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ティアーズ・フォー・フィアーズの歩み 80s黄金期と復活劇、カニエも魅了した「疎外感」

Rolling Stone Japan / 2022年2月28日 18時0分

ティアーズ・フォー・フィアーズ(Photo by Frank Ockenfels)

ローランド・オーザバルとカート・スミスによるティアーズ・フォー・フィアーズ(Tears For Fears、以下TFF)が、18年ぶりとなるニューアルバム『ザ・ティッピング・ポイント』をリリースした。

ベテランバンドのリリースに長いインターバルがおかれること自体は、決して珍しくはない。ミュージシャンはキャリアを積み重ねるほど、発表のハードルが上がっていくものだし、ファンも想い出のナンバーを聴ければ満足な状態になっていくからだ。しかしTFFに関して言えば前者はともかく、後者については当てはまらない。彼らはこの18年の間に大量の新規ファンを獲得しているからだ。なぜベテランバンドがそんなことを可能にしたのかは後々書くとして、まずはTFFの歴史を振り返ってみよう。


運命のふたり、TFF結成までの軌跡

物語の発端は、13歳のローランドが、両親の離婚に伴って移り住んだイングランド西部の地方都市バースで、同じく離婚家庭に育ったカート・スミスと出会った70年代半ばまで遡る。ふたりは音楽を一緒に作るようになり、高校時代にネオモッズなスカバンド、グラデュエイトをスタート。このバンドが作曲家トニー・ハッチの目に留まると、キンクスやドノヴァンが所属していたことで知られる名門パイ・レコードから1980年にメジャーデビューを果たしたのだ。このときふたりは弱冠19歳。




9曲をローランド、1曲をカートが作曲したグラデュエイトのアルバム『Acting My Age』を聴くと、音楽性こそTFFとは異なるものの、10代が作ったとはとても思えない楽曲の完成度に驚く。「英国のバカラック」の異名をとったハッチも、ふたりの作曲能力に惹かれたのだろう。演奏能力も相当なものだ。後にふたりが生楽器のセッション・ミュージシャンを縦横無尽に使いこなせたのも、彼ら自身が優秀なミュージシャンだからだろう。

そんなグラデュエイトだが、本国でのセールスはさっぱりだった反面、シングル「Elvis Should Play Ska」が、スペインでトップ10入りするヒットになったことで、ヨーロッパ諸国で過酷なプロモーション・ツアーを行うようになってしまう。もともとインナー派だったローランドとカートは疲弊し、グラデュエイトはすぐに空中分解してしまったのだった。

次の活動を模索するローランドとカートは、地元バースのネオンというバンドにセッション参加する。この経験がふたりに天啓をもたらした。ネオンの中心人物ピート・バーンとロブ・フィッシャー(ふたりはこの直後、ネオンをネイキッド・アイズと改名し、ヒットを連発する)は、バンド演奏にこだわらず、シンセサイザーとプログラミングによって楽曲の魅力そのものをアピールする手法を取っていたからだ。


ネオン時代の楽曲「Communication Without Sound」(ネイキッド・アイズのコンピレーション『Everything & More』収録)

こうしたアイデアは、ネオン〜ネイキッド・アイズに限らず、80年代前半の英国ロック界の流行でもあった。OMDやソフト・セル、ユーリズミックス、ヤズーなど、シーンには続々ユニークなバンドが登場しつつあった。もともとソングライター志向だったローランドとカートもこの流行に乗った。ふたりは、少年時代に抱えていた孤独や疎外感を、打ち込みサウンドに乗って歌うバンド、TFFをスタートさせたのだ。

黄金期の名曲たち、後世に与えた影響

1981年にデビューしたTFFは、キーボーディストにイアン・スタンレー、ドラマーにネオンで僚友だったマニー・エリアスを迎えると、3枚目のシングル「マッド・ワールド」が大ヒット。続いて「チェンジ」「ペイル・シェルター」もヒットし、これらの楽曲を収録した1stアルバム『ザ・ハーティング』は1983年に全英1位を記録した。




しかしローランドとカートはそれだけで満足せず、ネクスト・ステップ=世界での成功を目指した。このためにふたりが不可欠と考えたのは、躍動感やダイナミズムをクールな打ち込みサウンドに持ち込むことだった。そのアイデアは間違っていなかった。スタンリー、エリアス、そしてプロデューサーのクリス・ヒューズと共にスタジオで繰り返された試行錯誤の末に1985年に発表されたアルバム『シャウト』は全英2位を記録するだけでなく、米国では首位に輝いたからだ。また同作からは「シャウト」(英2位、米1位)、「ルール・ザ・ワールド」(英・米1位)、「ヘッド・オーヴァー・ヒールズ」(米3位)と次々ヒット曲が生まれ、TFFはデュラン・デュランやワム!ら第二次ブリティッシュ・インヴェンジョン勢の中でも最大級のバンドとなったのだ。




『シャウト』で空前の成功を収めたローランドとカートだったが、彼らは更なる変化を恐れなかった。他のメンバーと訣別したふたりは、当時全くの無名だったアフリカ系女性シンガー、オリータ・アダムスをはじめ、 ピノ・パラディーノやマヌ・カチェ、そしてフィル・コリンズといった腕利きミュージシャンをゲストに迎えてオーガニックなサウンドの構築へと突き進んだのだ。

