小田和正特集、PAエンジニア・木村史郎とライブや作品の歴史を語る
Rolling Stone Japan / 2022年7月17日 9時30分
日本の音楽の礎となったアーティストに毎月1組ずつスポットを当て、本人や当時の関係者から深く掘り下げた話を引き出していく。2022年6月の特集は「小田和正」。2022年6月15日に発売になる新アルバム『early summer 2022』を中心に、小田和正の歴史を辿る。パート3はゲストに小田和正を最も古くから知るPAエンジニア、有限会社セプト・ワンの木村史郎を迎え、小田和正の音楽や歴史を紐解いていく。
田家秀樹:こんばんは。FM COCOLO「J-POP LEGEND FORUM」案内人・田家秀樹です。今流れているのは小田和正さん、6月15日に発売になったアルバム『early summer 2022』から「この日のこと」。テレビ番組「クリスマスの約束」のために書き下ろされた曲で、初めてCD化されました。今週の前テーマはこの曲です。
関連記事:小田和正、8年振りアルバム『early summer 2022』を朝妻一郎と紐解く
今月2022年6月の特集は「小田和正」。新作アルバム『early summer 2022』は8年振りのオリジナルアルバムで、今月はこのアルバムを中心に小田さんを再検証しております。小田さんと近しい関係者の方がアルバムをどう受け止めているのか。今週はパート3。1番古くから関わってらっしゃるコンサートスタッフ、PA会社セプト・ワンの代表取締役エンジニアの木村史郎さんです。こんばんは。
木村史郎:こんばんはー。
田家:ツアーが6月3、4日福島ビッグパレットを皮切りに始まりました。このインタビューは12日新潟公演の後に帰ってきたばかりのところ、お時間いただいております。ツアーの話はおいおい伺っていこうと思うのですけど「クリスマスの約束」もPAは最初から史郎さんでしょ?
木村:そうですね。1回目からずっと。
田家:あまりテレビ番組をおやりになることは?
木村:テレビ番組の音響の仕事は大体テレビ局さんにいらっしゃる方がやるんですけど、お客さんに対してのPAは俺がやることになったみたいですね。
田家:そのときは20年続くとは思っていなかった?
木村:全然思ってないですね。
田家:小田さんがテレビをやるということで、思われたことはありますか?
木村:あれだけテレビ嫌いだった人が(笑)。人って変わるんだと思いましたけどね。小田さんの想いをディレクターとかプロデューサーもちゃんと受け止めたから実現したんじゃないかなと思います。
田家:始まったときと変わったことはあります?
木村:いろいろなパターンもありましたけども、根本的には何も変わってないと思います。
田家:小田さんのコンサートのPAを初めて手掛けられたのが1976年でしょ?
木村:仕事として初めて知り合ったのがお茶の水女子大学の学園祭だったのかな。
田家:そのへんのこともこの後、ゆっくりお聞きしていこうと思います。まずはアルバムからもう1曲お聴きいただきます。「会いに行く」。
田家:この曲は「めざましテレビ」のテーマなのですが、小田さんのコメントがありまして「全国の視聴者と繋がるという制作者の思いと、ツアーで待ってくれて全国の人たちのところに行くんだ、という僕の思いを重ねた」で、まさに今は会いに行っている最中になるわけですね。福島と新潟のコンサートが終わって、どんな空気を感じていますか?
木村:前回と比べてもライブ自体の空気感は変わってないと思うんですけど、やっぱり3年振りになるのでお客さんがすごく喜んでいるかな。
田家:それはPA卓にいらっしゃって、空気が「あ、こういう感じなんだ」という。
木村:そうですね。
田家:歓声は今ないわけでしょ?
木村:声が一切出せないですからね。登場の前のVTRが始まる前から手拍子が来て。映像が始まったらスッと止んで、それでずっと観ていて。小田さんが登場してきたら、拍手がワーっと大きくなります。お客さんの気持ちが出ているんじゃないかなと思います。
田家:史郎さんの中でもそういうのはあります?
