ベルウッド・レコード50周年総括、三浦光紀が築いた才能溢れるニューミュージックの土台
Rolling Stone Japan / 2022年12月11日 6時50分
日本の音楽の礎となったアーティストに毎月1組ずつスポットを当て、本人や当時の関係者から深く掘り下げた話を引き出していく。2022年10月の特集は今年で50周年を迎えるベルウッド・レコード。特集にあたり5週間に渡りベルウッド・レコードの創設者・音楽プロデューサーの三浦光紀をゲストに招き50曲を自薦しながら、当時から現在までの話を掘り下げる。パート5ではベルウッド・レコードからニュー・モーニング・レコードへの変遷やレコード会社を越えたプロデューサー業について歴史を辿る。
田家秀樹:こんばんは。「J-POP LEGEND FORUM」案内人・田家秀樹です。今流れているのは大瀧詠一さんの「ウララカ」。1972年11月発売大瀧さんのソロの1stアルバムからお聴きいただきます。今月の前テーマはこの曲です。
関連記事:ベルウッド・レコード50周年記念、三浦光紀と振り返るはっぴいえんどとの出会い
今月2022年10月の特集は「ベルウッド・レコード50周年」。三浦光紀さんをお迎えしての5週間です。三浦さんに曲を選んでいただいております。毎週8曲ということで、40曲。忘れられないアーティストの知ってほしい曲や残したい曲。前テーマも三浦さんの希望による選曲であります。こんばんは。最終週になりました。
三浦光紀:早いですね(笑)。
田家:11日のコンサートがそろそろ近づいていますね。
三浦:なんとか上手くいってくれればいいなと思って。
田家:ベルウッドのアナログ盤を世界に広めようという会社も始めているんでしょう?
三浦:今考えて、試作品みたいなものを作っているんですね。MVPって言うんですけど。それを11月11日にローンチするって言っているんですよ。その後、アメリカに行ってトークンを発行して資金を集めて事業を開始するということなので。
田家:アナログ盤の会社ということですよね。
三浦:アナログレコードを売るNFTのプラットフォームですね。だからもちろんデジタル作品もやるんですけど、僕はアナログを売りたいんです。日本の名盤を世界に売りたいなと思っていて、会社にできるかは分からないんですけども。
田家:そういう50年あまりの始まりがベルウッドだったということで、最終週をお送りしようと思います。今日の1曲目は時間が遡るんですけど、『71中津川全日本フォークジャンボリー実況』というライブアルバムから加川良さんの「教訓Ⅰ」。
教訓 I / 加川良
田家:三浦さんのキャリアがそもそも1970年のフォークジャンボリーに会社の機材を持ち出して録音した頃から始まっている。この話は何度か出ましたけども、これは1971年のフォークジャンボリーの実況盤ですね。
三浦:そうです。すごく懐かしいですよね。ここで僕はあがた森魚さんとはちみつぱいを発掘するという(笑)。
田家:その中で「教訓Ⅰ」を選ばれているのは?
三浦:この曲は反戦歌の名曲ですよね。本当にこの曲が好きで、カラオケって歌ったことないんですけど、歌うとしたらこればかりです、他の曲は歌わない(笑)。
田家:1971年のフォークジャンボリーのライブアルバムはベルウッド発足前に出たアルバムで、そういうアルバムがベルウッドの発足の追い風になったということはあるんですか?
