LOW IQ 01の青春時代「THE BLUE HERTS解散、AIR JAM夜明け前の1995年」
Rolling Stone Japan / 2022年11月14日 20時45分
LOW IQ 01のインタビュー連載企画「イッチャンの青春時代」。1994年を振り返った前回に続き、第13回は「1995年編」。イッチャンが過ごした1995年とは? 当時の世相とともに語り尽くします。
ー今回は1995年です。世の中的には阪神淡路大震災と地下鉄サリン事件が印象的ですよね。
阪神淡路大震災が1月17日の朝だったんだけど、前日の16日に横山健と難波章浩と西片明人と俺の4人で遊んでいて。0時を越えて17日の深夜、西片の家に「アップルパイ作ってあるからみんなで食べに行こう」って言って食べに行ったんだよね。俺はまだその時、携帯とか持ってないから、家帰ってさあ寝ようかなって思った時にテレビ点けたら、高速道路でバスがギリギリ落ちそうになっているところを見て、これは大変なことが起きてるぞってなったのをすごい覚えてます。
関連記事:LOW IQ 01の青春時代「SUPER STUPID結成、人生最大のパワーを使った1994年」
ーそれ以前のバンド活動も含め、関西方面にはツアーで行ってましたもんね。
バンドで最初に行ったのは1993年のアクロバットバンチで大阪のファンダンゴのライブだと思う。ダウンタウンが東京に出てきて、番組をやるようになっていて。その時に初めて大阪に行ったんだけど、「ダウンタウンの聖地にやっと行ける」ってなったのが衝撃だったから覚えてるのもあるかな。その時の対バンはキミドリとECDの石田さんだった。
ー震災当時、大阪の人とのやり取りとかはあったんですか?
その時はレスリングクライムマスターと仲良かった。結構みんな大変で、大阪行くにも何時間も歩いた話とか、すげー揺れて半端なかったって言ってたのを覚えてるな。
ー東京にいるとバンド活動が止まるとか、生活に支障が出るところまではいってなかったですよね。
自分の考え方がちょっと若かったのもあって、大阪には一度しか行ったことがなかったし、遠いことのように思っちゃってた。携帯も持ってなかったし、テレビのニュースと新聞の情報しか入ってこなかったから。
ー地下鉄サリン事件はどうですか?
当時、渋谷の東急ホテルでベッドメイクのバイトをしていて、仕事が14時ぐらいに終わったりするんだけど、家に帰ったら母方の田舎のおばあちゃんが心配して、「東京で大変なこと起きてるけど大丈夫?」って電話がきたんだよね。そこで「本当だ、すごいことが起きてる」ってなった。携帯電話ってやっぱり大きいんだよね。昔って外に出ちゃったら出っぱなしじゃない? 街頭でたまたま電気屋の前でテレビを見てニュースを知ったりとか、携帯電話がない時代って自分のところに入ってくる情報が遅いよね。
ー話はガラッと変わりますが、野球で言うと野茂が新人王を獲得した年でもあります。
日本人がピッチャーとして大リーグで活躍することは、まさに後のハイスタの活躍に繋がるというか。日本人が海外に行って向こうのバンドと一緒にライブをやるのに近いイメージを持った。当時、ダボダボのXXLぐらいのドジャース NOMO 16って書いてあるスウェット着てたしね(笑)。
ーこの頃からPHSのサービスも開始されました。
「ピッチ」って呼ばれてたやつですね。俺はピッチ持ってなくて最初から携帯で。TU-KAの本当に子機みたいなやつを使っていた。
ー携帯を持つようになって生活や音楽活動に変化はありました?
飲みに行く場所とか、集合しやすくなったかな。もちろんいつものたまり場はあったけど、携帯があると、より集まりやすいよね。
ーちなみに1995年はイチロー選手がオリックスで活躍してました。
オリックスが地元で「がんばろう神戸」をやっていて、イチローってこの時からすごいなって思う。俗に言うスターの「持ってる」ってやつだよね。本当にそこで頑張って優勝しちゃうんだから。
ーファッション分野だといかがでしょう?
