1. トップ
  2. 新着ニュース
  3. 芸能
  4. 音楽

ボブ・ディラン、世界を震撼させた『ブリンギング・イット・オール・バック・ホーム』の革新性

Rolling Stone Japan / 2022年5月25日 17時30分

ボブ・ディラン(Photo by Local World/REX/Shutterstock)

5月24日に81歳の誕生日を迎えたボブ・ディラン。彼のデビュー60周年を記念して、1963年の2ndアルバム『フリーホイーリン・ボブ・ディラン』に続き、1965年の5th『ブリンギング・イット・オール・バック・ホーム』が5月25日にアナログ・レコードで発売される。本作は全米チャート6位、全英1位を獲得し、売上は過去最高を記録。エレクトリックを導入して、フォーク・ロックというジャンルを確立した。このアルバムが世界に与えた衝撃とは?


1965年1月半ば、ボブ・ディランはコロムビア・レコードのAスタジオに入り、アルバム向けの11曲を3日間でレコーディングした。エレクトリックを初めて採用したアルバムでフォーク・ロックというジャンルを生み出したディランは、アコースティックの吟遊詩人から、ジャンルという境界線を超越したロックンローラーへと転身を遂げた。彼のパフォーマンスによって、従来のポップミュージックが発信してきた内容も、メッセージの伝え方も根底から覆されただろう。「俺のことを詩人だという人もいる」とディランは、ジャケットの裏表紙に書かれた散文詩の中で、控えめに表現している。ディランは自ら変身して時代に革命を起こし、詩人を自負する自分の限界へ挑戦する意欲に満ちていた。ジャケット写真に写った核シェルターの標識が、全てを物語っている。アルバム『ブリンギング・イット・オール・バック・ホーム』は、カルチャーの世界に落とされた核爆弾だ。



「アルバムで最も注目すべき点は、歌詞にある」と、デヴィッド・クロスビーは言う。「ボブ(・ディラン)の歌詞は、世界に衝撃を与えた。それまで”ウゥー、ベイビー”だの”アイラヴュー、ベイビー”なんて歌っていた世界の地図を、ボブが書き換えたのさ。彼の言葉選びは、本当に素晴らしかった。」

ディラン自身は自伝『Chronicles』の中で、「過去と訣別するために俺は、フォークミュージックにちょっとした変化と新たなイメージを加え、音楽への向き合い方を変えた。キャッチフレーズやメタファーに新たな言葉を組み合わせて、従来にないユニークな表現を生み出した」と語っている。

ラジオに流れるザ・ビートルズの楽曲「抱きしめたい」に衝撃を受けた1964年初頭あたりから、ディランはアーティストとしての新たな飛躍を思い描いていた。「ビートルズのやっていたことは、それまで誰も手をつけていなかった」と彼は振り返る。「コード進行がとにかく斬新で、さらにハーモニーが全てを支えていた。自分には、あんな音楽はできない」

バンド編成によるレコーディング

1965年1月13日は、アルバムのセッション初日だった。ディランはいつものようにアコースティックギターとハーモニカとピアノを弾き、一人でアコースティックバージョンのレコーディングを完結させた。オールエレクトリックのアルバム用に、デモバージョンのレコーディングをしていたとも言われている。しかしディランの頭の中には、各曲に対するベストなアプローチが浮かんでいた。彼の直感は、サメのように鋭かった。「サブタレニアン・ホームシック・ブルース」、「ボブ・ディランの115番目の夢」、「ラヴ・マイナス・ゼロ/ノー・リミット」、「オン・ザ・ロード・アゲイン」、さらに「アウトロー・ブルース」の別バージョンが、初日にレコーディングされた。これら楽曲に対しては、さまざまなバージョンの存在が後日明らかになる。最初のレコーディングから48時間後、最終バージョンとして全ての楽曲がエレクトリックでレコーディングし直されることとなる。


