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フランツ・フェルディナンドが世界を制した本当の理由 メンバーが結成20年を総括

Rolling Stone Japan / 2022年3月10日 12時0分

フランツ・フェルディナンド、2003年撮影(Photo by Joe Dilworth/Avalon/Getty Images)

ニック・マッカーシー(Gt)脱退後のアルバム『Always Ascending』(2018年)からディーノ・バルドー(Gt:元1990s)とジュリアン・コリー(Key, Gt:ミャオ・ミャオ名義でも活動)が加入、5人編成へと増員したフランツ・フェルディナンド。昨年オリジナル・メンバーのポール・トムソン(Dr)が脱退を宣言、後任としてヘクター・ビザークやザ・ガール・クライド・ウルフなどで活躍してきた女性ドラマー、オードリー・テイトを迎えた彼らが、大規模な欧州ツアーに先駆けて初のベスト・アルバム『Hits To The Head』をリリースした。

バンド結成から20年、そしてフロントマンのアレックス・カプラノス(Vo, Gt)は3月20日で50歳と、ダブル・アニバーサリーを迎えて再び上昇ムードのフランツ。アレックスとボブ・ハーディー(Ba)に、彼らがグラスゴーのクラブ・シーンに顔を出し始めた90年代から、バンド結成~現在までの長い歩みを振り返ってもらった。

※追記:フランツ・フェルディナンド、11月に東京・大阪で来日公演が決定。チケットプレゼントを実施中(詳細は記事末尾にて)。



フランツ結成前夜
「差を生むのは、楽器を弾く指の背景にあるアイディアだ」

―フランツ・フェルディナンドのヒット・シングルをたっぷり含むベスト盤『Hits To The Head』は、あなた方がシングルを愛していることの証とも言えると思います。若い頃、特に魅了されて何度も聴いていたシングル盤を、何枚か思い出してもらえますか?

アレックス:僕の場合、マッドネスの「One Step Beyond」とかになるんじゃないかな。アダム&ジ・アンツの「Kings Of The Wild Frontier」とか。他にブロンディのシングルも数枚持っていた。当時の新曲だけじゃなくて、古いシングルも結構買ってたよ。学校の帰り道にオックスファム(飢餓救済をきっかけに発足した国際協力団体)が出していた店があって、ビートルズやローリング・ストーンズのシングルを10ペンスという手頃な値段で買えたんだ。だから子供の頃は、その辺のものもたくさん持っていた。昔のロックンロールのシングル盤も好きだった。今でも45回転のEP盤は大好きだ。音楽の魅力がそこに凝縮されている。音楽を聴くのに最高の手段だと思うよ。

ボブ:僕はアレックスより少し歳が下だから……80年代だとまだアナログ・シングルをウールワース(スーパーマーケット)で買えた頃で、最初に買ったレコードは、ジャイヴ・バニーという、オールディースやサーフ・ミュージックをサンプリングしてつなぎ合わせるのが売りの変わったアーティストなんだけど、当時はそれがめちゃくちゃキャッチーで大好きだった。




―地元で盛んだったノーザン・ソウルのシーンに触れたのは何歳ぐらいのことですか?

アレックス:1992年頃じゃないかな。20代前半だね。グラスゴーのGoodfootというナイトクラブでよくオールナイト・パーティーが催されてて、けっこう通った。クラブに行ってハウス・ミュージックを聴くのと近いものがあったね。曲を作ったアーティストが誰かはわからないけど、踊って楽しむ、という。アティチュードも、踊りも、音楽性も、全部好きだったよ。

―僕が初めてアレックスの曲を聴くことになったのは、90年代にウルセイ・ヤツラというバンドの大ファンだったからです。彼らとあなたのバンド、ザ・ブリスターズがスプリット・シングルを出したのはもう27年ぐらい前だと思いますが、今それに入っていた「A Dull Thought In Itself」を聴き直しても不思議と古臭くなくて、すでに「アレックスだ!」と感じさせる個性が萌芽していますね。

