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クラプトンとも共演した世界的プログレ奏者、奥本亮が語る「根性の半生」と海外での学び

Rolling Stone Japan / 2022年9月2日 18時30分

奥本亮(Photo by Alex Solca)

我々日本人は、同じ日本人がどれだけ海外で活躍しているのか、実はほとんど知らない。今回、20年ぶりのソロ・アルバム『ザ・ミス・オブ・ザ・モストロファス~神獣伝説~』をリリースした奥本亮は、日本では一部のプログレ・ファンのあいだでよく知られている存在だが、海外の音楽業界における認知度は想像以上に高い。日本人が海外で活動するときに、もっとも大切なことは”信頼されること”だと奥本は言う。彼がいかにして海外で信頼を獲得することができたのか、彼の根性の半生を振り返ってみよう。



奥本亮(Ryo Okumoto)は1958年5月24日に大阪府東大阪市で生まれた。3歳からクラシック・ピアノを習い、13歳まで続けていた。中学のときは野球部に所属していたが、新聞配達をして貯めたお金でチャキ・ギターを購入するとスポーツは二の次となり、友人や家族の前でコンサートを開くようになった(レパートリーは吉田拓郎や井上陽水、泉谷しげるなど)。あるときチューリップの「心の旅」(1973年のヒット曲)を聴き、”これなら自分にも弾けるかも”とピアノを弾きだしたのが、キーボーディストとなるきっかけになった。その後洋楽にはまり心酔し、ジミー・スミスやディープ・パープルなどを聴いてハモンド・オルガンへの憧れを抱いている。

15歳のとき大阪難波のナイトクラブ”メトロポリタン”にローディー兼パーカッショニストとして勤めはじめ、プロの世界に入っていく(そこでリズムについて学んでいる)。この頃一番聴いていたのはエマーソン・レイク&パーマー やジェネシス、イエス、ピンク・フロイドなどのプログレッシブ・ロックで、その当時はすべてのものが”新しかった”のでむさぼり聴いていたという。その後梅田のライブ・ハウスで知り合ったオックス(OX)のリーダーの福井利男に誘われ上京、都内のディスコのハコバン(生バンド)のメンバーとして毎夜朝まで8ステージを2箇所で掛け持ちするという多忙な日々を送っていた(ハモンド購入代金のローンを返すためだとか)。東京での下積み生活を5年弱続けた1979年、元ザ・カーナビーツの喜多村次郎(Gt)の紹介でクリエイションに加入、レコーディングやツアーに参加している。


『Solid Gold』帯付きジャケット写真(Discogsより引用)



『Makin Rock』帯付きジャケット写真(Discogsより引用)

同じ頃、シンセサイザー奏者の喜多郎のツアー・メンバーとなり、ライブ・アルバム『イン・パースン』に参加したことがきっかけで1980年にキャニオン・レコードよりソロ・デビューを果たし、ロンドンとロサンゼルスで2作品を録音するという贅沢なレコーディングが実現している。ロンドンではクマ原田のコーデイネートでリチャード・ベイリー(Dr)が参加した『Solid Gold』を、LAではエアプレイの2人(ジェイ・グレイドン/デイヴィッド・フォスター)にTOTOのスティーヴ・ルカサー(Gt)とジェフ・ポーカロ(Dr)、そしてニール・スチューベンハウス(Ba)など超売れっ子ミュージシャンたちと録音した『Makin Rock』を制作、世界のレベルの高さを実感した奥本はアメリカ行きを決意した。

「ハリウッドのスタジオでレコーディングがはじまったとき、最初に聴こえて来たのはジェフがカウントするハイハットの音だった。カウントだけなのにグルーヴ感が日本とは全然違う、それだけで感動ものだった。俺はOB-Xを演奏したんだけど、最初の曲が終わったときみんなが”君は素晴らしいプレイヤーだ!”と言ってくれたのが嬉しかった。『Makin Rock』は1日4時間でたった2日間のレコーディング・セッションで作ったアルバムだった。ほとんどの曲はほぼ1テイクで録れてしまう。1テイクだからこそ勢いのある演奏が録音できるということだけど、これには大いに刺激を受けた」(奥本)

アメリカで勝ち取った信頼、人生の転機

1981年3月に渡米した奥本は、ディック・グローブ・スクール・オブ・ミュージックというプロ養成に特化した音楽学校に入学、そこでジャズ・ピアノ、作曲・編曲、そして映画音楽について学ぶ。在学中からラモント・ドジャー(ホーランド=ドジャー=ホーランド)に弟子入りするかたちでアレンジャーの世界に突入し、ナタリー・コールやアレサ・フランクリン、バリー・ホワイトなど錚々たるアーティストを手掛け、ツアーにも同行するという多忙ぶりだった。これらの仕事を全力でこなすことによって、奥本の信頼度は一気に上がったと考えていいだろう。

