ミッキー吉野、70歳記念アルバムを本人とともに語る
Rolling Stone Japan / 2022年3月19日 7時0分
日本の音楽の礎となったアーティストに毎月1組ずつスポットを当て、本人や当時の関係者から深く掘り下げた話を引き出していく。2022年2月の特集は「ミッキー吉野70歳」。2月2日に、ゴダイゴはもちろん、ザ・ゴールデン・カップスやソロ活動、作曲家・ミッキー吉野としての代表曲を様々なアーティストがカバー、フィーチャリングしたアルバム『Keep On Kickin It』が発売された。ミッキー吉野本人を迎え、アルバム『Keep On Kickin It』制作話はもちろん、原曲を中心に当時の活動について語る。
田家秀樹:こんばんは。FM COCOLO「J-POP LEGEND FORUM」案内人・田家秀樹です。今流れているのは「The birth of the odyssey ~ Monkey Magic feat. JUJU」。言わずと知れたゴタイゴの1978年の大ヒット曲。アルバム『西遊記』の1曲目でした。
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2月2日に発売になったアルバム『Keep On Kickin It』からお聴きいただいています。今週の前テーマはこの曲です。今月2022年2月の特集は「ミッキー吉野70歳」。ミッキーさんの70歳の誕生日は12月13日。12月22日に記念アルバム『Keep On Kicikin It』が配信で出ました。そして、先日2月2日にCDで発売。ゴダイゴはもちろん、ザ・ゴールデン・カップスやソロ活動、作曲家としての代表曲、様々なアーティストがカバーしております。音楽家としての全体像にフォーカスしたアニバーサリーアルバム。今月は4週間かけてアルバムをご紹介しております。そのプロデューサーが亀田誠治さんで、先週と先々週は亀田さんをお迎えしての全曲紹介。今週と来週はご本人。ミッキー吉野さんをお迎えしております。こんばんは。
ミッキー吉野:こんばんはー。よろしくおねがいします!
田家:ドキドキしております。なんでこんなにドキドキするんだろうと思いながら(笑)。アルバムが出て、あらためて思われたことはどういうことでしょう?
ミッキー:まさかこの歳までできると思わなかったので、こういうアルバムが作れるのは本当に嬉しいです。
田家:70歳という数字はいつ頃から意識されてましたか?
ミッキー:気持ちは還暦のときよりは楽になってますね。
田家: ミッキーさんも僕も若かった70年代頃に30歳以上は信じるなみたいな言葉がありましたよね。
ミッキー:そうですね。でも、僕はデビューが早かったのと、同じバンドの中でもデイヴ平尾とは7歳違ったんです。だからすごい年上に思えたし、いつも年上ばかりな時代を過ごしていました。
田家:その頃にどんな大人になりたいというのはあったんですか?
ミッキー:1番意識したのは音楽のことですけど、19~20歳の頃はいろいろ高望みしているじゃないですか。曲を書くにしても。表現ができてないんだよね。それはきっと40歳過ぎた頃にはできるんだろうなと思って、早く46歳くらいになりたいなと思っていたことを覚えていますね。
田家:で、70歳になったわけですが、アルバムを出そうとなったのはいつ頃ですか?
