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Dirty Hit新鋭サヤ・グレーが語る、白人でも日本人でもない「はぐれ者」という感覚

Rolling Stone Japan / 2022年12月26日 17時30分

サヤ・グレー(Photo by Kazushi Toyota)

カナダと日本にルーツをもつシンガーソングライター、サヤ・グレー(Saya Gray)の来日インタビューが実現。The 1975、リナ・サワヤマ、ビーバドゥービーなどを擁するDirty Hitからデビューアルバム『19 MASTERS』をリリースした彼女が、これまでの人生を語る。

【写真を見る】サヤ・グレー撮り下ろし(全8点)

分断が深まるばかりの2022年。不寛容な社会を生きるサウンドトラックとして、自分がもっとも愛聴したのがサヤ・グレーの『19 MASTERS』だった。パーソナルな表現を突き詰め、ありがちな音楽観を拒絶するように混沌とした19曲の掌編集は、グランジーなベッドルーム・ポップの変異種にも、アニマル・コレクティヴやジョアンナ・ニューサムに象徴されるフリーク・フォークの再来にも聞こえる(年間ベスト2位に選んだ米タイム誌は「フランク・オーシャンの『Blonde』を受け継ぐにふさわしい傑作」と絶賛)。こわれものみたいな歌とサウンドには孤独感が滲み、社会の隙間からこぼれ落ちた「どこにも属せない」人々に寄り添う。二元論では割り切れない繊細な感情がここでは描かれている。

サヤ・グレーは1995年、トロント生まれ。アレサ・フランクリンやエラ・フィッツジェラルドとも共演してきたカナダ人トランペット奏者/作曲家/エンジニアのチャーリー・グレイを父に、日本人でありながらカナダの音楽学校「Discovery Through the Arts」を設立したマドカ・ムラタを母にもつ音楽一家に育ち、幼い頃から兄のルシアン・グレイと一緒にさまざまな楽器を習得していった。10代の頃にバンド活動を始め、ジャマイカのペンテコステ教会でセッションに明け暮れたのち、ベーシストとして世界中をツアーで回るようになり、ダニエル・シーザーやウィロー・スミスの音楽監督も務めている。

しかし、華々しい経歴の裏ではミックスルーツの女性として差別され、音楽業界における搾取と抑圧のシステムに苦しみ、度重なるツアーによって精神的危機に直面してきた。そういった負の経験も『19 MASTERS』には反映されているという。白眉のラスト曲「IF THERES NO SEAT IN THE SKY (WILL YOU FORGIVE ME???) 」で、”こんなに誤解されていると感じたことはない”と彼女は歌う。このアルバムは彼女にとって、「自分の世界」を守るための戦いでもある。



Dirty Hitのオーナー、ジェイミー・オボーンに取材したとき「僕が好きなアーティストはみんな何かしらのアウトサイダーだ」と語っていた。このあとのインタビューで、サヤが自分を「はぐれ者」と形容するのを聞いて、「そういう才能はいつだって、社会の主流から取り残された人たちの代弁者として世に出てくるものだから」というジェイミーの言葉が思い浮かんだ。

アニエスベーの企画出演のために来日したサヤは、Dirty Hit特集を行った「Rolling Stone Japan vol.20」を興味深そうにめくり、WONKのページに目を留めていた。彼らについて説明すると、millennium paradeと常田大希がお気に入りで、日本のカルチャーにも大きな影響を受けているとのこと。まさかこのタイミングで取材できるとは思わなかった。ぜひこの機会に、彼女の世界へと足を踏み入れてほしい。


Photo by Kazushi Toyota


ホームと呼べる場所がなかった

—日本にはよくいらっしゃるんですか?

サヤ:前回の来日は、2019年に開催されたフジロックですね。ダニエル・シーザーのパフォーマンスにベーシストとして参加したんです。(日本を訪れるのは)2年に1回くらいの頻度かな。観光で来たこともあります。


2018年、ダニエル・シーザーのバンドでベースを弾くサヤ・グレー

—初めて来日したのは?

サヤ:たしか、4歳のときですね。父が(CDのプロデュースも手がけた)オペラ歌手の本宮寛子のツアーに同行していたので、そのタイミングで来ました。

—お母さんは静岡のご出身とのことですが、どんな人生を歩まれてきたのでしょう?

サヤ:彼女はトロントでさまざまな仕事をしてきたみたいです。当時、カナダには多くの日本人移民がいて、そういった人々に対する差別があった。母もその一人で、辛い日々を過ごしたようです。でも、彼女はそんな状況にも負けなかった。おそらくトロントで一番大きな音楽学校を設立したんです。

そういうわけで、その学校が私の家でした。父の仕事の関係もあると思うけど、本当に音楽で溢れていたんです。そこでは祖母も一緒に暮らしていたんですが、私は白人コミュニティのなかで、日本的なカルチャーのもとで育てられました。移民のファーストジェネレーションという理由で私も差別を受けたんですが、2つの交差するカルチャーの中で育ったことはちょっと不思議な経験だったと思いますね。

