The 1975密着取材 マシュー・ヒーリーが探し求める「本物の愛」
Rolling Stone Japan / 2022年10月13日 17時30分
The 1975のマシュー・ヒーリー、北ロンドンにある自宅での密着取材が実現。「二度とインタビューを受けない」と明言していた現代最重要バンドのフロントマンが、10月14日に発表されるニューアルバム『Being Funny in a Foreign Language』について大いに語った。16000字ロングインタビューの前編をお届けする。
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i.「新章」の幕開け
筆者は今、質問にどう答えるべきかをスローモーションで思案しているマシュー・ヒーリーの横顔を、彼の右隣から見つめている。照明は左側からガラス越しに当てられており、その向こう側には見事な日本庭園がある。The 1975のフロントマンが、回答にこれほど時間を要していることが意外だった。(少なくとも音楽の世界において)ミレニアル世代の代弁者と呼ばれてきた彼は、鋭い引用のストックを常に用意しており、必ずと言っていいほど賛否両論を呼ぶツイートをつい最近まで連発していた。しかし、それはもはや過去の話だ。彼は世間から袋叩きにされることにうんざりし、今以上に有名になるまいと固く心に誓っている。
足袋ブーツを履いてマリファナを吸っているという点を除けば、彼の姿はオーギュスト・ロダンの『考える人』を彷彿とさせる。マシューはきっとこの比喩を気に入ってくれるはずだ。何しろ彼は、脳内に蓄えた膨大な量の文化的レファレンスと自意識を絶妙なバランスで紐付けるという離れ業を得意とするのだから。隣の部屋に飾られた、初版の『Infinite Jest』の冒頭から約4分の1辺りのところには付箋が貼られている。デヴィッド・フォスター・ウォレスのファンだからというのもあるが、(1000頁を超える)同書を所有する人々がみな4分の1ほど読んだ時点で諦めるというジョークの方が重要に違いない。白人のストレートの男性である彼がアートやアイデアについて積極的に語ることは、このポストモダンで虚無的な超消費社会の大衆からはキザだとみなされることも多い。頭の回転は速いが利口なわけではないと自分では考えているが、2016年の本誌US版インタビューでの「相当ウザいけど誠実なやつ」という発言からも、世間が自分のことをどう見ているのかを自覚するだけの賢明さを彼が備えていることは確かだ。
ローリングストーンUK版の表紙を飾った、The 1975のマシュー・ヒーリー (Photo by Samuel Bradley / Styling by Patricia Villirillo)
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このイントロダクションから遊び心を読み取ってもらえれば幸いだ。マシューがユーモラスでナイスガイだからというのもあるが、ドラマティックな効果を狙って間を挟むような話し方をしているように書かないでほしいとはっきり言われたからだ。実際に、彼の発言はドラマティックというよりはアクティブという表現の方がしっくりくる。彼が来るニューアルバムについて公の場で語るのも、2020年に「もうインタビューはやらない」と明言して以来、ジャーナリストと向き合うのも今回が初めてとなる。「あんまり好きじゃないのは事実だよ、怖いからね」と彼は語る。「発言がどの程度正直であるべきなのか、判断がつかなくなってしまってたんだと思う」
「自分を救世主のように感じることがある」とうっかり口にしたり、テイラー・スウィフトと付き合った男は骨抜きにされるという持論を展開したり、深く考えずにヒップホップの世界におけるミソジニーについて言及したりしてきた彼は、世間からの批判を一手に引き受けるという役目に心底疲れ果ててしまっていた。後悔しては叩かれるという悪循環の原因は大抵、メディアかソーシャルメディア上での不用意な発言だった。また、マシュー・ヒーリーとして人前に出ることが仕事だという厄介な事実を、彼は取材を受けるたびに再認識させられていた。時折「おとなこども」な自分を自覚する人物にとって、それは天職とは言い難い。現在33歳の彼が(Kevin the Teenagerの声を真似て)「やりたくない」と駄々をこねることを、世間は許容してくれない。現場にやってきて取材を受けることは、彼にとって大きな心労を伴う行為なのだろう。