ミッキー:田家さんもよく知っている仲間がいっぱい亡くなっていくじゃないですか。それと同時にコロナ禍で、自分がどんどん落ちていくというか、心がダウンしていく。まず自分が元気にならないといけないなと。それには音楽を作って閉塞感をぶち壊したい。そういう想いからアルバムを作ろうと思いました。そこで亀ちゃんがいるなと思って電話して。「ちょっと手伝ってくれますか。忙しかったらアドバイスでもなんでもいいんだけど」って(笑)。
田家:そう、亀田さんが「アドバイス」って言われていて、「ミッキーさんはシャイな方だから」って言っていましたよ(笑)。
ミッキー:彼を見ていると、一線級のプロデューサーで、一緒にやったらずっと見えなかったものが見えるんじゃないかなと思ったし、「日比谷音楽祭」で一緒にプレイして。大体一緒にプレイすると分かるんですけど、彼に話すのが1番いいなと思って。さすがプロデューサーで、どこに着地させようかちゃんと考えていたみたいなんですよね。昔のヒット曲を確実に選んでやりましょうという話になった。
田家:この「The birth of the odyssey」、「Monkey Magic」は組曲なので、ミッキーさんが「これは組曲のままやりたい」とおっしゃった。今週と来週はオリジナルをご紹介しながらお送りしようと思うのですが、この曲がミッキーさんにとってどういう曲だったのか、曲の後に伺おうと思います。アルバムのシン・ミックスが出ておりまして素晴らしいので、こちらをお聴きいただきます。「The birth of the odyssey ~ Monkey Magic (シン・ミックス)」。
田家:1978年10月に発売になったゴダイゴの3枚目のオリジナルアルバム『西遊記』の1曲目「The birth of the odyssey ~ Monkey Magic 」。去年の11月に出た、シン・ミックスからお聴きいただいております。このシン・ミックスすごいですね! 目からうろこです。
ミッキー:ちょうどマルチテープが見つかったのでデジタル化したんですけど、テープもイカれてなくて結構悪くないんですよね。ミックスと言うと足しちゃったり変えたりするけど、そうじゃなくて入っている音だけを1つのルールにしてシン・ミックスにしようと。今は時代が違うから、エフェクト関係もちゃんと使えるじゃないですか。昔は同じリバーヴを使っていたり、音がグチャッとしていたんですけど、今ははっきり聴こえるし、バックの音を上げても歌が聴こえてくる。
田家:ゴダイゴがどういうバンドなのか、一耳瞭然ですね。「あ、ロックバンドだ」って。
ミッキー:そうですね。基本はやっぱりエネルギー、ハイエナジーのロックバンドであって、しかもポップでアドバンスしていると。そういうのも作りたかったんですよね。
田家:ミッキーさんのキーボード、シンセサイザーは当時あまり使われたことのない使い方をしているんでしょう?
ミッキー:そうですね。この時代はまだシンセサイザーが最大で2音でしか出ない時代ですから。今みたいにポリパニックではなくて、モノファニックの時代でした。しかもアナログだから、ピッチがずれるんです。微調整が必要で、要するに弾いて入れられないから、全部数値で入力していくんですね。だから、1人ではとてもじゃないけどやってられなくて、ギターの浅野と2人で疲れると交代で1人が数値を読んで、1人がそれを打ち込んでいく。「The birth of the odyssey」は60秒のオープニングだったんですけど、入力するのに一晩かかったかな。
田家:『西遊記』の話は今週も来週も出てくるんですけど、テレビ番組が始まる前から『西遊記』をイメージした何かをやりたいことはミッキーさんの頭の中にあったとか。
ミッキー:アメリカにいる頃に日本のものと言うと、雅楽と単音のものが多いと想像していて。ハーモニーは雅楽にしかないし、日本の民謡にしても何にしても単音が基本じゃないですか。これを表現するのは非常に難しいなと。アジアを表現するときに僕の持った中国のイメージは総天然色で、しかもストーリーがあるなと思ったのが『西遊記』だったんですね。だから、音楽化はその頃からしたかったです。
田家:ゴダイゴの前からそのイメージがあったんですね。
ミッキー:そうですね。だから、1977年に『DEAD END』というアルバムを作ったんですけど、どれに行こうかというときに選んだのが「DEAD END」で、そうこうしているうちにこの企画が持ち上がったんです。
田家:流れているのはアルバムの2曲目「君は薔薇より美しい feat. EXILE SHOKICHI」です。
ミッキー:「君は薔薇より美しい」は僕の作曲の方での最大のヒット曲で。
田家:布施明さん。この後にお聴きいただきます(笑)。
ミッキー:そうなんですよ。誰に歌ってもらうかとかいろいろ話して、最初女性もいいかなとか出ていたんですけど、なかなかアイディアが浮かばなかった。その中でEXILEのHIROさんと対談する機会があって。
田家:ゴダイゴ45周年の公式本。これはすごいですよ!
