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石橋凌が語る、ロックという言葉を使うのをやめた理由

Rolling Stone Japan / 2022年10月21日 18時0分

石橋凌(Photo by Jumpei Yamada)

ミュージシャン・俳優の石橋凌がニューアルバム『オーライラ』を2022年8月31日に発売した。

1970年代後期にデビューして以来、日本の音楽シーンに数々の伝説を残し、俳優業と並行して現在まで活動を続けてきた石橋。前作から5年振りのアルバムとなる今作は、梅津和時(Sax)、藤井一彦(Gt)、伊東ミキオ(Key)、渡辺圭一(Ba)、太田惠資(Vn)、サンコンJr.(Dr)、江藤良人(Dr)といった腕利きのミュージシャンと共に創り上げた、ソロ活動の開始と共に掲げてきた”ネオレトロミュージック”の完成系となる作品だ。同時に、その表現の根底に流れるスピリットが、今なお彼の活動を支え続けていることが強く感じられる1枚となっている。

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コロナ禍の日常から生まれた楽曲のことから「ロックという言葉を使うのはやめた」というミュージシャンとしての現在の心境まで、たっぷりと語ってもらった。



―この2~3年、誰もがいろんなことを考えた期間でした。石橋さんはどのような想いで日々を過ごしてきましたか。

石橋:コロナ禍でイベントが中止になったりして、みなさんと同じように悶々とした時間を過ごしていました。ただ、創作活動においては逆に時間がたっぷりあるなと思ったんです。以前、小説家の方が「意図的に書いたんじゃなくて、何かの力が働いて書かされた」という「自動書記」の話をしていて、20代前半の頃に書いて今でも歌っている「魂こがして」「AFTER 45」(共にARB時代の曲)を思い返してみると、もしかしたらそれに近いんじゃないかと思ったんですよ。それで、行きつけの喫茶店に行って歌詞とメロディが同じタイミングで降りてくるのをひたすら待ったんです。それで降りてきたものをノートに書き留めるっていう繰り返しで10曲が揃いました。時間的には丸々2年ぐらいかかってます。



―本当にコロナ禍でずっと制作をしていたわけですね。アルバムには様々なメロディ、歌詞、アレンジの曲が並んでいて、1つの舞台を見ているような気持ちにもなりました。アレンジはどのように行われたのでしょうか。

石橋:新曲10曲が揃ってから、ギターの藤井(一彦)くん、ピアノの伊東(ミキオ)くんと3人でスタジオに入って、全部アカペラで歌ったものを彼らがギターとピアノで音を拾って譜面にしてくれたんです。そこからアレンジ担当者を決めて譜面を渡して、自分が思う方向性を話しました。それと、レコーディングノートを作って、曲の歌詞の内容、意味を書き添えました。

―藤井さん、ミキオさん、梅津和時さんらはソロ活動の初期から参加していますよね。そういうミュージシャンの音が、曲を作る上で最初からイメージできていたということですか?

石橋:曲が降りてくるまで待つ間も、頭の中には全楽器をセッティングしているんですよ。その上で、この曲はイアン・デューリーのこういう曲、この曲はトム・ウェイツのこういう曲というように参考にする曲を挙げたんです。それは模倣するということじゃなくて、自分が好きなミュージシャンへ捧げる想いもありました。ソロになったときに、どこか古くて懐かしい匂いがするんだけど、今の時代に見合った音楽を作っていこうということで、自分の音楽スタイルとして「ネオ・レトロ・ミュージック」という言葉を掲げたんです。今回は「ネオ・レトロ・ミュージックの完成度、成熟度を増したい」ということをレコーディングノートに書いて渡して、みなさんすぐに理解して音にしてくれました。



―1曲目「粋な午後」では、コーヒーを淹れ、落語を聞いてというコロナ禍の日常が伺えますが、決して重くなく軽やかなのが印象的です。

石橋:自粛期間には、誰もが閉塞感や殺伐とした時間を過ごしてきたと思うんですけど、コロナ禍じゃなくても日本という国に住んでいると、例えば政治を見ていても、健全じゃないなって思うわけです。自分ができることとしたら音楽を作って歌うこと、かたや俳優業として誰かの人生を表現することなんですけど、直接的に自分がどういうことを考えているか、どう感じているかをメッセージできるのはやっぱり音楽なんですよね。閉塞感や殺伐とした時間からまず自分が開放されたい、そして音楽を聴いている人にも同じように開放されてほしい、ストレスや鬱憤を発散してもらいたいという気持ちがありました。

