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LOW IQ 01の青春時代「SUPER STUPID結成、人生最大のパワーを使った1994年」

Rolling Stone Japan / 2022年6月9日 12時45分

LOW IQ 01

LOW IQ 01のインタビュー連載企画「イッチャンの青春時代」。1993年を振り返った前回に続き、第12回は「1994年編」。イッチャンが過ごした1994年とは? 当時の世相とともに語り尽くします。

ー今回の1994年はSUPER STUPID結成の年ということで、イチさんにとってはかなり重要な年ですね。

この連載では毎回言ってますが、今回が最大のターニングポイントだね。自分のバックボーンや、聴いてきた音楽、その時代・時代があって今があるけど、1994年がなかったら、それこそ俺がやっている音楽ってどうなってたのかなって思う。

関連記事:LOW IQ 01の青春時代「ストリートカルチャーの幕開け、1993年」

ー連載11回分で話してきたイチさんのバックボーンは1994年に全てが重なりました。

1番力を入れた年なんじゃない? 今でも毎年力入れてますよ。でも、バンド結成って人生の中で今までにないパワーを使うと思う。いろいろなバンド歴があって、GAS BAGというバンドをやっていたり、自分のバンドではあったんですけど、ちょっとお遊び程度な感じでレギュラーでライブとかもやったわけじゃなくて。その後にAPOLLOSに加入して脱退して、新しいバンドを組もうってなったのがACROBAT BUNCH。言い出しっぺは俺じゃないし、アイゴンがやろうって言ったから、その流れで結成したんだけど、1994年は決断の年です。

ーいろいろなターニングポイントがある中で、本気で音楽に取り組むスイッチが入った瞬間がいくつかあったと思うんですけど、SUPER STUPIDを結成したのは今までとは質の違うスイッチなんでしょうか。

SUPER STUPIDは、本当に自分が立ち上げたバンド。自分でほぼ全曲作って仕切る初めてのバンドなんだよね。今までの音楽量とは違う量をこなさなきゃいけなくなるわけよ。1994年はその覚悟ができた年です。1994年4月にACROBAT BUNCHを辞めるんだけど、辞めるのにも結構パワーを使った。でも、結成ってもっとパワーを使うわけで、辞めるって言った次の日から即メンバー探しです。4月からすぐ新曲作りに入って、メンバー探しを始めていましたね。

ーACROBAT BUNCHを辞めたいという意思で次に向かったのか、次のことをやりたくて辞めたのかだとどちらなんですか?

半々だったかな。自分のできることがACROBAT BUNCHではできなくなったというか。分かりやすく言うと、アイゴンがリーダーだったから、意外に却下されることが多かったりして。俺が激しい曲を持っていくと、「そういう気分じゃないんだよね」って感じで片付いちゃったり、それがどんどん溜まって、どちらかと言うと「これバンドじゃねえな」って怒りになってきた。他メンバーもアイゴンの意見を聞いて、3対1の構図ができあがっちゃっていた。その頃にはアイゴンは音楽で仕事をするようになってきて、変な話、アイゴンについていけば間違えないだろうと思っていたんだよね。それを全部ひっくり返したのは、音楽性の違いがでかいのかな。3対1って構図がもうやってらんねえって感じ。分かりやすく言うと、アイゴンのEL-MALOと俺のSUPER STUPIDの違いだよね。ACROBAT BUNCHも俺が辞めて、サポートメンバーでベースを入れてライブをやったんだけど、結局自然消滅みたいな感じになっちゃって。僕が辞めた時点で、前回も出たストリート精通者がこっち側に来てしまった。

ー「それ、ストリートじゃないよね」という話ですね。

そうそう。ACROBAT BUNCHを続けていたら、ちょっと歌モノっぽい今のレッド・ホット・チリ・ペッパーズみたいな音楽になっているのかなって。ライブの1週間ぐらい前にCOKEHEAD HIPSTERSのベースのKOBAが骨折しちゃったんだよね。急遽俺に「ベース弾いてくれない?」って話になって弾いて、それがすげー楽しかった。あともう1つ、それがストリートだったんだよ(笑)。メジャー系の音楽ではなくて、ゴリラ・ビスケッツとか、シック・オブ・イット・オールとか、セブン・セカンズとか、マーフィーズ・ロウとかああいう感じの音楽をやりたい。それにちょっとミクスチャーのフィッシュボーンみたいな要素が入っていればいいなと思ったんだけど、ACROBAT BUNCHは本格Pファンクみたいな方に行ってしまったので、考え方がそこで分かれたのが大きいポイントだった。

