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ロバート・グラスパー『Black Radio III』絶対に知っておくべき5つのポイント

Rolling Stone Japan / 2022年2月28日 17時30分

ロバート・グラスパー(Photo by Mancy_Gant)

ロバート・グラスパーの最新作『Black Radio III』をより深く味わうために、「Jazz The New Chapter」シリーズで知られるジャズ評論家の柳樂光隆が監修した「ロバート・グラスパー相関図」が先ごろ公開。ここでは独自のプレイリストも交えつつ、柳樂にグラスパーの歩みと影響力について解説してもらった。


1. 「ゲームチェンジャー」としてのロバート・グラスパー

21世紀のジャズというより、今日までにおけるライブ・ミュージックの領域において、ロバート・グラスパーが果たした貢献はとてつもなく大きい。

「ジャズとヒップホップ/R&Bを融合した」と評されがちだが、幼少期にゴスペルから出発して、高校〜大学でジャズを学び、同時にヒップホップ/R&Bのセッションにも顔を出してきたグラスパーは、そもそもジャンルが分かれているという意識が極めて希薄だ。さらにグラスパーが特別だったのは、それぞれの領域にまつわる演奏テクニックや深い知識をもち、歴史への敬意を払ったうえで、それでも分け隔てなく演奏するところにある。

セロニアス・モンクとJ・ディラのどちらも敬愛し、「モンクの演奏は(J・ディラ同様に)クオンタイズされていなくてヒップホップ的だ」と言ったかと思えば、自身の演奏スタイルをブラッド・メルドー、マルグリュー・ミラー、チック・コリア、ハービー・ハンコックからアート・テイタムまで、ジャズ・ピアノの系譜を遡りなら説明してみせる。そこでアーマッド・ジャマルの話を振れば、彼の代表曲「I Love Music」がナズ「World is Yours」のサンプリング・ソースであることに言及しつつ、いかにヒップホップ的なピアニストだったか解説してくれる。


グラスパーが実演も交えて、ジャズとヒップホップの関係性を説明している動画

それがどんな意味をもつのか、具体例を挙げつつ説明しよう。グラスパーがピアノ・トリオで録音した2007年の傑作『In My Element』には、J・ディラがプロデュースした4曲をメドレー的に演奏した「J Dillalude」という曲が収録されている。



そのなかで取り上げられている楽曲は以下のとおり。

コモン&スラム・ヴィレッジ「Thelonius」
ジェイ・ディー「Doo Doo」
スラム・ヴィレッジ「Fall in Love」
デ・ラ・ソウル「Stakes Is High」


Vol. 2 Vintage (EP) by J Dilla



いずれもJ・ディラがプロデュースした人気曲だが、ここでは各楽曲のサンプル・ソースにも注目してみたい。

ジョージ・デューク「Vulcan Mind Probe」
ジャッキー&ロイ「Deus Brasileiro」
ギャップ・マンジョーネ「Diana in the Autumn Wind」
アーマッド・ジャマル「Swahililand」






J・ディラが手がけたトラックとそれぞれのソースを聴き比べると、いずれもピアノやキーボードのフレーズを抜いて、それをループさせることで、メインとなるウワモノになっていることに気がつくだろう。

かたやグラスパーは「J Dillalude」において、その抜かれたフレーズを自身のピアノで演奏している。つまり、レコードから鍵盤楽器のパートをサンプリングして作ったトラックを、鍵盤楽器メインの生演奏にもう一度戻すかのようにカバーしているわけだ。

グラスパーは2009年に発表した次作『Double Booked』でも、セロニアス・モンク「Think of One」をカバーしながら、デ・ラ・ソウル「Stakes Is High」を再び取り上げているが、ここでは同曲のフレーズを同じようなニュアンスで繰り返し、セッション中に何度も挿入している。もはやカバーというより、人力サンプリングと呼ぶほうがしっくりきそうだ。そもそもグラスパーにとって、モンクは上述のとおりJ・ディラ同様の「ノット・クオンタイズ」な音楽家であり、「Stakes Is High」でJ・ディラにサンプリングされたアーマッド・ジャマルは、グラスパー曰く「カットアップしなくても、そのままの演奏がヒップホップ的」なピアニストであるわけだから、この画期的なセッションも彼のなかでは当然の営みなのだろう。




