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音楽本特集第一弾、朝妻一郎が語る音楽にまつわる権利と日本のポピュラー音楽史

Rolling Stone Japan / 2022年4月30日 11時30分

書籍『高鳴る心の歌 ヒット曲の伴走者として』表紙画像

日本の音楽の礎となったアーティストに毎月1組ずつスポットを当て、本人や当時の関係者から深く掘り下げた話を引き出していく。2022年4月の特集は「最新音楽本2022」。パート1はアルテスパブリッシングから発売になった『高鳴る心の歌 ヒット曲の伴走者として』にスポットを当てる。著者のフジパシフィックミュージック代表取締役会長・朝妻一郎本人をゲストに迎え、音楽人生を語るに欠かせない7曲を辿りながら本の内容について語る。

田家秀樹:こんばんは。FM COCOLO「J-POP LEGEND FORUM」案内人・田家秀樹です。 今流れているのはザ・フォーク・クルセダーズの「帰って来たヨッパライ」。1967年12月25日発売です。今日の前テーマはこの曲。なぜこの曲で始めているかは後ほど。

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今月2022年4月の特集は「最新音楽本2022」。音楽について書いた本の特集です。去年から今年にかけて音楽について書いた力作本が次々発売されています。コロナ禍での副産物ということになるのかもしれません。ライブがなくなったりして、時間に余裕ができたということもあるんでしょう。今月はそういう音楽本4冊をご紹介しようと思います。

今週は1冊目。アルテスパブリッシングから発売になった朝妻一郎さんの『高鳴る心の歌 ~ヒット曲の伴走者として』です。著者の朝妻一郎さんは音楽ビジネスのレジェンド中のレジェンドですね。フジパシフィックミュージック代表取締役会長、1943年生まれ。子どもの頃から洋楽ファンで高校1年生のときにポール・アンカのファンクラブ会長に指名された。音楽原稿とかライナーノーツ、それからニッポン放送の音楽番組アシスタントを始めるようになって、1966年にできたばかりのパシフィック音楽出版の第一号社員として入社されました。数々の新しい才能を発掘してヒット曲を送り出してこられた方です。音楽出版社とはどういう会社なのか。このアーティストとはどんなふうに巡り合ったのか。あのヒット曲にはこういうストーリーがあった。音楽業界、音楽ビジネスに関心がある方はもちろん、この50年あまりのJ-POPが好きな方には知らなかったことがたくさん詰まっている本であります。というわけで、こんばんは。

朝妻一郎:こんばんは。朝妻一郎です。

田家:なぜ今日「帰って来たヨッパライ」から始めているかと言うと、本は6つのパートに分かれておりまして、パート1がアメリカの音楽業界と音楽出版。パート2がパシフィック音楽出版設立。こういう流れのパート2の4項目目にフォークルとジャックスから学んだことという見出しがありまして、書き出しが「帰って来たヨッパライ」との出会い。どんな出会いだったんでしょう?

朝妻:音楽評論家の木崎義二さんが、ラジオ関西で電話リクエストの番組DJをされていたんです。それであるとき、「イチ、この曲はすごい人気なんだよ」って言って、「帰って来たヨッパライ」の音を聴かせてくれた。「これは素人が作ったらしいから、お前権利取れるんじゃないか、頑張ってみろよ」って聴いたらすごくおもしろかった。それをうちの上司だった高崎一郎さんに聴かせたら、「おもしろいじゃないか」と。大阪へ行って秦政明さんというアートプロモーションの社長だった方にお会いして、「ぜひ権利をうちにください」ということでうちになったんですよ。

田家:フォークルとジャックスから何を学ばれたんですか?

朝妻:基本的にはそれまでレコードはレコード会社が全部作って、完全パッケージして盤を出す形だったわけです。でもフォークルは自分たちで音源を作って、その音源を既成のレコード会社から発売する。秦さんは後にURCというレコード会社を作られたんだけど、要するにアマチュアでも素人でもレコードの音源を作ることができるんだという世界が開けた。

田家:フォークルと出会わなかったら朝妻さんの音楽人生が変わったかもしれないと?

