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絶体絶命のウクライナ音楽シーン、カルチャーを破壊された当事者たちの怒りと絶望

Rolling Stone Japan / 2022年3月19日 8時30分

ウクライナのヘヴィロック3人組、Kat(Photo by Daria Polukarova)

ウクライナ国内では2014年の革命以来、オールジャンルの多様な音楽シーンが盛り上がっていた。それが今まさに、ロシアの侵攻で危機に瀕している。

キリロ・ブレナーはギターとエフェクトペダルを置いていく他なかった。母国ウクライナがロシアに侵攻されて以来、人気トリオバンドKatのギタリストは衣服や水といった必需品を携え、妻とともに生まれ故郷のハリコフから西へ向かった。ハリコフから数時間のところにある親戚の家でZoom越しに話すブレナーは、まだ震えていた。「これがどうにか終わって、また演奏できるようになってほしい」と彼は言う。「だけど今は、明日の見通しすら立たない。これからどうなるのかわからない」



ロシアのウクライナ侵攻で、この国では日常生活のあらゆる側面がまるで変ってしまった。盛り上がりつつある音楽コミュニティもそのひとつ。ウクライナのアーティストの大半は国外ではあまり知られていないが、とりわけ民主化を達成した2014年の革命以降、この国ではヒップホップやダンスポップ、テクノ、パンク、ハードコアに地元らしさをプラスした多様なポップシーンが勢いを増している。

ウクライナにはどんなリスナーも満足させるものが揃っている。生まれ持ったエチオピアの伝統のエッセンスをヒップホップと融合し、キエフとハリコフを拠点に活動する三姉妹グループFo Sho。一度聴いたら耳から離れないエレクトロポップを送り出すOnuka。Postmanの繊細なアコースティック・インディーポップには、ボブ・ディランやニック・ドレイク、デヴィッド・クロスビーの影響が伺える。他にも、エレクトリックの雄Vagonovozhatye、様々な表情を見せるシンセポップのKurgan & Agregat、ハードなヒップホップAlyona Alyona、ライオットガール系の激しいDeath Pillがウクライナの音楽シーンを飾る――彼らも数百もの注目アーティストのほんの一部に過ぎない。

ウクライナはインディーズレーベルの聖地でもあり、キエフを始め国内各地でライブ・シーンが盛り上がりを見せている。「2014年の後、この国では今まで経験したことがないくらい、いい時代が来たと思った。ある意味、すべてが花開いたんだよ」と言うのは、Postmanことシンガーソングライター兼ギタリストのコンスタンチン・ポーターだ。「すべてはあの時、革命の後から始まった」


Postmanことコンスタンチン・ポーター(Photo by Andriy Boyar)

DJ兼テクノレーベルのオーナーで、Konakov名義でリキッドレイヴのサウンドトラックを制作するボディア・コナコフもこう続ける。「たくさんの面白いアーティストたちが、全世界に自分の音楽を届けるチャンスを与えられた。革命がもたらす影響に誰もが関心を抱いていた。波が押し寄せているようだったよ。誰もが新しい音楽シーンの構築に一役買いたいと願っていた。美しい団結の時代だった。そのおかげで今こうして力強い音楽シーンが存在しているんだ」

だが、そうした音楽シーンは今、それを育んだ国と同じく深刻な脅威にさらされている。ミュージシャンからDJ、業界関係者に至るまで、ウクライナの音楽シーンの人々は留まるか、それとも国外へ逃れるかと言う選択を迫られている。やっとの思いで手に入れた音楽シーンがロシアの支配を乗り切れるか、それともロシアによって破壊されてしまうのか、と考えあぐねながら。「今は曲を書けるかもわからない」 DJ Korovolaとして10年以上も国内外でテクノを回してきたオルガ・コロヴァラはこう語る。「情熱がなくなってしまったんだもの。胸の中が壊れてしまった。何も感じない。すごく空っぽなの」

ウクライナ独自のシーンが開花するまで

フォークであれパンクであれEDMであれ、2014年の尊厳革命以前からウクライナには数々の音楽が存在していた。最初は蜂起がどういう方向へ向かうのか誰にもわからなかったが、最終的に思いがけない幸運をもたらした――国にとってはもちろん、この国のミュージシャンたちにとっても。政権交代とほぼ時を同じくして、文化大臣はクリミア併合を支持するロシア人アーティストのウクライナ入国を禁止した。入国禁止リストの中にはロシアの人気シンガー20人の名前も挙がっていた(リンプ・ビズキットでさえも入国を拒否された。フレッド・ダーストの当時の妻がクリミア出身で、ダーストが地元当局に「プーチンは明確な倫理原則を持った偉大な人物、素晴らしい人物だ」という手紙を書いたためだ。ダーストは5年間ウクライナから入国を禁止された)。