グラスパーはそんなふうに、ジャズとヒップホップの文脈を幾重にも織り込みながら音楽を作ってきた。そして、ジャズのレコードをサンプリングしたり、打ち込みのビートに生演奏を組み合わせたり、録音した生演奏をサンプリングして再構築したりするのではなく、生演奏のセッションにヒップホップ的な要素を内包させることを可能にした。そして、『In My Element』と『Double Booked』の成功を経て、2012年にリリースされた『Black Radio』が決定打となり、グラスパーの手法はたちまち世界中に広まっていく。



彼の音楽はジャズ奏者の背中を押すだけでなく、ソウル/R&Bのミュージシャンも刺激した。そして、音楽シーンにインスピレーションを与えるだけでなく、ヒップホップの要素を生演奏で表現できるミュージシャンの起用という新たな選択肢をもたらした。

その典型的な例が、『Double Booked』からグラスパーを支えてきた敏腕ドラマーのクリス・デイヴ。彼はJ・ディラ由来のズレたビートを生演奏にトレースしつつ、打ち込みのビートにはない変化と即興性でもって、プレイに様々なバリエーションをもたらし、ドラミングの可能性を一気に押し広げた。クリスが後年、復帰後のディアンジェロ、アデルや宇多田ヒカルに起用されてきたのは周知のとおりだ。





こういったミュージシャンの存在を世に知らしめ、彼らがもつポテンシャルをシーン全体に普及させたのもグラスパーの功績と言えるだろう。彼の方法論はジャズやヒップホップのみならず、ロック、ソウル、ファンク、ゴスペル、エレクトロニック・ミュージックなど様々な分野のミュージシャンが参加できる、どこまでも自由で魅力的なゲームだった。これによって多くの音楽やプロデューサーが繋がり、新たな音楽の呼び水になっていった。

そして、『Black Radio』から3年後、グラスパーも参加したケンドリック・ラマーの傑作『To Pimp a Butterfly』が発表される頃には、また新しい変化が訪れていた。「グラスパー以降」の世界では、高度なスキルやアカデミックな素養をもち、同業のミュージシャンに尊敬され、重要作のクレジットに名を連ねながら、それまで注目される機会の少なかった才能にスポットが当たるようになった。フライング・ロータス『Youre Dead!』、デヴィッド・ボウイ『★』といった同時期の重要作もその流れから生まれたものだ。

さらに、グラスパーの活躍はケイトラナダやトム・ミッシュなどベッドルーム出自の音楽家も刺激し、マカヤ・マクレイヴンのような生演奏とポスト・プロダクションを自在に同居させる次世代ミュージシャンの登場も促した。ジャンルの境界線を押し広げることで、ハイエイタス・カイヨーテやジ・インターネットを筆頭とした「フューチャー・ソウル」の台頭を促したのもグラスパーである。さらに、サウンド面から方法論まで一連の影響力が、UKロンドンにおける新しいジャズ・ムーブメントを引き起こす土壌になった(同地のミュージシャンに取材すると、グラスパーの名前がかなりの頻度で挙がる)。


グラスパーのサウンドと近いフィーリングがある曲を集めたプレイリスト

グラスパー自身もその「汎用性」を誇示するように、R+R=NOW、オーガスト・グリーン(コモン、カリーム・リギンス)、ディナー・パーティー(テラス・マーティン、ナインス・ワンダー、カマシ・ワシントン)と様々なプロジェクトに参加しながら、いつも彼らしい演奏を届けてきた。高度で複雑なものを(理路)整然と聴かせるグラスパーの音楽は、聞き手を圧倒するというよりは「この複雑さを奏でてみたい」と思わる魅力がある。だからこそ、彼の音楽は分析され、誰かのインスピレーションになり、共有され、広まっていった。





ここで現代ジャズきってのギタリスト、リオーネル・ルエケの発言を引用しよう。

「ロバート・グラスパーは、R&Bとジャズをユニークな方法で組み合わせることで、トップ・レベルのゲームのあり方を変えた。彼は僕らの世代の最も偉大なピアニストであり、素晴らしい作曲家であり、レコード・プロデューサーなんだ」 

2. 『Black Radio』が提示した新しいフォーマット

2012年発表の『Black Radio』は(ジャズではなくR&B部門で)グラミー賞を受賞。翌年発表の続編『Black Radio 2』とともにセールス面でも大きく飛躍した、グラスパーの代表作である。