インタビューが記事化されるにあたって、彼が何を懸念しているのかはよく分かる。彼のジョークが筆者を笑わせるところは読者には伝わらないし、文字にすると一層大胆に思える彼の発言が記者の質問への返答であることも見落とされがちだ。彼は自身の声がファンベースと批評家たちからの評価をもたらしたこと、そして賛否両論あれど注目せずにはいられない文化人というイメージに結びついていることを自覚している。だからこそ、本誌UK版の撮影で初めて対面した時も、北ロンドンにある彼の自宅を訪ねた時も、PR担当者とマネージャーが同席しているにもかかわらず、彼はやや緊張気味だった。真意が伝わる言葉を慎重に選び、オフレコでは思慮深く微笑ましいことを口にし、発言の意図が筆者に伝わっているかどうかを確認していた。パラノイア気味(おそらく正当化されるべき)なところもあり、録音が継続されているか確かめようと筆者が取材の途中でケータイを手にしたところ、彼は自身のスマートフォンを筆者の前に差し出した。画面に目をやると、彼が我々の会話を自身のケータイでも録音していたことがわかった。
Matty wears coat by Ann Demeulemeester, shirt, Mattys own (Photo by Samuel Bradley / Styling by Patricia Villirillo)
翌週に筆者がそのことに触れると、彼は我々の会話を録音した理由は3つあると言った。1つめは、筆者のケータイが機能していなかった場合に備えてバックアップを取ること。2つめは、過去数年にわたって制作が継続されているThe 1975のドキュメンタリーに使えるかもしれないと考えたこと。3つめは、自身の言葉が捻じ曲げられて伝えられた時の反論用の証拠とすること(「僕は当日の会話を録音した。本当はこう言ったんだ」などとツイートするつもりはないから安心していいと彼は言った)。こういった慎重さからも、彼が自身の発言を正当化しようとすることに辟易していることが窺える。「最近は謝罪しないようにしてるんだ」と彼は話す。「君や僕、あるいは排他的な人(bigot)とかレイシストとか乱暴者とか犯罪者とかじゃない普通の人がどう考えていようとも、僕は自分の発言や行動について謝罪しない。僕はそんな人間じゃないと思ってるから。謝罪しなくて済むように、背景や文脈をちゃんと証明できるようにしてるんだ」
彼の自宅で話した時、マシューは文字情報で溢れかえっている今の世の中では、キャプションやツイート、インタビューやレビュー等のありふれた形式以外でのコミュニケーションを模索すべきだと主張していた。「何かしらの情報やアイデアを文字にすることなく伝えられるスキルを持っているのなら、絶対に活用すべきだ。やってみようとするべきだ。デヴィッド・バーンやベラスケスのインタビューがいくつあれば十分なのか、僕にはわからない……そんな苦笑いしなくても、別に自分をデヴィッド・バーンやベラスケスと比較しようとしてるわけじゃないよ」(筆者は思わず笑ってしまった)
彼がユーザーとして、時にはコンテンツ提供者として関心を持っているのは、Substackのニュースレター、エッジの効いたコメディ『Cumtown』や様々なカルチャーのトピックを取り上げる『Red Scare』等で知られるDimes Squareのポッドキャスト(政治関連のコンテンツには興味がないという)など、話題を集めているニューメディアだ。彼は何かと議論を呼ぶ、ジョー・ローガンがホストを務めるポッドキャスト『The Joe Rogan Experience』への出演を希望している。編集によって意見を捻じ曲げられる心配をせずに、2時間半の枠の中で様々なトピックについて延々と語り続けてみたいという。
彼が二度と取材を受けないと宣言した理由は納得がいくものだった。今でこそ当たり前となったジャンル横断型のソングライティングをいち早く実践し、インターネットやソーシャルメディア関連のトピックをテーマにした曲をいくつも残してきたThe 1975は間違いなく、2010年代のシーンとカルチャーにおいて最も同時代性を獲得できていたバンドだった。その10年間と共に20代を終えた時点で、マシューは薬物依存とリハビリ生活、若きロックスターの典型的なライフスタイルの全てを嫌というほど経験していた。30代を迎えた今、彼はどこへ向かうのだろうか。