「サブタレニアン・ホームシック・ブルース」佐藤良明による日本語字幕付きバージョン

初日のセッションでは、「イッツ・オール・オーバー・ナウ、ベイビー・ブルー」のランスルーと、素晴らしくソフトなタッチの楽曲「アイル・キープ・イット・ウィズ・マイン」もレコーディングされた。アルバムに収録されなかった「アイル・キープ〜」は、ドイツ出身の女優でシンガーのニコに捧げられた曲だとされる。後にヴェルヴェット・アンダーグラウンドに参加するニコは、ギリシャでディランと充実した時間を過ごした。(ニコは「アイル・キープ〜」を自身のソロ・デビューアルバムに収録した。一方でディランのアウトテイク・バージョンは、後にいくつかのコンピレーション・アルバムで聴くことができる)。彼の名曲のひとつがお蔵入りしてアウトテイクの山に埋もれてしまったのは、当時のディランが最高に勢いづいていた証でもある。



翌1月14日、プロデューサーのトム・ウィルソンはミュージシャンたちを集め、作品の仕上げにかかった。『フリーホイーリン・ボブ・ディラン』でもベースを弾いたビル・リー(映画監督スパイク・リーの父)、ドラマーのボビー・グレッグ、ピアニストのポール・グリフィンらに加え、ディランからのリクエストによりマルチ奏者のブルース・ラングホーンも参加した(中東の特大タンバリンを所有していたラングホーンは、楽曲「ミスター・タンブリン・マン」のモデルとなった人物で、実際に同曲でエレクトリックギターを弾いている)。

レコーディングの1カ月前にトム・ウィルソンは、ボブ・ディラン・バージョンの「朝日のあたる家」を含むディランの3つの楽曲にロックのバッキングをオーバーダブしようとしたものの、うまく行かなかった。しかしウィルソンは1965年、サイモン&ガーファンクルによる楽曲「サウンド・オブ・サイレンス」にドラムとキーボードを加え、チャート1位を獲得した。ディランの楽曲に試みたのと同様のテクニックを使い、フォーク・ポップの転機を作ったのだ。ディランの場合は、生のバンドと一緒にプレイした方がしっくり行く。そしてレコーディング・セッションが進むにつれ、曲がどんどん形になっていった。『ブリング・イット〜』の印象的なジャケット写真を撮影したダニエル・クレイマーが、後に振り返っている。「曲のほとんどは、3、4テイクでスムーズに仕上がった。ディラン流のメソッドと彼の揺るぎない方向性のおかげで、全てが流れるように進んで行った」



「ミスター・タンブリン・マン」にまつわる話

作詞家としてのディランの成長が最も顕著に見られるのが、アルバムのアコースティックサイドの楽曲「ミスター・タンブリン・マン」と、完全アンプラグドの「イッツ・オールライト・マ」だ。どちらの楽曲にも、熱狂的に溢れ出る彼の言葉が、具象と抽象の形できらきらと散りばめられている。B面に収録された「ミスター・タンブリン・マン」は、全楽曲の中でもおそらく最初に作られたと思われる。ニューオーリンズ滞在時から作り始めた同曲は、前年(1964年)5月にロイヤル・フェスティバル・ホールでのコンサートで披露されている。



