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ワイズ・ブラッドが語る、破滅的変化の時代に生まれたバロック・ポップ

Rolling Stone Japan / 2022年11月24日 17時30分

ワイズ・ブラッド(Photo by Neil Krug)

2019年の前作『Titanic Rising』が、米英の幾つもの有名音楽誌に年間最優秀アルバムの第1位に挙げられるほど、高い評価を受けたワイズ・ブラッド(Weyes Blood)。彼女は70年代のシンガー・ソングライターとソフト・ロックを再構築したような優美な音楽と、カレン・カーペンターにもよく比較される温かみのあるアルトの歌声で、黙示録的な世界で人びとが不安を抱えながら、愛を探し続け、分かち合おうとする姿を描く。

待望のニュー・アルバム『And in the Darkness, Hearts Aglow』は、コロナのパンデミックに見舞われ、人びとの孤立が深まる状況下で制作された。プレスリリースの本人の言葉によれば、前作が「これから起こることの観察であり、差し迫った運命の予感」だったの対し、今回は「次の段階に入って、つまり、私たち全員が今日置かれている状況、文字通りその真っ只中にいること」についてで、その渦中からの発信となったわけだ。前作の予測した孤立が今まさに現実となり、私たちはみんな破滅的な変化の崖っぷちにいるという認識を持ちつつ、人びとのつながりを求める切なる願いを表現している。不穏な空気との格闘から生まれた、情感あふれるバロック・ポップは、豊かなオーケストレーションを施されており、さらに完成度を高めた。

そのワイズ・ブラッドこと、ナタリー・メーリングにZoomでインタビューし、その新作についての話を聞くことができた。



―『Titanic Rising』の大成功はアーティストとしての人生にどういった変化と影響をもたらしましたか? あれほどの高い評価は自分のやっていることに自信を与えてくれたでしょう?

ナタリー:ええ、それは間違いないわね。扉を開けてくれた。それまでよりもツアーで多くの場所に行けるようになって、もっと多くの人に私の音楽を届けられるようになった。

―ニュー・アルバムは前作から始まる3部作の2作目だそうですが、『Titanic Rising』制作中から連作にしようと計画していたのですか?

ナタリー:自分が何を語っているのかをわかっていたから。次のアルバムが『Titanic Rising』から新たな展開をするものになると理解していた。すべてが希望や解決策についてのものになるとね。でも、ロックダウンが始まって、曲を書き始めたら、実際にはもっと暗く、もっと個人的で、内面的なものになった。だから、これは(前作からの)過程の続きのようなもので、3作目が新たな展開の作品となって、未来と希望についてになるわ。

―本作にとりかかったときは、まだパンデミックが起こるとは思っていなかった。

ナタリー:ショッキングだった。レコードを作り始めたばかりで、不意に止めなくちゃならなかった。まったく異なる環境でレコードを作らざるをえなくなり、万事が移行していった。自分の行く場所が自分自身の内側しかなくなったの。

―『Titanic Rising』には気候変動の問題が背景にありましたし、本作にはパンデミックを体験した社会が反映しています。あなたのソングライティングは常に私的な歌であっても、その社会状況と響き合っているようです。

ナタリー:マクロとマイクロの関係ね。社会の大きな出来事は構造的に、間違いなく私的な問題に影響を与える。この数年の間に、私たちが実際に目にしたのは、親密な人間関係が最先端のテクノロジーにすごく強いインパクトを受けるということ。どのようにコミュニケートするかの手段とかによってね。或る意味では、社会の組織を崩壊させて、私たちの社会について改めて考えさせた。そんなインパクトがある。マクロとマイクロの出会いがもたらす意味はこの期間に多くの人たちが語っていたことでもある。

―パンデミックがなかったら、新作は随分異なった内容になったと思います?

ナタリー:ええ。まったくね。


Photo by Neil Krug

―それでも、いずれにせよ、アルバムの表題にもある「暗闇の中で輝く心」を探すという方向性はあったんじゃないですか?

ナタリー:そうでしょうね。もしこれが起ったら、起らなかったらといった仮定はできないわけだけど。あの状況にこのレコードは強いインパクトを受けた。《最後の審判日》みたいな日々でもあって、多くの人にとって多くのことに光を当てることになった。そして、私たちは文化として不確定な時期に向っているという認識を明らかにした。

―「The Worst Is Done」で、「今の私は変わった」とか「私たちはみんなすごく気が変になった」と歌っていますが、パンデミックはあなたを、私たちを、社会を変えたと感じています?

