ブリング・ミー・ザ・ホライズンが語る、依存症からの回復、次世代エモ、セルフケアの大切さ
Rolling Stone Japan / 2022年2月24日 20時0分
ブリング・ミー・ザ・ホライズンのフロントマン、オリヴァー・サイクスは新型コロナウイルスのパンデミックで大きな浮き沈みを体験した。Netflixやゲームに興じて社会から隔絶し、人生の意義を見失い、悪習慣に逆戻りした後、創作活動で日々感じていた不安や混乱と折り合いを付けようとした。その結果、ドラマーのマット・ニコルスも認めるように、Zoom会議を繰り返した末に完成したEP『Post Human: Survival Horror』によって活気づいた音楽ファンが集まり、評論家もみな一様に「バンド史上最高傑作」を絶賛した。
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傑作をリリースした後には、考える時間、忍耐、そして環境の変化が必要だ。そのためにバンドが選んだのはロサンゼルスだった。イギリス人の感覚からすると、ここの冬の朝は奇妙だ。日焼けしそうなほど日差しが降り注ぎ、インフィニティプールの周りには湯気ともやが原始の泉のごとく立ち込め、目の前に広がる渓谷に向かってまっすぐ零れ落ちる。前述のパンデミックをテーマにしたEPのタイトルが『Post Human: Survival Horror』というバンドには、まさにピッタリの光景だ
ブリング・ミー・ザ・ホライズンは『Post Human』シリーズ次回作の音楽性を模索すべく、丘の斜面に立つ黒光りした石の大邸宅に滞在している。マーヴェルの悪役や意地の悪いIT連中が所有する類の豪邸、と言っても過言ではないだろう。隣の家では週末のたびに賑やかなパーティが開かれていた。彼らの推測では、こんな生活を送る人間はそういないだろうから、おそらくバケーションレンタルだろう。少なくともブリング・ミー・ザ・ホライズンとは無縁の生活だ。メンバーの半分は酒を飲まず、毎朝ジムで運動し、毎晩家で健康的な食事をとり、夜9時半には就寝するという規則正しい生活を送っている。
オリヴァーはインタビューのためにベランダへ向かい、眠りから覚めたヴァンパイアのように日光の下に姿をさらした。よく見ると、彼には確かに牙がある。昨年の夏、モデルでシンガーの妻アリッサ・ソールズとともに八重歯を差し歯にしたのだ。
扇動的なライブパフォーマンスとはうらはらに、普段の彼は引っ込み思案だ。とはいえインタビューでお決まりの質問をぶつければ――ヨークシャーらしい抑揚のない口調で、はっきり断定することこそないものの――非常に重々しい、あるいは歯に衣着せない答えが常に返ってくる。こうしたミステリアスなギャップに誰もが虚を突かれる。今日のいでたちは白い手織りのシャツにプラダの黒い万能ブーツに身を包み、モノグラム入りの財布、そして十字架のピアス。5週間の仮住まいを満喫していることは明らかだ。ファンもここ数カ月の変化に気づき、彼が今までで一番健康で幸せそうだ、とソーシャルメディアにコメントしている。
ブリング・ミー・ザ・ホライズンのオリヴァー・サイクス(Photo by Lindsey Byrnes)
「ずっと長いこと、自分以外のもっと大きなテーマの曲を書きたいと模索していた」
「ずっと長いこと、自分以外のもっと大きなテーマの曲を書きたいと模索していた。でも政治についてはよく知らなくて、政治色の強いアルバムは書けなかった」。日差しを背に受け、熱を帯びたグレーのガーデンチェアに座りながら、『Survival Horror』についてこう語った。黙示学や地政学というテーマに興味をそそられた彼がEPの1stシングル「Parasite Eve」を書いたのは、新型コロナウイルスのパンデミック前だった。だが2020年が経過するにつれ、”生きて感染を乗り越えることができたら/教訓を覚えているだろうか”という歌詞に、サイクスをはじめ他のメンバーも違和感を感じた。病院で人が死んでいるという時に、この歌詞はあまりにも悪趣味じゃないか? パンデミックが進行する中、彼らはこの曲を6月にリリースすることにした。ただし問題の歌詞は”感染を忘れてしまっても/教訓を覚えているだろうか?”と変えた。