―アルバムを通して感じたことですが、そうしたメッセージを音にしたときに決して攻撃的にはなっていないですよね。

石橋:それは多分に、バンド時代の印象が強いからだと思うんですよ(笑)。デビューしたのが1978年ですから、ちょうど70年代中期にイギリスからパンク、ニューウェーブが入ってきた時期なんですよね。そうすると、自分たちのバンドの形式がドラム、ベース、ギター、ボーカルだったもんだから、どうしてもビート系、パンク系のバンドに見られていたんです。ところが、自分の中ではパンク・ミュージックよりはニューウェーブの人たち、イアン・デューリー、エルヴィス・コステロ、グラハム・パーカーとかの音が好きだったんですよ。ただ現実ではバンドの形式上、タテ乗りのビート系のサウンドが中心になってしまっていたんです。歌詞の面に於いては「何を思って何を歌うか」という視点はアマチュア時代から今まで何ら変わっていないんですけど、サウンド的には、バンドを卒業してからは「音楽をやりたい」と純粋に思ったんですよ。自分は男ばかりの5人兄弟の末っ子で育ったんですけど、4人の兄貴たちが見事に音楽の趣味がバラバラだったんです。一番上の兄がブラザース・フォアとかPPM(ピーター・ポール&マリー)を聴いたり歌ったりしていて、2番目の兄がベンチャーズのコピーバンドでドラムをやっていて。3番目の兄はブルース、ソウル、ジャズを聴いていたんです。4番目の兄はバンドを組んで、ザ・ローリング・ストーンズとかザ・ビートルズとかC.C.R.を歌っていて。あとはサントラ盤も自分で集めて聴いていたんです。ヘンリー・マンシーニ、エンニオ・モリコーネ、ニーノ・ロータとか。そんな感じで様々な音楽を小学生の頃から聴いてましたし、サウンドのバックボーンは広いので、今回もラテンやアイリッシュ、フレンチジャズみたいなものも取り入れました。それは、歌詞を人に伝えるための1つの手段として捉えています。



―確かに、バンド時代から歌っていることはブレてないですよね。今回はご家族のことも歌にしていらっしゃいます。「ファンキーバァバ」はお母さまのことを歌っているんですよね。

石橋:2年前に、102歳で亡くなったんですけど、大往生ですね。この歌詞そのまんま、豪放磊落な人で。親父が病気で早くに亡くなったものですから、文字通り女手一つで息子5人を育ててくれたんです。本当に経済的に厳しい家庭だったんですけど、でもなぜかギターやレコードプレイヤーをちゃんと与えてくれていたんですよね。それには本当に感謝しています。この曲は、東欧のノー・スモーキング・オーケストラ(映画監督のエミール・クストリッツァがギター兼バンマスを務めるバンド)のサウンドが好きで、梅津さんに参考に伝えたらすごく詳しくて。それでアレンジしてもらったんですけど、レコーディングした音を聴いて笑ったのは今回が初めてですよ(笑)。

―(笑)。ユーモラス且つ、展開が目まぐるしくてすごいですよね。

石橋:梅津さんには、「ありがとう、おかげさまでおふくろが甦りました」って言いました(笑)。音で「ファンキーバァバ」を表してくれているんですよね。

―バンド時代の「ダディーズ・シューズ」(1981年)ではお父様のことを歌っていらっしゃいました。そちらのアレンジはスカでしたが、「ファンキーバァバ」を作る際に何か意識していましたか?

石橋:母はライブにもよく来てくれていたんですけど、「なんで「ダディーズ・シューズ」みたいに私をヒロインにした曲を作らないの?」って言われたことがあるんです(笑)。今回はそれを思い出して「ファンキーバァバ」を作りました。

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―一方で、「言ワズモガナ」は二女の俳優、石橋静河さんのことを歌っていますね。

石橋:子どもたちのことを歌うのは今回が初めてなんです。歌詞の冒頭で、〈頑張ってるから頑張りなって言わないよ〉って歌っているんですけど、これはたまに家に帰ってきたときに交わした日常会話なんですよ。〈時代は変わった〉という歌詞もあるんですけど、阪神・淡路大震災のときや、東日本大震災のときなんかに、「がんばろうKOBE」とか「がんばろう ふくしま!」とかあったじゃないですか? でも、被災された人たちが「俺たちもう、がんばってるよ。これ以上何をがんばればいいんだよ」という場面を報道なんかでよく見たんです。「がんばれ」という言葉は場合によってはその人にとっては過度なプレッシャーやストレスを与えてしまうんじゃないかなと思うんです。娘との日常会話と、「がんばっている人にがんばれって言うのは時代的にもう違うのかな」という思いも込めています。



―他にも1曲の中に色んな意味合いが込められているように感じられます。「LITA」はどんなテーマで書いた曲ですか?