僕は以前、グラスパーと2005年に契約したブルーノートの前A&R、イーライ・ウルフを取材したことがある。イーライは同年発表の『Canvas』から『Black Radio 2』(2013年)までグラスパー作品のプロデュースも手掛けてきた。もともとはヒップホップのDJで、Jディラにブルーノート楽曲のリミックスを依頼したりもしてきた人物だ。

イーライは『Black Radio』について、「ロイ・ハーグローヴ率いるRHファクター『Hard Groove』(2003年)のグラスパー版を作ろうというのが始まりだった」と語っていた。

ロイは当時、若手トップのジャズ・トランぺッターでありながら、ソウルクエリアンズの一員としてディアンジェロ『Voodoo』、エリカ・バドゥ『Mamas Gun』、コモン『Like Water for Chocolate』に参加していた。彼はジャズのアイデンティティと、ヒップホップやR&Bの現場で培った経験の両方を活かし、独自の音楽を作ろうとしていた。そうして生まれた『Hard Groove』は、ジャズやセッションのシーンに多大な影響を与えることになる。



かくして、RHファクターは最初のツアーに出るわけだが、そこでレギュラー・ピアニストのボビー・スパークス(現在はスナーキー・パピーの鍵盤奏者)の代役として起用されたのが、若き日のロバート・グラスパーだった。

グラスパーは当時、大学の同級生であるR&Bシンガーで、ソウルクエリアンズとも活動していたビラルのデビュー作『1st Born Second』(2001年)に関わっており、NYやフィラデルフィアで催されたネオソウル系セッションの常連でもあった。RHファクターに召集されたのも頷けるだろう。



『Black Radio』収録曲「Letter to Hermione」のパフォーマンズ映像。ビラルは『同2』にも客演、近年もグラスパーとの共演多数。

『Hard Groove』はジャズ奏者やソウルクエリアンズの面々によるラフなセッションが中心で、エレクトリック・レディ・スタジオにて即興のラップや歌を乗せたジャム音源を、エンジニアであるラッセル・エレヴァードが多少の手を加えてまとめた作品だった。しかし、グラスパーが『Black Radio』でめざしたのは、『Voodoo』のような緻密なスタジオ・ワークとも、『Hard Groove』におけるセッション的なラフさとも一線を画すものだった。

『Black Radio』に録音された演奏はほとんどワンテイク。それなのに、綿密なポストプロダクションを施したかのような完成度を誇っている。さらに、歌が中心にあるポップな作りであるはずなのに、バックの演奏には独特の緊張感がある。この緊張感をもたらしているのが、ジャズ・ミュージシャンならではの繊細さや大胆さを持ち合わせた演奏で、それによってこれまでに聴いたことがない情感や質感があった。

グラスパーはここでソロを意図的に省いており、ゲスト陣の声を前面に立てようとしているが、結果的に『Black Radio』はミュージシャンの凄まじい演奏スキルが多く語られる作品となった。一発でOKテイクを決める集中力、それを可能にする精度の高さ、さりげなく込める遊び心のバランスを含んだ演奏は、はっきり言って超人的だ(もちろん、その演奏のうえで歌うラッパー/シンガーにも、ジャズやヒップホップ、R&Bなど複数の文脈を行き来できる感性やテクニックが要求されるわけだが)。



『Black Radio 2』のライナーノーツには、こんな一文が太字で添えられている。

”There are No Programmed Loops on This Album. Everything You hear was played live.”
(本作にプログラムされたループは入っていない。聞こえるのはすべて生演奏である)

『Black Radio』はひとつの完成されたフォーマットを提示し、明確に「以前・以後」を作り出した。リスナーは演奏に宿る技術や意図だけではなく、上述してきたような文脈まで聴きとるようになった。その状況が多くのミュージシャンを勇気づけ、彼らのチャレンジを後押ししたことは言うまでもない。

僕自身もジャズ評論家として取材を重ねながら、「自分たちがやっている音楽の新しさが理解されるようになった」と希望や自信を口にするミュージシャンを何度も目の当たりにしてきた。グラスパーの成功は、シーン全体の意識にも変化を起こしたのだ。