これほど時代に即した楽曲を書いても平気でいられるのは、ブリング・ミー・ザ・ホライズンのような不敬さと底沼のユーモアを備えたバンドしかいない。パンデミック生活の堕落を歌ったロックソングは”熱が出た、俺に息を吹きかけるな”という歌詞で始まり、「落ち着いてください、終わりは来ました」という自動アナウンス(オリヴァーの妻の声)が流れる。リスナーは致命的なウイルスの襲来を4カ月間じっと待つどころか、ジェットコースターで今にも急降下せんといった状態だ。ソーシャルメディアで猛反発を食らう可能性もあっただろうし、悪趣味だとみなされて再起不能になってもおかしくなかった。ところがこの曲は瞬く間にヒットし、愛する人の身や、もはや抽象的ではなくなった人類の未来を案じる隔離中のロックファンにカタルシスを与えた。
のちにガーディアン紙は『Survival Horror』を「パンデミックをテーマにした最初の傑作アート」と呼んだが、まさしくその通りだ。2020年、ツアーができなかった大半のアーティストは楽曲をリリースすることもなかった。どの媒体を見渡しても、クリエイティブ作品に残された道は2つに1つ。妄想や逃避に走ってパンデミックに抗うか、世界の状況に真っ向から立ち向かってねじ伏せようと格闘するかのいずれかだった。ポップシンガーのチャーリーXCXがアルバム『how Im feeling now』を、コメディアン件映画監督のボー・バーナムが『Bo Burnham: Inside(原題)』を発表したように、彼らもまた後者の道を選んだ。
作り手たちはこうしたパンデミック作品の傑作で、外出禁止が及ぼす影響をつぶさに記録し、コミュニティ全体が毎週毎月体験していた感情の移り変わりを言語化した。『Survival Horror』のオープニングトラックは、タイトルもずばり「Dear Diary,」。ロックダウンによる日常の狂気が、サイクスの語りと言う形で強調されている(「気にするな、この世の終わりじゃない(まぁ待てよ)」というブラックユーモアな歌詞を繰り出した後、すべて吐き出すかのような爆音が続く。繰り返しになるが、こんなことに挑戦して見事やってのけるのは彼らぐらいのものだ)。
「誰もがある程度は鬱状態だったんじゃないかな? パンデミックが人生を覆い隠していたベールを取り払ったんだよ」とオリヴァー。彼の気持ちは他のメンバーとも一致する。失業したガールフレンドとシェフィールドでロックダウンを経験したマット(・ニコルス)は、運動を心のよりどころにしていたが、ケガの後は精神的にすがるものがなくなってしまった。サイクスは、これまでは生活の構造のおかげで本質から目を背けていたのだと実感した。バンドとしてツアーをして、アルバムづくりに没頭していた時は幸せだった。だがサポートシステムもなく、バランスの取れた生活も送っていなかったがために、ひとたび生活が止まってしまうと何もかも上手くいかなくなった。おそらく仕事人間はみな同じ状態だろう、と彼は言う。
彼にとって、こうした個人的な現実は世界全体の写し鏡だった。「虚無主義に偏るつもりはないが、人生ってのはあまりにも無意味だよ」と彼は言う。仕事、通勤、人間関係、資本主義的な習慣。そんなものはなくても生きていける、と彼は考える。「食肉加工の行程を見せられているような、そんな気持ちがいまだに拭えないんだ」。注意をそらすものがなくなって初めて、彼も自分が不安定な存在であることに気付き始めた。「俺は今までちゃんと自分と向き合ってこなかった。全てにおいて自分をおろそかにしてきた。自分の価値は、ステージで演奏していい曲を書くことに由来していたからね。それが全てなくなって、ようやく自分の価値に疑問を抱いたんだ」
オリヴァーは2010年代、ケタミン中毒に悩まされていたことを公然と口にしている。ケタミンはこうした不安感から理性を切り離してくれた。「ケタミンをやってた俺は、オリヴァー・サイクスじゃなかった」と現在の彼は言う。「バンドのことを考えることはできたが、そこに何の意味も見出すことができない。自我なんか消えてしまう。何もかも意味を失って、どうでもよくなるんだ」。この問題は2013年のアルバム『Sempiternal』のテーマでもあった。2010年代最高のロックアルバムの一つに挙げられ、メタルとエレクトロニカの融合としては彼らの初期の作品でもとっつきやすいアルバムだ。あれ以来、彼は完全に薬とは手を切っていた。
Photo by Lindsey Byrnes
「無意識のスクロールが精神に及ぼす影響は変わらない。人生は無意味だ、というような灰色の感情が押し寄せるんだ」
