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ウクライナの人気ロックスターが、母国防衛に協力する理由「今は戦士になるしかない」

Rolling Stone Japan / 2022年3月27日 8時45分

スヴャトスラフ・ヴァカルチュク(Photo by Helen Bozhko)

「戦争前はジョン・レノンの『イマジン』が俺の信条だった……だが、子どもたちを殺そうとするような奴が現れたら、話は別だ」。そう語るスヴァトスラフ・ヴァカルチュクは、ウクライナでもっとも有名なロックスターの一人だ。

【動画を見る】広場で歌い、市民の士気を高めるヴァカルチュク

90年代にウクライナ西部リヴィウで仲間と結成した国民的ロックバンド、オケアン・エレウズィのボーカルを務めるヴァカルチュク。世界各地をツアーで回る彼らの音楽は、ウクライナとは切っても切れない存在である。政治的問題にも恐れず真正面から立ち向かい、2004~2005年のオレンジ革命では民主改革を訴え、2014年のマイデン抗議運動にも一役買い、2014年のクリミア併合以降はロシアでの演奏を拒み続けている。スラヴァの愛称で知られるヴァカルチュクは一時期政界に進出し、30代初めにしてウクライナ議会の副議長を務めたが、アーティスト活動のほうが国に変化を起こすチャンスが広がると判断した。

2月24日、ロシアが祖国に全面戦争を仕掛け、数時間後にロシアのウラジミール・プーチン大統領が「特別軍事作戦」を公表した時、ヴァカルチュクはキエフの自宅で最初の爆撃を耳にした。「あれは本当、悪夢だった」と彼は言う。「爆発の直前に目が覚めた。なぜだかわからないが、胸騒ぎがしたんだ。直感だよ」。だが恐怖におののく暇はなかった。彼はすぐに行動を起こし、有名人としてのコネや地位を活かして、民間人が街を出て安全な場所へ避難するのに手を貸した。

彼は数日のうちにチームを集め、陸軍中尉に任命された。ミュージシャンである彼は街から街へと移動しては部隊を慰問し、前線に必需品を届け、ウクライナ人の士気を高めた。彼が目にした惨状や苦難は痛烈だったが、心打たれる熱意やガッツも目の当たりにした。「俺は一番の愛国者だし、ずっと国民を大事に思ってきたが、そんな俺でも驚いたよ」と彼は言う。「ウクライナ人は100点満点の勇気、戦闘力、抵抗力を見せた。今、ウクライナは世界でもっとも偉大な国だと思う」

ヴァカルチュクはローリングストーン誌に、現在行なっている活動やアーティストとして国を守ることの意義について胸の内を語った。また戦争下で聴いている音楽について、それから国際社会に何を望むか、ウクライナを支援するために何ができるかを熱く語ってくれた。以下その発言をお届けする。


「俺はロックスターであると同時に、陸軍中尉でもある」

「俺の家族は全てが始まる直前にウクライナ西部に移っていたので、家には俺と2匹の猫だけだった。スマホでインターネットを立ち上げると、安全保障会議の中継をやっていたので、それを見た。すると途中で、プーチンが演説をするという速報が入った。午前4時だったので、宣戦布告だろうとうすうす感じていた。演説が始まって10分ぐらいだろうか、爆発の衝撃を感じた。この戦争で最初のミサイル攻撃のひとつだった。俺たちはチームの女性たちと子どもたちを集めた。俺が運転手を務めて、彼らを比較的安全なウクライナ西部まで連れて行き、また引き返して、すぐに今の活動を始めた――人々を移動させ、ウクライナ各地を回り、他の人々と活動したり、士気をあげたりした。