来年、バンドは結成20周年を迎える。彼らが歩んだ道のりはしっかりとドキュメントされてきた。デニス・ウェルチとティム・ヒーリーというテレビ俳優どうしの第一子として生まれたマシュー・ヒーリーは、チェシャーにある学校のクラスメイトだったドラマーのジョージ・ダニエルと親友同士になった。様々な形態のプロジェクトを経た後に2人が結成したThe 1975は、どのメジャーレーベルともレコード契約を結ぶことができずにいた。度重なる交渉の決裂に、マシューは失望し困惑していた。バンドは結果的に、マネージャーのジェイミー・オボーンが運営するDirty Hitと契約する。ビーバドゥービーやリナ・サワヤマ等のエッジーなアーティストの作品で知られる同レーベルは、今ではZ世代から圧倒的な支持を得ており、Y世代にとってのXL Recordingsのような存在だ。バンドのデビューアルバム『The 1975』(2013年)は、発売と同時に大きな反響を呼ぶ。Tumblrに夢中だった女の子たちや、ゼロ年代のUKインディーに馴染みのなかったアメリカのオーディエンスにとって、米国のエモに影響を受けた彼らのブリティッシュアクセントや、80年代を思わせる艶のある硬質なサウンドとソングライティングは新鮮に響いた。ジェイミーはこう語る。「アーティストとの仕事は、巨大な岩を坂の上まで運ぶかのように感じられることもあれば、勝手に転がって勢いを増していくこともある。バンドのDNAの一部である何かと、フロントマンとしてのマシューの存在感が多くの人々にアピールしたんだと思う。それが世界中に広まっていったんだ」
最後になるはずだったインタビューで、マシューは「The 1975は解散するかもしれない」と語っていた。当時はその可能性があったのだろうが、今ではその選択肢は完全に消失した。「このバンドには常に推測が付きまとってる。彼らは解散するのか、それともしないのか? マシューはドラッグ中毒を克服できるのか? 僕はいつだってそういうのを楽しんできた。ドラマが好きだからね」。ソファーに腰かけたマシューは、満面の笑みを浮かべてそう言った。「今なら断言できる、セクシーにね。The 1975は解散しない。このバンドにはありとあらゆることが起きる可能性があるけど、解散だけは絶対にしない」
アートを作ることが好きな古い友人たちの集まりであるThe 1975が決して解散しないとマシューが断言したのは、自分が何よりもまず作家であることを自覚したからだ。彼が生み出すのはトルストイのような荘厳な一大叙事詩ではなく(「念押ししておくけど、自分をトルストイと比較してるわけじゃないよ」)、その瞬間に彼が感じていることのスナップショットだ。その考え方は、バンドの一員であることに伴うプレッシャーを緩和してくれる。
日本の寺院のような石造りの自宅で、マシューは新章を迎えたThe 1975について語ろうとしている。彼が「章(era)」という言葉を用いたのは自意識過剰だからではなく、ファンがお気に入りのポップスターに対してそうするように、The 1975のフォロワーが変化し続けるバンドのキャリアをその言葉で区切るからだ。その新章では、「Sincerity is Scary(誠実であるのが怖い)」という言葉が単なる曲名でなく、実感として伴うようになった。アートと人生において、自分の脆さが前面に現れるようになった。若者の代弁者というイメージから解放された。オフラインで、自然体でいられるようになった。真剣に誰かを愛し、本物の愛についてのアルバムを作ろうとした。失恋を経て、汚れなき愛はもはや存在しないのかと思いながらも、どこかにあるはずだと信じようとしている。
ii.「単なるバンド」への回帰
マシューの自宅の玄関から中に入ると、まず目に入るのは廊下にある巨礫のような彫刻だ。「重量感のある物体が好きなんだ。永続性を感じられるから」と彼は話す。「いつもツアーで移動してばかりだからさ。自宅に帰ってきた時に、この動かしようのない物体を目にすると落ち着くんだ」
誰もがそうだったように、彼の人生もまたパンデミックによって急停止を強いられた。『A Brief Inquiry into Online Relationships』(邦題:ネット上の人間関係についての簡単な調査、2018年)のツアーと『Notes On A Conditional Form』(邦題:仮定形に関する注釈、2020年)の制作を並行して進めるという多忙なスケジュールは、突如として白紙になった。ロックダウンの間、彼は柔術の訓練を日課とし、他の人々と同じように、自分の人間性と行動を見つめ直した。「依存症だっていう事実が、自分のあらゆる行動を定義していることに気付いたんだ」と彼は話す。「スマートであろうなんて思わないし、賢そうに見られたくもない。知識を身につけたくて本を読んでるわけじゃないんだ。僕は貪欲ってわけじゃなくて、単に中毒なんだよ」
Matty wears vintage shirt by Prada, vintage tie, Mattys own, trousers by Louis Vuitton, shoes by John Lobb and sunglasses by Ray-Ban (Photo by Samuel Bradley / Styling by Patricia Villirillo)