石橋:経済学者のジャック・アタリさんが10数年前に出した著書の中で、難民、貧富の格差、気候変動、テロの脅威といったカオスから脱却するために1つだけ希望の光があるとしたら「利他主義」だって書いているんです。例えばトランプ前大統領が「アメリカファーストだ」とか平気で言ったり、中国の覇権主義だったり、世界のリーダーたちが「利己主義」を押し出したけど、それに反する利他主義という言葉に僕はすごく共感したんです。日本人はもともと人のことを思いやる心とか、そういうものを美徳として持っている国民だと思うんですけど、「自分は利他主義でやってます」って言うのもなんかちょっとなと思って(笑)。

―それをそのまま主張して共感を得るのはむずかしいかもしれないですね。

石橋:その言葉を広めるために自分ができることは音楽として伝えることなので、ダンサブルなサウンドに乗せて、「LITA」という女性が世界から愛されて憧れられるということで1つのメッセージにできないかなと思って書いた曲です。聴いているうちに、「あ、これは利他主義の利他なんだ」って気付いてもらえたらいいかなと思います。

―利他主義というお話とも繋がると思いますが、最後の「Dr.TETSU」ではアフガニスタンで医療に従事して2019年に銃撃によって亡くなった中村哲医師のことを歌っていますね。

石橋:NHKで中村哲さんのドキュメンタリーを数本を観て、その生き方、マンパワーに本当に感動して、「こんな誇れるすごい日本人がいたんだよ」ということを歌にして、若い人たちに伝えて行こうと思ったんです。今おっしゃったように、哲さんは利他主義を体現した方だと思います。哲さんの足跡を追ったドキュメンタリー映画『荒野に希望の灯をともす』を観たんですが、哲さんはもともと脳神経科医で、アフガニスタンに赴任されて現実に遭遇して、現況を変えるべく白衣を脱いで自らショベルカーに乗って堰を作って用水路を作った。それで砂漠だったところが数年後には緑に一変して農作物ができて、綺麗な水、食べ物を現地の人に与えて、65万人の命を救ったんです。

―それを、〈彼はDr.TETSU 義を貫き 砂漠の地を緑に変えた〉という歌詞で歌っているんですね。

石橋:映画の中で、「自分は医師として来たもののなんで土木作業の恰好をしているんだろう」って、自嘲気味に話しながら、「でも自分はこの人たちを見捨てて帰ることはできない」とおっしゃってるんです。利他主義であり、義の人ですよね。その映画を作った監督さんが最近になって、「「Dr.TETSU」を聴いて涙が出ました」って電話をくれたんです。じつはその方は、20年前にあるテレビのドキュメンタリー番組で僕と一緒に中国の砂漠に行った報道カメラマンの方で、NHKのドキュメンタリーもその方が作った作品だったんです。

―20年ぶりにお会いになったんですか?

石橋:そうなんです。それで、その方と一緒に映画を観に行ったんです。東中野の小さな映画館で上映されていましたけど、毎日満員でした。それだけ、みんな哲さんの功績を讃えているんだなって。今回、アルバムのプロモーションとして四国の新聞社の取材を受けたときに、若い女性記者さんから「凌さん、中村哲さんこそ国葬ですよね」って言われたんです。その後、名古屋のラジオで年配の男性パーソナリティーの方も同じことを言っていたんですよ。僕もまったく同感でした。多くの人にはそういうことがわかってると思うんですよ。だけどそれがなかなか口に出せない。でも僕はそれを10代、20代の頃からずっと歌い続けていますからね。



