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Haruyが語る、HSU(Suchmos)と交わした会話

Rolling Stone Japan / 2022年6月17日 17時45分

Haruy(Photo by Kisshomaru Shimamura)

6月8日、シンガーソングライター・Haruyが1st EP『MAO』をリリースした。本作は、昨年10月に急逝したSuchmosのベーシスト・HSUこと小杉隼太がプロデュースを手掛け、Haruyとコライトした5曲が収録されている。それらは心が震える楽曲ばかりだ。

Suchmosをデビューの頃から取材してきた筆者は、Haruyに話を聞きたいとインタビューを申し込んだ。この素晴らしい歌声と感性を持つシンガーソングライターが何を考えているのかを探ってみたいと同時に、Haruyの話を通して、HSUが最期に何を想っていたのか、プロデュースワークでどんな音楽を作ろうとしていたのかを知りたいと思ったから。

Haruyはゆっくりと、HSUとのエピソードを一つひとつ聞かせてくれた。このロングインタビューは、HaruyとHSUの思い出と、Haruyが見たHSUの生き様を記録する貴重なテキストだ。HaruyはHSUの音楽家としての遺伝子を、(Suchmosのメンバーを除くと)最も濃く継いでいるアーティストだと言っていいと思う。そんな彼女が今後も自身の多彩なアート感覚を紡ぎながら作品を生み出してくれることは、ただただ希望に満ち溢れている。




HSU(Photo by Ken Oshima)

—今日は、学校帰りですか?

Haruy:そうです。映画学科に通っていて。映画を撮りはしないんですけど、映画の批評とかビジネスの勉強をしています。

―そうなんですね。でも映画よりも音楽をやろうと?

Haruy:そうですね。本当は、今大学4年なんですけど、2年生くらいまでは普通に就職しようと思っていたので。隼太さんとお会いできたところからです。


Haruy(Photo by Kisshomaru Shimamura)

―隼太さんと出会ったのはいつ頃ですか? もともとやっていたバンド・Tastyが解散を発表したのが去年10月でしたよね。

Haruy:本当はバンドとソロを同時進行しようと思っていたんですよ。バンドと並行してソロをやりたいとずっと思っていたので。だけどバンドがなくなったから、ソロにギアを入れようって。最初に話をもらったのが去年の4月くらいで、嬉しいというか、「隼太さんとできるのか!」ってびっくりでした。

―HaruyさんにとってSuchmosはどんな存在ですか?

Haruy:横浜スタジアムのライブにも行きましたし、渋谷のタワレコの地下であったレコ発ライブにも行きました。もともと母親が好きで。浜スタも母と一緒に行きましたし、タワレコのライブは、母が買ったCDの特典としてチケットが付いてきたけど母が仕事で行けなかったから、私が学校帰りに制服姿のまま見に行った記憶があります。

―当時Haruyさんは高校生? 中学生?

Haruy:中学3年生くらいだったかもしれないですね。

―当時、Suchmosにどんな魅力を感じていましたか?

Haruy:渋谷でライブを見た頃、私はまだバンドをやってなくてアコギの弾き語りをやっていたので、YONCEさんの歌にフォーカスしてました。しかも私、背が低くて、みなさんの姿が全然見えなくて(笑)、YONCEさんがチラチラ見えるくらいだったんです。なので、YONCEさんの歌い方とか魅せ方を見てました。

―Haruyさんが最初に買った楽器はベースで、浜スタのライブの頃にはTastyでベース&ボーカルをされていましたよね。そのときは同じベーシストとしてHSUさんをどう見てました?

