SNARE COVERが語る音楽生活20年の歩み、井手上漠の人生をテーマに書いた新曲
Rolling Stone Japan / 2022年4月15日 15時0分
「あの子」の本音を歌にする音楽プロジェクト「わすれね」が始動した。その第一弾アーティストを担ったのが、SNARE COVER。彼が以前から惹かれていたという、ジェンダーレスモデルの井手上漠にインタビューを敢行し、井手上の人生をテーマに「私らしく、僕らしく-井手上漠のこと-」を書き上げた。
今回は楽曲の制作にまつわる話から、SNARE COVERのこれまでについても、じっくりと話を聞いた。
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ーSNARE COVERの新曲「私らしく、僕らしく-井手上漠のこと-」は、今までにない新しい制作方法ですね。
タレント、モデル、インフルエンサーの中から1人をピックアップして、その方の人生をテーマにインタビューを行った上で、楽曲制作をする「わすれね」というプロジェクトがありまして。それに参加したのがきっかけで、今作を作りました。
ー斎藤さんがピックアップされたのは、ジェンダーレスモデルの井手上漠さん。
はい。僕は以前から漠さんには興味がありまして、実は「わすれね」の機会をいただく前から、漠さんの曲を作っていたんですよ。それくらい特別な存在なので、今回の企画に声をかけていただけてすごく嬉しかったですね。
ー井手上さんのどこに惹かれたんですか。
”性別を超越したような存在”という魅力もありますし、なにより漠さんの醸し出す雰囲気や美しさが、やっぱり特別に思えたんですよね。ただ可愛いとか綺麗なだけじゃなくて、生き方の背景込みの美しさがあるなって。
ーそもそも、斎藤さんはジェンダーレスについて、どう思ってます?
日本だけかもしれないですけど、デリケートな話でありますよね。何より漠さんのように「ジェンダーレスであることは恥ずかしいことではない」とか「堂々として良いことだ」という表現をするのは、誰もができることではない。選ばれた存在なんだなって素直に感じましたし、魅力的に映りました。
ーそれで井手上さんの曲を作ろうと決めたと。その後、曲作りのヒントを得るためにインタビューをされたんですね。
基本的にはインタビュアーさんが漠さんのことを聞き出す感じで、そこに僕も同席させていただいて。1時間ほど育ってきた環境だったり、その中で感じたことだったりを聞きまして、そこから歌詞や楽曲のヒントを得ました。
ー事前に色々と準備をされたそうですね。どういう話になるのか、ある程度のイメージを固めて臨まれたんですか?
はい。ジェンダーレスについての葛藤が大きな話題になるだろうと思っていたんです。だけど実際にお会いすると、そういう葛藤や概念は超えているように感じたんですよね。性別や周りの目に対する辛さは乗り越えている、凜とした感じがあったんです。僕が当日、用意していた質問内容はデリケートな話題が中心だったんですけど、それよりも突き抜けた感覚を得ましたね。
ーじゃあ前々から井手上さんの曲を作っていたと言ってましたが、ご本人とお会いになって楽曲の方向性も変わった?
そうなんです。すでに2、3曲のデモを作っていて、このどれかがハマるかもしれないなと思っていたんです。だけど、用意していた中から作るのは止めて、新たにインスピレーションを受けたもので楽曲制作をしようと決めました。
ーお話しした中で、胸に刺さった言葉はありましたか。
「好きなものは誰にも奪えない」という言葉を聞いて、すごいショックを受けたというか色んな感情が浮かんだんです。その答えに到達するまでに、僕には想像できないような経験をしてきたと思ったし、漠さんはまだ19歳ですけど年齢は関係ないんだなって。あの若さでその真理を持っているのは、この先どんなことをやっても強いし、どこにいても自分でいられるはずで、その感覚を自分も持ちたいなと思いましたね。
ー先日、お2人が共演したラジオを聴いて驚いたんですけど、インタビューしたその日に電車の中で歌が降ってきたんですよね。
僕も不思議でしたね。インタビューの帰りに、ホテルへ向かう電車の中でサビのメロディと言葉が一緒に降ってきたんですよ。「これを忘れないように、どこかで形にしなくちゃいけない」と思ったんですけど、札幌の人間なので東京のどこにスタジオがあるのか分からないから、近くのカラオケボックスを探して、そこで今作のベースを作り上げました。
ー今振り返ると〈遥か 聞こえてくる〉のフレーズが最初に浮かんだのは、どうしてだと思います?