ーイチさんがストリートの方に行った一方で、EL-MALOはオルタナティブな領域に行った感じがしました。

プログレとかで、例えばキャプテン・ビーフハートとか、フランク・ザッパとかEL-MALOのやったものに影響を受けて、逆輸入みたいなこともあってSUPER STUPIDでそういうテイストを後にやったこともある。バンド的には分かれたけど、お互い影響し合ってはいた。別に仲悪くなったわけじゃないから、その後もコンタクトをとってたし。何ならSUPER STUPIDを組んだときにジャッキーはEL-MALOのサポートメンバーで、繋がりはあった。俺は分かれて正解だったなと思ってる。



ーSUPER STUPIDのメンバーは具体的にはどう集めたんですか?

友だちに「いいギタリストいるよ、紹介してあげるね」って言われたりもしたんだけど、それはそれでストリート過ぎちゃう人もいて。もうちょっとミクスチャー感も欲しいなと言いながら、ちょっとはファンクミュージックもやりたいなと思ったり。パンクとファンク、プログレロックをかけ合わせたのがスプリットで出した『PULL UP FROM THE UNDERGROUND』なんだけど、ああいう音楽をやりたかったんだよね。ジャッキーがAPOLLOSに加入していて、もともとやっていたバンドがアメリカのスケートバンドでAPOLLOSとは自分のやりたい音楽が違うということで、「じゃあ一緒にやらない?」というのが始まり。ドラムのツネ(恒岡章)はHi-STANDARDをバリバリやっていたんだけど、もともとツネとジャッキーは一緒にバンドをやっていたからサポートで、遊び程度だったらという感じだったかな。それで第一期SUPER STUPIDが1994年から始まった。

ーSUPER STUPIDの活動を開始して、特に覚えていることはありますか?

やっぱりジャッキーのギタープレイが優れていたんだよね。パンクだけじゃなく、ジャズも弾けるのが大きかった。当時ジャズが弾ける人をその年齢で見たことがなくて。あと、バンジョーとかブルーグラスとかもすごく上手い。これは今までにないパンクバンドを作れるなと思った。最初は希望しかなかったですよ。

ーSUPER STUPIDの最初のライブのことは覚えています?

今でも忘れもしない王子の3Dでやった伝説のイベント「SCRAMBLE CROSSING」ですよ。ヒップホップ、レゲエ、スケート、ハードコア、いろいろなものが入り乱れてストリートど真ん中って感じだった。1994年10月で、俺らがここで初ライブをやったんだよね。坂本さんと大野さんのDBXとSHAKKAZOMBIEになる前のP.O.D.って名前のグループも出てた。ヒデボウイがまだいないときでツッチーと大隅ともう1人がいて、ラップをしてもらって。ACROBAT BUNCHのときにもヒップホップのアーティストとコラボをやってたりしていたので、意外に夜明け前な感じだったんですよ。ヒップホップもロックとかパンクとか、アメリカの音楽みたいな感じ。ストリートミュージックが90年代初頭でこれから来るぞってとき、1994年で土台ができてきてた。レゲエアーティストもいっぱいいたし。

ー1994年の世相で思い入れがある出来事はありますか?

この頃のイメージはやっぱり音楽だよね。1994年でACROBAT BUNCHを辞めて、SUPER STUPIDを結成した。でも実は4月まではACROBAT BUNCHをやっていたわけで、スタジオの帰り道とかいつもアイゴンの車に乗せてもらって、車の中で聴いていた音楽。俺はニューヨークのハードコアを聴いているんだけど、アイゴンはそういうのをあまり聴かず、どちらかと言うとよくかけていたのがブラー。俺はビートが速いのが好きで、アイゴンはUKの音楽が好きだった。そこで覚えているのが、ブラーがザ・フーの「Substitute」をカバーしているのを聴いて、こんなことやっているんだって思った。ブラーとオアシス、どちらかと言うと、ブラーの方が最初に出てきたイメージがあるんだよね。オアシスの方が世界的なバンドになってしまったけど。ニルヴァーナのカート・コバーンが亡くなって解散した年でもあるね。