アレックス:ワオ! それを知ってる人がいるなんて信じられないよ。そのシングルはなんせ500枚しかプレスしてないからね。しかも、そのうち300枚はまだ僕の家のベッドの下で眠っている(笑)。確かに、リフとかを聴くと、フランツの予兆ともとれる部分があるかもね。型にはまらない曲の構成だけど、ポップでキャッチーだっていう。それに、ウルセイ・ヤツラが好きだったと聞いて嬉しいよ。彼らとは仲が良かったし、僕も彼らの大ファンだったから。ボブも結構早くからライブを見に行ってたよね。

ボブ:そうそう。まだ地元のブラッドフォードに住んでた頃、好きでアルバムを2枚くらい持っていた。あと学校の仲間と一緒にシェフィールドまでライブも観に行った。確か17歳の時だったと思う。で、その仲間のひとりの父親が音響スタッフだったんで、そのおかげでゲストリストで入ってライブが観れた。これほどイカしたことはないと思ったよ。

アレックス:ウルセイ・ヤツラはいいバンドだった。彼らの名前が聞けて嬉しいよ。


ザ・ブリスターズ/ウルセイ・ヤツラのスプリット・シングル(1995年)※discogsから引用



―その後、ザ・ブリスターズはザ・カレリアに名前を変えて、1997年に『Divorce At High Noon』をリリースしますが。このアルバムをプロデュースしたモノクローム・セットのビドにインタビューした時、彼は「最初からアレックス・カプラノスは明らかに才能があって良い曲を書いていたけど、バンドの音楽性と合っていないレーベルにいたので、うまく売り出されなくてかわいそうだった」と言っていました。実際、ザ・カレリアは良いバンドだったと思うのですが、あの時点でブレイクできなかったのは何故だったと思いますか?

アレックス:おいおい、ちょっと待ってよ。今の質問にいろんな意味で度肝を抜かれているんだけど(笑)。まず、君がビドにインタビューしたことがあるってこと。彼は凄くいい人だし、君がモノクローム・セットのファンでもあるとわかって嬉しいよ! 僕も大好きなバンドだから。ビドとはここ数年話をしていないから、連絡しないと。そして、君が持っているカレリアのアルバム、それは初回盤じゃないか! フランツが成功してから再発されたけど、ジャケットのデザインが違う。

ビドが言った通りで、カレリアが契約したのはロードランナー・レコードで、言ってしまえばヘヴィ・メタル・レーベル、当時一番売れてるアーティストはセパルトゥラだったと思う。偉大なバンドだ。ただ、僕たちがやっていた音楽とはまるで違う。何が起きたかというと……ロードランナーは、ブリットポップが流行っているっていうんで、そういうバンドと契約したくてグラスゴーに来たんだけど、間違って僕たちと契約してしまった(笑)。ブリットポップのバンドを獲得したと思ったら、実はモノクローム・セットやノエル・カワードに影響された、へんてこなグラスゴーのバンドだったと言うわけ。ロードランナーじゃなくても、あのバンドをうまく売り出すのは難しかったと思う。凄くニッチなバンドだったから、せいぜい売れても知る人が知るカルト・バンド止まりだろう。クレスプキュールとかからリリースした方が良かったのかも。


ザ・カレリア『Divorce At High Noon』1997年の初回盤ジャケ写真 ※discogsから引用



―そのカレリアのアルバムから、フランツの最初のシングルまで6年もかかっています。その間、アレックスはヤミー・ファーやアンフェタミーニーズでも活動していたわけですが、あなたの音楽の好みはどんな風に変わり、広がってきたのでしょうか?

アレックス:自分が温めていたアイディアを形にしていった、という感じかな。カレリアのアルバムの頃は、完全に横道に外れて、ジャズ風のノエル・カワードっぽい音楽をやっていた。そこから、最初にブリスターズでやっていたようなギター・サウンドに戻った。ブリスターズを始めた頃の方がフランツの音に近かったと思う。それと、自分のアイディアを絞った時期でもあった。カレリアの失敗で、音楽で食べていくのを一回諦めた。1999年には27歳になっていたから、「今から音楽で成功するのはもう絶対に無理」だと思ったんだ。だから、それからは純粋に音楽を作る喜びを追求するようになって、自分のアイディアをひたすら探究した。