パンデミック発生当時、サイクスは酒を飲み、マリファナを吸った。だが不安が高まるのと時を同じくして、売人がもっと強いクスリを売り始めた。「最初のうちは『ちょっと退屈しのぎにやるだけだ。昔みたいな状態にはならないさ、いろんなことを抱えて生きてるんだから』と思っていた。クスリに手を出し始めた時は、本当にそう思っていたんだよ」 。クスリによって現実逃避的な気休めがもたらされると、そうした悟りはあっという間に消えてしまった。彼は再びかつての逃避を求めた。葛藤はあったが、誰にも知られることなくケタミンを服用しつつ、何とかリモートで『Survival Horror』を制作した。
当時の彼はシェフィールドの自宅で、妻と両親と一時的に同居していた。彼がクスリに走ったことに気づいた妻のアリッサは、彼の両親に相談した。両親は前回の薬物中毒の際にも協力している。父親は息子の安全を危惧して車で送迎を担当し、リハビリの際には積極的にサポートしていた。
サイクスはとことんみじめな気分になり、自分に失望した。「依存症に逆戻りしたことが信じられなかった」と、あきらめをにじませながら彼は言う。「最後に中毒だった時は彼女もとっかえひっかえだったし、結婚もしていなかった。もちろん、周りの人たちを動揺させて怖がらせていたのはわかっていた。でも相手がアリッサとなると、浮気したも同然だよ。受けるダメージはまったく同じだ。相手が隠れて何かやっていたことに気づいたら、それは裏切っていることになる。信頼は完全に崩れ去ってしまった。俺はハッパを吸ってたから、彼女も俺がちょっと吸い過ぎたぐらいにしか思わないだろうとタカをくくってたんだ。彼女はまったく気づいていなかった。彼女はそれまで強いクスリをやっている人間を見たことがなかったからね。ものすごく怯えて、俺が死ぬんじゃないかと思っていた。その時ハッと気づいたんだ、俺は自分をダメにしただけでなく、自分に身を捧げてくれた相手までダメにしちまったんだって」
パンデミック中にもうひとつ中毒になったのが(もっとも社会的には容認されているが)ソーシャルメディアだった。ソーシャルメディアを利用することで、サイクスの不安はまたひとつ深まった。自分らしさ、外見、自分が何を成し遂げたか(または成し遂げられなかったか)、バンドは十分イケているのか。「14歳の女の子だろうと、上手くいってるロックスターだろうと、無意識のスクロールが精神に及ぼす影響は変わらない。人生は無意味だ、というような灰色の感情が押し寄せるんだ」
Photo by Lindsey Byrnes
2021年7月、サイクスは人生で初めてセラピー通いを始めた。そして10月にはアリッサとともに彼女の故郷ブラジルへ渡り、そこを拠点に生活するつもりだった。1カ月間ブラジルのアーシュラマ(精神修行のための隠遁所)で電話は一切禁止という生活を送る中、サイクスはバンドという枠組みを離れ、自分が何者かを学んだ。言葉にするのは簡単だが、彼は自分が驚くほど平凡であることを発見し、ささやかな喜びに幸せを見出すことができるようになった。犬の散歩、美味しい食事、TVゲームをすること、他人の自己表現に手を貸すこと。彼はまた家族思いになった。「自分にとって家族がどんなに大事か、家族のおかげでどれほど気分がよくなるか、今まで気づかなかった。数カ月ツアーに出ているときは、電話1本よこさない男だったからね」
セラピーとその後の悟りの甲斐あって、彼は2020年以前の生き方を振り返りながらしみじみと実感している。「俺は癒されていたというより、目を背けていたんだよ」
Photo by Lindsey Byrnes
ロサンゼルスのストリートに立つブリング・ミー・ザ・ホライズン(Photo by Lindsey Byrnes)
「俺たちはクリエイティブすぎて、正統派アリーナロックバンドにはなれない」
ブリング・ミー・ザ・ホライズンの物語は、出だしから愛と憎しみ、死と再生の間を行き来していた。バンドの結成は2004年の英シェフィールド。ロザラムという街(マット・ニコルスの推測では「完全に落ちぶれ、今は前よりひどくなっている」)から来たマット(・ニコルス)がシェフィールドで、未成年の若者向けオルタナティブ・ナイトでオリヴァーと出会ったのが始まりだった。オリヴァーは嫌われ者で、学校でも度々いじめられていた。ずば抜けてクリエイティブだったものの、6歳の時にADHDと診断されたせいで、教室では嫌な思いをする羽目になった。ヘヴィ・ミュージックがはけ口だった。メタリカのカバーバンドで演奏していたギタリスト、リー・マリアとカーティス・ワードと知り合いだったマット(・ニコルス)は、自分たちもバンドを作ろうとオリヴァーに提案した。「自分たちが何をやってるのか、誰もわかっちゃいなかった。俺たちはただ、みんながモッシュできるヘヴィ・ミュージックを作りたかっただけなんだ」と、リーは振り返る。