ミッキー:対談がほとんど終わったときにハッと思って、「実は僕の「君は薔薇より美しい」って曲があるんだけど、誰か歌ってくれるような人のいないですかね?」って言ったら、即「それはSHOKICHIがいい」って言ったんです。そこで決まっちゃったようなものです。
田家:中学の後輩が言った(笑)。
ミッキー:そうそうそう(笑)。
田家:HIROさんは『ガンダーラ』や『Monkey Magic』や『銀河鉄道999』のレコードは買いました! って人でしたもんね。
ミッキー:ありがたいです、本当に。
田家:アレンジは亀田さんが手がけられていて、イントロなしでいきなりサビで始まる。
ラジオでかけやすい曲にしたかったと言われてました。
ミッキー:そうですか。彼はおもしろい。ヒット曲はヒット曲でこだわりがあるんですよね。なるべくオリジナルに近いニュアンスのアレンジにしようとか、オリジナルを損ねないように作りたい想いがあるんです。僕が違うことをやると、「いやいや」って(笑)。
田家:顔をされる(笑)。
ミッキー:そう、ダメ出しがあるんですよね。「もう少しオリジナルに近い形にしましょう」って。それは亀田さんのプロデューサーとしてのいいところだろうな。この曲も「これは僕がアレンジします」って彼が持っていったんですね。
田家:ゴダイゴは自分の人生にとって決定的影響を与えたバンドで、亀田さんのベースの教則本の先生がスティーブ・フォックスさんだったとかいろいろな関係があって。でも、プロデューサーとしてはちゃんと言うことは言う。
ミッキー:そうですね。そこは非常にクリアな部分ですね。だからプロデューサーなんだろうな。ちゃんと答えをしっかり見据えて話す人だから分かりやすかったですね。
田家:SHOKICHIさんが「君は薔薇より美しい」を聴いて、「カリブの青い空が見える」って言ったらしいんです。
ミッキー:ね。その場に僕はいなかったんですけど、そう言われてみればそうだなって思ったんですね。
田家:話に出たオリジナル曲を聴いてみようと思うのですが、1979年布施明さんでカネボウ化粧品のCMソングでした。「君は薔薇より美しい」。
田家:トップ10ヒットで30万枚。依頼されたときにどう思われました?
ミッキー:コマーシャルは最初から決まっていたので、大サビから流れるというのがあった。まずはそこを作ろうと思いました。〈歩くほどに〉、〈変わった〉ってあるじゃないですか。そこを先に作ったんです。サビに持っていくには何がいいかとBメロを作った。さらにそこに行くのにAメロという、逆の作り方をしたんです。
田家:CMだからできたみたいなところがあるんですね。
ミッキー:そうですね。これで1番うれしかったのが当時のナベプロの渡辺晋さんがすっげー喜んでるんだよね。このアレンジでシングルとしてできて、わりとゴージャスなノリもあるじゃないですか。
田家:当時、ナベプロって帝国でしたから、そういう身構え方はありました?
ミッキー:別に僕はあまりなかったですね。カップス時代、インディペンデントな形だから、どこともちゃんと仲良くやってたんです。ホリさんの方も。カップスの頃はジャズ喫茶が中心ですから、そうするとホリプロ系とかナベプロ系とか、東洋企画系とか、いろいろあるんですよ。全部出ていたのがザ・ゴールデン・カップスですから。日劇はあれだったんですけど。
田家:所謂70年代にあっち側、こっち側みたいなふうに言われている中にもいなかったんですね。
ミッキー:わりとそうですね。
田家:そういう自由なスタンスも未だに繋がっているのかもしれません。
田家:これはかっこいいですねー。
ミッキー:実は、アルバムを作ろうと思ったときに最初はこの曲から入ったんです。閉塞感をぶち破るにはこのパワーが必要だなと思って、どうしてもやりたかったんですね。
田家:オリジナルは1977年のゴダイゴの2枚目のアルバム『DEAD END』のタイトル曲だった。ゴダイゴの1枚目のアルバム『新創世紀』はもともとタケカワユキヒデさんの2枚目のアルバムとして作っていたもので、ゴダイゴとして1からバンドでやったわけではない。この『DEAD END』はトミー・スナイダーさんも加わった5人での最初のアルバム。
ミッキー:そうですね。ゴダイゴの本当のオリジナルアルバムの最初って感じかなあ。
田家:『DEAD END』は当時も言葉としてわりと早めにあったんですか?