あと、カレリアの後、僕はエレクトロニック・ミュージックも聴くようになった。ガイデッド・ミサイルというレーベルからリリースした曲で「The Only Difference」というのがあったんだけど(1999年のコンピレーション『Hits & Missiles』にカレリア名義で収録)、当時ハマっていたものが音に出ていると思う。TR-808やプログラム・ビートにギターを被せる、という。あの曲の別ヴァージョンが後に、フランツの2枚目のアルバムに入っている「Outsiders」という曲になった。もし、君がもっとレアな掘り出し物を手に入れるなら、次はこれだろうね。かなり希少だから(笑)。


ヤミー・ファーは2019年、ベスト盤『Piggy Wings』がモグワイ主宰のロック・アクションからリリースされた

―普通、いくつもバンドを経てきた人が新しいバンドを組む時は、テクニックのすぐれたミュージシャンを集めようとすると思うのですが、フランツはそういう始まり方をしていないですよね。ボブはベース初心者だったし、最初のリハーサルでは、ニックがドラム、ポールがギターだったとか。どうしてそのような感じでバンドを始めたのでしょう?

アレックス:ボブ、テクニックがない、と言われてるよ(笑)

ボブ:(ふざけて怒るふりをする)

アレックス:さっきも言ったように、あの頃は何より楽しくやりたいと思っていたわけで、音楽を作ること自体は楽しかったし、どうせやるなら友達とやりたいと思った。ボブにベースの弾き方を教えたのも、「絶対に楽しいからやってみろよ」と言って僕から誘ったんだ。みんなでいろんなバンドや音楽の話もした。バンドにとっては技術的な巧さよりも、アイディアや発想の方が重要だと今でも信じている。誰だって練習さえすれば楽器は弾けるようになる。そこまで難しいことじゃない。練習をたくさんすればいいだけのこと。差を生むのは、楽器を弾く指の背景にあるアイディアだ。音楽というのは、僕たちに何かを感じさせて、生きることが何かを教えてくれるから心を掴まれるわけで、単に指が速く、巧く動かせるからじゃないんだよ。

デビューアルバム大成功の裏側
「北ヨーロッパの規則性に魅力を感じた」

―フランツを紹介する時に「インディ・ギター・バンドとダンス・ミュージックを融合した」と、よく言われますが。そうしたアプローチは、当時どの程度意識していましたか? 直感的なもの、それとも明確に「狙った」もの?

アレックス:どっちもだね。自分が何が好きかは直感でわかっていた。他のメンバーもそう。みんな音楽の好みが近かったし。でも、それとは別に、どう表現するか、意識的に決めた部分もある。今でも覚えているんだけど、かなり初期の頃にニックと「Michael」について議論したことがあった。あの曲には「ダダダ・ダダダ・ダダダ」というギターのリフがあるんだけど、それに対して彼が「スウィング(揺れ)がない」と言ったんだ。「ブルースっぽく、もっと横揺れがないと」ってね。でもそれに対して僕は「駄目だ。その手の音楽はやりたくない」とはっきり言った。それはブリットポップや、アメリカのロックに憧れてる連中にやらせればいいと思っていたから。僕としては、意図的にギターを反復するシンセのように弾きたかった。クラブで聴くようなダンス・ミュージックはどれも、ビートに合わせて反復している。無機質な、北ヨーロッパの規則性に魅力を感じた。そこに強く拘ったんだ。



―1stアルバム『Franz Ferdinand』(2004年)のプロデュースをトーレ・ヨハンソンに委ねたポイントは? 彼はヴィンテージ・サウンドを今日的に聴かせるのがうまい人ですが。

アレックス:バンドのサウンドを決めた時と同じで、アメリカ的な音にはしたくなかったし、いわゆるUKサウンドにもしたくなかった。ありがちなアメリカの大物プロデューサーを迎えたくなかったんだ。ホワイト・ストライプスやストロークス、インターポールといったアメリカのバンドはどれも素晴らしい音を鳴らしてたけど、彼らとは違う独自のサウンドにしたかった。過去10年の間にUKから出てきたサウンドに寄せるのも嫌だった……例えばスティーヴン・ストリートといったインディのプロデューサーとかを呼ぶとかね。彼らは最高のプロデューサーだけど、僕としては違うことがしたかった。