この寄せ集めバンドこそシーンカルチャーの担い手だ、とMyspaceの10代のユーザーが判断するまで時間はかからなかった。一時期ブリング・ミー・ザ・ホライズンは、コールドプレイやリリー・アレン、アデルといったミュージシャンを押さえて再生回数1位になったこともある。「最高だったよ。シーンが決めるんだからね」と、ベースのマット・キーンは言う。「いいねボタンの回数とか、自分の親父がメンバーだとか、どのぐらい予算をかけたかとか、アーティストがビッグになるための他の条件は一切関係なかった」
デジタルプラットフォームの黎明期、SNSセレブといった概念が出始めたばかりのころ、まだ10代だったオリヴァーはすでにファッション系インフルエンサーでソーシャルメディアの有名人だった。バンドを結成して間もなく、オリヴァーはオルタナ系アパレルブランドDrop Deadを設立。このブランドは今も繁盛している。創業2年目を迎えるころには、時代を読み、ネオンカラーのグロテスクなハードコア美学を指揮する彼の能力は、数十万ポンドの利益をもたらした。ヘヴィ・ミュージックに傾倒していた者はみな彼の存在を知っていただけでなく、彼やバンドについて何かしら意見を持っていた。バンドが好きでも嫌いでも、誰もが彼のTシャツを着てライブに足を運んだ。
Photo by Lindsey Byrnes
男性優位主義のロックメディアは、おそらく彼らが民主主義で成功したこと、初期の音楽が月並みなデスコアだったこと、サイクスの外見や態度の悪さに対する怒りから、バンドに対して敵意をあらわにした。「マスコミからはとくに憎まれていたみたいだね」とマット(・キーン)も言う。「多分、俺たちがものすごく若かったからだろう。ロックメディアの連中は年配で、俺たちが売れてるから雑誌に載せなきゃいけないっていうのが気に入らなかったんだろうね」。メディアと同意見のロックファンにしてみれば、彼らの音楽はメタルと言うには物足りなかった。
3枚目のアルバム『There Is a Hell Believe Me Ive Seen It』(2010年)の後、バンド内部で問題が起きた。「当時の俺は相当ラリってて、すべてに無頓着だった」とマット(・ニコルス)は振り返る。「だが、(オリヴァーが)俺たちを困らせる事態になった。俺たちはあいつとつるむのを避けた。悲しい話だよ。自分たちがバンドとしてやっていけるかどうかもわからなかった」。失敗に終わった湖水地方での作曲合宿で、オリヴァーはリハビリ施設に入院することを仲間に告げた。過去にも1度リハビリを試みて失敗していたが、今回は結果的に上手くいきそうに思えた。「俺たちにとっては仕切り直しだった。これでゼロからやり直せると思っていたんだ。そこへ突然メジャーレーベルとの契約が舞い込んで、『完全に立ち直ったら、みんなに俺たちの実力を見せてやろうぜ』と思ったんだ」とマット(・ニコルス)は言う。
そうして生まれたのが、キーボード兼プロデューサーのジョーダン・フィッシュを新たに迎えた2013年の『Sempiternal』だ。その後のアルバムでさらに裾野は広がったが、メタルからの脱却を願っていたリスナーは、他のジャンルに手を出す彼らに苛立ちを募らせた。ポップロックの意匠を取り入れた『Thats the Spirit』(2015年)を皮切りに、アルバムリリースのたびにファン層は広がっていった。ここでまたもや反動が起きる。次のアルバム『amo』では、方向性を変える必要が出てきた。「俺たちはクリエイティブすぎて、正統派アリーナロックバンドにはなれないんだよ」とフィッシュは振り返る。「オリヴァーはクリエイティブ過ぎて、そういうバンドにはそぐわない。だから『amo』は、少々リセットして軌道修正するという感じだった」
Photo by Lindsey Byrnes
Photo by Lindsey Byrnes
「『amo』には何かが欠けていた。人々もそれを感じていたし、自分たちもそれに気が付いた」
6枚目のアルバム『amo』は2年間のレコーディング作業を経て2019年にリリースされた。このアルバムで、彼らはアルバムチャートNO.1とグラミー賞ノミネートという念願の夢を叶えた。だが皮肉にもこうした功績とはうらはらに、ファンではこれまで以上に賛否両論分かれ、批評家からの反応もいまひとつだった。この時の経験を踏まえて生まれたのが、4枚組EPというアイデアだ。アルバムの形式に手間暇かけた分だけ、ストレス要因も大きくなる。