ーカート・コバーンは1994年4月8日に亡くなってますね。

そこで次は誰だろう、ブラーかオアシスなのかなって気はした。海外のロックの流れはそんな感じで、レッド・ホット・チリ・ペッパーズとかビースティ・ボーイズとかも落ち着いてきている感じがしてた。ヒップホップがガーンっとくる感じ、ナスともたしかアルバムを出してる。ロックとヒップホップが攻め合っている感じで、いち早くそういうのを取り入れた人たちは、俺ら世代の年齢なんじゃないかな。当時20代前半の人とか。海外のアーティストで言うと、マライア・キャリーも一応R&Bの歌みたいに「恋人たちのクリスマス」がバカ売れした年じゃないですか。マライアはたしか俺と同い歳。そこからドラマの話になるんだけど、やっぱり主題歌だよね。『29歳のクリスマス』。ぎばちゃん(柳葉敏郎)と松下由樹と山口智子と仲村トオル。仲村トオルがイメージ的にビーバップな感じが抜けた。『あぶない刑事』がずっと再放送してたから、そのイメージは続いていたんだけど、でもこれでビーバップイメージは完璧になくなった。「J-POP」って言葉ができた年が90年代からではないかって言うけど、売れた人たちってドラマからだよね。Mr.Childrenの「Innocent World」もドラマはアクエリアスのCM主題歌か。1992~1993年って渋谷La.mamaとかで普通にミスチルがライブやってた。まさかこんなに国民的バンドになるとはね。

ーLa.mamaに行ったら普通にライブやってるって感じだったんですか?

名前は聞いていたから、この頃はウルフルズとかそういうバンドの動きもあった。かたや僕らストリート側はニューキーパイクス大好きな人たちが集まる、バッド・ブレインズ大好きな人たちが集まるみたいな感じがあって。あと、日本の音楽は90年代に入ってから、チャートはずっとBzなような気がする。今でも代表だけどね。

ーあと小室哲哉さんもですね。

そうだよね。篠原涼子の「恋しさと せつなさと 心強さと」。篠原涼子ってダウンタウンファミリー兼小室ファミリーですごいよね。ダウンタウンの『HEY!HEY!HEY!』もこの頃からかな。



ー1994年に始まっていますね。

その前は『DANCE DANCE DANCE』をやっていて、それで『HEY!HEY!HEY!』で歌番組になった。めっちゃ覚えてるのがテレビだけの企画で、所ジョージにダウンタウンが曲を書いてもらう幻のおもしろい企画があったんだよ。音源はないと思うんだけど「ラブハンター」って歌だった。ACROBAT BUNCHを辞めようと思った理由の1つ、この頃俺はダウンタウンが大好きで、松本人志さんがベストセラー『遺書』を出すんです。普段本は読まないんだけど、唯一読んだのがこれと『松本』。その関係で浜ちゃんが『読め』ってやつを書いたんだけど、そっちにはあまり影響を受けなかった。松本人志の『遺書』を読んで、自分を信じるべきだなと思ったんだよね。本の中でトミーズのことを言っていて、客に媚びる行為、最後番組が終わったら握手をするとか。お笑いで勝負したかったら、そんなの必要ないみたいに書いてあって、まっちゃんかっこいいなってそれはストリートだなって思った。

ーSUPER STUPIDを立ち上げた時期と出版時期がかなり近いと思うんですけど、そこでマインドがシンクロしたんでしょうね。

そうそう。ちょっとひねくれていて、どセンターじゃないぞみたいな。この頃はとんねるずがメインストリームに行ってた感じなんだよね。俺がアイゴンと分かれた理由として、例えるならアイゴンのEL-MALOはとんねるず、俺はダウンタウンになりたかった。前回も言ったけど、1994年の音楽チャートに入ってる広瀬香美の「ロマンスの神様」のリリースは1993年の12月だよね。アルペンのCMが1994年でムラジュンが出てたんだけど、隣の中学の後輩でスケーターでストリート出身。そのイメージがすごいある。あと、1994年はGO-BANGSが解散してる。GO-BANGSのレコーディングに参加してたりしていて、電気グルーヴとかにも参加して、アイゴンがギターを弾いたりしてたから。ACROBAT BUNCHでGO-BANGSのレコーディングをしたこともある。