ポストモダンなインターネット世代のバンドというThe 1975の方向性を、マシューは十分に野心的だったと考えている。エモやUKガレージ、カントリー、ハウス、アンビエントまでを網羅した全22曲で構成される『Notes〜』は実験的なアルバムだった。実存主義的で誠実な力作ではあったが、聴いていて疲れるというのが多くのリスナーの率直な感想だった。「あのアルバムを最後まで聴いていない人も多いだろうね」とマシューは認める。マキシマリズムと実験性を突き詰めた結果、自身の外骨格と化してしまったThe 1975は、考えうる限り最もラディカルな手段に出ることにした。それは「単なるバンド」への回帰だ。
「曲を書いてスタジオに入り、プロデュースもレコーディングも自分たちでやった。こういうアプローチを取ったのは1stアルバム以来だった」とマシューは話す。「キザとかカッコつけてるとか、そういう風に受け止めないでほしいんだけど、The 1975が何なのかをはっきりさせようとしたんだ。僕たちは節操なく色々試してきたけど、リスナーはバンドの本質をちゃんと理解してると思うから」。
Matty wears vintage shirt by Prada, vintage tie, Mattys own, trousers by Louis Vuitton, shoes by John Lobb and sunglasses by Ray-Ban (Photo by Samuel Bradley / Styling by Patricia Villirillo)
過去2作で徹底的に追求した、分析に基づく精巧さを彼らは放棄することにした。新作の曲のいくつかは1〜2テイクで仕上げたという。「ものすごく親密で、その瞬間を脳裏に焼き付けるような曲。僕はずっとそういうのを作りたかった」とマシューは話す。
過去のアルバムが常に当時のカルチャーを反映していたように、バンドが追求した親密さは集合意識と共鳴している。オーバーシェアリングによる疲弊、意見の過剰なインプットからくる消耗感、シニシズム疲れ、本作にはそういったテーマが見られる。パンデミックの最中に誰もが一時的に強要された身軽でシンプルな生き方を、人々は今、切実に欲している。
10年前、マシューはコンピューターが生み出したノイズが楽曲に乗っているのに気づいて驚き、その生成過程について考えを巡らせていた。今ではもう気にも留めなくなったのは、基本的なプログラムを所有していれば誰でもそのノイズを作り出せるようになったからだ。「一般の人にないものと言えば……」と話しながら、彼は指を折り始める「スタジオの使い方に関する知識、バンドとして20年間一緒に曲を書いて演奏した経験、それによって培われたものを形にするスキル。そういうのを持ってる人はそんなにいないはずだよ」。要するに、新作で彼らはバンドとしての基本に立ち返ったということだ。「自分が得意なことにフォーカスすること。今はみんながそれを意識していると思う」。そう話す彼は、アスリートのレース観戦を例として挙げる。「クリストファー・ノーランに撮らせたって、100メートル走の面白さは変わらない。なぜなら観衆は、優れた人間による優れたパフォーマンスを見たいだけなんだから。何の分野であれ、これからは極端なクオリティというものが必要とされなくなると思うんだ」
余分なものを排除する目的で、彼らはニューヨークのエレクトリック・レディ・スタジオと、ピーター・ガブリエルが所有する英国バースのリアル・ワールド・スタジオでレコーディングを行った。後者はマシューの自宅と似ていると言えなくもない。石を基調とした造りで天然素材やガラスパネルが多く使われたその空間は、光・空気・水を感じさせる。マンチェスターに住んでいた子供の頃、彼は寝室に同スタジオのコントロールルームの写真を飾っていた。そのアプローチを強化する目的で、マシューとジョージは制作の終盤になって、ジャック・アントノフを共同プロデューサーとして迎えることにした。「いろんな話をしたけど、トピックの1つは『マッチョとタフの微妙なライン』だった。僕らが作りたかったのは、決してマッチョではないけど、タフで成熟していてリアルなものだったから」。マシューはジャックとの作業についてそう話す。
デビューアルバムが話題になっていた頃、ジョージはThe 1975の音楽が受け入れられている理由の1つが、リスナーそれぞれに語りかけているかのようなマシューのソングライティングであることを悟った。「今回のアルバムではそこに回帰し、純度を高めようとした」。ジョージはメールでの取材にそう答えている。