トーレが手掛けた作品には、無機質な北欧のサウンドがある。君の言うように、初期のカーディガンズの作品には美しいレトロ・サウンドを感じるけど、僕が魅力を感じたのはそこじゃない。彼らのアルバム『Gran Turismo』(1998年)がお気に入りだ。バンドの生々しさは健在だけど、無機質で、モダンで、ミニマリズムもあった。特に「My Favourite Game」のサウンドが気に入っている。当時出回っていた音楽のどれとも違うサウンドだった。



―初期のフランツは、フレンチ・エレクトロ勢や、DFAレコード周辺のアーティストとの交流を取り上げられることが多かったですよね。彼らとはどんな風に知り合って仲良くなっていったのでしょうか?

アレックス:ラプチャーとツアーしたよね。ボブ、覚えている?

ボブ:覚えているよ。2004年だったかな。

アレックス:2004年初頭だね。それで彼らと仲良くなって……。フェスやライブでジェイムス・マーフィーとばったり会うことも何度かあったよね。

ボブ:彼は東京での僕らのライブを見に来てくれたよね、確か。2005年か2006年か。武道館のライブだったんじゃないかな。たまたま日本にいるっていうんで。武道館の楽屋で彼と話したと思う。あとツアー中も何度か偶然会うことがあった。

アレックス:お互い、相手がやってることに興味を持っていたんじゃないかな。彼らのシーンも、僕たちと同じようなものから刺激を受けていたんだと思う。ライブ演奏するダンス・ミュージック、という意味でね。あと、グラスゴーにあるOptimoというクラブともお互い繋がりがあった。彼らの音楽を最初に聴いたのもOptimo絡みだったと思う。LCDサウンドシステムの「Losing My Edge」はあそこで聴いたのが最初かな。面白い音楽があっちからも出てきたなと思った。




―「Take Me Out」は、フランツがどういうバンドなのかを知らしめるうえで、とてもわかりやすい曲になったと思います。あの曲はどのように作ったんでしょう。前半と後半をバラバラに書いて、つないで1曲にしたんでしょうか?

アレックス:バラバラに書いたわけじゃなくて、もともとヴァースとサビがある構成だったんだけど、ヴァースとサビとで、それぞれに合うテンポが違ったんだ。つまり、サビのテンポに合わせると、ヴァースが遅くなり過ぎて、逆もしかり、という。で、普通にヴァースとサビを交互に繰り返す、従来の曲構成で演奏すると、ライブで必ず毎回どちらかがおかしく聴こえてしまうんだ。そこで、ヴァースを全部頭に持ってきて、全部歌ってから、テンポを落としてサビを歌うという構成に変えた。

あと、ヒット(ジャッ、ジャッ、ジャッと止めるフレーズの部分)も入れた。というのも、僕たちの音楽にはユーモアも常にあって、内輪ネタみたいなものを入れたりする。この曲のヒットの部分は僕たちにとってちょっとしたジョークのようなもので。アメリカで「スポーツ・ロック」ジャンルについて誰かが語っているのをボブがネットで知って、「スポーツ・ロックって何?」ってなったんだ。すぐに連想したのはクイーンとか、(サヴァイヴァーの)「Eye Of The Tiger」あたりだった。だったら「Eye Of The Tiger」のリフみたいな「ジャッ、ジャッ、ジャッ」ってパートを入れたら面白いんじゃないかっていう話になったんだ。クイーンにも多いよね。聞いたところだと、いわゆるシンバル・チョーク(シンバルを叩いた直後につかんで、音を止める奏法)を発明したのはロジャー・テイラーらしいよ。ということで、僕たちも曲にそれを取り入れようっていうことになった。スパークスの曲にも結構あるよね。もしかしたらスパークスから盗んだのかも。いずれにせよ、ジョークのつもりであのパートを入れてみたら、思いのほかいい感じになった(笑)。




―このCROSSBEATという雑誌、アレックスが表紙を飾った2005年の号で、メンバーに前年のベスト・アルバムを訊いてるんですけど。中にはボブもいます。

ボブ:そうだね。持ってるのはフューチャーヘッズのアルバム?