ー1994年に渋谷ON AIR WESTで開催した「バイオニック・ギグ」で解散したんですよね。

「バイオニック・ロック」というアルバムに俺もACROBAT BUNCHで参加しているはず。それで、同時期に辞めてるんだよね。だから、GO-BANGSのことをお姉さんって呼んでいるんですけど、思い入れがある。あと音楽だと、松任谷由実さんの曲も瀬戸朝香のドラマ『君といた夏』なんだよな。いしだ壱成とかが出てた。1992~1994年って謎だったんだけど、筒井道隆なんだよね。もうちょっと本格派の役者がいいのに意外に主役を張ったりして、なんでだろうって思ったりしてた。他覚えているのは、辰吉丈一郎と薬師寺保栄の試合。これをやる前までは挑発的な試合をしていたんだよね。スパーリングとかも辰吉の方が全然上で薬師寺ってすげーチャラかった。リングの上でダンスする感じとか嫌だったんだよね。辰吉頑張れって思ったんだけど、まさかの最終ラウンドまでいっちゃったという。試合が終わった瞬間にノーサイドで抱き合ったら、辰吉の口が「チャンピオン」って言っているんだよ。もう認めたんだよね。あれは結構歴史的だったな。俺は絶対辰吉勝つと思ってた。代理戦争的に名古屋対大阪みたいなイメージもあったし(笑)。



ー他に何か印象に残っていることはありますか?

ビートたけしさんのバイク事故は衝撃だったなあ。復帰したときの会見を覚えてる。あの状態でテレビに出るってやっぱりすげーな、勇気があってかっこいいなあって思った。あと覚えているのは、ヒット商品のところで、すりおろしリンゴ。CMが宮沢りえで、「すったもんだがありました」だよね。このときはつらかった。婚約破棄になってからのCMだったから明るくCMに出てたけど、きつかったイメージがあったな。

ーテレビのイメージが強いんですね。

バラエティだと、『おしゃれカンケイ』の番組枠は好きだったね。『THE夜もヒッパレ』は、ただ単に歌いたい人が他人の歌を歌う番組で、安室ちゃんとかスーパーモンキーズが出てた。あと、『チューボーですよ』はマチャアキの星3つ。1994年から始まって、結局最後の方まで巨匠マチャアキの料理が上手くならなかった。あんなにかくし芸とかで器用な人が、料理だけどうしても必ずこぼすという。意外だったな。やっぱり料理ってセンスなんだよね。ドラマで言うと『家なき子』の「同情するなら金をくれ」。今安達祐実がウーバーイーツのCMをやってるんだけど、すごくいいんだよね。小学生の黄色い帽子を被るんだけど、今でも違和感がない。「同情するなら金をくれ」は、俺ら世代は誰でも知ってる言葉だよね。

ーちょっと社会現象っぽくなってましたよね。

あと『HEY!HEY!HEY!』とか歌番組にみんな出るようになって、ダウンタウンのトークが結構おもしろくて。もちろん『うたばん』もあったのかもしれないけど。『昭和ベストテン』が終わってからは、『HEY!HEY!HEY!』と『うたばん』だよね。

ー他にテレビ番組系で印象深いことはありますか?

この頃はSMAP大活躍なんだよね。国民的になったのは1996年ぐらいに『SMAP×SMAP』が始まってからだと思うんだけど、その幕開け。バラエティとか、欽ちゃんの『よ!大将みっけ』という番組が1994年にあって、1クールちょっとしかやらなかったんだけど、そこに香取慎吾とかも出て、SMAPがバラエティに出るようになってきたから1994年は土台だったんじゃない? あとバラエティで『特報王国』って番組があった。ウッチャンナンチャンと鶴瓶で、今で言う『世界仰天ニュース』みたいな感じで、視聴者が投稿してきたものに対していろいろ実験してみんなで笑う。あと、島田紳助の『嗚呼! バラ色の珍生!!』ってやつ。これが後にモノマネをされる「探しました」「見つかりました」「素敵やーん」ってやつだよ。何年も会っていない家族とかを探して、見つかりました「素敵やーん」って。あと、1回『みなさんのおかげです』が『ラスタとんねるず94』に変わるんだよね。本当に短い間しかやっていなくて、また戻す。とんねるず関係で言うと、『ねるとん紅鯨団』が終わった年でもあって、その後『ハンマープライス』が始まった。オークションで、「ハンマープライス!」って言って、みんなで競り合っていく。結構おもしろくて深夜に観てたな。