毒されたカルチャーを激しく批判する内容の「イッツ・オールライト・マ」は、1964年10月にフィラデルフィアのステージで初めてお披露目された。ディランは、どちらの楽曲もロバート・ジョンソンのブルーズの歌詞と、ベルトルト・ブレヒトとクルト・ヴァイルによる語り口調のユニークな歌曲「海賊ジェニー」に大きな影響を受けた、と証言している。事実、『ブリング・イット〜』のジャケットに写るディランの部屋には、ブレヒト/ヴァイルとロバート・ジョンソンのアルバムが置いてある。「イッツ・オールライト・マ」は間違いなく、ディランを代表する最高で最もダークな、政治色の濃い最後の作品のひとつだといえる。1964年の夏、ウッドストック(ニューヨーク州)にあるディランの自宅には、ジョーン・バエズやリチャード&ミミ・ファリーナといったフォーク界の仲間たちが滞在していた。「イッツ・オールライト・マ」は、この時期に作られている。スタジオに入ったディランは、この曲にはアコースティックギター1本で十分だと考え、その通り見事に歌い上げた。「火花を散らすおもちゃの銃から 暗闇で光を放つ肌色のキリストまで全部」、さらに広告宣伝、プロパガンダ、伝道師、教師、政党、群衆、役人、お金、説教じみた裁判官、合衆国大統領……と、ディランがこれほどまでに忌まわしい消費カルチャーに対する怒りをあらわにしたことはなかった。とはいえ、何かを具体的に名指しで非難している訳ではない。ディランのサウンドは、彼を世代の預言者に祭り上げた政治色の濃い作品から、「努力しても意味がない……それが人生。人生そのものだ」といった、より広い見地に立った諦めの境地へと移行していった。



「マジックにかけられたように前後左右に揺れる船に乗って」や「心の中に浮かんだスモークの輪をくぐり抜けて消えていく」といった歌詞から、軽快でノリの良い「ミスター・タンブリン・マン」は、ドラッグ・ソングのひとつだと言われている(1964年にディランは、ニューヨークのホテルの一室でビートルズのメンバーらにマリファナを勧めたことがある)。しかしそれは、浅はかな解釈に過ぎない。曲の根幹にあるのは、音楽そのものが持つパワーに対する賛辞なのだ。「彼はそれまで本の世界だけに留まっていたものを、歌として表現しているのさ」と、ディランの友人でミネソタ出身のフォーク・ミュージシャンのトニー・グローバーは言う。「考えてみたら彼は、ものすごいことをやっているんだ」




『ブリンギング・イット〜』に収められた「ミスター・タンブリン・マン」だが、実は前作『アナザー・サイド・オブ・ボブ・ディラン』へ収録する予定で1964年6月にレコーディングされたものの、ボツにされた作品だった。その後、当時ウエストコーストで結成されたばかりのグループ、ザ・バーズがディランのオリジナル曲をアレンジし、独自のエレクトリックバージョンに仕上げた(「ものすごい衝撃を受けた」と、バーズのデヴィッド・クロスビーはディランのアウトテイクを聴いた時のことを振り返る。「僕らはチャンスをもらえてラッキーだった。彼の曲からグレートなロックンロールソングが出来上がったんだからね」)。 皮肉なことにバーズのカバーバージョンが、ポップソングのランキングにおけるディラン初のナンバー1ヒットとなった。1965年5月のことだった。

「バーズを結成した頃に、彼がスタジオへ来てくれた」とクロスビーは振り返る。「僕らは『タンブリン・マン』をレコーディングさせてもらうので、がんばりますと伝えた。ディランは目の前で、自らが作った曲のエレクトリックバージョンを聴いていた。すると彼の頭の中で歯車が回り出すのがわかった。スローモーションで稲妻が走るのが、はっきりと見えた」

ジャンルの限界に挑んだディラン

バーズによる整然としたフォーク・ロック・バージョンが、ラジオ受けするひとつのサブジャンルを確立した一方で、ディランはもっと大きな野望を抱いていた。アルバムのオープニングを飾る「サブタレニアン・ホームシック・ブルース」は、チャック・ベリーの「トゥー・マッチ・モンキー・ビジネス」のノリと40年代のスキャットからヒントを得た、とディラン自身も認めている。R&Bに皮肉めいた言葉の嵐を乗せたエレクトリック・ブルーズ曲で、ジャンルの限界ギリギリのラインだった(トニー・グローバーは「初のラップ曲」と表現している)。

