J・ディラを支えた敏腕エンジニアが語る「伝説の裏側」「音作りの秘密」「マカヤの凄み」
Rolling Stone Japan / 2022年10月20日 17時30分
ニューアルバム『In These Times』が大きな評判を集めているマカヤ・マクレイヴン(Makaya McCraven)。ジャズ・ドラマーであり、コンポーザーであり、プロデューサーでもある彼の音楽は「ジャズとヒップホップ」もしくは「生演奏とポスト・プロダクション」の共存の最先端にあるもので、そこには様々な文脈を見出すことができる。
まずは拠点・シカゴとの繋がりでいうと、彼はアート・アンサンブル・オブ・シカゴから続く同地のジャズ史や、日本でシカゴ音響派と呼ばれてきたポストロックの系譜を継ぎ、所属レーベルのInternational Anthemがここ10年で築き上げたコミュニティを象徴するような存在といえるだろう。
かたや「ジャズとヒップホップ」の関係に目を向けると、マカヤは以前から影響源として、マッドリブとJ・ディラの名前を挙げてきた。彼は(多くのジャズ奏者と同様に)J・ディラのビート感覚を通過しつつ、マッドリブが実践してきた大胆なサンプリングやエディット、イエスタデイズ・ニュー・クインテット名義などにおける生演奏とのコンビネーションにも刺激され、その影響を独自に発展させている。
マカヤ・マクレイヴン(Photo by Sulyiman Stokes)
こういった文脈からも見逃せない影のキーマンが、マカヤが起用しているエンジニアのデイヴ・クーリー(Dave Cooley)。彼はJ・ディラ『Donuts』やマッドヴィリアン『Madvillainy』を筆頭に、Stones Throwによる伝説的名作のマスタリングを一手に引き受けてきた。M83、アニマル・コレクティヴ、テーム・インパラなどロック方面でも存在感を示しつつ、近年はマカヤにジェフ・パーカーなど、International Anthemの先鋭的なジャズ作品も手掛けている。
さらにデイヴは、再発レーベルにも重宝されてきた。Stones Throw傘下のNow-Againが発掘したファンク〜ジャズ〜サイケロックの数々や、日本でも話題になったLight In The Atticによるシティポップのコンピレーション『Pacific Breeze』のリマスタリングも担当。レアグルーヴ的な文脈も踏まえつつ現在の視点から最解釈することで、過去の名盤をふさわしい形で蘇らせてきた。時空を超越するようなサウンドを追求してきたマカヤが、デイヴの助けを求めたのはここにも理由があると思う。
今回、そんな重要人物にインタビューする機会を得た。ハイテンションな語り口で、次々と明かされる貴重エピソードの数々。International Anthemや現代ジャズのファンはもちろん、J・ディラやマッドリブを愛するリスナーの方々にもぜひ読んでほしい。
デイヴ・クーリーがJ・ディラについて語った動画(2016年)
―まずは改めて、「マスタリング」がどういった作業なのか説明してもらえますか?
デイヴ:僕の仕事は与えられたミックスを元に、アーティストが何を意図していたのか理解すること。そして、そのミックスに最後の磨きを入れるような作業を行い、解釈を引き立たせることだ。写真に例えるなら、色彩の調整に近いだろうね。曲と曲がひとつの繋がりになるように仕上げることで、アーティストがアルバムを通じて伝えようとした一連のメッセージを表現する手助けをしている。そのためには細やかな作業が必要なんだ。
デイヴが2001年、LAに設立したオーディオ・マスタリング・スタジオ「Elysian Masters」のホームページより
―あなたはエンジニアとして、2000年代初頭からStones Throwに携わっていますが、そこまでの経緯について教えてください。
デイヴ:Stones Throwのゼネラルマネージャーと、ナッシュビルにあるレコード屋の薄暗い地下で遭遇したことに話は遡る。僕は当時、自分のいたバンドでツアーをしていて、彼はナッシュビルでラジオ番組を持っていた。僕はビートを作るために、彼はヒップホップにつながる音楽の歴史を理解するために、古いジャズ〜ファンク〜ソウルの7インチをディグっていた。自分たちが手にした45回転盤を「僕はこれを買うよ!」みたいな感じで見せ合いながら興奮していた。
しばらくして、そのゼネラルマネージャーはLAに移り、僕も(出身地の)ウィスコンシン州ミルウォーキーからLAに引っ越した。それで「もしマスタリング・エンジニアが必要なら僕に声をかけてくれ」と連絡したら、彼から一曲依頼が来て、それをStones Throwが気に入ったんだ。「今日から僕らの全楽曲を手掛けてほしい!」と言われた。とはいっても、当時の彼らは今ほど多くのアーティストを抱えていたわけではなく、まだせいぜい5~10作品リリースしていた程度だった。そこから僕は、マッドリブやJ・ディラの初期作を全て手掛け、LA北東部から生まれたサウンドの一部になっていった。これが2000年〜2008年頃の話だね。
―7インチのコレクターどうしで意気投合したことも、仕事につながるきっかけとして大きかった?
