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大切なことはスケートボードから学んだ Wu-Luの音楽が「何でもあり」になった理由

Rolling Stone Japan / 2022年8月17日 20時0分

Wu-Lu

Wu-Lu(ウー・ルー)にインタビューすることになって、僕は頭を抱えた。率直に言って、彼の音楽は語るのが難しいからだ。つまり話を訊くのも難しい。

彼のことはロンドンのジャズシーンを調べていく過程で知った。でも、きっとヒップホップの文脈から好きになった人もいるだろうし、トリップホップのように聴こえる部分に惹かれた人もいると思う。Spotifyを見てみると、彼の楽曲「Night Pill」はパンク系のプレイリストにも入っている。パンクやヒップホップが組み合わさっているという意味では、ミクスチャーを継承しているとも言えそうだ。Warpから発表されたデビューアルバム『LOGGERHEAD』には、そういった様々な要素がざっくりと入っていて、曲ごとにテイストが全然違ったりする。それらの要素について、どれか一つにフォーカスするのも違う気がするし、まとめて質問するのもキリがなさそうだ。

どうしようかなと悩んでいたところで、上述の「Night Pill」がスケートボードをテーマに書いた曲で、Wu-Lu自身もスケーターであることを知る。もしかしてWu-Luを語るなら、音楽のスタイルやジャンルではなくて、スケートボードのカルチャーを切り口にしたほうがいいんじゃないかと、そこで思いついた。



スケートボードのカルチャーを遡ると、当初はパンクやハードコアと密接な関係にあり、そこからヒップホップや、その両方を含んでいるミクスチャーなども好まれてきた歴史がある。スケーターたちはスイサイダル・テンデンシーズやNOFX、ビースティ・ボーイズやNAS、スリップノットやKornを、同じカルチャーの一部としてフラットに親しんできた。その感覚こそが、Wu-Luの音楽そのものなのではないか。そんなふうに考えたわけだ。

スケートボードは競技でありながら文化でもあり、音楽やファッションのみならず、コミュニティとの関わり方、生き方や人生哲学に至るまで、スケーターたちのライフスタイルにも影響を及ぼしてきた。以前、スケート文化を愛するジャズ・ピアニストのジェイソン・モランに取材したとき、「何度失敗しても自分なりのチャレンジし続けるところにスケーターの美しさがある」といったことを話してくれたが、その言葉は近年のロンドンを盛り上げている音楽家たちのDIYな姿勢とも重ねられるだろう。

Wu-Lu本人は来日する気満々だ。日本のスケーターにもWu-Luの音楽が届いたらいいなと思いつつ、彼のバックグラウンドについて尋ねた。ここまで饒舌なミュージシャンも珍しい。



―あなたはブリクストン出身ですよね。そこで生まれ育ったことは、自分にどんな影響を与えていると思いますか?

Wu-Lu:俺はブリクストンで育って、ここしか知らないから、どういう影響があったのかよく分からないんだよね。何しろ人生のすべてをここで過ごしてきたから。

ブリクストンには多文化的な環境があって、この辺りにはいろんな種類の人がいる。そしてすごく帰属意識があるんだよね。地域のみんなが顔馴染みだから。俺は人種が混ざっていて、母は黒人、父は白人なんだ。同じ地域に白人の家族もカリブ海の家族もみんないてさ。ジャマイカ料理やアフリカ料理を作る材料も全部近所で揃うし、それと同時に、すぐそこの角でウスター(イングランド国教会のウスター大聖堂がある街)出身の人と立ち話したり。それってすごく重要なことだと思う。

それに俺の10代のすべてがここにあった。すぐ近くにスケートパークもあって、あとはストックウェル・ホール・オブ・フェイムっていうグラフィティで有名な場所もあって。そのすぐ隣にブリクストン・アカデミーもあるし、ブリクストン・マーケットもある。だからスケートをやりたいと思えば行けるし、グラフィティが描きたければ描ける。それで、この地域で似たようなことをしている有色の人たちと繋がってさ。そこからコミュニティの秩序からも学んだね。かなりリアルなんだよ。

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―というと?