3. 『Black Radio』ゲスト陣に見る「オーセンティシティ」

RHファクターの『Hard Groove』は、ロイが父親から「ジャズだけではなく、もっと現代的な音楽もやってほしい」と言われたのをきっかけに生まれたという。かたや『Black Radio』は、プロデューサーを務めたイーライが「作品を重ねるごとに少しずつヒップホップ/R&Bの要素を濃くしていった」と述懐しているように、ブルーノート契約時から階段を一段ずつ登り、ジャズ・シーンでの評価を確立しながら、計画的に用意されたアルバムだった。

『Black Radio』についてはもう一つ、このプロジェクトが新奇性や同時代性より、オーセンティシティや普遍性を追求してきたことも重要だ。

ヤシーン・ベイ(モス・デフ)が命名した『Black Radio』というタイトルは、航空機が事故を起こした際に、飛行データや機内の会話などを保管しておくブラックボックス(フライト・データ・レコーダーの通称)に由来するもので、社会やトレンドにどんな変化が起きても、永く残り続ける音楽のメタファーとして使われている。



『Black Radio』は革新的な試みだったが、トレンドとは無縁の作品でもある。グラスパーはオーセンティシティを何より重視しており、参加するシンガーやラッパーにも(ネームバリューではなく)高度な技術を求めている。そのルールに気づくと、シリーズの見え方が少し変わってくるだろう。


『Black Radio』参加アーティストの関連曲をまとめたプレイリスト

そういった姿勢はゲストの人選にも明らかだ。ヒップホップの世界でよくあるように、話題性重視でポップスターやニューカマーを起用するようなことは、これまでのシリーズを通じて一切していない。むしろ、グラスパーよりも年上で、彼が中高生だった頃のスターが多く起用されている。

例えば、1994年に「I Wanna Be Down」をヒットさせたブランディ。もしくは、パフ・ダディとの名曲「Ill Be Missing You」(1997年)で知られるフェイス・エヴァンス。『Black Radio』に参加した2012年の時点で、彼女たちは「ひと昔前の人」だったが、その実力はまったく衰えていなかった。実際、ブランディはこのあとダニエル・シーザーやアンダーソン・パークなどの作品に参加しているし、フェイス・エヴァンスもスヌープ・ドッグのゴスペル・アルバム『Bible Of Love』で、錚々たるシンガーたちとその歌を聴かせている。




ほかにも、オーガニック・ソウルの代名詞ことインディア・アリーは、日本では2001年のアルバム『Acoustic Soul』がヒットしたイメージで途切れているが、2020年にグラミー賞を受賞するなど近年のキャリアも充実している。メイシー・グレイも『Black Radio』以降、ジャズ・アルバム『Stripped』(2016年)など意欲的なリリースを続けている。『Black Radio』はこういった実力派の中堅シンガーに、これまで歌ってこなかったタイプの演奏でチャレンジを促す場所でもあるわけだ。その一方で、タイトル通り「ブラックのためのラジオ」という意味合いも込められており、「幅広い世代のアフリカン・アメリカンが楽しめるラジオ・ヒット」を意識したゲスト陣が揃っている(その意味合いは、この記事を読むと伝わりやすいかもしれない)。


『Black Radio 2』参加アーティストの関連曲をまとめたプレイリスト

さらに、『Black Radio』はグラスパー自身のルーツを反映しながら、ブラック・ミュージックの歴史と誠実に向き合い、伝統や文化を未来に受け継ぐためのシリーズでもある。実際、『1』のリリースによってソウルクエリアンズやJ・ディラの音楽が再び語られるようになり、そこから新しいポップ・ミュージックがいくつも生まれてきた。グラスパー自身もコモン、ビラル、ヤシーン・ベイやタリブ・クウェリ、Qティップ、エリカ・バドゥとの関係は深く、彼らはいずれも『Black Radio』シリーズに参加している。ただ、その文脈はあくまでシリーズの一側面に過ぎない。

グラスパーは並行して、ソウルクエリアンズと同時期にネオソウルと括られたフィラデルフィアのシーンから、ミュージック・ソウルチャイルドやジル・スコット、マーシャ・アンブロージアスを起用してきた。その話でいうと、『Black Radio III』にDJジャジー・ジェフも参加している点も見逃せないだろう。ウィル・スミスとのコラボで80年代から活躍し、2000年代にはフィリーのネオソウルを盛り上げた名プロデューサーとして知られる彼は、若い音楽のスキルアップやメンタルヘルスの安定を促すプロジェクト「PLAYLIST Retreat」を主催し、ムーンチャイルドやキーファーなど多くのミュージシャンに慕われている。こういったベテランを起用するあたりに、グラスパーの現在の立ち位置が表れている気もする。