Haruy:いやあ、なんだろう……もう、一緒に制作してるときもそうですけど、すごすぎて。自分と比較にも及ばないというか。どうやって弾いているのかわからない、本当に才能のある人だと思ってました。隼太さんの音作りもめちゃくちゃ好きで。ズンって重いんだけど、クッて軽くなるところとか、その強弱や緩急はやっぱりセンスや感覚がすごいなと思ってました。


「ジ・インターネットのシドみたいだね」

―初めてお二人が会ったときには、隼太さんがHaruyさんの歌をイメージして書いた「Swimmer」のデモがすでにあったそうですね。出会う前から曲を書いてくるほど、隼太さんはHaruyさんのどういうところに魅力を感じていたのでしょう。

Haruy:いやあ、本当ですよね(笑)。浮かんでいるような声……「ジ・インターネットのシドみたいだね」って言われていて。軽くて、伸びやかだけど、ちょっと切なさや儚さがある。そういう部分に惹かれてくれていたと思います。あと、インスタを褒めてくれていた印象がありますね(笑)。インスタの雰囲気も含めて「いいと思った」って。インスタの職業欄を「フローズンヨーグルト店」にしていて、そういうところが好きって言われました(笑)。

―それ、かわいいなって私も思ってました(笑)。二人でどういう音楽を作りたいという話をされたんですか?

Haruy:隼太さんが好きなジャンルは、何て言うんだろう……ミステリアスな曲を作りたいと思ってる感じがしました。そういう雰囲気が私の一部にあると思っていたみたいで。そこを引き出したほうが他のアーティストにない、私のなかにある独特な部分が出ると思ってくれていたみたいで、そういった音楽性のプロデュースの流れを感じてました。

―「ミステリアス」って幅広い言葉だと思うんですけど、ちょっと神秘的な感じに包まれたというか?

Haruy:LImpératriceの「Peur des filles」とかを「いいんだよねえ」って言ってました。高くて透き通ってる声とそういう音楽の組み合わせが好きだったし、私に合うと思ってくれていたんだと思います。



―隼太さんと音楽を作るなかで、Haruyさん自身の声はどういう情景を描いたり感情を表現できたりするものだと思うようになりましたか?

Haruy:基本的に声が高いと思うんですけど、高いところだけじゃなくて中間の音も含んだ、厚みを持った声を引き出してもらっている感覚がありました。あと、EPを聴いた方から「空間に包まれているみたい」と言われたことがあって。「Snake」で隼太さんと私の世界観に一気に引き入れて、包まれて、「Ryan」で終わる感覚があると言ってもらったのがすごく腑に落ちて。空気で包むようにして、安心感も得てほしいと思ってます。中学生の頃から、歌ってると「眠い」「夢想みたい」って言われていて(笑)。でも本当に寝てくれていいかも、みたいな(笑)。それくらいリラックスしてくれるならめちゃくちゃ嬉しいなと思います。

―癒しとか救いという言葉が似合う歌だなあと私も思います。

Haruy:嬉しいです。


「ロマンという言葉を言ってほしい」

—隼太さんが作詞作曲を手がけた「Swimmer」を、Haruyさんはどういう曲だと捉えていますか?

Haruy:「Swimmer」は日常において、つらいこととか、本当に耐えられないようなこととか、色々あるけど、そこを上手く波に乗って過ごすのがいいんじゃないか、という歌詞だと思うんです。”何が不幸だ Remember”って言ってますけど、過去に対して決別というか、今から切り替えるんだという決断や決意みたいな意味があるなと思っています。



—すごく隼太さんらしいリリックだなあと思って。

Haruy:ねえ。わかります。でもこの歌詞自体について隼太さんから解説されたことはなくて。とにかくあんまり考えすぎずにドライに歌ってほしいと言われましたね。

—聴き方によっては隼太さんの内面を素直に感じ取れる歌詞だから、あえてHaruyさんにドライに歌ってほしいというディレクションだったんですかね。

Haruy:そうだったのかもしれません。多分、この曲でみんなに汲み取ってもらいたいのは、泳ぐように日々を過ごすことを目指すというか。だから私の歌もそこに行ってほしくて、歌詞を深く感じさせるよりかは、さらっとしているのが理想だったんじゃないかと思います。

—そういうなかで深いところまで汲み取っちゃうのはもしかしたらご本人の意に反してるかもしれないけど、HSUさんのどこまでも誠実であろうとする感じとか、Suchmosの「FIRST CHOICE, LAST STANCE」感、富と名声に対する疑問とかが奥底にあるなあと思いますね。