オリヴァーの場合、『amo』にまつわる否定的な意見がしばらく脳裏から離れなかった。「俺は今でもあの作品を誇りに思ってるよ。でも精神的には応えるね。あれだけ手間をかけて上手くいったと思っても、たった1つの悪評で人生が台無しになる。自己肯定の基準が、アルバムのセールス枚数やNO.1獲得になってしまうんだ」。『amo』がグラミー賞を取れなかったことにもがっかりした。「周りの他のアーティストがみな自分よりもうまくやってて、ビッグになっている。そりゃあ精神をむしばまれるよ」と本人も言う。
他のメンバーは『amo』の限界をもっと素直に受け止めている。メインストリームで成功するために、「必要条件をすべてクリア」しようとした最初のアルバムだったことを、マット(・ニコルス)も認めている。ブリング・ミー・ザ・ホライズン独自のやり方に水を差したことが、裏目に出てしまったのだ。「『amo』には何かが欠けていた。人々もそれを感じていたし、自分たちもそれに気が付いた」と彼は言う。「アメリカに進出して、ファンの気持ちから離れてしまった。本当につらい時期だった。『ここでもう終わりだ』と思ったよ」
だが彼らは間違っていた。結果的に『amo』はブリング・ミー・ザ・ホライズンをさらに前進させ、新境地へ導くチャンスだったことが証明された。オルタナティブ・プレス誌のマーケティングディレクターで、ケラング誌の元編集者のサム・コール氏は、オリヴァーが再構築の必要性を感じていたことが、ぴったり型にはまったアーティストを好む大多数のヘヴィ・ミュージックのファンを魅了し、かつ分極化した要因だと考えている。「AC/DCは45年間のキャリアでずっと同じような曲書き続けています。ですが今の時代、45日間同じところに留まり続ければ取り残されてしまう。興味の持続時間が短くなっている世の中で、オリヴァーは若者の動向を誰よりもよくわかっています。デイヴ・グロールを看板にしたバンドより、オリヴァー・サイクスを先頭に今日結成されたばかりのバンドのほうが支持を集めるでしょう」
妻アリッサ・ソールズとオリヴァー・サイクス(Photo by Lindsey Byrnes)
安定感のある一目置かれた存在のデイヴ・グロールと、ベテラン勢に頼り切りの面白みに欠けるロック時代に現れたオリヴァー・サイクスのような次世代アーティスト。なんとも興味深い対比だ。バンドの今後の目標について尋ねると、リーもグロールの名前を口にした。「フー・ファイターズといえば世界中の誰もが知っている。俺たちはまだそこまで行っていない」。最新アルバムで時代の流れをとらえたブリング・ミー・ホライズンは、自らのレガシー構築にも取りかかった。この10年メインストリームでは伸び悩んでいたブリティッシュ・ロックを、窮地から救い出す孤高の存在として。
オリヴァーも近代ロックの伸び悩みを度々口にしていたが、今では少し気持ちが変わった。若手オルタナアーティストの台頭に触発され、スクリーモにおけるトラヴィス・バーカーのような存在となり、大勢の若手アーティストとのコラボレーションや宣伝を通じて若者文化を称え、自らも溶け込もうとしている。「新しいシーンのアーティストはみなブリング・ミー・ザ・ホライズンを聴いて育ってきた。自慢の子どもを持つ父親のような気分だよ」と彼は言う。以前よりヘヴィでギターに重きを置いた『Survival Horror』の成功を受け、ジョーダンもまたロックでの地位を確立したと感じている。「以前よりもロックバンド扱いされることに慣れてきたよ」と彼は言う。「ダサくてイケてない奴でいる必要はないんだ」
「エモの定義について、みんなそれぞれ意見が違う」
バンドとその仲間たちが、ハリウッドのウォーク・オブ・フェーム沿いを散歩している。ご機嫌なマット(・ニコルス)は、自分たちの星のプレートの場所を知りたがっている。ジョーダンがマネージャーに向かってジョークをがなり立てる。「アメリカに来たら星を取れるって言ってたよな!」。そこへオリヴァーも加わって、無邪気にこう言った。「まだまだ星を取れるかな?」
一行は夜9時半の就寝時間を過ぎても頑張って起きていた。Avalon Hollywoodのオルタナイベント「エモ・ナイト」で、パパローチのフロントマン、ジャコビー・シャディックスとともにオリヴァーがDJで出演するためだ。盛大なUKオルタナ・ナイト。あちこちでハッパとライトビールの匂いがする。ドレスコードは「プレイボーイの屋敷を訪れるアヴリル・ラヴィーン」なのだろうか、天使の羽やタータンチェック、ボディコンドレスにピンヒールがあふれていた。