4. 『Black Radio III』における変化と一貫性

グラスパーはもちろん、懐古趣味でベテランばかり揃えているわけではない。今回の『Black Radio III』では、H.E.R.やイェバといった若手シンガーや同世代の起用も目立つ。もちろん、H.E.R.は昨年グラミー賞とアカデミー賞を獲得しており、イェバもサム・スミスやエド・シーランとの共演に加えて、ジャズ界隈でも早くから注目を集めてきたわけで、あくまで実力重視というスタンスは今回も揺らいでいない(H.E.R.は2021年、ハリウッド・ボウル公演のオーケストラ・アレンジを、「グラスパーの右腕」ことベーシストのデリック・ホッジに委ねている)。


イェバは、グラスパーが2019年に発表したミックステープ『Fuck Yo Feelings』にも参加

また、『Black Radio III』では、これまでノラ・ジョーンズを除いて起用してこなかったジャズ界隈から、エスペランサ・スポルディングとグレゴリー・ポーターを起用している。彼らは2012年にソウル/R&B寄りの傑作『Radio Music Society』『Be Good』をそれぞれリリースしており、両者のヴォーカリストとしての可能性をさらに引き出すための起用だろうと僕は見ている。

『2』から『III』に至るまでの大きな変化としては、グラスパーが拠点をNYからLAに移したことが挙げられる。その背景には盟友テラス・マーティン(ケンドリック・ラマーのプロデューサー)との活動が増えたことが大きく、2019年のミックステープ『Fuck Yo Feeling』ではラプソディやSiR、『Black Radio III』ではタイ・ダラー・サイン、D・スモークなど、テラス経由と思われるLAのラッパーが集結している。


『Black Radio III』参加アーティストの関連曲をまとめたプレイリスト

グラスパーのLA移住についてはもう一つ、2016年にマイルス・デイヴィスをモチーフにした映画『Miles Ahead / マイルス・デイヴィス 空白の5年間』の音楽を担当して以来、2020年公開の映画『The Photograph』サントラなど、映画やTVの仕事が増えたことも関係しているようだ。『グリーンブック』のクリス・バワーズ、『ソウルフル・ワールド』のジョン・バティステをはじめ、ミシェル・オバマのドキュメンタリー『マイ・ストーリー』(原題:『Becoming』)に携わったカマシ・ワシントンなど、映画の世界で活躍するアフリカン・アメリカンのジャズ音楽家が近年増えている。グラスパーもこのあと、90年代にウィル・スミス主演で大ヒットしたTVシリーズ『The Fresh Prince of Bel-Air』リメイク版の音楽をテラス・マーティンと共に手掛けることを発表している。

ジェニファー・ハドソンを『Black Radio III』に、アンドラ・デイを『Fuck Yo Feeling』に迎えているのは、そんな話とも関係あるのかもしれない。前者は『リスペクト』でアレサ・フランクリン役、『ドリーム・ガール』でスプリームスを模した役を務め、後者は『ザ・ユナイテッド・ステイツvs.ビリー・ホリデイ』で主役のビリー・ホリデイを演じている。この起用もまた、グラスパーが追求してきたオーセンティシティそのものだろう。




グラスパーが映画やTVの業界に進出するうえでは、先に役者業で活躍していたコモンやヤシーン・ベイの存在も大きかったはずだ。特にコモンとは『Black America Again』 (2016年)など近作でも密接にコラボしている。同作収録の「Letter To Free」は、アメリカの構造的な人種差別による黒人の大量投獄を告発したドキュメンタリー映画『13th』に使われているほか、グラスパーも交えてオバマ政権時代のホワイトハウスでも演奏された。この「構造的な人種差別」というテーマは、そのまま『Black Radio 3』にも受け継がれている。



コンシャス・ラッパーの代表格であるコモンと同様、グラスパーもアフリカン・アメリカンのコミュニティについて積極的に発言し、みずからの音楽を通じてメッセージを発信してきた。2015年作『Covered』でのケンドリック・ラマー「Im Dying of Thirst」のカバーも振り返っておこう。原曲ではケンドリックが生まれ育った地域におけるアフリカン・アメリカンたちの貧しさや不平等、人種差別、そこから起きる暴力や殺人を歌っていて、殺された仲間のために報復を行おうとする青年たちを女性が諭し、祈りをささげ、報復を思いとどまるストーリーが描かれている。その曲にグラスパーは、エリック・ガーナーやマイケル・ブラウン、トレイヴォン・マーティンなど警官により殺害された黒人たちの名前を読み上げる言葉とともに、優しく祈るようなピアノを重ねていた。