ウクライナのプロモーターがロシア人アーティストをブッキングしたがらなくなり、多くの会場が地元アーティストたちに門戸を開いた。「他のアーティストの代わりを務めるチャンスが巡ってきたんだ」と言うポーターは、当時サイケデリック系のバンド5 Vymir(英訳するとFifth Dimension)でプレイしていた。「まだ若いバンドだったけど、突然大きな会場でやらせてもらえるようになった。半分しか埋まらなかったけどね。でも大きなステージで、ちゃんとした音響、ちゃんとした機材で演奏できた。観客もとても気に入ってくれたよ」

「成長の第一歩でした」と言うのは、ウクライナ随一のコンサートプロモーターで、チケット販売会社のオーナーでもあるロスチスラフ・クリク氏だ。「制作側も新しいサウンドシステム、新しい照明機材、新しいテクノロジーを取り入れるようになりました」



アンダーグラウンドミュージック専門サイトNeformatを運営するヤリナ・デニシュウクさんいわく、ウクライナにも革命以前から「良質なスクリーモやハイクオリティのスケートパンク」など価値ある音楽があったそうだ。だが彼女の言葉を借りれば、「革命の後、人々は自分たちの言葉、民族の伝統、音楽、国全体を称賛するようになりました。自分たちはロシア世界やロシア文化、ロシアのバンドの一部だと考えるのを止めたんです。自分たちのアーティスト、自分たちの独自性があちこちで開花してゆきました。その前に素晴らしい音楽がなかったわけではなく……昔よりずっとウクライナ人はもちろん、海外の人たちの目にも留まるようになったんです」

「パラドックスでもあるよね」と言うブレナーは、生活のためにwebアプリケーションのテスターとして働き、Kat以外に2つのバンドをかけもちしている。「プーチンとロシア政府は僕らのことを嫌っていて、この世からいなくなってほしいと思っている。でも同時に、この国や国の気質を作ったのは彼らなんだ。2014年以前は、僕も含め大勢がただ毎日をやり過ごすだけだった。こういうことが起きてから意識が変わって、自分たちのアイデンティティを模索し始めた。それが音楽にも影響を与えたんだよ」

2014年以降、ウクライナでは独自のフェスティバルやインディーズレーベル(定評のあるDJ兼プロデューサー、ドミトリ・アフクセンチエフが運営し、キエフのテクノクラブにちなんで名づけられたStandard Deviationなど)、ライブハウスが次々と誕生した。キエフのクラブStereo Plazaには5000人のファンが詰めかけ、家具倉庫を改造したCloserでは夜な夜なDJやエレクトロミュージックの重鎮が顔を揃える。昨年夏には、かつて兵器工場だった国立アートセンタービルに新たなテクノクラブArsenal XXIIがオープンした。



この1年半はおもにロンドンを拠点とし、最近キエフに戻ってきたばかりのコナコフは、とくにEDMが全盛期を迎えていると感じている。「ウクライナのEDMは独特なんだ。ダンスフロアが独特の雰囲気だからね」と彼は言う。「単にクラブに行くだけじゃなく、警察や汚職、人権、自由に対する自分の立場を表明することでもある。ウクライナのダンスフロアは楽しむだけの場所じゃないんだよ」。コナコフの2021年のシングル「Dance Before Your Death」は、新型コロナウイルスや戦争の前に書かれたとはいえ、まるで未来を預言していたかのようなタイトルだ。

ポーターいわく、この8年間に現れた大量の音楽は、ウクライナ人の頭上にダモクレスの剣が大きくのしかかっていることの表れでもある――ロシアが何らかの手段で、また戻って来るのではないかという恐怖だ。「それが僕やバンドや音楽仲間の主な原動力だったんじゃないかな」と彼は言う。「明日には全て終わってしまうかもしれない、という思いがある。だからできる限りたくさん、それもできるだけ早くやらなくちゃいけなかった」

「ロシアを許さない」怒りと憎しみ、祈りの声

今やウクライナの音楽家たちにとって、そうした陶酔の日々は遠い過去のようだ。クラブは閉鎖され、ジミ・ヘンドリックスが愛用したのと同じ型のマーシャルアンプがあることで有名だったハルコフ郊外の森の中のスタジオは、辺り一帯が激しい爆撃に遭っている。「間違いなく音楽はある種のセラピーだ」と言うポーターは、侵攻が始まったときに第2の故郷ポーランドにいた。「子供の頃、人生でどうしていいかわからなくなったときはいつも音楽を頼りにしていた。音楽がつねに助けてくれた。でも今は演奏しようという気分になれない」 Fo Shoに至っては、マネージャーの話では、「攻撃を受けている」最中のためローリングストーン誌の取材には応じられないという。