Haruy:そうだと思います。そういえば「ロマンという言葉を言ってほしい」ということも言われました。「ロマン」という言葉を、私の世代とかティーンの女の子が言ってるのがいいって(笑)。それを言ってほしくて歌詞に入れたとも言ってました。

―たしかに、Suchmosと近い世代の男性ミュージシャンに取材をするとよく「ロマン」という言葉が出てくるんですけど、女性ミュージシャンからはあまり聞いたことがないかも。

Haruy:私も普段「ロマン」という言葉は言わないから(笑)。しかも”ロマンを連れ 返りたい”ですからね……なぜそんな言い回しが思いつくのか。いろんな解釈ができる歌詞だなと思ってます。


Photo by Kisshomaru Shimamura

―「Swimmer」の次に先行配信し、EPでは最後に収録している「Ryan」も、とても大切な一曲ですよね。

Haruy:そうですね、はい。



―この曲ができるまでの過程を聞いてもいいですか?

Haruy:「Ryan」のトラックができて、これから歌詞を書こうとしていたときに隼太さんが亡くなって。その時点で、この曲たちを出すのかどうかがわからないということになって。しばらく時間があいて、出すことが決まってから書いた歌詞で。……そうですね。何を書こうかなって考えたんですけど、やっぱり隼太さんのことしか考えられなかったので。隼太さんに向けた詞であり、私に対しての詞でもあると思います。Tastyのときから実感するんですけど、自分が書いたことって全部自分に跳ね返ってくるんですよ。誰かのことを想って書いても、結局自分に同じことが跳ね返ってくる感覚がすごくあって。なのでこれも隼太さんを想って書いてはいますけど、自分のことを想って書いてもいるというか。周りの方とかファンのみなさんがお別れをちゃんとできていないということもあったので、少しでも、亡くなってしまった後の浮かんでいるような状態に寄り添えたらなと思って書きました。

—”駆け抜けて”とか、すべての言葉に重厚感を感じます。そしてこれもまた声の使い方がすごく美しいですよね。

Haruy:ありがとうございます。隼太さんとトラックを聴いているときに「飛行機が飛び立つときの感覚があるよね」と話していて、そういう気持ちで歌っていたかもしれないですね。

—もともとのトラックの雰囲気と、Haruyさんが導かれたように書いた歌詞のテーマが、偶然というか必然で合ったんですね。

Haruy:そうですね。合っていたのかなと思います。


「季語は使わないほうがいい」

―「Lovely」のミュージックビデオを、Suchmosの初期からMVやVJを手がけてきた山田健人さん(通称ダッチ)と一緒に作ったのは、どういう経緯だったんですか?

Haruy:「撮りたい」と言ってくれていたのもありますし、隼太さんと長い付き合いの方に隼太さんが作った曲のMVを監督してもらうのがいいんじゃないかと思って。撮影スタッフもSuchmos時代の方たちが集まってくださって。

プロデューサー・金子悟:最後に山田くんが(Suchmosで)やってくれたのが『LIVE WIRE』の生配信ライブで、そのときの照明とか道具の方を集めてくれていたんです。僕らも現場に入ってそれを知ったんですけど。

Haruy:現場でみんながこうやってくれている(両手を広げて迎え入れてくれている)感じがしました。「よしよし」ってしてくれている感じがあったかもしれないです。

―まさにLoveですね。めちゃくちゃ尊い映像作品ができましたね。

Haruy:そうですね、本当に。宇宙展望台のシーンはすごく好きで。スタジオで撮ったほうは、なんか自分じゃないみたいな感覚がまだあって(笑)。「東京」「都会」「夜」みたいなイメージになっていて、ダッチさんにはそう映っていたのかって。自分としてはあまり二面性とかはなくて、素の気持ちだけで書いていたので、大人っぽい部分を汲み取ってもらえたんだなと思いました。



―色々貴重な話を聞かせてもらってきましたが、このEPの制作を通して、隼太さんから学んだこととは?……といっても、いっぱいあると思うんですけど。

Haruy:いっぱいありますね……もう、すべてだと思います。

―そうですよね。噛み砕いて聞くと、音楽の作り方においてはどうですか?