そう考えると、『Black Radio III』でキラー・マイクとの邂逅を果たしたのも頷ける。ラン・ザ・ジュエルズのラッパーでありながら活動家としての顔も持ち合わせ、2020年にBLM運動が過熱するなかで行われたスピーチも記憶に新しいところ。彼をフィーチャーした『Black Radio III』のリード曲「Black Superhero」にも、コミュニティへの眼差しが感じられる。




キラー・マイクの演説と同じ頃、BLMと呼応するようにテラス・マーティンが「Pig Feet」、コリー・ヘンリーが「Dont Forget」、キーヨン・ハロルドが「MB Lament」という楽曲を発表している。社会問題を作品に反映させるのは、グラスパーがたびたび尊敬の念を語ってきたニーナ・シモンの言葉「アーティストには時代を反映させる責任がある」にも通じるもの。グラスパーは2015年にニーナ・シモンのトリビュート・アルバム『Nina Revisited...』をプロデュースしているほか、過去にはコモン、ミシェル・ンデゲオチェロ、レデシーがニーナのトリビュート盤を制作しており、グレゴリー・ポーター、ラプソディ、アンドラ・デイもニーナに捧げた楽曲やカバーを録音している。グラスパーの周りに集まる音楽家たちは、みんな深い部分で共鳴し合っているのだろう。





グラスパー周辺を中心に、ニーナ・シモンのカバー/サンプリング曲を集めたプレイリスト

グラスパーの音楽は怒りや抗議だけでなく、慎みながら寄り添うやさしさも備えている。グラミー賞にも輝いた『Black Radio 2』の収録曲「Jesus Children」は、2012年12月に起きたサンディフック小学校銃乱射事件の被害者たちに捧げられたもの。ここでグラスパーはゴスペルそのものなアレンジと、レイラ・ハサウェイの歌声によって荘厳な祈りを奏でている。彼女に対するグラスパーの信頼は深く、唯一のシリーズ皆勤賞となった『Black Radio III』では、ティアーズ・フォー・フィアーズのカバー「Everybody Wants To Rule The World」をコモンと披露している。

ちなみに、グラスパーの音楽家人生の始まりは、ゴスペル・シンガーだった母に連れられた教会で伴奏してきたことだった(その母親を、彼もまた悲しい事件で失っている)。『Black Radio III』でゴスペル界隈のミュージシャンを多く迎え入れているのは、そんな背景も関係あるのだろう。コリー・ヘンリーはゴスペル界が生んだ気鋭のオルガン奏者で、近年のカニエ・ウェスト作品に貢献してきたアント・クレモンズは、カニエ率いるサンデー・サーヴィス・クワイアのメンバーでもある。マルーン5の一員としても知られるPJモートンは、2020年にゴスペル・アルバム『Gospel According To PJ』を発表している。

5. グラスパーが浮上させた「豊かなコミュニティ」

ロバート・グラスパーを中心に置くと、歌唱力や演奏力に秀でたライブ・ミュージシャンの広範なコミュニティがそこから浮かび上がってくる。グラスパーの諸作に参加しているミュージシャンは、それぞれ別のところでも繋がっていて、誰かをひとり介せばジャズとR&B、ヒップホップの最前線を跨ぐことができる。その入り組んだ関係性については、今回制作した相関図をじっくり見てもらいたい。

もちろん、もっと細かく線を引くこともできるし、ここに加わるべきミュージシャンはいくらでも思い浮かぶわけだが、これ以上複雑なレイアウトにするのは避けたかった。実際には、ここからブレインフィーダーやLAジャズの最深部、ヴルフペックやスナーキー・パピーの周辺、トラヴィス・スコットからジェイコブ・コリアーまで繋げられるし、すぐ隣にはソランジュだったり、チャンス・ザ・ラッパーを擁するゴスペル界隈もいたりする。そのコネクションにおいて、ハービー・ハンコックやスティーヴィー・ワンダー、クインシー・ジョーンズといった巨匠が今も大きな存在感を放っているのは興味深い。そして、このなかで大きなハブとなっているのがロバート・グラスパーであり、彼の周りにいるテラス・マーティンなどの仲間たちだ。