初めのうちはステージ上のオリヴァーも、早朝5時のアフターパーティーで素面でいる人間のようだった。それもそのはず、この日は満員御礼。彼は礼儀正しく微笑み、幼い子どもにボールを投げるかのように、時折思い立ったようにマイクに向かってデスコアの叫びをあげた。やがて観客が思い思いに楽しんでいるのを見て、サイクスも肩の力が抜けてきたのか、満面の笑みをこぼし始めた。オリヴァー・サイクスがフィーダー「BuckRogers」をプレイし、自然な流れでSUM 41「Fat Lip」をカラオケ風に口ずさむ中、ジャコビーが逆立てた髪をヘッドバンギングする。客が動画を撮影していなかったら、こんな摩訶不思議な場面が現実のものだとは誰も信じてくれないだろう。
エモ・ナイトはさほどエモに特化していたわけでもなかった。もっとも、エモという言葉自体が今まではあまり意味をなさなくなっている。マット(・キーン)も言うように「エモの定義について、みんなそれぞれ意見が違う。それがこのジャンルらしいところだね」 。ハードコア? アコースティックギター? 悲しげなポップミュージック? ノスタルジックで単一的なTikTokのレンズを通してエモを知ったZ世代により、感情を揺さぶられるものにはほぼすべて、エモという言葉が多用されている。
『Sempiternal』の「Can You Feel My Heart」は、パンデミック中にTikTokで拡散した。Spotifyで1年に2億回もストリーミングされ、目下のところバンド最大のヒット曲となった。一夜にして新たな若者層に拡散し、オリヴァーもアプリ上でバンドの宣伝に駆り出された。
Photo by Lindsey Byrnes
こうした10代の若者にとって、オリヴァー・サイクスは事実上エモ界のゴッドファーザーだ。「『Can You Feel My Heart』は10年前の曲。(Myspace発信エモの)シーンの終わりごろに出た曲だ」と彼は言う。「この10年で極端なエモは消えてしまったが、今の若者によって再確認されている。だから俺たちにもチャンスが回ってきたんだと思うよ、俺たちは最高にエモだからね――それで俺たちは食っているわけだし」
来るEPシリーズ第2弾で目指すのは、「次世代エモ」サウンドの構築。2022年にも新鮮に感じられるよう、エモというジャンルを再構築するのだ。その一方で彼らはインスピレーションを求め、10代の頃にエモやスクリーモにのめり込むきっかけとなったお気に入りの曲も聞いている。テイキング・バック・サンデイ、マイ・ケミカル・ロマンス、ザ・ユーズド、グラスジョー。とくにジョーダンはグラスジョーに思い入れが深く、以前所属していたバンドでは、彼らの2枚目のアルバムにちなんで「Worship and Tribute」というバンド名をつけたほどだ。
2021年にリリースされたEPからのシングルカット第1弾「DiE4u」は、数カ月の実験の末に「次世代エモ」を形成しようとした最初の試みで、純粋なエモの領域をバックに、メロドラマティックで大胆なイメージを全面に押し出したポップロックだ(”本音を言うなら、君が僕の手首を切ってくれるなら/その血で僕は君の名前を心臓に刻もう”)。これでもかと言うほど濃密なコーラスは、「依存症」という主題にふさわしいおぼつかなさを漂わせる。
ブリング・ミー・ザ・ホライズンのアルバムは、どれもオリヴァーの人生の出来事――依存症、リハビリ、愛、離婚――をテーマにしている。次のEPも同様で、テーマは再生。自身の依存症からの回復を深く掘り下げることで、ポスト・パンデミック社会の再生、気候変動と葛藤する世界の再生にも言及したい、というのが彼の狙いだ。彼の意見では、自己嫌悪する人は他人を思いやったり、地球を救おうとしたりしたがらない傾向にある。
「この作品では、自分を大事にしろと伝えたいんだ。俺も自分をとことん嫌ってきた人間だからね」とフロントマンは説明する。「昔はよく、『自分を大事にしろ』なんて言われると吐き気がした――全然自分を大事にしてなかった。賞でもらったトロフィーなんかは全て棚にしまいこんで、目もくれなかった。職業を聞かれても、バンドをやってるとは一言も言わず、アパレル会社やレストランのオーナーだと答えていた。とにかくバンドの話はしたくなかったんだ。今は自分のことが大好きだ。鏡に映る自分の姿を見て、『よくやってるじゃないか』と言えるようになった。『俺はロックスターだ、バンドも上手くっている』とね」