多くの国々同様、ウクライナの音楽業界、とりわけライブ業界はパンデミックのあおりを受け、ようやく数か月ほど前に営業を再開したばかりだ。普通ならこの時期クルク氏は、6月に国内外のアーティストを迎えて行われる毎年恒例Underhill Festivalの最終調整をしているはずだった。3日間にわたるこのフェスティバルはすでに2万人の観客動員が見込まれていた。だがこのフェスティバルの運命も、また地元アーティストと並んでトゥエンティ・ワン・パイロッツ、ヤングブラッド、アルト・ジェイも出演予定だった夏の風物詩Atlas Festivalの運命も、定かではなくなった。

「今は(フェスティバルのことは)考えていられません」とクルク氏。「どうするかなんて言っていられません。今この瞬間言えるのは、どうすればウクライナを失わずに済むかということだけです」。クルク氏はアーティストからの電話を待つ代わりに、拠点とするウクライナ西部最大の都市、ポーランドとの国境近くのリヴィウになだれ込んできた約10万人の人々のために、住む場所やシェルター探しに奔走中だ。「人生最大のフェスティバルをオーガナイズしているようですよ」

仮にフェスティバルが開催されたとしても、いったい誰がパフォーマンスするのか誰にもわからない。クルク氏は携帯電話のカメラで、Instagram用にウクライナの2つのバンドの写真を撮影した。そのうちひとつはベテランロックバンドのBoomboxで、武器を手に祖国のために戦わんとしている。同じくコナコフも、運営するインディーズレーベルの最新コンピレーションに参加した20人のウクライナのエレクトロアーティスト全員が、何らかの形で戦闘に駆り出されたという。


ボディア・コナコフ(Photo by Alina Gelzina)

国そのものと同じく、音楽シーンも先が見えない状態だ。成長途上だった開放的な音楽シーンの今後を危ぶむ者は多い。「最悪の場合、仮にロシアが勝利したら、音楽も含めウクライナの文化は姿を消すでしょう。この戦争での彼らの目的は私たちの国を滅ぼすことですから」とデニシュウクさんも言う。「大勢のミュージシャン、大勢のバンドが、ウクライナへの愛国心を示してきました。彼らの大勢がここに留まって国を守る覚悟です。ロシアの支配下で彼らの未来がどうなるのか、想像できません」

「アーティストは一人残らず生きていないでしょうね」と言うのは、Onukaのボーカルを務めるナタ・ツィズチェンコだ。現在はキエフ郊外の自宅で、夫と2歳の息子と身を寄せ合っている。「多分10%の人々は、どこにも行く当てがなくなると思う」と言って、さらに冷静にこう付け加えた。「私たちは今、戦争地域にいるのよ。明日も生きていられるかわからない」

仮にロシアに母国を崩壊されたら、留まる理由は見当たらない、とブレナーも言う。彼がギターを弾くヘヴィロック・トリオKatは3月半ばにニューアルバム『Call』をリリースし、その後ツアーを行うつもりだった。そうした計画は、ウクライナの未来とともに乱されてしまった。「親ロシア政権の国で暮らすつもりはないよ」と本人。「絶対に、絶対にありえない。もし国を出ても、友人と同じ町で暮らせる可能性はごくごくわずかだ」

だが、国内に留まるにせよ国外脱出を迫られるにせよ、一部のアーティストはこれまで肌身で感じ、目にしてきた経験をふまえ、悪夢の中から必然的にアートが生まれてくるだろうと感じている。「次のアルバムやEPのヒントがたくさん見つかるわ。過去にも乗り切ってきたし、この先も乗り切っていける」とツィズチェンコは言う。「この経験を生き延びられないなんて、誰にも想像できないもの」

Death Pillのドラマー、アナスタシア・コメンコもこう語る。「命をかけて私たちを守ってくれる英雄や、この恐ろしい戦争を経験した勇敢な一般市民に捧げる曲が出てくるでしょうね。ロシアの戦艦なんかさっさと出ていけ、とか。私たちの音楽は前よりもヘヴィに、怒りや憎しみに溢れたものになると思う。彼らが私たちにしたことは絶対に忘れないし、絶対許さない」



先週DJ Koronovaは夫と10歳の娘と暮らすキエフにいた。侵攻が始まると、彼女は持てる限りの荷物を持って、娘と妹の3人で車を飛ばし、2時間かけてウクライナの自宅からポーランドへ渡った。ウクライナ政府は18~60歳の男性は残って戦うよう命じているため、夫を後に残していかねばならなかった。

ピアノやDJセットなどの仕事道具も置き座りだが、そのことを彼女は全く心配していない。「新しいものを買えばいいわ。大したことじゃない」と彼女は言う(ブレナーは残していったギター類について、「いつか(家に)戻れたらと思う。殺戮者や泥棒がいないことを願ってるよ」)。

この週末、KoronovaはなんとかポーランドでDJする機会を得て、全曲ウクライナ人のエレクトロ仲間の楽曲をスピンした。仮住まいのホテルの部屋で、娘が背後で駆けまわる中、彼女はすすり声を上げ始めた。「みんな無事でいてほしい」

From Rolling Stone US.




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