うんですね。そのときの映像を見せてもらったんだけれど、「歌を歌っている途中で涙を流したら許してくれ」ってお客さんに言っているんです。「泣いたら許してくれ」「今日は危ない」と言っているんです。それでも泣かないで最後まできちんと歌うんですけれど、やっぱりこの歌をステージの恭蔵さんが歌って、客席にいるKUROさんが聴いているというシチュエーションは、この2人にしか分からない、また軽い言葉に聴こえちゃうかもしれないけど、たった2人の愛の世界がコンサート会場の中でできちゃっているんでしょうね。
田家:この歌を春一番の再開ステージで歌った恭蔵さんの気持ちを中部さんは「覚悟」と表現されていました。中部さんが選ばれた6曲目、『Farewell Song』のタイトル曲「Farewell Song」。
Farewell Song / 西岡恭蔵
田家:ハワイアンのような、ユートピアのような歌ですね。
中部:これがお別れの歌だというね……KUROさんに対してお別れをする歌だということで作っているんだけど、お見事としか言いようがなくて。悲しいときに悲しい歌を作って、聴く人たちに悲しみを押しつける。そういう人たちも世の中にはいるわけですよ、フォークとか言われている人にもいるだろうし。そういうことを恭蔵さんはしないんです。それを言っちゃおしまいだっていうことは絶対しないんですよね。その見事さというのは、この歌に本当に表れているなと思いました。
田家:冒頭の〈島を旅立つ あなたに〉って、恭蔵さんは志摩の人なわけでしょ。自分のことでもあるのかなと思ったりして聴いたんですけど、恭蔵さんが本当に旅立ってしまったのは1999年4月3日、KUROさんの命日の前日。そのときのいろいろな方々の反応は中部さんがお書きになった『プカプカ 西岡恭蔵伝』のプロローグ、最初に紹介されていますけれども。大塚さんのコメントとか、演出家の久世光彦さんとか、山下達郎さんの反応とかね。
中部:やっぱり驚いたというのがみなさん正直なところなんでしょうけれど、1人1人の人生を他人が分かろうとすること自体、どだい無理なことかもしれないので、ほんのちょっと分かったぐらいのことしかなかったんだけれど、この時期の恭蔵さんは明らかに生きようとしています。その後のスケジュールがあったとか、60歳になったらワールドツアーをやりたいとか、いろいろなことをおっしゃっているんだけど、生きるエネルギーが十分にあったと思うんですよ。それがやっぱり、病というか、病魔に襲いかかられたというのが恭蔵さんの最期だったとは思いますけれども。そのエネルギーのたしかさを友人や音楽仲間などみんな最後まで信じていますよね。
田家:なるほどね。それで、亡くなる前にお遍路さんに行くって……この話は壮絶でしたね。
中部:お遍路さんに行くのがどういう心境だったかというのは、非常に難しいところがあるんですけれども、現世利益的なものではないわけですよね。来世で幸せになれるようにということでやるそうなんですけども、それで恭蔵さんのお遍路行きを止めた人たちもいるんです。でも、お遍路をやったら元気になったと言うんですよ。だったらそれでいいやっていう話なのかもしれないけれど、やっぱり恭蔵さんは生きるということと死ということをギリギリ自分の中で考えていたということなんでしょうね。
田家:そういう話や取材を、亡くなった当時には知らなかった中部さんがたどり直しているわけでしょう?
中部:それをたどり直せたのは、僕にとっては大変うれしかったんです。誰でも知っているような人ではないから、すぐに本になるとか、どこかで連載させてくれるということではなかったけれど。
田家:書き下ろしですからね、これは。
中部:ちょっと僕も意地になっていたところがあるんだけれども(笑)、取材をして恭蔵さんの生涯を知って、本当にファンでよかったと思いました。僕が思っていた人そのものだったし、僕はこの人の音楽をずっと聴いてきて、幸せだったんだなと思いました。
田家:本の最後をどう終えようか、取材のどのへんで考えるようになったんですか?
中部:何度も書き直しました。もっとリアルにやらなきゃいけないなと思ったのと、どこまで書いていいのかということもありますから。それはもう本当に悩んで、担当の編集者と話をして、そこに落ち着いていったんですね。本当にそれは悩みました。
田家:今日最後の曲は、そういう悩みの中で取材された1人だった、秋本節さんというシンガー・ソングライターの方が歌っている「僕のマリア」。この曲はどういう曲かお聞きしちゃっていいですか?