Robert Glasper『BLACK RADIO III』相関図を作りました。

ロバート・グラスパーを中心に『Ⅲ』の参加者と近いアーティストをマッピングしました。

・監修:柳樂光隆
・編集:小熊俊哉
・デザイン:川井田好應
・イラストレーション:Yuki Ohama

https://t.co/rcq4rYxGhQ @robertglasper pic.twitter.com/GmRyYIjb9S — 柳樂光隆 《Jazz The New Chapter》 (@Elis_ragiNa) February 25, 2022

ケンドリック・ラマー、マック・ミラー、フライング・ロータスなど、グラスパーが客演した楽曲をまとめたプレイリスト

そんなことも念頭に置いたうえで、日本でも話題になった2022年のNFLスーパーボウル・ハーフタイムショーを振り返ってみよう(動画はこちら)。

まず、ドクター・ドレーとスヌープ・ドッグは、テラス・マーティンの才能をいち早く見抜いて重用してきた。スヌープは『Black Radio 2』に参加しているほか、若き日のテラスやカマシ・ワシントンも一員だったジャズ集団「ウェスト・コースト・ゲット・ダウン」をライブ・バンドに起用している(『Black Radio III』にはスヌープの音楽監督を務めたLAの伝説的ギタリスト、マーロン・ウィリアムスも参加)。ケンドリック・ラマーの『To Pimp a Butterfly』でグラスパーやカマシを誘ったのはテラスだったが、彼がプロデューサーとして台頭するまでには長い下積み時代があったわけだ。また、メアリー・J・ブライジは上述の『Nina Revisited...』でグラスパーにプロデュースされているし、過去にはキーヨン・ハロルドなどのジャズ奏者を起用している。

エミネムの出番でアンダーソン・パークがドラムを叩いたのも話題となったが(彼の作品にはグラスパーやクリス・デイヴも参加)、あのとき脇を固めていた演奏陣にも注目しておきたい。トロンボーン奏者のライアン・ポーターは、カマシのバンドに不可欠な存在。敏腕トランぺッターのドンタエ・ウィンスロウは、RHファクターからジル・スコット、ミュージック・ソウルチャイルドからPJモートン、カマシまで起用されてきた。ベースのアダム・ブラックストーンはフィリーの重鎮で、当地のネオソウル作品に大きく貢献している(同郷のデリック・ホッジは、影響を受けたベーシストとしてアダムの名を挙げている)。あのLAヒップホップ史を総括するような歴史的ステージも、ここまで語ってきたコミュニティと直結しているのがよくわかる。

ちなみに、当日のオープニング・セレモニーでは、ゴスペル・デュオのメアリー・メアリーが「ブラック・ナショナル・アンセム」とも呼ばれている「Lift Every Voice and Sing」を歌っていた(動画はこちら)。2018年の「ビーチェラ」でも注目されたこの曲をオープニングに持ってきたのは、アフリカン・アメリカンの文化にフォーカスするうえで大きな意味があったと思う。ここでオーケストラのアレンジを担当していたのはデリック・ホッジだった。 

「ロバート・グラスパーと『Black Radio』の最大の功績は何か?」と問われたら、僕はこれだけ豊かなシーンを浮上させ、その営みを世界に知らしめたこと、と答えるだろう。この10年でコミュニティは一気に拡張されているし、この先もさらに広がっていくはずだ。将来的には北米やヨーロッパだけではなく、南米やアフリカ、もちろん日本やアジアとも繋がっていくことだろう。『Black Radio III』には、そんなコミュニティの新たな到達点が刻まれている。



ロバート・グラスパー
『BLACK RADIO III』
2022年2月25日世界同時リリース
日本盤SHM-CD  税込価格:¥2,860
視聴・購入:https://Robert-Glasper.lnk.to/BlackRadio3PR

『LOVE SUPREME JAZZ FESTIVAL JAPAN 2022』
日程:2022年5月14日(土)、5月15日(日)11:00 開場 / 12:00 開演(予定)
会場:埼玉県・秩父ミューズパーク
※ロバート・グラスパーは5月15日に出演
詳細:https://lovesupremefestival.jp





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