Wu-Lu:たとえばスケートパークに行って、自分が大人になる上での悩みとかを誰かに相談したり、自分と似たような経験がある人の話を聞いたり。あるいは誰かと揉めた時にアドバイスをもらったり。そういう時も誰も耳障りのいいことは言わないんだ。何をすべきかものすごく明確な答えが返ってくる。

一度、タバコをくれって年上の人に言ったことがあったんだ。そしたら彼は俺を見て、「いいか坊主、これはお前にやる。でもそれで俺の人生がどうなったか教えてやる」っていうさ。俺に対してすごく真剣に向き合って、まだ子どものうちに分からせてくれた。たぶん俺はそういうものを自分の音楽のなかに取り入れたんだと思う。音楽にメッセージを込める時とかさ。というのも、俺が語ることの多くは、ほとんど若い頃の自分だったり、近所の若い連中に語りかけているようなもんだから。自分で経験したことを元にメッセージを発するっていうね。

単純に「100%リアルであれ」ってことだね。それがあの地域が俺に与えてくれたものかな。イエスか、あるいは断固ノーかっていうさ。

スケートボードと「とっ散らかった音楽性」

―さっきストックウェルの名前が出ましたが、あなたはスケーターでもありますよね。あなたの音楽は様々なジャンルが入っていて、ものすごく自由ですけど、それってスケートボードのカルチャーとかなり関係があるんじゃないかと思ったんです。

Wu-Lu:音楽というよりはコミュニティ的な側面かな。そこではみんながしょっちゅう「コミットしろ!」って言うんだ。考え方としては、例えばストレスを感じたり、ムカついたり、悩みを誰かに打ち明けたいって時に、そのコミュニティに行けば、ひとつのちゃんとした考え方を教えてもらえる。全くフィルターがかかってないからね。はぐらかそうとする人はいないんだ。あのコミュニティは、まあ一つの大きなギャングみたいなもんで……説明が難しいけどね。

それに基本的にはみんな我関せずで、自分がやりたければただやるっていう感じなんだ。だから、俺が音楽をやる時もそうだ。誰かが「もうちょっとこうすればいいじゃん」とか言っても、俺は気にしない。あくまで自分が好きなものにコミットするんだよ。自分が一日中キックフリップをやっていたかったらやり続けるまでで、誰の指図も受けない。電車を描きたかったら描くし誰にも文句は言わせない。「そうだ、やれ、やっちゃえよ!」っていうことだね。そういう部分を自分の創作に取り入れてやってきたと思う。つまり従わないってことだよ。

スケートパークってどんなにだらしない格好で行っても、誰もそれで俺を判断したりしないんだよね。学校だと「何でそんな汚いトレーナー着てんの?」とか「そのツンツン頭どうしたの、変だよ」とか言われるんだけど、スケートパークでは何でもアリ、何を着てても何を食べてても、黒人でも白人でもアジア人でも女でも男でも何でも。共通点は、車輪がついた木の板を使うってことだけなんだよ。そして、それこそが心を開いて無防備になれる空間を生み出しているんだ。無防備ってことは大怪我する可能性もあるんだけどさ。例えばオーリーが上手くなりたくてひたすら練習したり。いいコミュニティでいい人たちに囲まれていれば、みんなが応援してくれる。


スケートボード愛が反映された「Times」のビデオ、演奏にはブラック・ミディのモーガン・シンプソン(Dr)が参加

Wu-Lu:この間久しぶりに会った友達がいるんだけど、そいつが「スケートボードでめちゃくちゃスピード出すと、頭がスッキリするよな」って言ってたんだよ。その頃、彼はメンタル面でちょっとキててね。でもそいつが言ったその一言でわかったんだよ。スケートボードをやると頭がスッキリして考えがまとまるっていう、そこの重要さがね。だから、もっとスケートボードをやるべきだと思うし、変なこと考えてないでスケートしろよってことだよ。