木村:淡々とやっているんですけど年取ったせいか、なんか知らないけど。
田家:涙もろくなって(笑)。
木村:そうそう、それはあります。グッと来ちゃうときがありますね。
田家:コンサートの中央PA卓でそんなふうに思いを募らせながら、エンジニアを司っているという方が今日のゲストであります。
別れの情景(2)~もう歌は作れない / 小田和正
田家:流れているのはオフコースの「別れの情景(2)~もう歌は作れない」。史郎さんに「自分の中の小田さんというテーマ」で選んでいただいた4曲の1曲目。随分古い歌が出ました。
木村:うん、そうですね(笑)。
田家:2枚目のアルバム『この道をゆけば / オフコース・ラウンド 2』の中の曲です。1974年。
木村:これが出たときには仕事をしてないんですけどね。
田家:木村史郎さんはもともとアーティストで、神奈川大学のフォークソング部のザ・ラニアルズというバンドのベーシストだった。
木村:先輩のバンドだったところに2人抜けて空きができて、そこにちょこっと入っちゃったんです(笑)。
田家:神奈川大学のフォークソング部というのは、浜田省吾さんがその後に入ってくるサークルでもある。
木村:ハマショーは1つ下でしたね。
田家:当時はオフコースとステージも一緒にされているんでしょ?
木村:自分がラニアルズで、ユイ音楽工房にいたときに千葉の茂原市民会館だったと思うんですけど、そこで一緒だった覚えがありますね。すっごく2人で練習していました。楽屋で。
田家:この曲は印象に残っていたんですね。
木村:小田さんの声とサビになったときのハーモニー。2人が言葉じゃなくてAhーとかUhーとか歌った時のハーモニーが広がった感じがするんですよね。それはすごいなと思って。
田家:そのときはご自分がエンジニアとして加わるとは思ってなかったんですもんね。
木村:全然なかったですね(笑)。
田家:1976年に初めてエンジニアとして参加されたお茶の水女子大、そのときはどんなコンサートだったんですか?
木村:ユイからいただいた仕事で、イルカとアルファベットでMと書くバンドでしたね。彼らは英語だけで歌っていたような記憶があります。それとオフコースだった。で、モニターとか、とにかくもううるさい人たちだと聞いていてちょっと心配だったんです。武藤さんというディレクターの方がいらっしゃって、終わった後に「よかったよ」って声をかけていただいて。本人たちもすごくやりやすかったということで、ちょっとホッとしました、うれしかったですね。
田家:それが今に繋がっている。
木村:そのとき言われたか、その後か分からないんですけど、自分らもこれからバンドで全国展開していくから一緒にやっていこうということで始まって、そこからですね。
田家:木村史郎さんが選ばれた2曲目、1980年の「きかせて」。アルバム『We are』の中の最後の曲ですね。これはどういう思い出でしょう?
木村:私がスタジオ録音させてもらった初めてのアルバムなんです。
田家:このアルバムは「Yes-No」が入っているアルバムで、初めてアルバムチャート1位になった。彼らの転機になった1枚ですもんね。1976年にお茶の水女子大でPAのお仕事をされるようになって、アルバムは当時は別の方がやっていたんですよね?
木村:そうです。蜂谷量夫さんがやってらっしゃって、録音を初めてやらせてもらったのが『LIVE』っていうアルバムなんです。でも、スタジオ録音というのはこれが初めてです。
田家:やっぱりライブのPAをおやりになるのと、スタジオでレコーディングされるのとは違うものでした?
木村:私、スタジオレコーディングを全く知らなかったんです。
田家:あ、そうなんですか!
木村:とてもやりたい気持ちがあったんです。それで無謀にもやらせてくださいって言っちゃったんです。そしたらいいよってことで。
田家:この1980年というのは「Yes-No」がヒットした後、オフコースがブレイクして世間が注目し始めたときのアルバムですもんね。でも、そのときに初めてPAを手掛けるエンジニアを起用しているのも、バンドにとってはかなりの冒険だったでしょうね。
木村:そうだと思います。
田家:おやりになる方にもかなりの緊張感とプレッシャーもあったのでしょうし。
木村:ありました。ただ、自分の中でライブと同じ感じにしたかったんですよね。前のアルバムを聴いてもライブと違うんです。音が違うから、より良いものにしたいというのがあって、そういう気持ちでレコーディングをやりたいなと。
田家:史郎さんが加わった1976年は、オフコースのメンバーが正式に5人になったときですよね。
木村:まだ松尾くんが来たり、来なかったりしていたと思います。
田家:そういう意味では一歩一歩積み重ねてきた、次に新しいものをやりながらここまできた、いろいろな例の1つでしょうね。『We are』はエンジニアがビル・シュネーで、ロサンゼルスでミックスダウンも行われているわけで、そういう意味でもとても大きい。ビル・シュネーも初めての参加ですもんね。
木村:そうですね。私はテルマ・ヒューストンというボーカリストがいるんですけど、そのアルバムでビルは知っていましたね。
田家:あ、ご存知だったんだ。先週、朝妻一郎さんにゲストでお越しいただいて、小田さんがロサンゼルスでやりたいんだけどという話をされたときに、朝妻さんがパブロ・クルーズをやっていたビル・シュネーがいいなと思っていて紹介したんだと。そのときにちょうどボズ・スキャッグスが出たので、もっと知名度が上がったんだけどという話をしていました。
木村:ボズ・スキャッグスのアルバムのエンジニアプロデューサーですもんね。
田家:史郎さんはその前ということですね。
木村:そうですね。
田家:『We are』の1曲目「時に愛は」を聴いたとき、「え!」と思いましたもんね。音が変わっていて。当時小田さんが求めていたものはどういうものでしたか?