それは漠さんの奥深さや美しさ、突き抜ける感じが大きいと思います。心のすごい奥にある遠くの方から何かが来る感覚とか、自然だと山の遠いところから神聖な感じで何かが来る、そういう突き抜ける感じが音像に現れたのかなと。
ー今回の歌詞は井手上さんのことを説明しすぎず、だけど短いワードに意味を凝縮をしている印象を受けたんですよね。
嬉しいです。まさに、そういう感覚が自分にもあるので。
ー曲を聴く前は、苦労や葛藤を抱えてきた井手上さんの陰の部分に迫った曲なのかなと思ったら、実際は逆で。希望を持って育った町を出ていく力強い曲になっていました。
やっぱりキャッチーなのは、そういうデリケートなところですよね。ジェンダーレスだからこそ、性別のことで苦しんできたりとか、それを乗り越えてきたストーリーは確かに分かりやすい見せ方だと思います。ただ、本来の漠さんから感じるものは何か? という視点がないと、楽曲として良いものにならないですし、漠さんに対して失礼になってしまう。漠さんが今何を感じていて、今何を大事にしているのか。そういう等身大の想いが反映されてないといけない。当日会った発言や姿から感じた中で、一番僕が思ったのはポジティブさでしたし、あと性別の壁に拘っていないところとか、「みんなが思っているよりも、全然大丈夫なんだよ」という想いをすごく感じたんですよ。
ー世間の表面的なイメージとは違った。
辛いけど、なんとか頑張っていこう! って感じよりは「周りの目を気にせず、もっと好きなことをやっていいんだ」という気概が溢れていたので、そこを曲にも出さないといけないと思いました。そもそも僕の音楽が、ガンガン歌詞を詰め込むタイプじゃなくて、言葉の持つ響きの美しさも大事にしているので、どうしても韻を踏ませたいこだわりもある。響きの美しさも踏襲しつつ、歌詞の内容も濃くするのは本当に難しい作業でした。僕だけの力では出来なかったですし、コライトしてくださった皆さんの意見もたくさん反映されていて。漠さんと長いお付き合いのある方々の声も取り入れさせてもらい、ようやく完成した1曲なんですよね。
ーメロディやアレンジを考える上で、大事にされたことはなんですか?
僕が音楽を作る上で、メロディが最上位にあるんですよ。それだけ自分のメロディを信じてるところがあって。あまり理論的というよりも、感覚的にこれが良いなと思って選んでいる感じなんです。アレンジに関しては、デモ段階で大まかに2パターンありまして。自分がやりたいようにやったキーの高いバージョンを最初に作ったんです。だけど、それだと言葉が伝わりにくいかもしれないし、初めて聴く人にはマニアックに聴こえてしまう可能性を危惧して、少しキーを下げて歌詞を聞き取りやすくしたバージョンも作りました。後者に決まりかけたんですけど、やっぱり自分にしかできないものを届けたいと思って前者のバージョンを採用してもらいました。
ーちなみに、今作はSNARE COVER結成20周年を迎えて1発目の作品になるんですよね?
あ、そうですね!
ーせっかくのメモリアルなタイミングなので、斎藤さんがどういう歩みをしてきたのかも聞かせていただけたらと思うんですけど。元々は中学2年生の時、あるきっかけで楽器を触るようになったとか。
はい。中学ではバスケ部に所属していたんですけど、顧問の先生が学校の出し物でドラムをガンガン叩いてる姿を見て、それがすごいカッコいいなと感動して。自分もプレイしたいと思ったのが、音楽に目覚めたきっかけでしたね。
ー触発されて中学時代からドラムを叩いていたんですか?
そうなんですよ。とはいえ、ドラムって何十万円もする高額なイメージがあったから、手が届かないと思っていたんですけど、なぜか先生のプレイに衝撃を受けた数週間後くらいに知り合いが「ドラムを譲るよ」と言ってきて。低価格の6000円くらいでドラムセット一式を譲ってもらったんです。
ーへえ!
この不思議な偶然は何なんだろうと思って。それで中学2年生の時にドラムを叩くようになったんですよね。
ー当時はどんな曲をコピーしてました?