デイヴ:そうだね。僕にはレコードコレクターやDJとしての経験があったから「仕事を任せても大丈夫だろう」と思ってもらえたんじゃないかな。
60年代のモータウンでは、昼はスーパーで働くエンジニア見習いが、「仕事をもらえますか?」と飛び込みでやってきて、「じゃあ君にはテープオペレーターをやってもらおう」みたいな感じで、後に名盤となるレコードにも携わることができたらしい。2000年代初頭の僕はまさしくそんな感じで、まだ自分なりのやり方を探っていた時期だった。そこで、自分がレコードコレクターとして聴いてきたサウンドみたいにすることを意識していたら、その後も仕事の機会をもらえるようになったんだ。それに当時は僕だけではなく、Stones Throwも一緒に成長していた。
マッドリブとJ・ディラの伝説的エピソード
―Stones Throwの作品にはレーベルカラーとも言うべき独特の質感があると思います。あなたの貢献に依るところも大きいと思いますが、Stones Throw独自のサウンドとはどんなものだと考えていますか?
デイヴ:レーベルを運営しているクリス(ピーナッツ・バター・ウルフ)と、それについて話したことがある。一緒にやってきて気づいたのは、彼らが「完璧じゃないもの」を好むということだった。どことなくブロークンなサウンドを好み、ビートは細かいところまで決まっている必要はなく、それはチューニングやサウンドのプレゼンテーションについても当てはまる。こういった傾向の多くは、マッドリブに由来するものだと思う。
マッドリブの音楽にはカオスなサウンドがたくさん詰まっている。僕は手伝うようになってから、彼のサウンドを風変わりにしている要因が何なのか分析した。そこから自分が知るテクニックを駆使することで、もっと混乱したものにしてやろうと考えた。
―というと?
デイヴ:平たく言うと、「いかにサイケデリックなものにするか」という発想だね。コンプレッサーを使ってキックドラムに破裂しそうな勢いを持たせ、強烈なハイエンドによってリスナーの耳を惹きつけるようなものに僕は仕上げた。さらに、アナログだけではなくデジタルなものも含めて、様々な機材やエレクトロニクスを用いたトリックを駆使することで、奇妙な息遣いやフィーリングを作り出した。
僕が初期Stones Throwで手掛けたヒップホップのレコード、J・ディラやマッドヴィリアンは、全てマッドリブ・サウンドの延長線みたいなところがある。僕らは互いにフィードバックを及ぼし合いながら、あの時代のサウンドを作り上げていった。ただ、あのときの僕らは「レーベルのサウンド」というものが、当時のLAのあの場所からから生まれていたということに全く気づいていなかった(笑)。
マッドヴィリアン『MADVILLAINY』(2004年)
J・ディラ(当時はJay Dee)とマッドリブのコラボ作、Jaylib『Champion Sound』(2003年)
―そうやって生まれたStones Throwのサウンドが、世界中のミュージシャンに影響を与えるようになったわけですよね。
デイヴ:マカヤが僕のところにやってきた理由の一つは、「あのサウンド」を求めているからだと思う。マッドリブが2000年代初期にやってきたことに、マカヤがインスパイアされていたのは明白だったからね。だから、彼は(『In These Times』を)ミックスする段階で、ああいったサウンドに通じる息遣いや迫力のあるコンプレッションを音楽やビートに与えていた。
とはいえ、実際のミックスでは、そういったサウンドは半分程度に留められ、残りの半分はオーケストラなどを中心にハイファイなサウンドに仕上がっている。マカヤの新作における僕の仕事は、Stones Throw的なサウンドを与えすぎないことでもあった(笑)。具体的にはビッグなサウンドに仕上げつつ、彼が作ってきたものはそのままにして、過剰な作業を施さないように心掛けた。