それは俺の音楽にも言えること。ごちゃごちゃ考えてないで、ギターを弾くなりスタジオに入るなり音楽コミュニティの友達に会うなりしろってことなんだよ。あるとき、俺のアルバムでも演奏してる連れのマックと会って、2人でギターをめちゃくちゃラウドに鳴らして、延々弾いてたことがあってさ。そこでジョーがジャンベを叩いてたんだけど、あまりに激しく叩くから、ジョーの足が震えてきてさ。でも、ジョーはテープで足を固定して叩き続けたんだよ。それってスケートボードでも同じなんだよね。ジョーはかなりヤバいスケーターでもあるんだけど、このあいだ足首を痛めちゃってたみたいで。だから俺は「ジョー、スケートやめとけ」って言ったんだけど、あいつは「いや、俺はやる!」って言ってさ。その時の彼にとってはスケートが必要だったんだ。つまりそういうことなんだよ。恐れないってこと。自分の持てるすべてを注ぎ込んで、何かが自分に返ってくる。俺にとってはそういう部分で、音楽とスケートボードがぶつかるんだ。



スケーターが愛したパンク/ヒップホップ名曲をまとめたプレイリスト

―「スケートボードと音楽」と言えば、スケーターのビデオでBGMとして使われていたパンク・ロックの存在が大きかったと思います。90年代以降のビデオではヒップホップも多く使われるようになり、ミクスチャー的な音楽も使われるようになりました。そういったスケートに合う音楽、トリックを引き立てる音楽からはどんな影響を受けましたか?

Wu-Lu:そもそも俺はグランジャーとして育ったんだよ。学校には昔ながらのトライブ・メンタリティみたいなものがあって、「お前は何者だ?」ってことを必ず訊かれるんだ。そういう時は「俺はグランジャーだ」と言ってやった。でもそれと同時に、母親がダンサーだったから、俺はヒップホップやサルサを聴いて育った。親父はトランペットをやるからレゲエやアフロビート、フェラ・クティ、ソウルも聴いてきた。だから、ロック・ミュージックにハマったというのは学校における自分の立ち位置によるところが大きくて、あのときは家族と聴いてた音楽についてあまり話せない気がしたんだよね。

でも、2006年くらいに『トニー・ホーク プロ・スケーター2』ってゲームをやり始めて、あのゲームの音楽が新たな世界を開いてくれた。スケートはパンク・ロックだけじゃないんだって思えたからね。スケーターでも他の音楽に興味を持ってもいいんだと。




Wu-Lu:それからレミーって友達とつるむようになって。そいつはめちゃくちゃゴリラズ好きで、しかもスケートもやっていた。しかも彼もブラウンで「こいつは俺みたいだな!」となってね。あっちはレゲエやダブとかヒップホップが好きで、俺はパンク・ロックやグランジとかメタル好き。それで彼と会ったりゲームの音楽を聴いたりするようになったら、自分が好きなものを人に話すことがかなり楽になったんだよね。

ブーンバップ系のヒップホップは、俺にとってめちゃくちゃデカかったんだよ。9歳……いやいや10歳だ、その頃『SCRATCH』って映画を観て超ハマったんだ。それでレコードを買ってきてスクラッチしまくってさ。その頃にブーンバップっていうものが俺の頭に浸透したわけ。だから『トニー・ホーク プロ・スケーター』とかあの辺のゲームは、ロックもヒップホップもあらゆる音楽を好きでいいんだと、そして好きであることに自信を持っていいんだと思わせてくれたんだよね。つまり、自分がどこに属しているのかわかったんだ。

俺はマッドリブが好きで、DJシャドウが好きで、スケートボードが好きで、飛び回るのが好きで……あとはスリップノットがすごく好きだった。あのジャングルとヒップホップが混ざった感じがね。あとフューネラル・フォー・ア・フレンドが一瞬好きになったけど、「いや、やっぱ違う」と(笑)。とにかく、俺は今挙げたような自分が好きなものの最高の部分を持ってきて、自分のどんぶりに入れて、そして自分の音楽を作って今に至るんだ。俺の背後には無差別にいろんな音楽がある。とっ散らかってるのが俺の音楽なんだ。