この頃はもうヒップホップ、B-BOYじゃないかな。みんなダボダボのオーバーサイズの服だったね。俺はVANSとか履かないでTimberlandとか履いてた。みんな結構ニューヨークシティーハードコアの格好で、この頃は逆にステージで一番裸になってたよね(笑)。ステージに人が上がってきて、上半身裸でパンツも腰履きで、みんなダイブしてたイメージがある。
ー般的にはプラダが流行したみたいですけど、どうです?
小沢健二くんが「痛快ウキウキ通り」で「プラダの靴がほしいの~♪」って歌ってて、まさしくその時代。この曲では小沢くんのバックバンドとして、民放テレビに何回か出た。『HEY!HEY!HEY!』、『FAN』、他TBSとかかな。あと『ミュージック・ステーション』。だから、どこのバンドよりもMステには早く出てたんです(笑)。後ろの端っこの方で当て振りだったのに、「俺が身内の中で1番最初にミュージック・ステーションに出た」っていつも冗談で言ってるよ(笑)。
ー小沢さんのバックバンドをやるきっかけはなんだったんですか?
アクロバットバンチのパーカッションのオイちゃんが、今もやってるんだけど小沢くんのライブツアーメンバーで。それで「テレビ用におもしろい人集めてきてよ」ってなったらしく、「いっちゃんテレビ出ない?」って誘ってくれて、「出る!」ってなった。それこそ、その時のファッションのことはよく覚えてる。小沢くんのバックなのに黒の革のダウンジャケットを着て、黒のダボダボのパンツ履いて、FILAのスニーカーに丸坊主(笑)。ガルニのエイジの家でその日のMステを録画してもらってて、生放送が終わった瞬間にバックバンドのメンバーでタクシーに乗って、「エイジの家で今日のMステ観よう!」ってすぐ観たな。ダウンジャケットが大流行な年ですよ。そういった意味ではニューヨークカジュアルがヒップホップなんじゃないのかなって思うんだよね。バンドマンがつけないような18金とかのネックレスもつけてたし。
ーダウンジャケットでも、黒いダウンジャケットが特に流行りましたよね。
当時はノースフェイスがスタンダードだったんじゃないかな。横山健は当時、50ccバイクのゴリラに乗ってて、どこへ行く時にもノースフェイスのダウン着てたよね(笑)。
ー次にヒット商品の分野ではどうですか?
やっぱりWindows95だよね。俺はパソコンやらないけど、みんな仕事がだいぶ変わったんじゃないかな。デザインとかやる人はMacだと思うんだけど、この時はWindowsだよね。今でも電気屋でみんな並んでる映像ってWindowsだし。ふと思い出したけど、カシオの計算機がついてるデータバンクのゴールドを1995年の誕生日にもらって、今でも持ってると思う。だから、格好は完全にニューヨークスタイルでしたよ。1994年より前はどちらかと言うとLAのミクスチャー文化で、レッドホットチリペッパーズとか好きだったから、みんな短パン、スニーカー、Tシャツ、長髪か坊主みたいなノリだったけど、1994年ぐらいからニューヨークスタイルになっていった。シック・オブ・イット・オールが日本に初めて来たのも1995年だったと思う。初来日公演は新宿のアンチノックで、人がギュウギュウになって。俺がマーフィーズ・ロウのオープニングアクトをやったのも1995年。この頃、ニューヨークハードコアを日本が呼ぶようになって、マーフィーズ・ロウも初来日してたと思う。たしかSUPER STUPIDで出てるんだよね。ハイスタは新宿LOFTで、うちらは下北沢SHELTERでやって、COKEHEAD HIPSTERSとハイスタとマーフィーズ・ロウだったかな。あと、大阪のガールズバンドでウェディングドレス着てるドゥループっていうバンドと台風一家も一緒にやったかな。そういう意味では1994年がSUPER STUPID結成で、マーフィーズ・ロウが大好きだったから翌年の1995年で共演できてすごいうれしかった。
ー流行語だと印象に残っている言葉あります?