―マッドリブは別名義も使い分けながら、ジャズ系のプロジェクトにも取り組んでいましたよね。イエスタデイズ・ニュー・クインテットや『Shades Of Blue』(2003年)でのビートメイクと生演奏が融合したサウンドも、マカヤに影響を与えていると思います。これらの作品を手がけたときの話を聞かせてください。
デイヴ:僕が当時考えていたのは、とにかくクレイジーで熱狂的なサウンドにすること。当時のLAのナイトクラブ、特にFunky Soleでは誰もが7インチのヒップホップをプレイしていた。そこでは即座に興奮してクレイジーになれるサウンドが求められていて、それは彼ら(マッドリブなど)が自身のレコードをプレイするうえでも同様に必要な要素だった。だから細やかに作りこむことは求められず、迫力のあるベースがあれば良かったんだ。
そういったジャズのレコードでは、ルディ・ヴァン・ゲルダー(Blue Noteサウンドを生み出したエンジニア)によって礎が作られたアナログな録音が求められた一方で、僕らは使える技術をすべて駆使していた。デジタルのマルチバンド・コンプレッション、パンニング、アナログ・コンプレッサーといった具合にね。それでいてデジタルでハイエンドなものも使いたい放題で、軽さとは無縁のクレイジーなサウンドになった。
―だからこそ、ビンテージな質感なのに新しい音楽に聴こえたわけですね。
デイヴ:当時の僕らは誰一人として、それらのアルバムが後年のヒップホップやジャズのシーンにおいて、ここまで影響力を持つことになるとは考えていなかった。ただ単に、楽しみながらやっていただけとも言える。スタジオだけではなく、車のなかで聴いてみたり、クラブでDJをしてみたりと様々なチェックを経て「これなら世に出してもいいだろう」というサウンドに漕ぎ着けていった。かなり革新的だけど楽しくて、そこにはルールが存在しない時間が流れていた。今になって聴き返すと、そこまでハイファイではない部分もあるかもしれないけど、繰り返し聴きたくなる楽しいサウンドが詰まっているよね。
イエスタデイズ・ニュー・クインテット、デイヴは2作目『Stevie』(2004年)のマスタリングを担当
Joe McDuphrey Experience、Ahmad Millerはマッドリブの別名義(共に2003年)
―J・ディラについても聞かせてください。『The Shining』や『Donuts』(共に2006年)には、特有の空間的なサウンドがありますよね。彼の作品をマスタリングしながらどんなことを経験したのでしょうか。
デイヴ:僕はディラが当初、クリーンでブーンバップな音、それこそ彼がファーサイドなどと90年代に作っていたサウンドを求めているのかなと勝手に思っていた。でも、一緒に作業していたら「それは違うよ。俺が求めているのはLAのサウンドだ。もっとマッドリブ的なサウンドを取り入れようぜ」という感じだった。ディラは自分が何を求めているのか、はっきりと把握していたんだ。
あのスペイシーなサウンドについても、彼とのミキシングから多くのことを学んだよ。『The Shining』に収録された「Wont Do」をミックスしたときのエピソードを話そう。ディラが「このディレイをキーボードに試してみて。付点8分をこちら側のスピーカーに振って、8分音符のディレイを逆側に振ってみたりするのはどう?」と言うから、ハードにパンニングして空間をワイドに扱った。彼は僕の後ろでソファーに座りながら「こういうのをトライしてみてよ」って次々に指示していた。まるでヒップホップ界のアマデウスだったよ。僕がサウンドを形にする前から、彼の頭のなかでは完成形の音が鳴っていたんだ。
―すごい話!