三浦:やっぱりありますね。何度も言うけど、中津川がなかったら僕のところにタレントはいないです。全部そこで見つけたわけで、僕にとっては宝の山です。
田家:会社もこういう人たちが集まっているんだったら、ちゃんとやらないわけにはいかないという。
三浦:ただ、こういう人って知らないわけですから、当時ほとんどメジャーの人たちは知らない人ですもんね。
田家:その中の1人が加川良さんでもありました。今日の2曲目、やはり加川良さんで1974年11月発売、アルバム『アウト・オブ・マインド』の中から「こんばんは お月さん」。
三浦:これは『アウト・オブ・マインド』という加川良さんのアルバムで、今までずっとフォークシンガーの形でやってきたんですけど、僕は彼はブルースシンガーだなと思っていて、バックに鈴木茂さんとか、居候していた2人の天才少年。ドラムの林くんとベースの田中さん、それに佐藤さんが加わって演奏しているんですけど、これが後の茂さんのハックルバックになっていくんですよね。
田家:この時のセッションがきっかけでハックルバックになったんだ。
三浦:林さんと田中さんは恭蔵さんのバックもやっていて、これが2回目ですね。
田家:ベースの田中章弘さんとドラムの林敏明さん。今曲がかかっている時に三浦さんがちらっと見せてくれた携帯の中に加川良さんと三浦さんがジャケットを持って写った写真がありました。
三浦:そうなんですよね。加川さんのライヴに行って、作ったアルバムの宣伝をしたいからって。
田家:三浦さんが持っていった。いつ頃の写真なんですか?
三浦:いつ頃だったかなあ…… 忘れた(笑)。
田家:三浦さんも若いし、加川さんも若いですもんね。『アウト・オブ・マインド』の中からもう1曲「かかしのブルース」。
田家:これぞスワンプ・ロックって感じですねーかっこいい。
三浦:本当にいいブルースシンガーですよね。
田家:「教訓Ⅰ」から『アウト・オブ・マインド』は3年経っているわけですもんね。その間に加川さんの中でもやりたい音楽が変わってきた?
三浦:変わったんでしょうね。僕から見ていると、ロックの方向に行っていた気がします。
田家:ハックルバックになるメンバーを起用したのは加川さんの中でこの人たちとやりたいと?
田家:僕と加川さんでたぶん決めたんです。茂さんを使いたいなと思って、それでたまたまさっき言った居候の2人がいたので、合わせるとどうなるのかなと思って。そしたらすごくいい感じで、この時茂さんはあまり表に出てこなくて、すごく歌を活かすギターをやっているんですよね。
田家:アルバムの中には中川イサトさんとか、村上律さんとかも加わっていて。あらためて思ったんですけどベルウッドの功績の1つに関西フォークのその後を見せてくれたことじゃないかなと思ったんですよ。
三浦:あーなるほどねー。ベルウッドを作って1年ぐらい経ったところで、ベルウッドに似た名前を名乗っている人たちがいるって聞いたんですよ。ウエストウッドだったかな。それがキングレコードの大阪支店に時々来て、ベルウッドのレコードを持っていくって言っていて。その人たちがたぶんディランにいた人たちだったんだろうね。福岡風太さんたちがそういう名前で、「第二ベルウッドだ」って言ってたみたいですよ。
田家:URCの人たちはまだ技術もない、ギターだけでも歌いたいことがたくさんあるんだって人たちを発掘して、そこでちゃんと音楽的レールを敷いて、才能あるミュージシャンに一緒にやりませんか? ってことでその後の音楽を作り上げた。
三浦:URCってあまりお金がなかったから、ほとんどアコースティックと弾き語りじゃないですか。僕はそれに色をつけるというか、サウンドを作っていくことによって、もっと彼らの音楽の領域が広がるなと思って、意識していいバックをつけたんですよね。
田家:「教訓Ⅰ」と「かかしのブルース」を比べると、そういうことなんだという答えがここにあるような気がしましたね。そういう中で三浦さんが選ばれた40曲、思いがけなかった曲があるのでお聴きいただこうと思います。1974年9月発売、ザ・ディランⅡのアルバム『この世を悲しむ風来坊に捧ぐ』から「追放の唄」。
田家:この曲を選んだのは?