ジャズのコミュニティ、地元ブリクストンで学んだこと

―あなたはロンドンのジャズのコミュニティとも接点がありますよね。「A London Dance new Movements In Jazz」というロンドン・ジャズシーンのドキュメンタリーにも出演していました。

Wu-Lu:あのシーンは何と言うか、気づくと自分の住む地域で起きていたんだよ。あのシーンに関わっている連中の多くが、サウスロンドンにあるトリニティって音楽学校の出身でね。みんな同じ地域の出身で、同じように音楽が好きな仲間だったんだ。俺はジョー(・アーモン・ジョーンズ)やヌバイア(・ガルシア)、ポピー(・アジューダ)より少し年上で……ちなみに、ポピーのことはかなり前から知ってる。昔のポピーはめちゃくちゃ髪が長かったんだよ。当時の彼女のボーイフレンドと俺とで、Lambeth Country Showでレゲエを聴いたりしてさ。それが今じゃ超ビッグなポップスターだ。クレイジーだよ(笑)。

それはさておき、俺が18歳くらいの頃……だから2008年かな。Illersapiensっていうブリクストン出身のヒップホップ・バンドがいて、その人たちがRitzyってところでSoul Jamというイベントをやってたんだ。1年か2年くらい続いたのかな。そのイベントは無くなったんだけど、今度はオスカー・ジェロームとかジョー・アーモン・ジョーンズがやってたSumoChiefってバンドが出てきて、彼らがSoul Jamを引き継ぐような形でジャム・セッションを始めたわけ。ちょうどSteezっていうイベントが始まったのと同じ頃だったんだけどさ。そっちもいろんな人が集まる場所だったね。

Soul Jamはもともとヒップホップのセッションだったんだけど、SumoChiefはその影響を受けつつさらに発展させていった。俺はSoul JamのレジデントDJだったから、その変化に気づいたし、そこからだんだん顔馴染みが増えていった。そいつらとはよく行く場所が同じだったから一緒に過ごすようになって、それから一緒に音楽を作るようにもなった。俺たちがやっていたのはストレートなジャズじゃなくて、考え方としては「即興でインストをやる」っていうこと。ボーカリストやラッパーを入れずに、そこで演奏されている音楽を聴かせるってことだね。この間もそれについて誰かと話したんだけど、俺が子どもの頃に18歳くらいだった大人は、サックスを吹いてるやつがフロントパーソンをやるなんて見たこともなかったって言うよね。いたことはいたのかもしれないけどさ。でも、今じゃインストゥルメンタルが前面に来るのにもみんな慣れたよね。

あとは、みんなリュイシャム、ブリクストン、ペッカム辺りに住んでたから、それで交流が盛んになっていろんなコラボレーションに繋がった。俺のアルバムでコラボしているのも、その時にその場にいた連中ばかりだ。あのシーンもそういう感じだったよ。



―自分で演奏もDJもやっていたと。あなたはエンジニアでもありますよね。ザラ・マクファーレン『Songs Of An Unknown Tongue』やプーマ・ブルー『In Praise Of Shadows』ではプロデューサーとしてだけでなく、エンジニアとしてもクレジットされています。あなたのサウンドの個性的な質感や空間性は、録音やミックスにも理由があるのかなと思いますが、どうですか?

Wu-Lu:俺はとりあえず全部ブッ込むタイプなんだ。ブッ込むとすぐに面白くなってきて、その段階ではサウンドがどうかはそれほど考えてない。それよりもできるだけ早くアイデアを出そうって感じだね。しかも、それを別の形で使ったり、形を変えたりもする。時にはめちゃくちゃ変なやり方でレコーディングしたり、別の角度から曲を見たり。あるいは途中で違うアイデアが浮かんできたりね。「ここにドラムも入れるべきなのかもしれない」とかさ。