朝妻:それがなかったら音楽出版社の社員として終わっていました。

田家:朝妻さんにご自分の音楽人生を語るに欠かせない曲を7曲選んでいただきました。1曲目フォークルです。1968年2月発売、「悲しくてやりきれない」。





田家:フォークルの2作目に出る予定だった「イムジン河」が中止になって、代わりに発売された曲です。この曲を選ばれております。

朝妻:「帰って来たヨッパライ」は契約したけど、既にできていた音源だった。初めて自分がスタジオに入って、フォークルと一緒にレコーディングした曲がこれだったわけです。

田家:スタジオに入った最初の曲ですか!

朝妻:そうですね。ディレクターとしてやった曲です。

田家:『高鳴る心の歌』は本当にいろいろなことが勉強になりまして。フォークルの章で原盤権と録音契約の違いをお書きになっている。こういう権利があるんだと思いました。

朝妻:著作権と録音、原盤権ね。

田家:やっぱり違うんですね。

朝妻:著作権というのは楽曲の作詞作曲者の持っている権利で、原盤権というのはレコード制作者が持っている権利です。

田家:その両方を押さえてなかったということで、朝妻さんが怒られたと。

朝妻:たまたま最初のアルバムはパシフィック音楽出版で契約することができたんですけど。「「帰って来たヨッパライ」の次のレコードはどうするんだ」って。で、高嶋さんと一緒に大阪へ行って、あらためてフォークルと録音契約をして原盤の権利もうちが取れるようになったんです。最初の「帰って来たヨッパライ」が入っているアルバム以降の契約をしたんですよ。

田家:著作権、原盤権、録音権。この本の中ではしきりに何度も登場して、そういうことなのかと教えてくれる本でもあります。そもそもの洋楽少年の始まり、高校1年生のときにポール・アンカのファンクラブ会長になったんですよね?

朝妻:はい。それまでのポール・アンカクラブの会長だった人は、「ポール・アンカが帰ったところでもう私の役目は終わりましたので」ってお辞めになって。そしたら「お前アメリカのヒット曲に詳しいんだし、会長もやってくれよ」って任されたわけです。任されて少ししているうちに、「いろいろ洋楽に詳しいから高崎一郎に紹介してあげるよ」って言って、高崎さんを紹介してくれた。高崎さんが担当していた電話リクエスト番組の選曲を任されることになったんですね。

田家:ニッポン放送が出版社を作って、それがパシフィック音楽出版でその第一号社員で。そのときに音楽出版ってどんな仕事だと思われていたんですか?

朝妻:音楽出版が作家と契約して曲の権利を持つことは知っていた。でも実際にどういうことをやるのか具体的には分からなかった。知っていたのはキャロル・キングとジェリー・ゴフィンとか、ニール・セダカとハワード・グリーンフィールドとか、バリー・マンとかシンシア・ワイルがアルドンという出版社の所属で、アルドンっていう出版社はいい作家をいっぱい抱えていてヒット曲をいっぱい出しているなとか。この作家の曲はここの出版社が管理しているんだということで。

田家:それはどこでお調べになったんですか?

朝妻:『ソングヒッツ』とか『ヒットパレーダー』というアメリカの雑誌があって、それをイエナっていう銀座にあった洋書店で買って見ていたんです。それは最近のヒット曲の歌詞と、歌詞の後に作詞作曲名前と©なんとかで音楽出版社の名前が書いてあったり。新人歌手の紹介みたいなところが何ページかあるファン雑誌だったんですけどね。

田家:いろいろな人生の別れ道になる1つの例かもしれませんが、朝妻さんが選ばれた今日の2曲目は1969年2月発売、モコ・ビーバー・オリーブで「わすれたいのに」です。



わすれたいのに / モコ・ビーバー・オリーブ

田家:モコ・ビーバー・オリーブは当時のニッポン放送の番組『ザ・パンチ・パンチ・パンチ』で喋っていた3人でありました。この曲を選ばれているのは?