「ああ言えば上祐」。今で言うお昼のワイドショーで毎日出てたよね。ベル友も流行語に入ってるけど、ポケベルがギリギリで、これぐらいの時期から携帯が普及しているから世の中の流れではPHSだよね。しかもPHSって安くて5円とかだったから、当時のギャルはピッチ使ってた気がする。でもピッチは安い分、電波が悪かったんだよね。あと、俺らが思っているストリートとは違うけど、意外に1995年のコギャル文化はセンター街のイメージだよね。
ーコギャルに紐づけると、ヒット曲では安室奈美恵はまだ入ってきませんね。
ヒット曲で1位になってる「LOVE LOVE LOVE」は常盤貴子のドラマ『愛してくれと言ってくれ』。たしか電車のシーンが京王線だった気がするな(笑)。90年代あるあるだけど、ヒット曲は結局ドラマ主題歌なんだよね。
ードラマかCMかのどっちかですよね。
その中で意外なのはH Jungle With tだよね。H Jungleはお遊びから始まったものだけど、210万枚売り上げたのはすごい。覚えてるのは『HEY!HEY!HEY!』で、「ちょっと曲作ってよー」ってまっちゃんが小室哲哉に言って、最初は冗談だと思ってたんだけど、次の出演時にデモ音源を作ってきてて。まっちゃんが「何この音楽?」って言ってたのをすごい覚えてる。ジャングルって流行ったじゃん、そこのリズムを聴かせて本当になんのこっちゃ分からないみたいなダウンタウンのリアクションがすごいおもしろかった。曲の始まりはちょっとレゲエっぽいんだよね。スピッツの「ロビンソン」がヒットチャートに入っているんだけど、フジテレビの番組『今田耕司のシブヤ系うらりんご』の主題歌だったよね。この番組は渋谷で生放送でやってて、俺も渋谷でバイトしてたから、終わったら渋谷のCISCO LOUD店で溜まってみんなと遊んでて、帰る頃にちょうど番組がやってたから「ロビンソン」もすげー覚えてる。
ーこの時代って渋谷系も割りとお茶の間に出てきましたね。
この頃ってラヴ・タンバリンズが渋谷公会堂でライブやったり、当時インディーで10万枚売れてすごくて。「DA. YO. NE」.とかも流行っていて。
ー渋谷系とJヒップホップがチャートにも入ってくる時代がこの頃なんでしょうね。
イーストエンドで歌謡系ヒップホップって言われてた時代だよね。安室ちゃんがまだスーパー・モンキーズだけど、「TRY ME~私を信じて~」で世の中にはもう出てきてた。スーパー・モンキーズはまだMAXになってないんだよね。あと、大黒摩季の「ら・ら・ら」もこの頃で、中居くんの料理のドラマ『味いちもんめ』主題歌で、好きで観てた。
ーSMAPがもう出てきてるってことですね。
SMAPはもう全然市民権を得てますよ。来年ぐらいから『SMAP×SMAP』じゃない? 他音楽でいくと、奥田民生くんがまだソロで29歳だったんだよね。「俺も29歳でソロ出したんだよな」って言ってた記憶がある。「息子」って曲があって、カラオケ行った時にガルニのエイジが歌うって言って入れたら、全然違う演歌みたいな曲がかかってきちゃって「全然違うよ!」ってなったこともあったな(笑)。
ー連載でことあるごとに言ってますけど、歌謡曲からJ-POPにランキングも変わっている感じですよね。
昔ってオリコンのチャートが海外と一緒だったんだよね。日本人だけのチャートってなくて、海外の人も入ってきちゃってた。
ーコンピレーションアルバムも売れ始めた頃です。
そうそう、めちゃくちゃ売れてた! 90年代の人たちが四つ打ちのリズム、言わばエイベックスなんだよね。大体エイベックスがダンストラックみたいなのを出して、バカ売れして。結局安室ちゃんの最初の曲もユーロビートの速い四つ打ちだからね。
ードラマ分野で他に印象に残っていることあります?