しかし、これはまだ序の口だ。「シー・ビロングズ・トゥ・ミー」と「ラヴ・マイナス・ゼロ/ノー・リミット」は、かすかに揺らめく親密なラブソング。「ボブ・ディランの115番目の夢」と「オン・ザ・ロード・アゲイン」は、歌詞に絶妙なユーモアを交えたノリの良い曲だ。「アウトロー・ブルース」は、自伝的な要素も含んだストレートなブルーズ曲。「彼は度胸が据わった人間だった」と、アルバムでギターを弾いたケニー・ランキンは振り返る。「ディランがエレクトリックギターを手にしたというだけでも大事件だったんだからね」

レコーディング最終日、ディランとミュージシャンは全員が集中していた。彼らはまず、怒りに満ちたプロテスト・ロック曲の「マギーズ・ファーム」を1テイクで片付けた。さらに「エデンの門」はディランがソロで、同じく1テイクで仕上げた。「エデンの門」は不可解だが、素晴らしい曲だ。「何のことを歌っているかさえ分からない」とグローバーは言う。「それでもこの曲から伝わってくる感じが好きだ」




さらにディランは、「ミスター・タンブリン・マン」、「イッツ・オールライト・マ」、「イッツ・オール・オーバー・ナウ、ベイビー・ブルー」のファイナル・テイクをレコーディングした。「ベイビー・ブルー」は史上最高級の別れの曲で、ディランの作品の中でも最も美しい楽曲の部類に入る。恋人に対する冷たい別れの言葉であると同時に、ディランの昔からのコアなファンへ向けたメッセージでもある。アコースティックギターとハーモニカを中心としたアコースティックな曲に、ビル・リーがエレクトリックベースで美しいカウンターメロディーを奏でている。ただし根っこには、ロックンロールのハートが込められていた。「長いあいだ頭の中で温めていた曲だ。曲を書いている時には、ジーン・ヴィンセントの曲を思い起こしていた。もちろん俺が歌うのは、別のベイビー・ブルーだけどね」とディランは言う。グレイトフル・デッド、ヴァン・モリソン、ブライアン・フェリーなど数々のミュージシャンにカバーされた「ベイビー・ブルー」は、ディランの名曲のひとつとなった。

数十年後、自伝『Chronicles』の中でディランは、「エデンの門」をはじめとする一連の作品を書いた時期を振り返っている。「楽曲は、それぞれ違った状況で書かれている。同じ状況というのは、二度と作れない。まるっきり同じ状況はね。だから曲を作った時の状態には、二度と到達できない。再現するには、精神状態を支配するパワーが必要だ。俺の場合は、曲を仕上げる時に一度だけ力を発揮できた。そう。一度で十分なのさ」

From Rolling Stone US.



LP 
『ブリンギング・イット・オール・バック・ホーム』 
2022年5月25日発売 ¥4,180(税込)
購入:https://SonyMusicJapan.lnk.to/BIABHLP

1] ソニーミュージックグループ自社一貫生産アナログ・レコード、180g重量盤、完全生産限定盤
[2] 2022年Sony Music Studios Tokyoにてカッティング
[3] 新対訳&訳者ノート(佐藤良明)付
[4] 日本初発売時の解説(中村とうよう、ナット・ヘントフ)、2013年解説(クリントン・ヘイリン)、補足(菅野ヘッケル)収録
[5] ジャケット外装(A式ジャケットを採用)、日本初発売時のLP帯再現

祝・デビュー60周年アナログ・レコードの詳細:https://www.110107.com/dylan_60/

この記事に関連するニュース

トピックスRSS

ランキング

記事ミッション中・・・

10秒滞在

記事にリアクションする

記事ミッション中・・・

10秒滞在

記事にリアクションする

デイリー: 参加する
ウィークリー: 参加する
マンスリー: 参加する
10秒滞在

記事にリアクションする

次の記事を探す

エラーが発生しました

ページを再読み込みして
ください