―そうです。アレックスもボブも、この年一番良かったアルバムとして彼らの1stアルバム『The Futureheads』を挙げてるんですが。この頃、彼ら以外にもフランツと近い音楽性のバンドがいくつも出てきたのに、結局あなた方しかシーンの最前線に残っていないですよね。どうしてフランツだけが生き残れたんだと思います?

アレックス:フューチャーヘッズは今も最高のバンドだし、今でも作品を出し続けている。最新作を出したのはいつだったかな。2年くらい前だっけ?

ボブ:2、3年前だね(2019年)。最近もサンダーランドでライブをやるっていうのを目にしたよ。

アレックス:だよね。僕たちがなぜ生き残れたかという質問だけど、それはまだ音楽を作ることに刺激を感じてるからだ。今でもまだワクワクする。まだアイディアも出てくるし。新しい曲、「Curious」と「Billie Goodbye」を聴けばわかるよ。このバンドには、まだやりたい音楽があるって。もし音楽を作ることがつまらなくなって、アイディアも尽きてしまったら、あるいは人に興味を持ってもらえなくなったら、その時はやめるだろう。でも、今のところは、続ける方がいいみたいだ。

世界的成功、ダン・キャリー、スパークス
「今でもグラスゴーのバンドだという自覚がある」

―2ndアルバム『You Could Have It So Much Better』(2005年)からシングル・カットされた「Do You Want To」は日本人にとっては特別なシングルで、これがSONYのTVコマーシャルでかかりまくったおかげで、「誰でも知っている曲」になりました。子供の頃にこの曲を聴いて影響されたミュージシャンは非常に多いと思いますよ。

アレックス:日本のミュージシャンにあの曲が影響を与えてたなんて知らなかったよ。なんてクールなんだ。凄く嬉しいよ。ミュージシャンとして一番嬉しい賛辞というのは、他のミュージシャンや誰かに何らかの影響を与えたと言われること。あの曲は、グラスゴーでツアーの最終公演をやった後にパーティーに行ったことがきっかけで書いた。Transmission Galleryでのパーティーだったから、大勢の人がいて、地元の昔からの知り合いもいれば、バンドが成功してから知り合った人たちもいた。そんな、自分たちのかつての世界と新しい世界の衝突を、あの曲で描こうとしたんだと思う。レコーディングは楽しかったし、ライブでも盛り上がる曲だ。日本でプレイした時の印象もいい。特にフジロックでプレイした時に凄く盛り上がったのを覚えている。観客が熱狂して、大合唱だった。友人のダイアン・マーテルに初めて監督してもらったビデオでもある。音楽的にも、モジュレーションで変わった音を取り入れたり、新しいことを試みた曲だった。



―2ndアルバムでバンドはいよいよワールドワイドのスターになったわけですが、実際に上まで登って景色を見渡した時に、どんなことを感じました? 「やったぜ!」ですか、それとも「こんなもんか」でしょうか。

アレックス:例えるなら、山を駆け上っているんだけど、目の前のことに無我夢中だから頂上に着いたことに気づいていない感じだった。たまに後ろを振り返って、「随分高いところに来たな」って目眩がする感じかな。

ボブ:とにかく目まぐるしかった。常時ツアーに出っぱなしで、忙しかったから、立ち止まって状況を把握する余裕もなかった。自分たちのやるべきことをただやっていた。数年経って、他のバンドが同じような経験をしているのを見て、外から見るとこんな風なんだって、その凄さがわかった。渦中にいる時は、目の前のことに専念していて、ことの大きさに気づいてなかったよ。

―グラスゴーのインディ・バンドの伝統を継承したグループが、スタジアム級のビッグなバンドになるのも珍しいことだったと思います。そういう時に地元との縁を切ってしまう人もいますが、あなたはむしろ積極的に影響されたグラスゴーのミュージシャンたちについて話し、それを広めていく役目を果たしましたね。そこはかなり意識的にやっていたのでは。

