DJプレミアが語る、どれだけ時代が変わってもヒップホップが愛され続ける理由
Rolling Stone Japan / 2022年8月13日 18時15分
DJプレミアは、自らを「サウンドとボリュームに取り憑かれた」人間であると語る。その言葉どおり、米ニューヨークを拠点とするメディア会社・Mass Appealがヒップホップ誕生50周年を記念してリリースした『Hip Hop 50: The Soundtrack』のシリーズ第1弾EPには、サウンドとボリュームに対する彼の強い愛着が表れている。
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他アーティストへの楽曲提供(どれもヒット曲揃い)を行なってきたDJプレミアにとって、『Hip Hop 50: The Soundtrack』プロジェクトは大きなターニングポイントだ。というのも、DJキャレド的なこのプロジェクトは、DJプレミアが自らの名前の下で行っているのだ。ヒップホップの歴史にDJプレミアの名を刻むことができる人物がいるとしたら、本人以上の適任はいない。
ほかのプロデューサーたちが手がけた作品を見渡しても、DJプレミア以上にヒップホップの基本的な構造を体現しているものは存在しない。彼のスクラッチには、レコードを回転させた時の音以上の意味があるのだ。それはDJプレミアのトレードマークであり、ヒップホップの誕生地と言われるニューヨークのセジウィック・アベニューにふさわしく、華麗で豊かで、驚くほどの独創性を含んでいる。ウータン・クランのRZAを除いて、彼がアメリカ東海岸を代表するヒップホッププロデューサーであることに異論はないだろう。それだけでなく、DJプレミアはギャング・スターのメンバーとして活動するかたわら、ディアンジェロの『Voodoo』(2000年)に収録されているシングル「Devils Pie」をはじめ、ノトーリアス・B.I.G.やナズ、ジェイ・Zといったアーティストたちのプロデュースを手がけ、次々とヒットを世に送り出してきた。
長年にわたってさまざまなジャンルのアーティストたちと幅広くコラボレーションを行ってきたにもかかわらず、DJプレミアの功績は過小評価されている。アルバム『Back to Basic』(2006年)でクリスティーナ・アギレラとタッグを組んだ際、リアルで人間味があるというよりは、機械的で作り込まれた印象とともにアルバムにインパクトあふれるソウルを与えたのは、ほかでもないDJプレミア本人だ。『Back to Basic』は、真に迫る”フェイク”だった。作り物でありながらもソウルフルな同作にDJプレミアが関わっていたという事実は、気軽に音楽を楽しみたいリスナーの意表を突いた。それから時は流れ、DJプレミアは現在もヒップホップの第一線で活躍している。本誌のインタビューに応じた彼は、新作EPからヒップホップに関するありとあらゆる話題について語ってくれた。インタビュー中は時おり満面の笑みを浮かべ、ニューヨーク・ヤンキースのスター選手として活躍したデレク・ジーターのイベントでDJを務めるギリギリの時間まで率直な意見を言ったり、筆者に音楽を聴かせてくれたりした。
デレク・ジーターとの交流
ーDJプレミアといえば、サウンドスケープを作り出すことができるプロデューサーというイメージが強いです。使用する音色も豊富ですね。これは、いったいどこから生まれるものなのでしょうか?
俺はただ、愛してやまない数々のヒップホップクラシックを研究しているだけなんだ。俺が若かった頃は、そのサウンドがカッコよくて、身のあるアルバムを作ることができれば、いろんな手を使ってそれを完成された一連の作品に仕上げることができた。でも、いまは、シングルをリリースすることがすべてだ。それでもアルバム制作という段階までたどり着くことができれば、デ・ラ・ソウルのようなアーティストたちは一貫性のある作品を作ることができた。スキットを発明したのはデ・ラ・ソウルなんだ。それ以来、誰もがスキットを取り入れる時代が来た。ヒップホップには、曲と曲をつなぐスキットのようなものが無数にある。だからこそ、俺はヒップホップが大好きなんだ。勝者を決めるコンテストのようなものだ。俺は、すべてのリスナーをファンにしたい。だから、俺たちを支えて愛してくれるファンのことを考えながら作品を作っているし、それができると信じている。ファンが期待するものを与え続ける——それが俺の責任だと思っている。もちろん、時代とともにヒップホップから離れていくファンがいることもわかっている。でも、俺自身がヒップホップに飽きることはない。ヒップホップを愛しているから。要するに、食事をしに行く場所が増えただけなんだ。お気に入りのメニューは変わらない。
ーディアンジェロの「Devils Pie」を手がけたあなたがシングルについてそのように思っているのは興味深いですね。
シングルを作っている時は、いつもそれ以外に10〜12曲を同時進行で作っているんだ。もちろん、そのうちのどれをシングルにするかも意識している。だから、俺が手がけたシングルには、そういった目的意識が一貫してあったと思う。たとえば、(ノトーリアス・B.I.G.が)B面として「Unbelievable」をリリースしたことがあった。彼らはストリートでもラジオでも人気を博していたから、B.I.G.やパフ(・ダディ)にとってはいい意味での変化だった。ラジオで曲がかかるようになっても、彼らはストリートがリスペクトしてくれる音楽を守り続けたかったんだ。好き嫌いがはっきり分かれるラジオ向けの曲を作ったとしても、ストリート向けの曲にはこうしたリスペクトが欠かせない。だからこそ、それを表現して、いい作品を作る。俺は、いまもこうしたことを考えながら音楽を作っているし、それがヒットを続けられる理由かもしれない。そういう意味でも、レミー・マーのアルバムは俺にとって特別な意味がある。もし俺にDJを任せてくれるなら、間違いなく使うね。ラスベガスで行われるデレク・ジーターのパーティも大好きだ。毎回、デレクには1997年のヒット曲をリクエストされるんだ。
ーあのデレク・ジーターがラップを聴くんですか?