結果として生まれたのが、『Being Funny in a Foreign Language』(邦題:外国語での言葉遊び)だ。過去の全アルバムの冒頭を飾ってきた「The 1975」を含む全11曲で構成された同作は、これまでで最も短いアルバムとなった。意図したのは、最初から最後まで通して聴いてもらうということ。2022年の秋にアメリカ、2023年初旬にイギリスでの開催が予定されている同作のリリースツアーの内容について、彼らは今アイデアを練っているところだ。ここでも「親密さ」がキーワードになっており、バックに掲げられた大型のLEDスクリーンに明確なメッセージが映し出されていた過去のツアーの対極にあるようなものになるだろう。「IMAXみたいなのじゃなく、小さな劇場にいるように感じられるショーにしたい。IMAXだと、みんなショーの途中に平気でトイレに行くから」とマシューは話す。
目の前にあるものに全神経を集中させるというコンセプトが、このプロジェクトの核であることに、マシュー自身も後になって気づいたという。「このレコードのキャンペーン用に撮った写真をチェックしてた時、メンバー全員がカメラ目線のものはどれも気に入らなかった。でも何か注意を引くものがあって、全員の意識がそっちに向かっている写真にはすごくピンときた」と彼は話す。「これはそういうレコードなんだ。説教がましいものじゃなくてね」。マシューにとって、それはタイムレスであることを意味している。5作目にして初めて、彼らはアルバム然としたアルバムを作り上げた。
iii.「本物の愛」について
ソーシャルメディアとオンライン生活のリアルを描いてきたThe 1975は、ミレニアル世代の代弁者とされてきた。だが実際には、このバンドが一貫して追求してきたのは愛というテーマだ。10代のドラマを描写したデビューアルバムで、マシューは「僕を愛してくれ、僕たちを愛してくれ!」と懇願していた。後半の曲群(「Love Me」という直球の曲を含む)では愛されることと愛すること、ドラッグとセックスと関心を介して愛を得ようとすることについて歌っていた。その一方で、『Brief Inquiry〜』以降の彼らは、ロマンティックな愛の成就や育成を阻む現代特有の物事にストレートに言及してきた。
「僕自身はそんなふうに考えたことはなかったな。自分自身をいろんな角度から愛そうとするのは、大半の人に言えることだと思う」。筆者の考えについて、マシューはそう語った。「作品ごとに異なる疑問を投げかけてきたことは自覚してるけど、『君は? 僕は? 僕たちは?』っていう形式は共通してるんだよ」
『Brief Inquiry〜』はデヴィッド・フォスター・ウォレスの本と、誠実さ(sincerity)こそがシニカルなカルチャーに対する特効薬だというウォレスの思想にインスパイアされたアルバムだったが、新作はそのコンセプトの成熟を感じさせる。ウォレスが掲げた理想を、マシューは夢想するのではなく体現しようとした。その結果生まれたレコードは、誰も予想しなかったほどに真剣だ。
「今作は間違いなくそういう考え方にインスパイアされてる。20代の頃はニヒリズムってセクシーでクールかつリアルで、筋が通ってる部分もあると思うんだよ。でも歳を取るごとに、そういうポストモダンでエキサイティングなアイデアは、お世辞にもセクシーとかヒップとは言えない保守的な価値観に置き換えられるようになる。責任感や大人としての自覚というものにね」。マシューはそう話す。「今作で僕が問いかけていること、それは皮肉とポストモダニズムに満ちたこの世界で、君が本物の愛を見つけられるかどうかってことだ。新自由主義 vs. インターネット vs. テクノロジーみたいな安易な言い方はしたくない。20世紀初頭の人々がカルチャーを追求するなかで手にしたのと同じやり方で、僕たちは本物の愛を見つけることができるだろうか?」。その問いに対する自身の考えについて訊くと、彼はこう言った。「どうだろうね。ものすごく難しいのは確かだよ」
マシュー自身はそう話しているが、『Being Funny〜』では僅かな間であっても愛を見つけることは可能だという見解が示されているように思える。彼にとって、外国語でユーモアを表現することは洗練の極みを意味している。それは他人に共感する能力と、過ちを犯すリスクを取ることで、脆さと人間らしさを受け入れようとする意思があって初めて可能になる。「愛、幸せ、もしくは一体感。今作のテーマは、そういう儚いものを求めてもがくことだと思う」と彼は話す。