―確かに、バンド時代からソロになってからも一貫して社会的なテーマを歌っていますね。

石橋:当時から僕が1つのテーマにしている反戦歌を歌っていると、事務所の人とか周りの人に「そんな絵空事のような歌は日本ではウケないし、売れないよ」って言われたんです。でも1980年代から現在まで、世界中のどこかで戦火が上がってるんですよね。それで今回のウクライナのことがあるわけじゃないですか? それでもまだ俺に「絵空事だ」って言えるのかって思うんですよ。当時、「じゃあ何を歌えばいいんですか?」って聞いたら、「男女のラブソングだよ」って言われて、「人のことを思うから反戦歌を歌うのであって、僕は究極のラブソングだと思いますよ」って言ったんです。そういう問題意識というのは、幼少の頃に聴いたジョン・レノンやボブ・ディランから学んだことなんです。1枚のアルバムの中に、男女のラブソング、友だちの歌、家族の歌、仕事の歌、世の中で起きている理不尽なこと、戦争の歌まで1枚に共存していた。自分はプロのミュージシャンになったら、それを日本語で歌っていきたいと思っていたんです。ところがいきなり「歌詞に政治的なこと、社会的なことをひと言も入れるな」って言われた。僕は来年でデビュー45周年になるんですけど、自分としてはロックミュージックの本質を表現してきたと思っているんです。ところがそうすると「メッセージバンド、社会派バンド」として扱われて、それはイコール日本では売れないバンドなんですよ。本当はそういう歌ばかりじゃなくて、親父のことを歌ったり、男女のラブソングもある。その延長戦上に反戦歌もあるんですけど、それは歌っちゃいけないと言われるんですよ。



―特別なことじゃなくて、欧米の音楽から学んだことを日本語で自分なりに表現しているだけということですよね。

石橋:そうです。「ネオ・レトロ・ミュージック」を掲げているのはなぜかというと、自分はもう一切「ロック」という言葉を使いたくないんですよ。ロッカーとか、ロックシンガーと名乗るのも止めました。僕はもう、日本という国は「ロックミュージックというものが根付かない国」だって捉えているんです。自分がアマチュアバンドをやっていた1960年代後半~70年代の博多には、鮎川誠さんがやっていた本物のブルースロックですごい音を出すサンハウスがいて、名古屋にはセンチメンタル・シティ・ロマンスという本当に上手いツインギターのバンドがいて、大阪には憂歌団をはじめ、ウエスト・ロード・ブルース・バンド、上田正樹とサウス・トゥ・サウス、金沢にはめんたんぴん、東京にはPANTAさん(頭脳警察)がいて。当時は日本にも、テクニックもスピリットも海外のミュージシャンと引けを取らないロックミュージシャンがいたと思うんです。だけどそれが日本ではビジネスにならなかったんです。その代わりに出来たのがニューミュージックという音楽ですよ。確かに良いメロディの曲はありますけど、歌詞に於いては臭いものには蓋をしろ、の本音がない全部建前の音楽。その後、J-POPという言葉が出ましたけど、相変わらず、そういうことを歌うバンドは度外視されるじゃないですか?

―ただ、直接的にではないにせよ、洗練させていたり、オブラートに包むように表現することで主張しているミュージシャンは多くいるとは思いますよ。

石橋:そうですね。冒頭に「メッセージは昔と変わらないけど、聴きやすいですね」というようなことをおっしゃってくれたじゃないですか? 聴きやすくしようというのは今の僕にもあるんです。昔は本当に歌詞もビートもサウンドも直線的だったんですけど、それはある人たちからは支持されました。でも絶対多数からすると、ほんの一部なんですよね。今名前を挙げたような本物のロックミュージシャンたちが報われていないということが、僕はすごく残念なんですよ。



―それこそ、忌野清志郎さんなんかはロックが伝えるメッセージを生涯貫いていたと思います。

石橋:清志郎さんとは(RCサクセションとARBで)80年代にイベントでよく一緒になりましたけど、じつは深くは話せていないんですよ。チャボさん(仲井戸CHABO麗市)とはここ7~8年ぐらいで共演させていただいているんですけど。チャボさんにその頃の話をすると、「いやあ、俺たち(RC)は引きこもりだったからね」って言うんですよ(笑)。

―あまり積極的に他のミュージシャンと交流する方々じゃなかったみたいですね(笑)。

石橋:そうなんですよ。そういえば当時、大阪のイベントで一緒になったときに、清志郎さんが遠くの方で僕らの「BAD NEWS(黒い予感)」という曲を歌っていたことがあるんですよ。〈あちこちでクーデターが起こり出す〉っていう部分を歌っていたんですけど、そのときは何も話さずに終わったんです。それを後年チャボさんに話したら、「凌、それは清志郎一流の愛情の示し方だよ」って言ってくれて。その当時はライバル視もあったでしょうし、RCだけじゃなくて他のバンドもみんな距離があったんですよね。でも自分としてはもちろんRCには一目置いてました。清志郎さんの曲には、本当のラブソングもあるし、原発の歌もありますけど、そこには清志郎さんの戦いもあったと思うんですよね。