1989年に発表されたアルバム『シーズ・オブ・ラヴ』は全英1位、全米8位を記録し、ビートルズからの強い影響を感じさせるタイトル曲は全英5位、全米2位のヒットとなり、TFF健在を印象付けた。しかしこの直後バンドに転機が訪れる。完璧主義者のローランドと私生活を優先したいカートの対立が決定的なものとなり、ワールドツアー終了後にカートが脱退してしまったのだ。



残されたローランドは、TFFをソロ・プロジェクトとして続けることになり、1993年に『ブレイク・イット・ダウン・アゲイン』(英5位、米45位)、1995年に『キングス・オブ・スペイン』(英41位、米79位)をリリースしている。サウンドはより研ぎ澄まされ、アダルトなロックとしては申し分のない出来だったが、以前ほどの成功は収められなかった。当時は表現力よりパッションを重視するグランジ・ロックの全盛期で、TFFの繊細な音楽性は、時流から外れてしまっていたのだ。こうした状況に失望したローランドはTFFを休止してしまう。

しかし本物の音楽は必ず見直されるものだ。グランジ・ブーム終焉後の2001年に公開され、カルト人気を博したティーンムービー『ドニー・ダーコ』の劇中で「マッド・ワールド」「ヘッド・オーヴァー・ヒールズ」が使用されると、TFFの再評価がにわかに高まったのだ。このときすでに友情を復活させていたローランドとカートは、TFFの再始動を決意。15年ぶりにカートが復帰したアルバム『Everybody Loves A Happy Ending』を2004年にリリースすると、かつては嫌がっていたライブツアーも精力的に行なうようになった。2012年にはサマーソニックで27年振りの来日も果たしている。


『ドニー・ダーコ』サントラより「マッド・ワールド」 歌:ゲイリー・ジュールズ、編曲:マイケル・アンドリュース

その後もTFFの評価は高まり続けた。「ルール・ザ・ワールド」は、ロードやウィーザーにカバーされ、『レディ・プレイヤー・ワン』『バンブルビー』といった映画でも使用されるなど、80年代を代表するポップソングとして扱われるようになった。

ヒップホップ・シーンにおけるサンプリング・ネタとしても、TFFの人気が急上昇した。「チェンジ」「アイディアズ・アズ・オピエイツ」「シャウト」「ヘッド・オーヴァー・ヒールズ」「ペイル・シェルター」は、それぞれデヴィッド・ゲッタ「Always」、ドレイク「Lust for Life」、バスタ・ライムズ「Im Talking to You」、M.O.P.「187」、そしてウィークエンド「Secrets」にサンプリング/引用されている。




こうしたサンプリングの中でも、カニエ・ウエスト「Coldest Winter」は特筆すべきだろう。というのも、母の死を発端とする孤独をテーマにしたコンセプトアルバム『808s & ハートブレイク』のラストを飾るこの曲は事実上「想い出は消え失せて」(原題:Memories Fade)の替え歌なのだから。カニエはTFFのサウンドだけでなく、孤独と疎外感をもサンプリングしたのだ。




「転換点」を示すニューアルバム

『ザ・ティッピング・ポイント』は、こうしたTFFブーム後の初のアルバムとなる。しかしローランドが「このアルバムがうまく行くには、一旦全てにおいて間違わなければならなかった」と語るように、制作には長い試行錯誤期間を要した。

ふたりが最初に行ったのは、多くのベテランバンドが近年行なっているのと同じように、若いヒットソングライターたちと共作を試すことだった。しかしこれは上手くいかず、ジェームズ・ブラントやマイリー・サイラスへの楽曲提供で知られるサシャ・スカーベックとのセッションを除いてボツになったようだ。

そうこうしているうちに2017年、ローランドの当時の妻キャロラインが亡くなり、翌年にはローランドが深刻な健康不安に陥ってしまう。こうした経験を通してローランドは、幼い頃から続くカートとの絆を再確認し、長年のコラボレーター、チャールトン・ペタスとの三人でのレコーディングを再開したという。



Photo by Frank Ockenfels

こうして完成した『ザ・ティッピング・ポイント』の音楽性は、ビートルズに代表される英国クラシック・ロックと、TFFも一翼を担ったニューウェイヴ、アナログな演奏とデジタルのテクノロジーが巧みにミックスさせたフレッシュなロックンロール。

そんなサウンドに乗って歌われる歌詞は、孤独や疎外感を抱えながら育った少年が、大人になって向き合った現実を歌ったものだ。「ブレイク・ザ・マン」では家父長制についての懐疑が歌われ、「プリーズ・ビー・ハッピー」ではローランドがキャロラインの痛ましい死について振り返っている。アルバムのラストを飾るのは、カートがリードヴォーカルをとる 「ステイ」。実はTFFを再び脱退しようと考えていた時期に書かれた曲だそうだが、そんな楽曲の仕上げをローランドとともに行っているわけだから、現在のふたりの関係は少年時代のように良好なのだろう。

なおタイトルの『ザ・ティッピング・ポイント』とは「転換点」を意味する言葉だ。COVID-19や気候変動、そして民主主義の危機など、転換点を迎えた今の世界に向けてTFFが放ったメッセージが若いリスナーの心にどんな種を撒いていくのか、楽しみでならない。





ティアーズ・フォー・フィアーズ
『ザ・ティッピング・ポイント』
発売中
視聴・購入:https://found.ee/pItlz

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