ナタリー:そう思う。社会全体がもっと不安、憂鬱、疲労を、それまでに考えたことのなかった水準で感じていた。たくさんの感情の変化、疑問、そして若い人たちには、不確かさがとても現実的なものとして、大きなプレッシャーを与えている。そして人びとがとても孤立している状況はその助けになってないわね。そのために、私たちの仕事も人生もソーシャルメディアのなかで起こる状況に頼ってしまっている。

―そんな孤立を感じている人びとにとって、音楽はより重要になっていると思います?

ナタリー:そう思うわ。彼らにとってはカタルシスを覚え、自分を解き放つ手段になっている。でも、同時にこうも感じている。音楽はそれだけくらいしかできない。明らかに現実にやらなくちゃいけないことがもっとあるわね(笑)。

多岐にわたる音楽的ルーツについて

―本作は美しいメロディーと素晴らしい歌唱でいっぱいのアルバムです。でも、実のところ、あなたは10代半ばから長らく音楽を作り続けてきましたが、おもしろいことに、かなりの年月を前衛的なノイズ音楽だったり、ハードコア・バンドで叫んでいたり、と過激な音楽をやっていたんですよね。そして2011年にソロ活動を始め、2016年のアルバム『Front Row Seat to Earth』から、今のような美しいメロディーを歌うシンガー・ソングライター的な音楽を作るようになりました。そのスタイルの変化は何がきっかけで、どのように起こったのでしょう。

ナタリー:いつだって美しい音楽を作る方が自分に合っていたと思うけど、私は実験的な音楽を開拓することを楽しんでいた。限界に挑んで、表現の形式をどこまで広げていけるかをね。そして、そのことで社会に起きていることを表現していた。私たちはポスト=モダンの世界に、そしてポスト=ポスト=モダンの世界に生きていたから、どこまで行けるのか、ラディカルでいようと努めていた。そんなわけで、ラディカルな側の表現に惹かれていたの。でも、ある時点で、ある種保守的にやる方が、美しくノスタルジックな音楽を作ることがラディカルなように思えるようになった。ノイズ音楽やそういった音楽シーン全体に起こっていること、それに従う風潮への反発としてね。だから、ここまでは風変りなジグザグの旅だったのよ。

―お父さんがサムナー(Sumner)というニューウェイブ・バンドで、1980年にエレクトラ/アサイラムからアルバムを出した音楽一家の出身ですね。いろんな音楽を聴いて育った?

ナタリー:そうよ。父のお気に入りのバンドはXTCだった。それに、ウェザー・リポ―トやスティーヴィー・ワンダー、母はジョニ・ミッチェル、それにルイ・アームストロングからジュディ・ガーランドまで、何でもかんでも聴いていた。だから、私はたくさんの興味深い音楽を耳にすることができた。XTCを聴けたことには感謝している。後で振り返って初めて、彼らがお気に入りのバンドだったなんて、父も本当に変わっていたなと思った。


The Quietusのインタビューによると、好きなXTCのアルバムは『English Settlement』

YouTubeで観られるヴィデオで《自分が書きたかった曲》に、ホーギー・カーマイケルの「スターダスト」を選び、ああいったスタンダード曲の時代を超えたメロディーの持つ力について語っていました。

ナタリー:間違いなくね。あの頃はメロディーと歌詞が手と手をとっていたみたい。そしてハーモニーはその歌の語っている感情のようなのね。



―新作の収録曲を聴いていて、ニルソン、ローラ・ニーロ、ジュディ・シルなどが頭に浮かびましたよ。

ナタリー:ああ、そうね。

―彼らのような60~70年代のシンガー・ソングライターを聴きこんだ時期もあるんですか?