中部:これは2019年に発表された秋本節さんの2番目のアルバムで発表された曲なんですけれど、秋本さんというのは、恭蔵さんと一緒に最後にやっていた方なんですね。ギターを弾いたり、アコーディオンを弾いたり、クラリネットを吹いたり……。恭蔵さんは、秋本さんはものすごい才能があるということを日記に書いているんです。「この人の音楽的才能は驚く」っていうぐらい、恭蔵さんお気に入りで。秋本さんは師匠はいないんだけど、「誰か師匠いるかって言われたら、まあ恭蔵さんだな」っていうぐらいの関係の人なんです。それで、恭蔵さんが亡くなる前にリハーサルをしたときに、恭蔵さんがこういう歌を作ったんだって何曲か歌った歌の1曲なんですよ。秋本さんはその詞をいただいて、メロディを覚えていて、いつか必ず発表したいなと思っていて、恭蔵さんの20年後の命日に自分のアルバムを作って、発表したんですね。だから、本当に恭蔵さんの最後のラブソングです。
田家:遺作というふうに言っちゃっていいんでしょうね。
中部:いいと思います。
田家:2019年に発売になった、秋本節さんの2枚目のアルバム『KYOZO & KURO』の中の曲です。「僕のマリア」。
僕のマリア / 秋本節
田家:2019年4月3日、西岡恭蔵さんの20周忌に発売された、シンガー・ソングライター・秋本節さんの2枚目のアルバム『KYOZO & KURO』。14曲入っていて、全曲が恭蔵さんとKUROさんの曲。その中の曲、「僕のマリア」をお聴きいただきました。
中部:20年経っても新曲が出てくるという恭蔵さんのエネルギーがあるんですけれど、「プカプカ」もすごくエネルギーのある歌で、もう50年経っているのに最近はGLIM SPANKYの松尾レミさんがカバーして歌っていて、若い人たちの間にもまたこの歌が生きたこととしてあるんですよね。そういう恭蔵さんのすごいエネルギー、こういう音楽家がいたんだということを、最後に自分で自分が確認したという感じだったですね。
田家:全489曲を書いたシンガー・ソングライターの生涯。この本で伝えたかったことをあらためて訊くのは野暮な質問なんですが。
中部:それはやっぱり、こういう人がいたんだということを僕は知ったし、調べて分かったから、それを伝えたいと思ったんです。それに、読書というのは映画を観るのと同じで、一編の物語を読んでもらえるし、人ひとりの人生をしっかり読んで楽しむというような本になるなと思って、ずっと書いていたんです。やっぱり、やさしく人がどれだけ生きられるかということを50年間かけて実験したみたいな人なので、このやさしさはちょっと真似できないなと最後は思いましたけどね、真似したいけど(笑)。
田家:この本が映像になったらどうなるかなあと思って読んだりもしたんですよ。
中部:ありがとうございます。それはすごく意識して、要するに音楽映画になると思って……ロードムービーにもなるだろうし。でも西岡さんもそういうものを持っているんですよ、映像みたいなものをね。自分の中に絵を確実に持っているなと思いました。
田家:ロードムービーのような人生だった感じがありますもんね。
中部:そうなんですよ。今はもう20数年前に亡くなった人なんですけど、取材をすればするほど、書けば書くほど、生き生きとしてきてしまうという人ではありました。
田家:労作でありました。1ヶ月間ありがとうございました。
中部:こちらこそ、どうもありがとうございました。
田家:「J-POP LEGEND FORUM 西岡恭蔵」今年がソロデビュー50周年、西岡恭蔵さんの軌跡を小学館から発売になった『プカプカ 西岡恭蔵伝』の著者、ノンフィクション作家・中部博さんをゲストにたどり直してみようという5週間。今週はパート5、最終週をお送りしました。流れているのはこの番組の後テーマ、竹内まりやさんの「静かな伝説」です。
今更こんなことを言うまでもないでしょうけど、音楽というのは時代に左右されているわけですね。もっと言ってしまうと、メディアの扱い方、リスナーの関心みたいなものは、やっぱり売れるものに向かっていくわけです。売れるものが優先されて紹介されていく。これは資本主義である限りしょうがないとは言えるんですけど、西岡恭蔵さんは全489曲書かれていました。自分で歌っているアルバム、カセットブックも十数枚あります。そして、他の人に書いた曲とか、もちろんザ・ディランⅡの曲もあるんですね。ただ、今回あらためて思ったのですが、手に入らない曲がとても多いんです。廃盤のままのアルバムとか、今では聴けない曲とか。サブスクの時代でありながら、これはどういうことなんだろうというのも、とても素朴な疑問、音楽の伝え方、扱い方に対しての疑問でありました。
恭蔵さんが関わった、作品を出してきたレコード会社はベルウッド・レコードとか、トリオとかビクターレコードとか、ミディレコード。ビクターはメジャーですけど、他の会社はメジャーというところには入らないようなレコード会社から出ているわけで、そういうところから出ている作品はサブスクの時代でもこういう扱いなんだなと思ったりしたんですね。だからこそ、中部さんが書いた本に意味があるんだろうとあらためて強く思いました。音楽について書いた本がいろいろ見直されていて、力作もたくさん発売されておりますが、本という存在が音楽を見直すきっかけになる。そういう意味では西岡恭蔵さん再発見のきっかけにこの本、そしてこの番組がなれば幸いだなと思って、5週間を締めくくろうと思います。
書籍『プカプカ 西岡恭蔵伝』表紙画像
<INFORMATION>
田家秀樹
1946年、千葉県船橋市生まれ。中央大法学部政治学科卒。1969年、タウン誌のはしりとなった「新宿プレイマップ」創刊編集者を皮切りに、「セイ!ヤング」などの放送作家、若者雑誌編集長を経て音楽評論家、ノンフィクション作家、放送作家、音楽番組パーソリナリテイとして活躍中。
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