俺はかなりザラついた感じの音が好きだから、俺と一緒にやってるプーマ・ブルーとか、ザラ(・マクファーレン)もエゴ(・エラ・メイ)はもしかしたら、そういう部分に惹かれてくれたのかもしれないね。俺は曲に名前をつけたりラベルを貼ったりするよりも、とにかく行け、行け、ゴー、ゴーっていう容赦ないエネルギーを大事にしている。余分な調味料はあとから考えるんだ(笑)。メロディにディストーションがかかりすぎてしまって、でも元のメロディは良いんだよなってと思ったら、そのメロディを活かすようにするけど、ディストーションがかかりすぎてるほうも残したくて超小さい音で使ったりね。とにかく、エンジニアをやるのはすごく楽しかったし、本当にいい時間だったよ。

プーマ・ブルーのジェイコブ(・アレン)には音楽的にめちゃくちゃ共感している……特にメランコリックな部分に関してね。俺は常にドラムをダーティーでファットでクランチーにしがちだけど、全員がそれに同意してくれるわけじゃないから(笑)。ザラはそれまでと全然違うことを試したくて俺と組んで、たぶん実際にそうなったんじゃないかと思ってるよ。



―ブリクストンに話を戻すと、ウィンドラッシュ世代が住み始めた場所なので、歴史的にカリブ系の人たちが数多く住んでいた場所でもありますよね。そこでは3度の暴動があって、そのことはクラッシュやブラック・ウフルの音楽を通じて世界中で知られています。そういう歴史的な背景は、自分にどんな影響を与えていると思いますか?

Wu-Lu:これは俺が常に言ってることなんだけど、何かがどこへ行くのかを知るためには、それがどこから来たのかを知らなければならないんだ。さっきの話と繋がるけど、俺のじいちゃんは船でここにやってきて、ばあちゃんは飛行機で来た。でも、彼ら、あるいは彼らと同じ世代の人々が、彼らの子どもとか俺のような未来の世代のためにやったことに対して、俺たちは敬意を払ったりオマージュすることが必要だと思うんだよ。彼らの物語が忘れられないようにすることは重要だと思う。俺は必ずしも自分の音楽で露骨にそういう歴史について語っているわけではないんだけど。彼らがロンドンに持ち込んだものっていうのは……『バビロン』っていうレゲエの映画があって、サウス・ロンドン、ニュークロス、ブリクストン辺りが舞台なんだけど、ジャマイカ第一世代の人々についての映画なんだよ。彼らの両親がロンドンにやってきて……ああだから第二世代になるのか。とにかく彼らと一緒にやってきたのが、例えばサウンドシステムのカルチャーだったり、彼らが持ち込んだものがその地域の基盤に組み込まれていったんだ。

俺にとって(自分の)「South」って曲が重要なのは、変化を余儀なくされた地域について語っているからなんだ。もはや健全でない何かへと洗練されている。ウィンドラッシュ世代が他の国から地域に持ち込んだものがブリクストンには本当にたくさんあるのにね。そして今じゃブリクストンはクールな場所で、みんなが関わりたいと思っている。でもそれは例えるならサトウキビのようなもので、最初は未加工で栄養価が高いんだけど、それを精製してまた精製して白砂糖にすると、もはや身体に悪いっていうね。俺がブリクストンに対して感じるのはそういうことだよ。この地域が出来上がって、豊かになったら、誰かが外からやって来る。でも何かを取り除いてしまったら、もうそこは違うものになる。まるで心臓を取り出したみたいにね。

とにかく俺の音楽と育った地域、それが曲作りに与えた影響について言うとすれば、俺は常に感覚や思考や感情、あとは楽しかった時を思い出させるようなことを大事にしてるってことだよ。



映画『バビロン』リマスター版は、9月2日~15日開催の「Peter Barakanʼs Music Film Festival 2022」で上映予定

―地元の若者を育成するための音楽ワークショップを開催したり、団体を通じて教育活動を行っていますよね。それらを行うようになったきっかけは?