ナタリー:ええ。ハリー・ニルソンは聴きこんだわ。ローラ・ニーロにも夢中になった。彼らをとても高く評価している。それ以前のポップ音楽とは違っていた。ニルソンはティン・パン・アリーの影響を受けながら、どこか異なっていたし、ローラ・ニーロはモータウンなどよりも、それ以降のソウルのようだわ。

―ええ、彼女はソウルとブロードウェイとフォークといろんな音楽のミックスでした。

ナタリー:そして、ジュディ・シルは「キリストとアシッドの出会ったフォーク」みたいな(笑)。私にはそれが意味を成すの(笑)。彼女の音楽は気の合う心の友のような存在よ。





―信心深い家庭だったとか。

ナタリー:ええ、キリスト教徒として育てられた。

―教会の音楽に影響されました?

ナタリー:そう思うわ。聖歌隊でよく歌った人間としてね。つまり、古い音楽に興味を持つ人には、神のために作られた音楽は避けられない。西洋文化ではその頃に作られた音楽のほとんどは神の名前のもとに作られたんだから。とりわけグレゴリアン・チャントとか、古楽、合唱音楽などは、神様に向けられた音楽ね。聖歌隊にいるだけでもたくさん耳にしたけど、私の父は礼拝のリーダーを務めていたから。でも、それは90年代のクリスチャン・ロックだった。宗教音楽だけど……。

―サウンドは現代的なコンテンポラリー・クリスチャン・ミュージックだった。

ナタリー:そうそう。

―今の音楽の路線になって、まだ6年ほどであることを考えると、前作や新作で素晴らしい歌唱を聞かせていることに驚きです。その歌手としての急速な成長はどのように成し遂げられたんでしょう?

ナタリー:とても幸運にもツアーに出かけられるようになった。ツアーが意味するのは、毎晩舞台で歌うってことね。歌声は筋肉みたいなもので、毎晩使うことで鍛えられる。それと、カラオケですごく練習した。実はカラオケがもっと良い歌手になる助けになったのよ。本当の話よ(笑)。私は元々良い声を持っていたと思うけど、ちょっと粗いところもあった。でも、いったん自分に練習を課して、カラオケでスタンダードや好きな歌を歌って、それらを習得したら、自分の歌声が満足できるところまできたの。そして今の私は、荒れた時期もあった年月を経て、そういった過ぎ去った日々の現実の体験も糧にして、その歌声がずっと良くなったのよ。

―カラオケの得意なレパートリーを教えてもらえます?

ナタリー:よく歌ったのは、エタ・ジェイムズやエラ・フィッツジェラルドなどだけど、好きな曲なら何でも。ドゥーワップも。ベン・E・キング、プラターズ……(カントリー歌手の)パッツィー・クライン、タミー・ワイネット。文字通りあらゆるスタイルの歌唱に手を出してみたわ。サウンドガーデンの曲にまでね(笑)。



―かつては自宅や小さなスペースで録音していたと思いますが、この2作では大きなプロフェッショナルのスタジオ、ビーチ・ボーイズの『Pet Sounds』などが録音された伝説的なスタジオ、イーストウェストを使うようになりました。

ナタリー:いや、前作は違うスタジオだったの。今回初めてイーストウェストを使った。

―あ、そうなんですか。いずれにせよ、いろんな楽器編成の編曲を試せるし、音楽の作り方にも影響しますよね?

ナタリー:大きな空間のスタジオで録音して、その部屋のサウンドをとらえるのはクールだわ。イーストウェストはとても特徴的なサウンドを持っているから。

―そんな編曲についてですが、音楽は勉強したんでしたっけ?

ナタリー:ええ、1年勉強したわ。音楽を楽譜にすることに熟練しているわけじゃないけど。実際に身に着けたのは漠然とした理解で、自分の強みは即興とハーモニーについての生まれ持った感覚ね。だから、必要なときは他の人に楽譜にしてもらうことが多いけど、(そういった編曲が)とても魅惑的だとわかった。

―編曲面で影響を受けた人はいますか?

ナタリー:今回はドリュー・エリクソンを起用したんだけど、(過去の)編曲家に関して言えば、ジャック・ニッチは素晴らしかったわね。すごい作品をたくさん残している。



―プロデューサーのジョナサン・ラドー(フォクシジェン)とはどのように共同作業を進めたのですか?