朝妻:そもそも『ザ・パンチ・パンチ・パンチ』のプロデューサー自体は上野さんというニッポン放送の名物プロデューサーだった。

田家:ドン上野。

朝妻:その下に亀渕さんがアシスタントでついていて、あるとき「朝妻、『ザ・パンチ・パンチ・パンチ』でやっているモコ・ビーバー・オリーブでレコード作れないかな」って言うんで、「亀ちゃん、女3人って言ったら、パリスシスターズよ」と。僕、フィル・スペクターが大好きなので、パリスシスターズという女の子3人で「I love how you love me」という曲をヒットさせていたことがすぐ思い浮かんで。でもよく詞を見たら、2人の恋が上手くいっている歌だった。で、日本でハッピーな恋の歌なんていうのは絶対当たらないよなと。どちらかと言うと失恋の方がいいなというので奥山侊伸さんという放送作家の方に悲しい歌にしてくださいよって言って、「わすれたいのに」の詞を書いてもらいました。

田家:この『高鳴る心の歌』は内容の方向が2つあるなと思ったんです。1つは音楽著作権、音楽出版権。洋楽がどういうふうにそういう権利を育ててきたのかとか、洋楽の勉強になる面と日本のアーティスト、日本の曲にまつわる話と2つの話があって。日本の話では加藤和彦さんと大滝詠一さんが何度も登場してます。

朝妻:加藤くんで1番大きかったのが僕に吉田拓郎さんを紹介してくれたことですよね。彼が「結婚しようよ」のレコーディングにほぼプロデューサーみたいな形で参加して、レコーディングが終わった後にすぐ僕のところに来て「朝妻さん、吉田拓郎って絶対売れますよ、「結婚しようよ」ってすごいいい曲ですよ」って教えてくれたり。その後で泉谷しげるさんの「春夏秋冬」も教えてくれたり。加藤くんからのインプットがなかったら、僕も今みたいになってなかったことは確かですよね。

田家:加藤さんのソロシングル「僕のおもちゃ箱」からアルバムの『僕のそばにおいでよ』とか、『スーパー・ガス』も朝妻さん?

朝妻:そうです。

田家:加藤さんの才能を今どう思われますか?

朝妻:音楽知識の他に演奏技術もすごいんです。12弦なんかの弾き方もすごいし、ビートルズの録音技術をいろいろ研究していました。



あの素晴しい愛をもう一度 / 加藤和彦と北山修

田家: 1971年に発売になった名曲であります。

朝妻:あるときに加藤くんか北山くんかちょっと忘れたけど、実はシモンズに書いたんだけど締切に間に合わなくて浮いちゃったんですよと。聴いたらすごくいい曲で、すぐ2人でやろうと。ちょうど北山くんがヨーロッパに行く前にフォークルが1回解散していて、はしだくんはその後も。

田家:シューベルツとクライマックスとか。

朝妻:そう、やってたんで大成功していて一緒に組むのは無理だったので、加藤北山でレコーディングしたんですよね。

田家:本の中にこの曲には大滝さんのアドバイスがあったとお書きになっていましたね。

朝妻:そうそう。この曲というわけではないんだけど、大滝くんといろいろな話をして。「朝妻さん、ヒットで1番重要なのはイントロなんだけど、同じくらい重要なのは転調ですよ」と。大滝くんの転調も三段転調とか派手な転調で有名なんだけども。たしかに転調で曲がすごく活きるわけです。だから、加藤くんにも「加藤くん、ここで転調入れて」って言って(笑)。

田家:加藤さんはさっきお話をされたフォークルで出会われているわけですが、大滝さんもはっぴいえんどの1stアルバムで才能があるなと思われたという。

朝妻:そのときは大滝詠一個人じゃない。はっぴいえんどっていうバンドがすごいと思った。それで『ミュージック・マガジン』のアルバム評で10点満点をつけて。

田家:デビューアルバムで10点をつけられていた。

朝妻:10点つけたのを大滝くんのソロアルバムを出すことになったキングレコードの三浦さんというディレクターが10点をつけるぐらいなら大滝のソロのレコードに対しても理解があるだろうということで、「朝妻さん、今度大滝がソロを出すんですけどぜひパシフィックミュージックでやりませんか?」と。