もちろん。デレクは最近のラップを聴くし、青春時代に流行ったヒップホップクラシックも知っている(訳注:ジーターは1974年生まれ)。いまは亡きDMXの少し前の時代のラップも知っているから、ヒップホップにはかなり詳しい。ラフ・ライダーズも知っている。「(パーティでは)この曲はぜったいに外さないでくれ」と言われるんだ。(YGの)「Toot It and Boot It」も知っている。
ギャング・スターについて
ーラップというのは、ワインに似ていますね。良いものもあれば悪いものもあります。それがどこで作られたかは、作品の良し悪しとは無関係です。
見知らぬ町で作られたワインがあったとしよう。ボトルの見た目は悪いかもしれない。でも、それが最高なんだ。自分がギャング・スターのメンバーであることは、いままで俺にとってロゴのようなものだった。「ギャング・スター」という言葉を見れば、誰もがそれが何を意味しているかをわかってくれた。俺は、自分が携わるすべてのことを通じて存在し続けたいと思っている。
ーギャング・スターでふたつのスタイルを結びつけた時のことについて聞かせてください。
繰り返しになるけど、DJとして聴いても、ギャング・スターのサウンドは素晴らしい。でも、誰もがこういう耳を持っているわけではない。俺は何事に対しても批判的だから、こうした能力を与えられたことに感謝している。俺はいつも、「グールーの心と連結する」と言っていた。グールーがどこでキメてくれるかもわかっていれば、期待していたところでキメてくれなくても、それはそれで想定内だ。どんなスーツを着れば相手が最高にカッコよく見えるかもわかっているし、どんな時にもう少し細身のものが必要かも俺にはわかるんだ。
ーギャング・スターの絶頂期に不安を抱えていたのはあなたですか? それともグールー?(※グールーは2010年に死去)
グールーだ。彼は、何かと思い悩むタイプだった。どうしてあんなにたくさんの不安を抱えていたのか、俺には理解できなかった。あまりにひどいので、もう辞めようかと思ったほどだ。『Moment of Truth』(1998年)の制作を途中で放り出したこともあった。でも、あのアルバムから顔を背けることなんてできなかった。そのおかげで、グールーがどれだけこのアルバムを愛していたかを知ったよ。ギャング・スターは、グールーにとって子どものような存在なんだ。ギャング・スターが世代を超えて生き続けることを望んでいた。俺はその代理人なんだ。グールーは、ギャング・スターに対して誠実であり続けた。ニューヨークで俺と合流したのも、そのためだ。俺が加入すると言う前、グールーは軍隊に入ると言っていた。俺たちは、最高の音楽を作った。それにDJとしても、次の曲を聴いてみたかった。ビートに取り掛かる前にジェイ・Zはいつも指示をしてくれる。「俺は死ねない、俺は死ねない……」と語りかけてくるスクラッチを頼む、と言われたんだ。
ーラップの脱地域化があなたに与えた影響は?