アレックス:そうだね。意識的だったし、当然のことだと思ってた。今でもグラスゴーの音楽シーンは活気があって、いい音楽をたくさん輩出しているし、それを支える裏方も充実している。いろいろなライブ会場があって、Monorail Musicのようなレコード・ショップがあって、スティーヴン・パステル(パステルズ)といった人たちがいてこそのシーンだ。それに、自分たちの地元だからね。今でも自分たちはグラスゴーのバンドだという自覚がある。新しいドラマーも、当然グラスゴーで探した。「LAに行って、誰かいいドラマーを探そうぜ」というのは僕たちらしくない。自分たちはグラスゴーのバンドだから。グラスゴーはいいミュージシャンの宝庫だしね。LAよりいいミュージシャンが揃っていると思う。


最新のアーティスト写真

―3rdアルバム『Tonight』(2009年)からのシングル「Ulysses」も、とても刺激的な曲でした。この時期は、あなたはどんなレコードを熱心に聴いていたんでしょう?

アレックス:あの曲が生まれたのは、スコットランドの自分のスタジオにひとりでいた時で、ドラムビートをプログラミングして、あのオフビートなベースラインを最初に書いたんだ。それを土台にしてピアノで残りを書いた。あのアルバムの時は、バンドでいろんなアフリカ音楽を聴いていたな。それが演奏に一部影響していると思う。ひとつ言えるのは、ミュージシャンとして、自分のサウンドを作る上で鍵になるのが、「どんな音にしたくないか」だ。「どんな音にしたいか」と同じくらい重要だ。あのアルバム、あのシングルの場合だと……1枚目と2枚目のアルバムを出した時は、自分たち独自の音を鳴らしていた。でも、よくあることで、何かオリジナリティーがあるものが出ると、それが周りに影響を与えて、しばらくすると、同じサウンドを出してもオリジナリティーが感じられなくなる。なぜなら、同じようなことをやっている人たちが出てきているから。だから、3枚目の時は、最初の2作とは違うサウンドを追求した。新しいサウンドを求めてね。「Ulysses」では、そんなことを歌っている。ツアーに出っぱなしで、家に帰れない、かつての自分の生活には戻れない、新しい道を切り開くんだってね。



―3rdアルバムでのダン・キャリーとの作業から、かなり刺激を受けたようですね。ダン・キャリーはその後、自身のレーベルであるスピーディー・ワンダーグラウンドを立ち上げ、あなたも同レーベルのリリース作に参加しています。彼の近年の活躍や手がけたプロデュース作についてはどのように見ていますか?

アレックス:ダンはいい趣味をしていると思う。彼がスピーディー・ワンダーグラウンドでやっていることは大好きだよ。シネイド・オブライエンもそう。彼女の作品も凄くクールだ。実は最近ダンと会ったばかりなんだ。親しくしているロッテルダム出身のバンドでLewsbergというのがいて、凄くいいバンドなんだけど、あまり知られていない。彼らがこっちに来て、クリスマス前にやったライブを見に行ったら、客席にダン・キャリーが見に来ていた。何で来てるのかと思ったら、彼らのレコードをスピーディー・ワンダーグラウンドから出す予定だって。「だよね!」と思ったよ。本当にいいバンドだから、当然ダンは誰よりも早く目をつけてるだろう。

面白いことに、今思うとスピーディー・ワンダーグラウンドの哲学は、『Tonight』を作ったのがある意味きっかけだったんじゃないかな。なぜなら、当時ダンは、長尺のテイクをひたすら録る手法をとっていて、結果的に自己陶酔的な作品になった。それがやっていて正直もどかしかった。いちいち時間をかけるから作業のペースが遅くてね。きっと、その反動で彼も「これからは短時間で集中的に録るぞ」って決めたんじゃないかな。そっちの方が賢いやり方だと思う。




―その後、スパークスとの合体プロジェクト、FFSをやってみたことで、どんな収穫が? あなたにとって、彼らとのコラボからどんな学びがあったのでしょう。

アレックス:あれはあれで楽しかったよ。あれも、とんとん拍子で物事が進んで、あっという間にできた。ジョン・コングルトンとレコーディングをしたんだけど、どれくらいスタジオにいたんだったっけ、ボブ?