—そういった生い立ちは、自分が今作っている音楽にも反映されていると思いますか。

サヤ:ええ、そう思います。私にとって、音楽は幼少期の経験と強く結びついているので。トロントにある、孤立した小さな日本コミュニティの中で生きること——おそらく私の母も経験したと思いますが、そこでの日々は他人に埋めることのできない孤独を含んでいる。私にはそういった、自分の存在がどこか「はぐれ者」のような感覚があるんです。


Photo by Kazushi Toyota

—その後はミュージシャンとして、放浪の日々を過ごしていたそうですね。

サヤ:そうですね、7年間くらい。17〜18歳の頃はLAとロンドンにいたんですけど、そこからはツアーで世界中を回ってきました。1年のうち11カ月くらい。だから遊牧民みたいにいろんなところに移り住んできたんです。今回のアルバムにもツアー中に制作した曲が収録されていますが、そのときは十分な機材がなかったからPCとボイスメモだけで制作して、ボーカルもiPhoneで録音しました。

私には長い間、ホームと呼べるような場所がなかった。だから自分の内面にそういう場所を確保する必要があったんです。今はトロントに自分の家があるんですけど、そういった場所をリアルに持つことが新鮮というか。私にとっては新しい経験だし、ちょっとクレイジーな感じもする(笑)。

孤独から生まれた「私の世界」

—もともとはベーシストとして活躍してきたわけですよね。音楽一家に生まれ、楽器に囲まれた環境で育ってきたなかで、自分の楽器としてベースを選んだ理由は?

サヤ:ベースは全ての土台となる楽器だから好きなんです。低音は曲がもつエネルギーや方向性を操り、曲の出来を左右する空間的な力を持っている。子どもの頃はシャイで寡黙だったから、ベースのそういう力に憧れたのかもしれない。



—好きなベーシストは誰ですか。

サヤ:たくさんいますね。ジャコ・パストリアス、エスペランサ・スポルディング、マーカス・ミラー、ヴィクター・ウッテン、デリック・ホッジとか。

—みんなジャズの人ですね。

サヤ:そうなんです。

—その一方で、『19 MASTERS』はよくあるベーシストのソロ作とはまったく違いますよね。そういうアルバムを作ろうと思った理由は?

サヤ:今回のアルバムはとてもエモーショナルな作品です。ツアー中に作ったというのもあり、ほぼ毎日ベースを弾いていたから、ここではギター、ピアノ、琴、三味線といったベース以外の楽器にトライしました。あとは、私にとってベースはメインの楽器だから、表現するうえでどうしてもエモーションが優先される。だから、ベースでどうやってテクスチャーを作るかについても考えました。ギターのように聴こえる演奏が多いと思われるかもしれないけど、実はベースでわざとギターのように演奏したりしてるんです。


Photo by Kazushi Toyota

—アルバムは「私の世界へようこそ」という日本語のモノローグで始まりますよね。これはお母さんの声とのことですが、なぜこの言葉を入れることにしたんですか。

サヤ:私は日常のなかで、よく家族との会話を録音しているんです。とくに夕食の時間とか。このフレーズも普段の会話で母から発せられた言葉で、アルバムに入っている会話も、そういった日常の記録からきたもの。日頃の会話で、心に引っかかった言葉を曲に取り入れたりしています。

—サヤさんは「私の世界」として、どんな世界を表現しようと思ったのでしょう?

サヤ:アルバムのビジュアルみたいな感じで、誰とも共有してこなかった感情や言葉が、プラスチックのボックスみたいに消化されないまま、ずっと心の中に残っていたんです。今回のアルバムでは、それらを具体化させたかった。不当な扱いから生まれた憎しみや怒りをうまく消化できないことが、きっと誰しもあるはず。それをピースフルなかたちで昇華し、そして代弁したかった。それからアルバムを通じて、今まで閉じ込めていた「私の世界」を、みんなと共有したいと思ったんです。



—このアルバムには孤独感や虚無感に近いけど、どう呼んでいいのかわからないフィーリングがあると思うんですよね。自分もそこに強く惹かれるものを感じたのですが、この感覚はどこからやってきたのでしょう?

サヤ:トロントで日本とカナダのルーツを持って生まれ育ってきたなかで、白人でも日本人でもない「はぐれ者」という感覚、他人には理解しがたい経験、周囲から「日本人女性ベーシスト」と定義されることの抑圧に、ずっと精神的苦痛を感じていたんですよね。SNSでの過剰な露出の影響で、メンタルの問題を抱えているアーティストが多く存在すると思いますが、私にとって音楽はそのような苦痛のはけ口であり、苦痛を解消するためのダイレクトな手段なんです。それに、孤独を感じている人々と境遇を共有し、音楽で彼らを救うことだってできるかもしれない。

—アルバム全体のサウンド面について、トライしたかったことは?