田家:それはそうでしょうね。で、レコーディングにいろいろ立ち会われたアーティストの中でシュガー・ベイブのレコーディングもニッポン放送で行ったとか。

朝妻:レコーディングというより、オーディションテープで。ちょうど大滝くんがナイアガラ・レーベルの構想があって、デモテープを録りたいんだけどニッポン放送の1スタを貸してもらえないかということで。

田家:これも本で「え、そうだったんだ!」と思ったのですが、ナイアガラ・レーベルがエレックレコードに決まったのは朝妻さんが仲介されていた。

朝妻:この頃、原盤という形がだいぶポピュラーになってきたんだけど、1回契約したらそのレコード会社に原盤はずっと帰属するのが当たり前だった。でも、大滝くんはそうではなくてレコード会社と販売契約を3年とか5年にして契約が切れたら自分のところに全部権利が戻るということにしたいということで、やっぱり既成の大きいレコード会社はそんなのは冗談じゃないと言うので、OKしてくれないわけですよ。

田家:それだったんですか! つまり、大滝さんが自分でレコードを出したいとなったときに、CMソングをレコードにしたいということで、それを理解するレコード会社がなかったからという定説がありますけどそうじゃないんですね。これは今日、1番重要なことかもしれません(笑)。

朝妻:CMのレコードを出すというのは、レコード会社と年間に何枚アルバムを作らなきゃいけないというのがあって、自分の歌うものだけでそんなにいっぱいできるわけないからCMのものもアルバムとして出そうということでやったわけだけど、契約が終わったら権利が帰ってくることをOKさせるかどうかってことがあった。

田家:それを理解して飲むレコード会社がなかった。

朝妻:まあ、理解はしたんだろうけど。

田家:受け入れたのがエレックだけだった。

朝妻:うん。エレックは比較的新しかったので、分かりましたということで。

田家:その間を繋いだのが朝妻一郎さんでありました。





田家:これも「あ、そうだったんだ!」と思ったのですが、ロンバケはソニーのディレクターが白川隆三さん。彼を起用したのは朝妻さんの提案だった?

朝妻:その前に山口百恵さんの「ソウルこれっきりですか」という〈これっきり これっきり もうこれっきりですか〉を繋ぎに使って、ヒット曲メドレーを作って。「白川ちゃんこれどう?」ってなったら、「おもしろいですね」ってソニーが宣伝してくれて大ヒットになった。そのときに白川さんって社内を動かすのも、ソニーのマーケティングの力もすごいし、ディレクションも優れているなと思っていたので、ちょうど大滝くんがJ.D.サウザーの「ユア・オンリー・ロンリー」を持って「こういう曲でアルバムを作りたいんですよ」って言ったときにお願いしたんです。実はその前に大滝くんは川端さんというソニーのディレクターとロンバケの何曲かのレコーディングが進んでいたらしいんだよね。『レコード・コレクターズ』でロンバケの特集をやっているんだけど、読んでいて初めて「え、そうだったんだ!」って気がついて。で、白川さんに電話して、「あれ本当の話なの?」って言ったら、「そうなんだよ。上司からパシフィックで白川でって言ってるから途中だけどこれから担当しろよ」って言われて、川端くんから引き継いだらしい。

田家:あ、そうなんですか! まだまだ知らない話がたくさんある音楽史でもあります。本の中でアメリカの音楽ビジネスの歴史、仕組みも丁寧にお書きになっていて。日本よりもアメリカの方が音楽の権利関係の先進国だと分かりました。

朝妻:ともかく基本的にアメリカにしろ、ヨーロッパにしろ音楽出版社というのが音楽ビシネスの1番最初の存在なんです。音楽ビジネスを確立させたのは音楽出版社。レコード会社の前に音楽出版社が登場しているわけです。その後にレコード会社、映画会社が出てきているわけですけど。

田家:もともと楽譜ですもんね。

朝妻:そうです。日本の場合はまずレコード会社ができて、音楽出版社がなかったので、レコード会社は仕方がなくて自分のところのアーティストに歌わせる曲を作るために作詞作曲家を専属作家として給料払って曲を書いてもらって、アーティストに歌ってもらう形で。音楽出版社の誕生が日本の場合はレコード会社なんかよりずっと遅いんですよね。