最初は親戚や友人と始めたが、やがて初めて会う人たちも何人か加わった。人口の90%以上が顔見知りという状況なら、人生もいくらか単純明快になる――ただし、怪しい顔つきでない限りは。今じゃウクライナの男はみな怪しげな顔つきだから、誰も敵だとは疑わないが。それが戦争だ。IDがなく、自分の素性を証明できないと、自動的に怪しい奴ということになる。俺の場合は楽勝だった、検問所でも前線でも、姿を見せれば誰もが喜んで迎えてくれるし、手を貸してくれる。国を出ようと思ったことは一度もない。むしろ俺にとっては、ここに留まって祖国を守れることが一番の栄誉だ。俺と友人、それに一緒に活動している弟も正式に軍に志願した。国中を移動して活動できるよう書類を申請したが、重要な活動だと思ったんだろう、いきなり許可が下りた。だから今じゃ俺はロックスターであると同時に、陸軍中尉でもある。

俺の友人もみな同じことをした。この国では、大学卒業後に軍隊訓練を受ける場合がある。俺たちもそうだった。最終的には予備軍中尉になる。一度も活用せずに終わることもあるが、戦争中は駆り出される。俺の友人も、ミュージシャン仲間も、ウクライナの有名ミュージシャンもみんな銃を取り、防衛軍として活動している。ある意味両極端だ。はた目には、俺はアーティスティックな人間なんだから――音楽が大好きで、音楽に夢中な人間だよ。俺自身、自分は生粋のミュージシャンだと思ってきた。常々こういう人々は、いってみれば平和主義なんだ。戦うことよりも、愛や善行を重んじる。彼らが戦(いくさ)をおっぱじめるなんて誰も思わない。戦争前は、ジョン・レノンの『イマジン』が俺の信条だった。わかるだろ? それは今でも俺の胸に、骨の髄に刻まれている。だが、子どもたちや女性を殺そうとする奴が現れたら話は別だ。これまでの人生で自分たちが築き上げてきたもの、自分たちの街やなにやらを全て破壊しようとする奴が現れたことで変わった。頭の中に、魂に、胸の奥に、なにやら憎しみが生まれる。この手の憎しみはとても質が悪い。俺はそんなのを抱えていたくない。自分の中にあるのも嫌だ。だが、それを取り除くにはこの戦争に勝つしか方法はない。だから、アーティスティックな人間が戦士になるという両極端が起こる。今は戦士になるしかない」


「昨日も寝る前に、ジョン・コルトレーンの『至上の愛』を聴いた」

「マッシヴ・アタックのリーダーのロブ(・デル・ナジャ)が、戦争が始まったその日にメールをくれて、自分や他の人たちに何かできることはないかと尋ねてきた。俺はウクライナについて話題を広めてほしいと頼んだ。彼らは今もそうしてくれている。キエフにある俺たちの大好きなスタジオには素晴らしい機材があるんだが、そこも危機にさらされていた。今のところまだ崩壊はしていない。戦争が始まって1週間後、活動の途中でキエフに1日立ち寄り、残してきたハードドライブや楽曲を全て回収した――コンピューターやギターやアンプ、何から何まで俺たちにとっては大事なものをすべて運び出した。今じゃスタジオはもぬけの殻だ。唯一運び出せなかったのは大きなアコースティックのスピーカーだけで、あとは全部運びだした。だが俺が生まれ育ち、チームの大半が活動拠点とする街で、手ごろな広さのスタジオを見つけた。大勢のプロデューサーや音楽マネージャーやコンサートのオーガナイザーから連絡があって、世界各地で様々なチャリティコンサートやらチャリティイベントに参加してほしいと俺たちや他のミュージシャンに打診があった。無理な話さ、俺たちは――少なくとも俺と仲間は――ここに留まって国を守っているんだから。だが、俺たちは代表曲をいくつか収録することにした。突如スタジオに入って、「You Are So Beautiful」を収録することにした。グランドピアノがあったので、それを弾き始めた。祖国に捧げようと思った。