ナタリー:私の共同作業のやり方は、まず曲から始め、ミュージシャンに来てもらって、完璧なライブ・テイクをとらえようと努める。そのなかのすべてが私たちの求めるとおりになっているように。それから、その構成部分をとりだして、テープマシーンにかけて、ちょっぴり壊すの。そのままだと純粋で奇麗すぎるから。そのなかの生と死のバランスをとるのよ。

この投稿をInstagramで見る @weyesbloodがシェアした投稿 ジョナサン・ラドーとの制作風景

―前作もそうでしたが、あなたの作品には映画的な感覚が大いにある。映画音楽が好きなんですね。

ナタリー:ええ、そうよ。サウンドトラックは大好き。私はずっとインスト音楽に親近感を抱いてきた。感情を表現するためのパレットがあって、メロディーでとても多くのことを語れる。私は歌詞が大好きだし、フォーク音楽も大好きだけど、インスト音楽にも同じくらいに潜在意識が反応するの。クラシック音楽の大ファンというわけではないので、サウンドトラックは現代的な耳と古典的な作品の素晴らしい出会いの場でもあると思う。

―お気に入りのサウンドトラック・アルバムのトップ3を選んでください。

ナタリー:いいわよ。『シャイニング』のサウンドトラック。(完成版の映画では結局使われなかった)ウェンディ・カルロスのものね。(同じキューブリック監督の)『バリー・リンドン』のサウンドトラックも大好き。内容は素晴らしいクラシックの名曲集だけどね[*チーフタンズのアイリッシュ・トラッドも使われている〕。『グラン・ブルー』のサウンドトラックも大好きよ。フリー・ダイバーの話ね。ヴァンゲリスの『ブレードランナー』も。





悲観主義と楽観主義が同居したニューアルバム

―さて、新作の収録曲ですが、とても美しい曲で、編曲も、特にコーダが素晴らしい「Children of the Empire」はアルバムのハイライトのひとつだと思います。この曲について教えてもらえますか。

ナタリー:「Children of the Empire」は、世界を支配してきたアメリカの没落の瞬間に生きていることについて。アメリカが「アメリカの夢」、資本主義といったものを世界中に広め、グローバル化した帝国を作り上げたけど、今やもはやアメリカは関係を保てなくなってきた。国内の状況が衰退し、崩壊しつつあるから。その大帝国の崩壊が起きている状況下で、若者でいることがどのようなものかについての歌ね。彼らはとても幻滅を感じているうえに、その手には血がついていて、自分たちにも責任があるような気がしている。でも、過去を変えられないにしても、将来に希望を持つことはできるとも感じているの。



―そういった暗い題材の曲もあれば、1曲目の「Its Not Just Me, Its Everybody」などには、人びとへのエンパシー(感情移入)も感じられます。

ナタリー:ええ。この曲の歌っていることは、エンパシ―ね。どのように人がつながるかということ。スマートフォンの常に相互に連絡できる機能のどこか人工的なところが、人びとにもっと人間的なつながりを渇望させていると思うの。

―「Grapevine」の曲名は、カリフォルニアのハイウェイの名前なんですって?

ナタリー:そうよ。



―あなたはサンタモニカで生まれ、東部のペンシルヴァニア州やニューヨークに長らく住んだあと、ロスアンジェルズに戻って来た。あなたにとってのカリフォルニアとは?

ナタリー:カリフォルニアは炭鉱のカナリアね。というのは、フロンティアの終点であり、あらゆる新しい奇妙なことはここで起こっている。シリコン・バレー、60年代の過激な運動家たち、ヒッピー、サンフランシスコの状況、映画産業、ディズニー……すごくたくさんの変わったことがここで生まれている。それはとても新しい場所だから。でも、今はそういったあらゆることのネガティブな影響も目にする。気候変動に関しては、ここでは明白になっている。だって、この州はこれほど多数の人口を維持できることにはなっていないわけだから。それはちょっとしたリトマス試験紙のテストみたいなもの。すごく多くの点で、これからの未来にやってくることを実験するシャーレみたいなところなのよ。とてもワイルドな場所だわ。長い歴史は無いけど、変わった奇妙な豊かな歴史がある。開拓者たちね。フロンティアの開拓者たちのエトスがここでは芝居がかったほどにあるけど、その暗黒面も見られるの。

―音楽についてはどうでしょう?