木村:音を求めているんじゃないような気がするんですけどね。
田家:何を求めていた?
木村:やっぱりメロディとかハーモニーを求めているんじゃないかと。
田家:でもドラムとかベースの聴こえ方とか変わってきているわけで。
木村:たぶん、ドラムの音は大間ジローと作ったような気がします。自分自身こういう音が好きだったんですよね。
田家:ジローさんと史郎さんがですね。そういう中でコンサートツアーが1980年、1981年、1982年とありました。オフコースは1982年の武道館10日間で一旦活動を休止するわけですが、その話はこの後にお聞きしようと思います。
田家:木村史郎さんが選ばれた3曲目は「1985」。ソロの1枚目シングルです。初めてのソロアルバム、1986年に出た『K.ODA』の中の曲ですね。これを選ばれているのは?
木村:これはグルーヴがすごいんですよね。打ち込みじゃない、リズム隊が、TOTOのジェフ・ポーカロと、デヴィッド・ハンゲイトですからね。
田家:このアルバムをお聴きになったとき、オフコースと違うものができたなって感じが?
木村:しましたね。サウンドは全然違いますし、小田さんの歌がこの人たちに乗っかった感じがすごく新鮮だったというか。当時のオフコースは結構打ち込み系の音が多かったんです。そういうのをやっていたから、余計にこのソロアルバムがものすごく新鮮に聴こえました。
田家:4人のアルバム『as close as possible』はわりと打ち込みっぽかったですからね。
木村:そうなんです。あの時代はそういう打ち込みが流行っていたし、その中でこういうアルバムを出したのはとてもよかったと思います。
田家:この曲の入ったアルバムが出て、その後にツアーが2本行われて解散ということになるわけですね。1988年から1989年の最後のツアーは「スティル・ア・ロング・ウェイ・トゥー・ゴー」102本、最後は東京ドームでしたけど、このツアーはどんなふうに思い出されますか?
木村:実は最初は参加してないんです。85年のツアー「The Best Year of My Life」のときに自分でも納得いかなかった部分があってとても悔やんでいたんですけど、思っているような音が出せなくて、それで結果的に一度外れたんです。で、夏から復活したんです。
田家:それはやっぱり離れられるときは複雑な思いがあるわけでしょ?
木村:自分でも納得していなかったから、そうなってもしょうがないのかなと思っていた部分はあったかな。けど、またやってくれと言われたときは素直に喜んだ記憶がありますね。
田家:あれだけ長いツアーでしたから、いろいろなこともあったんでしょうが。やっぱりバンドも音を出す方も精一杯のことをやっても、どこかで一度離れたりしなければいけないときもある。
木村:まあ、大概離れたらそのままですけどね。ありがたいことにまた戻って。
田家:それがあるから今がある。それは初めて耳にしたエピソードでもあります。
田家:史郎さんが選ばれた4曲目「君のこと」です。2011年のアルバム『どーも』の1曲目でした。ギターだけ。
木村:ギターだけなんですよ。このかたちでやるとは思いませんでしたけど、いいですね。
田家:このツアーは本来3月26、27日の静岡エコパアリーナで始まる予定が、震災で延期になった。
木村:そうですね。違う場所から始まっているんですよね。
田家:長野のビッグハット。で、8月から9月にかけてドームツアーがあったりというピーク感のあるツアーでしたね。
木村:ドームは大変ですね。まあ、音楽をやるところじゃないですね(笑)。要するに音が反射してくるんですよ。実際スピーカーから出た音を聴いていればいいんですけど、それに回ってきた音があるから、やっぱりどうしてもすっきりしないというか、濁っちゃうというか。アリーナぐらいまでが音楽できるかなって気がします。ショーはできるかもしれないけど、音楽はどうなんだろう。
田家:特にこういう曲はそうかもしれません。小田さんがこんなふうにギター一本でというのは初めてみたいなところがあるんでしょう。
木村:初めてですね。言葉がスッと入ってきましたね。他のものが入ってないから。
田家:ピアノの弾き語りはイメージする人も多いでしょうけど、こういう生ギターだけの弾き語りはあまり。
木村:記憶がないですね。
田家:リハーサルのときの小田さんはどういうふうに?