いつか戦争が終わったら、きっと全てが終わる日が来ると思うが、ウクライナ人が――世界の人々も――すべてに思いをはせ、振り返る日が来るだろう。思い出や本や映画になるときが来ると思う。俺がこうして語っていることも、きっと思い出の一部になるだろう。でもこういうのはむしろ非現実的だ。想像してみてくれ、俺は病院でロシア軍の攻撃で負傷した人々を目にしてきた。足や内臓がない子どもや、両親を亡くした人を見てきた。ウクライナ第2の都市ハルキウの中心地がすっかり廃墟と化し、1941年のロンドンかコヴェントリーみたいになっているのを見た。実際にこの目で見て、肌で体験するんだ。感傷に浸る余裕はない。感情に流されれば涙が止まらなくなる。俺も戦士のテクニックを使ってできるだけシニカルになろうとしている。でも夜1人で眠りにつく時には、詩を書いたり、家族に電話したり、好きな音楽を聴いたりする。子どもの頃はビートルズやレッド・ツェッペリンのようなクラシックロックを聴いて育ったが、今ではなんでも聴いている。移動の時も音楽を聴く。この間はアレサ・フランクリンやマーヴィン・ゲイを聴いていた。ジャズも好きだ。昨日も寝る前に、ジョン・コルトレーンの『至上の愛』を聴いた。俺はふたたびスラヴァに戻り、感性豊かなミュージシャンとして、クリエイティブな自分に満足する。だが日中は国が必要とする人間として、周りの人々を鼓舞する。強く、エネルギッシュで、ポジティブな人間にならなくては」


必要なのは「精神的なサポート」

「今日はハルキウに行った。軍事品や衣料品、人道支援や食料などたくさんの支援物資を持って行った。小型トラックもあったから、地域防衛隊のところに置いていった。それから地下にも行った。今のハルキウではそこがもっとも確実なシェルターだ。大勢の人が文字通り、地下鉄の車両で生活していた。想像できないだろう。大空襲のときのロンドンみたいだ。彼らのためにいくつか歌を歌った。みんな文字通り、地下鉄の駅のホールの階段に座っていた。200~300人の前でアカペラで歌うのは、おそらく人生で初めての体験だった。ギターでも1~2曲演奏した。その後いくつかの部隊を訪問した。街を横断するのはとても胸が痛い――数カ月前に訪れた場所、コンサート会場、誕生日を祝った場所を目にするんだ。まるでパニック映画のように、街の全てが破壊されている。こんなことが自分の国で起こるなんて信じられないだろう。ハルキウの病院に行って、病院の院長と話をした。院長によれば、戦争の序盤にロシア軍と文字通り一戦交え、敵を街から追い出したそうだ。

俺から世界各地のオーディエンスに伝えたいメッセージは3つある。最初は軍事的なメッセージだ。ロシアを止めるにはみんなの助けが必要だ。俺たちには対ミサイル防衛システム、戦闘機、ウクライナ上空に飛行禁止区域が必要だ。飛行禁止区域が無理なら、せめて最初の2つは欲しい。西欧では、俺たちに加担しすぎるとプーチンを挑発して第3次世界大戦になる、というのが一般的な意見だが、実際のところ第3次世界大戦はすでにプーチンによって勃発していて、ウクライナは今その前線に立っている。2つ目は経済的なメッセージだ。可能な限りロシアに制裁を科してほしい。ロシアの人々を苦しめたいからじゃなく、ロシアの人にプーチンを止めてほしいからだ。だからこそCitiグループのような大企業やその他アメリカ企業や国際企業には、ロシアとの取引をストップしてほしい。奴らの懐を肥やす手伝いにしかならない。ロシアに税金を払うことで、ロシアはその金で戦車や戦闘機を買い、俺たちの子どもを殺している。3つ目は、おそらくこのインタビューに一番ふさわしいと思うが、精神的なサポートだ。アメリカや他の国々の有名人も含め、全世界が俺たちを応援してくれている。曲を作ったり、アート作品を制作したり、募金活動をしたり、とにかくウクライナについての話題を広めてほしい。

今後も今の活動を続けるつもりだ。前にも増して救援物資の運搬に力を入れ、精神的な支えの他に価値あることをしたいと思っている。これからも活動は続けていく。今まで以上に力を入れて、他に協力してくれる人も増やしていきたい。オンラインコンサートや募金活動にも参加する。だが、今一番大事なことはプーチンや奴の軍隊を止めること。そしてこの戦争に勝つことだ」

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