デイヴ:それでいて彼は、僕なりの仕事をすることも許してくれた。彼がマッドリブ的なサウンドを想定してビートを作ったとき、ミキシングの時点で迫力が足りなかったことがあってね。「どうやったらエネルギッシュになると思う?」と言われたから、僕は「こういうトリックはどう?」って感じで、Pro Tools上でハイハットに隠れるようにキックドラムを抑えるトリックを施してみた。僕はハイハットやハイエンドなパートを作り込むことで、マッドリブがサンプラーのSP-808で作ったビートに通じる、グルーヴィーなフィーリングを持ち込んだのさ。そんな感じで、僕とディラは互いに影響を与え合っていたところがある。僕がマッドリブとやってきたことがJ・ディラに影響を与え、僕自身もJ・ディラの手法から多くを学ばせてもらった。
過去の音楽を蘇らせるために/日本の音楽に思うこと
―Stones Throwと傘下レーベルのNow-Againは、『The Funky 16 Corners』(2001年)、『The Third Unheard: Connecticut Hip Hop 1979-1983』(2004年)、スターク・リアリティなど、2000年代初頭からリイシューも精力的に送り出してきましたよね。僕も当時、過去のレコードだけど「今の音楽」として聴いていました。エンジニアの視点で、そのように感じる秘密を聞かせてもらえますか?
デイヴ:イーセン・アラパット、つまりEgon(Now-Again主宰)はかなり早い段階で旧作のレストアを始め、その機会を僕にオファーしてくれた。彼には非常に感謝している。
僕がリマスタリングをするうえで最も大切にしているのは、「Do no harm(危害を加えない)」。最大限オリジナルに忠実にしておきながら、ほんの少しだけベターな状態にするのが重要なんだ。
そして、あの時代にリマスタリングをするうえで、僕が気にかけていたのは低音をきちんと扱うこと。元々のレコードよりも、もっとフルに出すべきだと考えていた。当時はDJたちがプレイするような状況だったから、彼らがプレイする他の音楽に負けないようにしなければならなかった。当時のLAでは多くの人々がヒップホップをクラブでプレイしていたので、ラウドかつ低音をソリッドに仕上げるという2点を大切にしていた。
スターク・リアリティ『1969』(2003年)
『The Funky 16 Corners』
『The Third Unheard: Connecticut Hip Hop 1979-1983』
―だから、クラブでかけてもバッチリだったんですね。
デイヴ:ただ、現在の僕のリマスタリング哲学は少し変化している。「Do no harm」は相変わらずだけど、当時ほどラウドにはしていない。それに今の方が、もっと細かいところまで注意を払っている。発売当時にタイムスリップして聴いたとしても、ベストなサウンドに思えるものを目指している、と言えばいいのかな(笑)。
それにリマスタリングするときは、オリジナルのレコーディングにどれだけノイズが入っているのか、それをどこまで取り除くのかが重要になってくることもある。ましてや、マスターテープの存在しないものをリイシューする場合もあって、それこそEgonと当時やっていた仕事の多くはヴァイナルをソースとしていたけど、それらをマスターテープから作り直したようなサウンドにしなければならなかった。ナイスなターンテーブルでも再生できるように、ポップやクラックノイズにも注意しなければならない。そういうときは音楽へのリスペクトを十分に持ち、かなり慎重に作業するように心掛けた。僕が当時携わったレコードは、リイシューにもかかわらず今でも素晴らしいサウンドだと思うし、現在も多くのDJたちがプレイしているよね。
デイヴが手がけてきたリイシューワークの一例
―Light In The Atticでは、『COCHIN MOON』『はらいそ』など細野晴臣のリイシューも手がけていますよね。そういった日本のレコードをマスタリングしたときのエピソードも聞かせてください。
デイヴ:僕は17歳くらいの頃にYMOのレコードを買ったし、彼らの音楽には馴染みがあった。とはいえメンバーのソロ作まで深追いしていたわけじゃなかったし、細野がYMOのサウンドにどの程度貢献しているのかも把握してなかった。昔はアメリカ人として、彼のソロワークまで詳しく知る術がそんなになかったからね。でも、今は日本人がファンクの7インチを研究しているのと同様に、僕も日本の音楽をどんどん探求しているところだ。
Light In The Atticでは、シティポップのコンピレーション(『Pacific Breeze』)にも携わった。こんなにもクールな音楽があることに、僕はレコードコレクターであるにも関わらず、最近まで気づいてなかったんだ。それでいろいろ聴いていたら、あの時代の日本のレコーディングのいくつかには高周波帯の情報がたくさん詰まっていることに気がついた。言い換えると、たくさんのディテールが詰まっていたんだ。
―というと?