木村:とにかく自分の体に入れるために千本ノックですね。とにかく繰り返す。
田家:ここからは新作アルバム『early summer 2022』について伺っていこうと思うのですが、史郎さんが選ばれた5曲目は新作アルバムの中の「坂道を上って」です。この曲で思われたことは?
木村:青春からそのへんの記憶が蘇ってくるような感じがありますね(笑)。
田家:このアルバムは新作で8年振りなわけで、その間にツアーが5回あったわけですけど、ツアーも間が空いていて。さっきおっしゃった体に何かを染み込ませる、今回のツアーのリハーサルはそういう時間も必要だったんだろうなと思ったのですが。
木村:今まで何回もやってますけど、やり方としては一緒なんです。特に長くかかっているというわけではないんですね。早いうちに曲順も出しちゃって、それを手直ししながら何回も何回もやっていって、自分の体を慣らすパターンですね。
田家:暮れに「クリスマスの約束」があって、客席で見せてもらったのですが小田さんが久しぶりにステージに立っている感じがすごく伝わってきて、あれだけのキャリアがある人でもちょっとブランクが開くと、ステージ感みたいなもの。歌の勘みたいなものというのは変わってくるものがあるんだろうなと思ったりしたんですよ。
木村:人間が体を休めると動けなくなるのと一緒で、ライブするためにはライブの体になってくるというか。今4本終わりましたけど、だんだんそうなってきている気はします。
田家:なるほど、ツアーの体ね。このツアーでこの曲はどういうふうに扱われているんだろうなと思いながら、あまりそういうネタバレはお聞きしない方がいいかもしれないので。
木村:「坂道を上って」はやってないですよ(笑)。
田家:ははは! 言っちゃった(笑)。〈僕らは何もわかってなかった 僕らはみんな大人になっていった〉この僕らの中に史郎さんも入ってます?
木村:うん、入っているかも。大人になってどうなんだろうというのもありますけどね(笑)。
田家:1974年、初めてオフコースをご覧になって、1976年に初めてPAエンジニアとして参加されて。その頃のことはどんなふうに思い出すんですか?
木村:若かったから、当然ですけどみんな勢いがあったのはありますね。自分がこんなに長い間できるとは考えてもいなかったですけどね。
田家:一緒に坂道を上ってきた。
木村:師でもあり、同胞でもあるという感じですね。
田家:木村史郎さんが選ばれた6曲目『early summer 2022』から「ナカマ」。師であり、同胞でもあるということがナカマということに象徴されているんでしょうね。
木村:そう思いたいですね(笑)。
田家:仲間感は当然あるわけですもんね。
木村:バンドのときもそうでしたけど、その人たちを盛り上げたいというのがあるから、僕の手段としては音で盛り上げる。楽曲を良くしてというか、ある程度CDとかレコードは自分たちが求めているものになっているじゃないですか。それをライブでやるときにそれ以上のものにしてあげられたらなとは思っていましたね。
田家:ツアースタッフというのはどのくらいの規模なんだろうと思ったりもしたのですが、今は何人ぐらいで? 例えば、11トントラックが何台みたいな。
木村:スタッフは86名でトラックは18台。
田家:18台!? すっごいなあ。
木村:あと、現地で調達する機材やスタッフもいます。
田家:まだこれ以外に現地のスタッフもいるんだ。
木村:そうです。
田家:そういうスタッフの中で70代は小田さんと史郎さんぐらい?