「ラモントのアルバム『Inside Seduction』(1991年)のレコーディングでは、俺がアレンジした曲をエリック・クラプトンやフィル・コリンズが演奏してくれた。フィルがモールス信号のような譜面を自分で書きはじめたときは笑っちゃったけど、彼があのTR-808を鳴らしてドラムを叩き、最後にコーラスを歌いはじめたときは鳥肌が立ったね」(奥本)



ある日、LA北東部パサデナの仕事で知り合ったギタリストのアラン・モースに誘われるがまま奥本はノースハリウッドに赴き、そこでジャム・セッションした相手がニール・モースとニック・ディヴァージリオだったという。

「このときのアランとの仕事のギャラは、たった2000円だった。音楽の仕事というのは一度断ると二度と来ないとわかっていたから、依頼された仕事は全部引き受けていたよ。アメリカは広いけど、どこにチャンスが転がっているかわからないからね。例えばピアノ・バーで酔っ払い相手に演奏するときでさえ、客席に誰が座っているかわからないし、もしかしたら著名な人物が自分を見つけてくれるかもしれないと思っていたから、とにかくどこにいても本気で演奏していた。そしたらアランたちがプログ・バンドを結成するからぜひ参加してほしいと誘ってきてくれた。それがスポックス・ビアード(Spocks Beard)のはじまり、俺のプログレ道のはじまりとなった」(奥本)


スポックス・ビアード、2012年のライブ映像

日本では渡米後の奥本の地道な活動はほとんど伝わってこなかったが、スポックの一員となったことで彼の名は世界中に知れ渡ることになった。スポックには1996年から正式メンバーとなり、現在に至るまで活動を続けている。また2002年にはソロ4作目となる『Coming Through』をリリース。サイモン・フィリップス(Dr)をはじめ当時のTOTOのメンバーやスポックのメンバーなど豪華ゲスト陣を迎えて作られたプログレッシブAORの傑作だった。またほかにもK2や元エイジアのジョン・ペイン率いるエイジア・フィーチャリング・ジョン・ペイン、そのメンバーで組んだGPS、自身のリョウ・オクモト・プロジェクト、ルー・グラム・バンドに至るまで、いまではジャンルを問わず方々で引っ張りだことなっている。

「2006年のある日、留守電にイエスのクリス・スクワイアからメッセージが残っていて、リッケンバッカーの75周年記念コンサートがハリウッドであるからバンマスやってくれないかと頼まれた。スポックのメンバーを呼んでリハがはじまり、クリスがベースを弾きだしたときの感動はいまでも忘れられないよ!」(奥本)

20年ぶりのソロ作で見せたこだわり

奥本は2022年に新たに、往年のプログレ名曲をカバーするプログジェクト(ProgJect)なるオールスター・バンドを結成、彼にとって最後のパーマネント・バンドとして絶賛強化中とのこと。そして7月には20年ぶりとなるソロ・アルバム『ザ・ミス・オブ・ザ・モストロファス~神獣伝説~』をリリースした。

奥本がこれまでリリースしたソロ作品は、ロンドン録音の『Solid Gold』、LA録音の『Makin Rock』、シンセのデモンストレーション・アルバム『シンセサイザーのすべて』(3作品ともに1980年)、『Coming Through』(2002年)であり、『ザ・ミス・オブ・ザ・モストロファス~神獣伝説~』(2022年)で5作目となる。驚異的なスロウ・ペースは、スポックでのアクティブな活動を見れば納得がいくものの、奥本自身はこの20年間常に曲を書き続けてきたという。

『ザ・ミス・オブ・ザ・モストロファス』の制作が本格化したのは、2020年11月のライブ・イべントで知り合ったアイ・アム・ザ・マニック・ホエールのシンガー、マイケル・ホワイトマンと意気投合したときからだった。奥本はマイケルに30曲ほどのデモを送り、マイケルからは歌詞が付けられたボーカル入りのトラックが返ってくるというやり取りが続いた。



アルバムのコンセプトは、ずばり”奥本亮によるリョウズ・ビアード(Ryos Beard)”を作ること。ロック・バンドのメンバーがソロ・アルバムを作るという感覚ではなく、奥本が中心となり、奥本のプロデュースによるスポックのアルバムを作るというのが目標で、奥本らしいプログ・アルバムを作ること、曲ごとに見合ったメンツで録音すること、ビンテージ楽器を使った生音で録音すること、そしてみんなを「あっ!」と言わせることなどをモットーにしていたというから、なかなかの決意である。こんなところにも大阪のおっさん的な根性が見え隠れしているのが奥本らしい。