田家:なるほど。それが日本の音楽業界の1つの歪みかもしれない。

朝妻:歪みって言っていいのか分からないけども。

田家:つまりレコード会社が作家や歌手を全部抱え込んじゃっていたことが発展を遅らせたということもあるかもしれない。

朝妻:アメリカのASCAPという演奏権利団体の偉い方が1960年くらいに日本に来て、日本には音楽出版社がないと。作詞作曲家も最初に歌ってくれたアーティストの印税だけしか入らないし、ほとんど収入はオリジナルのアーティストのレコードの売上だけになってしまっている。アメリカみたいに、他のアーティストにもどんどんカバーしてもらって、収入を増やすことにしていかないと日本の音楽業界も発展しないよってことをASCAPの人はJASRACの偉い人たちにコンコンと説明して。それが日本に音楽出版社が生まれるきっかけになったんですよね。

田家:今でも昭和30年代ぐらいまでの日本の歌謡曲のヒット曲は全部権利をレコード会社が持っていて、なかなかカバーできないというのがありますもんね。

朝妻:そうなんですよ。レコード会社が持っていて、ちゃんとOK取らなきゃレコーディングできない。でも、なかなかOKも出ない時代が結構長く続いたんですよね。

田家:そういう流れの中で次に登場される作家はテレビの申し子と言っていいかもしれませんが、秋元康さんが作詞をされています。1982年10月発売、稲垣潤一さんの「ドラマティック・レイン」。





田家:80年代に入って秋元康さんですね。秋元さんと筒美京平さんだ。

朝妻:2人のいいところが出ていますよね。京平さんって、歌手の1番魅力的に聴こえるところは上から下に下がっていくのか、下から上に上がっていくのかということをちゃんと考えて曲作りをされている。これを聴くと、稲垣くんの魅力的な声が出るようにメロディを書かれているなと。それから秋元くんは言葉の使い方がすごく上手いんだけど、曲の方も詞の方もそれぞれがそれぞれの得意技をちゃんと出してくれているなという気がします。

田家:この『高鳴る心の歌』には本当にたくさんの人名が登場します。これは日本の音楽史の人名史と言ってもいいかもしれないぐらいにメーカーの方とか、作家の方とか、アーティストの人とか。その中にニッポン放送のアルバイト時代のことを筒美京平さん、ポリドールのディレクター・渡辺さんとして登場しております。ページ78でしたけども(笑)。本当にいろいろな方がいろいろなところで登場している。1回だけじゃないですもんね。

朝妻:結局やっぱり人との出会いが僕の今日に至るまで、人との出会いに助けてもらったり、本当にいいときにいい場所で出会っているんですよね。

田家:いいときにいい場所でというのはまだそんなに有名になっていないとか、まだこの後どうなるか分からない時代に出会われている。

朝妻:そう。そこで会った人が渡辺さんみたいにポリドールの洋楽のディレクターだった方が作曲家になって一緒にいろいろ仕事ができるとか。だから、僕はとても恵まれていたと思いますね。

田家:パート2の洋楽ポップスに魅せられて――パシフィック音楽出版という章の中にはっぴいえんどとジャックスで学んだことがありまして、アルバム『ジャックスの世界』も朝妻さんがディレクターだったんですね。

朝妻:ジャックスの早川くんは「朝妻ディレクターはただスタジオで踊ってただけだった」って書いてるんですけど、要するに僕は楽器が全く弾けないんですよ。変な話、ギターがフェンダーとギブソンで違う音を出すなんて、ギターの水橋くんに言われるまで気がつかなくて。ギターってトーンコントロールを調節すれば、どんな音でも出せるっていうふうに思ってたりしてたわけです。

田家:あ、僕もそれに近いです(笑)。

朝妻:レコーディングの途中で「水橋くんさ、エヴァリー・ブラザーズのこの曲みたいなギターの音出してよ」って言ったら、「あれはギブソンで僕のはフェンダーだからダメです」と言われたりとか。

田家:朝妻さんが選ばれた6曲目は1988年のWinkのシングルなのですが、なぜこの曲を選ばれたのかは曲の後に。Winkで「愛が止まらない~Turn it into live~」。