ナタリー:私が考えるのは、グレイトフル・デッド、ローレル・キャニオン、ジョニ・ミッチェル、ベイカーズフィールド・サウンドとかのカントリーなどだけど、現在の状況を考えると、音楽産業は完全にロスアンジェルズに移転してしまったから、すごくたくさんのことが起こっている。今はあらゆる種類のアーティストが住んでいるから。アメリカの音楽の首都となっていると思う。ニューヨークではもうそれほどのことは起こっていないわ。ラナ・デル・レイはそんなロスアンジェルズを完全に表現している人ね。

―ラナのアルバムに参加していましたね。彼女を同志のように感じている?

ナタリー:ええ。大好きよ。彼女との出会いは、目から鱗が落ちたようなものだった。音楽を聴いて、彼女はポップ・スターだと思っていたんだけど、一緒に時間を過ごして、本物のアーティストだとわかった。彼女はまったく計算高くないの。カオス・パイロット(見知らぬ場所や不確実な状況の中でも、人々の先頭に立って行動できる人)
のような人ね。



―「The Worst Is Done」で、「最悪は終わった」と歌いながら、「最悪はまだやってきていない」とも歌っています。悲観主義と楽観主義が同居していますね。

ナタリー:このレコードでは悲観主義と楽観主義が手を取り合って一緒に踊っているわね。それは確かだわ(苦笑)。でも、私にとっては、今が最も悲観的というわけじゃない。私たちを包むバブルが破裂して、すごく激しい混乱が始まるかもしれないわ。というのは、私たちの作り上げた今の状況というのは、すべてがあまりに相互につながっているから、どこかでの経済の混乱があらゆるところに広がり、あらゆることを変えてしまうかもしれない。そんな危うさがあるとちょっぴりでも知っておくことが重要よ。でも、いくらか皮肉もこめている曲なので、ただ暗い歌だと受け取らないでほしいとも思う。

―アメリカでは、明日(11月8日)の中間選挙の結果次第では、「最悪はまだやってきていない」ということになるかもしれませんね。

ナタリー:まさにその通りね。

―でも、3部作を締め括る次作は希望を歌うものになる。

ナタリー:ええ。何が起ろうが、希望についてのものになるけど、ある程度は結果を受け入れることについてにもなる。こう言っても大丈夫だと思う。この世の中では何も新しいことじゃない。人類の歴史では大変動をもたらす激しい出来事は何度も起こってきた。それが歴史の行程の一部なんだから。今という時代が特別と感じていても、この世の中では何も新しくはないのよ。

―あなたが音楽を通じて発しているメッセージのなかで、特に日本の人たちに向けて言いたいことはありませんか。

ナタリー:それはとてもむずかしい質問ね。うーん、こう言いましょう。私たちはグローバルなコミュニティに住んでいる。私が話しているすべての問題はあらゆるところで起きている。過度な孤立化や人にとって代わろうとするテクノロジーとかは、私たちが逃れられないものね。スマートフォンを投げ捨て、それをあきらめてしまうことはできない。その時点を過ぎてしまったから。私たちがそこから進化することを望むけど。ええ、日本の人たちともそういったことに関しても意見を交わすことはできる。今本当に起きていることについてね。社会の分裂の動きは続いている。みんながアルゴリズムに導かれて、自分の見たいものしか見てない。誰も自分の入っている箱の外をみようとしないのね。

―最初に話されたように、前作の成功のおかげで、ツアーでそれまでよりもずっといろんな場所に行けるようになった。つまり、いろんな国のいろんな人たちと話す機会があるようになったわけですね。

ナタリー:大半の人たちは同じように感じていると知ったわ。それぞれの国がすごく異なる構造と要因を持つにせよ、ほとんどの人たちは現代的なパラダイムのなかで生きている。その文化の複雑さを知らないから、日本についての意見を言う資格はないと感じているけど、こう言っても間違いないと思う。私たちはみんな似たシステム、テクノロジーと資本主義に支配されたシステムに参加している。だから、私のメッセージが世界全般で有意義であってほしいと望むわ。

―日本に来たことはあるんですか?

ナタリー:いいえ。実はツアーで行くことになっていたんだけど、コロナのせいでキャンセルになったの。すごく行きたい!



ワイズ・ブラッド
『And in the Darkness, Hearts Aglow』
発売中
詳細:http://bignothing.blog88.fc2.com/blog-entry-13707.html

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