Haruy:歌詞については、技術面でプロデュースしていただいて本当に勉強になりました。Tastyのときは英詞だったので日本語で書くのが初めてで。基本を備えてもらった感覚があります。「ここは韻を踏んだほうがいい」とか「季語は使わないほうがいい」とか。

—隼太さん、季語を使わないことを大切にされていたんですね。面白い。

Haruy:そうなんですよ。なるべく季節問わず聴いてもらいたいということで。最初「Lovely」は夏っぽい歌詞で、「海」とか夏の要素をいっぱい入れていたんですけど、「それじゃないのにしよう」って言われたりしました。それ以外だと、「自分の思ってることを書いたほうがいい」というふうに言ってくれて。「Lovely」とかも、「いつか恥ずかしくなるかもしれないけど、でも今しか書けないからいいと思うよ」って。歌うときも、歌詞を書くときも、無理しないで「そのままでいい」みたいなことを言ってくれていました。私の声は、無理してない感じで揺れているようなところがいいから、そこにフォーカスしようって。私は自分と対極的な歌い方の人に憧れるし、そういう気持ちも隼太さんが「わかるけど」と言っていて、でも私には私にしかないものがあるからそれを突き進めたらいいというふうに言ってくれて。味方でいてくれる感覚がすごくありました。

―音楽では嘘をつきたくないって、これまでSuchmosを取材してきたなかでYONCEさんも言っていた言葉だなと今お話を聞きながら思いました。

Haruy:そうなんですね。「売れたい?」「チャートに入りたい?」とか隼太さんに聞かれたこともあって。「いいと思う曲ってどういう曲?」みたいな話とか。いいか悪いかは、有名とか無名とかまじで関係ないと。チャートに入ってようがなかろうがいい曲はいいから。売れてるから聴かないっていうのが自分のなかでちょっとあったんですけど、よくないなと思いました。ビリー・アイリッシュの話をしたことがあって。「全然聴いてなかったけど聴いてみたらめっちゃいい」みたいなことを隼太さんが言っていて、それで私も聴いてみたら「確かに、めっちゃかっこいい!」みたいな(笑)。隼太さんと制作していて、どんな音楽も全部一律で聴くほうがいいよね、という話をしました。

—「チャートに入りたい?」という話をされたとき、Haruyさんは何て答えたんですか?

Haruy:1位を狙いたいわけではないけど、いろんな人に聴いてもらえたらいいなって。自分の作った曲をみんなに聴いてもらえることとか、フィードバックが返ってくることは、やっぱりすごく嬉しいし楽しいから。そうなれるのはチャートに上がってくるということだから、そういう意味で聴いてもらえるのは嬉しいことだなという話をしました。

—どんなことを学んだかをまた違う角度から聞くと、アーティストとして、もしくは人としての生き方や、もしくは他者との接し方などではどうですか?

Haruy:プロとして音楽を仕事にするというのはどういうことなのかを話してくれましたね。私は、最初のほうは「本当にやるかわかんない」くらいの感じで……。

―就職するかもしれないと思ってたんですもんね。

Haruy:そう、定まってなくて。そこに対して「どっちでもいいと思う」って。「音楽をやるんだったら大変なこともいっぱいあるし、でも音楽じゃなくても仕事は大変なことが絶対にある」と。ご自身がアーティストだからというのもあると思うけど、特に音楽って、すごく孤独で難しい職業でもあると思うって言ってましたね。でも私には「その声を生かして音楽で食べていけたらいいよね」と言ってくれてました。生き方……生きることってどういうことなのか、ということも亡くなってからすごく考えましたし。そこもある意味学んだと思いますね。

―そうですよね。

Haruy:接し方は、本当に隼太さんは誰に対してもフランクで。しかも、上手に接し分けている感じもして。「Snake」のレコーディングは全部生演奏でやってもらったんですけど、みなさん音大出身の方々なので(江﨑文武、澤村一平、澤近立景)、私だけ音楽用語とか技術的な部分がわからないときがあって。そのたびに隼太さんがわかりやすく言い直してくれたりして。フェアに見ているというか、みんなを同じ土台に立たせてくれている感じがしました。


今は明るすぎないとか、ポップすぎないものが落ち着く

―そうやって完成させたEPに『MAO』というタイトルを付けたのはどうしてですか?