田家:Winkのディレクターが水橋春夫さんでジャックスのギタリストだったというのは、当時知ったときびっくりしました(笑)。

朝妻:水橋くんはジャックスもすぐ辞めちゃったんだけど、その後テイチクレコードに入って、その後キングレコードに移って横浜銀蝿なんかのヒットを出していて。その後、ポリスターに入って、我々がWinkというアーティストを探してポリスターに持っていったら担当者が「僕です」って水橋くんだった。

田家:そういういろいろな方とのお付き合いがレコード会社のスタッフよりも時期も長ければ、関係も深いのではないかと本を読んで思ったりしたんです。それだけ音楽作り、制作現場と関係が近いということでもあるんでしょうし。

朝妻:幸いなことにそういうふうに恵まれていましたよね。

田家:この本を読ませていただいて1番強く思ったのは、今レコード会社と音楽出版の関係性というのが時代の転機にあるんだろうなと思って。特にサブスクが登場してきて、レコード会社の役割が変わってきている。もはやレコード会社いらないのではないかみたいな。

朝妻:それは下手すると音楽出版社も同じことが言われれちゃうんですよね。自分の作った音源を任せると、配信から著作権の使用料まで全部やってくれるTuneCoreがあるわけです。だから、日本でも新しいヒットをYouTubeとかで出しているアーティストで、僕ら音楽出版社もレコード会社もなくても大丈夫ですって人たちが結構出始めていますもんね。

田家:レコード会社が権利を抱え込んでいたりする時代ではなくなっているんでしょうし。

朝妻:アーティストをそれ以上にいい形にするという点では絶対音楽出版社もレコード会社も役に立つと思うんです。ただ、なんとなく今はレコード会社も音楽出版社もなくても大丈夫だよっていう風潮が出だしているところがあるので、我々がいるからこうなったんだということがちゃんとアーティストの方たちにも分かってもらえるようにいろいろ頑張る必要が絶対あると思うんですよね。

田家:レコード会社と音楽出版社は運命共同体ですか?

朝妻:そうですね。基本的にはレコード会社と音楽出版社とアーティストと、曲を提供する人たちというのは全部が運命共同体で。やっぱりその歯車が上手く噛み合って、ヒットを大きくするっていうことが絶対エブリバディ・ハッピーになることだと思います。

田家:次の曲はレコード会社と音楽出版という2つの会社の違いの典型ではないかと思ったりしたんですけども、新井満さんの話をお書きになっていて。新井満さんはレコード会社を通さないで朝妻さんのところに連絡を?

朝妻:それは後ろに森直美さんという、前にキングレコードのディレクターをやっていた人がいるんですけど、彼女がたぶん新井さんに言ってくださったと思うんです。要するに最初からレコード会社に持っていくと、そのレコード会社の好みじゃないとかタイプじゃないとか言われると話が終わっちゃうよと。でも、出版社だったらその作品がどこのレコード会社がいいかということを考えてくれる。だから、出版社に水先案内人を任せた方がいいんじゃないかというサジェスチョンをしてくださった。我々音楽出版社は作詞作曲家の方と契約しますから、書かれた曲が1円でも多い収入をあげるようにはどうするか。当然レコードをヒットさせることも大事ですし、ヒットさせたレコードを他のアーティストでカバーしてもらうとか、あるいは映画の中で使ってもらうとか、コマーシャルで使ってもらうということ、ありとあらゆる選択肢を考えてやっていくのが音楽出版社です。





田家:これが2006年に秋川雅史さんで大ヒットしたわけですね。新井満さんも亡くなってしまいました。

朝妻:そうなんですよね。

田家:本の最終項目が音楽出版ビジネスの現在で、その後にあとがきがあります。2021年に亡くなった人の思い出を手短にいろいろお書きになっておりまして、たくさん亡くなったんだなと思いました。

朝妻:本当にびっくりするんですよね。最初に僕の誕生日のときに音楽出版業界の先生、師匠とも言えるチャック・ケイという人が亡くなって。「あーチャックが亡くなったんだ」と思ったら、その後日本のいろいろな大先輩がお亡くなりになったので本当にびっくりしました。

田家:自分がおやりになってきたこととか、これからのことも書き残しておかなければいけないみたいな心境になったんですか?