Mr.ChildrenとかTHE YELLOW MONKEYの楽曲を叩いてましたね。その後、中学3年生の時にクラスで目立っている子が、学校祭でライブをするということになって。すでにドラマーが決まっていたんですけど、僕がドラムをやっているのを知って「1回、叩いてみるか?」と言われて、叩いたんですよね。そしたら元々いたドラマーを辞めさせて、僕が急遽加わることになって(笑)。それで学校祭で披露したのが、人生初めてのライブでした。
ー高校生になると、グランジにハマっていくんですよね。
洋楽に詳しい友人がいまして、その子の家でNirvanaの「Smells Like Teen Spirit」を聴いた瞬間に、とにかくビックリして。その日に「NirvanaのCDをどうしても貸してほしい!」と言って、家に帰ってからもめちゃくちゃ聴いたんですよね。それで自分はこれがやりたい、と。それまでドラムを叩いていたんですけど、Nirvanaのような音楽を作りたいと思い、高校2年生の頃にギターを手にして。コピーとかを全くせずに独学でコード進行を覚えたところから作曲が始まりましたね。
ー翌年、高校3年生の時にSNARE COVERを結成して。
Nirvanaのようにギターを爆音で弾いて歌う3ピースバンドを組みたいと思ったので、家の近所にいる親友を誘ったんです。その子はピアノを弾いていたんですけど、すごい器用なのでドラムも叩ける気がして「やってほしい」と無理やりお願いしました。それで親友の友達にベースを弾ける子がいて、その子も無理やり誘って(笑)。そうやって作ったのがSNARE COVERですね。
ーその時からプロになることを考えていたんですか。
自分は将来のことを全然考えない人間なんですよ。とにかく楽しいことをやり続けたい気持ちでいました。だけど、10代しか出られないYAMAHA主催のコンテストがあって、そこに出場したら優勝しちゃったんです。そこから僕の勘違いが始まってるんですね(笑)。優勝したおかげで、Zepp Sapporoという大きな会場でライブをする経験をしてしまって「自分はこの道で食べていくんだ」という気持ちになったんですけど、やっぱり友人は将来のことがあるから、大学進学と同時にバンドを続けられなくなり、別れることになって。それで地元にドラムをやっている人間がいたので、その子をバンドに迎え入れて、なんとか活動を続けていたんですよね。
ーバンド時代のSNARE COVERを振り返ると、どんな時間でした?
正直なことを言うと、苦しかったです。これは絶対に変えなければいけないと思っていても、都合よくメンバーの意見を聞いたり、都合よく聞かなかったりもして。メンバーがいることによって甘えていた部分がありました。あとはソングライターなので、自分の作り上げる曲でメンバーは左右されるから、そういう意味でも責任が重くのしかかっていて。
ーそれで苦しかったと。
楽しかったことも、かけがえのない瞬間もたくさんあります。だけど振り返ったら、辛かったことの方が多かったですかね。
ーソロになってもSNARE COVERの看板を下ろさなかったのは、どうしてなんですか?
ずっと音楽家としての名前を持ち続けるのも良いなっていうのが漠然とあって。あとはコーネリアスさんのように、個人名じゃなくて1つのプロジェクトとして名乗るのが良いな、と思いました。そもそも斎藤洸で活動することにしっくりしない感じもありましたし、SNARE COVERの名前を保っている方が背筋が伸びる気がしたんです。
ーソロになって間もなく、大きな転機が訪れましたよね。2017年のエマージェンザジャパン⼤会優勝、ドイツで開催された世界⼤会4位入賞に加え、2019年には『メイドインアビス』の映画版『劇場版総集編【前編】メイドインアビス 旅立ちの夜明け』の劇伴も務めました。これによって周りの見る目は変わりました?