デイヴ:僕は(日本の音源の)リマスタリングを行う際に、少しだけハイを抑えている。日本のエンジニアリングは驚くほど高水準だし、マスタリングエンジニアの腕前も素晴らしい。ジャズのリイシューにおける録音を聴くと惚れ惚れするよ。ただ、当時はCDが流通し始めた時代で、CDが正確なハイを提供できる新たなメディアだったことに人々は興奮していた。それはたしかに、ヴァイナルにはできなかった技術的な革新だった。だから、最大限にその技術を駆使することで、ディテールを追求しようとする動きが主流だった。
でも2022年現在、多くの人々が当時を振り返りながら「そこまで強烈なハイは要らないかも」と考え始めている。だから、僕はもっとヴァイナルらしいサウンドに仕上げることにした。アイデンティティの根本からは変えることなく、アナログでのプレゼンテーションを前提に、特に低音について充足したサウンドを目指した。僕が携わったリイシューでは、音量を上げても耳に痛いサウンドではなくなっていると思う。ハイが強い音楽は、音量を上げると聴いていて辛いし、アンプの目盛りもせいぜい3〜4くらいまでしか上げられない。これだと本当に音楽を楽しめる音量で聴くことができなくなってしまうから、僕はハイを抑え気味にするようにしているんだ。
マカヤはジャズにとって「希望の光」
―ここからようやく本題です。あなたはジェフ・パーカー『The New Breed』(2016年)以降、 International Anthem作品のマスタリングも手掛けていますが、このレーベルにはどんな印象を抱いていますか?
デイヴ:レーベルのスタッフ全員がクオリティに対する高い基準をもっているよね。彼らが作り上げてきたものに対して、僕は本当に驚いている。ジェフを通じてInternational Anthemのアーティストが僕のスタジオにやってくるようになったことを光栄に思っているよ。彼らには固有のアプローチがあり、ジャズに新たな風をもたらしているよね。
その一方で、僕は西海岸でエイドリアン・ヤングとアリ・シャヒード・ムハンマド(ATCQ)による『Jazz Is Dead』シリーズにも携わっている。『Jazz Is Dead』って名前はとてもシニカルだよね。もちろんジャズを演奏・録音している人たちはずっといたわけだけど、文化的なシーンとしてはほとんど注目されていなかった。僕が10代だった頃を最後にジャズはしばらく停滞していたけど、今は『Jazz Is Dead』やInternational Anthemといったムーブメントに希望の光を感じている。今日でもジャズが「生きた音楽」として演奏やレコーディングされ、たくさんのオーディエンスが歓迎してくれるのはとても美しいことだと思う。
―マカヤ・マクレイヴンの『In These Times』は、International Anthemにとっての最新作でもあります(XL、Nonesuchとの共同リリース)。このアルバムの客観的な印象について教えてください。
デイヴ:Stones ThrowやJ・ディラの音楽にあった不完全なタイム感を、彼なりに解釈しているように感じた。プログラミングと生のパフォーマンスを組み合わせているけど、具体的にどのトラックがどうだったのかは、未だに僕もわからない。実際、僕が思っている以上に生の要素がリズムセクションには多いかもしれないし、そもそものレコーディングがサンプルっぽいようにも作られている。
リズムに関してもかなり複雑なことが起きていて、フライング・ロータスみたいに様々なレイヤーを複雑に重ね合わせたところもあれば、巧みに作り上げたライブ感もある。オーケストラの要素は、アルトゥール・ヴェロカイなどのブラジル音楽に通じるものを感じた。これらの要素を融合させることで、彼はすごく面白い音楽を作り上げた。
緻密に作り上げられたハイファイなサウンドは、トラディショナルなジャズのファンも満足させるだろう。スタジオでのマイクの使い方も巧みで、緻密なオーディオ体験を生んでいるし、その一方で生々しくサイケデリックな側面もあって、そこはStones Throwに通じている。とても洗練されたアルバムだから、一部のリスナーが楽しむだけじゃなくて、そのうち映画やテレビで使われることもあるだろうね。
―『In These Times』は様々な時期に、様々な場所で録音した演奏を組み合わせたアルバムだと、マカヤ本人が語っていました。それにも関わらず、ミュージシャンが同じ場所に集まって録音したスタジオ・セッションもしくはコンサートのように聴こえるわけで、かなりの手間がかかっているのは間違いなく、マスタリング作業も大変だったのでは?