Matty wears coat by Ann Demeulemeester, shirt, Mattys own (Photo by Samuel Bradley / Styling by Patricia Villirillo)
『Being Funny〜』の音楽性と色合いは、アルバムの前半と後半で明確に異なっている。ポジティブなトーンが中心となっている前半では、文化戦争の真っ只中で愛を見つけることをシニカルかつ論理的に捉えようとしており、シンプルで自身の恋愛について綴った日記のような親密さがはっきりと感じられる。「文化戦争と恋に落ちること、その両方に触れたかった。『全部どうでもいい、キスしよう』『うわ、キモい』みたいなさ」とマシューは語る。「『今のはかなりいい線いってた』みたいなのにはうんざりだから。心温まる言葉をかけるのって、マジでめちゃくちゃ難しいんだ」
大抵の場合、問題に直面した愛とは、現代における男らしさ(masculinity)という概念の危機と同意義だ。思いを寄せる女性と交際できない男性の末路を描いた『ブラック・ミラー』のエピソードにマッチしそうな、ダークでアップビートな80s調の「Looking for Somebody to Love」には銃乱射事件や暴力の描写が見られる。”どう押せばいいのか教えてよ 突き飛ばすっていう言葉が若者には不似合いだと思うのなら / すでに終わりが見えてる 愛すべき人を探してる”マシューはそう歌う。倒錯したマスキュリニティの重からぬ一面は、先行シングルの「Part of the Band」にも現れている。”男友達が好きな理由はコーヒーが好きな理由と同じ / 豆乳をたっぷり入れたすごく甘いコーヒーが嫌いな人はいない”
男性というトピックが持ち上がると、マシューはジェイミー・オボーンに電話をかけ、自分を見張りに来てほしいと言った。「何を見張ればいいんだ?」。キッチンにいたジェイミーはそう訊ねる。「僕が馬鹿げたことを口にしないかどうかだよ」。マシューはそう話し、巨大なシガレットホルダーを開けながら筆者にこう言った。「これはミュージックビデオの撮影用の小道具で、僕が普段から使ってるものじゃないからね」
我々は見過ごされている危険な男らしさや暴力が存在する一方で、豆乳たっぷりで無害かつ当たり障りもない男性も存在するという事実について話し合った。アンチフェミニストを標榜し過激化する若い男性たちが急増するなかで、正しい男らしさを示すには何をすればいいのか? 「左翼よりも右翼の方が若い男性たちをうまく囲い込んでることは知ってる。典型的な左派である僕のような人間には、不思議に思えて仕方ないよ。左派には正しい男らしさっていう概念が見当たらないけど、右派にはものすごく明確な形で存在してるから」とマシューは話す。
そういった若者たちのイマジネーションを惹きつけているのは、家父長制という古びた概念の明快さであり、代替案の欠如はその傾向を後押ししている。ポップカルチャーのメインストリームにおいては、狂信的なファンやソーシャルメディアのユーザーたちから崇められる男性のスターがドレスやスカート、あるいはマニキュアを身につけることで無数のウェブサイトのヘッドラインを独占しているが、ジェンダーやセクシュアリティに関する問題についての考えを公にしていなければ、それらは単なるジェスチャーに過ぎない。「『男らしくあること』を解体のメタパフォーマンスの一部と捉えていない男性が考える、正しい男性像ってどういうものなんだろう」とマシューは問いかける。「男らしさの様々な形の中で、世間から唯一讃えられているのはその概念を解体しようとするものだ。要するに、ドレスを着ることさ。理想的な男性像のイメージを破壊しようとし、その姿勢が讃えられていなければ、男らしくあろうとすることに意味なんてないのかもしれない」
こういった部分はThe 1975らしさ全開だが、「感傷的」で「ナイーブ」かつダイレクトなアルバムの側面は驚きに満ちている。マシュー自身でさえ、アルバム全編を通して聴くと、シニカルさがない楽曲に違和感を感じることもあるという。エレキギター、ピアノ、ストリングスで奏でられる静謐なバラード「All I Need to Hear」で、彼は心から愛した人にこう歌いかける。”愛していると言ってくれ、僕に必要なのはそれだけだから”。アルバムの最後を飾るカントリー調の「When We Are Together」でも、彼は切実な思いを告白している。”僕が未来に希望を感じられるのは君と一緒にいる時だけ”