Haruy:「Me Among Others」の略で『MAO』というのがまずあって。あと、私の声や歌が「癒し」という話をしましたけど、モノアミンという、ドーパミンとかアドレナリンの神経伝達物質の総称があるので、それも含めて『MAO』にしようと思って。「Me Among Others」は「私とそれ以外のもの」という感じなんですけど、私と隼太さんの間でできた楽曲たちだし、隼太さんとリスナーの方とか、私とリスナーの方とか、リスナーの方の何かとか……そういう、何かと何かの間にあるようなEPだなという要素を感じていたので、このタイトルにしました。楽曲のタイトルは大体全部、隼太さんからトラックのデモがきたときに付いていたタイトルそのままです。



―今は、音楽で生きていこうと腹を括った感じですか?

Haruy:そうですね、はい。バンドをやってるときも思ってましたけど、やっぱり楽しいなという感覚がすごくあるし。アドレナリンがブワーって体のなかから出てくる感じが、音楽をやっているときにすごくあるので。その感覚は就職したらなかなか難しいのかなって思ったり(笑)。音楽でやっていけたらいいなと思ってますが、それは簡単じゃないということも同時に思ってます。

―そうですよね。「Swimmer」「Ryan」のジャケットはご自身で描かれていますよね?

Haruy:あ、そうです。はい。



―音楽をやられていて、映画も詳しくて、絵も描けるとなると、今後は音楽に限らず色々クリエイトしていきたいという想いがありますか?

Haruy:えー……今のところ全然ないですね。絵は、中高が美大の付属に行っていたので油絵とか工芸も授業でやっていて。それがあって手を動かすことはできるんですけど、「楽しいなあ」くらいで、別に表現としてやろうとはそんなに思ってないです。映画も好きですし、ギャラリーや美術館に行くことも好きですけど、やっぱり自分で音楽を作り出すのは全然違う感覚になるなあっていうのをひしひしと感じています。

―そういう中高に通っていたというのは、小さい頃から絵を描くのが好きだったとか?

Haruy:母親が入れただけっていうのはあるんですけど(笑)。でも好きでしたね。音楽も好きでしたし、絵を描いたり工作したりするのも好きでした。母親が音楽好きなので、記憶がないくらい小さいときからライブにいっぱい連れていってくれて。音楽を仕事にしたら嫌いになっちゃうかもと思って、若干逃げみたいな感じで、映画を仕事にしようと思って大学を選んだんですよね。

―でも、音楽の道に導かれてしまったと。

Haruy:そうですね。こういう機会があって、タイミングがあって、いろんなことが重なってこのEPになって。やっぱり、どうなるかわからないというか。コロナもそうですし、ウクライナの戦争もそうですし、予期できないことがたくさん起こるから、もう今を生きるしかない、進んでいくのみという気持ちですね。

―この先は、どういうふうに音楽作っていこうと思っていますか。もうすでに作っています?

Haruy:作り始めているんですけど、すごく暗い曲ばっかりできちゃって(笑)。楽しんで作っているんですよ! でも時間をおいて聴いてみたら「なんか暗くない?」みたいな。今その沼にハマっています(笑)。

—でも、素直に作るのが一番大事だから。

Haruy:そうですね。でも、ちょっとバランスを考えなきゃなと思っていたりします。そういう曲もあっていいけど、私の感情はそれだけでもないので。自分でも不思議なんですけどね。今は明るすぎないとか、ポップすぎないものが落ち着くから、そういうのを作っちゃってるのかな。でもそうじゃない曲も作りたいという気持ちがあるので、挑戦していこうと思っています。

<INFORMATION>


『MAO』
Haruy
SPACE SHOWER MUSIC
発売中

1.Snake
2.Swimmer
3.Lovely
4.Dont catch the now
5.Ryan

https://haruy.lnk.to/MAO



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