アルバムの特徴は、エネルギーにあふれた楽しいプログレ・アルバムということと、驚くほどに豪華で多彩なミュージシャンを起用していること。全6曲(国内盤のみボーナス・トラック2曲を含む全8曲入り)のうち2曲は、スポックの新旧メンバーが揃った、まさにリョウズ・ビアードと呼べるもので、ほかの4曲はスポックとは異なるものにしたかったということで、プログジェクトのジョナサン・ムーヴァー(Dr)やマイケル・サドラー(Vo)、マイク・ケネリー(Gt)を中心に、多くのゲスト・ミュージシャンを迎えて作られている。言うなれば1枚で二度おいしい贅沢なアルバムを作ってしまったわけだ。

参加したミュージシャンは、スポックス・ビアードのアラン・モース(Gt)やデイヴ・メロス(Ba)、テッド・レナード(Vo)という現役のメンバーに加え、旧友ニック・ディヴァージリオ(Dr, Vo)も参加して「ミラー・ミラー」と大作「神獣伝説」の2曲を完成させている。当初はスポックの創設者ニール・モースの参加予定もあったようだが、彼は自分のバンド活動を再開したばかりということもあり実現しなかった。一方、プログジェクトのメンバーと構築した4曲(「ターニング・ポイント」「ザ・ウォッチメーカー」「マキシマム・ヴェロシティ」「クリサリス」)に関しては、スティーヴ・ハケット(ジェネシス)やライル・ワークマン、マーク・ボニーラといったギタリストのほか、ベーシストのダグ・ウィンビッシュ(リヴィング・カラー)、日本が誇るヴァイオリニスト中西俊博、妻の奥本啓子(Cho)に至るまで、曲ごとに最適なメンバーをあてがうという”スティーリー・ダン方式”が採用された。

「俺って、バンドの中でただ座って黙々とキーボードを弾いているようなタイプではなく、立って、両手広げて、ジャンプしているようなキャラが強いタイプなので、スポックの中でもかなり目立つ存在なんだ。だから意外と海外のミュージシャンにも認知されているみたいだった。彼らに参加依頼の連絡をすると、初めての人でも”あー、リョーね、OK!”と皆気さくに応対してくれたんだ」(奥本)

アルバムにとって一番キモとなるボーカルについても、スポックの新旧ボーカリスト(テッド・レナードとニック・ディヴァージリオ)やマイケル・ホワイトマン、マイケル・サドラー、ランディ・マクスタイン(ポーキュパイン・ツリー)、ケヴィン・クローンなどが曲ごとにそれぞれ挑戦している。

「実は『クリサリス』という曲は7人めのボーカリストを採用したんだ(笑)。最初にイメージした人に歌ってもらっても、必ずしもフィットしないことがある。そんなときに第2希望、第3希望と候補者にあたってみるんだけど、この曲だけはなかなか的確な人を見つけられなかった。でも6人目までの人たちも皆素晴らしい著名なミュージシャンばかりだし、彼らは”曲がいいから”と本気で歌ってくれたんだよね。世界中のミュージシャンに共通していることは、お金のことよりもいいアルバムに参加したい、いい曲の中に自分の名前を残したいと思っているんだ。当然のことだよ」(奥本)



奥本のソロ・アルバムだから、奥本自身が全身全霊をかけた渾身の作品作りをするのは当然としても、そこに参加してくれるミュージシャンたちもお仕事として参加するのではなく、いい作品に携わりたいという気持ちがなければ、こんなに素晴らしいアルバムに仕上げることは不可能だったかもしれない。

「だから演奏をお願いするときに、ひとりひとりに異なるアプローチをするんだ。超多忙なスティーヴ・ハケットにはこっちからギターのラインを指定してそのとおりに弾いてもらい、逆にマイク・ケネリーの場合は100%お任せにする。そうすると彼はこっちが欲しい場所以外のパートまで全部埋めて返してくるんだ。マイク・ボニーラも素晴らしい音で埋めてくれたな。だから、テイクを選ぶこっちも苦労したよ。起用したミュージシャンが録音してくれたものを全部使いたいのは山々なんだけど、それをミキサーのリッチ・マウザーに送ったら、彼は勝手に取捨選択して結局半分くらいしか採用してくれなかった。でも彼の判断はいつも正しいので信頼している。彼とはスポックでの付き合いが長いけど、彼は最初に全トラックを聴いて必要なものだけを見極める才能がある。本当はもっといろいろな音をミックスに入れてほしかったんだけどな(苦笑)」(奥本)