後半のこういった曲群で描かれているのは匿名のロマンスではなく、色褪せた美しさと穏やかなリアリズムを宿した身近なドラマだ。「何かについて理解すると、誰もが失望する。僕もそうだし、人生もそうだ」。マシューはチャーリー・カウフマンの映画『脳内ニューヨーク』の一節を引用する。「アインシュタインが唯一論文にできなかったテーマがあるとしたら、それは恋愛だと思う。もしできていれば、大勢の人を救えただろうにね。それぐらい難解なんだ」
異性規範的でやや時代遅れの感はあるが、恋愛に関する本の中ではお気に入りの一冊であるエーリッヒ・フロムの『愛するということ』を読んだことがあるかと訊ねてみる。ノーと答えた彼に、筆者はその概要を説明した。愛とは感情ではなく実践するものであり、訓練とコミットメントと関心を必要とすること。「著者は手のつけようがない女性と付き合っていて、その本を書かずにはいられなかったのかもしれないね」。そう話すマシューは、フロムになりきってこう言った。「いや、きっと大丈夫。何とかなる。彼女はいい子だから。本当に」
彼はおどけながらもフロムに同意し、愛とはメンテナンスとコミットメントだと主張する。いつものように、彼はトピックを音楽と結びつける。「インスピレーションは勝手に降ってくるわけじゃない。愛は向こうからやって来てくれるわけじゃない。それを手にするには、いつだって自分から出向いて掴まなくちゃいけないんだ」と彼は話す。「スタジオに行って、4時間くらい不毛な時間が続く。聞き飽きた音ばかり鳴らすキーボードのオシレーターを誰かがうっかりいじった瞬間、ハッとするサウンドが出る。『今のはなんだ?』って反応した途端にスイッチが入り、クリエイティビティが溢れ出してくる。要するに、何かが生まれる状況は主体的に作り出さなきゃいけないってことだよ。じっとしているだけじゃ何も始まらないんだ」
Matty wears suit by Dior, vintage shirt by Raf Simons and vintage boots, Mattys own (Photo by Samuel Bradley / Styling by Patricia Villirillo)
我々がいる部屋の天井には、黒の正方形のカンヴァスが取り付けられている。因藤壽によるその作品は、マシューが世界で一番好きな絵だという。「シビルエンジニアだった彼は、広島に向かう電車に乗り遅れてしまった。予定通り広島に向かった仲間たちは、みんなそこで被曝してしまった」。マシューは作者の背景についてそう説明する。「彼はその出来事に向き合えずにいた。仕事を辞めた彼は毎日自宅の庭で、まるで儀式かのようにカンヴァスを深紫のラッカーで染めるようになった。そのシルクスクリーンの作品を、彼は1年間にわたって毎日作り続けた。その色はやがて黒へと変色していくんだ。悲しみの表現としてのその行動だけを1年間続けた結果、それは絵画ではなくそのメタファーになった。でも誰が何と言おうと、これは絵画なんだ。そのパラドックスがどこから来ているかというと……クソ、一体どこから来てるんだろうな」
>>>【後編はこちら】The 1975のマシュー・ヒーリーが見つけた「希望」 アートの可能性とバンドの未来を語る
From Rolling Stone UK.
Photography: Samuel Bradley
Fashion direction: Joseph Kocharian
Styling: Patricia Villirillo
Makeup: Elaine Lynskey
Hair: Matt Mulhall c/o Paula Jenner @ Streeters
Photo Assistant: Stephen Elwyn Smith
Styling Assistants: Nelima Odhiambo & Rafaela Roncete
Lighting Assistants: Kiran Mane & Emilio Garfath
Studio Assistant: Oak McMahon
The 1975
『Being Funny in a Foreign Language』
2022年10月14日リリース
再生・購入:https://the1975.lnk.to/BFIAFL_JP
The 1975来日公演
神奈川 2023年4月26日(水)ぴあアリーナMM
神奈川 2023年4月27日(木)ぴあアリーナMM
愛知 2023年4月29日(土)Aichi Sky Expo(愛知県国際展示場)
大阪 2023年4月30日(日)大阪城ホール
詳細:https://www.creativeman.co.jp/artist/2023/04the1975/
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