ミッキー:あの頃も違う意味で社会のプレッシャーがあって、閉塞感が漂っていた。そのときにさっき言った『西遊記』を選ぶか、社会派を選ぶか。このときは社会派だってことで『DEAD END』。
田家:今回のアルバムでラップを入れたいというのはミッキーさんがおっしゃったとか。
ミッキー:そうですね。やっぱり言葉って大事じゃないですか。この曲はゴダイゴで歌でやっているけれど、最初は完全なインストで行こうかと思ったんです。でもそれだけではメッセージとして何か足らないなと。ちょうど真ん中の「DEAD END」のパートをラップにしたらいいんじゃないかと思って。亀田さんに「誰かいいラッパーいないですかね」と話して、それで結局SUTUSさんがcampanellaさんを推薦してくれて決まりました。コロナ禍だったので、あなたの決断がすべて必要だという言葉をラップで表してくれないかと。
田家:それはおっしゃったんですね。
ミッキー:はい。そこを1番メインに言葉で表現してくれないかなというのをcampanellaさんに頼んだんですね。
田家:STUTSさんがミッキーさんのことを「日本の音楽にグルーヴを持ち込んだオリジネーターだ」と言われたみたいで。
ミッキー:ほんとですか。これはよく話すんですけど、僕がバンドを始めた頃はお客さんが踊れないバンドはクビになるんですよ。ゴーゴークラブとか、そういうところに出ていても。だからやっぱり踊らすというのは基本じゃないですか。それは人をのっけるってことだし、そこはもうグルーヴですよね。
田家:横浜はすごかったですもんね。
ミッキー:もうしょうがないですよね。
田家:これは亀田さんがおっしゃっていたんですけど、データの交換で作ったんですよね。
ミッキー:今回はほとんどというか全部ですけど、僕のパートは全部自宅録音ですね。データを交換して、入れて、返して、また誰かが入れたときにそれを聴いて、ちょっと自分が気に入らないところは全部弾き直したり、それを何回か各曲でやっています。
田家:本当に2021年の作り方で作った、そういうアルバムですね。そんなことを思いながら原曲をお聴きいただこうと思います。
DEAD END ~ LOVE FLOWERS PROPHECY / Godiego
ミッキー:この頃ってまだゴダイゴのレコーディングでドンカマ使ってないんですよ。今はずっとクリック使うじゃないですか。『西遊記』も使うか、使わないかぐらいですからほとんどがクリックなしで、せーのでやってる。
田家:そのよさもあるわけですよね。
ミッキー:あるんでしょうね。走ったり、もたっていくというか、レイドバックしていったりとかね。
田家:KADOKAWAの「ゴダイゴ公式本」を見ていて、1977年にトミー・スナイダーさんが参加しているわけですけど、彼と出会ったときの話が「え、こういうことだったの」と思った一行がありまして。マサチューセッツ州ターナーズホールズのコミューン。ルネッサンスチャーチにミッキーさんとスティーブさんが訪れた。どんなところだったんですか。
ミッキー:その町にバンドで仕事に行ってたんですよ。そこにコミューンの人たちが観に来て。それでぜひ遊びに来てくれって言われて行ったら、飛行機は持ってるし、楽器屋も持ってるし劇場も持っているという。要するに西海岸の方のコミューンはグレイトフルデッドが中心じゃないですか。東の方はラパンゼルって人がいたんですけど、ターナーズホールズの有名なコミューンだったんです。アーティストとか弁護士とかいろいろな人が集まかいっていて、こんなことってあるのかと思いましたね。
田家:ちゃんとした都市機能もあるんですね。当時、『イージー・ライダー』みたいな映画があって、アメリカのコミューンはテント村みたいな場所にヒッピーが集まっている的な紹介のされ方をすることが多くて。実際にそういうコミューン、チャーチはどういうところだったんだろうと思ったんです。
ミッキー:町の半分以上はそのコミューンが持っていて。ただ、もう70年代ですからヒッピーって感じよりも、もっとオルガナイズされた、全部持っているような。何しろ弁護士がいるっていうだけで違うじゃないですか。そういう雰囲気ですよね。なんでも自分で考えて、経済もコミューンですからみんなからお金を集めて増やしていく。
田家:サンフランシスコにあったコミューンから出てきたのがアップルの創業者、スティーブ・ジョブズだったりするわけですもんね。そこまでちゃんと機能を持った町だったんだ。
ミッキー:そこのバンドだったんです。トミーがメインのラパンゼルっていうバンドにいて。
田家:ミッキーさんがボストンに行かれたのは1971年でボストン。スティーブさんとバンドを組んだのは1972年で、その頃からそういうアメリカになっていたんですか?