デイヴ:実はミックスがかなりの出来だったから、僕がやるべきことはほとんどなかった。僕がかつてStones Throwで手がけてきたフィーリングを、すでに彼らはビートに込めていたんだ。だから僕としては、古典的なジャズのようにスウィートで、もっとImmersive(没入感のあるもの)に仕上げることにフォーカスした。リスナーに「自分は今どこにいるんだ?」と思わせるくらい異次元に連れて行くことを考えた。
具体的にやったのは、高周波帯を少し汚したり、ステレオのフィールドのなかで少し揺らしてサイケなアコースティック感を作ったくらいだね。あとは、トラック間でのローエンドのばらつきをマッチングさせたり、少し突出した特定の楽器のインパクトを抑えて、アルバム全体の収まりを整えたりもした。
マスタリングするときって「このアルバムは何か足りないけど、もう少し僕のほうでエネルギーを与えるべきなのだろうか?」と考えることもあれば、「この素材はすでに考え尽くされていて、20種類くらいのスピーカーで視聴したものなんだろうな」とわかることもある。後者の場合はできることが本当に限られてくるんだ。日本的なミニマリストのアプローチで、シンプルなものを作るというのは時に困難なことでもあり、今回はまさしくそういう場面が多々あった。そこで僕はこれまでの経験に則り「ここは仕事をしすぎないことが大切だ」と悟った。今回に関しては「スウィートに仕上げる」のが適切なやり方だったと思うね。
―最後に、あなたがエンジニアとして指針にしてきたレコードを教えてください。
デイヴ:これは何枚も挙げたいね(笑)。僕はDJのバックグラウンドもあるから、ジャンルでレコードを聴いてきたところがある。その一方で、エンジニアとしては特定の周波帯に対するインパクトやコンプレッションに着目するといった、別の視点から音楽に触れてきた。巨大なミッドレンジが伴う音楽を手掛けるときは、例えばクイーンズ・オブ・ザ・ストーン・エイジの『Songs for the Deaf』(2002年)を参考にするだろう。500~700Hzでのクレイジーなステレオ像を得るために、どこまでやれば良いのかの一つの手本だ。
リル・ウェインの作品を聴くことで、50Hzをどこまで強調すれば試聴不能で、人々の心に届かなくなるのかの参考になる。彼の作品ってボーカルはかなり奥にあるのに、ベースがかなり手前で鳴っていることが多くて、それなのに技術的に成立しているんだよね。そういう前例があることもエンジニアとしては知っておくべきだし、破綻するギリギリまでプッシュしていく術も学んでおかなければいけない。
ドクター・ドレーの『2001』は、ヒップホップのリファレンスとして長らくスタンダードとされてきて、僕も低音のチェックに使ってきた。あとは、カニエ・ウェストのアルバムで(プロデューサー/エンジニアの)マイク・ディーンがやってきた仕事は素晴らしくて、爆発しそうな勢いを生み出してきた。低音にエッジが立って十分クレイジーになっているかを確認したいときは、『My Beautiful Dark Twisted Fantasy』をレファレンスとして何度も聴いてきたよ。純粋に忠実性を求めるだけなら、(マスタリング・エンジニアの)ケヴィン・グレイによる仕事ぶりも好きで、彼がBlue Note作品で手がけてきたハイレゾのマスタリングをたくさん参照してきた。
これらのアルバムはそれぞれ最高レベルに達している。最もラウド、最もミッドレンジが強烈、最も低音が効いたもの、最も忠実性が高いもの……僕はいつだって、このように様々なものを幅広く聴きながら、その先にどういったものが作れるのか考えてきた。他の人がどんなものを作っているのか耳を傾け、競争意識を持ってきた。それに僕はいつも(自分が関わる)アーティストがどういった背景を持ち、音楽の歴史や文脈を自分たちのものとして取り入れるために、どんな音楽を参考にしてきたのかをより深く理解しようとしてきた。自分だけの小さな世界に居続けることも出来るけど、僕は他の人たちをチェックして、自分の立ち位置を常に知っておきたいんだ。
【関連記事】マカヤ・マクレイヴンが語る、時空を超えたサウンドを生み出すための方法論
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