ボブ:確か2週間だったと思う。その前に1週間のリハーサルをやってね。

アレックス:で、おそらくスパークスにとっては、ああいう形でのレコーディングは久しぶりだったんじゃないかな。それまで何年もラッセルのリビングでMIDIを使って制作していたわけだからね。あれだけ、その場の思いつきで次々と録っていくことで、彼らの良さも僕たちの良さも存分に引き出せたと思う。あれは、僕たちにとっても、オリジナル・ラインナップで最後にやったレコーディングだった。あのラインナップでの最高の演奏ができたと思う。



―FFS以降、スパークスのUK他でのセールスが明らかに上向き、レオス・カラックス監督と組んだ『アネット』まで良い流れを作りましたよね。その『アネット』に出演しているマリオン・コティヤールとはスパークスより先にフランツがDior用のシングル「The Eyes Of Mars」で共演していますが、もしかしてあなたがスパークスにマリオンを紹介したのですか?

アレックス:違うんだ、たまたま続いたんだよ。あのビデオに彼女が出てくれて良かった。仕事も凄くしやすかったし、シンガーとしても素晴らしくて、人柄もよかった。あのセッションのことはよく覚えてるよ。ニューヨークでの撮影だったんだけど、酷い吹雪だった。

―ちなみに、『アネット』はもう観ましたか?

アレックス:僕はまだ観てないんだ。ボブは?

ボブ:僕もまだで、観ようと思ってる。予告を観たけど、凄く良さそうだよ。レビューも凄くいいみたいだし。

未来を見据えたフランツの姿勢
「常に新しいことをやろうとしてきた」

―今回ベスト盤に収録された新曲「Curious」「Billie Goodbye」が、それぞれどんな風にできたのか教えてもらえますか?

アレックス:2曲ともロックダウン中に書いた曲で、新しいドラマーのオードリーが初めてレコーディングに参加している。彼女と初めて一緒に演奏した曲が「Curious」で、一緒にプレイしてみて、「これはいい」と思ったのを覚えている。彼女をバンドに迎えるのはけっこう大きな出来事だった。これまでもポールがライブに出られない時に別のドラマーを入れて演奏したことはあったんだけど、レコーディングとなるとまた話は別で。でも、彼女とは息もぴったりで、良かったよ。

「Curious」は、いくつかのアイディアから生まれた曲で、一つは、映画とかでよくある、死に際に走馬灯のように、人生の様々な情景が脳裏に蘇るのを逆向きにして、恋愛関係に当てはめたらどうかと思ったんだ。恋に落ちた瞬間から、その後に起きることが早送りで見える、という。恋に落ちた時の情熱が、次第に繰り返される毎日の中でマンネリ化していく。「それでも僕のことを愛し続けてくれるのか」という好奇心を歌っている。音楽的には幾つかやろうとしたことがあった。数年前に記事で読んだんだけど、ある救急医療の現場で心臓マッサージをするのにビージーズの「Staying Alive」をかけるというんだ。どうやら、あの曲のBPMが人間の心拍運動に最も合ってるらしい。凄い話だなと思ったけど、俄に信じがたいとも思って、「Staying Alive」のBPMをプログラムを使ってチェックしてみたんだ。そしたら、かなり変わったBPMで103.9とかだった。凄く中途半端な数字なんだよ。で、「Staying Alive」と全く同じBPMの曲を作ろうと思った(笑)。それこそ好奇心から。あまりにあり得ない話だから、逆に興味が沸いちゃって。




アレックス:もう1曲の「Billie Goodbye」の方も、ありがちなものの逆をいく発想だ。恋愛関係に別れを告げる歌。しかも前向きな別れ。すぐに思いつくのはレナード・コーエンの「So Long Marianne」だ。”So long Marianne, Its time we began to laugh and cry, and cry and laugh about it all again”……プラトニックな関係性についての歌を書きたかったんだと思う。友情だね。友情について歌った歌はあまりない。でも、友情こそが人の本質を明らかにする。でも、全ての友情が永遠に続くわけじゃない。前向きな形で袂を分かつのがいい時もある。音楽的には、この2曲はバンドの二つの面がよく表れていると思う。「Billie Goodbye」はどちらかというと「Darts Of Pleasure」や「Do you Want To」といったロック調で、「Curious」の方は踊れる曲調だ。




―新曲からも、未来を見据えた斬新な作品を生み出そうとするあなたの基本姿勢が変わっていないことが実感できました。そういう姿勢は、デビューした頃からずっと変わらないですね。