ミッキー:いや、そのときはコミューンはあまり関係なかったですね。だいぶヒッピー文化が下火になっているので、『イージー・ライダー』みたいなのもいなかったし。僕が行ったのはボストンですから、ターナーズホールズっていうのはニューヨークに近い山の中というか。とにかく日本と圧倒的に違ったのはすべてが統計学とか、そういうものをちゃんとデータとして持っている上でやるんです。僕なんかオリエンタルだったから、モータウンなんかにも声をかけられたり、オーディションを受けたりとか、いろいろ得した部分もあるんですよね。やっと黒人文化、白人文化が交わってきたけど、まだまだ問題があった頃ですから、東洋人だからほとんど相手にされなかった。どっちかと言うとあっちは差別しているんだけど、こっちは区別されていたイメージで過ごしたんですけども。
田家:ゴダイゴの中では日本とアメリカの国境を越えたストーリーがいっぱいあるなというのも、今回あらためて思ったことではあるんです。
ミッキー:ゴダイゴの名前自体思いついたのはウッドストックですからね。
田家:2004年の映画『スウィング・ガールズ』のサウンドトラック。東北の田舎の女子高生がビッグバンドを組んでジャズを演奏する青春映画で、音楽担当がミッキー吉野さん。アカデミー最優秀音楽賞を受賞されました。この曲で思い出されることはどういうことですか?
ミッキー:僕はバークレー行っていたからビッグバンドは慣れているのですが、ビッグバンドを主体にした映画のサントラを作るのは結構難しかったですね。やっぱり同じようなものを作らないで、劇伴の方はギター中心で楽器編成から何から変えていったんです。
田家:アコースティックギターで。
ミッキー:それからパーカッションだったり、でも昔のビーバップとかビッグバンドのジャズの雰囲気も残しつつ、新しくビッグバンドにならないように作りたいなと思って、結構苦労しましたね。このサントラは1番苦労したかも。
田家:知っているからこそ苦労する。
ミッキー:そうですね。あまり似たようなもの作ってもしょうがないじゃないですか。違うところで1つの音楽のラインができないと、サントラは1つのストーリーになると思って。
田家:ボストンのバークレーではいろいろな音楽のカテゴリも勉強していくんですか?
ミッキー:そうですね。僕は専門がアレンジと楽器だったんですけど、特に僕がいた頃はまだまだいい時代のバークレーですから、元デユークエリントンのメンバーとか、カウント・ベイシーとか、いろいろなバンド・メンバーが先生でいた頃なんです。
田家:へー、すごい(笑)!
ミッキー:だからちょっと変なロックっぽいピアノを弾いていると、「お前何やってんだよ」って急に言われちゃう。プライベートレッスンもあるけれど、練習室があるんです。急に誰かが見ているんですよ、それがもうデユーク・エリントンのリードトランペットだったり。19歳ぐらいだったから調子乗ってロック弾いているじゃないですか。そうすると、「What do you play men?」とか言われちゃって。
田家:彼らにとっては邪道なんですね。
ミッキー:そう、邪道。そういうのはいつの時代もあると思うんだけど、あの頃はそうですね。
田家:すごいな。いきなり正統のど真ん中で行っちゃったわけですもんね(笑)。
ミッキー:邪道で思い出したけどさっきの『西遊記』もそうで、バイオリンのストリングスセクションにスライドさせるのは邪道だったんですよ。クーン♪って「Monkey Magic」ではやってるじゃない? あれも邪道で、これもほとんど喧嘩状態というか。クラシックなのにこんなの弾かすのかみたいになって。こっちはギターのクーン♪を同じ弦楽器でやったらおもしろいなと思ってやっているんだけど。
田家:映画の中には「Take the A Train」とかジャズのスタンダードもあって、それもミッキーさんが選ばれて?
ミッキー:それは矢口監督が選んでいるんですけど、これもパロディと言えばパロディなんですよ。「Take a train ride」だから。そこらへんで遊んでいくしかないかなと思って。
田家:ミッキーさんはカーメイン・キャバレロの『愛情物語』でピアノを夢見るようになった6歳だったわけですもんね。
ミッキー:そう。あれは親に連れていかれて観て素晴らしかった。「トゥ・ラヴ・アゲイン」。
田家:そういうことを思いながらあらためて原曲をお聴きいただこうと思うのですが、これピアノじゃないんですよね。
ミッキー:全然違う(笑)。
Take a train ride / 「スウィングガールズ」オリジナル・サウンドトラック より
田家:作曲をやることを本気で考えたのはどのへんなんですか?