三浦:これは休みの国っていうグループの高橋照幸さん、名曲だなと思って。大塚さんと、歌っているのはながいさんなんですけど、大塚さんたちの「追放の唄」の方がかっこいいなと僕は思っていて。大塚さんに聞いたら、これもバックは鈴木茂さんの代わりに石田長生さんが入って、あとは加川良さんのバックと一緒で天才居候少年2人とキーボードが佐藤さんなんですよね。聴くと分かるんだけど、田中さんのベースがすごいんですよ、とんでもないベースをやっているなと思って選びました。
田家:佐藤さん、田中さん、林さんというのはもともとディスという石田長生さんのバンドだったんですってね。これ、今回初めて知りました。
三浦:そうそう。これもシアターグリーンっていう小さいライブハウス、そこでレコーディングしたんですよ。スタジオ録音ではなくて。
田家:休みの国の「追放の唄」がもっと重くて、本当に石を持って追われる如く、追われている人の背中が見えるみたいな歌だったんですけど、全然違いますもんね。
三浦:そうですよね。ヘッドアレンジでやったと言ってましたけども。
田家:このアルバムには細野さんの「恋は桃色」も入っている。ザ・ディランⅡの話はこの後も続きます。次は37曲目ザ・ディランⅡで1975年5月発売、ライブ『時は過ぎて』から「こんな月夜には」。
田家:しみじみ飄々とした方坊主ララバイという感じですね。
三浦:西岡恭蔵さんがボーカリストとして大塚さんを選んで、自分の曲は大塚さんのために書いているんだって言っているわけですから本当に味のあるボーカリストですよね。でも、これは大塚さんの詞なんですよね。だから、彼はいい詩人なんですよ。
田家:大塚さんはご自分のTwitterでこの番組の「ベルウッド50周年」をあげてくださっておりました。大塚さんありがとうございました。
三浦:ありがとうございました(笑)。
田家:ライブ盤は解散ライブでしょ?
三浦:ですよね。
田家:三浦さんはさっきの加川良さんもそうですけど、ベルウッドの後にフォノグラムでニュー・モーニングというレーベルを始められた時も加川さんが行っている。
三浦:そうですね、みんな。
田家:ザ・ディランⅡの大塚さんも。
三浦:うん、一緒に。そこで大塚さんのソロを初めて出すんですよね。そこでまたこの歌を歌っている。こっちは生歌みたいな感じで、あっちはバックをつけたりしてやっているんですけど。
田家:はっぴいえんどもそうですけど、バンドだけじゃなくてそれぞれ1人1人のその後のキャリアもお付き合いされているというか、プロデュースされているわけでしょ? それはレコード会社を越えて。
三浦:フィリップスにいた時もビクターのレイジーヒップなんかを頼まれて、グアム島にレコーディング行っているんですよね。ビクターの仕事しているんですよ、考えてみたら。フィリップスにいた時にね。小室さんはフォーライフですよね、それも僕やってましたから。
田家:日本のプロデューサーというあり方、かなりレコード会社に引っ張られている感じがするでしょう。
三浦:普通はやっちゃいけないですよね(笑)。
田家:今はフリーのプロデューサーたくさんいますけども、70年代は違いましたもんね。
三浦:会社から給料をいただいているのでね、他からもらっちゃいけないなって。でも人間的な繋がりでそうやって一緒にやってくれと言われるので。
田家:そういうプロデューサーの第一号ということでもあるんだろうと思うのですが、この人ともそういう関係であります。1975年12月に出たアルバム『僕は天使ぢゃないよ』から同名のタイトル曲です。
三浦:これもベースすごい。
田家:ベースが唸ってますね。
三浦:細野さんですね。あと茂さんのギターもすごいし、ティン・パン・アレイの名演奏ですよね。それとやっぱり矢野誠さんのストリングスのアレンジが素晴らしいなと思って。
田家:あがたさんははちみつぱいとの繋がりが先週、先々週と何度も出ていましたけども、このアルバムははっぴいえんどのメンバーが入っている。
三浦:松本さんがやっていましたから。
田家:これはあがたさんの方で彼らとやりたいと?