オリヴァーとジョーダンの化学反応
彼が今セルフケアを支持しているのも、それが理由だ。オリヴァーをジムでの運動から阻むことはできない。彼のInstagramは昼ごろまで稼働していないし、チェックするのも必要な時だけだ。不必要に働きすぎることもなくなった。今回の作曲合宿でも、そうした境界はしっかり守られている。ある時プッシー・ライオットのナディア・トロコニコヴァが、合宿中に何曲仕上げるつもりかと彼に尋ねたところ、「1曲」という彼の答えを聞いて衝撃を受けていた。確かに約束通り、1曲はできた。その中には”部屋には見知らぬ人間が大勢集まって、救出策をあれこれ模索している”という歌詞が出てくる。会ったこともない人々がひしめく中、ファンがライブでこれを聴いたら、さぞかしすごいことになるだろうな、と彼は言う。この曲を仕上げる代わりに、彼らはスタジオ作業の最終日を利用してさらにアイデアを練るつもりだ。「バンド活動をつまらなくするようなプレッシャーを、一切取り除こうとしてるだけさ」と彼は肩をすくめた。
シリーズの今後のEPには様々なジャンルが盛り込まれる予定だ。3作目はフィッシュお得意のエレクトロ。4作目についてはむやみに期待を煽らないよう口をつぐんでいるが、リーいわく、「ヘヴィ」になりそうだ。シリーズに対するオリヴァーの異様なやる気とも一致する――歴史はいとも簡単に繰り返されるのだ。
オリヴァーがローリングストーンUK誌の撮影をしている間、ジョーダンはスタジオで壁にもたれて座りながら、静かに食事が到着するのを待っていた。やや覇気がないが、おそらく疲れているのだろう。実際のところEP第2弾の制作過程も順調に進み、彼も最終的には今回の合宿に満足していると言う。「出だしが一番面倒なんだ。まっさらな石板が目の前にそびえているような感じ。そりゃあもう恐ろしいよ」と、彼はすっぱり言い切った。シングル第2弾候補となる曲は未定だが、クリスマス休暇を家族と過ごした後、2022年初期の時点ですでにアイデアはてんこ盛りだ。
現時点の制作状況でオリヴァーはのんびりしているが、明らかにジョーダンはプロジェクトの完成という重荷を背負っている。自称「仕事の虫」の彼は、秩序と結果を好む。「僕の生活や気分は、曲の制作状況によって大きく変わるんだ」と本人も認める。「子どものころからずっと、仕事が不安を確実に沈めてくれる手段だった。だがもしかすると、それが悩みの原因だったのかもしれない」
Photo by Lindsey Byrnes
ジョーダンが加入して以来、彼とオリヴァーの間に生まれたゆるぎない化学反応がブリング・ミー・ザ・ホライズンの成功の方程式となった。2人の力関係は断固として揺るがない。オリヴァーが常軌を逸した天才だとしたら、ジョーダンは技巧派の巨匠。どちらか一方が欠けても上手く機能しない(「どの曲もオリヴァーとジョーダンの作品だよ」とマット・ニコルスもにこやかに語った)。
「オリヴァーは常にビジョンを持ったクリエイティブディレクターなんだ」とフィッシュも説明する。「正直なところ、僕は彼のビジョンの実現をサポートしているだけ。時には僕がアイデアを出して、彼からヒントをもらうこともあるけどね」。だからこそ合宿中も他のメンバーがジムに通っている間、ジョーダンはオリヴァーの創造力のヒントになるようなネタを揃えようと、一足早くスタジオで作業していた。感情的にも不安定になるし、上手くいく時もあればいかない時もある。これがジョーダンのやり方だ。「僕の作ったものが上手くいって、それが最終的に曲になった時の気分は最高だよ。逆に、どうにもならなかった時は最悪だけど」
年を重ねるにつれて、オリヴァーのリアクションを予想できる技能も研ぎ澄まされてきたのでは? 「全然だよ」とジョーダンは笑う。「いまだにさっぱりわからない。ただひとつわかるのは、ありきたりなものを出しても彼は絶対にYESと言わないってことだけだ」
Photo by Lindsey Byrnes
「ゆったり構えて、『俺たちは成功した』と堂々と言えるようになった」
今回のEPが必要なだけたっぷり時間をかけて制作されることはジョーダンも――少なくとも若干しぶしぶそうではあるが――覚悟を決めている。本来ならすぐに完成する予定だったが、現実的には、ブリング・ミー・ザ・ホライズンが自らに課す創意と高い制作基準は決して妥協を許さない。「僕らはロックバンドにしては求める基準がすごく高いと思うよ」とジョーダンも平然と言う。「どうでもいいような曲を交えて、『これでよし』と作品を出すバンドは多い。僕は毎回、『俺たちの作品は今年ロック界で最高のアルバムになる』って思えるようにしたいんだ」