木村:いや、照明の佐々木さんが僕より年上で、小田さんと1つ違いかな。
田家:すごいなあ。74、73、71っていうことになるわけですね。小田さんはツアー中に75歳になるわけで。
木村:やっぱりすごいですね。あの時間と空間を動き回って歌う。体力は相当なものだと思うんです。
田家:相当ですよね。歳が近いのでよく分かりますけど(笑)。共に戦ってきた感覚はおありになりますか?
木村:戦ってきたという感覚はあまりないですけどね(笑)。
田家:もっと楽しい時間を過ごした感じですか?
木村:うん、楽しんでやれたのはありますね。
田家:この先ツアーは夏を越えて秋を過ぎるまで続くわけですが、どんなツアーになっていくでしょう?
木村:段々と良くなっていくと思います。ツアーの体にまだなってないと思うので、徐々に徐々になっていくんじゃないかと思いますね。
田家:史郎さんの中での最大のハードルってなんですか?
木村:どこの場所でも同じ音で聴かせるというのは叶わないことですけど、自分ができる努力は精一杯しようと思っています。
田家:日本の音楽シーンの中で小田和正さんはかけがえのない人なんでしょうが。
木村:詞がすごく分かりやすいというか、スッと入ってくるというか。で、やっぱりメロディとハーモニー、何より声が素晴らしいと思います。
田家:それは1番そばでお聴きになっているわけですからね。そういうことは今回のツアーでは楽しむことができると。
木村:そうですね。一生懸命歌っているので、私は一生懸命それをフォローします。
田家:FM COCOLO「J-POP LEGEND FORUM」。6月15日に8年振りのアルバム『early summer 2022』を発売した小田和正さんの特集。今週はパート3です。最も古いコンサートスタッフ、PAエンジニア木村史郎さんをお迎えしてお送りしました。流れているのはこの番組の後テーマ、竹内まりやさんの「静かな伝説」です。
1週目は1番近しい評論家・小貫信昭さん。先週が1番古い制作者・朝妻一郎さん。そして今週は1番古いコンサートスタッフ、有限会社セプト・ワンの代表取締役・エンジニアの木村史郎さんという順でお送りしてきました。オフコース、それから小田和正さんの日本の音楽シーンの中での功績がいくつかあって、その中の1つにコンサートという場所をいろいろな形で改善してきた。新しい音楽表現の場所として進歩させてきたということがあります。その大きい要素が音響と照明です。音がいいということと、映像が効果的に使われている。これのチームとして確立した最初のアーティストが小田さんでしょうね。音響を今でも担当しているのが、木村史郎さんです。
音楽専門の音響の人とか、照明の人が70年代はいなかったんですよ。ほとんどが舞台関係の人。特にエレキギターの音とか、ドラムやベースの音をちゃんと伝えられる人、これはレコーディングのエンジニアでも少なかったですから、コンサートではもっと少なかった。木村史郎さんは最初はバンドだったわけですね。ユイ音楽工房に所属していた。バンドとしてオフコースと同じステージに立ったことがある人。ただ、自分たちはバンドとしてはあまり上手くいかなくて、でも音楽の道に進みたいということで友人と3人で作ったのがセプト・ワンという会社で、1976年に小田さんとオフコースに出会っているわけです。そこからずっとライブを作っている。「スティル・ロング・アウェイ・トゥー・ゴー」のときにちょっと離れたというのは今日初めて聞きました。そういう転機を乗り越えながら、未だに共に戦っている。戦っていると言うと恥ずかしいから、なかなかそういうふうには言わないだろうなと思いながら聞いたんですけども、そういう人たちの集まりが小田さんのツアーですね。みんなで何かを作り上げる。コンサートツアーは現代に残された唯一の移動エンターテイメントの形だと思っているので、70歳を過ぎてるスタッフが3人いる。チーフがみんな70歳を過ぎている。こんなに貴重なツアーがあるかと思いながら、どんなツアーになるのか楽しみにしたい。そして、ともかく無事を祈りたい。そんな今週の終わりであります。
<INFORMATION>
田家秀樹
1946年、千葉県船橋市生まれ。中央大法学部政治学科卒。1969年、タウン誌のはしりとなった「新宿プレイマップ」創刊編集者を皮切りに、「セイ!ヤング」などの放送作家、若者雑誌編集長を経て音楽評論家、ノンフィクション作家、放送作家、音楽番組パーソリナリテイとして活躍中。
https://takehideki.jimdo.com
https://takehideki.exblog.jp
「J-POP LEGEND FORUM」
月 21:00-22:00
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