朝妻:そもそもこれを業界誌に連載していたんですけど、そのときに何人かからこれをうちの社員なんかに話してくださいよと話をいただいて。「あ、そうか。今の人たちはどういう経緯でこういうふうになっているか知らない人が多いんだ」と。やっぱりちゃんと書いて、こういうことがあったから今に繋がっているんだと知ってもらうのは必要なんだろうなと思ったので恥ずかしいんですけど、本にさせていただきました。

田家:そういう意味ではどんな人が読んでくれるといいなと思われます?

朝妻:今音楽業界にいる方もそうだし、これから音楽業界に入りたいという方も参考になるんじゃないかと思います。ここに書いてないけど、日本のポピュラー音楽の歴史というのと、それから著作権の歴史が全部表裏一体になっているところがあるので。そういう意味ではこれをあらためてもうちょっと整理して次の本を書けたらなというのが希望です。

田家:それを楽しみにしたいと思います。

朝妻:いえいえ。いつになるか分からないんだけども(笑)。

田家:お元気でいてください(笑)。ありがとうございました。

朝妻:どうも!



田家:「J-POP LEGEND FORUM 最新音楽本特集2022」今週はパート1。アルテスパブリッシングから発売になった朝妻一郎さんの『高鳴る心の歌 ヒット曲の伴走者として』をご紹介しました。ゲストにお迎えしたのは著者のフジパシフィックミュージック代表取締役会長・朝妻一郎さんでありました。流れているのはこの番組の後テーマ「静かな伝説」です。



朝妻さんは洋楽ファンとしてキャリアが始まっている。60年代、70年代に音楽を好きだった人はほとんどがそういう洋楽好きで始まっているんでしょうけど、その度合いが違っていたということなんでしょうね。ビルボードのチャートが何位だったとか、新曲を出したとか、今度の曲がいいとか悪いとかというところではなくて、その曲の作詞作曲が何者でアレンジャーがどういう人で、その人たちがどこの出版社と契約してたかまで興味が深まっていった。本の中に亀渕昭信さんの話も載っているのですが、レコードのクレジットには全てのストーリーがあるんだと彼が言った。それを実際に現場で体験して、そのストーリーを作ってこられたのが朝妻一郎さん、そして音楽出版社の人たちなんだなと思いました。

著作権の中には原盤権があったり、録音権があったり、そういうところが動いていて。大滝詠一さんがナイアガラ・レーベルをエレックレコードで始めざるをえなかった。これは、CMソングに対しての理解が既成のレコード会社になかったからエレックになったんだと僕らは思っていたのですが、問題は権利だったというのが今日明らかになりました。まだまだ僕らが知らない音楽にまつわる真実のストーリーがあるんだなと思いました。サブスクの時代はレコード会社ということよりも、まず曲ありきという時代ですから、曲にまつわる話、アーティストにまつわるいくつものストーリーがまだまだ語られていないことがたくさんあるだろうなという素朴な感想でもあります。朝妻一郎さんにはお元気で、まだまだ知らなかったことを教えていただきたい。音楽ビジネスという枠を越えた日本の音楽史のレジェンドだなと強く感じながら、そしてそう思っていただけるとうれしいなと思いながら今週は終わります。本当に勉強になりました。


<INFORMATION>

田家秀樹
1946年、千葉県船橋市生まれ。中央大法学部政治学科卒。1969年、タウン誌のはしりとなった「新宿プレイマップ」創刊編集者を皮切りに、「セイ!ヤング」などの放送作家、若者雑誌編集長を経て音楽評論家、ノンフィクション作家、放送作家、音楽番組パーソリナリテイとして活躍中。
https://takehideki.jimdo.com
https://takehideki.exblog.jp

「J-POP LEGEND FORUM」
月 21:00-22:00
音楽評論家・田家秀樹が日本の音楽の礎となったアーティストに毎月1組ずつスポットを当て、本人や当時の関係者から深く掘り下げた話を引き出す1時間。
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