とは言えども、夏前には完成する予定だ。バンドにとっては記念すべき瞬間になるだろう。ちょうど2022年8月にはレディング&リーズフェスティバルで、アークティック・モンキーズらと並んでのヘッドライナーを務めることになっている。フェスティバルの編成担当ジョン・マッキルドウィ氏は「昔からブリング・ミーはレディング&リーズのヘッドライナー向きだった。あとはタイミングの問題だった」と言う。マッキルドウィ氏は2021年アリーナツアーの際にロンドンO2での公演を見て、彼らこそヘッドライナーだと感じた。「今のロックを代表するようなショウだった。それでいてジャンルの枠を壊すようなところもあった」。プロモーション会社Festival Republic社のマーケティングディレクター、メルヴィン・ベン氏も同意見だ。彼もまた同じ公演を目にしている。「ブリング・ミー・ザ・ホライズンを引きずり出して、フェスティバルのヘッドライナーに据えるには一筋縄ではいかない。彼らの意思と、こちらの覚悟次第だね」
レディング近郊のニューベリーで育ったジョーダンにとって、レディング&リーズフェスティバルは10代からの夢だった。一方オリヴァーは、モッシュできる音楽を作る以外のことしか頭になかったという。だが今回を皮切りに、2023年以降も他のUKフェスティバルでヘッドライナーを務めることになるだろう。そうした流れは、オリヴァーが見出したばかりの自身や自愛ともマッチする。人は内面が変わると、声のトーンや表情にもそれが現れるものだ。本人相手ではなく、彼らの遠い親戚と話をしているような印象を受ける。そこが2010年代にサイクスと取材したときと違う点だ。LAでの彼は笑顔を――正真正銘の笑顔を頻繁にのぞかせ、まるで生まれ変わったかのようだ。
10年来に誕生したヘッドライナー級バンドのフロントマンだと自信をもって言えるようになったことで、オリヴァーも今まで感じたことのない安心感と安堵感を覚えている。この18年間、葛藤やダメだしに満ちた世界でもまれた末、彼はようやく安心して王座に腰を据えることができたのだ。「ゆったり構えて、『俺たちは成功した』と堂々と言えるようになった。今まではそんな風には絶対に思えなかった」と本人も言う。「ずっとあがいたり、おだてたり、もがきながら、なんとか生き残ろうとしていた。常に戦っているような感じだった。結成当初から俺たちは憎まれっ子のお騒がせバンドだったからね。いつもはみ出し者というか、厄介者のような気分だった。でも今は大丈夫。俺たちはビッグなバンドなんだ」
from Rolling Stone UK
<INFORMATION>
Bring Me The Horizon | ブリング・ミー・ザ・ホライズン
最新シングル 「DiE4u | ダイ・4・ユー」 配信中
https://sonymusicjapan.lnk.to/BMTH_DiE4URS
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スポニチアネックス / 2024年11月26日 20時9分
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2「出しちゃダメ」「復活して」純烈、武道館に“DV報道”元メンバー登場で乱れるファン心理
週刊女性PRIME / 2024年11月26日 16時0分
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3橋本環奈 昔からの悩みを激白 一方で「毎日の楽しみ」明かしフォロワー反応「乾杯」「似合う」の声
スポニチアネックス / 2024年11月26日 21時15分
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4「火曜サザエさん」27年ぶり復活!「懐かしすぎ」ネット歓喜「さすが昭和」「時代感じる」「涙が…」
スポニチアネックス / 2024年11月26日 19時11分
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5「また干されるよ」ヒロミが「もう辞めるか?」のボヤキ、視聴者が忘れないヤンチャ時代
週刊女性PRIME / 2024年11月26日 11時0分
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