三浦:松本さんにお願いしたいと。
田家:『噫無情(レ・ミゼラブル)』のプロデューサーが松本さんでしたからね。
三浦:はっぴいえんどの松本さんがティン・パン・アレイをレコーディングの時はディレクターとしてやっていたわけですよね。
田家:あがたさんは、はちみつぱいとはっぴいえんど両方と一緒にアルバムを作っている人。そういう意味ではもっといろいろな光の当て方ができる人でしょうね。
三浦:いろいろな側面を持ってますもんね。大瀧さんのフィル・スペクターサウンドみたいなやつも得意ですよね、あがたさんは。
田家:「僕が天使ぢゃないよ」は公開された同名の映画がありまして、その映画には泉谷しげるさん、鈴木慶一、大瀧詠一さん、友部正人さん、中川五郎さん、井上堯之さんが出てる。
三浦:あと、横尾忠則さんとかね、岡本監督とかすごい人が出てるんですよ。
田家:なるほどね。この映画観る機会ないですもんね。アルバムの中には大瀧さんの「びんぽう」とか、「それはぼくじゃないよ」とか「乱れ髪」も歌われている。
三浦:すごい乱暴なアルバムですよね(笑)。
田家:でも三浦さんにとってはしてやったりの(笑)。
三浦:そうそう、うちでしかできないなって(笑)。自分の持ち駒を全部集めた感じ。
田家:あがたさんの他の人にない才能はどんなところですか?
三浦:まず声。意外とロックが似合うんですよね。下駄を履いてフォークを歌っているからあっちかなと思っていたけど、全然違うんですよね。僕はあがたさんを見た時にベルベットアンダーグラウンドを思いましたね。
田家:ルー・リードがあがた森魚さんなんだ。
三浦:そうそう、そんな感じ。
田家:なるほど、日本のルー・リード。すごいなあ、これは。あがた森魚さんのブーム来そうですね。もう1曲39曲目、1974年のアルバム『噫無情(レ・ミゼラブル)』の中の曲です。「はいからはくち」。
田家:これを選ばれたのは?
三浦:オープニングのテーマが「ウララカ」。それの原曲が「はいからはくち」ですから。はっぴいえんどの松本さんの詞ですよね。松本さんがあがたさんと「はいから」って鈴木慶一さんじゃないですか。はっぴいえんどとはちみつぱいが一緒にやっているような感じですよね。オープニングのコーラスは慶一さんと細野さんと茂さんと大瀧さんがやっているんです。だから、バックコーラスすごいんですよ。
田家:現場にはいらっしゃった?
三浦:いました。
田家:わー! あがた森魚さんもそうなのですが、大塚さんもそうですし、加川さんも三浦さんがベルウッドからフォノグラムのニュー・モーニングになって、ずっと関係が続いていくわけです。1974年にベルウッドを退社して、一旦アメリカに行かれている。
三浦:そうですね。次はどういうレコード会社を作ろうかなと思って。
田家:ベルウッドをお辞めになった理由はあったんですか?
三浦:1つは当時フォーライフ・レコードというレコード会社が誕生する時が。
田家:前の年ですね。
三浦:そこの誕生までの間に僕関わっていたので、本当はキングレコードでやろうかなと思ったんだけどそれができなくて。それで僕は小室さんたちと一緒にやりたいなと思って辞めたんですよね。それと、やっぱり長田さんという僕の恩師がちょっと事情があってキングレコードを辞めなきゃいけなくなって、それもあって僕も一緒に辞めたという。キングレコードに不満があったわけではないんですけどね。
田家:で、帰国して、フォノグラムからニュー・モーニングを作られた。
三浦:今度は世界で通用するアーティストをニュー・モーニングではやりたいなと。ローウェル・ジョージがはっぴいえんどの時に日本人のアイデンティティを音楽の中に入れていった方がいいんじゃないかって言って、それだったら矢野顕子さんとか、喜納昌吉さんみたいなああいう人が世界で通用するんじゃないかなと思って。
田家:キングレコードはドメスティックな会社ですもんね。フォノグラムは外資だった。
三浦:フィリップスだったので、海外に販売網を持っていたし、海外レーベルをやっていたので世界への近道かなと思って。
田家:三浦光紀第二章が始まるわけですが、お話はここまでですね。5週間最後の曲はやっぱりこの人たちですね。はっぴいえんどで1971年11月発売のアルバム『風街ろまん』の「風をあつめて」。