渡米して40年、今も心は「大阪のおっさん」

アルバムがリリースされて1カ月が経ち、早くも世界中から賛辞の声が続々届いているという。彼にとってもっとも嬉しかった言葉というのが「まるでバンドのアルバムみたいに楽曲としてまとまっている」ということだった。つまり、ソロ・アルバムだから「俺が、俺が」と前面に出て来てむやみにキーボード・ソロが長かったりするわけではなく、聴かせたい楽器やソロ・パートなどが曲中の理想的な場所に置かれていて、純粋なプログレッシブ・ロックのアルバムとして聴きやすかったということ。これは奥本にとって、プロデューサー冥利に尽きる、この上ない称賛の言葉だったという。

またトーマス・エワーハードによるジャケットのアートワークもすこぶる評判がいい。ジャケットの怪獣はまさにゴジラをほうふつとさせるが、奥本によれば海外における日本のイメージはゴジラかトヨタか、ラーメンかというくらい強烈なのだそう。トーマスは奥本が渡した10数枚怪獣の写真の中から、ゴジラ映画に使われた2枚の写真を元に今回の怪獣をイメージしたという。アートワークと音が完璧にマッチしたという面でも、このアルバムの完成度の高さが伝わってくる。

「タイトル曲は偶然にもコロナや戦争など身近に感じられるようなことが題材となっているけど、実は”人間の悪い部分”の象徴があの怪獣となって現れたんだ。自分たちの心が生みだした巨大な悪(怪獣)がまさに地球を滅ぼそうとしていて、それをいかにして倒すべきか考えた結果、皆で清らかな心を持って歌を歌おうということになった。そうして人々に平和が訪れるという意味なんだ。単純にジャケットだけ見て怪獣の物語だと思いこんでいる人たちもいるみたいだけど(爆)」(奥本)



音楽には正しい聴き方というものはないけれど、プログレに関して言えば、ある程度構えて聴かないといけないという先入観が存在する。でもこのアルバムは、親しみのあるメロディーを軸に、予定調和的な展開を含めて聴いていて楽しい、なぜかエネルギーがもらえる元気の出るアルバムだという声が多いという。実際、楽曲ごとのアレンジの完成度が素晴らしく、他の著名バンドの作品と寸分変わらぬレベルの高さが伺え、プログレ界全体から見ても、今年のベスト・アルバムになると言っても過言ではないだろう。

「アルバムや曲は自分の子供と同じ。子供を育てるにはいろいろな人の助けが必要だけど、いろいろなカラーに染まりながら、いろいろな勉強をして大人になっていく過程は、曲を仕上げるのとまったく同じ。曲は生まれてから、皆で育てあげないと完成されたものにならないからね」(奥本)


Photo by Alex Solca

奥本が渡米して40年以上が経ち、心底アメリカ人になっているかと思いきや、いまも下駄を履いて街を闊歩し、日々食べるものはハンバーガーではなくラーメンか蕎麦で、買い物に行けば必ず値切るし、もちろん普段は大阪弁でしゃべるという、純和風の生活をしていると聞く。車の中では基本クラシック音楽を聴くけど、ときおり松山千春とユーミン(もちろん70年代の曲限定!)を聴いているという。欧米化してしまった日本人よりも日本人らしく生きているのが奥本なのかもしれない。

「アメリカに渡ったときは、まったく英語ができなかった。言葉が通じなかったから差別的な扱いを受けることもあったけど、アメリカで生きていくということは、それらすべてを乗り越えなくてはならないということだった。だから辛いことも嬉しいことも全部ひっくるめて”苦労した”とは全然思っていない。いまはプログジェクトが楽しいので、このバンドで日本を含む世界中をツアーしてまわりたいと思っているし、スポックはいま作曲中で、来年秋のツアーに向けてアルバムも出したいと思っている。とにかくこれまでアメリカで過ごしてきたすべてが勉強になったし、いまだから言えるようなアクシデントやハプニングなど、面白いことをたくさん経験した。思い出せることを全部書き留めたら、一冊の本になるかもしれないな(笑)」(奥本)

奥本と話しているとき、彼の口調は穏やかながら、ずっと強い意志のようなものを感じることができた。これからも大阪のおっさんパワー全開の活躍を期待したい。



奥本亮
『ザ・ミス・オブ・ザ・モストロファス~神獣伝説~』
発売中
再生・購入:https://sonymusicjapan.lnk.to/RyoOkumoto_tmotm

●高品質Blu-spec CD2
●書下ろしライナー(片山伸氏)、歌詞&対訳付き
●日本盤のみのボーナス・トラック2曲収録

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