認知度は大きく変わりましたね。ただ、一般にドーンと広がったわけではないんですよね。エマージェンザに関しては、すごく特殊な大会なのでマニアックでニッチなことではあって。アニメに関しても、かなりグロテスクな描写もありますし、割と特殊な作品なのでこれによって一気に色んな方に知られるようになったというよりは、絶対に届くはずがなかった人に知られるきっかけになったと思いますね。
ードイツから帰国後、「自分にしか出来ないことは何かを真剣に考えなければダメだなと痛感した」と言ってましたよね。
ドイツの世界大会では全て日本語詞で歌ったんですよね。それを海外の方にも受け入れてもらった瞬間があって。「言語に関係なく、人は音楽に感動できるんだな」と知ったので、せっかく貴重な経験をして、ベストシンガー賞もいただけて歌を認めてもらったからこそ、自分の可能性を限界まで確かめなきゃいけない、と思いましたね。
ー2019年にはソロになって初の作品「Birth」をリリースしました。こちらはどういう思いで作られたんですか。
僕はいつもテーマを固める前に楽曲を作り始める。なので曲自体が自分の書きたい音楽へ導いてくれる感覚なんですね。作曲をしてみて、初めて自分の書きたい思いを注入できる。それが強く生まれたのが「Birth」だったんです。誘われるように曲を構成していった記憶がありました。意識的にというよりも、自然と楽曲が生まれましたね。
ー「Birth」を聴いて声が綺麗に伸びる感じというか、伸びを自在に操る印象がありまして。もしかしたら、幼少期の詩吟が生きてるのかなと思いました。
それはよく言われますね。自分の中ではクリス・ブラウンみたいな黒人のフェイクに影響を受けていると思い込んでいても、受け取る側には「和のメロディっぽいよね」と言われることが多くて。言われてみて、自分もそうかもしれないと思うことがあって。もしかしたら幼少の頃に習っていた詩吟の影響があるのかもなと。
ー話は変わりますが、東京で活動しようと思ったことはないですか?
音楽とは別なんですけど、僕は今たくさんの動物と暮らしていまして。というのも、不幸な野良猫とか飼い手がいない動物の保護活動をやってるんです。妻と一緒に個人でやっているので、それを東京に移して続けていくのが現実的に難しいのもありますし、楽曲制作をするにも、この土地でやることでプラスになっている面も多いにあると思うんですね。自分にとって良い環境だと思うから、ずっと札幌を拠点にしているのがあります。
ー改めて地元の良さって、どこに感じます?
僕にとって東京は戦いに行く場所なんです。何かが起こる場所だし、何かを起こす場所。そういう刺激は自分とってすごく必要な反面、気持ちを落ち着かせる場所も必要。なので東京での戦いから帰ってきて、札幌で安らぎを得る。そのバランスが自分にとってちょうど良いんです。地元にいると充電できますし、集中して楽曲を作れる。それをアウトプットするのが東京なんですよね。
ーSNARE COVERの壮大なメロディや、神秘的な歌声は札幌にいることも大きいのかなって。
そう言ってくださる方もたくさんいますし、自分でも意味のある場所だと思いたいところがありますね。
ー山とか海とか森とか、そういう自然とシンクロする音楽ですしね。
嬉しいです。自分の作業部屋から山とか谷とかが見えるんですよ。自然の景色をいつでも見られる状況で音楽を作るのと、何も見えない部屋に籠って作るのではやっぱり違うと思うんです。音をどうやって捉えるのか、という認識も変わる気がしていて。逆に、スクランブル交差点を行き来する人たちや、ビルが立ち並んでいる感じの都会的な音楽というのは、自分にとってジャンルが違うのかもしれないですよね。
ーSNARE COVERを20年以上やってきた中で、自分が歌うことの根本って変わりました?
根本は変わってない気がします。初めて音楽を作り始めた時に味わった感動とか、「これをやり続けたい!」と思った衝動を未だに持てているから、現在まで音楽を続けられている気がして。それこそ漠さんが言った「好きなものは誰にも奪えない」というのは、そういうことな気がするんですよね。止めるものじゃないというか、どこかで区切りをつけるものじゃない。それが僕にとって音楽なんです。その中で現実的に活動の形が変わったりとか、方針が変わったりとかはあります。昔は、自分のアイデンティティからはみ出たものはやりたくなかったけど、はみ出たものも受け入れられるようになった。ただ、元々持っていた音楽に感じた感動や「自分が震えた感動は他の人にも伝わるはずだ」と思ったエネルギーが保持できている。それがないと、好きでい続けられないかなと思いますね。
<リリース情報>
SNARE COVER
「私らしく、僕らしく-井手上漠のこと―」
配信日:2022年3月26日(土)
ストリーミング : https://ffm.bio/wasurene
発売元:ALLentertainment
SNARE COVER 公式HP:https://snarecoverofficial.ryzm.jp/
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