―それにしても、「ロックという言葉を使うのは一切やめた」というのはちょっとショックを受けました。

石橋:そうですか? でもやっぱり、あれだけの時間をかけて本質だと思ってやってきたことが、暖簾に腕押しみたいな感じで受け入れられなかったという気持ちがあるんです。

―「ヴィンテージ・ラブ」では、デジタル時代の音楽や映画へのアンチテーゼを歌にしていますね。ただ、実際にこのアルバムもサブスクリプションで聴けますし、それで石橋凌の音楽を知った、という人もいると思うんです。時代の変化による音楽の聴かれ方についてはどのように感じていますか?

石橋:配信も含めて利便性は高まったと思いますけど、アナログとデジタルを比べると、音像として低域がちゃんとあって圧倒的にアナログの方が良いわけです。PCやスマホで音楽を聴くと、中域しかない音でものすごく違和感があるんですよ。果たしてこれを音楽と言えるのかなって。同じことが映画でも起こっていて、デジタルより絶対35mmのフィルムの方が画が良いんですよ。色の深み、あたたかさはフィルムの方が圧倒的に豊かなんです。歌詞にも書いてますけど、進化しているようでじつは退化しているんじゃないかなって、ずっと思っていたんですよね。



―「愛をありがとう」はラテン調のムードのある曲で、年齢を重ねていないと歌えない包容力があるボーカルが魅力です。

石橋:なるべく気持ちを一番大事にしたいと思っているので、自分の中では「上手く歌おう」というのもないんですよ(笑)。それと、ミュージシャンのみなさんには「極力少ない音数でグルーヴを作ってください」とお願いしました。というのも、音楽でも映画でもあまりにも説明過多なものが多いと思うんですよ。昔の名曲、名画はどこかに余白があったと思うんです。

―歌う上でも、そういう意図で余白を作っているわけですね。

石橋:これは、俳優業とちゃんと向き合い始めてからなんですけど、ある人のインタビュー記事に「歌は芝居のセリフを言うように歌いなさい。芝居のセリフは歌を歌うように喋りなさい」と書いてあって。それは見事に的を得ていると思いましたし、なるべくそういう風に歌おうと思っています。



―なるほど、だから舞台を観ているような感覚で聴こえてくるのかもしれないですね。

石橋:このアルバムをそういう風に言ってくれる方はいますね。「ミュージカルを観ているように聴いている感じがします」とおっしゃっていただいたりします。

―現在、3年ぶりの全国8都市でのコンサートツアーを11月6日の東京日本橋三井ホールまで開催中ですが、久々のツアーの感触はいかがですか。

石橋:2年前に「石橋 凌 with JAZZY SOUL」のライブをコットンクラブ東京でやったときに、ステージに登場してマスクをしているお客さんを観て瞬間的に思ったアイデアなんですけど、もしマスクをしているけど心の中で歌っているという人がいたら、手を胸に当ててください、女性は手を頬に当ててくださいとお願いしたら、みなさん見事にボディアクションで返してくださったんです。もちろんお客さんの声は聴こえないですけど、ちゃんと楽しんでくださってる、喜んでくださってるのがわかりました。今回もそれを全会場で冒頭に言ったところ、みなさん返してくれているので、それはありがたいですね。ツアーではアルバム10曲全部と旧曲を織り交ぜてやっているんですけど、みなさんすごく新譜を聴いて下さっているのがわかって新旧の曲が遜色なくやれてますし、楽しんでもらっています。是非、ライブにいらしてください。


<リリース情報>



石橋凌
『オーライラ』
発売中

=収録曲=
1. 粋な午後
2. KEEP IN TOUCH!
3. 素晴らしき歌
4. オーライラ
5. ファンキー バァバ
6. LITA
7. 愛をありがとう
8. ヴィンテージ・ラブ
9. 言ワズモガナ
10. Dr.TETSU

<ツアー情報>

コンサートツアー2022「KEEP IN TOUCH!」
2022年11月6日(日)東京・日本橋三井ホール
開場 16:00 / 開演 17:00
指定席¥9000(税込)
TOUR MEMBER:Gt.藤井一彦 key.伊東ミキオ B.渡辺圭一 Drs.サンコンJr. Vn.太田惠資 Sax.梅津和時
ツアーメンバーにつきましては予告なく変更となる場合もございますので予めご了承ください。

https://www.red-hot.ne.jp/sp/ishibashiryo/

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