アレックス:そうだね。僕に最初に音楽を作りたいと思わせてくれたアーティストたちもみんなそうだった。わかりやすいところだと、ビートルズとかボウイとか、スパークスもそう。彼らのどこに惹かれたかというと、彼らは自分たちらしさをわかっていて、なおかつ、常に新しいことをやろうとしてきた。実際、今回のアルバムで過去の曲を全部聴き返してみると、僕らは本当にいろんな方向に向かってたし、いろんなサウンドを試してきたのがわかる一方で、どの曲も紛れもなくフランツだって再確認した。いつだって、それを目指してきたんだ。

―最後に、ふたりが最近気に入って聴いているレコードを教えてもらえますか? 新しい人でも、最近発見した古いものでも構いません。

アレックス:個人的には、この作品を推さないわけにはいかない(LPのジャケットを掲げる)。

―ああ、ロス・ビッチョス! あなたはそのアルバム(『Let The Festivities Begin!』)をプロデュースして、ブズーキをはじめ何種類もの楽器を弾いてましたよね。

アレックス:そうそう、ブズーキも弾かせてもらった。楽しかったよ。彼女たちは人としても素晴らしいし、バンドとしても最高だ。世界中の人たちに彼女たちの音楽を聴いてもらうのが楽しみだ。ボブは?

ボブ:僕はキャスリン・ジョセフというグラスゴーのアーティストを推させてもらうよ。ロックダウン中に物凄く聴いた。彼女のことはその前から知っていたんだけど、あまりちゃんと聴いたことがなかった。人生で一番深く、暗く、寂しい冬を過ごすまでは。『From When I Wake The Want Is』というアルバムをモグワイのレーベル、ロック・アクションから出しているんだけど、ただただ美しい。メロディーは凄く繊細なんだけど、力強くもある。この2年間、聴きまくった作品だ。




―アレックスはブズーキなどギリシャの楽器を弾きますが、ギリシャ出身のお父さんから教わった音楽はあなたのルーツにあるのでしょうか。

アレックス:子供のころ、たくさん接した音楽だ。祖父は1904年生まれなんだけど、ピレウスの街のニカイアというところで医者をやっていた。そこは、小アジア(アナトリア半島)やトルコからの移民が多く、レベティコ(ギリシャのブルースとも形容される大衆音楽)をみんな聴いていた。僕も大好きな音楽だ。祖父の患者の中にはミュージシャンもいて、その中にマルコス・ヴァンヴァカリス(レベティコの代表的なコンポーザーで、歌手、ブズーキ奏者)もいた。だから祖父も父もたくさんそういう歌を歌ってくれて、子供の頃から馴染みがあった。特に意識して聴いたというより、僕の中に自然と流れているものだよ。



フランツ・フェルディナンド
『Hits To The Head』
発売中
詳細:https://www.beatink.com/products/detail.php?product_id=12191


フランツ・フェルディナンド来日公演
サポートアクト:DYGL
2022年11月28日(月)東京ガーデンシアター
2022年11月30日(水)大阪・なんばHatch
特設ページ:https://smash-jpn.com/ff2022/


【チケットプレゼント】
フランツ・フェルディナンド来日公演

東京・大阪の各公演に、Rolling Stone Japan読者3組6名様ずつをご招待します。

【応募方法】
1)Twitterで「@rollingstonejp」「@SMASHjpn」をフォロー
2)ご自身のアカウントで、下掲のツイートをRT

【〆切】
2022年11月7日(月)
※当選者には応募〆切後、「@SMASHjpn」より後日DMでご案内の連絡をいたします。

【チケットプレゼント】
Franz Ferdinand来日公演
11/28(月)東京ガーデンシアター
11/30(水)なんばHatch
3組6名様ずつご招待

@rollingstonejp @SMASHjpnをフォロー
②このツイートをRT

▼詳細は記事末尾にて
フランツ・フェルディナンド、メンバーが結成20年を総括https://t.co/JGBz8tu1lh pic.twitter.com/bOVP6CMMz6 — Rolling Stone Japan (@rollingstonejp) October 31, 2022

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