サヤ:正直、その点については特に考えてなかったです。ただ、制作時にはあえて情報を遮断していました。それは、自分のなかから純粋に生まれるものに集中したかったから。私はカメレオンみたいに、他人に馴染ませるのが上手な一面もあるから、その点については特に注意を払う必要があったんです。周囲の影響を受けずに自分と向き合うために、わざと孤独な時間をつくっていました。

—曲の構造的には、いわゆるポップソングというより、もっと断片的というか直感的に作られていそうな印象を受けました。

サヤ:まさに、コラージュのように曲を作っています。短時間で思い浮かんだいろんなアイデア——小さなかけらのようなイメージですが、それらを組み合わせていく。他には、例えば夜に作ったものを朝に聞き返してみたりとか。新鮮な状態で向き合うために、一旦頭をブラックアウトさせるんです。



—歌声と演奏のどちらもハーモニーが美しくて、そこにも心が動かされました。

サヤ:そのあたりはジャズやR&Bからの影響が大きいですね。10代のときに教会で演奏した経験もあって、ジャズ、クラシック、ゴスペルにかなり影響を受けていますし、父が共演していたアレサ・フランクリンの影響もあると思います。10代の経験というのは人生において大きいですから。母は練習に厳しかったから、私や弟(※)は熱心に練習したんです。今となっては感謝しているけど、当時は本当に辛かった(笑)。

—フォーキーな歌唱やサウンドも魅力的だと思いましたが、フォークというのは念頭にありましたか?

サヤ:その影響はどこから来たのかわからないんです。フォークミュージックは聴いてこなかったですし、私の育ってきた環境のなかにはなかった音楽なので。もしかしてニルヴァーナかも。フィンガーピッキングのスタイルがフォークを連想させるのかもしれません。

Dirty Hitとの出会い、日本のカルチャーへの共感

—話は変わりますが、Dirty Hitと契約したきっかけについても知りたいです。

サヤ:ジェイミー・オボーンとは、現在のマネージャーでもあるチェリッシュ・カヤ(Cherish Kaya)を通じて知り合いました。もともと、私はレーベルと契約することに対してあまり前向きではなかったんです。クリエイティブな自由を持ち続けることが難しいから。でも、ジェイミーは私と同じモラルを持っているように感じたんです。彼はとても誠実で、アーティストの考えを理解してくれる。現在のレーベルシステムの中で、彼のような存在は非常にレアだと思いますね。これまでの経験でトラウマがあったから、私自身が作品に対してコントロールを持ち続けるのは何よりも大切で、彼はそのことを本当に理解してくれた。

—レーベルの所属アーティストに対して、何か共感みたいなものを抱いていますか。

サヤ:私がDirty Hitを好きな理由の一つでもあるのですが、どのアーティストもまったく異なる個性を持っている。例えば、エレクトロニックレーベルなんかは似たようなアーティストが多かったりもしますよね。でも、このレーベルのアーティストはみんな自分たちの主張があり、それぞれが放っている独自のカラーがある。

—リナ・サワヤマは今年のコーチェラに出演したとき、「自分がクィアの日本人で、イギリス人で、アジア人であることは誇り」とMCで話してました。サヤさんはご自身のルーツやアイデンティティについて、いま現在はどのように受け止めているのでしょう?

サヤ:自分の中ではカナダ人という認識が強いんですが、私のルーツである日本について、もっと知りたいとも思っています。間違えるのが怖くて自分では話せないけど、日本語にも興味があります。家族と一緒に日本で過ごしたいし、レコーディングやパフォーマンスもしたい。今まで以上に日本のルーツについて向き合いたいと思っているんです。


Photo by Kazushi Toyota

—日本のカルチャーについて、これまでどんな繋がりを感じてきましたか?

サヤ:日本のファッションには絶対的な影響を受けてきました。ミニマルでありながら豊かな美しさ、技術と精神性が入り交ざった不完全な美しさがある。

—川久保玲、ISSEY MIYAKEがお好きだとか。

サヤ:そうなんです。子供の頃に日本的なカルチャーのもとで育てられたから、西洋の文化より日本の文化が染みついているといってもいいかもしれない。武道や音楽にも見られる、そういった日本の美意識に共感しています。とにかく、いろんな面から影響を受けているんです。今すぐにでも日本に引っ越さないと!



—日本のアーティストでコラボレーションしたい人を挙げるとすれば?

サヤ:まふまふ! 彼は全てセルフプロデュースしていて、音楽の作り方についても気になるところが本当にたくさんある。あまり表に出てこなくて謎めいているところも大好き!



—『19 MASTERS』はサヤさんにとって、一つのシーズンの終わりを意味する作品なのかなとも思いました。これからミュージシャンとして、どんなことをやっていきたいですか。

サヤ:たしかに。あのアルバムを制作していたときの私はかなり辛い状況だったけど、今は違います。これから作る音楽やコラボレーションが本当に楽しみなんです。新しい音楽はきっとエネルギー溢れるものになると思う。セルフプロデュースは続けるけど、自分自身を追い込んで、どこまでいけるか試してみたい。いま作っている新曲では、自分とベースとの関係性をより意識しています。ベースの可能性についてもっと実験したいんですよね。

あとは音楽以外にも、服を作ったりしてみたいし、新しい楽器にトライしたり、他のアーティストのプロデュースにも興味がある。新しいフェーズを迎えることに、今はとてもワクワクしています。


Photo by Kazushi Toyota



サヤ・グレー
『19 MASTERS』
配信リンク:https://found.ee/8mRc6

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