ミッキー:僕の中で作曲・編曲というのは当たり前だったんです。編曲も作曲かなと思っていて。
田家:バークレーに行かれたときもそう思っていた。
ミッキー:作曲も小学生のときからしていますけど、でも学級会で弾いたり、授業参観のときに弾いたり。そうやっているうちに小さいときからピアノを弾けた。ただ、いつも弾けるからいろいろなものを弾かされて、つまらなくなってくる。そうすると反発してシンバル買ってきて、ジャーン♪って鳴らしたくなるとか、子どものうちからそうだったんですけどね。
田家:ゴダイゴは映画音楽多いですけど、それは意識されて映画音楽をやろうみたいな動き方をしていたんですか?
ミッキー:僕のプレイとかを最初に冨田勲さんが認めてくれたんですね。1960年代ですけども、冨田さんの仕事によく呼ばれて。そのときに彼のやっている映画音楽、ドラマ、CMとかいろいろやったときにこういう仕事もおもしろいんだなと思って、そこから火がつきましたね。
田家:ゴダイゴを初めて意識したのが映画『青春の殺人者』。あの中の「YELLOW CENTER LINE」だったんです。この曲かっこいいなあと思ったのが最初ですね。
ミッキー:あれは長谷川和彦監督と僕がNHKの『恐怖はゆるやかに』というところで、彼が脚本を書いて僕が音楽をやっていたんです。そのときに「Its Good Be Home Again」というゴダイゴの曲を使って。結局自分が監督で撮るときもあの曲を使いたいって言い出して。ちょうどゴダイゴも1stアルバムを作っていたので、あの中から選んでいって、そこから劇伴を作っていったんです。
田家: 1979年7月に発売になったシングルで、今回はアレンジとギター、ボーカルがMIYAVIさん、そしてキーボードがミッキー吉野さんです。
ミッキー:これはやっぱりいいですよね。今までいろいろな人がカバーしてくれたけど、それとは全然違う。新しい時代の999って感じがします。
田家:これもMIYAVIさんのところにオルガンのデータだけ行ったと。
ミッキー:そうそう。それは亀田さんのこだわりなんですよ。プログレっぽいオルガンソロを最初に出したらNG(笑)。「やっぱりあれがいいんですよね」って言われて、ほとんどオリジナルに近いオルガンソロを渡しました。
田家:こういう999もそうなんですけど、自分たちの代表曲に時間が経って向き合っているときの気持ちはどういうものなんですか?
ミッキー:かっこつけて言っているわけじゃないですけど、これは感謝しかないですね。過去の自分の中のヒット曲にそういうものがいくつもあって、だから今もできているんだなと。別にこれでなんとかっていうわけじゃないんですけど、感謝を持って演奏していくと。そういう感じですかね。
田家:この曲ができたときに曲の前にアレンジがあったという話を見たのですが。
ミッキー:これは違いますね。「Monkey Magic」とか「ポートピア」とかいろいろありますけど、アレンジが先にできている場合あります。陽子(奈良橋)の歌詞を見てタケが曲を書いてくる前にイメージを言われているんですよ。この歌詞を表現するにはどんなアレンジがいいかとか、そういうことはたしかにありますけど、これはそんな暇もなかったんです。タケカワも前日ぐらいに詞をもらって、曲を書いて、それを僕のところに朝持ってきて。僕はスタジオにいてそこからアレンジしている。あとはそれこそ降りてくるものとか、イメージしたものでSLを。それで間奏があれなんですよ。ふと降りてきたのがバッハだった。
田家:それは子どもの頃から頭に入ってるやつですか?
ミッキー:それはバークレーで練習させられた(笑)。ピアノのレッスンでやらされるんですよね。バッハはほとんど練習曲ですから。
田家:バークレーに行ったことがいろいろな形で活きているんですね。
ミッキー:そうですね。それまでは勝手にやっていたし、好きな音楽を選んだり。でも、確信できるわけじゃないですか。習うとね。そういう意味では本当によかったです。
田家:カーメン・キャバレロの『愛情物語』でピアノに惹かれた人がザ・ゴールデン・カップスまで行く、その過程もずっとあったわけでしょ?