Wu-Lu:まず高校を卒業してギャップイヤーがあった。最初は大学に行くつもりだったんだよ。でも色々あって結局行かなくて「ああ、そういえば本当なら今頃は大学に行ってたんだな」と思ったりしていたんだ。そしたら親父が「ブリクストンにRaw Material Music and Mediaって場所があるぞ」って教えてくれてね。Raw Materialはスタジオの仕事をしたい20代前半くらい向けに、数カ月間給料をもらいながら経験が積めるっていう職業紹介所みたいなものなんだけど。それで当時、そこを運営していたティムがものすごく俺を応援してくれたんだよ。

そのうち「君も自分のコースを作りたくない?」と言われて、俺は「もちろん」となった。当時は小さいグループで動きながら、イベントとかダブステップのパーティーをやったりしてた頃だった。だから俺はブリクストンのキッズ向けに、イベントの開催方法やチラシ作り、自分が好きなアーティストでラインナップを組む方法を教えるコースを作ろうと思ったんだ。自分でやりたいことがある子には、その子に音楽業界のことを教えてくれるメンターを見つけたり、写真が好きな子だったら、俺の「South」のビデオを撮った友達のデニーシャをクラスに招いて教えてもらったりって感じ。イベント開催、プロデュース、ラップ、歌についても同じような感じで、俺の友達を総動員して、それぞれの得意分野でやってもらって、俺はそれを見守ったりしていた。でもメインはLogicの使い方、音楽の作り方とかビートの作り方とかを教えてた。最初のコースがすごくうまくいって、そのあと結局Raw Materialでフルタイムで働くことになり、それからは非公式とも公式とも言えない講師になった。

あのとき12歳くらいだった教え子が、成長して大人になったりしてるから驚くよ。なかにはかなり親しくなった子もいるね。俺は気さくな方だし、結構アドバイスを求められるんだ。もちろんアドバイスはするけど、かなり率直に思ったことを言うことにしている。子どもたちによく言ってたけど、「俺は先生じゃなくて人間だよ」って考えだから。俺の意見が聞きたいなら正直な意見を言うけど、質問している君の意見も同じくらい正当な意見なんだって言ってたよ。だから俺は相談相手みたいな役割であり、音楽制作の講師でもある。ある種のカウンセリングみたいになって、1人の子が来て少し話してどっか行って、また来て20分話していくとかさ。家のことを話しに来る子もいれば、話はいいから曲を録音して学校の友達に聴かせたいってやつもいたし。

とにかくやってみて思ったのは、コミュニティにおけるそういった役割がいかに大切なものかってこと。そうやって自分の胸のうちを誰かに打ち明けられる場所や、相談できる相手はあまり多くないからね。だから俺はできるかぎり、興味がありそうなやつに音楽を聴かせたり、ステージに上げたり、スタッフに加えたり、自分にできることがあればやることにしている。それが自分の役割だね。


Wu-LuによるDJワークショップの様子(2013年、Raw MaterialのFacebookページより引用)


Raw Material Music and Mediaの紹介映像

―最後に、デビューアルバム『LOGGERHEAD』は自分にとってどんな作品になりましたか?

Wu-Lu:どうだろうな……とりあえず、船は出港した。俺の気持ちは海の上だよ(笑)。ついにリリースしたっていうのがすごく嬉しいし、もっと音楽を作ってもっと出したい。とにかくこの形になったことにすごく満足だね。こうやって今君たちと話せていること自体が俺にとっては大きな達成だしさ。自分が言いたかったことを言い切った感じがあるし、それを手放したような気がする。そして今は次の旅への準備ができた。何とも興味深いね。全員が好きになるわけじゃないだろうけど、それはむしろ望むところ。実際「全部めちゃくちゃ好きだけど、ちょっとあの曲だけよくわかんない……」とか言うやつもいるし、そう思えてもらって嬉しいんだ。俺の音楽は誰にとっても耳障りのいいものであってほしくないから。それに自分の目標は達成できたと思っている。それは聴く人に何かを感じさせること。たとえそれが抵抗感でも、楽しさでも、疑問を持つことでもね。だから、うん、何だろうすごく……感情が込み上げてくるね。変な感じで、いい気分で、クレイジーで、やっとできたって気分だ。

そうそう、日本に行ったらタワーレコードに行きたいってマネージャーに話してるんだ。だからすぐ会えるかも、じゃあね!





Wu-Lu
『LOGGERHEAD』
発売中
内盤CDにはボーナストラック追加収録
詳細:https://www.beatink.com/products/detail.php?product_id=12789

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