俺はただ、自分が好きなことをやり続けてきただけだ。何かに取り組むのが好きだから。ブーンバップへの回帰によってブーンバップ・ヒップホップというジャンルが生まれるなんて、いったい誰が想像しただろう? この言葉もいまではすっかり定着している。それだけのことだ。俺としては、「大丈夫、俺はこれをやり続けるんだ」と自分に言い聞かせるだけだ。うまくいかなかったり、悩んだりする時はほかのことをやってみればいい。どのみちカネは入るんだから、と思うかもしれない。でも俺は、そんなのはごめんだ。俺は自分の知識にこだわりたいし、一貫性を保ち続けたい。それに、クリスティーナ・アギレラとも仕事をした。おかげでクリスティーナが才能あるシンガーで、一緒にヒット曲を作れることもわかった。
ーヒップホップ界のバランスは崩れてしまったのでしょうか? ヒップホップの進化という点でニューヨークは正当に評価されていると思いますか? 今日では、誰もが音楽を矮小化する傾向があると思うのですが。
この業界には、俺たちをどこまでも追いかけてくる中毒性の高さがある。こうしたアーティストが存在するのは事実だし、そこには目をつけている。たとえばの話だが、俺は昔からアイスクリームが好きだ。お気に入りは、バスキン・ロビンスのアーモンド・ファッジ。大人になっても、その上にハーシーのチョコレートソースをかけて食べるのが好きなんだ。(中略)どれだけ時代が変わっても、変わらないものはある。56歳になったいまも、時々ガキの頃とまったく同じようにチョコレートソースをかけて食べる。アイスクリームを食べるのに年齢なんて関係ないから。でも、食べ方は変わる。年をとるにつれて、食生活も変えないといけない。何事も適量が大切だ。それと同じように、文化が成長しすぎることで時代と合わなくなる、なんてことはあり得ない。俺のラジオ番組が証明している。俺はあれが大好きだ。その直後にドレイクの「Nonstop」のような曲——あの曲のアプローチは最高に気に入っている——やロディ・リッチのようなアーティストが出てくるのは素晴らしいことだ。
RZAとのビートバトル
ー新しいEPのねらいは?
ディスコグラフィーに新たな作品が加わったことくらいかな。でも、ナズが参加してくれたのは、特別な意味合いを持っている。ナズのことは、彼が起業家としての道を歩みはじめた頃から知っているんだ。彼が成し遂げたことを誇りに思うよ。このEPには、いろんなアーティストに参加してもらったから、多様性が気に入っている。ラン・ザ・ジュエルズをフィーチャーした曲は、ナズのとはまったく違っている。それにナズの曲もジョーイ・バッドアスの曲とは別物だ。リル・ウェインとスリック・リックをゲストに迎えた曲もあれば、レミー・マーとラプソディーの曲もある。タイプの違うふたりのMCを組み合わせるのは、単純に最高なんじゃないかって思ったんだ。だから、彼らのいろんな表現の一部になれたのはすごく楽しかった。
ー参加しているアーティストのなかでも、特にリル・ウェインとのコラボレーションを強く望んだ理由は?
ずっと前からリルのファンだったんだ。だから、ヨーロッパで会った時に「いつかコラボしようぜ」と声をかけた。もともとは、ロジックにこの曲を歌ってもらうつもりだった。でもリルに音源を送ると、翌日に歌を入れて戻してきたんだ。感想を聞かせてくれって。それを聴いた瞬間、圧倒されたよ。突き抜けた奴だとは思っていたけど、まさかここまでとはね。
ーいままで手がけたB面曲のなかでいちばんのお気に入りは?
「The Question Remains」。とんでもない曲だってことはグールーも俺もわかっていたのに、思いもよらぬ方向に行ってしまった。1992年のアルバム『Daily Operation』に収録するつもりだったんだ。マスタリングまでさせられたよ。でも、レーベル側から「12インチシングルで十分」と言われたんだ。カセットシングルにもなっていないなんて、ひどい話だろ?
ー私もカセットテープの時代に生まれたかったです。
当時は自分たちの店で働いていたんだ。R&Bからジャズやヒップホップまで、ありとあらゆる音楽を取り揃えた大きな棚がいくつも並んでいた。だから、初めてCDが出た時のことをよく覚えている。ピッカピカの新品だ。それを見て、「スゲーな! ってかこれ、スクラッチできんのか?」と思った。でも、いまはCDでもスクラッチできる。CDをスクラッチする技術が開発されたんだ。
ー最後に、2020年にVerzuz(訳注:ヒップホッププロデューサーたちがビートバトルを繰り広げる企画)で行われたRZAとのバトルの話をしましょう。あれはヒップホップの偉大さが証明された歴史的瞬間でした。
俺は乗り気じゃなかったんだけど、D・ナイスに「しのごの言わずにインスタライブをやってみろ」と言われたんだ。俺はただスピーカーにつないで配信を見ながら家の掃除をしていただけなのに、正気かよ?と思ったね。対戦相手はピート(・ロック)のほうがいいんじゃないか?とも言った。ピートとツアーを回る時はいつもバトルをしていたし、俺たちのバトルはとにかく楽しいから。すると、D・ナイスが電話をかけ直してきて、RZAはどうだ?と言うんだ。もちろん、快諾した。ドクター・ドレーとでも喜んで対戦したけど、RZAとのバトルは望むところだったから。
ーRZAほどの好敵手はいませんからね。
RZAと俺は、同じ屋根の下で暮らしていたことがあるんだ。だから、お前がダウンしたら、俺もダウンすると言った。あの夜、俺たちは歴史を創ったんだ。息子も見ていたから、その瞬間を分かち合うことができたよ。
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