ミッキー:要するに演奏するのが好きだったんじゃないかな。
田家:そういう中でザ・ゴールデン・カップスはどういうバンドだったか、来週お話を訊こうと思いますが。今日最後の曲は1979年に発売になった原曲のシン・ミックス。「銀河鉄道999」です。
田家:ゴダイゴで最初はあまり思うような結果が出ないような時代ではあったんでしょ?
ミッキー:そうですね。ちょうどゴダイゴやろうと思って帰ってきたときが、井上陽水とか吉田拓郎、小室等さん。フォーク全盛の頃じゃないですか。ちょっとお呼びではないな、僕は結構ギンギンでどうしたらここでヒットを出せるかな、やっぱりバンドやるならヒットしなきゃいけないというのがあったので、そこに1番頭を使いましたね。
田家:これがダメ押しになったわけですもんね。
ミッキー:そうですね。おかげさまで(笑)。
田家:これも亀田さんが言われていたんですけど、「銀河鉄道999」をいろいろな媒体が紹介するときってカバーを紹介することがほとんどなくて、みんなオリジナルが頭にある、こんなにオリジナルの印象が強い曲は珍しいと言ってました。
ミッキー:去年もコマーシャルとか、朝のワイドショーとかに使われていますけど、ほとんどオリジナルですもんね。冠婚葬祭全部いける曲だと思うんですよ。結婚式でも新しい旅立ちとか、それからお亡くなりになったときもこれで送れるとか。そういう意味では本当に素晴らしい作品だと思います。
田家:今回のアルバムでは「Take a train ride」の後に「銀河鉄道999」って並びが遊びになってますね。
ミッキー:これがまたいいんだよね。そこからまた続くとかね(笑)。
田家:来週もそういう話になります。ザ・ゴールデン・カップスのお話も伺います。来週もよろしくお願いします。
ミッキー:はい、よろしくお願いします。
田家:「J-POP LEGEND FORUM ミッキー吉野70歳」。2月2日に発売になったアルバム『Keep On Kickin It』のご紹介。今週と来週のゲストはミッキー吉野さんご本人です。今週はアルバム前半の原曲を中心にご紹介しました。流れているのはこの番組の後テーマ、竹内まりやさんの「静かな伝説」です。
こういうトリビュート企画の番組は原曲が先にあって、こんなふうに変わりましたと構成されることが多いんです。去年の松本隆さんのときもそういう形にしたのですが、今の録音されたものを聴いて、原曲を流して「その当時はどうだったんですか?」 ということでご本人に話を訊く。今週と来週はそういう形でお送りしますが、あらためて知ったことが本当にたくさんありました。ゴダイゴは英語で歌って中国でも人気になって、日本でも国民的なバンドになったことはどなたでもご存知なわけですが、その成り立ち方がどうだったのか、あらためてゴダイゴ45周年公式本を見ながらたどっていったら、日本とアメリカという両方の国が関わっている。それがバンドの成り立ちにずっと流れているのはゴダイゴだけだなってあらためて思いました。
ミッキーさんはカップスを抜けてからボストンに行かれた。横浜の後輩のスティーブ・フォックスさんもボストンに後を追うように行って、向こうでバンドを組んでそのときから既にゴタイゴの名前があった。更にバンドを組んだ後にトミー・スナイダーさんに2人でコミューンまで会いに行った。コミューンという言葉は知っていたんだけれども、実際どういう場所だったか、みんなどういう生活をしていたのかは全然日本には紹介されていないなと思ったんです。今日ミッキーさんに話を聞いて、そんなに立派な場所だったんだと思って。Appleを作ったスティーブ・ジョブズさんがサンフランシスコのヒッピーで、ヒッピーのコミューンにいたということが、そういうことだったんだと思ったんですね。アメリカの歴史の中でヒッピームーブメントが、あらためてどれだけ確立されたものだったのか、どれだけ社会的なものだったのかという発見に繋がったのも今日のインタビューでした。ゴダイゴ再発見が続きます。
アルバム『Keep On Kickin It』ジャケット写真
<INFORMATION>
田家秀樹
1946年、千葉県船橋市生まれ。中央大法学部政治学科卒。1969年、タウン誌のはしりとなった「新宿プレイマップ」創刊編集者を皮切りに、「セイ!ヤング」などの放送作家、若者雑誌編集長を経て音楽評論家、ノンフィクション作家、放送作家、音楽番組パーソリナリテイとして活躍中。
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