田家:ベルウッド・レコードの曲、アルバムがサブスクで解禁になって、サブスクで聴かれる方もたくさんいらっしゃると思うのですが、あえて今月はこれがいつの発売だったのかということを申し上げております。51年前です。
三浦:この曲、最近でもよくいろいろなところで聴くもん。すごいんだなと思って。特にソフィア・コッポラの『ロスト・イン・トランスレーション』かな。あの映画で使われたので、この曲が世界に出ていった。細野さんがニューヨークでコンサートをやる時、向こうの若い子たちが日本語で僕の前で歌ったって教えてくれました。YouTubeなんかを観ると、アメリカの若い人たちが日本語ですごく上手に歌っていますよね。びっくりした。
田家:なんなんでしょうね。
三浦:僕も分からないんですよね。でも、やっぱり曲の力なんでしょうね。
田家:ということですね。51年前の曲ですが、50年経って今はアナログ盤をもう1回世界に日本のアナログ盤を広げようとしてらっしゃる。
三浦:ディスクユニオンの金野さんという方に会ったんだけど、2~3年前から日本のアナログが海外でも売れるようになっていて、評判がいいみたいなんですよね。質がいいってことで。だから、これからNFTを使っていけば、今度は海外に売れる販売会社というか、プラットフォームが作れるわけですから。それに乗せて日本の名盤を世界にというふうに思っているんですけどね、どうなるか分からないけども。
田家:そういう会社を今、お作りになろうとしていると。
三浦:まだ分からないです。
田家:まだやることたくさんありますもんね。ライブを楽しみにしながら、今月は終わりたいと思います。ありがとうございました!
三浦:ありがとうございました!
田家:「J-POP LEGEND FORUM」、日本の新しい音楽の土台を作り上げたベルウッド・レコードの50周年を記念した1ヶ月。ゲストに設立者、そして音楽事業家、三浦光紀さんをお迎えしてお送りしました。三浦さんが選ばれた40曲をお聴きいただいたわけですが、 流れているのはこの番組の後テーマ、竹内まりやさんで「静かな伝説」です。
まりやさんも海外でいろいろな曲が評判になったりしているわけで、ベルウッドの曲、レコードがアメリカとかヨーロッパとかであらためて日本にこういういい音楽があるんだということで噂になったりして、評価が高くなっている中でお送りしました。50年経っているわけですからね。どんな才能の持ち主でも、最初から評価されることは少ないのではないかと思うんですね。特に誰もやったことがないことをやろうとしている人は、誰からも理解されないということと常に背中合わせになっているわけです。今月流れたアーティストたちはいずれは世に出た人もいるんでしょうが、出なかった人もいないとは言えないのではないかと思いますね。
ベルウッド・レコードという場所があった、三浦光紀さんという人たちに共感をして興味を持って、自分に何かできることはないかと考えてその人たちを世に送り出そうと思った。それはプロデューサーのエゴとか、自分が何かを得ようとか、有名になりたいとか、これでお金が儲かるとかそういう次元ではなくて、この人たちは本当に才能があるのにな、もっと世の中に評価された方がいいよねってことで始まった、そういう人たち。みんな暇でお金がなかったんだけれども、才能には溢れていた。そういう人たちを集めた三浦さんも若かった。若いことの素晴らしさと言うんでしょうかね。70年代のおもしろさはそういうことなのではないかと思いますね。みんな若くてお金がなくて暇だった。でも、才能はあった。
これはどこまで本当なのか、自分で確かめたわけではないのですがポール・マッカトニーのライブラリーにベルウッドのレコードがたくさんある。ビートルズの4人もそういう若者だったわけですね。50年経って、あらためていろいろなことを思わせてくれる1ヶ月になったのではないでしょうか。
<INFORMATION>
田家秀樹
1946年、千葉県船橋市生まれ。中央大法学部政治学科卒。1969年、タウン誌のはしりとなった「新宿プレイマップ」創刊編集者を皮切りに、「セイ!ヤング」などの放送作家、若者雑誌編集長を経て音楽評論家、ノンフィクション作家、放送作家、音楽番組パーソリナリテイとして活躍中。
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