バンド活動をするようになって、そんなにドラマを観なくなってきたのかもしれない。覚えてるのは『金八先生』の第4シリーズが始まるんだよね。小嶺麗奈が出てる。今までの金八シリーズの不良は大体が男だったんだけど、第4シリーズは初めて小嶺麗奈が演じる女の子が裏で糸を引いている不良役だったんだよね。挿入歌がバンドとヒップホップが一緒になっているメロンマンというバンドだった気がする。ついに杉田かおるが演じた15歳の母の息子あゆむくんが生徒で来るっていうシリーズでもあった。生徒会長の反田くんっていうのがいるんだけど、当時「横山健にそっくり」ってしょっちゅう言ってた(笑)。これでスポーツチャンバラとかも流行り出したんだよね。
ー他に記憶に残ってるドラマはありますか?
トレンディドラマがなくなって、バブルが時代とズレてきてた気がする。『家なき子2』も覚えてるな。あと、『未成年』はおもしろかった。90年代ドラマは、いしだ壱成の時代だよね。香取慎吾も結構ドラマに出てる。『いつかまた逢える』ってドラマは主演が福山雅治で、桜井幸子と今田耕司も出てて、この頃今田がドラマに出始めたんだけど、大根役者なんだよね(笑)。あと『人生は上々だ』は浜ちゃんが木村拓哉と組んで、中居くん、まっちゃんコンビの逆パターンだった。もうドラマの雰囲気が明らかに違いますね。
ー1995年の音楽面での大きなポイントで言うと、THE BLUE HEARTSが解散した年ですがイチさん的に1995年をまとめるとどうですか?
THE BLUE HEARTSが解散して、AIR JAMの夜明け前じゃない? 山口百恵がいなくなったら松田聖子が流行るみたいな時代の流れってあるんだよね。それで言うと、THE BLUE HEARTSとハイスタが入れ違った年だと思います。
<ライブ情報>
「MASTER OF MUSIC 2022」
2022年12月13日(火)川崎・CLUB CITTA
時間:OPEN 18:00 / START 19:00
出演:LOW IQ 01 & MASTER LOW、LOW IQ 01 & THE RHYTHM MAKERS+、イッチャンアッチャン(LOW IQ 01 × ホリエアツシ(ストレイテナー))
http://www.lowiq01.jp/
外部リンク
この記事に関連するニュース
-
「表のミュージシャンが裏社会に寄ってきた感じ」真心ブラザーズと奥田民生が急接近した瞬間「民生さんを知って衝撃的だったのは…」
文春オンライン / 2024年11月26日 11時0分
-
LUNA SEA、「愛を深めながら燃えた」41本にわたる最大規模ツアーの締め括り
Rolling Stone Japan / 2024年11月22日 20時0分
-
Billyrrom、「風」の時代に台風の目となる6人が語る自信と挑戦
Rolling Stone Japan / 2024年11月22日 18時30分
-
いまだに職務質問されるのは「小沢仁志のせい」“Vシネネオ四天王”山口祥行の素顔
週刊女性PRIME / 2024年11月10日 17時0分
-
ソロデビュー30周年を迎えた奥田民生が、45歳でアピールをやめたワケ。ずっと憧れられる存在でいるには?
集英社オンライン / 2024年10月31日 11時0分
ランキング
-
1矢田亜希子、27年前のハリウッド超大物との2ショット写真披露も…大慌て「本当に何もないですよ!」
スポーツ報知 / 2024年11月29日 5時30分
-
2松平健「暴れん坊将軍」17年ぶり復活!年明け1月4日に新作放送、三池崇史監督&脚本・大森美香がタッグ
シネマトゥデイ 映画情報 / 2024年11月29日 5時0分
-
3芸能事務所「サムデイ」破産手続き…松井咲子もコメント 藤原紀香、篠田麻里子ら所属
スポーツ報知 / 2024年11月28日 22時42分
-
4栗山英樹氏、大谷翔平の盗塁激増に驚がくしながら明かす「僕はケガする怖さがあって盗塁とかさせなかったんですよ」
スポーツ報知 / 2024年11月28日 22時33分
-
5《結婚は今世で12回目》竹内まりや・山下達郎夫妻の"魂レベル"の結びつきをさらに強くする「プラセボ効果」について心理士が解説
NEWSポストセブン / 2024年11月29日 7時15分
記事ミッション中・・・
記事にリアクションする
記事ミッション中・・・
記事にリアクションする
エラーが発生しました
ページを再読み込みして
ください