ー『ねるとん紅鯨団』は1994年の12月までですね。

あとは第二期の『スーパーボキャブラ天国』。第一期はもうちょっと前からやっているんだけど、その頃って再現VTRでダジャレを『タモリ倶楽部』の空耳アワーみたいな感じでやったり。まだ無名の頃の大人計画とか、宮藤官九郎が再現VTRに出てたりしてた。1994年は第二期で芸人が出るようになってきて、ボキャブラブームってイメージ的に1996年だと思う。その前はここから始まっているんだよね。若手のお笑い芸人を使ってクイズと、ダジャレが混じってた。ロンドンブーツ1号2号とか山崎邦正とか、それぐらいのときじゃないかな。あと、『オールナイトフジ・リターンズ』というのがやっているんです。その前って『殿様のフェロモン』という刷毛水車とかやってた伝説的番組がやっていて。今でも覚えているけど、神田うのが女子大生MCみたいな感じで初めてテレビに出てきた。ヒロミとかも出てたんだよね。ダウンタウンの感じが落ち着いてきて、この頃ってヒロミとか清水圭が出てる。ヒロミもピンで出始めているときで、清水圭も東京に1回出てきたときだったんだけどね。どうしてもこのイメージだと、森脇健児とかのつまらないイメージだよね(笑)。アイゴンの話に戻るけど、『ジャングルTV〜タモリの法則〜』でルーレットを回して料理を作るジャングルクッキングってコーナーがあったんだけど、最後のエンディングでハガキを読むコーナーで生バンドが出る。バナナギャングスってバンドが生演奏をするんだけど、アイゴンがギター弾いてた。そういうのもあって、「テレビ番組でギター弾くのかあ」と思って、ストリートじゃないなということで、ACROBAT BUNCHでの方向性の違いを感じた理由の1つでもある。今考えると、テレビに出てギターを弾くってすごいことなんだよね。当時はそれを理解できなかったからさ。

ーその頃ってみんなメインストリームからちょっと外したカウンターの方に行きたいって感じでしたよね。

もちろんもちろん。今となってはスタジアムクラスでライブやるのも当たり前になってるけど、その時代は誰も考えてなかったから、ライブハウスを満杯にしたら最高って時代です。ワンマンで都内のライブハウス埋めたらすげーかっこいいって思ってた時代。今でもその文化はかっこいいと思うけどね。ストリートって言葉が1996年ぐらいまで続くと思う。

ー1996~1997年だとストリートがオーバーグラウンドに乗った感じですね。

まさしく自分がそこに乗る話になるので、それは2年後の回でってことですね。

ーまとめるとイチさんにとって1994年はどんな年ですか?

すごいパワーを使った年。人生で1番能力、パワーを使ってそこに集中したというか。若さと時代とパワー。全てが合致したのが1994年かな。


<ライブ情報>



LOW IQ 01自主企画「MASTER OF MUSIC」

2022年7月18(月・祝)川崎・CLUB CITTA
時間:START 17:45
出演:LOW IQ 01 & MASTER LOW / LOW IQ 01 & THE RHYTHM MAKERS+ / TOSHI-LOW-IQ-01
料金:スタンディング 前売 5500円
チケットPG先行
6月8日(水)18:00〜6月12日(日)23:59
https://w.pia.jp/t/summer-mom/
https://eplus.jp/natsunomom/
一般発売
6月18日(土)

「LOW IQ 01 & New Acoustic Blenders[from OAU]New Acoustic Things」

2022年6月26日(日)ビルボードライブ大阪
http://www.billboard-live.com/pg/shop/show/index.php?mode=detail1&event=13433&shop=2

2022年7月1日(金)ビルボードライブ東京
http://www.billboard-live.com/pg/shop/show/index.php?mode=detail1&event=13434&shop=1

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